このショートストーリーをお読みの前に、拙作「恋と戦いの下に全ては正当化される」に始まり、「少女達は少女する 聖グロリアーナ女学院の場合Side B 或いは知波単学園の場合」に終わる西ダジシリーズをお読みすることをお勧めいたします。
「あの、そのですね、ダージリン殿」
「せめてその殿はそろそろ止めにしてほしいわね」
私が聖グロリアーナ女学院を卒業し、大学へと進学して今年で三年目。絹代が知波単学園を卒業し、私と同じ大学に入学して二年目。ついでに言うならばどうも意外にサプライズを好むらしい絹代が私の借りているマンションの一室の、そのすぐ隣に部屋を借りて暮らし始めてから二年目。つまり私達が恋人として共に生活を送るようになって二年目ということだ。
ダージリンの名は、あの伝統ある聖グロリアーナ女学園の紅茶の園に置いてきた。高校生の私に出来るその全てを尽くして、私は母校にラストドロップまで注ぎつくした。だから私はもう誉れ高きダージリンの名を授かった少女でも何でもない、有り触れたただの中流階級の家の何処にでもいる様な女子大生に過ぎないのだけれども、絹代は今でも私をティーネームで呼ぶ。
もう私はダージリンではないし、貴女は私の恋人なのだからと何度か言ったが、存外頑固なこの娘は未だに私の本名を恥らって呼んでくれない。だが私にどうしてそれを改めさせられようか。ダージリンという響きには高貴な香りと初恋の甘酸っぱさがありますのでなどというはにかむような微笑みに私の装甲は一撃で貫通させられたのだから。
そして時折、具体的にはベッドの上で、振り絞るように掠れた声で呼んでくれることもあるのだから、むしろレアリティが高くて一層胸に響くし、そういうシチュエーションで漏らされる響きを日常で聞いてしまうとうっかり英国魂が催してしまうかもしれないのでしばらくはこのままでいいだろう。
「あー……ダージリン」
「ダーリンでも可」
「ダージリン、そのですね」
「何かしらハニー」
「は、はにー」
違うわ絹代。そこは頬を染めて恥じらう所であって、呆れたように唇の端を引きつらせる所ではないわ。まあしかしそのあたりの反応については諦めよう。この二年で絹代も私の素についてはすっかりお馴染になってしまったし、休日にソファで猫と一緒にごろごろする姿も散々見られている。一言二言で頬を染めてくれるような初々しさは失われてしまったが、代わりにお互いにもっと深く知り合えた気がする。失われたというよりは、変化したというべきか。子供が大人に成長するように、革靴が足に馴染んでいくように、新居が人の生活を吸って飴色に年経るように、愛情の形も変化していくのだ。
いまやお互いの家に寝間着が置いてある所ではなく、私の部屋には絹代の裁縫道具まで置いてあるくらいだ。すっかり馴染んでしまったものだ。
「はにー云々はともかくと致しまして、ええと、その、改めまして申し訳ないと」
「何がかしら?」
「その、ダージリンの21歳の誕生日に間に合わなかったもので、その」
しょんぼりと項垂れてもごもごと謝罪を繰り返す絹代。
そう、絹代は恋人の誕生日を盛大にすっぽかしたのだった。よりにもよってこの私の誕生日を。
昼は母校である聖グロリアーナ女学院にお呼ばれしてパーティを開いてもらったのだが、これには絹代も出席した。オレンジペコやローズヒップ、ルクリリといった後輩だけでなく、かつて共に戦ったアッサムや、付き合いのあった他校からも人が来てくれ、非常に盛大で楽しいパーティだった。
サンダースのケイは後輩を引き連れてとても大きな――そしてケミカルでカラフルなケーキを贈ってくれた。去年の反省を生かして今年は中に人は入っていないと言っていたが、そこじゃない。まず見た目をどうにかして欲しい。青色は食欲を誘ったりしない。
プラウダのカチューシャは相変わらずノンナと一緒だったが、肩車はしていなかった。代わりにというべきか、薬指にお揃いのアクセサリーなどしていて羨ましい限りだ。ノンナがヘタレるからカッコカリよ、と笑うカチューシャは、身長も伸びていない癖に、しかし納得の貫禄だった。
