ガールズ&パンツァー 乱れ髪の乙女達   作:長串望

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クリスマスを迎えるみほ杏のお話。


サンタが殺しにやってきた

 クリスマスがどういう日かなんて言うのは文献を紐解いても実際の所との乖離が酷すぎるので、敬虔なキリスト教徒でも何でもない私としては忙しさで人を殺しに来るイベントの四天王クラスだという認識でしかない。

 生徒会長なんてのはのんべんだらりと干し芋食って適当に書類にハンコ捺しているだけという理解が大洗では主流だし、そういった認識をされているということが何よりの平和の証なのだけれど、その生徒会長その人である所の私としては、時々そういう理解のされ方にイラッと来る時がない訳でもない。実態を知らない人間のホンワカやんわりとした想像の内容なんていちいち詮索していてもきりがないし、寛容の心で流してしまうのが一番だと思うけれど、適当に捺しているように見えるだろう書類が、たとえ適当に捺していたとしても学園艦全体から束でやってきて山と積まれるのを前にすると、人類滅びないかなくらいは一瞬思ったりする。そういう一瞬の為に、生徒会長の執務机には学園艦自爆スイッチを設置してはいけないことが校則に定められている。というのは勿論嘘だけど、冗談で設置した玩具のスイッチはつい先頃私の拳を受けて録音されていたエマージェンシー音声ごと真っ二つになった。おかげで冷静にはなれたが。

「ちょっと休憩入れましょうか」

「そーしよっか。かーしまー、お茶」

「はっ」

 言われずとも用意されていた、ぬるめのほうじ茶が嬉しい。

 思えば河嶋も成長したものだ。最初に会った時は、お前は私が生まれてくる時に受け取った分の才能(ギフト)を根こそぎ追いはぎに遭って生まれ落ちた対存在なのかと憐れに思い、やがてそんなこととは関係なく純粋に無能で癇癪持ちでしかも私なんぞに依存する心底救いようのない存在なのかと憐れに思い、色々やらせてみてなんとか広報方面の才能を見出して育ててみれば思いの外にうまく発揮したけれどそれにしたって想定の範囲内の成長曲線を見せるあたり憐れに思い、付き合っていく内に見えてきた「無能で故に常に掌の上にいる」などという小山との歪な信頼関係と愛情を知って憐れに思い、そしてその小山の予想を裏切る形でただ一人二度目の廃校の危機を前に崩れ落ちそうな私の足元を整備して見せたその成長と手腕を誰一人正確には称賛してくれない上に本人さえ会長のおかげであって自分の為ではないという認識であるという有様に憐れに思い、とにかく憐れな女だ。なんだか言っていて憐みが込み上げてきた。河嶋には盛大なクリスマスプレゼントで報いてやりたいし、小山ともども卒業後も支えてほしい。物理と化学しかできない上に戦車道の練習でそれさえちょっと怪しくなってきた河嶋が卒業できればだが。

 さて。クリスマスも間近となり、各方面からの企画書やら決裁書やらを相手にするのは、散々文句をぶーたれはしたが、実のところそこまで大変でもない。年末年始は確かに忙しいが、毎年の事だ。あらゆる企画は何か月も前から練られるもので、私が直接何かしなければならない案件はそこまで多くない。ざっと目を通して大きな問題がなければ許可印を捺す。そしてこの可否の判断だって、私のもとに届く前に各部署の長が許可印を捺している時点で概ね信頼できるものだ。トップの一番大変な仕事というのは有能な部下を探して育てて相応しい場所に置くことで、それさえ済んでしまえば言うほど大変でもない。寧ろ私が余計な動きをする方が現場には迷惑だ。

 では何が私のストレスを溜めさせるのかといえば、仕事ではなくプライベートだった。それもプライベート中のプライベート。私の中で一番面倒くさくて大変な、分類:西住案件であった。仮にも恋人とのあれこれをこういう分類の仕方はしたくないのだが、しかし事実としてこれは胃の痛くなる案件だった。

