これでマイナーな西ダジにも日が当たるとよいなあ、と思ったりするのです。
あとこれで私も光のガルパンおじさんだと言い張りたいのです。
西が存外気の付く人間だということに最近気づいた。それは例えば、紅茶の違いについてさりげない感想を述べたり、手作りの焼き菓子があればそれを指摘したり、そういう細かな事に気づいて素直に口に出してくれることだ。
ローズヒップはふと近づいた時にオイルの匂いでもしたのか、バイクの整備の話で盛り上がっていた。紅茶の種類によって淹れ方に工夫があることに気づいたのか、オレンジペコに日頃の感謝を述べてもいた。アッサムの顔色を一目見るなり、気軽に接していい日かそうでない日かを察するのは流石に驚いた。あれで気分屋なのだ。
私に関してはと言えば、先日不意に靴を褒められた。素敵な靴ですねとか、何処でお買い求めにとか、そういった安い世辞ではなかった。西は、履き古されて良く革の育った靴ですねと言ったのだった。何時見てもピカピカに磨かれていて、試合の時でも綺麗な物で、何かと手荒に扱いがちな私にはとてもかないませんと。
安いと言われるかもしれないが、私はこの一言で西への評価がぐっと持ち上がったものだ。革製品は生き物だ。長い間履かないでいても機嫌を損ねるけれど、湿気のこもりやすい足元に履いているものだから、一日履いたら陰干しして休ませてやる。私は聖グロリアーナ女学院に入学してから五足をローテーションで回しているが、手入れを良く良く教わったおかげで、靴を履き潰すなどと言うことはそれ以来なくなった。履き古すというのは革靴愛好者にとっては最高の褒め言葉だろう。
そんな気がつく西だが、今日はそれが少々煩わしかった。
「何かお悩み事でも?」
会うなり何か言いたげにこちらをちらちらと眺めていたかと思えば、対局中にポーンの駒を掌で遊ばせながら、不意にそんなことを訪ねてきた。
気の付く娘だが、気の利かない子だ。隠しても無駄だろうと溜息を一つ零し、紅茶を一口、唇を潤す。
「そんなに暗い顔をしていたかしら」
「はっとするほど物憂げで、胸を打たれたもので」
「まるで王子様だわ」
「は?」
「なんでもないわ」
しばらく意味もなくティーカップを弄び、言葉を選びながら答える。
「政治……そう、面倒な政治のお話ですわ」
「政治、ですか」
「そう。政治はお嫌い?」
「ははは、お察しの通り、政治事はなかなか好きにはなれません」
「私もよ。でも好きでなくても、しなければならない。聖グロリアーナ女学院は社交を学ぶ学び舎でもあるの。言ってみれば、政治はそのハイエンドという訳ね」
その高みを己自身の高みと勘違いして、大局の見えない愚か者のなんと多い事か。伝統ある誇り高き聖グロリアーナ女学院の社交場は、いまや政治家ならぬ政治屋に運営されているのだから。
「私はより良い学院を志しているだけなのだけれど、どうにも伝統を愛する方々には、少々慌ただしげではしたなく映る様ね」
成程、とわかっているのかわかっていないのか、顔ばかりは神妙にうなずいている西を見ていると、何だか無性に腹立たしくなってきて、つい当て付けのように言葉がまろび出た。
「清々しく潔い、知波単学園の明快さが時々羨ましくなるわ」
毒を隠しもしない自分の声に、しかしはっと気付いたのは吐き出してしまった後だ。余りに余裕のない言葉だ。誉れ高きダージリンの名を頂いた私が晒していい言葉ではなかったし、友人である西に突き付けていい棘でもない。
謝罪を口にしようとした私を止めたのは、他ならぬ西の笑みであった。歯を見せるように屈託なくからからと笑い、西は棘を柔らかく受け止めてみせた。
「なんのなんの。知波単も政治屋が五月蠅いのは同じですとも。私からしてみると、いがみ合っていても優雅に紅茶を酌み交わせる聖グロの方が余程品があってよろしいと存じます」
「知波単学園にもそのような面倒が?」
「ええ、ええ。私が辻前隊長殿が更迭されたので、急遽任命された急ごしらえの隊長であることはご存じでしょう」
それは勿論だった。それ故に私は彼女の実力を疑い、軽んじ、その感性の豊かさに触れるまですっかり見下してさえいたのだから。
「あれも政治の一環です。私が政治的に色がないものだから、中継ぎとして当てたのですね」
「貴女は中立だと?」
「中立、というより、単にどっちつかずで、当たり障りのない、毒にも薬にもならない昼行灯、けれど名はあるから箔はある、とまあそういう訳です」
西家の名、という事か。
