真剣で私に恋しなさい!X   作:テンペスト

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第三十二話 由紀江の世界

障子に日光が照らされ、部屋を明るく染める。

そして外からは小鳥のさえずりがまるで歌っているかのように駆け巡っていた。直江大和はそんな朝に目を覚ます。

気持ちの良い朝だ。昨夜は風間翔一やあの後尋ねてきた九鬼家の人間と大騒ぎしたものの、由紀江とその母が精魂込めてく作ってくれた夕食のおかげで楽しいものとなった。

更には風呂も島津寮のような温泉ではないものの、ヒノキで作られた湯船という事もあり大和の疲れは見る見る癒され、結果起きることに何の抵抗も持っていなかった。

 

 

「ふぁぁ~っ………顔でも洗うか………」

 

 

大和はパジャマから普段着に着替え、黛邸を動き回れる格好になる。

洗顔するべく部屋を出た矢先に由紀江と鉢合わせした。

 

 

「大和さん、おはようございます」

 

 

彼女は大量の洗濯物を入れた籠を抱えている。

久々の実家という事で洗濯の手伝いをしているようだ。しかし圧倒的な家事スキルを持つ彼女が割烹着を着込んでいるだけで映えている。

 

 

「おはようまゆっち。 松風も」

 

『オラへの挨拶を欠かさない大和坊にシゲキ賞決定イェアー!』

 

「朝っぱらからそのテンションとは変わらないな………」

 

 

由紀江と松風に挨拶を済ませた彼はそのまま洗面所へと向かう。

この家は全て井戸、つまり地下水から直接水を引いているらしく、都会の水とはまた違った清涼感があった。

顔を洗うもよし、飲むのもよし、料理するもよしと言う事無しだ。

 

 

「大和さん、朝食の準備が出来ましたのでどうぞ食卓の方へ」

 

「はーい」

 

 

顔を洗い終えると丁度いいタイミングで由紀江が声をかけてくれる。

彼女の言うとおりそのまま食卓に向かうとほかほかの白米に味噌汁、焼き鮭と一般的な和風の朝食が並べられていた。

机の周りには父親である大成、妹の沙也佳、そして翔一が既に座っている。

 

 

「おはよう大和君」

 

「大和さん、おはようございます」

 

「おう大和! おはよーさん! うっはー、いいねぇいいねぇこの朝メシ!」

 

 

大成と沙也佳の挨拶もまた穏やかで礼儀正しいものだった。一方の翔一は礼儀もへったくれもないものであるが、朝食を前に待ちきれないようだ。

 

 

「さぁ座りなさい。 今日の朝食は由紀江が作ったものだよ」

 

「まゆっちのご飯には川神の寮でもお世話になってます」

 

「由紀江らしい。 あの子は尽くすことが好きな子だからね」

 

(まぁお姉ちゃんの場合はお友達のためと……大和さんのためだろうけどね)

 

 

久々に娘の手料理が食べられるという事で心なしか大成も嬉しそうだ。

沙也佳もそれは同じであるようだが、姉の胸中を的確に見抜いている。そんな会話を交わしていると由紀江が大和の隣に座る。

遅れて彼女の母親も一礼して大成の隣に着席した。

 

 

「お待たせしました。 それでは頂きましょうか」

 

 

由紀江の一言で全員が朝食に箸をつけた。大和以外は。

心なしか彼女は自分の家であれば、普段の頼りない印象はさっぱりと無くなり、寧ろ頼り甲斐のある女性となっている。

思わず大和も感心して、彼女に目を向けてしまっていた。その視線に気づいた由紀江は顔を赤くしてしまう。

 

 

「や、大和さん? どうなされました?」

 

「あ、いや。 まゆっちって家の中だととても頼りになるな」

 

「いえいえ! とんでもない!」

 

(褒められているんだろうけど、一方で川神じゃ頼りになってないって事だからねお姉ちゃん)

 

 

改めて由紀江の家庭的な面に大和は関心を寄せていた。

が、沙也佳にはしっかりと普段の彼女がどんな生活を送っているのか大体わかってしまった。

 

 

「んめぇーっ! 昨日の晩メシと言い、まゆっちの家族って料理上手だなー!」

 

「きゃ、キャップさんありがとうございます。 お代わりもまだまだありますので」

 

「おう! もっと米くれ!」

 

 

そして相変わらず空気をぶった切る翔一はお代わりを要求。

由紀江もそれに応えつつ、茶碗に白米を盛り付けていく。そんな彼のおかげもあって朝食中の話題は尽きることが無い。

翔一が作り出す話題を、大和が膨らませ、広げる。

 

 