 毎年クリスマスといえば、小山と河嶋と仕事をして、そして三人でこたつを囲んでささやかなパーティーというのがお決まりだった。しかし今年は違う。何しろ恋人持ちだ。二人して気を遣って私から仕事を奪い、自分たちは気にせず二人でゆっくり過ごしてくださいと優しく御膳立てされてしまった。気持ちは嬉しいが河嶋、お前はその会長が幸せならそれが一番なんですみたいな愛しさと切なさと心細さの入り混じった顔するな。おなかいたくなる。あとどう見てもお前の隣にいる小山のその目は友人に向けていいものではない。香りの強い飲み物には気を付けるんだぞ。あと二人きりにはなるなよ。無理だろうけど。

 ぬるいほうじ茶で心を落ち着かせながらも、私は来たるべきクリスマス当日を思うときゅんきゅんするのだった。おなかが。胃酸過多で。

 なにしろあの西住みほだ。

 戦車隊一同の目の前でプロポーズ紛いをした上に貪る様なキスを見せつけるという西住みほ史に残る醜態を晒してしまって以降、西住ちゃんは人前でも私と恋人であるということを隠さなくなった。勿論、世間体や自分がどう見られているのかということを数値で認識してんのそれというレベルで把握している西住ちゃんだから、所かまわずイチャイチャしたり無体を働いたりということはない。精々手を繋ぐことが増えたり、隣に座ることが多くなったり、人気が少なく雰囲気のいいところで軽くキスなんてしてみたり、まあその位だ。甘酸っぱい青春劇みたいな週刊少年誌みたいなそんなレベルだ。

 しかし一度人目のない、しかも防音のきいた私の部屋に上がり込むと話は別だ。余所行きの笑顔は引っ込み、ぬいぐるみの如く私を抱きしめてだらだらと脱力の限りを尽くし、私の作るご飯を食べ、そして未だにスイッチがどこで入るのかわからないが、どこかで勝手にスイッチが入って盛り上がり私と行為に及ぶのだ。ねっちりと及ぶのだ。まあそれはいい。

 問題は西住ちゃんがイベント事大好きのお約束大好きという人種だということだ。しかも大抵精力的な下半身から発案された議案を明晰な頭脳で計画して精密な手指で実現してくるのだ。ハロウィンにかこつけて私にたっぷりと悪戯(トリック)お恵み(トリート)を刻み込んでいった西住ちゃんがクリスマスなどという一大イベントを見逃すはずがないのだ。しかもクリスマスといえばケーキがつきものだ。私にとってケーキというのは焼くものであり切るものであり食べるものだが、西住ちゃんにとっては乗せるものでありデコレーションする材料なのだ。主に私に。たまに西住ちゃん自身の西住ちゃん自身にデコレートして私に食べさせるが、甘いもの好きなのでもっぱら私を皿にして食べる方が多い。そしてもちろん作るのは私だ。乙女の純情を何だと思ってんだこいつ。もうくっそ面倒くさくなって、以前生クリームをボウルでホイップしてスーパーで買ってきたスポンジ生地とイチゴを適当にカットしてデコレーション用に渡してやったら、違うそうじゃないと私をボウル代わりに西住ホイッパーでたっぷりと泡立てられてしまった。結局やることはやるし私には理解不能なのだけれど、文句を言いながらもちゃんと最後まで食べて食材を無駄にはしないし掃除もちゃんとするのでそれ以上文句は言わないことにした。そういう文化圏のそういう宇宙人なのだと思うことにしたのだ。

 とにかく、そういう西住ちゃんと迎えるクリスマスであるから、私としては恐ろしくて仕方がないのだ。ハロウィンに戦車隊の面子からチョコレート菓子を沢山貰い、一度やってみたかったんですという子供っぽい可愛らしい口調と昆虫を標本にする無邪気な好奇心に満ちた目で、私の下のお口でチョコレートフォンデュをされた挙句、角谷チョコレートファウンテンとかいう最悪のアートを動画に撮られたり、ポッキーの日に念入りに衛生的な準備を整えた上で他人どころか自分でもいじるべきではない小さなお口でポッキーゲームさせられたせいで暫くの間トイレに行く度に妙な気分にさせられたりしてきたのだ。ケーキどころかプレゼントだサンタだと属性もりもりのこのイベントに今から恐怖しかない。

