異世界人こと俺氏の憂鬱   作:魚乃眼

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第六十六話

 

 

今、この女は、佐藤は何て言った?

予備? スペアキー? 何の話だ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フフフ……」

 

聞きたくもないような不気味な嘲笑。

俺はただ、質問する事しか出来なかった。

 

 

「……おい、君は、何を言ったんだ。説明しろ。……"スペアキー"とは何の事だ」

 

「ふむ。わからなかったのかな。浅野君の"役割"よ」

 

「オレの、役割、だって……?」

 

「そうね。たとえば古泉一樹が涼宮ハルヒの精神安定剤のように、朝比奈みくるが涼宮ハルヒにとってのお人形のように、長門有希が涼宮ハルヒにとっての都合のいい受け皿であるように……」

 

「ーーふざけるな!」

 

怒鳴ったのは俺の右隣に座るキョンだ。

佐々木さんを含めて、他の連中は黙っている。

 

 

「お前が何を言いたいのかは知らんがな、お前の物差しだけで俺たちを測るんじゃねえ。だいたいな、"鍵"ってのは俺なんじゃないのか。そこの明智に何の関係があるんだ」

 

今回ばかりは俺もキョンを止める気になれなかった。

そうだ。自分に都合のいい事しか言わないジェイを、どう信用できる?

一方の彼女は反省した態度すらせず、上っ面だけで。

 

 

「あらら。怒らせてしまったなら謝りましょうか。でも、事実を述べたまで。どう捉えるかは自由」

 

こんな事を言い出した。

自由、だと? いい加減にしろ。

 

 

「……黙れよ、異世界人。自分が言ってた事を忘れてるのか、君は」

 

「浅野君、それは何かしら」

 

「オレは……オレたちは"自由"を知らない。誰にも支配された覚えなんか、ないからな」

 

「――――」

 

「なるほどな、異世界屋。君の主張はもっともだ。なら、とりあえず最初から説明したらどうなんだ? 異世界人」

 

藤原はさもどうでもよさそうに言ってのける。

佐々木さんはキョンを心配そうに見つめている。

橘京子は恐らくだが、俺の「支配された覚えなんかない」という発言に思うところがあるらしい。

微妙な表情だった。

 

 

「わかってるのよ。フフ、せっかちな男の人は嫌われるの。昔の浅野君は違ったわね?」

 

「そんな事は"忘れた"」

 

「……そう。ここから先の質問は受け付けないわ。不毛なやり取りは、説明が終わってからにしてね」

 

こんな前置きをしてから、自称異世界人の佐藤は説明を開始した。

 

 

「……だいたいね、鍵が一本なわけないでしょうよ」

 

「――――」

 

「そこの彼は確かに涼宮ハルヒに選ばれた。正真正銘ね。だからみんな必死になってる」

 

「……ふん」

 

「今、"自律進化"について語る必要はない。それすらもあくまで通過点にしか過ぎないのだから」

 

俺も原作を読んでいて、その部分はよくわからなかった。

だがそれは、いわゆる天上の存在……神になることではないのだろうか?

今の涼宮さんは現人神でしかない。ならば、概念化することこそが、自律進化なのでは?

 

 

「問題はその過程。鍵の彼が居なくなったらそれはそれは困る。だって、涼宮ハルヒが選んだ彼が居ない世界になんて、きっと意味はないでしょうよ。少なくとも彼女にとっては」

 

「……はっ」

 

「だからこう考えたまで。彼に何かあった時、その存在を代用する……彼が被る被害を、おっ被る存在が必要だった」

 

「なのです」

 

「それが、浅野君……いいえ、"予備の鍵"として呼ばれた、異世界の存在。明智黎は単なる記号」

 

……やれやれ。

説明はついちまうじゃあないか。

納得してしまうのも無理はない。

 

 

「何故異世界人である必要があるのか? それは単純。浅野君が消えても"世界"のバランスは損なわれない。彼が死ぬ代わりに、浅野君が死ぬ。そういうシステムだから」

 

「……やれやれだね。空気が重いじゃないか。僕はそろそろコーヒーが飲みたいのに、やけに遅い」

 

「ふん。店の程度が知れるな。だから僕は反対だった」

 

「なら藤原さんはどこがよかったのですか?」

 

「SOS団が集まりそうにない場所ならどこでもいい。僕にとっては同じことだ。ただ、わざわざ不快な思いをする必要はないだろう?」

 

「――――」

 

佐藤は既に口をつぐんでいる。

俺は一字一句聞き洩らさなかったさ。

 

 

