ガールズ&パンツァー 乱れ髪の乙女達   作:長串望

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聖グロリアーナ女学院の場合 Side B 或いは知波単学園の場合

 夢を見た。

 彼女の夢だった。美しい人。愛らしい人。素敵な人。心惹かれた彼女の姿。

 彼女は何時でも優雅だった。どんな時でも、自分がどのように見えるかを意識して、指先に至るまでを優美に見せていた。そして時折、そんな美しく輝かしい仮面の向こう側の、気難しい猫の様な、頑固で、でも柔らかく暖かい、そんな彼女自身に触れることが出来たような気がして、その度私は自分でも呆れる程に有頂天に喜ぶのだった。

 夢の中の彼女もまた優雅だった。湖に泳ぐ白鳥のように美しく、陽だまりに眠る子犬のように愛らしく、するりと手を掻い潜る猫のように素敵で、どうしようもなく心惹かれる彼女。

 薫り高い紅茶を手に、傍には聖グロリアーナ女学院の麗しくも可憐で、華やかな少女達。

 全てが完成されているようにさえ思えた。額に飾られ、高々と掲げられ、永遠に見る者を惑わす一枚の絵画のようでさえあった。

 そしてその完璧さの要因の一つは、私がそこには描かれていない事だった。

 整然と調和したその美に、私が入り込んでいい隙間など見当たらなかった。

 ぼんやりと突っ立って、傍からその情景を眺めていることさえ、その箱庭の完成された美を乱してしまいそうだった。

 私はあの人には釣り合わない。美しく手入れされた花園の、その一等高みに咲き誇る一輪の薔薇の傍に、どうして野の花が居座ることを許されようか。

 それでも私はあの人を想わずにいられない。こんなにも遠く、こんなにも隔たっていても、無理を通して茨の間を傷付きながら押し進み、調和を乱して顰蹙を買いながらも、それでもただただその一輪の傍に立ちたいのだ。例え薔薇が私に振り向かなくても、私の胸に一輪の、大輪の薔薇が居座ってしまったのだから。

 ああ、そうだ。何ということはない木漏れ日や、頬を撫でる風にさえ、例えようもない愛おしさを覚えるのは、あの薔薇もこうして木漏れ日を浴び、風に揺れているのかとそう思うからだ。たった一輪の薔薇が咲いていることを知っているから、私はその一輪が為に世界を美しく思うのだ。

 あとは、あとは、ああ、本当に、彼女が振り向いてくれさえすれば。

 ああ――、そして夢は終わるのだ。

 差し込む朝日に目覚めた時の気分は最悪だった。

 鏡を覗き込んだ先の顔は、なんとも言えずまずい顔だった。何をどうすればあんな夢を見るというのか。訳もなく気恥ずかしくなって視線を泳がせれば、枕元に部屋に似合わぬ洋書を見つけた。そういえば寝る前に読んだのだった。シェイクスピアだったか。

 慣れぬ洋書なぞ読んだから、似合わぬ恋物語など読みふけったから、あんな柄でもない夢を見たのだろうか。全く碌でもない夢を見せてくれたものだ。彼女の姿を見せてくれるのはいいものだが、あれはどうにも私の柄ではない。

 ぱんぱんと軽く頬をはたいて、気を引き締める。夢の通い路など当てにはできぬ。ましてあんな報われぬ夢など御免こうむる。恋と戦争に戦略を選ばないということらしいから、私も私の出来得る限りの駆け引きはするつもりだし、実際にしてもいる。

 授業の支度を整え、彼女へ送る薔薇も包み、土産の菓子も鞄に詰めた。

 あとは、そうだな。

 少し悩んで、私は趣味人の叔父から頂いた鉤縄を鞄に詰めて登校するのだった。

 授業を終え、ヘリに乗り込んで空の旅をしばし。聖グロリアーナ女学院の空気も華やかなヘリポートに辿り着き、気の良い可憐な生徒たちに気さくに声をかけて頂きながら、私は真っ直ぐに紅茶の園へ向かう。あんな夢を見たせいだろうか。早くあの人の顔が見たかった。会って話がしたかった。隣にいていいのだと、そう思わせて貰いたかった。

