戦車道にのめり込む母に付き合わされてるけど、もう私は限界かもしれない   作:瀬戸の住人

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今回は全国大会決勝戦前夜、嵐ちゃん達“ニワトリさんチーム”が何をしていたのかと言う話で御座いますが…実は其の中で“現実に起きた出来事”を基にした会話が交わされています。
其の為、今回は“実在或いは過去に実在した自動車メーカー・レーシングチームとレーシングマシン”をモチーフにした組織・車輌等が登場しますが規約違反にならない様、一部を除いて具体的な名称等は伏せておりますので如何かご了承下さい(但し、ヒントは本文中に書いています)。
其れでは、どうぞ。



第87話「嵐ちゃんと御父さんと“伝説のレーシングカー”です!!」

 

 

 

此処は学園艦の舷側沿い、海が見える道端に建つトンカツ専門レストラン “Cook Fan(クック ファン)”。

 

 

 

“あんこう踊り”が流れている店内には、第63回戦車道全国高校生大会・決勝戦を明日に控えた“カメさんチーム(38(t)軽戦車B/C型)”のメンバー達が景気付けを兼ねて今夜の夕食を食べる為にやって来ていた。

 

すると店長さんが「明日は勝ってよー!」と声を掛け乍ら、最近店の名物として売り出し中の“戦車カツ”を皆に奢ってくれた為、彼女達は賑やかな気分で夕食を食べようとしていたのだが、店長さんが「今日は()()()()食べて、明日はガン()()ッテー(頑張って)!」と“()()”繋がりの駄洒落を連発したのに対してチームの砲手(但し準決勝の対プラウダ戦から) 兼生徒会広報・河嶋 桃が苛立ち気味に……

 

 

 

()()()()言えば良いってもんじゃない!」

 

 

 

と叫んでしまった。

 

だが、此処でチームリーダー兼大洗女子学園生徒会長・角谷 杏が……

 

 

 

「河嶋~そう()()()()するな♪」

 

 

 

と駄洒落をカマした為、桃が……

 

 

 

「会長迄!」

 

 

 

と言い返すが、此処でチームメイト兼(彼女も対プラウダ戦から)通信手にして生徒会では戦車道担当・副会長補佐官の肩書を持つ農業科一年生・名取 佐智子が御道化た声で、こんな事を言い出した。

 

 

 

「会長さんの言う通りですよ。河嶋先輩は何時も皆の前では『()()ぞ!』と言い乍ら、少しでも不安になると()()()()するんだもの。先輩もチームでは副隊長なのですから、もう少し落ち着いたら如何ですか?」

 

 

 

すると河嶋は顔を真っ赤にしつつ「名取、御前もか!」と叫ぶが、此処でチームの操縦手兼生徒会副会長の小山 柚子が苦笑いを浮かべて……

 

 

 

「あはは。此処は桃ちゃんよりも名取さんの方が一枚上手だね」

 

 

 

と語り、角谷会長もノリノリで「名取ちゃん、座布団一枚~♪」と声を掛けた処、彼女は笑顔でこう答えた。

 

 

 

「私よりもクックファンの店長さんの方が一枚上手ですよ。戦車()()()()で駄洒落を沢山言って来るんだもの♪」

 

 

 

そして彼女は桃へ顔を向けると明るい声で……

 

 

 

「だから、河嶋先輩も()()()()せずに食べましょう♪」

 

 

 

と呼び掛けたのだった。

 

其れに対して桃も気持ち的に圧倒されたのか「あ…うん」と呟いてから漸く戦車カツを食べ始めた時。

 

彼女達の掛け合いを眺めていた店長が感慨深げな表情を浮かべて、こう語ったのだ。

 

 

 

「直之が生きていたら…きっと君達の事が大好きになって、本気で皆を助けて居ただろうなぁ」

 

 

 

其の言葉を聞いた柚子・桃・佐智子が揃って「「「店長さん……」」」と彼の後輩で自分達の仲間でもある原園 嵐の父・直之に対して感傷的な思いを抱く中、角谷会長が何時もとは違う静かな声で話し掛けて来た。

 

 

 

「店長さん、原園()ちゃんの御父さん(直之)は本当に戦車道が大好きだったんだね」

 

 

 