「それで、君の話は終わりかな?」

 

「ええ、何かあれば聞くわよ。私に答えられれば、ね」

 

「……ハルヒがそう望んだってのか」

 

「過程はどうあれ、結果としてそういう役割が浅野君に与えられた。でも、一つだけ良かったのは――」

 

俺にとっては、予備の鍵だとか、そんな事よりもっと恐ろしい発言を、こいつはした。

 

 

「――浅野君には、およそ存在する全ての因果、運命が通用しない。規定事項もね」

 

「……な…」

 

「……規定事項が、何だって…?」

 

「もちろん浅野君が何もしなければ別よ。ただ自然に、あるべき流れに従わされる。『そういうふうに、できている』。普通の人はそう」

 

佐藤はグラスに手を伸ばそうとしたが、水が既に無い事に気づき、その手を引っ込めた。

 

 

「否定こそが皇帝の特権。浅野君が否定した時、浅野君は自由になる。朝倉涼子を助けた時のように」

 

ふっ。

やっぱり、どこの世界にも居るんだね。

死ぬほどまでに下らない理屈を並べる、運命論者ってのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――かつて、常人の精神を逸脱した俺が正気を取り戻した直後、朝比奈さん(大)は言った。

去年、十二月十八日の朝。

 

 

『その変化を与えているのは間違いなく、明智さんなのよ』

 

そして、俺の覚悟を「後ろ向き」と切り捨てた古泉は。

俺と朝倉さんの二人だけが、みんなとは違う方向性だと言わんばかりに。

 

 

『常に変化している、変化し続けている。まるで天体が生まれる時のように』

 

『あなたには、何かを変える力がある』

 

……朝倉さんは度々。

 

 

『そう、あなたの方なのよ。人を惹きつける何かがあるのは』

 

『……それはあなたが変えた、という意味かしら?』

 

『私、怖いわ……やっぱりあなたが、どこかへ消えてしまうような気がするの』

 

いいや、きっと彼女は、俺に"何か"がある事を、見抜いていた。

最初から、あの、超弩級の閉鎖空間の時から――。

 

 

『――オレが出来ることなんてタカが知れてる…………。現に、世界が滅ぶかもしれないこの状況で何も出来ない。何の力も持たない非力な友人に全部丸投げ、最低の奴だよ』

 

『……』

 

『涼宮さんが求めているのは"鍵"であるキョンだ。オレは"鍵"じゃない。オレを監視する意味なんて、あるのかな』

 

『――そうかしら』

 

……最高に、最悪の気分ってやつだよ。

古泉、お前が予想してたのはこのことなんだな?

涼宮さんを大切に思うお前だからこそ、こんな可能性は認めたくなかったんだ。

彼女が他の誰かを切り捨ててしまう、だなんて考えは最悪だ。

そうなんだろ?

 

 

 

やがて、静寂が"支配"する中。

本当に「お待たせしました」といった感じでホットコーヒーが運ばれてきた。

心が安らぐ、女性の声だった。

キョン、俺、佐藤、佐々木さん、橘京子、そして回り込んで周防の所へ置こうとしたその時。

 

 

――ガシャン。

 

皿とカップの衝撃音。

周防が、ウエィトレスの手首を掴み、作業を妨害していた。

これではテーブルにコーヒーを置く事はできない。

中身が無事なのが不思議なくらいであった。

 

 

「……な…?」

 

「―――」

 

「お客様」

 

驚くキョンを尻目に、ウェイトレスは周防に呼びかける。

いいや、彼女はウェイトレスなどではない。

 

 

「喜緑さん、じゃあないか」

 

「―――」

 

「どうも、明智さん。こんにちは。……すみませんお客様、いかがなさいましたか?」

 

「―――」

 

周防は喜緑さんの方など見向きもせず、しっかり手首だけを掴んでいる。

おい、こいつはアホか。

 

 

「バッドよバッド、ヴェェエエリィィイイがつくほどバッドだよ、周防ちゃん」

 

「―――」

 

「君はコーヒーが苦手なのか? なら教えてやるけど、"あいつ"は好きだぜ」

 

ついでに俺も好きだけど。

 

 

「――!」

 

ぎろり、と今度は俺が睨まれた。

こっちに当たらないでくれ。

誰か収拾をつけろ。

 

 

「お客様。このままではご注文の品をお届けする事ができません」

 

「ふん」

 

藤原は既にコーヒーを飲み終えていた。

俺たちがこの喫茶店に入る前から頼んでいたからだ。

わざわざ席取りをさせられるなんて、憐れな雑用さんだ。

よって周防一人だけがこのままでは飲めないが、まあ、いいんじゃあないの。

 