「ほぅ、川神に梁山泊が………また久しぶりに訪問してみるとするか」

 

「はい。 最近は板垣家も門下にしようかっていう動きもあるらしくて」

 

 

大成も娘の友人と話す機会が中々無かったのか、実に楽しそうに会話をしている。

主な話題は川神の話題。大成も剣聖という称号からたまに川神院を訪れているようだが、娘の近況を知るという上でも友達の目線から見た川神はまた違った角度がある。

それを聞くだけでも楽しく思え、娘が充実した生活を送れているという安心感も与えられた。

楽しい時間は、すぐに過ぎ去ってしまう。話題も尽きれば、食事も終わってしまう。

 

 

「「「「「ごちそうさまでした」」」」」

 

「お粗末さまでした」

 

 

全員が綺麗に、食事を平らげていた。

茶碗に関しても米粒一つ残っていない。由紀江も満足してくれたと顔に嬉しさを出している。

そのまま皿を手に取り、洗おうと持っていく。

 

 

「まゆっち、手伝うよ」

 

「いえ、大和さんはごゆっくり………」

 

「いやいや。 元々ここのお手伝いするって約束だったろ?」

 

「………分かりました。 それではお願いします」

 

 

由紀江が手に取ろうとしている食器の半分を、大和が抱えた。

最初は遠慮している大和だったが、口先で彼に勝てるはずも無い。納得してしまい、任せることになった。

 

 

「おーし! 俺も一緒に皿洗い………」

 

「あ、キャップさんは私と一緒に玄関の掃き掃除しませんか?」

 

「お。 それもいいね! やーってやるぜー!!」

 

「と、いうワケでお姉ちゃん。 こっちは任せてね」

 

 

翔一もその中に混ざろうとした。

が、気を利かせた沙也佳の提案に乗り早速走り出していってしまう。沙也佳もあれほどエネルギッシュな人に出会えたことは無かったらしく、楽しそうな目で見ながら後を追いかけていく。

二人も苦笑いしながら、抱えた食器を水場に持っていく。

 

 

「私は食器を洗いますので大和さんはキッチンペーパーで油をふき取ってください」

 

「あいよ。 ついでに洗い終えた食器も乾拭きしておくね」

 

「はい」

 

 

大和は紅鮭から流れ出た脂分を紙でふき取り、それを由紀江に渡した。

水で綺麗に流し終えればそれを大和に渡し、更にそれを乾いた布巾で水気を無くす。そうして綺麗な皿へと戻っていく。

この作業を背中合わせで進めていった。

 

 

「……………」

 

 

黙々と作業が進められる中、大成は二人の様子を見ていた。

剣聖と呼ばれた彼の目はただ何者にも影響を与えることなく、まるで無風の湖面のように静かに見つめている。

効率よく進められていく作業を、上機嫌で洗い物をしている由紀江を、そして殆ど手間を取ることなくしっかりと拭き仕事をこなしている大和を。

 

 

(いきなり友達を……それも男を連れてきたいと言ったときはどうなるかと思ったが……私には分かる。 大和君は由紀江の言う通りの、誠意のある男だな)

 

 

単純な話、娘が心配だった。

そこまで子煩悩ということでもないのだが友達が出来ず、その寂しさの余り松風と一人芝居を始めてしまったことに心配していなかったわけではない。

そんな彼女が突然男を連れてきた、という事実に少なからず警戒と言うほどでもないが気を配っていた。だが卓越した彼の眼が、それは杞憂だったと報せる。

 

 

(それに由紀江のあの表情……こんな些細なことでも、幸せを感じている。 私がどうこう言うべきではない。 由紀江……お前はただ、幸せに過ごしなさい)

 

 

にっこり、と菩薩にも近い微笑を向けた大成はスタスタと部屋を出て行った。

その後も黙々と作業は進み、あっという間に洗い物は完了してしまう。

 

 

「お疲れ様でした大和さん。 いいお手際でした」

 

「寮でもある程度やってたからね。 それじゃ次は道場の拭き掃除でもやるかな」

 

「くすっ。 それではご一緒します」

 

 

一度作業をやってしまうとスイッチが入ったらしく、次のお手伝いにもやる気を見せていた。

腕をまくり、そのやる気を示している。今の彼ならばトイレ掃除であろうと買い物付き合いであろうと何でもしてくれるだろう。

ただ、道場を構えているということで一番苦労するであろう点を大和は見抜いている。由紀江も反対することは無く、ただ彼についていった。

 

 

「さて………うっひゃぁ、これまた広いな~」

 

「川神院には負けますけどね」

 

「あれに勝てる道場があったら見てみたいよ」

 