すると店長は微笑み乍ら「其れだけじゃないよ。彼奴(あいつ)は生前、俺達にこんな事を言っていたんだ」と答えてから、直之が残した言葉を彼女達に告げたのだった。

 

 

 

“一度で良いから、伝説に残る様な試合をやってみたい。レースでも戦車道でもいい…そう、()()()2()4()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の様な戦いをしたいんだ”

 

 

 

すると桃が首を傾げ乍ら「()()()()()?」と呟くと店長はこんな答えを寄こして来た。

 

 

 

「うん。それも日本のレーシングチーム」

 

 

 

其れに対して柚子が「えっ、日本のチームがですか?」と驚きの声を上げ、佐智子も「其のチームってそんなに凄かったのですか?」と問い掛ける中、角谷会長も目を丸くしている姿を見た店長は苦笑いを浮かべ乍ら……

 

 

 

「やっぱり、今の若い()達は知らないか」

 

 

 

と語った後、“カメさんチーム”の面々に“一台のレーシングカーが写った写真”を見せたのだった。

 

 

 

 

 

 

戦車道にのめり込む母に付き合わされてるけど、もう私は限界かもしれない

 

 

 

第87話「嵐ちゃんと御父さんと“伝説のレーシングカー”です!!」

 

 

 

 

 

 

角谷会長達がクックファンの店長さんの話を聞いて居た頃、私・原園 嵐は全国大会決勝戦前最後の練習終了後、“ニワトリさんチーム(M4A3E8)”メンバーである瑞希・菫・舞・良恵と一緒に私の下宿先である鷹代大叔母さんの家に居た。

 

実は、鷹代さんが“明日の決勝戦の為に夕食を振舞ってくれる”と約束してくれていたからだ。

 

すると鷹代さんが私達の座っている居間へ料理を乗せた御盆を持って来た後……

 

 

 

「少々カロリーが多過ぎると思ったんだけどね…でも“カツ”と言ったら、普通はトンカツやカツ丼にカツカレーだろうと思うから、今夜は()()()で行こうと思ったんだよ」

 

 

 

と語った為、皆は鷹代さんがちゃぶ台に並べた料理を眺めると良恵が不思議そうな声で……

 

 

 

「カツ…ラーメン?」

 

 

 

と呟いた処、鷹代さんは笑顔で「そうだよ」と答えた。

 

そう、大叔母さんが作った今晩の夕食は“カツラーメンと和風サラダ”のセットだった。

 

因みに“カツラーメン”とは其の名の通り、ラーメンの上にトンカツが乗っている料理なのである。

 

 

 

 

 

 

こうして皆で鷹代さんが作ってくれた夕食を食べ始めると舞が「冷泉先輩から『沙織が西住さんやチームの為にアマチュア無線の資格を取りたいから試験勉強を手伝って欲しいと言われたのだが、私は人にモノを教えるのが苦手だからみなかみタンカーズ時代にアマチュア無線3級を取得している舞にも手伝って欲しい』って頼まれたんだ」と話し始めた。

 

続けて、彼女は……

 

 

 

「丁度、私もアマチュア無線2級の資格を取ろうと思っていたから麻子先輩と一緒に沙織先輩のアマチュア無線資格取得試験の勉強を手伝ったら、沙織先輩と一緒に私もアマチュア無線2級の試験に合格出来て、私も沙織先輩も凄く嬉しかった!」

 

 

 

と語り終えて皆が盛り上がった処で夕食を終えた後、良恵が「鷹代さん、此のカツラーメンは凄く美味しかったです。でも何故トンカツやかつ丼じゃなくて此れを作ったのですか?」と尋ねた処、大叔母さんは微笑み乍ら作った経緯を語り出した。

 

 

 

「実はね、カツラーメンの発祥は岡山県らしいんだが、北海道各地にも出している店が多くてね。私は旭川の第2師団に居た頃にカツラーメンを出している店が旭川に多く在る事を知って、非番の日は食べ比べに行く内に自分でも作る様になっていたよ」

 

 

 

すると瑞希が「だから、今夜の夕食に合うんじゃないかと思ったのですね」と語りかけると鷹代さんはこう答えた。

 

 

 