 辿り着いた先では、まず真っ先にローズヒップ殿が出迎えてくれた。出迎えてくれたというか、私には見えない何かを追いかけてふらふらしておられたので、お手を引いてさしあげた。戦車に乗っている時は意識も明瞭で、話を聞かない以外は話が通じ……うん? うん、まあ、うちの吶喊馬鹿共と同じ位には意思の疎通がかなうのだが、戦車から降りている時は割と曖昧になっておられるから、注意が必要だ。オレンジペコ殿が面倒見ておられる時は割合大人しくしておられるのだが、気が付いたら姿が消えてるものだから怖い。

 しばらく歩くとオレンジペコ殿がローズヒップ殿を呼びながら歩いておられた。お声掛けするとほっとしたように笑われたのだが、ところでその手の羽箒はなんだろうか。小首をかしげていると、小さな手で羽箒をはたはたと振りながら、ほーらローズヒップさんこっちですよー、などと遣りはじめる。猫か。ローズヒップ殿もローズヒップ殿で、はたと気づいたように羽箒を掴み、もふもふとしはじめる。もふもふ。もふもふ。猫か。

 では行きましょうかと何事もなかったかのように歩き出すオレンジペコ殿と、それにつられてもふもふしたままついていくローズヒップ殿。あれで私より年下だというのだから、侮れない。

 茶会の席に辿り着けば、アッサム殿の何を考えておられるかよくわからない笑みと、ダージリン殿の優雅な微笑みが待っていた。切り取って誰の目にも触れないようそっと心のアルバムに仕舞い込んでしまいたいような、そんな光景だった。

 オレンジペコ殿に手土産の枇杷カスタードケーキをお渡しし、大事に取り出した青薔薇を一輪、ダージリン殿に差し出し、すっかり慣れた口上を述べる。

「お慕いしております、ダージリン殿。私の気持ちをお受け取りください」

「ありがとう、絹代さん。いつも私の好む青薔薇を持ってきて下さって」

「……いえ、大したことではありません」

 また、平然と流されてしまった。

 初めて告白した時は、彼女が様々な誤解の上に心構えをされていた事、そしてその虚を突いて勢いをもって攻めたからこそ、初の勝利ともいえるあの大きな動揺を得ることが出来た。しかしそれ以降は、堅牢なる戦車の隊列のように彼女の微笑みは立て直され、私の青臭い告白も大人の余裕でもって受け流されるようになってしまった。そう、大人だ。ただ一年違うだけなのに、彼女はすっかり大人だった。流石は花と紅茶と政治の国、聖グロリアーナ女学院の幹部だけはある。

 だが、止めることはできない。諦めることなどできない。自分がどれだけ場違いで、この繰り返しが僅かにしか彼女の心を揺らさないのだとしても、その僅かの積み重ねをしないではいられない。私というただ個人が、ただそれだけではなく知波単学園と聖グロリアーナ女学院の間をつなげる外交役としての価値を持っている間に、やれることはしたかった。

「先日は、福田さんだったかしら、随分とご立腹のようだったけれど、あの後、特に問題はないかしら?」

「ええ、ええ、今日も問題なくこちらに足を運べました。福田も良い子です」

「そう、それならば、よろしいのだけれど」

 僅かに目を細めてこちらを見つめるダージリン殿に、笑顔は崩さぬものの少しひやりとする。嘘は言っていない。今日は弓道部と陸上部とサバイバルゲーム部の協力を取り付けてちゃんと練習に参加するよう追われたが、朝の支度で鉤縄を忍ばせておいたので問題なく逃げ切れたし、福田がいい子なのは事実だ。