黒森峰の西住まほは後輩を連れての参加だったけれど、久しぶりに見た彼女はすっかり威厳というものを失っているように見えた。大学生となってより大人びた空気を纏い、ぱっと見た所は相変わらず涼しげで背筋の伸びた麗人だったけれど、私の見ている前でさえ都合三回は連れに後頭部を叩かれていた。しかし何処か陰のあった以前とは違い、すっきりとしたようではあった。
アンツィオのアンチョビは相変わらず元気そうで、見ているこちらも自然と元気が貰えそうな陽気だった。パーティで供された料理も一部は彼女らアンツィオ生が手掛けてくれたようで大人気だった。そしてその陽気さの絶えない笑顔の彼女の後ろには揃いの黒スーツを着込んだ後輩たちがつき従っており、日曜日には必ず教会に行く敬虔な裏稼業を思わせた。
いつの間にか
絹代が後学の為にと連れてきた知波単学園の生徒たちははじめこそがちがちに緊張していたが、場が盛り上がってくるにつれて馴染んでいき、すっかり落ち着いた彼女らは他校の者だけでなく我が校の生徒たちも思わず襟を正すようなマナーのできた振る舞いだった。絹代が聖グロリアーナ女学院で学んだ作法を良く良く教え込んだというのだが、英国式のマナーと彼女らの実直さとが組み合わさると、我が校の生徒にも頬を染めてころりころりと落ちるのがいるのでやめてほしい。
大洗女子学園からは元会長の角谷杏と、元隊長の西住みほが来てくれた。当時から付き合っているという話は聞いていたけれど、非常に仲睦まじいようで安心した。以前まほさんに、同じ姉つながりという事なのか「たまにあいつのお姉ちゃんをやっていく自信が圧し折られる」などという相談を受けたりもしたが、うまく行っているようでよかった。
そのように私の誕生日祝いのパーティは盛大なもので大変満足したのだが、問題は夜である。
夜だ。
恋人同士で、半同棲状態であり、
当然、夜は夜で二人きりで細やかながらも心のこもったディナーを共にし、そして二人仲良く寝室へそして幸せが訪れる、となる予定だったのだが、この娘はそれをほったらかしたのだった。
昼のパーティが終わり、少し観光でもしていこうかという所で、何処からか連絡が入ったようで、申し訳ありませんが急用ができましたと頭を下げ、そしてそのまま日が変わるまで帰ってこなかったのである。
「うう…………それに関しては本当に申し訳ないと」
全くだ。
ちょっと張り切って料理をし、ちょっと奮発したワインも用意し、サプライズなプレゼントも準備してさあ帰ってくるのを待とうという幸せな空気が徐々にしぼんでいき、何回も電話をかけたのに一度も応答がなく、荒ぶる気持ちを抑えようとエールを三本ほど開けたあたりで飼い猫すら面倒臭がって寄り付かなくなってしまった頃に、ようやく恐る恐る忍び足で帰ってこられた時の私の気持ちがわかるだろうか。
「あの、ダージリン、そのですね、本当に申し訳ないとは思ってるんですがっ」
なんだ。何か文句があるとでもいうのだろうか。
「流石にそろそろ解いてもらえないかな、と!」
ああ、そうだった。
ソファで寛ぎながら五本目のエールを開け、床に転がる絹代を見下ろす。
申し訳なさそうに帰ってきた絹代を、大いに待たされた不満とアルコールの齎す酩酊感とその他諸々で荒れに荒れていた私は、務めて笑顔で迎え入れ、優しい言葉で疲れたろうからと座るように促し、そのまま椅子にボディバンデージで縛り付け、蹴り倒してその情けない顔を肴に飲み直したのだった。
「嫌よ」
「うう……お願いしますダージリン。本当に申し訳ないとは思っております。しかし、その、私もそろそろ限界で」
限界。
見下ろせば、何やらもじもじと身を捩らせている絹代。
思えば、帰ってくるなり拘束してしまったから、絹代は用も足せていない訳だ。