「まあ、こう言う勝負が掛かった試合前の食事は他にも“鯛の御頭”とか“勝ち栗”とか色々有るけどね。やっぱり今時の()達なら“()()”と“()()”を引っ掛けた方が縁起良く感じるんだろうと思ったのさ」

 

 

 

其れに対して、話を聞いて居た良恵が「鷹代さん、もしかしたら西住先輩や戦車道の仲間達も今夜は皆で“カツ”料理を食べているかも知れないですね!」と問い掛けた処、鷹代さんは笑い乍ら「そうだったら良いね。もしそうなら皆の気持ちが通じている証拠だよ」と答えた為、皆は「「『うん!』」」と返したのだが…まさか、此の時本当に戦車道の仲間達全員が揃って“カツ”料理の数々を食べていたとは誰も知らないのであった(苦笑)。

 

すると菫が笑顔で「其れと鷹代さんが私達の気持ちを考え乍ら料理を作ってくれるなんて嬉しいし、其の言葉からも“気持ちはまだまだ乙女で居たい”って想いを凄く感じます!」と話し掛けると鷹代さんはニヤリと笑い乍ら……

 

 

 

「そりゃあ還暦迄未だ3年有るんだ。まだまだ老け込む心算は無いからね!」

 

 

 

と気合の入った答えを寄こして来た処、舞が笑顔でこんな事を……

 

 

 

「流石は嵐ちゃんの大叔母さん、其の分だと彼氏も居たりして♪」

 

 

 

『オイ!』

 

 

 

彼女の“空気を読まない冗談”を聞かされた私が思わずツッコミを入れる中、鷹代さんは意外にも舞と同じ位御道化た声で……

 

 

 

「舞ちゃん。私には旦那が居るから、彼氏を作ったら不倫になっちゃうけどねえ」

 

 

 

と“痛烈な返し”をした処、皆が「「『アハハ!』」」と笑い出す中、舞は思わず顔を真っ赤にして「アッ!鷹代さん、御免なさい!」と答え乍ら頭を下げたのだけど、其れに対して鷹代さんは笑顔で「良いんだよ、其れ位若々しいって言われるのは嫌いじゃないし……」と言い掛けた処で視線を私に向けてから、こんな事を言い出した。

 

 

 

「でも、そう言われると嵐ちゃんには彼氏の話が全く無いね…昔から同性にやたらモテると聞かされているんだけどね?」

 

 

 

『はい?』

 

 

 

大叔母さんからの思わぬ声掛けに私が一瞬フリーズ状態になっていると良恵が心配気な声でこんな事を……

 

 

 

「嵐…気分を悪くしたら御免。でも本当に彼氏居ないの?」

 

 

 

『へっ?』

 

 

 

仲間からのストレートな質問に私は戸惑い乍らも、仏壇の横に在る御父さん(直之)所縁の品々を眺めつつ質問に答える事にした。

 

 

 

『彼氏か…私、ずっと御父さん(直之)以外の男は眼中に無かったから、全然意識していなかった』

 

 

 

其の答えに、小さい頃から私の事をよく知っている鷹代さんや瑞希・菫・舞は互いに苦笑いを浮かべ合っていた…きっと「又、嵐の御父さん(直之)自慢が始まった」とでも思っていたのだろうけれども、此処で良恵が「あっ」と声を上げた後、こんな事を問い掛けて来た。

 

 

 

「そう言えば、嵐は夕食を食べ終わってからずっと仏壇の横に置いて在る“オレンジとグリーンの模様をした大きなミニカー”を眺めているね。何か思い出でも有るの?」

 

 

 

其れを聞いた私は嬉しい気持ちになると、仏壇の横に在ったミニカーを手に取ってから皆が座っているちゃぶ台の真ん中に置いた後、良恵からの質問に答えたのだった。

 

 

 

『ああ、此れはね。“御父さん(直之)が一番大好きだったレーシングカー”だよ』

 

 

 

すると菫が元気良く「うん!」と答えた後……

 

 

 

「此れはね、日本車だけど世界のモータースポーツ史上に燦然と輝く“伝説のマシン”なんだよ!」

 

 

 

と語ったのだ。

 

其れに対して瑞希や舞に鷹代さんも微笑んでいると、良恵が驚き気味の声で「えっ!此れは日本車で、しかも凄いマシンなの!?」と問い掛けた処、私の代わりに瑞希が……

 

