ともすれば急に雨が降り出した。
俺がもう少し遅く家を出ていればあらかじめ回避できただろう。
圧倒的なまでの、厄日。
「おい、ふざけんなよ……」
誰にも見られていない事を確認した上で"ロッカールーム"から傘を取り出す。
コンビニで買ったビニール傘。無駄に高い。100円でいいのにさ。
その突然の雨は暫くとしない内に土砂降りと化す。
思えば俺の人生はこんな事が続いているような気がする。
昔からそうだ。前の世界でも理不尽が度々あった。
だけど昔の俺は否定しかしちゃいなかった。
ならば俺は、俺の友人も否定したのだろうか?
それすらも何も、思い出せはしなかった。
「はっ。今日はお前がビリだぜ」
「今回はSOS団の集まりじゃあないんだ。構わないだろう?」
駅前までやってくると、既に人は集まっていた。
キョン、そして昨日の女三人衆と――。
「――ジェイ。いいや、佐藤」
「私にとってはどっちで呼ばれてもいいんだけど。これでも日本人だからジェイは不自然かな」
本当にどっちでもよさそうに、その女は言った。
この中で佐藤が一番高そうな傘を使っている。
俺は傘業界に詳しくないから、主観でしかないけど。
「君がオレを呼ぶように頼んだのか?」
「そうね。最低限の説明はしとかないと」
「その最低限をする君の方が最低な部類の人間だって事を自覚してほしいね」
「……手厳しいじゃない」
「全部君の仕業なんだろ。なら、当然だと思ってくれないか」
キョンは初対面の女に対し態度が悪い俺を見て困っていた。
とりあえずの説明はしておこう。
「キョンよ、この残念美人こと佐藤が異世界人らしい」
「……は。異世界人には異世界人。お前らは何故かそっくりさんを集めるのが好きらしいな」
「いいやキョン。佐藤さんは異世界人だけど、そこの明智君はどうやら違うみたいだ」
佐々木さんはどこまで彼女の話を聞いたのだろうか。
真に受けないで欲しいのは確かなのだけど。
「オレは異世界屋、だってさ」
「意味が解らん」
俺だって意味が解らない。
異世界人である事が就職において役に立つならみんな履歴書に書くだろうよ。
そんなやり取りを見た佐藤は。
「気にしなくてもいい。浅野君は浅野君で、彼は彼だから」
「佐藤さんとやら、"浅野"ってのは誰だ。今ここに見えないふざけた未来人か」
「キョンが言う所のふざけた未来人さんなら近くの喫茶店で待っている。話し合いの場、とでもしておこうか。でも彼は浅野という名前ではないみたいなんだ。僕も彼の名前はよくわからないけど」
やれやれ。
「……浅野ってのはオレさ。オレの昔の名前」
その辺はどうでもいいだろう。
周防は無駄に長い髪が傘の有効範囲からはみ出しているのに何故か雨に濡れていなかった。
雨の方が彼女の髪を回避しているみたいだ。無駄な事に能力を使っている。
しかしなるほど、案外橋の下が生活拠点とは限らないのかも知れない。
そんな便利な機能があるなら犬小屋を転々としていても大丈夫だろう。
結局どこ在住なのだろうか。自宅があればイタズラしてやるのに。
「みなさん、積もる話はあるみたいですが早くお店に入りましょうよ。こんな天気の中でずっと立ちんぼがいいんですか?」
癪に障る言い方であったが、橘の提案はもっともだった。
まさか、このメンバーでいつもの喫茶店に入るなんて。
さっさと帰らせてもらいたかった。
喫茶店に入ると全員、傘を傘立てに突っこむ。
奥の方に、あの見た目はチャラ男なのにお坊ちゃま口調の未来人が席を確保していた。
俺とキョンの2人に対し、5人というバランスで向かいに座る。
この時間だからまだいいが、基本的に怒られる座り方でしかない。
隣の席の分もテーブルを移動させている。明らかにこちらのスペースが無駄。
しかし、左端から周防、未来人、橘京子、佐々木さん、……佐藤。
人数だけで言えば、奇しくも昨日と同じ七人だった。
そして席も同じ。違うのは、俺の精神か、それとも人選か。
多分に両方だろうさ。
店員にお冷を置かれ、何を注文するでなくだんまりが続いた。
「――――」
「おい周防、何か喋れよ。今日はいい天気ですね、とか言え」
「フフフ。相変わらず浅野君は愉快」
「――雨――曇天――――」
そんなの見ればわかる。
いや、ここに来るまでで既に散々な目にあったのだ。
お前が情報操作したんじゃあないだろうな?