「…………なんで私西住ちゃんと付き合ってるんだっけ……」

「会長、お疲れなのでは……?」

「ああ、うん、つかれてるはつかれてる」

 たぶん、こう、肩のあたりに生霊的なのが。

 なんだか河嶋の気遣うような視線に目元がじんわりしてきた。これが嬉しさの為なのか自分の現状に対する悲観のせいなのかちょっとわからないが、考えるとまた胃が痛くなりそうなのでやめよう。ああ、ぬるいほうじ茶が沁みる……心だけでなく荒れた胃壁にも沁みるのが辛い。内臓って痛覚ないんじゃないのかよ。皮膚とは痛覚の感じが違うだけだっけ。ここ最近皮膚より内臓の痛みの方が多いぞ私。皮膚感覚は寧ろ気持ちいい方が……うん、まあいいか。

 世の無常を干し芋と一緒に噛みしめていると、河嶋がお電話ですと受話器を差し出してくる。誰かと聞けば、黒森峰の隊長ですと言う。

「……西住姉ぇ……?」

 嫌な予感しかしなかった。

 

 電話を受けて少しの後、空っ風の吹くヘリポートにやってきた黒森峰のヘリを出迎えた。颯爽と降り立つ西住姉は如何にも頼れる女と言った風情で格好の良いものだったが、これもひとつの西住案件だと思うとそのまま帰ってくれないかなという気持ちが湧いてこないでもない。

 西住姉とはちょくちょく電話もするし、メールやラインでのやり取りも多い。西住ちゃんのことで相談できる数少ない友人だし、決して蔑ろにするつもりはない。ない、が、こと西住ちゃん関連で話を持ってくるとき、この良き友人は途端に面倒臭くなるのだった。まあ、向こうもそう思っているだろうけれど。

 ヘリを運転してきた副官の逸見なにがしはこちらに軽く目礼してくるだけで大人しく控えているの今回の件とは関係なさそうだけれど、この娘もこの娘で面倒事の匂いがするのだった。具体的には西住姉とこの逸見なにがしとの間でだが。この二人の間には確かな信頼が見受けられるのだけれど、それと同時に何やら薄暗いものも感じられてちょっと関わりたくない。西住ちゃんのナチュラルボーンサイコレズっぷりに頭を悩ませているのは私も西住姉も同じだが、私からすれば西住姉も大概だ。そのうち刺されるんじゃないかと思っている。もしくは刺すんじゃないか。

 などとどうでもいいことを考えながら、副官は河嶋に任せ、西住姉と連れ立って以前も話場所とした個人経営の喫茶店で珈琲を注文する。達磨とかなんとかいう、まあ私にはよくわからないがいい豆を使っているらしい。少しお高いが、西住ちゃんも西住姉も珈琲の良さが分かるので、連れてくると喜んでくれるため、ちょくちょく利用している。まあ、そう言いながら西住ちゃん実はミルクティーの方が好きだし、会長生絞りミルクティーも作ってみたいとか気の狂ったこと言ってたけど。あれか。私の脇が甘いから駄目なのか。

 注文した珈琲が届いて、ゆっくりと芳香を楽しんでから、西住姉は口を開いた。

「もうすぐクリスマスだな」

「そーだねえ」

「予定は」

「わざわざ聞く?」

「それもそうだ」

 西住姉は極めて面倒臭そうに眉を寄せ、なんと言ったものかと言葉を選びに選んで、そして私が逃げ出そうかと腰を浮かせたタイミングで切り出してきた。

「みほにプレゼントを渡して欲しい」

「は?」

「クリスマスプレゼントを、みほに渡して欲しいんだ」

 そっとテーブルに置かれた包み。真っ赤なラッピングのそれがプレゼントなのだろう。サイズ的には、恐らく西住ちゃんの好きなボコられ熊のボコだろう。

「まあ、その位は構わないけど、郵送でもよかったんじゃないの? というかここまで来たなら直接渡せば……」

「直接渡す分はこっちだ」

 などと言いながらまた別の包みを取り出してくる。そちらも多分ボコなのだろう。

 しかしまたどうして二つもあるのか。そして何故別々の経路で渡そうというのか。小首を傾げた私に、西住姉は懊悩するように言った。

「みほは、まだサンタさんを信じてるんだ」

「はあ?」

 沢山の意味のこもった「はあ?」に西住姉が項垂れた。何を言っているんだお前はという反射的な「はあ?」と、西住ちゃんそんな純粋なまあ普段もある意味純粋だけどそんな無邪気な純粋さがあったのという「はあ?」と、西住姉お前そんなハードブラックでクールな顔してサンタさんとかさん付けしちゃうのという「はあ?」など、本当にたくさんの「はあ?」だった。