 

 

「凄いも何も、あのル・マン24時間耐久レースの歴史に其の名を刻んだ“伝説のレースの主役”だもの!」

 

 

 

と答えたので、私は明るい声でこう続けたのだった。

 

 

 

『しかも此のマシンで戦った日本のチームは、ほんの一寸だけど日本戦車道…正確には強襲戦車競技(タンカスロン)と繋がりが有ったりするんだよ。だから御父さん(直之)は何時も“一度で良いから、あのチームがやった様な戦いをやりたいんだ”って話してた』

 

 

 

すると良恵は困惑気味の声で「えっ…伝説のレーシングカーでル・マンを戦った日本のチームとタンカスロンに繋がりが有って、直之さんも憧れていた?増々分からなくなっちゃった!?」と叫び乍ら首を傾げていた為、私は『大丈夫。今から其の伝説を教えてあげるから』と告げた後、静かに語り始めた。

 

 

 

 

 

 

此れは、今から数十年前の話。

 

其の年の6月、フランスのル・マン市郊外に在るサルト・サーキットで例年通り行われたル・マン24時間耐久レースに初参戦した日本のレーシングチームが有った。

 

此のチームの母体はとある自動車メーカーの販売店(ディーラー)だったが、此の店にはモータースポーツ関連の窓口が有った関係で、ある時日本のチームとして初めてル・マンに参戦したレーシングチームからの依頼でエンジンを供給していた実績が有り、其のチームがル・マン参戦を休止したのを契機に自らチームを作って参戦したのである。

 

初参戦のチームスタッフ達は何も分からず、レースが行われるサルト・サーキット周辺で右往左往していたが、此の時彼らは偶然にも自分達と同じ日本人、其れも当時のスタッフの1人曰く“フランスの映画に出て来そうな位美しい”3人の女子高生と旧・日本陸軍の豆戦車・九七式軽装甲車(テケ車)に出会ったのだ。

 

彼らにとっては遠い異国の地で同胞の女子高生に出会った事自体が驚きだったが、同時に彼女達が持ち込んで来た九七式軽装甲車を見て“何の為にル・マンへ来たのか”と言う理由に気付くと更なる驚きを隠せなかった。

 

彼女達3人の女子高生はル・マン24時間耐久レースの前座として行われる「ル・マン24時間豆戦車レース」へ日本チームとして初参戦を目指していたのだ。

 

自動車と豆戦車の違いこそ有れども、共に伝統有るレースへの出場を目指している事を知った両チームは意気投合。

 

時間こそ短かったが交流を深めつつ互いの健闘を誓い合うのだった。

 

 

 

しかし其の週末、1週間後に迫った自分達のレースの準備を進めていたレーシングチームのスタッフ達はル・マン24時間豆戦車レース・決勝の結果を知って驚愕する事になる。

 

“決勝レース中、日本チーム(女子高生)は優勝争いをし乍ら先頭でゴールする直前に車輌火災が発生し、リタイア。更に乗員一名が火傷で重傷”

 

“此のレースを主催する国際戦車道連盟は日本チームの安全義務違反が車輌火災の原因と断定、日本チームの参加資格と試合結果を剥奪、チームが使用した九七式軽装甲車は車輌火災の証拠として没収。チーム所属の乗員3名も永久追放にする事を決定した”

 

更に決勝レースの直前、国際戦車道連盟は日本チームを狙い撃ちするかの様にレギュレーション変更や資金的圧力を掛けていたとする噂も伝わって来ていた。

 

 

 

事態を知ったレーシングチームのスタッフ達は全員「此れは幾ら何でも酷過ぎる!」と思った。

 

当時、日本人に対する欧州からの風当たりが強い時代であり、欧州の戦車道や強襲戦車競技も「上流階級同士で“握り合っている=八百長をしている”」と言う噂が根強く存在していたとは言え、此のレースで日本の女子高生チームに対して主催者である国際戦車道連盟がやった行為の数々は余りにもあからさま過ぎた。

 

更にスタッフ達は決勝レース前に彼女達が九七式軽装甲車を整備する様子を見学していたが、其の状態は非常に良好で幾ら決勝レースが激戦だったとは言え、車輌火災が起きる様な兆候はスタッフ達大人の目から見ても有りそうに無かったのだ。