絹代のお漏らししている姿やそれで恥じらう姿もそれはそれで大変気になるけれど、しかし流石にそこまでの仕打ちをするつもりはない。今は卒業したとはいえ、私も伝統ある聖グロリアーナ女学院で誉れ高きダージリンの名を授かったもの。ちょっと、いや、大分気にはなるがそういうのは合意の下でやるべきだ。今度頼もう。
しかしそれはそれとして、黙って解放するのもよろしくない。
たかが誕生日。されど誕生日だ。
すっぽかされて、しかもその理由をダンマリとなれば、私もただ許す訳にはいかない。
高校時代、散々絹代を待たせてしまったとはいえ、私たちは恋人なのだ。恋人の全てを尊重しろとは言わないが、せめて訳は知りたい。何の説明もなしにこんな仕打ちを受けたとあっては、今後の生活でも信用できなくなってしまう。けじめが必要なのだ。
だからこれは絹代の誠意が見たいからの仕打ちであって、決して絹代のお漏らしが見たいわけではないのだ。
「え、笑顔が英国面に堕ちておられる……」
「行動までもが英国面に堕ちる前に、貴女は為すべきことを為すべきね」
「うう……」
絹代は暫くもじもじと堪えていたようだが、流石に人前で失禁するかもしれないという恥辱には耐えられなかったようで、おずおずと口を開いてしまった。残念。
「その、先日病院に行ったでしょう」
「ええ、そうだったわね」
病院と言っても、近所の病院ではない。私としては病院の違いというものは歯科であるか内科であるか外科であるかといったような違いでしかないが、絹代にとってはそうではない。かかりつけの医者がいるのだ。そんな言葉を本の中以外で見聞きすることがあろうとは思わなかったが、何しろ絹代は私と違って本物のお嬢様である。生まれついてのお嬢様だ。病院と言えばかかりつけの医者の所という事になる。つまり、彼女の実家のある、東京都港区だ。
少し体調が思わしくないと言ってヘリに乗り込む恋人の姿を呆れ半分心配半分で見送った私に、帰ってきた絹代がいつも通りの笑顔で報告してくるのは「婦人の病でした」の一言で、これにはすっかり呆れ果ててしまった。婦人の病というのは要するに月の物の事だろう。一体何年付き合いのある病だというのか。その為にヘリを飛ばす金銭感覚が理解しかねた。
「そのことが先生から実家に伝わったようで、今日呼び出しを受けてしまいまして。そうして出向いたら出向いたでお母様に捕まってしまいまして、あれやこれやと質問攻めで逃げ出せず、あれこれ誤魔化しているうちにすっかり日も暮れてしまいまして、どうにか隙をついて抜け出してきた次第でして」
……うん?
なんだかつなぎがよくわからない。
一体絹代は何を言っているのだろう。
もしや婦人の病などと言っていたのは誤魔化しで、何か重大な病気だったのだろうか。それが実家にばれて、呼び出された。ということなのだろうか。しかしその割には元気そうだ。
「私としてはこうなったことは嬉しいは嬉しいのですが、やってしまったこととはいえダージリンには迷惑をかけたくありませんし、実家の方はどうせ弟が継ぐとはいえ、私も余り好き勝手すると風聞もありますし、なかなか言い出せないでいたところに、実家の方からはいったい誰が相手なんだ言えない様な相手なのかとこう詰問口調で、私の方もどうしてばれたのかという思いもあって焦っていた所で売り文句に買い文句でさんざ揉めてしまって」
「待って、待って絹代、待って」
尿意を堪えている所もあって早口に捲し立てる絹代だが、どうにも話が分からない。嬉しいとはなんだろう。病気ではないのか、迷惑とはなんなのか。相手とは。
困惑する私に、絹代は困ったように誤魔化すような微笑みを浮かべて、目を逸らしながらもしかし決定的な答えを口にした。
「その、出来ました」
「出来た?」
「あなたの、赤ちゃんです」
「あら、そう」
フムン。なるほど。婦人の病ではある。恐らくつわりか何か、いや、そういう素振りは見えなかったが、母の勘というか、何かしら思う所があって医者に診て貰ったのだろう。そして判明した。そのことが医者の口から実家の方に伝わり、慌てて問い詰められていたという所か。ははーん、なるほどなるほど。