「辻前隊長殿は、まあ確かに指揮はお得意ではありませんでしたが、隊員をよくよく鍛えることは我が校の練度を見て頂ければお判りでしょうし、人柄も魅力的な方でした。知波単魂を掲げて実に目立つ人だったのですね」
褒め言葉はあったが、成程どっちつかず、口調に熱はない。
「ところが生徒会長閣下としては辻殿の遣り方が気に食わない。旧いと仰る。悪いとは言わないが、せめて結果を出せと仰る。閣下は知波単が一回戦敗退続きで名ばかりの古豪扱いされているのが気に入らないし、収益にも響くと仰る。学園全体の利益を鑑みれば、このままではいかんのだと。辻殿は辻殿で、いや、戦車道はあくまで道であって、その道を如何に進むかが子女の健全な成長の為にも大事であって、道を進んだ先の枝葉末節までとやかく言われる筋合いはないとこう断じられる」
どちらも道理だ。ただし、そもそもの立ち位置が違い過ぎるのだ。実益と理想が上手い事噛み合っていない。そして擦り合わせるうまい仲立ちがいないらしい。
「結局、会長閣下は事前に取り決めた上で、大会敗退をもって強権を発動、辻殿を更迭された。辻殿もまあこれも知波単魂を貫いた結果であるし、確かに負けるよりは勝てた方がいいのだと仰って身を引かれた。そこで困るのが後任を誰にするかというところでした。辻殿の教えを受けたものは同じ轍を踏みかねないし、会長閣下が推薦しようにも閣下には戦車は分からぬ」
「それで選ばれたのが貴女だと?」
「左様です。私は辻殿に教わりはしましたが、根が西家の道楽娘。戦車を楽しむ喜びは分かりますが、吶喊にばかり固執するのも面白みに欠ける、という姿勢。勿論戦車で実益を出すことも、はあ、まあ、毛頭興味が湧きませんで、楽しくやっていければよかろうと。次の隊長が我らの関わり知らぬ余所での政争で決まるまで、一応の頭として据えておく分には良かろうと、まあ妥協案だったのでしょうねえ」
自分の事だというのに何とも気楽なものだ。他人事のようにそんな話をして、上手そうに紅茶を啜るのだ。
「でも、貴女は向上心もあるし、今までの遣り方を変革しようとしているわ。それは困ったことにはならないかしら」
「うまく行けばそうかもしれません。余程うまく遣ればかえって喜ばれるかもしれませんが、私は生憎そこまで器用でもないし、第一隊員たちがそうさせてはくれんでしょうねえ」
「あら、随分あなたに懐いていると思っていたけれど」
「実際、可愛い隊員たちです。しかし個人として可愛く思っているのと、彼女ら個人の思想とは関係のないものです」
「思想?」
「ええ、ええ、左様です。例えば福田。あの、ちみっこい眼鏡をかけた」
「ああ、あの子」
「あれは会長閣下の親戚筋で、戦車道の関係ない所でなかなか親しくしているらしいのです」
「あら」
「福田にそのつもりはないでしょうがまあ、閣下としては気ままな猫に鈴をつけてやったという所でしょう。それから玉田、お下げの娘ですな。あれは熱心な辻殿のシンパですよ。知波単魂は大いに受け継いだようで何よりです。辻殿復帰の運動を起こしていないのも何より」
「大抵の子は突撃癖を受け継いでいるようだけれど」
「そういえばそうですねえ。まあそんな具合で、政治的には知波単も入り組んでおりまして、私一人ばかりあっちにもつかずこっちにもつかず、ふらりふらりと一人ぼっちなのです」
「それで寂しくて聖グロリアーナへ?」
「慰めてくれますか?」
「紅茶の園に繋ぎ止めておくには、少々活きのいい若駒ね」
残念ですとかんらからと笑う西に、何となく私はすっきりとした気分だった。私の吐いた毒を、何でもない事なのだと受け止めてくれたこともあるし、恐らく語るつもりはなかっただろう内情についても、ただ私を慰めるだけに切り出してくれたことも嬉しかった。
思えば私も似たような境遇だ。
私自身は中立などとは言えないが、しかし周囲の人間が政治的な色をもっていることなど似ている。例えばアッサムは戦車道を履修しているが、学部はあの情報学部6課だ。正面から堂々と、何一つ隠すことなく所属を詳らかにし、まあGI6の派出受付窓口みたいなものですよと、まるでデリバリーか何かのように平然と言ってのけるのだから全く只者ではない。こちらの情報は大いに漏れていることだろうが、何かと便利なので情報料と思っている。仲良くしておくに越したことはない。オレンジペコはその優秀さから私が選んだ娘だが、だからこそ私を出し抜くとすればまずこの娘だろうと常々思っている。その位に育ってくれなければ、私としても獅子身中の虫に餌をやってまで育てる甲斐がないというものだ。