 ダージリン殿や、聖グロリアーナ女学院の政治を身近に生活している生徒は、我が校の政治を幾らか侮っておられるけれど、それは政治の質の良し悪しではなく、遣り方の違いでしかない。言葉の力を知っているからこそ、玉虫色の言葉は力を持つのだ。

 オレンジペコ殿が注いでくださった紅茶をまずは一口。この深い味わいは、今日はウバか。爽やかで、薔薇の香りにも似た芳香がふわりと鼻の奥で広がる。来る度に色々と飲ませて頂いて、その都度説明も頂いたので、知らぬ間に私も随分紅茶に詳しくなってしまった。未だにダージリンを飲ませて頂けないのは、彼女に私を受け入れるつもりがないという意思表示に感じられて少し心苦しいが。

 いかん。あんな夢を見たせいか、どうにも考えが暗くていけない。そんな気持ちでいるせいか、ダージリン殿の顔もなんだか不機嫌そうにすら見えてくる。いつもより幾らか頬の血色が悪く、目は伏せがちで口元も何か言いたげにしていることが多い、様な気がする。そんな風に見える、かもしれない。しかし相槌を打ちながらふわりと花開くような微笑みを下さる瞬間もあって、やはり思い過ごしかと胸をなでおろす。いやまったく、本当に指先の上げ下ろし一つで、こうも私の心をかき乱す。

 私がそんな妙な気持でいるせいか、アッサム殿はからかうように喉を鳴らしておられる。この方は冗談を好み、割合下らない笑い話などもされるので気さくに見えるが、その実何を考えているのか底が見えない。ダージリン殿もそういう所はあるが、あの方は時折日差しに微睡む猫のような愛らしさを見せる。アッサム殿は同じ猫でもチェシャ猫だ。悪趣味さが時々伺える。そしてそれさえ魅力の内なのだから、紅茶の園の淑女には恐れ入る。

 今日はダージリン殿がゆっくり紅茶を楽しんで余り嘴を挟まないせいか、悪趣味も興が乗ったようだ。そういえばと何気なく切り出されたのは、ダージリン殿の浮名が流れているのだという話だった。

「ダージリン様は見目も麗しく手際も優れたお方。戦車隊だけでなく、広く学院の生徒たちから憧れの目を向けられておられるわ。そしてダージリン様はお優しく懐の広い方。そのような噂も流れますの」

「噂、と申されますと」

「ダージリン様が女生徒を自室に連れ込んでいる、なんて」

「…………あまり趣味の良い噂とは思えませんね」

 ちらと彼女を見遣ったけれど、何という反応をすることもなく、目を伏せて紅茶の香りを楽しんでおられた。なんという余裕だろうか。それを見ていると、ああ、こんな噂など気にすることもない寛大な方だと思うと同時に、まさか真実であるからこそ何とも思わないのではと嫌な疑いが浮かんできてしまう。

「ダージリン様はとても人気があるからこそ、そのような想像も広がるのでしょうね。貴女が御出でになる度、ダージリン様との逢瀬を想って黄色い悲鳴が上がるのと同じですわ」

「しかしダージリン殿に限って、そのような、その、は、破廉恥な……」

「乙女はありそうでなさそうは話の方が盛り上がるものですわ」

「もう、アッサム様」

「あら、怖い副官様に怒られてしまったわ」

「もう!」

 オレンジペコ殿が止めて下さったが、私はの中では信頼より疑いの方がむくむくと大きくなってしまって、どんどん怖くなってしまった。嫉妬は自分で生まれて自分で育つ怪物とは、昨夜読んだ本の中にあった言葉だったろうか。胸の中に鬼がいるのを感じる。これはいけない感情だ。こんな醜い心が、この美しい園にあってはいけない。