「角谷会長。お前も子供の頃はサンタさんを信じていただろう」

「あー…………うん、まあ、一般的にはそういうものだと思うよ」

 両親がおもちゃ屋のチラシで知育玩具を選んでいるのをベビーベッドから眺めてサンタさんの正体を知ったとは言えない。ついでに自身の境遇に絶望を始めたとかもっと言えない。

「みほも純粋な気持ちでサンタさんを信じていた。みほ的な意味の純粋さで」

「不穏な枕詞」

「あれは幾つの頃だったか。小学校三年生の頃だったかな。私はまあ、自分で言うのもあれだが敏い所があってな」

 ねえよ。あったら副官がああなってないよ。などという水はささないでおいた。

「小生意気にもサンタさんの正体を悟ってしまって、まあプレゼントにはわくわくしながら、ちょっと大人になった気分でクリスマス・イヴの夜を静かに迎えようとしていた」

 クリスマス・イヴの(イヴ)って意味的にどうなんだろうなあなどと現実逃避気味の思考を遊ばせては見たが、西住姉の何やら勝手に盛り上がったクリスマス話は逃がしてくれなかった。

「私は当時みほと同じ部屋で布団を並べていたのだが、その日ほど一人部屋がよかったと思った日はな……いや、結構あるな。割と頻繁に思ってたな。うん。ともあれ、そう、イヴの夜だ。私は両親がプレゼントを枕元に置いて行きやすいように、いつもより早く寝支度を整えて、みほを寝かしつけようとした。みほはサンタさんを待つと愚図ったけれど、夜更かしに慣れない子供だからな、愚図りながらも寝入ってしまったよ。私もそれを見て安心して眠りについた」

 西住姉は珈琲をゆっくりと口に含んで香りを楽しみ、そしてその苦味にか或いは思い出の苦味にか定かではないが眉を寄せて顔を顰めた。

「私はみほのやんちゃっぷりを甘く見ていた」

 先が見えるからその辺りで止めて貰えませんかねえという私のアイ・コンタクトは、自称敏い西住姉には通じなかった。

「すっかり夢の中にあった私を深夜の騒音が叩き起こした。金属の器を激しくひっくり返したような騒音だった。そして飛び起きた私を待ち受けていたのはサンタだった。入り口に仕掛けられたブービートラップによって空き缶をたっぷりつめた金盥の落下を喰らった何者かが――ああ、そうだ、サンタクロースに扮した父が慌てて付け髭を付け直していた。そして隣で同じ様に飛び起きたみほは、叫んだ。『お姉ちゃん、サンタさん捕まえた!』とな。私も叫んだよ。『にげてー!』。みほがきらきらした昆虫みたいな目でバットを握ってたんでな」

 どんな地獄絵図だ。

「深夜の大捕り物は凄まじいものだったよ。私が押さえこむのが間に合わず、みほは金属バットをもって意気揚々と獲物を仕留めにかかったんだ。将来プロ野球選手になると言われても信じられる様な遠慮のないフルスイングだった」

 どんなサイコパスだよ。あんなサイコパスだよ。

「とはいえ、まあ、所詮子供だったからな。父も咄嗟に盥で受け止めて、素早くみほの足元を払って転ばせ、バットを奪い取ってしまった。父のあんな声は初めて聞いたよ」

 まあ父親が必死になる声って早々聞かないよなあ。

「『はァーっはっはっは! 残念だったねえ! クリスマスプレゼントは置いて行くぞ! さらばだ!』『まてぇー!』『はァーっはっはっはー!』」

 違った。ノリノリだった。そしてできれば聞きたくないという意味では必死な声より聞きたくない感じだった。

「その後、プレゼントを置いて逃走した父を追いかけてみほも駆け出し、私はおっとり刀で駆けつけた母に事情を説明した。まあ納得してもらうまでに三回くらい同じ話をしたが。それで、母が納得した頃、ようやくあちこちぼろぼろになった父が帰ってきた。『常夫さん!』って、母があんなに心配する声は初めて聞いたかもしれない」

