ガールズ&パンツァー 乱れ髪の乙女達   作:長串望

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プラウダ高校の場合 Side B

 夢を見た。

 前も後ろも、右も左も、上も下もわからなくなるほどに真っ白に染め上げられた雪道を、黙々と歩き続ける夢だった。

 積もりに積もった雪はきしきしと音を立てて自分を潰しながら、次から次へと降っては積もる雪を受け入れて、一層沈み込んでいく。ぎゅうぎゅうに押し固められた雪。ふわふわと柔らかい雪。一番底の方できらりきらきら固まった粗目雪。雪は表情豊かで、じっと見つめていても飽きない。でも雪の方では人間にそんなに興味がないから、いつだって人間は雪が振り向く前にすっかり凍えてしまって、友達にはなれないのだ。

 私は雪が好きだ。見ていて飽きないし、聞いていて気持ちがよい。無遠慮に見てこないし、どんな愚痴も吸い込んで消し去ってくれる。でもやっぱり雪の方では私の事は好きでも何でもなくて、いつもいつも凍えるまで雪の中にいても、私の為に雪の結晶が美しくなったこともないし、醜く崩れたこともない。まるで片思いだ。

 夢の中の私も、雪にはどうとも思われていないらしくて、勝手気ままに吹きすさぶ雪に、小さな私の体はどんどん体温を奪われてしまっていた。大体、こんな雪道なのに薄着過ぎるのだ。コートこそ着ていたけれど、手袋もない、マフラーもない、帽子だって、お気に入りの耳当てだってない。指はすっかりかじかんで痛い位だし、びゅうびゅう吹く風が首筋を撫でまわしてどんどん冷える。髪はすっかり雪まみれだし、耳は千切れていないのが不思議なくらいだ。それでも私はぎゅっと力強く拳を握って、みっともなく首をすくめることもなく、髪の雪を払うこともなく、耳をもんで暖めることもしないで、ただただ黙々と歩き続けている。

 意地を張るのも辛くなってきて、胸を張るのもしんどくて、一向手応えの無い雪相手では張合いもなくて、それでも私は小さな体で雪道を黙々歩き続けている。

 思えば子供の頃はずっとそのような生き方だったと思う。自分が捨て子だということは早いうちから知っていた。養父母は私を大事に育ててくれたが、それは私にとって小さくない瑕だった。他の皆にはお父さんやお母さんがいるけれど、私にはいっそおじいちゃんおばあちゃんと呼んだ方が正しい年頃の養父母がいるばかりだ。気にしないようにしても、周りの大人たちは私をかわいそうな子供だと見たし、そういう大人たちの態度を子供な敏感に察して、私をかわいそうな子供と扱うのだ。

 両親がいない事を辛く思わなかったと言えば嘘になる。しかし自分が不幸だと思ったことはなかったし、可愛そうなどと思われる度に腹が立った。私は養父母から注がれた愛情で十分に幸福だったし、私の事を可哀そうなどと言うのは、そんな養父母の血のつながった肉親よりもよほど高尚な愛情を軽んじていると思われたからだ。

 そういった経緯があったからか、私はとにかく負けん気に育った。見返してやろうと常に意地を張り、胸を張り、時に年上の男子も張り倒した。相手が誰であろうと、自分が正しくないと思う相手であれば、噛みつきもした。言葉でも、自慢の歯並びでも。それで養父母に心配をかけるのは不本意だったが、正しい事は正しい事、間違っている事は間違っている事、そんな有り触れた教育を馬鹿正直に守ったに過ぎなかった。癇癪を起してしまう自分の危うさは理解していたが、しかし、制御できないにしても怒る切欠は正しいものだと信じていた。怒らせるほうが悪いのだ。

 誰に対しても尊大で、誰が相手でも噛みついて、融通の利かない頑固な癇癪持ち。こんな子供が一人ぼっちになるのにそれほど時間は要らなかった。それでも私は態度を改めなかった。改めるということは、間違っていると認めるということだからだ。いつもいつも自分が正しいという訳ではない事は知っていた。私は子供に過ぎなかったし、間違いを犯すこともある。過ちを認め、反省することもしばしばだった。だがそれと、正しい事を正しいと声を上げるのは別の問題だ。正しいものは弱いのだ。正しいものは守ってやらなければならない。時に間違うことがあっても、正しくあろうとする意志を枉げてはならないのだ。それはほんとうのことと、周囲の大人たちの見方とが甚だしく食い違う事を思い知らされた幼少期に刻まれた思いであり、今も変わらない。

