混迷する戦場の中、虚空と勇義の前に姿を現した百鬼丸。
そしてそれを別の場所から見ていた者が――――
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「
夜の星空の様に煌めく無数の光に満たされた空間――――“スキマ”の中から百鬼丸の姿を確認した紫はそう呟いた。
そして後ろを振り返り、
「じゃぁ行きましょう」
共にスキマで待機していた永琳へと声をかける。
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今回、虚空が百鬼丸の砦へと強襲を仕掛けたのは
虚空の目的は最初から変わっておらず、つまりは『輝夜の身柄の確保』が最優先事項のままである。
この襲撃そのものがその目的の為だけであり、虚空の個人的都合で命を賭けている状況とも言える。
可能であれば百鬼丸の討滅も考慮されてはいるが、あくまでも“可能性がある”場合である為、重要視はされていない。
最も天魔を始め、天狗衆はその事を事前に虚空本人から説明を受け尚且つこの戦場へと赴いている。
ルーミアもそれを知っており、知らされていないのは幽香と綺羅のみ。
幽香は薄々感付いているようだが、人の良い綺羅は気付いていなかった。
当初の予定では最初の段階で百鬼丸を戦場に引っ張り出し、その隙に紫達が砦内部へとスキマで侵入し輝夜を確保する。
それが成功した後はスキマで輝夜を退避させ、敵戦力を伊勢の都方面へと誘導し、大和の軍勢の加勢を受け迎撃する――――という流れだった。
諏訪子に伊勢の都への使いを頼んでいたのはその為である。
だが事が予想通りに、理想通りに運ばないのは世の常だ。
まず椛の千里眼で砦内部を見通せなかった事が非常に痛手になった。
恐らく内部にも結界があるのだろう、その阻害により一気に輝夜の元までスキマを開く事が出来なくなった。
その上、虚空の期待を裏切り百鬼丸が姿を見せない事に加え、敵戦力の層が予想よりも厚く、挙げ句の果てには虚空が認知出来ない場所で大和の増援が見込めなくなっていた。
正直に言えば、今現在の戦況は綱渡りの様なギリギリで支えられているのだ。
その状況で百鬼丸が姿を現した事が吉と出るか凶と出るかはまだ分からない。
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輝夜救出に紫と永琳が選ばれた理由は簡単だ。
スキマを使えるのが紫であり、尚且つ彼女は萃香との戦闘で負傷している為。
そして永琳が選ばれたのはもっと単純だ――――輝夜の顔を知っているのが虚空と永琳だけだからである。
虚空は百鬼丸を釣る為の餌役があるので、自然と永琳しか選択肢が無かった。
しかし……虚空にもう少し余裕があれば
どちらにしろ気付かない可能性の方が高いが。
「えぇそうね、とっとと行きましょうか」
紫の問いに永琳はそう答え歩を進め様とするが、催促したはずの紫が
永琳を見つめる紫の視線には警戒心、猜疑心、不快感等と言った感情が分かりやすい程見て取れる。
「………後にしようと思っていたけど、やっぱり今聞く事にするわ………
貴女のその視線……不愉快なのよ」
紫とて状況は理解出来ている――――
漸く訪れた機にこんな個人的な事を問いている場合ではない、と。
しかし永琳が自分へと向ける含みのある視線に生理的以上に本能的な部分で耐えられなかったのだ。
紫のその問い掛けに永琳は、実につまらないとでも言いたげな視線を送りながら、
「…何を言うかと思えば……答える必要も無いし、
どうせ短い付き合いなのだから」
と、冷たく言い放つ。
その言葉に紫は表情に小さく不快感を表すが、それ以上に永琳の発言に対しての疑問が勝っていた。
それは……
「どうして短い付き合い、なのかしら?