 

しかもレーシングチームのスタッフの内の数人が、問題の決勝レースが始まる少し前に女子高生チームのガレージから不審な男が出て来るのを偶然目撃していたのだ。

 

其の為、スタッフ達は“あの怪しい男が、彼女達が乗る豆戦車に細工をしたから火災が起きたんじゃないのか?”と推理し、怒りを露わにした後「主催者へ抗議しよう!」と叫んだが、其処へずっと様子を見ていたチーム監督が彼らを制すると、こう諭した。

 

 

 

「世界各国の戦車道は、其の国毎に独特の流儀がある。主催者は自分達の国の戦車道を荒らされると思って彼女達を追放したのだろう。だから此処で俺達が怒っても彼女達の二の舞だ…俺達は、先ず優勝する前に欧州の、そして世界の人達に認められるチームになろうじゃないか。其れが結果的に彼女達の悔しさを晴らす事になると思う。彼女達は俺が面倒を見て帰国させるから、皆はレースに集中しろ」

 

 

 

監督の言葉を聞いたチームスタッフ達は「何時か、世界中に認められるチームになる。そして此のル・マンで勝って彼女達の無念を晴らす!」と心に誓った。

 

 

 

だが、初参戦の彼らの結果はスピード不足で予選落ち。

 

其の結果を踏まえて翌年は参戦せずに準備を進めて3年目に2度目の参戦を果たしたが、此れも決勝走行中にリタイア。

 

更に1年後、今度は2台のマシンを投入した3度目の挑戦の結果、1台はリタイアしたがもう1台がやっとの思いで完走を果たすと最後迄諦めなかったチームはレース終了後主催者から“ベストメカニック賞”を授与された。

 

こうして漸く結果を出した彼らは本格的にル・マンでの戦いを続ける事になったが、彼らにはたった一つ“他の誰も持っていない武器”が有った。

 

其れは、ヴァンケル・ロータリーエンジン。

 

ドイツ(当時は西ドイツ)のフェリクス・ヴァンケル博士が発明し、同国のNSU社*1が基本特許を持っていた此のエンジンは、通常のレシプロエンジンよりも軽量且つコンパクトで高出力、更にエンジンの回転が滑らかで振動が少ない等の理由から、嘗ては“夢のエンジン”と呼ばれて世界各国の自動車・バイクメーカーが挙って開発を進めたものの構造が複雑過ぎて量産性と信頼性が低い上、1970年代のオイルショックの最中に“燃費が非常に悪い”と言う致命的な欠点が発覚した為、世界から見捨てられていた。

 

だが、そんなエンジンの可能性を信じた広島県に本社の在る自動車メーカーが長年に渡って開発を進めて来た結果、其のメーカーが量産化に成功したロータリーエンジンを彼らは更に磨き上げ、ル・マンの頂点を目指して戦い続けた……

 

 

 

そして彼らの初参戦から12年後の6月23日、現地時間午後4時。

 

彼らが作り上げた一台のマシーンがサルト・サーキットを駆け抜けて、日本車初・そして“レシプロエンジン以外の動力機関を搭載した車輌*2”として史上初の「ル・マン24時間耐久レース総合優勝」を成し遂げた。

 

しかも、其れはロータリーエンジンの参戦がレギュレーション改定によって最後となる年のレースであった。

 

彼らは最後の大舞台で、あの時の女子高生達の無念を晴らしたのだ。

 

 

 

 

 

 

こうして私が“ル・マンの伝説を作ったレーシングマシン”の話を終えると良恵は感極まった声で「大変な戦いだったんですね……」と呟いたが、其処で私は一言付け加えた。

 

 

 

『まあ、欧州の戦車道業界にとっては其のレースの後が大変だったんだけどね』

 

 

 

「えっ?」

 

 

 

私の話が続いているのを知った良恵が驚きの声を上げると、私は“其のレースが終わった後の話”を説明した。

 

 

 