 ずっとそのまま頑なだったなら、私はきっとどこかで折れてしまっていて、立ち直れなかったことだろう。けれど私は時には迂回したり、折れてやったりしてやらなければ立ち行かなくなることを学んだ。そうしてやらなければ凍えてしまう、弱いものたちがいることを学んだ。偽りや過ちを糾弾し是正するのは大事だが、弱者を守ってやるのはもっと大切で正しい事だ。正論で人を殴りつけることは、必ずしも正しい事ではない、と私は教えられたのだ。

「まって、カチューシャ、もうあるけないの」

「大丈夫よ、ちっちゃな泣き虫ノンナ。大丈夫。もうすぐよ。ほら、もう見えてくるわ」

 そうだ。ちっちゃなノンナが私に教えてくれたのだ。彼女にとっては嵐の様な天災でしかなかった私に、ちっちゃなノンナはついてきてくれた。そうだ。私が振り回していたにしても、ちっちゃなノンナは、私についてきてくれたのだ。きっと臆病な彼女から見れば、私の振りかざす正論は恐ろしい大斧で、年上にも噛みつく姿は悪鬼の様だったろう。実際、小っちゃいノンナは怖いと泣き、恐ろしいと泣き、とにかく泣いた。けれども、私が嫌だとはついぞ言わなかったのだ。嫌いと言わず、離れてとも言わず、私が納得するまで付き添ってくれたものだ。

 あの時も、私が引いて上げた手はとても冷えていて、寒さと恐怖にかたかたと震えて、何度ももう嫌だ、怖い、帰りたいと泣き叫んだけれど、決して私の手を放しはしなかった。ぎゅうと握りしめて、放さなかったのだ。放したら私がどこかへ行ってしまうという恐怖もあっただろう。けれどそれ以上に、その手を放したら、私が一人ぼっちになってしまうと、きっとあの子は知っていたのだ。その手があったからこそ、私はあのどこまでも寂しい吹雪の道を、何処までも続くように見えた白の回廊を、諦めることなく進めたのだ。

 優しい、優しい子だった。

 目を覚ませば私は小さなベッドの中で、傍らでは大きなノンナが、私のベッドに突っ伏するように寝入っていた。その手は私の小さな手を握りしめたままで、きっと子守歌を歌って私をお昼寝につかせて、そのまま自分も寝てしまったのだろうと思われた。

 今日は朝から大雪で、人力の雪かきでは間に合わず、除雪車まで出す騒ぎだったから、すっかり疲れてしまったのだろう。私を肩車したまま、随分あちこち歩かせてしまって、その上お昼のボルシチまで作らせたのだ。今はゆっくり休むといい。私はそっとノンナの頭を撫でてやった。

 ノンナは本当に良い子だ。頑張り屋で、良く私を支えてくれる。小さい頃から、ずっと。

 プラウダ高校に入学してノンナと再会した時、あんまり大きく、そして美人に育っていたものだから、私はそれが誰なのかさっぱりわからなかった。でも、首を傾げた私にすっかり沈み込んでしょげ返って、それでも泣くのを堪えるように、しゃっくりでもするように一つ頷いて、私についていくと笑ったその笑顔に、私はすぐにちっちゃなノンナを思い出していた。

 でも、大して成長もしていなかったとはいえ、私の事をすぐに見つけ出してくれたノンナに申し訳ないのと、すっかり綺麗なお姉さんに成長したノンナの笑みが素敵だったものだから、私は不愛想に知らんぷりするしかできなかったのだ。

 そんな私の意地っ張りにもめげず、ノンナは新しい場所で、私と新しく関係を築こうとしてくれた。ああ、ちっちゃな泣き虫ノンナ。いつも虐められっこに本を取り上げられてはびいびい泣いて、私に手を引かれてはわあわあ泣いて、私と離れ離れになると知ってぎゃんぎゃん泣いていた、あのちっちゃな泣き虫ノンナが、今はどうだ。ああ、どうだ。そう、こうだ。これだ。こんなにも素敵な女の子に育ったのだ。ちょっと大きすぎて、もう頭を撫でてあげるのは大変だし、笑顔が素敵過ぎてわしゃわしゃ撫でてあげるなんて気恥ずかしすぎて、こうして眠っている時でもないとできないけれど。

