やれやれ。
ダージリン様の迂闊な発言で西様が傷付き、駆け出して行ってしまわれた西様をダージリン様が追いかけて行かれて暫く、すっかり温くなってしまった紅茶を口にして、私は溜息を吐きました。
アッサム様はダージリン様を送り出すや、テーブルに携帯電話を並べました。ええ、そうです。一つではありません。スマートホンが二つ。折り畳みの物が一つ。スライド式のものが三つ。他にSIMカードが何枚か。全てプリペイド式の物で、相手や都合によって使い分けているそうです。プライベートの物もまた別に持っているとのことで、よくまあ管理できるものです。料金は経費で落ちるそうですが、情報処理学部第6課も懐が温かいようで羨ましい限りです。
アッサム様は並べた携帯電話をとっかえひっかえあちこちに連絡しておられるようでした。良くわからない内容も多いですが、概ね西様の行方を追っている方との連絡のようでした。またヘリポートの閉鎖や進行ルートの予測など忙しそうです。そしてそのついでにダージリン様をいい具合にドツボにはめる算段を進めているようです。ああ、いえ、大変素晴らしい笑顔で楽しそうにやっている辺り、アッサム様にとってはこちらの方が本題なのかもしれませんが。
本当にやれやれです。話題に飢えた女子高生の皆さんに、全校生徒の憧れの的であるダージリン様と、凛々しくも愛らしい西様とのロマンスという格好の話のタネを提供するのは
畏れ多くもオレンジペコの名を頂戴した幹部候補とはいえ、私はまだ一年生。覚えることは多く、何をするにも拙いばかりの未熟者。そんな私にこれが教育だとばかりにお遊びの後片付けを寄越してくるのはいい加減に勘弁していただきたいものです。
大体、携帯電話を何個も使うというのは、デジタルなのだかアナログなのだか、あまり効率的とは思えません。複数の顔を持つ諜報員としては正しい情報管理方法なのかもしれませんが、ジェームズ・ボンド程とは言わないまでももう少しスマートなやり方はないものでしょうか。Qのような秘密兵器開発主任位、この学院なら一人や二人抱えていそうなものですが。
私は踊るように携帯電話を切り替え続けるアッサム様の忙しなくも楽しそうなお姿を尻目に、手元のスマートホンを操作して、溜まったLINEのメッセージを流し読みしていきます。このグループはメンバーも多く、それぞれの発言頻度も高いため、殆ど全員、自分の好きなように呟いて、たまにぱっと目についた話題に食いつくという、女子のお喋りの権化のような混沌とした有様になっています。私も速読技術とそれなりの集中力がなければ全てに目を通そうとは思わないでしょう。
「ペコ、ねえ、ペコ。なにをしているんですの?」
画面を覗き込むようにしてローズヒップさんが小首を傾げました。
「ダージリン様のお帰りになりそうな時間を計算しているんです」
「へえ、便利ですのね」
アッサム様がああして能動的に連絡を取り合って西様とダージリン様を追いかけているのとは全然別の方法ですが、多分こちらの方が早いと思います。なにせこのグループはダージリン様ファンクラブ。最近は西様とのロマンスで大変盛り上がっていますから、お二人の姿をどこかで見かけようものならば、即座にこのアプリケーション上に発言されるのです。私が誘導するような発言をするまでもなく、少し待つだけで正確な位置情報がわかるというものです。更には写真を貼る方もいらっしゃるので、状況把握が楽で楽でなりません。
ダージリン様もアッサム様も優秀な方ではあるのですが、如何せん政治や諜報にばかり能力を振っておられるものですから、聖グロリアーナ女学院の実態というものについて少々疎いのです。つまり、結局のところは、どれだけ品格を追求し、淑女を育てるお嬢様学校として振る舞おうと、通っているのは年頃の女の子なのです。砂糖とスパイスと下世話な好奇心と毎月の面倒とケミカルXあたりで出来た少女たちなのです。今日日の女の子が携帯電話やスマートホン、それに付随するLINEなどのアプリケーションと言ったおもちゃを前に、楽しく使い倒さない訳がないのです。
よく訓練された犬を走らせるより、高みから見下ろして楽しげに歌う雲雀たちの囀りを聞いていた方が、真実は余程に早く手に入るものです。勿論、囀りの中かから必要で、信じられるものを見つけ出す技術は必要ですが。