「だ、ダージリン殿はまさかそんなことはなさっていませんよね?」

 情けない事だ。ほんの少しアッサム殿に悪趣味な冗談をぶつけられただけで、こんなにも動揺するなど。しかし言葉にして尋ねてみなければ耐えられなかった。嘘でもいいから、そんなことはしていないわと言って欲しかった。ただその一言が欲しかった。

 しかし、私の期待は裏切られた。

 私の言葉を受けて、ダージリン殿はゆっくりと顔を起こし、とろけるような微笑みを浮かべられたのだ。夢の中にある様な甘い甘い微笑みは、今まで見たどんな笑顔よりも魅力的だった。その悪魔的な微笑みのまま、ダージリン殿は囁くようにこう仰ったのだった。

「絹代、貴女とても抱き心地が良さそうね。今夜は私の部屋に来ない?」

 さくりと、胸に刺さる棘があった。それはダージリン殿の言葉が刺さってきたのだった。

 ついでずくりと胸を突き破る刃があった。それは私の内側から溢れた言いようもなくどす黒い感情だった。ああ、確かに悪魔の微笑みだ。その柔らかな唇が紡いだのは、まるで淫靡な夢魔の誘いではないか。その微笑みを、その言葉を、いったいどれだけの娘たちに向けてきたというのか。

 私の内側から、どす黒いものがどっと溢れ出た。

 かっと頭が熱くなり、心臓は爆発しそうなほどの早鐘を叩き、その癖、臓腑は凍える程に冷たかった。自分でもどうにもならないものが、私の中からどろどろと流れていく。

 今朝の夢が思い出された。完成された情景。完全に調和した美。ああ、そうだ、そうなのだ。こんなにも醜い鬼を抱えた私が、此処に座っていることなど許されなかったのだ。最初から、そうだ、私の恋に行き場などなかったのだ。

 気づけば私は叫んでいた。

「は、破廉恥ですッ! 最低ですッ!」

 何が破廉恥だ。何が最低だ。ただ一言の戯れに、彼女の寝室を夢想し、彼女の細い指先を、白い肌を懸想したお前こそが破廉恥で最低な女ではないか。衝動のままに彼女の頬を叩いた私自身の手を、私は茫然と見つめた。それは確かに私の意志で振るわれたものだったにもかかわらず、私自身にも訳の分からない一撃だった。

 早く、早くここから離れなければ。その一心で、私は脇目もふらずに駆けだした。

 ここにいてはいけない。これ以上、私の胸の傷口から溢れ出る身勝手な毒で、あの美しい園を汚してはいけない。

 我知らず涙を溢しながら、みっともなく駆けていく私に、行き交う生徒たちから好奇の目が向けられ、私は顔を隠すようにして走った。とても人に見せられる顔ではなかった。きっと今の私は、見るに堪えない緑色の目をしていたことだろうから。

 走って、走って、走って、息が切れて、心臓が壊れそうになっても、それでも走るのを止めず、気付けば私は行き止まりに辿り着いていた。そこは海を臨む公園だった。美しく装飾された柵がぐるりを囲み、そのすぐ外は海だった。学園艦の端だった。とうに日は沈みかけ、橙色に燃える赤銅の塊が、もう間もなく海へと潜り込もうとしていた。じゅうと音でも立てればいいのに、嫌になるほど静かだった。誰もいない公園で、ただ私の荒々しい息と、跳ねまわる鼓動だけが、どこまでも煩くわめいていた。

 息を整え、心臓を休め、ぐったりと柵にもたれかかり、私の体は夕方の涼しい風に急激に冷やされていった。しかし私の中の緑の目をした怪物は、時間を置くほどにどろどろと醜い毒を吐き続けた。

 わかっている。あんなものはただの冗談なのだ。悪趣味な冗談なのだ。ダージリン殿があのような事を仰ったのだって、珍しくアッサム殿の悪趣味に付き合う気分だったとか、何か事情があったはずなのだ。そう頭では分かっていても、目には見えない胸の傷は、じくじくと痛み続け、汚い毒と膿を流すのだ。私は自分の恋を自覚していた。しかしそれがこんなにも汚らしいものだとは思わなかった。あの微笑みを、あの言葉を、あの指先を、自分にだけ向けてほしい、自分だけが独占したい、自分の物にしてしまいたいなどと。