ローズヒップはまあ、うん。あれも私が選んだけれど、余りにも裏がないので不安になって調査を依頼したGI6をもってしても、余りにも裏がなさ過ぎて妖精か何かなのではないかと疑いだしたとか言われる始末だもの。あれは信用とか信頼とかそういう言葉でくくるまでもない、裏切る裏もない娘だ。あれが期待を裏切るとしたら、それは私が使い方を間違えた時か、彼女が故障した時くらいだろう。
ともあれ私は随分と胸が軽くなった思いで、改めて盤面に向かい、絹代を徹底的に打ち負かしてやるのだった。チェスでの勝率は今の所7割5分。残りはリザインと引き分けが2:3くらい。しばらくは強い先輩でいたいものだ。
絹代を見縊ることは止めたと思っていた。そのつもりだった。しかしやはり、第一印象とは偉大なもので、私はすっかり絹代を誤解していた。
隊員たちはみな練度稀なる優秀さで、こうして毎週日曜位放っておいても心配がない位で、むしろお目付けがいない方が福田なども自由な戦法を試せて良いでしょう、とこう語った絹代は、しかし困ったことにと眉を下げた。見慣れた情けのない顔だ。
「どうにも学業が捗らん者がいるのです。我が校の生徒はみな質実なれど趣味には大いに励むという気風なのですが、趣味にばかり没頭して勉学が遅れている者もおりまして、そういう連中が、小テストがあるだの授業で分からないことがあるだのと言っては、ただ隊長であるという理由ばかりで私の下にやってくるもので、私の方でもいや駄目だと断る訳にもいかず、気が抜けないものです」
はじめ、私は絹代の事を、はきはきと喋るが、口数の多い方ではない質朴とした人間だと思っていた。しかし話してみれば良く喋る。行間を埋め尽くさんとするように良く喋る。声が大きいので良く響くが、声質が柔らかいし、なにより小気味よい滑舌で、耳触りがいい。ローズヒップなどと話しているのを見ると、専ら聴きに徹してわかっている様なわかっていない様な恍けた相槌を打っているばかりだが、相手の会話のペースに合わせているのだろうか。
オレンジペコは、ああしてお喋りな西様は、ダージリン様の前ばかりだと思いますよと嘯いたが、私は会話が持たないと思われる位に無口なように見えるのだろうか。確かに聴きに回ることは多いけれど。そう首を傾げると、アッサムは珍しく声をあげて笑ったのだった。あれはなんだったのだろう。
「あなた、そんなに勉強がおできになるの?」
「いやいや、そのようなことは。悪くはないと自負はしておりますが、まあ本当に悪くはないという程度で、優等生という程では。まあ溺れる者は藁にも縋ると言いますから」
そう言うが、多分生徒たちは絹代の人柄を慕って集まるのだと私は思う。指揮官としてはまだまだ頼りない所のある新任隊長だが、気さくで人好きのする性格で面倒見の良い娘だ。些か思考が単純で、些か以上に天然のきらいがあるし、時々以上の頻度で苛立たせられることもあるが、それでも、私個人も絹代をそれなりに良く思っている。
しかし、得意ではないという勉学で頼られるのも大変だろう。ここ最近は指導というのも名ばかりでお茶してチェスして将棋して歓談してと遊び呆けていることだし、勉強位見てやってもいいかもしれない。
そう提案すると大層喜んで、丁度良い、実は私も自分の勉強の方が追い付かなくなってきまして、と尻尾でも振りそうな喜び具合である。そのような次第で翌週、勉強道具を持ってくるよう指示して帰したのだが。
「…………アッサム」
「……数学に関しては、大変素晴らしい教育をされているかと」
教科書をざらっと見せて貰った所で、私は頼りのアッサムに視線をやる。彼女は感心したように教科書を捲りながらそれだけ返した。聖グロリアーナ女学院の方言で、うちよりかなり進んでいやがるを意味する。一年生のオレンジペコは全く分からないようで目を白黒させているし、ローズヒップは最初から我関せずとばかりに鼻の先に止まった蝶々により目を合わせている。
知波単学園を吶喊癖の戦車道という一面だけで見ていたし、最近だと絹代のせいでどんどん残念な校風として認識が更新されていたが、考えてみればあれで古くから続く名門校なのだ。特に理数系に強く、文系も芸術畑で結構な人間を輩出している。
実体を確認したのはこれが初めてだが、なかなか侮れない。聖グロリアーナ女学院も名門であり、学業を疎かにはしていない。ローズヒップは、まあ、あれだ、あれは妖精枠だから。しかしこうしてみる限り数学は完全に知波単の方が進んでいるし、他の教科も決して低レベルではない。