『其のチームが優勝して暫く経った頃、日本の女子高生チームをル・マンから追い出した()()()がフランスのTV局に名乗り出たんだ。そして彼の証言を元に制作されたドキュメンタリー番組の中で彼は「12年前のル・マン24時間豆戦車レースで日本の女子高生チームが追放された原因は当時の国際戦車道連盟理事らによる“八百長”で、自分は彼らの指示に従って彼女達が乗る九七式軽装甲車の燃料配管に発火装置を仕掛けて火災が起きる様に仕組んだ」と告白したものだから欧州中が大騒ぎになったんだ』

 

 

 

其処へ鷹代さんが当時の事を補足説明する。

 

 

 

「其の実行犯、実は女子高生チームのガレージから出て来た所を日本のレーシングチームのスタッフに見られていたのに気付いていて『12年間隠し続けてきたが、()()()()()がル・マン24時間耐久レースで総合優勝を果たした以上、もう隠し切れない』と番組の冒頭で語った後、八百長の一部始終を告白したんだよ」

 

 

 

すると菫が更なる情報を付け加えた。

 

 

 

「おまけにフランスのTV局は、実行犯の証言を元に関係者への極秘取材を行った結果、女子高生チームが使っていた九七式軽装甲車が国際戦車道連盟に没収された後、英国のある戦車好きの貴族に売り飛ばされていた事実を掴み、英国へ取材チームと戦車の専門家を派遣して其の貴族が持っている九七式軽装甲車を調べ上げたんだ…其の車輌は所有者の貴族の考えで事故が起きた当時の儘、敢えて修理はせずに保管してあったから火災の原因は直ぐ分かった。やっぱり事故原因は“何者かが故意に燃料配管の傍に発火装置を装着し、此れを作動させた”為であって女子高生チームには何の落ち度も無く、更に実行犯の証言内容と完全に一致したんだ」

 

 

 

更に、此処で瑞希が頷き乍ら、こう付け加える。

 

 

 

「おまけにTV局の極秘取材の過程で、当時八百長をやった首謀者の秘書を務めていた人物が『首謀者の指示で関係者に金品を送って女子高生チームを追放した件が八百長だったと言う事実を隠蔽した』と告白した上、証拠の記録書類迄TV局に提供したんだ」

 

 

 

そして舞が「こうして証拠も押さえられた八百長の首謀者達は逃げられなくなって、全員犯行を認めざるを得なくなったんだ」と説明した後、再び瑞希が“八百長発覚後の動き”について説明を行った。

 

 

 

「しかも、八百長の首謀者だった国際戦車道連盟のフランス人理事は実行犯が犯行を告白した時、現職の国際戦車道連盟理事長だったから、そいつは欧州中から『栄光のル・マンの歴史に泥を塗った!』と糾弾された挙句、辞任。更に国際戦車道連盟と共に此のレースの共催者でもあり、レースの会場とコースを国際戦車道連盟に貸していたACO*3も激怒して『こうなった以上、来年以降ル・マンで24時間豆戦車レースは開催出来ない』と宣告した為に国際戦車道連盟は大慌てで理事会メンバーを総入れ替えして信頼回復を目指す破目になったんだよね」

 

 

 

其処へ菫が「でも理事会の信頼回復には時間が掛ったから、翌年のル・マン24時間豆戦車レースは結局中止となって、再開されたのは其の次の年だったんだけどね」と付け加えると、今度は鷹代さんが当時の欧州の状況についてこう語った。

 

 

 

「丁度此の頃、フランスのプロサッカーチームでも八百長事件が有ったからフランス国民は勿論の事、欧州中が『幾ら何でも八百長は許せない!』と言う雰囲気になっていたのも影響したんだろうね。だから12年前の事件であっても欧州の人達は本気で怒ったんだよ」

 

 

 

すると話を聞いて居た良恵が「でも、八百長が起きた当時は欧州中の誰も女子高生達を助けてくれなかったのに、何故12年も経ってから皆怒り出したんですか?」と問い掛けると再び鷹代さんが口を開いた。

 

 

 

「同じル・マンでも、日本の女子高生達を追い出した時とは時代が変わっていたんだよ…元々欧州では戦車道やタンカスロンは“貴族の社交場(サロン)”で出来レースも当たり前だったけど、事件から12年の時の流れの中で戦車道やタンカスロンも“庶民のレクリエーション”“筋書きの無いドラマ”へと急激に変貌を遂げていた。だから庶民達は八百長をやった貴族達を決して許さなかった」

 

 

 