家を出たときは気持ちいいような悪いような陽射しだったんだが。
俺の喋れよ発言に対し未来人は。
「異世界屋の明智黎相手に舌戦で勝てる人間など限られている。数少ない一人でこの場に居るのは彼女ぐらいだ」
「ふむ。その彼女とは私かしら」
「異世界屋と君は共通の友人なのだろう?」
「ふっ。オレはこんなサイケ女と友人になった覚えはないよ」
「それは浅野君が覚えていないだけ」
「オレをその名で呼ぶな。そして何を根拠にそんな自信があるんだ、君は」
すると佐藤は目の色一つ変えずに。
根拠とも言えない根拠を言い出した。
「私を忘れるほど、浅野君は強くないから」
「……解せないな。戯言がお好きのか? だったら壁にでも話してるんだな。オレを二度と巻き込むな。次にくだらない用事で呼び出してみろ、両手を切断してやってもいいんだぜ。君はそれだけの事をしているんだよ」
「――――」
「ふん、なるほど。流石は"皇帝"……いや、将来的に明智黎は"魔帝"と呼ぶべきか」
何を言ってるんだお前は。
だいたいな、まず名乗れよ。
「僕の名前などどうでもいい」
「名前はただの記号、識別信号と言った所。ですものね」
「ふん。君がそう言うのは、無駄に多くの名前を名乗るからか? そして名前とは、朝比奈みくるを朝比奈みくると呼ぶように……明智黎を浅野と呼ぶように、そのどちらも無意味なことだ。名前に意味は無い」
「フフフ。私が自称したのは"ジェイ"ぐらい。他は事実としてそう呼ばれただけに過ぎないな」
「……どうでもいいがな、記号でも何でもいい。さっさと何か名乗ってくれ。俺の中でのお前の印象は最悪なんだよ、未来人」
キョンも俺と同意見だったらしい。
金髪男は吐き捨てるかの如く。
「……"藤原"、とでも呼ぶがいい」
「お前さんが道理で偉そうな訳だよ。下の名前は"道長"でいいね」
「――――」
「お? どうした周防、お眠の時間か? その無駄に長い髪はきっと枕代わりになるさ。寝てていいよ。お前の寝顔は見たくないけどね」
「―」
周防は無視した。
今日に限っては煽り耐性が高いのが腹立たしい。
とにかくこれで全員の名前が知れ渡ったのだ。
橘京子はここぞとばかりに。
「さっそく本題に入らせてもらいます――」
きっと誰もが好きにしろ、と思ったに違いない。
佐々木さんと周防はさておき、この女からはどうにも殺伐とした空気が感じられない。
まるでこの集まりをカニ食べ放題ツアーか何かと勘違いしている。
俺にそう思われてるとも思っていない橘は、営業スマイルで。
「――あたしたちはあなたがたの大切な涼宮ハルヒさんが神だと考えていません」
否定から入りやがった。
俺はアメリカ人じゃあないが、結論をさっさと教えてほしいな。
日本人はどうも、空気というか間を気にする。だからこそやりやすいが。
「佐々木さんこそが、本当の神的存在なのだと考えています」
やはり。
こいつも立派な超能力者だった訳だ。
誰かを立てないと立派になれないのだろうか。
キョンはどうにも飲み込めていないらしい。
「………何て言った?」
「そのままの意味なんですけど、解りづらかった?」
「……俺に反芻させる時間をくれ」
「どうぞ」
キョンは冷や水に手を伸ばす。
もしかしたらそのまま誰かにかけてもおかしくなかった。
だが一口飲むと、そのままテーブルにグラスを戻す。
肝心の橘はこの発言だけが自分の仕事かの如く、満足した、晴れやかな表情だ。
「あー、やっと言えたな。本来ならずっともっと早い段階で伝えたかったのです」
「"早い段階"ってのは、具体的にはどの段階なのかな?」
「異世界屋さんもこの話には興味がおありですか。……欲を言えば去年から。そう、古泉さんさえいなければ、もっと早い段階であなたたちに接触できたのです」