 しほさんとは文通仲間にして胃薬仲間だが、あれほど冷静沈着と胃痛という言葉が似合う人がそこまで動揺するのはちょっと想像できなかった。しかしあれで家族思いな人だ。情が深い人だ。凄く心配したんだろう。

「『常夫さん、大丈夫なの?』『ああ、うまく撒いたよ』『……みほは?』『……あっ』。母があんなに綺麗に一本背負い決めるところも初めて見たよ」

 西住家意外にアグレッシブだな。というか小学生の娘相手に本気で撒いたのかよ。なんという大人げなさと呆れるべきか、大人に本気出させた西住ちゃんのプレデターっぷりを恐れるべきか。

「まあ結局その後すぐに菊代さん……うちの女中さんが寝こけてるみほの首根っこ引っ掴んで『そこで拾いました』って持ってきてくれたから良かったが。ともあれ、サンタさんを目撃してしまったという経験が、かえってみほの中でサンタさんの実在性を高めてしまったらしくてな。小学四年生、五年生と設置される罠のレベルが上がって、父の逃走スキルも上がっていったよ。まあ流石に五年生のクリスマスに母が怒って禁止したんでな、みほもそれで大人しくなったよ」

 まあ、そりゃあ禁止するよね。

「流石に六針縫ったからな……」

 思ったよりもそりゃあのレベルが高かった。

「問題は黒森峰に入学してからだった。普通は親元から離れれば、どうしたってサンタ不在に気付く。だが私はふと思った。もしサンタが来なかったら、今度は罠で待ち伏せるのではなく自分から狩り出しに行くのではないかと」

 お前は妹を何だと思ってるんだ。

「無関係のバイトサンタやコスプレサンタが犠牲になることを恐れた私はそれから毎年、殺意の上がり続ける罠を潜り抜けてプレゼントを置いてきたんだ」

「…………普通にさー。バラしちゃえばよかったんじゃないの? サンタなんていないって」

「勿論そう考えたことも一度や二度じゃない。しかし」

「しかし?」

「今まで騙していたのかと言われると思うと心苦しくてな……」

「あー……」

「まだ死にたくなかったんだ……」

「妹を何だと思ってるんだ」

「ヨハン・リーベルト」

「モンスターじゃん」

「ああ」

 すっかり項垂れた西住姉はまるで懺悔でもしているようだった。まあ実際懺悔みたいなものなんだろうけれど、そういうのは壁か神様にでもしてほしい。とんでもねえあたしゃ神様じゃないよ、だ。

「それでまあ、なんだ。お前には大洗でのサンタさんになって欲しくてな」

「まあ……構わないけどさあ」

 どうせクリスマスは同衾するだろう。そうなれば枕元にプレゼントを置くくらいは訳はない。最初から罠の内側にいれば侵入者に対する罠などあってないようなものだ。その頃、散々弄られた私に体力が残っていればだが。

 私の了承に、西住姉はすっかり安心したように脱力し、冷めた珈琲を飲み干した。

「でも私もすぐ卒業だし、来年はどうすんのさ」

「どうせ冬期休暇でみほの所に来るか、みほがそっちに行くだろう」

 ご明察だ。

 私もコーヒーを飲み干し、会計を済ませ、連れだって店を出る。この後どうするのかと聞けば、西住ちゃんに会って家族用プレゼントを渡して食事でもするとのことだった。なんだかんだ言いながら西住姉は相変わらず西住ちゃんのお姉ちゃんだったし、西住ちゃんの方でもきっとそうなのだろう。

 余談だが、別れ際、ふと気になって尋ねてみた。

「ところでさー」

「なんだ」

「黒森峰でさ、どうやって西住ちゃんの部屋に侵入(はい)ったの?」

「ヘアピン位、何時でも持っているだろう」

 今夜からはドアチェーンのありがたみを噛みしめそうだ。

 

 そうして迎えたクリスマス・イヴ。

 ケーキとローストチキンの並ぶ食卓で、私は西住姉との約束を破ることになった。

 別に私が率先して暴露したわけではない。恐ろしく面倒だとは思うが、それで約束を破るような人間ではない。

 しかし、西住ちゃんの方から切り出されたのでは話は別だった。

「会長さん」

「なんだい、西住ちゃん」

 西住ちゃんは珍しく迷うように視線を泳がせ、それから至極面倒臭そうに無表情で切り出した。

「もし今夜お姉ちゃんが来たらごめんなさい」

「へっ?」

「実は、お姉ちゃん、未だに私がサンタクロースを信じているんだって信じ込んでて、毎年枕元にプレゼントを置いて行くんです。それで、もしかしたら今夜もここにくるかもしれなくて……私の家の方に行くかもしれないですけど」

