初夢というのが実際の所、何日の夜に見た夢の事を言うのかは諸説あるらしい。元日から二日の夜にかけての夢であるとか、二日から三日の間であるとか、或いは大晦日から元日にかけての物であるとか。
複数の答えがある場合、私は一番面倒が少ないものを自分の答えとして選択することにしていた。こだわる理由もないのだ、その時々の自分の都合に合わせるのが一番現実的だ。
だから私は大晦日から元日にかけての夜に見る夢を初夢とすることにした。西住ちゃんの、角谷観音大開帳二年参りとかいう企画物のAVじみた発想に付き合ったために、実際に眠りについたのはカウントダウンもほったらかしに私の体がどこまで耐えられるかカウントをしやがった後の、つまりは元日になってからだったし、一年の初めに見た夢という意味ではまあ間違いないだろう。その他は色々間違いばかりな爛れた夜だったが。
気絶するように眠りに落ちて、その後は多分西住ちゃんがいつも通り熟練の精密加工業者じみた手つきで私を丁寧に清めてくれたのだろうが、そんなことにも気づかないくらい私はぐっすりと寝入っていた。年末となれば生徒会の仕事も忙しいし、打ち上げやらなんやらを終えた後にさらに西住ちゃんとご飯食べてテレビで年末特集見て筋トレ以上に全身の筋肉を酷使される室内運動に励んだのだ。随分疲れていたのだろう。
私は自分が会長執務室の地味にくたびれてきた執務机に向かっていることを発見して、ああ、夢かと気付いた。なにしろ私の夢だから、生徒会長室の光景は現実と寸分たがわぬ再現っぷりだったけれど、それでもすぐに夢だと気付けるのは、どうしてだろうか。私は昔からすぐに自分が夢を見ていることに気づいてしまう性質だった。夢の中なのに夢中になれない。けれどそれで特別疲れるという訳でもないから、不便でもない。ただ何となく客観視してしまって、素直に夢を夢として楽しめないだけだ。流石に戦車道の練習中に頭を打って、臨死体験を明晰夢で過ごしてしまった時はもう少し切羽詰ったり焦ったりするべきだったとは思うが、自分が死にかけているなんて気付かなかったのだから仕方がない。おまけにその夢には西住ちゃんが出てきてしまったのだから、柄にもなくじぶん語りなどしてしまったのも仕方がない。
ともあれ、私は夢を見ていた。初夢だ。
窓の外を眺めてみても、富士山なんて見えないし、鷹も飛んでいなければ茄子も転がっていない、現実と変わり映えしない面白みのない会長室ではあったが、とにかく夢だった。幸先が悪いのか、今年一年も平常運転でいけるのか、どちらだろうか。どちらにしてもあんまり変わらない気はする。
眼下に見下ろす大洗の街並みは昨日見た景色と何一つ変わらなかった。西住ちゃんのお気に入りのコンビニは相変わらずアルバイト募集の張り紙を若干斜めに張り出していたし、通学路の一時停止の標識は戦車に小突かれて傾いたままだ。そういった細々としたものに逐一目を止めてみても、何一つ変わらなかった。まあ、それもそうか。私の頭の中でエミュレートされているのだから。
平和で良い事だと思うべきか、何か重大な異変があっても私の認識が更新されない限り対処されないのだと不安に思うべきか悩むところだ。暫くぼんやりと大洗の街並みを眺めていると、かりかりと何やら書き物をする音に気付いた。手元を見てみたが、ハイパーグラフィアでもなし、手が勝手に書き続けるのだ、というようなことはない。寧ろ書き物なんてしなくて済むならしない方が気楽でいい。
ではどこからとぐるりを見回してみると、そこに西住ちゃんがいた。いる、のだと思う。多分それは西住ちゃんなのだと思う。恐らく西住ちゃんらしきものが、応接セットのソファにいて、机に置いたノートに何やら書き込んでいる。
どうしてそれが西住ちゃんだと思ったのかと言えば、使っているノートとペンがボコられ熊のボコとかいう企画段階で誰か止めなかったのかというキャラクターの物であることとか、かりかりと澱みなくつづられている文字の筆跡が見慣れた西住ちゃんのものと一致する事とか、文体も読みなれた西住ちゃんの癖があったりとか、脇目もふらずに真剣に書き綴っている内容が戦車隊の今後の事についてだったりとか、そういう諸々からの判断だ。
そしてどうしてそれが西住ちゃんだと断言できなかったのかと言えば、それがどうにも見慣れた西住ちゃんの姿をしていなかったからだった。
それはキラキラと光る水晶の塊のように見えた。彼方此方に野放図に結晶が伸びていて、その伸びた先でもまた結晶が花開いていく。その周囲には衛星の様に幾つもの結晶が漂っていて、点でバラバラに周回しているようだ。全く落ち着かない不安定な結晶構造にも、ふらふらと気まぐれな軌道にも見えたが、それはそれなりの秩序だった法則に従っているようだった。
机の上に出現させた袋から干し芋を取り出して、もそもそと齧りながらぼんやり眺めていると、水晶の塊はふと顔を上げた、ように思う。そうして衛星をふらふらと広くめぐらせて、そして私の方に結晶を花開かせた。
