光のみほ杏で浄化されたり闇のみほ杏で安らいだりしたい。
それは単なる気紛れからだった。
河嶋が生徒会室に忘れて行った本を暇潰しに手に取ったのが悪かった。タイトルは「良くわかる心理掌握」。生徒会役員として生徒や部下をうまく使いたいという河嶋らしいチョイスだ。似たような本を読んでいた事が何度かある。
何とはなしにページをめくっていると、気になる内容があった。それは、少し普通の人間とは違う性格を当てるとかいう心理診断のページだった。そんなページを読みふけっている時に、目下気になっている「少し普通の人間とは違う」彼女がやってきたら、まあ、他にやることはなかった。
「お疲れ様です、会長さん」
西住みほ。私の恋人にして、今もその精神構造を把握し切れていないでいる、理解の及ばない少女。彼女の姉は、血のつながった実の妹を明確に異常扱いしている。彼女に憧れ崇拝しているとさえ言っていい秋山は、彼女の異常性に気づきながらも寧ろそれを指導者としてのカリスマだと見ている。
カリスマか。確かに多くの生徒は、西住ちゃんにカリスマめいたものを感じている。明確にそうだと感じている訳ではない。けれど、西住ちゃんの指示に従うことに疑問を抱かず、西住ちゃんを素直に憧れ慕っている。
もしも生徒会長である私と、戦車隊隊長である西住ちゃん。二人が相反する命令を下したら、河嶋や小山はともかく、他の連中は間違いなく西住ちゃんにつくだろう。現状、西住ちゃんが私を立てているからそういうことにはならないが、もし私が西住ちゃんと敵対することがあれば、敵対するという程ではなくても対立することでもあれば、私は孤立しかねない。
しかし、今の所は、対処するほどではない。盲目的にひれ伏すわけではなく、彼女らは自らの分というものを見つめ、自分に出来る事を見極め、自分たちの長所を磨き、育っている。理想的な成長だ。その原因となる西住ちゃんが理想的な人間ではないとしても。
「……西住ちゃん、ちょっとした心理テストやらない?」
「心理テスト、ですか?」
「河嶋がこんな本置いて行ってね。面白そうだから」
西住ちゃんは、掲げて見せた本をちらと見て、ええいいですよと微笑んだ。
誰もが心を許し、安心するようなそんな微笑み。優しくて、少し気が弱くて、そんな、柔らかな少女を演出する作り物の笑顔。そんな風に思ってしまうのは、私がおかしいのか。誰もが認める西住みほの笑顔を、仮面だとしか思えないのは、私の方こそおかしいのか。
私は本を開いた。
サイコパス診断という、そのページを。
「じゃー、最初の質問ね。夫の葬儀中、そこに来た夫の同僚に一目ぼれをした未亡人。その夜に息子を殺害した。その理由とは?」
第一問からショッキングな内容だ。なんだか怖い質問ですね、と苦笑する西住ちゃん。私もそう思う。私なら何と答えるだろうか。コブ付きでは男性に面倒に思われるから、だろうか。つまり邪魔になったから、だ。しかしまあ、殺す程かとは思う。子供も男性も、どちらも得られるのが最上だと思うが。
「そうですね、息子が死んだら、息子の葬儀にもきっとその方は来てくれるから、でしょうか」
「へ、へえ。また会えるから、か」
ページをめくってみる。サイコパス、つまり精神病質と称される人々の解答例そのものだった。だがまだ一問目だ。
「じゃー、次。西住ちゃんは、自宅マンションのバルコニーに出たら、男が女をナイフで刺している現場を目撃しちゃった。で、その男と目が合った。その男はあなたの方を指差して、一定の動きで手を動かした。これにどのような意味があるか?」
これもまた凄惨だ。えっと、指差して、ね。次はお前だ、とか、そんな感じだろうか。逃げるなよ、とか。
西住ちゃんは考えるように視線をさまよわせながら、想像しているのだろうか、指を動かしている。一定の動きで。何かを数える様に、とん、とん、と。
「数えてる、んでしょうか」
「え?」
「階数。何階にいるか数えているんじゃないでしょうか」
これから向かうんですから、と微笑む西住ちゃん。
それはつまり、これから殺しに行くから、何階にいるか数えていたのだ、ということか。
ページを捲れば、その答えがあった。
「次はなんですか?」
「え、あ、えっと、うん、じゃあ、第三問。サンタクロースが男の子にサッカーボールと自転車をプレゼント。ところがその男の子は喜ばなかった。なんで?」
促されるままに問題を読み上げる。今度は大人しめの質問で少し安心する。
まあこれは誰でも同じような答えを返すだろう。男の子はきっと、ゲーム機とか、図鑑とか、そういう別の物が欲しかったのだ。最近の男の子はインドア派も多い。もしくはもう持っていたから、貰っても仕方がないとか。
そんな私の温い考えを、西住ちゃんは笑顔で打ち砕く。
「わかりました。サッカーも自転車も、足がなければできないからですね」