「ちょっとお待ちになって」
「幾らでも、とは言えませんが、お待ちします」
成程。成程ね。私も全く想像もしていなかったことだ。まして私は大学生。学生、そう、学生だ。まだ仕事もない。翻訳のアルバイトはしているが、それで稼ぎがいい方でもない。成程迷惑をかけたくないだろう。いやいやいや、そうではない。それ以前に、なんだって? 子供が、できたと。何故。いや、することはしていたけれど、しかし私も絹代も無責任な人種ではない。しっかりと避妊はしていた筈だ。筈、だ。多分。酔った時とか、あんまり盛り上がり過ぎた時の事はちょっと記憶があやふやだが、しかし、私も絹代が大切だ。いくら私のダージリン・スティックが聞かん棒だとはいえ、そこまでロックな生き方はしていない筈だ。
しかし誰の子だなどと言うふざけたことは言えない。私とて絹代の生活の全てを知ってる訳ではない。しかし、私は絹代を信頼している。絹代の愛を信じている。私もまた絹代を愛しているからだ。だがしかし、本当に覚えはないのだ。
そんな私の困惑を察したのか、絹代は申し訳なさそうに、しかしあの頑固そうな目で私をじっと見つめてのたまったのだった。
「すみません、ダージリン。でも、どうしてもあなたとの子が欲しかったのです」
「……は」
力強い目だった。そうだ。わかっていたはずだ。西絹代は、真面目で、大真面目で、そして情熱的な女なのだ。要らぬ吶喊癖を持ちながら、しかし同時に私が仕込んだ以上に搦め手も持ち合わせた、いい女なのだった。
ああ、そうだった。私の部屋には、絹代の裁縫道具だっておいてあるのだった。針があれば、穴だってあけられよう。
「ダージリン。あなたの事が好きです、愛しています。ですが、怖くもなるのです。近頃はそういう方も増えてきているとはいえ、私達は女同士で、私の実家は無駄に大きい。大きく、しがらみも多い。貴女に迷惑はかけたくない。でも、せめて、貴女との証が欲しかったのです」
頑固な目に、私はすっかり呆れ果てていた。私自身の情けなさにだ。
私は絹代を愛している。手放したくはない。しかし、それを示そうとしなかった。絹代を、恋人を、いや、いまや、そうだ、妻を安心させられなかった。
私は絹代の戒めを解いて抱き起こした。
「絹代、絹代。とても驚いたわ」
「はい、申し訳ありま」
「でもとても嬉しいわ」
「は」
「貴女をいろいろ不安にさせてしまってごめんなさい。けれど、それでも、私は貴女のパートナーなのよ」
「ダージリン」
「ショットガン・マリッジはケイにお似合いだと思っていたけれど、まさか私がそうなるなんてね。今度こそ、貴女のご実家にご挨拶に行かないと」
「ダージリン……!」
「ふふ、防弾チョッキを着ていった方がいいかしら」
「防刃チョッキが必要かと」
「絹代?」
「母は薙刀の範士です」
「範士」
「七段くらいです」
どうやら命懸けになりそうだった。
しかし、その位の価値はある。私は絹代を抱き上げて、徐に寝室に向かった。
「あの、ダージリン?」
「絹代、私は貴女と幸せになりたいわ」
「そ、それは私も同じです」
「床屋へ行けば一日の幸せ。妻を娶れば一週間の幸せ。家を建てれば一ヵ年幸せ。でもそれじゃあ足りないわね」
「イギリスの諺ですね。あの、ですがその前に、その、お手洗いに、」
もじもじとこらえる絹代に、私はとっておきの笑顔をプレゼントし、先程から散々絹代の痴態に煽られたエリザベス・タワーを押し付けた。
「正直に暮らせば一生の幸せ」
「そういう正直はどうかとッ!」
「大丈夫、とってもよくしてあげるわ」
「そ、そういうことでは、あ、ちょ、て、転進! 転進をー!」
「駄目よ」
その夜、私は翌朝の洗濯と引き換えに多大なる幸福を得た。
そして頬には盛大に紅葉を散らしたのだった。
Happy Birthday, Darjeeling!