 悍ましい怪物。その名は嫉妬だ。

 もう顔を合わせられない。自分が清らかな人間であると思った事などないが、しかしこんなにも汚い人間だとも思ってもみなかった。こんな人間が、彼女の隣に立っていいはずがないのだ。あの美しい薔薇に、寄り添う事など。

 帰ろう。ヘリポートに戻って、一散に逃げ帰ろう。そう思い立ち、ゆっくりと体を起こす。

「絹代さん、あなた、随分体力があるのね」

 しかし、彼女は許してはくれなかったのだった。

 ぎょっとして振り向いた先には、彼女の姿があった。何故かジャージ姿だった。

 髪は普段の編み込みようではなく、運動するためにか緩やかに束ねられて、今しがたまで走っていたのか、頬は薔薇色に染まり、呼吸は調えようとしているのか大きく、普段はちらとも感じられない熱量が、いまは湯気のように立ち上っているようだった。タオルでそっと額の汗を拭く姿。不思議な色気がそこにはあった。

「すぐに追いつくかと思ったけれど、あのペースで随分走り回ってくれたわね。運動は欠かしていないという自負はあったのだけれど、少し自信がなくなってしまったわ」

 ジャージ。スニーカー。汗。全てが普段のダージリン殿と噛み合わず、くらくらとした。優雅さとは縁のない恰好だ。しかし不思議な気品がそこにはあった。私の様な親から受け継いだだけの中身のない品格ではない。野良猫が一瞬一瞬に見せる様な鋭い気品があった。

「まず一つ、先に謝っておかなければならないわね。先ほどは御免なさい。軽口が過ぎたわ。あまりにも、考えのない発言でした。貴女の様な乙女に相応しくない話題だった」

「いえ……いえ、そのような! ただ、ただ私が、どうにも勝手におかしくなっただけで、」

「それは貴女が私を好いていてくれているからかしら」

 ゆっくりと私の隣に歩み寄り、小首をかしげるダージリン殿。いっそ冷たさすら感じる程の、真剣な眼差しに、私は自然背筋を伸ばしていた。私を心配して追いかけてくださったのも一つだろうが、きっと、それは切欠に過ぎないのだ。この方は、私に話をしに来たのだ。私が望まない話を。

「……はい。先程、そんなことはない、貴女はそんなことをなさらないと信じながらも、胸が張り裂けそうでした。私の中にこんなにも醜い感情があるとは思わなかった。あんな、ひどい、けれど、それでも、私は貴女をお慕いしているのです」