「その話に、オレは必要なのかな」
当然の疑問なはずだ。
そういうのは涼宮さん信者に任せる。
どうぞ自由に宗教戦争に興じてくれないか。
俺の女神は他でもない朝倉涼子なのだから。
そして、その当然の疑問には俺を呼び出した張本人が。
「その話はもう少し待ってくれる? まずは、彼の方から」
「……話を続けていいぞ」
「理解できたようね。あたしたちとしても、いっそこの春にあなたたちの高校へ転入するプランもありました。でも流石に無茶ですよね。『機関』の人たちは怖いもの、みんな狂ってる」
そいつは随分命知らずなプランだ。
しかし狂っているのは恐らくここに居るほぼ全員ではないか。
各々、自分の正義でしか動かないような連中だ。
キョンと佐々木さん以外は俺を含め、独善者。
ならばこの七人は"七武海"だな。
「だから今日、この場をお借りできたのは光栄です。古泉さんが涼宮さんを気にする運命なら、あたしたちは佐々木さんに引き寄せられる運命なの」
「他の異能連中もそうなのかな?」
「まさか。本当にあたしは不安でしたよ。宇宙人も未来人も、明智さんもみんな涼宮さんの方に行っちゃうんだもの」
「――――呉越同舟――」
「ふん。僕からすればどちらでも構わないのさ。今回ばかりはこっちに回っただけだ」
「私もそうだ。一番興味があるのは、もっと別の事だから」
宇宙人、未来人、異世界人がそれぞれ適当な事をぬかす。
しかしこいつらの狙いは何だ? 今更勧誘か?
それにこれだけはハッキリさせておこう。
「オレは誰の味方でもない。オレ自身と、朝倉さんだけの味方だ。宗教戦争に巻き込まれようと、君たちの相手をするとは限らないし、場合によっては始末させてもらう」
俺は常々人殺しが嫌いだと言っている。
その自覚もある。
だが、いざとなれば、俺にはきっとそれが出来てしまう。
俺が一番怖いのはその、人間の本質とも言えるような闇の部分。
潜在的に、俺は何かを抱えている。
「浅野君、いい眼ね。朝倉涼子が羨ましくなってしまう。安心なさい、私の狙いは明智黎ではない。浅野君よ」
「君は何を言っているんだ? 間違いなくそれは同一人物で、オレだろ」
「……違うの」
何が違うんだろうか。
異世界人、この女の覚悟とは何なんだ。
こちらのやりとりを気にせず橘は。
「とにかくやっと揃ったの。これで……SOS団とほぼ同条件。後一人も顔は出してくれないけど、協力してくれるみたい」
「それは、まさか……!」
「ええ。浅野君が思ってるように、中河君よ」
「……あ…………?」
ようやく知ってしまったか。
今日の目的はこれもあるんだろうな。
キョンは理解が出来ていないらしい。
「……何で、中河の名前が出てくるんだ」
「おや、聞いてなかったのですか? 中河さんには特別な能力があって、それを是非役立ててほしいのです。世のため人のために」
「ふざけるな! 俺どころか、あいつまで利用する気か」
「あたしは真面目なんだけどな」
「―とても――優秀―――」
「周防さんが言うように、彼はとても素晴らしいお方なのです。普段は彼もスポーツに勉強と忙しいから、顔を合わせる事は殆ど無いのですが。いや、文武両道ってすばらしいですよね」
白々しく橘京子はそう語る。
彼女の中ではきっと、単なる友達の延長線上でしかないらしい。
そして佐藤も中河氏をどう甘い言葉で引き入れたんだろうな。
キョンは今にもテーブルを叩き割らんとしている。
……しょうがない。
今日は使おう。
「"落ち着け"」
俺の一言で、その場のほぼ全員の顔色が悪くなった。
何故か知らないが、平気そうなのは周防と佐藤ぐらい。
藤原も余裕そうなポーズはさておき、やや脂汗をかいている。
佐々木さんには非常に申し訳ない。
「……う、………あ」
「頭を冷やせ。確かにこれはオレの仕業だが、長く披露するつもりはない」