其処で鷹代さんは一旦言葉を区切るとこう語る。

 

 

 

「そして、もう一つ面白い話が有るんだよ。あの時ル・マンを追われた女子高生達の想いを受け継いで戦い抜いた日本のレーシングチームのマシンがロータリーエンジン最後のル・マン24時間耐久レースで勝った時、感極まった観客達は其の栄光を讃える為、一斉にコース上へなだれ込んだから優勝したマシンは危険を避ける為にピットロードでチェッカーフラッグを受けたんだよ…此れは観客の安全上、今じゃあ考えられない事だけど欧州人は今でも身分社会の影響が強くて何かと堅苦しい生活を強いられている反面、様々な困難を乗り越えて“奇跡”を起こした人達を本気で讃えてくれる。だからフランスを始めとする欧州中の人達の間では其の年のル・マン24時間耐久レースは今でも“伝説”として語り継がれているんだよ」

 

 

 

其の話を聞いて感心した表情を浮かべている良恵に向けて、最後に私はこう語って、此の物語を締め括った。

 

 

 

『だから戦車道とモータースポーツの両方が好きだった御父さん(直之)にとって、結果的に女子高生チームの敵討ちをやっただけじゃなくて“奇跡”を起こして欧州の人達の心も掴んだ日本のレーシングチームの伝説は“憧れ”だったんだって。だから私も其の話をずっと聞かされ続けて来たから、今では此の“オレンジとグリーンのレーシングマシン”が大好きになっちゃった』

 

 

 

すると良恵が頷き乍ら「でも、日本で其の話は殆ど聞かなかったなあ…知らない事ばかりだ」と呟くと鷹代さんがこう答える。

 

 

 

「其れはね。元々日本人が太平洋戦争の影響から“自分達の歴史を余り大事にしない”意識が強いのも一因だけど、ル・マン24時間豆戦車レースで女子高生チームが追放された事件が原因で欧州と日本の強襲戦車競技と戦車道が断絶を続けて来た結果、日本の戦車道界隈では情報が行き渡らなかった為でもあるんだよ。だから此の話、日本では戦車道ファンよりもル・マンやF1等のモータースポーツファンの方が良く知っている位だよ」

 

 

 

其処で、私も“ある事”を思い出してこう話した。

 

 

 

『でも、首都新聞の青葉さんは広島県出身だけに此の話を知っていたよ。だから何時か彼女が其のエピソードを本にするかも知れないね』

 

 

 

すると良恵は「でも……」と呟いた後、明るい声でこう答えた。

 

 

 

「其の話を聞いて居て、私も少し勇気が出て来たな。明日の決勝戦、黒森峰は凄く強いけど気持ちだけでも負けたくないって思った!」

 

 

 

其処で、私も笑顔で……

 

 

 

『うん、だから私達も自分達のやり方で明日の決勝戦勝って、学園を守ろうよ!』

 

 

 

と言った処、瑞希が「よしっ、じゃあ最後に気合入れますか!」と皆に呼び掛けたので“ニワトリさんチーム(M4A3E8)”メンバーは全員……

 

 

 

「「『うんっ!』」」

 

 

 

と答えた後、皆で手を合わせると鷹代さんが見守る中、瑞希が……

 

 

 

「じゃあ…せーので!」

 

 

 

と号令をかけてから、一斉に……

 

 

 

「「『エイ、エイ、オー!』」」

 

 

 

と声掛けして、明日の決勝戦へ向けて気合を入れるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ…あの年の6月23日夜(注・日本時間)の事はよく覚えているよ。

 

あの日、日本戦車道連盟特別コーチだった()()3()()は当時大学生だった西()()()()()()()()()()を特訓の名目で叩きのめして……

 

 

 

「このままじゃ、日本の戦車道はお前さん達の代で滅ぶよ…さあ、どうする?」

 

 

 

と啖呵を切った後、特別コーチを辞任して地下に潜った。

 

其の夜、私達は潜伏先のアパートで寝る前にニュースを見る心算でTVのリモコンスイッチを入れたら、アナウンサーが興奮気味の声で衝撃的な事を叫んでいた。

 

其の言葉は、今でも鮮明に思い出せる。

 

 

 