 私はうん、とひとつ伸びをして、私の手を大切な宝物みたいに掴む指をそっと解いて、立ち上がる。空気はひんやりと心地よく、寝起きの体に心地よい。でも、ノンナには少し肌寒いかもしれない。私は毛布を取って、そっとノンナにかけてやった。本当ならベッドに運んであげた方がいいのだろうけれど、私のベッドはノンナの体には小さすぎるし、ノンナを運ぶには私の体が小さすぎた。

 さて、どうしようか。起こすのも可哀そうだし、日頃働かせ過ぎた。折角だからゆっくり休んでもらおう。私はベッドに腰掛け、そっとノンナの頬を撫でる。何時も肩車してもらってるから、物理的には近いように見えるかもしれないけれど、こうして意識して触れるのは何時振りだろう。ノンナは、普段は手が届かない高嶺の花だ。物理的に。手が届かないし。それにノンナは何時でも私を立ててしまって、私の一挙手一投足に気を払うから、こうして意識のない時でもないと、私の好き勝手にできない。それに、あの六花のようにきらきらと澄んだノンナの瞳に見つめられると、私の体は途端に私の制御を離れて凍りついてしまうのだ。

 ノンナはすっかり美しい少女に育っていたが、寝入る横顔はちっちゃな泣き虫ノンナのままだった。お昼寝の時間、一人目が冴えて、何とはなしに覗き込んだ寝顔を思い出す。この世の幸福を全て詰め込んだような、尊いものがそこにあった。なんだか触れてはならない様で、それでも目を離せず、目を覚ましたノンナが短く悲鳴を上げて硬直するまで、じっと見つめることしかできなかった。

 きっとノンナは物語の魔女なのだと、その時は思った。眠っているその横顔を見つめているだけで私はすっかり力を奪われてしまうのだから、その六花の瞳に見つめられれば、魔眼の魅力に魂まで奪われてしまうのは道理なのだと。

 いまでは勿論、ノンナが魔女でも何でもない、普通の女の子だということはよくわかっている。彼女は臆病で頑張り屋な普通の少女で、そして私が動けなくなったのは、あれは、ただの、単なる、ひとめぼれの魔力だったということも。

 さらさらと柔らかな髪を手遊びに梳いてやっているうちに、ノンナの傍にノートが一冊落ちているのを見つけた。拾ってみれば、随分と使い込まれている。表紙には、ノンナの字でこう書いてあった。

 カチューシャ日記、と。

 私はおかしくなって、くつくつとこみあげてくる笑いを抑えた。カチューシャ日記と来た。まったく、本当に、律儀な子だ。

 ぱらぱらとページを捲れば、日付や天気、その日の気温や湿度といった細かい事まで記載されている。そして本文となるのは、私の事だ。私の、体調の事だ。

 私はご覧のとおり、子供の頃から殆ど体が成長していない。並の小学生より小さい。医者だった養父母は私の事を調べてくれたし、現役の医師にも相談してくれたが、甲状腺ホルモンの異常かもしれないという推測しか立たなかった。体の成長が殆ど止まってしまったけれど、健康状態は全く健全そのもので、肉体年齢に相応しい程度であるという。

 お陰様で私は、病弱という程ではないが、小さな子供と同じくらいには頻繁に熱を出しもしたし、三度のご飯じゃ熱量が持たなくて間食も要るし、昼寝もすれば夜も早く寝入ってしまう。こころは成長しても脳が大人になりきらず、理性では分かっていても癇癪は抑えられず、感情に振り回されることもしばしばだった。

 ノンナはそんな私を気遣って、毎日毎日、私の体温を測り、軽い問診をし、食事の内容を記録し、睡眠時間を計測した。私の養父母に問い合わせて、事細かに私の記録を取り、不測に備えた。プラウダの生活にも慣れ、すっかり体調も落ち着いた今でこそ、そこまで面倒な事はしていないが、それでもノンナは私の健康管理を続けてくれていたらしい。