ハンタ式威圧法。
それは、悪意を込めてオーラを顕在化させると言うもの。
オーラをしっかり纏っていない一般人には、まるで『極寒の中裸で居る』ような感覚らしい。
あまり使いたい技ではないんだけど。
「とにかく、解除するぞ」
「……はぁ………ふぅ…い、"今まで"のは……明智の仕業、………って訳か…」
「そうさ」
「……けっ」
「許せよ。仕方ないだろ。……君たちも寒い思いをしたんじゃあないか? とにかく、オーダーと行こう。いいタイミングだと思うけど」
わざとらしくそう言ってやる。
やがて何とか持ち直した佐々木さんが定員を呼びつける。
例外なく全員がホットコーヒーだった。
「ふん。……あれが、噂の威嚇か………話には聞いていたが、面倒なものだな」
「とにかく、話には続きがあるんだろ? 誰でもいいから話してくれないかな。オレはこれからデートなんだ」
「―――」
人格破綻者同士で会話しろってのが無茶なのさ。
とりあえず俺も水を飲んで口さみしさを紛らわそう。
やがて、橘京子は静かに口を開いた。
「単刀直入に言いますと、涼宮さんは神であるべきではない。彼女の能力は佐々木さんに宿るはずの力だった」
「だが、現実としてハルヒの方がハタ迷惑な存在なんだ。どうしようもあるかよ」
「あります。あなたの協力があれば」
真剣な表情で彼女はキョンを見つめる。
キョンはそれから逃げるかの如く。
「……佐々木、お前はどうなんだ。こいつの話を信用してるのか」
「僕もそんな力とやらに興味はないんだけどね。ただ、みんな思うところがあるみたいなんだ」
「お前の意見だけを聞かせてくれ」
「自分で言いたくはないけど、僕は内向きな性格をしている上に、涼宮ハルヒさんほど有名人でもない。ただの凡庸凡人。もし本当に世界を変えてしまえるほどの強大な、巨大な能力が手に入るとして、次は僕が君たちの言うところの事件に巻き込まれるのだろう? これで正気を保てるほど僕は超人ではない。うん、遠慮する」
「……だとよ。本人はこう言ってるが、どうするんだ」
何だ、お前らの組織力は線香花火以下じゃあないか。
やはり佐々木さんもぽっと出の変人なんかよりキョンを信用するさ。
だってそれが友人なんだから。
佐藤は俺の事を信用しているとは思えない。
まるで、俺を通して何か別の者を見ているようではないか。
これでどう信用しろって?
「あなたはそれでいいんですか?」
「いいも何もないだろ。今まで通り何とかする」
「涼宮ハルヒさんのおかげでその何とかが必要なんですよ? あなただけではありません、SOS団だけでもありません、世界のすべてが涼宮さんのさじ加減なのです」
「――それは違うよ」
わかってないな。
「超能力屋。君は世界の全てを見て来たのか? 異世界屋のオレだって知らないんだぜ」
「……フフ、"次元の壁を越えれるエネルギー"ね」
「君もそれが使えるんだろ、異世界人」
「浅野君ほどではない。前に言ったはず。精度はガタ落ちで、殆ど何も出来ない」
「だからオレを狙うってわけか。……そろそろ話せよ。その目的ってのを」
もしかすると俺は知りたかったのだろうか。
自分について。知らない何かについて。
だけどさ、やっぱりさ、無知の方が、楽なんだよ。
「いいでしょう。それにはまず、浅野君について話す必要がある……」
佐藤はもったいぶって言う。
いかにも、俺が嫌いな日本人的だった。
「浅野君は、"予備"。いいえ、違うわ――」
俺の耳が正常ならば、彼女はこう言ったはずだ。
思わず見とれそうになるような、いい笑顔で。
「――"スペアキー"ね。浅野君も、"鍵"なのよ」
……この時既に時刻は9時40分近く。
やけにオーダーの到着は遅い。
そして俺には何の話だか、さっぱりわからなかった。