 

「異世界人、なんとかしてやってよ」

 

「フフ、その必要はないわ」

 

「―――」

 

やがて周防が折れたような形で、すっと手を放した。

最後のコーヒーが彼女の前に置かれる。

お礼なんか言う要素はないのに喜緑さんは。

 

 

「ありがとうございます」

 

「な、何してるんですか、喜緑さん」

 

「うふふ。アルバイトです」

 

「――」

 

「でも生徒会役員がバイトしても大丈夫でしたっけ?」

 

「もちろんダメに決まってるじゃないですか」

 

なら何でやっているんだ。それでいいのか、書記。

もしかするとこれが彼女流の社会勉強なのだろうか。

まさか朝倉さんが喜緑さんにヘルプをお願いするとは思えない。

感情が無い上に俺の事を好きでも何でもなかった十一月の、文化祭。

それでも喜緑さんと仲良くセッションしている俺に対して朝倉さんは素っ気なかった。

うーん。朝倉さんは女子の交流について裏があるとも言ってたし、そんなもんなのか。

しかし、あの会長殿の本性は北高で唯一とも言える不良生徒だった。

北高の校内で喫煙するのなんか彼ぐらいだろう。

俺の事を散々悪く言っている連中は彼のことをきっと知らないんだろうな。

何食わぬ顔で生徒会長をやっているんだから、あっちの方が魔王だよ。

つまりアルバイトしようが多分大丈夫だ。

 

 

「なので、オフレコでお願いしますね」

 

「は、はあ」

 

「それではごゆっくりどうぞ」

 

そそくさと伝票をテーブルに置いて彼女は引っ込んでしまった。

もしかしたら今までのSOS団市内散策の時も彼女がここに居たかも知れない。

いや、居たんだろうよ。

見知らぬウェイトレスに対し佐々木さんは。

 

 

「君たちの知り合いかい?」

 

「先輩」

 

「聞いたと思うけど生徒会の役員さ。朝倉さんほどじゃあないけど、美人だよね」

 

「フフフ……」

 

「くっ、くくっ。はっはっは。面白い。いいものを観させてもらったよ」

 

何が楽しいのか藤原は笑い出した。

 

 

「あの宇宙人もそうだが、異世界屋の精神力。僕の想像を遙かに超えていた」

 

「オレがどうしたって」

 

「流石だ、真実を語られても君はすっかり持ち直している。さっきの動揺とて演技にしか思えないほどだ」

 

「当り前じゃないの。浅野君は他人に流される男ではない。明智黎に引っ張られてるだけ」

 

「オレはオレだ。どう思うが君たちの勝手だけど、これだけは忘れるんじゃあない」

 

聞きたいことは全て聞いたんだ。

これとどう向き合うかは俺次第でしかない。

コーヒーをさくっと飲み干し、まるで俺が皇帝かの如く、偉そうに言い放つ。

 

 

「オレにとって君たちは、『どうもこうもない』存在でしかない。有象無象だ。ただの、塵だ。敵にすら値しない。君たちの方こそ居なくなれ、掃除されたくなけりゃあな」

 

そして塵が積もろうと、山にすらならない。

お前らはみんな出来損ないだ。人間の、なり損ないだ。

人格破綻者、精神病、勝手に好き勝手話せばいいさ。

だが往来ではやめてくれ。さっさと病院にでも行くといい。

親切な対応をしてくれた後、ベッドに寝かしつけられるだろうから。

そんな俺の宣告を受け取った未来人は顔色を良くはせずに。

 

 

「ふん。そうだろうな。僕は僕自身をかわいいとは思わない。しかし少なくともこの場に居る橘京子なんかはその発言に当てはまるな」

 

「ええっ!? あたしですかあ。……そんな、酷い!」

 

「君の目的など僕はどうでもいい。あくまで利用価値があるだけ。異世界人にとってもそうだ」

 

「フフ。さて、私はどうでしょう?」

 

「んん……! もうっ!」

 

結束力の欠片なんてない。

やはり、SOS団の敵にすらならない連中だ。

その脅威など、未知からくる本能的なものでしかない。

人間は知らないものに恐怖する。

だからこそ神は全知全能。

 

 

「ジャスト一時間だ。いい幻想は語れたか? オレは帰らせてもらうよ」

 

有意義だとは思いたくないが、意義はあった。

さっさと俺は席を立つ。

奢らせてもよかったが、こいつらの世話にはなりたくない。

料金分ちょうどの小銭をコーヒーカップの横に置く。

キョンは情けない顔をしながらこちらを見上げ。

 