 ご迷惑おかけしますと頭を下げる西住ちゃんに少しぽかんとして、それからなんだか可笑しくなって、どうやってプレゼントを置こうかと考えていた私はすっかり脱力してしまった。

「なあんだ」

「?」

「実はね」

 私は隠しておいた西住姉のプレゼントを取り出して、洗いざらい喋ってしまうことにした。

「……お姉ちゃんったら…………」

 呆れて疲れて溜息を吐く西住ちゃんなんて、レアなものを見せて貰った。

「まあ、妹思いでいいお姉ちゃんじゃない」

「聞こえはいいですね」

「実際は?」

「ちょっと重いです」

 兄弟姉妹のない私にはちょっと羨ましい関係ではある。もっとも、私に『普通の』兄や姉、弟や妹がいたら、今よりもっと面倒だっただろうけれど。

 しかし西住ちゃんも流石にこの年までサンタさんを信じていることはなかったか。じゃあいつまで信じていたのかと聞けば、しほさんに怒られたときに、本当はねと教えて貰ったらしい。子供の無邪気な信仰を壊してしまうのは親として心苦しかっただろうが、そりゃあ流血沙汰になったら仕方がないか。西住ちゃんも西住ちゃんで、ちゃんと正体がわかってしまえば、合理性のない習慣の意味は理解できなくてもクリスマスの構造は分かり、すっきり納得したらしい。

「うん?」

「どうしました?」

「えっ。でも西住ちゃん、黒森峰でも罠仕掛けてたんだよね」

 サンタがいないと知っていたなら、もう罠なんて仕掛ける必要はなかったはずだが。

「ああ……だって、深夜に侵入者があったから気持ち悪かったので」

「え。それって」

「プレゼント見つけてお姉ちゃんだってわかりましたけど、気持ち悪いものは気持ち悪いので」

「うわあ……」

 ガチな侵入者対策だった。

「それこそ本人に言えばよかったんじゃあ……」

「鍵閉めてる部屋に侵入してくるような人に直接言うのって激昂されそうで怖いじゃないですか」

「完全に犯罪者を見る目」

「しかも毎年トラップ解体してくし、警報切られるし気配消されるで私起きられないし、そんな人怒らせるの怖いですし」

「君ら姉妹揃って酷いなあ」

 はあ。

 しかし何だかすっかり気が抜けてしまった。

 長話で同じく気の抜けかけたシャンメリーをこくこく呷って喉を潤していると、西住ちゃんがとん、とテーブルに包みを置いた。

「何だか変な話でムードなくなっちゃいましたけど」

「いつもムードないけどね」

「私からのクリスマスプレゼントです」

 フムン。

 私から西住ちゃんへは、まあ、安牌のボコを選んでしまった訳だけれど、さて西住ちゃんからはなんだろう。ちょっと想像できない。またアクセサリー関係だろうか。どうも既製品らしくない包装を丁寧に開くと、それは大判の本のように見えた。しかし本にしてはタイトルがない。冬の夜の様な透明感のある黒い表紙の、ベルベットの様な手触りはどこか懐かしい。憶えはない。しかし不思議な懐かしさがこみ上げてきた。忘れるということを知らない私の脳の中で、蓋をされていた記憶が揺さぶられるのを感じていた。

「開けてください」

「え」

「本題は中身です」

 それは、そうだ。

 しかし私は表紙を撫でたまま、何故だか暫くの間、開くことが出来ずにいた。西住ちゃんは観察するようなあの昆虫の目で、じっとそれを眺めているようだった。不思議と渇きを感じる喉をシャンメリーで湿らせて、私はえいやっと勢いをつけるようにして本を開いた。いや、それは本なんかではなかった。樹脂製のポケットが並んだ頁と頁の間に挟み込まれていた空気の粒子が勢いに散らされて鼻腔に潜り込んで、私の記憶をガツンと殴りつけた。それは特別な匂いではなかった。良い香りという訳でもなく、悪い臭いという訳でもなかった。それはかつて普通だった匂いだった。そして今は手の届かない場所の匂いだった。