男の子には足がなかったから。だから足で蹴るサッカーボールも、足でこぐ自転車も喜ばなかった。誰がそんな発想をするというのだ。誰が情報の乏しい問題文から、そんな境遇を想像するというのか。
楽しげな西住ちゃんの視線から逃げるように、私は次の問題を読みあげる。
「あ、ある家で一家殺害事件が起きたんだ。夫婦とその子供の遺体は居間で発見された。捜査の結果、犯人は犯行後一日以上この家に滞在していたことが判明した。犯人は一体何の為にこの家に留まっていたのだろうか?」
「コンプリートしたかったからですね」
「え?」
「ぬいぐるみと一緒です。折角家族なんですから、揃って眺めたいですもん」
頭痛がしてきた。ぬいぐるみじゃない。人間だ。それを、殺して飾って眺めようというのか。発想がおかしい。前々から人間と物の区別が曖昧なんじゃないかと思っていたが、流石にその発想はまずいんじゃなかろうか。
次の問題を読み上げる勇気がない。もうこの時点ですでにいろいろアウトだし、と頭を抱えかけた所で、西住ちゃんの柔らかな声が響く。
「『あなたはある人を恨んでいる。家に忍び込んでその人を殺害した。それだけでなく、無関係な子供とペットをも殺した。いったいなぜか?』」
ぎょっとして顔を上げる私に、西住ちゃんはにっこりとほほ笑む。
「サイコパスの回答は、『あの世で再会させてあげようとした』でしたっけ」
慌てて本を見下ろせば、問題文も解答例も、その通りだった。
「その本、先日河嶋先輩に借りたんですよ。だから本当は内容知ってたんです」
悪戯っぽく微笑む西住ちゃんに、私はすっかり脱力してデスクに突っ伏した。
内容を知っているのでは、心理テストの意味がない。すっかりからかわれたのだ。
御免なさいと言いながらも楽しそうに笑う西住ちゃんに、私はしかし怒るに怒れない。楽しそうに笑うその笑顔は、どうやら本当に、私で遊んで楽しかったという感情の発露らしく、その位の事で許してしまうほどには、私は彼女にぞっこんだったのだ。
「じゃあ、今度は私が問題を出しますね」
「お、受けて立つよー」
西住ちゃんの遊びに引き続きつきあう事にする。まあ、先程までの結果から見て、私ならサイコパス判定されることはないだろう。
西住ちゃんは本を開くでもなく、微笑んだまま問題文を読み上げる。
「あるところに女の子とサーカスの団長さんがいました。女の子は静かに暮らしたいと思っていましたが、団長さんのせいで無理矢理舞台に上げられて、踊ることを強要されました。でも女の子は笑っていました。何故でしょうか?」
「えーっと。実はダンスが好きだったとか、笑顔が処世術だったとか?」
「ぶっぶー!」
「ぶっぶー!?」
正解不正解があるのか。しかし、無邪気にぶっぶーとかやっちゃってあまつさえ手でバツ印まで作っちゃってまあ、なんだこれ。可愛いなあもう。
「さて次の問題です」
「答えは!?」
「女の子は無理せずおとなしくしていたかったのですが、団長さんに渡された粗末なドレスで、沢山の踊り子たちとダンス勝負しなければならなくなりました。けれど女の子は笑顔で頑張りました。何故でしょうか?」
「んー。開き直ったとか。やけくそになったんじゃない?」
「ぶっぶー!」
「ああ、違うんだ」
「では次の問題です」
「だから答えは!?」
「もー、会長さんは欲張りさんですねえ」
「そうかなあ? 普通に気にならない?」
「じゃあ第一問と第二問の答えです」
西住ちゃんは笑顔で答えた。
「『女の子は恋をしていたから』でした」
「へ?」
「では第三問です」
気にした風もなく続ける西住ちゃん。
「女の子はすっかり疲れ切って、ドレスもボロボロ、足をあげるのも精一杯。寒さに凍えて心も挫けます。でも団長さんがお願いすると、女の子は笑顔で立ち上がりました。何故でしょうか?」
「…………えーっと、この問題ってさ」
「何故でしょうか?」
ぐいぐいと押してくる西住ちゃん。私は既に準備されている答えを出してみた。
「『女の子は恋をしていたから』?」
「ぴんぽーん!」
楽しげに手で丸を作る西住ちゃん。かわいい。けれどその意図が読めない。
作り物の笑顔の向こうで、こちらをじっと観察するガラス玉みたいな目がある。
「では第四問。女の子は遂に自分のお姉さんとも勝負しなければならなくなりました。大好きなお姉さんに勝たなければならなくなりました。お母さんも見ている前で、綺麗なドレスに素敵なダンスを見せるお姉さんに、有り合わせなドレスとへたっぴなダンスで挑まなければなりませんでした。それでも女の子は笑顔で勝つと誓いました。何故でしょうか?」
「それはさ、それは、西住ちゃんに、悪い事をしたと、」
「何故でしょうか?」
「…………女の子は」
「何故でしょうか?」
「『女の子は恋をしていたから』」
「ぴんぽーん!」