「此方、ル・マンのサルト・サーキット。さあ、ル・マンは今、大変なレースになっています!日本のマシンが史上初めてル・マンをリードしています!」

 

 

 

其れを聞いた瞬間、私達はTV画面に映っている“()()()()()()()()()()()()()()()()()()”を見て絶叫したよ。

 

 

 

「12年前、私達と一緒に健闘を誓い合った()()()は諦めずに戦い続けていたのか!」

 

 

 

って。

 

其れと同時に、私達は心の底から自分自身が情けなくなった。

 

ル・マンを追放されてから、ずっと私達は……

 

 

 

「大人の言うことなんざ全部嘘さ」

 

 

 

(うそぶ)いていた…いや、其の気持ちは今でも変わらない。

 

だけど、あのル・マンで出会った大人達だけは違った。

 

私達がたったの1度で諦めてしまった“ル・マン制覇の夢”を最後迄諦めずに戦い抜いて、最後の戦いで勝利を勝ち取った。

 

あの大人達だけが、最後迄私達に嘘を吐かなかったんだ。

 

そして私達は、そんな彼らの戦いを知らずに世を拗ねているだけだったって事に気付かされたんだ…本当に情けなかったよ。

 

あれから随分年月が経ったけど、今でも彼らは私達に対してこう呼びかけている様な気がするんだ。

 

 

 

「人は何かに対して本気になると、どんな事でも成し遂げる事が出来るんだ!」

 

 

 

※北條 青葉/著、首都新聞社/刊『“スーパータンカスロン”を生み出した女・鶴姫 しずかの戦車道』より、古代 零へのインタビューから抜粋。

 

本書は20XX年から日本で開始されて世界的な人気を博しているプロ強襲戦車競技「スーパータンカスロン」誕生迄の経緯を鶴姫 しずか選手(スーパータンカスロン個人部門初代王者にして世界タンカスロン選手権個人部門2連覇の実績を持つ日本を代表する強襲戦車競技/戦車道選手の1人)の視点で書いたスポーツノンフィクションで、鶴姫選手を始めとする多数の関係者から取材をした上で書かれているが、日本の強襲戦車競技を立ち上げた第一世代の代表格である古代 零、佐伯 薫、滝沢 聖に対してもインタビューを行っており、日本の強襲戦車競技の歴史を知る上でも貴重な資料として内外から高く評価されている。

 

(第87話、終わり)

 

 

*1
1969年にアウトユニオンに吸収合併後、アウトユニオンも1985年に社名がアウディに変更。尚、NSUはオートバイも作っており、WW2のドイツ軍用車輌として有名な小型ハーフトラック・ケッテンクラートの製造元でもある。

*2
ハイブリッドエンジンは除く。又、ディーゼルエンジンも分類上レシプロエンジンの一種であるので除く。

*3
フランス西部自動車クラブの略称。ル・マン24時間耐久レース(4輪車)の主催者で有名だが、実は名前が同じル・マンだが2輪車の24時間耐久ロードレースやMotoGPのフランスグランプリの主催者でもある。尚、此のクラブは会社組織では無いので活動は主にボランティアで支えられている。




此処迄読んで下さり、有難う御座います。
第87話をお送りしました。
今回は決勝戦前夜の嵐ちゃん達“ニワトリさんチーム”の様子に焦点を絞って書こうとしましたが…結果は全く違う話になっていたと言うオチ。
と言う訳で今回の話は、昔活動報告の中でフラッパー2018年10月号掲載のリボンの武者を読んで妄想した話をベースに加筆を加えた物になっています。
正直言うと活動報告で書いた時「あの事件、幾ら何でも現地メディアや熱心な戦車道ファンが叩くだろ」と思っていたので、何時か本作世界で敵討ちをやってやろうと思い立った処、“ル・マンと日本と言えば打って付けの実話が有る!”と気付いてコラボした妄想話が遂に具体化した次第。
因みにコラボ元の某・日本のレーシングチームの正体はモータースポーツファンであれば誰でも知っていると思うので、口が裂けても言えません(笑)。
だけど広島県に本社が在るメーカーのサイトにはメモリアルサイトがあるからググると良いよ!(盛大に暴露w)

尚、2024年は此の“日本のレーシングチーム”がル・マンに初参戦してから45周年です。

其れでは、次回をお楽しみに。

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