「なん、なんで、なんで西住ちゃんがこれ(、、)を」

「気に入っていただけましたか?」

「これは、そんな、だって、これ(、、)は、」

 私はそれ(、、)から目が離せなかった。それは本ではなかった。そんなものではなかった。それはアルバム(、、、、)だった。

 懐かしい家の匂いに包まれて、収められていたのは私だった。私の写真だった。私と、私の家族の写真だった。嘗て角谷杏が、ただの子供でいた時の写真だった。

 混乱するままに頁を捲れば、赤ん坊の角谷杏は徐々に成長していった。私から見ればその端々に、子供が持っていてはいけない冷めた知性が見て取れた。人間の両親の間に生まれてしまった、人間じゃないものの絶望の影が見えた。私がずっと感じていたものがそこには写り込んでいた。

 そしてなによりも。

「……わらって、る」

 私の知らなかった、私の気づかなかった、角谷杏の喜びがそこにあった。角谷杏の安らぎがあり、角谷杏の嬉しみがあり、角谷杏の幸福があった。そしてそれを共に喜び、共に安らぎ、共に嬉しみ、祝福する両親の姿があった。

 私はずっと、間違った家に生まれてきたと思っていた。間違った生まれ方をして、間違った育ち方をしたと信じていた。だから両親を失望させ、両親に見捨てられ、独りになったのだと。そうだったのかもしれない。間違った家に生まれてきたのかもしれない。間違った生まれ方をしたのかもしれない。間違った育ち方をしたのかもしれない。でも、それでも。

 二人が私に注いできてくれたものに、私が二人から受け取ったものに、何一つ間違いなんかなかった。何一つ、何一つとて。

 最後のページには、写真の代わりに、一枚の手紙が入っていた。開いてみれば、沢山の、沢山の言葉が、分かれていた時間を埋めるように、本当にたくさんの言葉が詰め込まれていた。そしてそれはたった一言に集約されて、私を打った。

 私たちの娘へ。

 何の変哲もない、有り触れたただ一言が、私の胸の裡から百万の言葉よりも大きな奔流となって溢れ出た。それ以上は不思議と文字がぐちゃぐちゃになって私には読めそうになかった。おまけに鼻水も出てきて、呼吸も乱れて、おかしいな、風邪でも引いたのかな。それともアレルギーかな。おかしいんだ。西住ちゃん。西住ちゃん。おかしいよ。なんだかぐちゃぐちゃで、何が何だかわからないんだ。嘘。本当は全部わかってる。わかってるよ。だから安心してよ。自分で用意したサプライズなんだから、そんな驚いて抱きしめてくれなくたって大丈夫だよ。慰めなんていらないんだ。悲しい訳じゃない。辛い訳じゃない。怖い訳じゃない。

 ただ、なみだがとまらないんだ。

 

 その夜私は、西住ちゃんの腕の中で泣いた。

 物心ついてから初めて、大きく声を上げて泣いた。

 その日角谷杏は、生まれて初めてちゃんと産声を上げたのだと、そう思う。

 生んでもらって十八年も経って、ようやく私は、ちゃんと二人の子供として、生まれてこれたのだと思う。

 

 

 

 翌朝。

 私は差し込む朝日に起こされて、涙で腫れぼったい目をこすりながらベッドを抜け出した。

 一晩中私をあやしていた西住ちゃんはまだぐっすりと眠っていて、私の相手をしていて片付けられなかった食卓は昨夜のままだった。

 すっかり乾いてしまったケーキやローストチキンの再利用方法を考えながら、私は顔を洗い、歯を磨く。そして小山に今日は一日働かない事をメールで宣言して、携帯電話の電源を切る。

 ドアの鍵を確認し、ドアチェーンをしっかりかけて、家じゅうのカーテンを閉めて回ると、勢いよく西住ちゃんの眠るベッドに飛び込んだ。

 準備万端整えておきながらお預けを食らって、全く意味が分からず共感も出来ないなりに一晩頑張って我慢してくれた恋人に、報いとしてプレゼントを捧げなければならないのだ。

 西住ちゃんの大好きなお約束のプレゼントを。

 

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