「ねえ西住ちゃん、これ心理テストじゃないよね。私が何かしたなら、」
「次の問題です!」
「ッ」
「女の子はやっと平和になると思ったのに、また戦わなければいけなくなりました。今度こそ勝ち目は見えません。どうやったって勝てそうにありません。賞金も名誉も手に入れて、おうちに胸を張って帰ることもできました。それでも女の子は、笑顔で戦いました。何故でしょうか?」
「…………『女の子は恋をしていたから』」
「ぴんぽーん!」
お腹がぐるぐるする。慣れきった胃痛がする。胃なんだか腸なんだか知らないけど、とにかくそこらへん。先ほどからの質問はなんだ。なんなんだ。妙なメタファーだけど、これは、これらは全部、西住ちゃんの事だ。西住ちゃんが大洗に来てからこなしてきた、やらされてきた戦いの事だ。
何を言わせたい。
何をさせたい。
じっと見つめるガラスの瞳を、見つめ返すことが出来ない。
「…………女の子は、自分を大変な戦いに巻き込んで、とっても苦労させた団長さんに、愛の告白を告げました。何故でしょうか?」
「…………仕返しに、私で遊ぼうと」
「『女の子は恋をしていたから』」
「……ッ! 止めてよ!」
聞いていられない。私は勢いよく立ち上がり、感情のままにデスクを叩いた。ばん、と自分でも驚くくらいに、静かな部屋に音が響いた。
西住ちゃんはただ黙ってこちらを見つめている。
私はそれを見つめ返すこともできない。
お腹が痛い。耳の奥がキーンとする。喉がからからに乾いて、ただ立っているだけなのに足元がふらつく。呼吸の仕方を思い出せない。何をそんなに動揺しているのか。何をそんなに興奮しているのか。
何をそんなに、否定したがっているのか。
やがて西住ちゃんは続けた。
「次の問題です」
「……やめてよ」
「女の子が告白すると、団長さんはほろほろと泣き出しました。団長さんは女の子の告白を受け入れてくれました。でも女の子の気持ちを信じてはくれませんでした」
「やめてって……」
「自分がただの玩具で、遊ばれているだけなのだと、いつか終わる事なのだと、信じてくれませんでした。愛を囁いても口づけを交わしても、信じて貰えませんでした」
「……ほんと、やめて……」
「それでも女の子は好きですと言い続けました。何故でしょうか?」
「やめてよッ!」
「『女の子は恋をしていたから』」
そうだ。そうであって欲しかった。西住ちゃんが本当に私の事を好きでいてくれたならと、ずっと思い続けてきた。でもそんなことはありえないと知っていた。信じていた。何故そんなことに今更触れるのか。これで終わりだからか。これでおしまいだからか。何もかも終わらせるために、私を弄んでいるのか。
耳を塞ごうとする私の頬を、西住ちゃんの掌が痛い位に掴んできて、無理矢理に目を合わせられる。
そこにはもう、さっきまでの仮面みたいな笑顔はなかった。神様が中身を作り忘れてしまったみたいな能面みたいな無表情で、ただ口元だけは物凄い力がこもって、ぎりぎりと奥歯を噛みしめて、今にも自分で自分の歯を砕いてしまいそうな、それはそれは恐ろしい形相だった。
「信じて貰えなくて、どうしたらいいかわからなくて、でも気づいたら自分でも止まれなくて、それでも女の子は諦められませんでした」
押し殺したような声で、西住ちゃんが言う。
「だって、女の子は恋をしていたから」
今にも人を殺しそうな、或いは今しがた胸糞悪い解体作業でも終えてきたような、そんな恐ろしい気配を乗せたものすごい形相は、でも、けれども、私にはなんだか泣き出すのを堪える子供のようにも見えたのだった。
「どうしたら。何をしたら会長さんは信じてくれますか?」
この怪物は、何処までも人間の物真似がうまい、人を欺く天才は、しかし泣き方さえも知らずにむずかる子供なのだった。
抱きつき、縋りついてくる西住ちゃんに、しかし私は返す言葉を持たなかった。
好きだと言って貰って嬉しかった。愛していると囁かれて心躍った。離れたくないと抱きしめられて胸が弾んだ。
けれど、信じることだけは出来なかった。
真っ直ぐに不器用に、ただただ直向きに突き付けられている好意を、しかし私は信じることが出来なかった。他にはないとわかっていながら、それでも信じることが出来なかった。
もしかしたら本当なのではないかと、今度こそ大丈夫なのではないかと、受け入れそうになる度に私の中の私がそれを否定した。
お前が誰かに愛される訳がないと、角谷杏の十七年が否定するのだった。
少女の恋心を受け止めようとした瞬間、私の全身は痙攣し、堪えきれず西住みほの肩越しに吐瀉した。胃を痛めていたのだろうか、血混じりの吐瀉物。それに汚れながら、それでも西住みほは角谷杏を抱きしめてくれた。
そのことにさえ、信じるというただそれだけのことをできない私は、ごめんと呟くことしかできなかったのだった。