「あれ。会長さん」
「や、西住ちゃん」
推定西住ちゃんの声は、普段聞いている西住ちゃんの声と何ヘルツも違うようには感じられなかった。少なくとも、いつも52ヘルツの声で生きているんじゃないかと思える西住みほの声と変わりないとは思えた。
「なんだ、夢ですか」
「そうだねえ、夢だね」
西住ちゃんも大概察しがいい。何しろ人の手を借りてとは言え、人の夢の中にまで押しかけてくる様な手合いだ。肩を回す様にぱきぱきと水晶が起き上がり、ペンがころりとノートに転がされた。
「寝る前に来年の方針を纏めておこうと思ったんですけど、寝落ちしちゃったみたいですね。うーん、勿体ない。このあたりからかなあ。また書き直すの面倒臭いです。会長さん覚えておいて後で写して下さいよ」
「最近西住ちゃん大分人を使うようになってきたねえ」
「会長さんはともかく会長さんのスキルは使い減りもしない便利アイテムだと思ってます」
「その人格と能力を完全に切り離せる思考凄いよねえ」
私をぬいぐるみ代わりに抱っこしたり甘えたりして来る癖に、時折完全に物を見る目で人をインスタントカメラ代わりに使おうとするからなこの西住。あと電卓とか、翻訳機とか、買い物のメモ帳とか。それ全部君の持ってるケータイで出来るからね? 会長さん、ってツーカーですからと言わんばかりの視線一つで使っていいものじゃないからね? 使われてるけどさ。
「それにしても、今日はなんだか変わった格好をしてるね」
水晶の塊のような姿をさして言って見れば、多分首でも傾げたのだろう、水晶ががしゃがしゃと傾き、衛星がくるくると頂点で巡る。
「そうですか?」
「まあねえ。普段は曲がりなりにもちゃんと人間の顔してるのに、今日はすっかり珪素生物みたいだ」
「普段通りのつもりなんですけれど。いつもの私ってどんな感じですか」
「うーん。まあ、こんな感じかな」
干し芋をちょいと振ってやれば、部屋の片隅に普段の西住みほの姿が投影される。普段のと言っても、私の前での普段だ。表情に乏しく、硝子の様にキレイな目ばかりがやけに生々しい。
「へえ。他の皆さんはどんな感じですか?」
私はリクエストに応えて、河嶋、小山とはじめて、戦車隊の一同の似姿を部屋の中に作っていった。私の記憶から再現しているのだ、実物と大差あるまい。しかし西住ちゃんは興味深そうにいちいちへえとかふうんとか声を上げ、結晶をきしきしと花開かせた。
「会長さんにはそう見えているんですね」
「西住ちゃんは違うんだ」
「そうですね。まあ、会長さんみたいにそういう器用な事は出来ませんけど」
私の夢の中だし、西住ちゃんにはそう自由には出来ないのかもしれない。しばらく結晶をきらきらと揺らしていたけれど、何も生み出せはしなかった。
似姿とは言え流石に三十人以上も執務室に詰め込むと息苦しいので、私は干し芋を振ってそれらを消してしまった。そうしてまた、西住ちゃんらしき水晶のきしきしいう音だけが部屋に残った。
「西住ちゃんにはどういう風に世界が見えてるんだろうねえ」
「普通だと思いますけれど……概ねそんな感じですよ?」
言われて自分を見下ろして、私は私の姿を知った。机の引き出しから取り出した手鏡で、自分の顔を覗き込む。
ああ。
目が覚めた時、日はまだ登っていなかった。
ベッドには私一人だけで、寝間着は清潔な石鹸の匂いがした。
起きて居間に出ると、テーブルに突っ伏して西住ちゃんが寝落ちしていた。枕代わりにされて皺のよったノートを引きずり出してみれば、もにゃもにゃとミミズののたくったような眠気との争いの経緯。苦笑しながらその型に毛布を掛けてやり、そっと消しゴムでミミズたちを消して、夢で見た通りの内容を丁寧に書き直してやった。
洗面所に向かい、冷たい水で顔を洗って、タオルで顔を拭きながら、ふと鏡を見遣る。相変わらずの童顔が、首筋に跡を残して眠たげな顔をしていた。むにむにと頬を抓って見たが、夢で見たようにはどうやったってならなかった。
部屋着に着替えて今に戻ってみると、西住ちゃんが眠たげながらもきろきろとした目で真っ直ぐに此方を見ていた。
「おはよう、西住ちゃん」
「何処か行ってました?」
「別に、顔洗ってたけど」
「電話とか」
「してないよ」
何かと思えば、西住ちゃんは大きな欠伸を一つ洩らして、それから気ままな猫のようにするりと立ち上がって私の首筋に顔をうずめた。
「おめでとうございます」
「うん? ああ、うん、あけましておめでとう」
「それもおめでとうございます」
「うん?」
「誕生日、おめでとうございます」
額に額をつけるようにして、硝子みたいな目で覗き込んでくる西住ちゃんをきょとんと見返せば、私が最初ですねと喉を鳴らしてくる。
随分と子供っぽい事を言うものだからおかしくなって、私はその鼻先に軽く口づけた。
きょろりとより目になる西住ちゃんのへんな顔を眺めながら、私は囁いた。
「愛されてる?」
「愛してますよ」
水晶が瞳の奥で煌めいた。