「特に数学が苦手でして、赤点は免れておりますが、戦車隊の隊長が余り成績を落とすわけにもいかないもので。今日はご指導ありがとうございます!」
きらきらと輝く視線が痛い。
さて、どうしたものか。流石に学年が違うし、答えられない範囲ではない。しかし私が、この誉れ高きダージリンの名を頂いた、誇り高き聖グロリアーナ女学院戦車隊隊長である私が、万が一にも他校の生徒の前で醜態を晒すわけにはいかない。アッサムに任せてもいいが、こんなことで彼女に借りを作るのも……。
そんな私の逡巡が伝わったのか、アッサムは少し顎を引いて、くっと小さく喉を鳴らした。笑われた。表情こそ澄ましているが、面白がっているのだ、あれは。しかしそれでも助け舟を出してくれる気にはなったらしい。
「ダージリン様。ダージリン様のご指導を邪魔するつもりではありませんが、ローズヒップがこの手の問題を得意としております。しばらく活躍の機会のなかった彼女に一つ花を持たせては」
「えっ」
「そう、そうだったわね。それではローズヒップ」
「えっ」
「かしこまりですの!」
「えっ」
困惑しきった顔の絹代。先程まで呼吸すら停止しているのではないかと思うくらいの無我の境地にあったにもかかわらず声がかかるや即座に再起動を果たすローズヒップ。
絹代が困惑するのも当然だ。寄りにも寄って聖グロリアーナ女学院が誇る最も聖グロリアーナ女学院らしくない生徒ランキングぶっちぎりの一位にして、ある意味聖グロリアーナ女学院のファンタジー部分を一身に背負った妖精枠として名高いフェアリー、ローズヒップである。しかし彼女には特技があるのだ。
「ローズヒップ、98234足す87511は?」
「185745ですわ!」
「…………アッサム?」
「……はい、正解ですわ」
「おおっ……?」
「ローズヒップ、9954かける787は?」
「6810698ですわ!」
「アッサム」
「……はい、正解ですわ」
「おお……!」
「ローズヒップ、サイコロを六回振って六が連続で六回出る確率は?」
「1/6^6、つまり1/46656ですわ!」
「アッサム」
「……はい、正解ですわ」
「おおっ!」
電卓片手に正答を出すアッサムと、問題が出た直後に即答するローズヒップ。何にも考えていないんじゃないかというくらい頭の軽そうな笑顔だが、こと数字に関して、彼女は異様な才能を示すのだ。
いま出したのは単純な問題だけだが、きちんと数式として理解できさえすれば、ローズヒップは瞬時に回答してくる。なので、読解が必要な、たかしくんは時速何キロメートルでとかいう算数の問題に対しては一々たかしくんやたかしくんのお兄さん、道路の交通状況などに計算能力を奪われてしまう残念な頭脳なのだ。
試したことはないが、多分大学クラスの問題でも平然と即答するとは思う。思うが、そもそもそんな難問は私には出題できないし、出題出来た所で正解かどうかをアッサムと頭を突き合わせて相談しないといけないのでやったことはない。
「この通り、ローズヒップは数学に関してだけはとても優れているの。彼女に活躍の場を頂けないかしら?」
「ええと、しかし、ダージリン殿は……」
「私の事なら、気になさることはないわ。今はあなたの学業の事の方が大事ですもの」
「…………お心遣い、感謝いたしますっ」
感極まる程喜んでくれたようで何よりだ。ローズヒップは何事も感性で教えるので、果たしてきちんと教えることが出来るのかは甚だ謎だけれど、あれで面倒見の良い娘だ。しがみついていればそのうち理解して噛み砕いて説明してくれるだろう。それに他人に教えるという行為はローズヒップにもいい影響を与えるだろう。
満足して紅茶を口にする私に、オレンジペコはただじと目で、ダージリン様は酷い事をなさる方ですと呟いた。アッサムはそれを聞くやくつりと喉を鳴らして、この道は茨道ですものと良くわからない事を嘯いた。
その日、なんとか天才の教育に食いついて、何かしら手応えを掴んだらしく、絹代は満足げに感謝を述べて去って行った。しかし翌週から勉強のことはおくびにも出さないようになったので、どうやら妖精式の勉強法は余人には耐えがたいもののようねと笑ったら、ええ、ええ、そうでしょうね、うまく行かなかったようですからとアッサムは喉を鳴らし、オレンジペコはただじとっとした目で西様もお可愛そうにと呟いた。
続く