お父様の妹ならこれから嫌でも顔を合わせる事になるでしょう?」
父の親族なら付き合いは長くなる――――ある種、当然の疑問であろう。
今まで会った事がなかろうと、これから先繋がりが無くなるという事はない。
紫の言葉を聞いた永琳は――――疑問符を浮かべていた。
言葉にすれば『コイツは何を言っているのだろう?』とでも言いたげな感じで。
だが数秒後……永琳は何かに気付いたかの様に目を見開いた後、口を押さえ顔を伏せる。
そして……
「…ハ…アハ………アハハ…
アァァハッハハハハハハハハハハッ!」
スキマ全てを満たす程に嗤い声を上げたのだ。
響き渡る永琳の嗤い声は、唯々紫の神経を逆撫でし不快感を助長させていく。
理由は分からないが本能的に感じるのだ――――
「何が可笑しいのよッ!!」
永琳の嗤い声を打ち消すかの様に紫の怒声が放たれたれ空間を走り抜ける。
対する永琳は先程まで嗤っていたのが嘘の様に表情が消えていた。
「何が、ですって?
本当な嫌になるわね、全く」
自己完結し深く息を吐く永琳の態度に、紫の苛立ちは更に募り、
「何なのよ!一体何を言いたいのッ!!」
怒りに任せ声を荒げた。
そんな紫とは対照的に永琳は冷め切っており、面倒臭そうに口を開く。
「ハァ…じゃぁ言ってあげる。
貴女が現状を分からないが事が――――
「…どういう意味よ?」
永琳の答えに更に問いを重ねる紫に、
意味が伝わらないのか、それとも――――
「お兄様の事情を……過去を聞かされていれば私の『短い付き合い』の台詞の意味を理解出来たはず。
でも、貴女は全く出来ていなかった――――
つまりは…お兄様は貴女を『娘』と言っているにも
言い方を変えれば、貴女は――――
永琳の斬り捨てるかの様な発言に、紫は言葉を失っていた。
何故か?……
紫は今まで、一度たりとも虚空の過去を聞かされた事がない……
聞こうと思った事もない。
だがそれは決して無関心だったからではない。
虚空自身も自分から過去話をする事はなかった。
話たくない…からではなく、
あの時はこういう事があったな、と思い返す程度の事はある。
だが過度に過去を振り返る事はない。
何故なら、あの時あぁしていれば…こうしていれば…と、過ぎた事を顧みた所で
虚空が前に
虚空にとって自身の道程に然程の価値も持ってはいないが、自分から話す事が無いだけであり聞かれれば全部喋っただろう――――一から十まで包み隠さず全てを。
“信用していないから話さない”のではなく、ただ
つまり、永琳の言った事は間違っている。
だが『知らない、聞かされていない』という事実が紫の心に楔の様に打ち込まれてしまっていた。
「全く、お兄様が『娘』なんて言うからどうしたものかと思っていたけど…」
紫の心情を知ってか知らずか……最も知ろうが知るまいが永琳は言葉を止めないであろうが。
「あぁでも…一つだけは感謝しないといけない事が有ったわ」
言葉を返さない紫に、見下すわけでも勝ち誇る訳でも無く……淡々と事務的とも見える様に永琳は言葉を紡ぎ――――
「ご苦労だったわね、お兄様の――――『家族ごっこの相手』」
紫にとって大切な…踏み込んではいけない領域を土足で踏み躙った。
その瞬間――――
スキマを彩っていた星々の煌めきの様な光達が一斉に
比喩ではなく文字通り『開眼』したのだ。
星空の様だった空間は無数の瞳に埋め尽くされ、あまりにも異様な世界を形作っている。
空間の突然の変貌に流石の永琳も驚きの表情を隠せずにいた。
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紫は虚空と血の繋がりが無い事を
物心付く頃に虚空自身が世間話をするかの様に言って聞かせてきてのだ。
急にそんな事実を聞かされた紫は混乱したが、その発言をした張本人は、
「まぁだからどうした?って事なんだけどね、アハハハハハ」
と、能天気に笑って何時も通りだったのだが。
その時に紫は思ったのだ……