「……それは、決して醜い感情ではないわ。見苦しいかもしれない。人に見せられるようなものではないかもしれない。けれど、恋とはそういうものなのよ」

 私の嫉妬を肯定した上で、けれど、と彼女は続けた。

「もう、私にその気持ちを向けるのはお止めなさい」

 死ねと、そう言われたような心地だった。冷たい刃で心臓を貫かれたような、そんな。

「な、なぜ……どうして……」

「あまりね、しつこくつきまとわれる愛は、ときに面倒になるの。貴女の薔薇を数えるのが、心苦しくなる時もあるのよ」

 ぐさりぐさりと、言葉の棘が刺さってくるようだった。しかし酷いのは、彼女が私を否定してくるからではなかった。

「それでも、ありがたい事だとは思うけれど」

 そうして希望がある様な事を言うからだった。

 赦すようなことを言うからだった。

「止めろと仰るのなら、どうしてそのようなことを言うのです! そのような、その様な事を言われては、私は諦めるに諦められない。貴女が好きです。好きなんです!」

 彼女はじっと夕日を見つめて、ゆっくりと言葉を選ばれた。

「愛してくれるのは、嬉しいわ。けれどいけない。貴女はその愛に溺れすぎているもの」

「溺れてなど、」

「私を思う余りに、貴女は他を蔑ろにし始めている。貴女は私を見つめる余りに、貴女を見つめる後輩たちを置いてけぼりにしている。違うかしら」

 ぐっと言葉に詰まる。そうだ。確かにそうだ。戦車隊の隊長としての立場も、学園での地位も、西家という看板すら、いまや彼女との逢瀬の為の物としか思えない。

 しかし、しかし、それでも。

「それでも、この世の全ての何よりも、あなたを想っているのです!」

「人の愛は羽より軽いとは言わないけれど、世界より重たくはないわ。大事なものが、一時見えなくなっているだけ。『恋は盲目』。貴女は見るべきものを見るべきだわ」

 そうかもしれない。そうなのだろう。だが、それでは私のこの気持ちは、この恋心は、どうしたらいいのだ。頭では分かっている。だが心は分かりたくないのだ。

「第一、私たちはそれほど長い付き合いではないわ。貴女が私に恋をしたというのは、親善試合と対選抜戦、そんな短い間の事じゃない。『早く出来たものは、早く壊れる』わ」

「『誠の恋をするものは、みな一目で恋をする』とも言います!」

「随分口が回るようになったわね」

「貴女の為ならば」

 そうだ。全ては貴女の為だ。本を読むのも、菓子を選ぶのも、薔薇を取り寄せるのも、全て、全て、貴女の為だけだ。胸の裡に沸くこの嫉妬も、醜いばかりの感情も、全ては彼女の為だ。

「情熱的ね。そのような激しい気持ちを向けられるのは、悪くない気分ね。けれど、貴女は恋に恋する乙女の様なもの。初めての恋に浮かれ騒いで、その先を知らないお子様だわ。『月と恋は満ちれば欠ける』。貴女がそうして夢中になるのも、今のう」

「『月も雲間の無きは嫌にて候』!」

 きょとん、と目を丸くするダージリン殿。

 そうだろう。そうだろうとも。貴女もこの言葉は知らぬことだろう。わび茶の始祖、村田珠光だ。

「満たされたものは物足りないものです。何より月は欠ければまた満ちる」

「恋が冷めて、そしてまた熱すると?」

「さめるのではない。落ち着き、そしてまた新たな発見をして燃え上がるのです。自分の嫉妬を自覚して落ち込み、貴女がこうして私を気にかけてくれる優しい人なのだと、改めて好きな気持ちが高まるように。今は振り向いてくれなくても良いのです。どうかお傍においてください」

「…………本当に、貴女という人は」

 一つ溜息をついて、ダージリン殿は小さく笑った。それは初めて見る笑みだった。呆れ返り、困り果て、そして僅かに喜びの混じる、珈琲のように薫り高い苦笑いだった。

「こんな言葉を知っているかしら。『私には、一つの心、一つの胸、一つの真実しかない。だから誰にでもあげられるわけじゃない』。私の心は、聖グロリアーナ女学院の発展に捧げたわ。私の胸は、聖グロリアーナ女学院の希望を抱きしめ育むためにある。私の真実は、そこにある。そこにしかない。だから貴女には上げられないわ」

「それでも、」

「二心をもって、大事な物には向き合えないの」

「……それ、は、」

「私は伝統ある聖グロリアーナ女学院の、誇り高き戦車隊を預かる、誉れ高きダージリンの名を授かった娘。卒業するその間際まで、この身も心も聖グロリアーナ女学院のもの。最後の一滴(ゴールデンドロップ)まで、私はこの学院に尽くすでしょう」