 

「俺はここに置いてかれるのか」

 

「佐々木さんが居るから大丈夫さ。どうやら連中は主義思想は違えど、彼女を立てる方針では一致している」

 

「明智君は安心して彼女さんとデートに行くといい。僕にはその楽しさの一切は不明だけど、他人の楽しみを否定するほど僕は偉くないからね」

 

「だってさ」

 

「……言わせてもらうぜ。やれやれ」

 

周防はとうとう饒舌にはならなかった。

何も言われずに帰ろうと思ったが、去り際に佐藤が。

 

 

「浅野君。いつでも電話、待ってる。"ジョン"はさておき、"ジェーン・スミス"は動かない」

 

キョンは何やら驚いていた。

どうやら、最後の最後で釘を刺したいらしい。

馬鹿が、お前なんか涼宮さんの力を借りるまでもない。

何なら今すぐ首を切断してやってもかまわない。

たまたま、今日じゃあないだけだ。

 

 

「……その名前で呼ぶのを止めたら、考えてやるよ」

 

「――」

 

「フフフ、また今度」

 

最後のは喜緑さんの声だろうか。

ありがとうございました、の一言が、俺にはとても腹立たしく思えた。

佐藤の傘を、へし折ってやってもよかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……外へ出ると雨はまだ降り続いていた。

こんな天気ではやはりどうしても憂鬱になってしまう。

しかし思考を放棄するわけにはいかない。

考える事が俺の最大の武器だからだ。今までずっと、こうしてきた。

面白い作品がまとまらない時、難解な依頼を要求された時、この世界に来てからも。

ずっと。

 

 

「『神に愛されなかった男』……か」

 

そんなタイトルで明智光秀を題材としたドラマがあった気がする。

名前の意味を考えたくはないが、今の俺にはちょうどよく思えた。

スペアキー。納得は出来なくもない。しかし、謎はまだある。

他でもない異世界人について、だ。

 

 

「なら、原作では何で異世界人が出てこなかったんだ?」

 

涼宮さんが起こしたのは情報フレアだとか、四年前から昔に時間逆行できない、断層だとか。

間違いなくそれらは三次元上の出来事ではないだろう。

俺にも、当然世界中の学者にも特殊機材にも観測できなかったはずだ。

ならばそれは当然、違う次元での話になってしまう。

涼宮ハルヒにも、次元の壁を越えれるエネルギーがあるのだ。

間違いなくそれは"引力"。人を引き寄せ、惹き合せる引力。

彼女の引力とは、神に匹敵するその存在の大きさに由来するものだ。

だからこそ、未だ見ぬ世界に彼女は発信した。

 

 

「『わたしは、ここにいる』」

 

確か、中学時代に描いた彼女の地上絵とはそんな感じのメッセージだったはずだ。

時空を、次元を超えてそれは発信されたのだろう。

なら俺は何なんだ?

その理屈で言えば原作にも、スペアキーは必要なんじゃあないのか?

それとも逆で、俺は不要なんじゃあないのか。

ふと俺は、朝倉さんとの、昔のやりとりを思い出す。

 

 

『……イレギュラー、明智黎。文字通りのクロだったわけか』

 

そう、俺は不穏分子。

どんな役割があろうと、否定する事が正義なのだろうか。

俺は今まで通りでいても、いいんだろうか。

 

 

「馬鹿言え」

 

わかってるさ。

俺が何であれ、どんな役割であれ、それはわかっている。

朝倉さんだけは、そしてSOS団だけは否定しない。

昔の俺なんか関係ない。俺はもう平民だ。

皇帝業務は廃業で、今は異世界屋。

すると、ひょいっと彼女は俺の前に現れた。

 

 

「もう少し早く来られなかったの?」

 

「キョンはウサギみたいだよ。一人だと可愛そうだ」

 

「佐々木さんも一緒なんでしょ?」

 

「だから置いてきた。聞きたい話はだいたい聞いたよ」

 

「ふーん。ま、今日はそんなこと、どうでもいいじゃない」

 

「生憎の雨なんだけどね」

 

「で、行先は決まってるの?」

 

まさか、当然。

 

 

「成り行きで」

 

俺は安物の傘をさっさと仕舞う。

今日はもう出番が無い、"ロッカールーム"行きだ。

何故なら朝倉さんが傘を持っているから。

ま、相合傘って奴だ。

 

 

「じゃあ行きましょうか」

 

彼女と一緒なら、どこでも俺は否定しないだろう。

 

 

 

 


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