『いや、だったら何で言ったの?』と。
だが刻が経つにつれて理解出来た。
幾月経っても虚空は
血が繋がっていない、という事実は家族でいる事に関して『然程の重要性も持ってはいない』のだという事を。
仮に誰かが二人の繋がりを否定したとしても、“自分達が
きっとそれを『絆』と呼ぶのだろう。
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だが――――
虚空と永琳にどれほど強い繋がりがあるかは紫は知る由もない。
否……
どんな理由があろうと、
踏み躙られて許せる訳がない。
言葉を発っさずとも永琳には紫の激情がよく伝わっていた。
それはそうだろう……視認出来そうな程に紫の殺氣が空間を染め上げているのだから。
「……あらあら、逆鱗にでも触れたかしら?」
そんな状況の中、空間の変化に動じていた永琳だが既に冷静さを取り戻し軽口の様に言葉を紡ぐ。
だが一つだけ先程までとは違う変化を見せていた。
紫へと向ける視線に感情が宿っているのだ。
つい今し方まで興味の欠片も見せていなかったというのに。
永琳は左手で懐から
「ちゃんと穢れらしい顔が出来るんじゃない。
さっきまでと比べても今の方が断然素敵よ
そう、激しい感情を見せる紫に永琳は初めて興味を抱いていたのだ。
良かれ悪しかれ、お手本の様な良い子より感情丸出しの方が魅力的に見える事もある。
そんな永琳の言葉を紫がどう解釈しているかは分からないが、今の
一触即発――――二人だけの空間に満ちる緊張感は最早破裂寸前であり、何時火蓋が切られてもおかしくはなかった。
そして、紫が動きを見せ永琳が警戒体制を取ると同時に――――
「!?」
永琳は目の前で起こった事に素直な驚きを示していた。
何故なら……
紫が
紫は荒く息を噴きながら傍目からでもわかるほど強く歯を立てており、その行為により皮膚は裂け少なくない出血が紫の足下へと雫となって滴り落ちる。
血が零れ落ちるのに合わせる様に周囲に充満していた殺氣が少しずつ薄らいでゆく。
まるで朝日に照らされ散っていく森の朝霧の様に。
空間を埋め尽くしていた瞳達も、一つ、また一つと閉じてゆき元の星光へと戻っていく。
紫には一つだけは虚空に見習いたいと思っている事があった。
それは―――どんな状況になっても“何時も通り”で居続ける事である。
状況に対して『冷静』である、と言う事ではなく、どんな事に対しても『普段と変わらず』に居るということ。
激情という荒波を起こさず、“自分という流れを乱さない”……
特に紫は『境界を操る力』を持っている、故に物事や感情に左右されず自分を強く持つ事は理想だった。
年を追う毎に確信していた……
だが此処に至り紫の脳裏に浮かぶ言葉は――――
『
恐らく今の
大事なモノを踏みにじられたとしても、普段通りなのだろう――――頭がオカシイとしか思えなかった。
この込み上げてくる激情を無視しろというのか?
我慢しろというのか?
そもそも激情を起こすなとでもいうのか?
今にも暴れ出しそうな
――――今やるべき事を見失うな…
――――黙って受け入れろというのか!
――――自分が任せれた事を放棄するのか?
――――だから抑えろと?巫山戯るなッ!
――――
…………
「ハァッ!ハァッ!ハァッ!………
……こんな事をしている場合じゃ…なかったわね……」
手首を歯噛みから解放し紫は荒い息を整えると、冷静な面を被り静に言葉を紡ぐ。
「…ごめんなさいね……早く行きましょう……」
紫は永琳の答えを聞くまでもなく踵を返し、スキマを開くと一人歩を進めて行く。
未だに手首からの出血は続いており、まるで軌跡を刻む様に紅い雫が点々と滴り落ちる。
怒りを血と共に体外へと押し流しているかの様に…
永琳はそんな紫の背を見つめながら……
「……なまじ理性が強いと大変ね、甘美な激情に身を委ねる方がずっと楽で素敵でしょうに。
………少しだけ………羨ましいわ」
そして永琳は紫に追随する様にその後を追った。