 慣れない場所での生活に体調を崩し気味だった私が何とかやってこれたのは、全てノンナの献身的なお世話のおかげだ。本当に、ノンナは立派になった。強くなった。そしてその上で、あの優しいちっちゃなノンナも損なわれていないのだ。素敵な女の子だ。

 私は名残惜しむようにそっとノンナの頬を撫でて、ベッドから立ち上がる。窓辺によって外を眺めてみれば、雪雲は晴れ、穏やかな午後の日差しが、一面に降り積もった銀世界をきらきらと照らしていた。雪のおかげで午後は寧ろ暖かく過ごせるだろう。

 さて、どうしようか。解け始める雪の中を、履帯がどこまで持つか試してみようか。ニーナたちなら平気でぬかるみを走破して見せるだろうが、一年生共はそうも行かないだろう。雪原で徹底的に方向感覚を狂わせて彷徨わせてみるのもいいかもしれない。黒森峰を叩くにはタフな精神がいるし、聖グロリアーナの社交に付き合うには忍耐力と機転がいる。そして大洗を相手取るには、土壇場での爆発力がモノを言うだろう。私もノンナももう卒業だ。その前に私に出来ることは、全てしていってあげたい。プラウダ高校では隊員は雪原から幾らでも掘り出せるが、本当に良い戦車隊は、何度も解けては固まった粗目雪のように、時間と経験の積み重ねが必要だ。それは口伝だけでは作り出せない。まだ慣れない一年生には辛いかもしれないが、試みは拷問ではない。

 そういえばダージリンが持ちかけてきたタンカスロンでは手痛い失敗を見たことだし、対策を考えなくてはいけない。思えばあのルールは大洗に向いている気もする。来年は厄介な角谷杏も卒業するが、ただでさえ車両が少ない大洗は、むしろ必要故により強力な戦車隊になり兼ねない。ミホーシャはやるだろう。二度目は通じないと知っているから、あの時よりもよほどに研ぎ澄まされた刃を重ねてくるだろう。対峙したそれぞれが、自分の頭で対策を講じなくてはならない。誰もが自由に動き回っては、プラウダの大所帯は大混乱に陥るだろうが、しかしストーブに近付いた指先が、自分でやけどを回避できないようではあっという間に傷だらけだ。ミホーシャはそのやけどを重ねさせ、気付いた時にはプラウダは髪の先まで火だるまにされてしまう。集団行動と単独行動、どちらもこなせなければ、ただただ図体の大きな獣に過ぎないのだから。

 そしてまた、かつて黒森峰に対して犯してしまった、私の罪も、重ねさせないようにしなければならない。勝利は大事だ。しかし我々は正義(プラウダ)なのだ。正しく勝たなければならない。永久凍土に刻み込む文言には、一切の瑕疵は許されないのだから。

 ああ、伝えたいことが、伝えなければならない事がたくさんだ。このちっぽけな私に伝えられる全てを、プラウダの広く長い手のその指先の、そのまた爪先に至るまで、きちんと伝えてやりたい。私が先人から受け取り、磨き上げた宝石を、渡さなければならない。そして、それでようやく彼女たちは自分たちのプラウダを作っていくことが出来るのだ。受け取ったものを磨き、カットし、プラウダの名の下に掲げることが。

 しかし。

 しかし、それも全てはノンナが目覚めてからだ。安らかな寝息を立てるノンナの元に戻り、私はそっとその髪に口づける。

 大きく育った美しい娘。プラウダの誇るブリザードのノンナ。吹雪のように苛烈で、氷のように美しく、熾火のように暖かな娘。頼りがいのある副隊長。誰もが憧れる美しい少女。きっとどこにいってもうまく遣っていけるだろう。もう虐めっ子に泣かされることもない。もう一人でさびしさに震えることもない。クラーラやニーナ、沢山の友達を作って、誰に脅かされることもない素晴らしい人生を送れることだろう。

 でも、それでも、ノンナ。

 もう少しだけでいいの。私が卒業するまででいい。それまでは、どうか、私のちっちゃな泣き虫ノンナ、それまでは私の傍にいて頂戴。

 この小さな暴君の、一番の我儘を、どうか聞き入れて頂戴な。

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