 その横顔は真剣だった。全てを捧げた敬虔なる神の乙女だった。私は自分が急に恥ずかしくなった。私が戦車隊を預かったのは単なる人事の都合とはいえ、私はあまりにも私の戦車隊を蔑ろにし過ぎた。私の部下を軽んじすぎた。私はあまりにも独りよがりだった。聞き分けのない子供にでもなった気分で、私は頭を垂れた。それは主の似姿を前に人が自然と額ずくような心地だった。

「でもね」

 不意に続いた一言が、不思議と柔らかくて、私は驚いて顔を上げた。そこには茶目っ気のあるあの目があった。猫の様なしなやかな姿があった。

「卒業したら、私はもうダージリンでは、無いわね。その名で呼ぶ人はいるかもしれないけれど、その頃には私はこの学院にすっかり全部注ぎつくしてしまって、ダージリンは一滴も残っていないわ。そうなったら、その時は、私はもうただの大学生にでもなってしまって、ただの出がらしだわ。貴女の憧れる、紅茶の園の優雅な淑女はしわくちゃのティーパックになってるの。それでもいいのなら、話はその時に聞こうかしら」

「……白湯になっても愛しています!」

「ふ、ふふ、おかしなプロポーズだわ。それまでお預けだけれどいいのかしら」

「私が勝手に愛を囁いて、勝手に貴女の傍にいるのは、まこと私の勝手ですから」

「あらやだ。贅沢な職場だわ」

 汗もひいてすっかり寒くなってきたから、そろそろ戻って暖かい紅茶でも飲み直しましょう、そう仰って、ダージリン殿はするりと歩き出された。私ももう、何だかすっかり宥められてしまったような気分で、その後に続いた。落ち着いてしまうと、汗が引いた後特有の寒さや、頬のべたべたした感触が気になって、違う意味で落ち着かなくなってきた。汗臭くなかっただろうか。みっともなくはないだろうか。

 私の先で、ダージリン殿はあの苦み走った笑みを浮かべて、ちらと夕日を見遣った。日はまさに海に沈みかけ、巨大な鏡面となった海面が、辺りを眩い程の橙に染め上げていた。

 綺麗な夕日ですねと口にしかけた瞬間、不意に彼女は踵を返し、私に一歩踏み込んだ。私も一歩を踏み出していたものだから、距離は急に縮まって、そして一瞬、ゼロになったような気がした。柔らかく暖かいものが、触れた気がした。

「え、あ、えっ、あの、今のはっ」

「貴女が真面目で、きっと本当に卒業まで待てる情熱的な娘だとは思うけれど、私の方はそれほど真面目でもないの。摘み食い位しないと持たないわ」

「に、二心は持たないと、」

「あら、ご存じなかった?」

 ちろりと赤い舌がのぞいた。夕日の投げかける橙の光に、彼女の顔も舌も真っ赤に染められていた。

「二枚舌は我が校の伝統よ、『絹代』」

 からかうように駆けだした彼女を、私はまろぶように追いかける。

 何処からか黄色い悲鳴が響いたが、私はそれどころではなかった。まったく、まったくなんて人なのか! すっかり頭は再沸騰、心臓は破裂しそうなほど騒ぎだし、臓腑はお祭り騒ぎのてんてこ舞いだ。

 千鳥足の私を置いて、彼女は悠々と電話さえかけている。

「ええ、そう、これから帰るわ。ところでゴッサム、これはどういうことかしら」

『何のお話しかわかりかねます。所で私の名前はアッサムで』

「そんなことはどうでもよいわ。どうしてあなたの指示通りに走ったルートに、物見高い雲雀たちが囀っているのかしら?」

『あら、それはきっと小夜啼鳥ですわ。夜も更けるから早くお帰りなさいと鳴いているのでしょう』

「アッサーム。今から戻るから紅茶の支度をお願いね。二人とも疲れているから、飛び切りの一杯を」

『畏まりました、マイ・レディ』

 それは聖グロリアーナ女学院の方言で、これからお説教だからそこで待っていろよ悪たれが、を意味する言葉だと、私は最近わかるようになったのだった。

 

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