雲雀たちの囀りから、ダージリン様がいよいよもって罠に飛び込もうとしていることを察して、私はアプリを閉じました。大体わかりました。後はお帰りの頃を見計らってお茶を淹れ直すとしましょう。
私は一息ついて、もそもそと不安定な感触座り直し、柔らかでぐんにゃりした背もたれに背中を預けました。
「もういいんですの?」
「ええ、お仕事はこれでおしまいです。後はアッサム様に任せて休みましょう」
私は耳元で元気良く跳ねるローズヒップさんの声に、少しくすぐったくて身を捩りながらそう答えました。
ダージリン様が出て行かれてから少しして、アッサム様が楽しげにお仕事に没頭してしまったので退屈してしまったのでしょう、ローズヒップさんはお気に入りのぬいぐるみを見つけた子犬のように、私をひょいと持ち上げて椅子に滑り込み、私を膝に乗せてしまったのでした。私の体温が高めだから湯たんぽにでもしているのか、小動物でも愛でるような感覚なのか、ローズヒップさんは時折こうして奇行に走ることがありました。しかし害もありませんし、行方不明になられるよりましなので、好きなようにさせています。
スマートホンを放した私の小さな手を取って、ローズヒップさんは指の一本一本を確認するように、手の皺を一本一本なぞる様に、私の手を改めました。
「楽しいですか?」
「ペコの手は頑張り屋さんの手ですのね」
「はあ、それはどうも」
私の手は小さいけれど、戦車道でできた肉刺や胼胝がしっかり残っている。それは私だけでなく、真面目にやっている娘ならみんなそうです。優雅で美しい淑女を目指すには少々愛らしさの足りない手ですが、しかしこれが、これこそが戦車道を嗜む乙女の手なのだと、以前ダージリン様にも褒めていただきました。でも流石にこうやって、肉刺の一つ一つをなぞり、胼胝の一つ一つに触れられるのはなかなかに気恥ずかしいものがあります。
やがてそれにも飽きたのか、ローズヒップさんの両手が無遠慮に私のお腹の辺りで組まれて、シートベルトみたいに固定されてしまいます。そしてローズヒップさんは後ろに体重を預け、椅子を傾けゆらゆらと遣りはじめました。揺り椅子のようでなかなか悪くない心地ですが、ローズヒップさんがうっかり加減を間違えて転倒すると、逃げようもなく巻き添えにされるという懸念があります。嫌だなあ。
「ローズヒップさん、いつも私のこと抱っこしますけど、楽しいですか?」
「楽しいですわ!」
「どうしてですか?」
「楽しいですもの!」
トートロジーか。
「それにいい匂いがしますもの」
「匂いですか?」
「ペコはいつも甘い香りがしますの」
自分ではよくわかりません。しかしローズヒップさんは気にした風もなく、私の髪に鼻先をうずめて、楽しげです。
「ミルクティーが飲みたくなってきましたわ!」
乳臭いって事でしょうか。鼻先の当たっている辺りに湿った暖かさを感じ、放っておいたら髪を食まれるのではないかともふと思いましたが、ローズヒップさんが楽しげににこにこしているのを思うと別段嫌でもなかったので放置です。
代わりに私もローズヒップさんの匂いを嗅いでみました。少し振り返って、胸元に鼻を寄せて、紅茶を楽しむように深く息を吸います。なんだか不思議な香りでした。整備の時についたのでしょうか、午前中に戦車に乗ったのは同じ筈なのに、もっと強く、鉄と油のにおいがします。もう少し深く匂いに集中してみると、少し酸っぱいような汗の匂い。首筋に鼻先を寄せてすんすんと嗅いでみると、その奥に、スパイスの様な、ハーブの様な、独特で複雑な香りがしました。きっとそれがローズヒップさんの体臭なのだと思います。全然甘くないです。でも癖になりそうです。
私がちょこちょこ動くからか、ローズヒップさんは座り心地の良いようにむずむずと身じろいで、私の後頭部辺りに感じていた熱も、もそもそと擦り寄るように側頭部の辺りに滑ります。そうしてその度、くふんくふんと鼻を鳴らして、湿ったぬくもりが感じられるもので、なんだか本当に犬みたいです。
こんな人懐っこい大型犬なら、飼ってみたいものだと思った矢先。
「ひゃんっ!?」
左耳がぬるりと湿ったぬくもりに包まれて、私は躾のなっていない犬に待てを教え込む羽目になるのでした。