 

武道館にも匹敵する広い道場を目の当たりにした。

武の総本山である川神院を外見しか見ていない大和であったが、その広さは分かる。50人も門下生を抱えるだけあってスペースは勿論のこと竹刀や道着などの用具も充実している。

壁にかけられている掛け軸は大成が書いたものらしく、習字で書かれていたが大和には読めなかった。

 

 

「さて、これを雑巾で拭くのか………これは骨が折れるな」

 

「はい。 バケツの水も直接井戸から汲みますので」

 

『宣言したからには途中で音を上げるなよー!』

 

 

松風にも発破をかけられてしまった。

元より途中から断念する気など全く無かったのだが、だからといって生意気な馬に一方的に言われて大人しくしている大和ではない。

 

 

「ほほぅ? 言ってくれるでは無いか。 よかろう、ならば俺一人でも拭いて見せるわ!」

 

 

早速バケツに入っている水で雑巾を湿らせ、しっかりと余分な水を搾り取る。

それを広げ、大和は雑巾と共に駆け出した。その距離、反往復だけで凡そ50mもある。

最初の10m辺りはいい勢いで突っ走って言ったのだが段々と失速し始め、そして一往復し、戻ってきたときには足腰がガタガタ震えていた。

 

 

「大和さん、大丈夫ですか?」

 

「………ゴメンナサイ、ミクビッテマシタ……ぜぇ………ぜぇ…」

 

 

あっさりと前言撤回した。やはりこの広い道場を一人で拭ききるには膨大な体力と時間を必要とする。

全てを綺麗にするのには、大和一人ではまず無理だった。よくよく考えれば分かることなのに、時々意固地になってしまうことがある大和だ。

それでも辞めるつもりは無く、汚れてしまった雑巾をバケツにしっかりと浸す。

 

 

「では私は反対側と大和さんが拭ききれていないところを担当しますね」

 

「………まゆっち、家事に関しては厳しいね」

 

「母からみっちり教え込まれましたので」

『まゆっちに家事関係で妥協は許されないんだぜ~』

 

 

確かに彼女の料理はとても美味しい上に掃除などの担当を言い渡された時、彼女の担当した箇所は他の寮生とは一線を画した徹底振りである。

特に風呂場や水周りは清潔感が重要であるため彼女が担当した時はとても気持ちよく使用できる。

そんな彼女の働きぶりに報いるためにも、大和も覚悟を決めた。

 

 

「心得た。 ならばまゆっちのお手を煩わせないように綺ッ麗に掃除してみせる!」

 

「はい。 お願いしますね」

 

 

同じように雑巾を走らせる。先程のようなロケットスタートではないものの、自分なりのペースで綺麗な直線を描く。

その跡が、由紀江の目からもしっかりと見える。同じようにして由紀江も雑巾を水に浸し、床拭きを始める。

―――――1時間後、由紀江ははたきをかけるその手を止めた。

 

 

「これで良し………大和さん、ありがとうございました。 おかげで1時間も早く終わりました」

 

「な、なんのこれしきハハハハハハハハハ」

 

 

相当な体力を使い果たしたらしい大和は空元気で笑っていた。

余り汗を流していると折角綺麗に拭いた床もまた拭きなおさなければならないので着ているシャツなどで一々汗を拭わなければならない。

 

 

「後でお飲み物やお菓子をご用意しますので」

 

「うん、それは是非お願いする」

 

『勿論全部まゆっちの手作りだぜー。 大和のためにと開発してきた………』

 

「松風トップシークレットを明かさないでください!」

 

 

家事に関しては完璧な由紀江であるが、松風との一人芝居はやはり抜けきらない様子だ。

いつか彼女も普通の人付き合いが出来るのであろうか、と少々心配する大和だった。

 

 

「失礼します」

 

「あ、まゆっちのお母さん。 どうも」

 

 

と、そこに由紀江の母親が姿を見せた。

その手にはお盆が抱えられており、団子とお茶が置かれている。

 

 

「こちら、由紀江が作った団子とお茶になります」

 

「どうもわざわざありがとうございます」

 

「ところで母上、これをどこで? か、隠していたつもりだったのですけど………」

 

「くすっ。 親が子を知らぬとお思いですか?」

 

 

さすが母親だけあってこちらも良く似ている。

礼儀正しい箇所も、笑い方などの仕草もそうだ。違うとすれば人との接し方がスムーズな点であろう。

 

 

「道場も綺麗に………本当にありがとうございます」

 

「いえいえ。 こちらも泊めていただいていますから」

 

「後で謝礼を渡しますのでどうぞごゆっくり。 昼食もそろそろご用意いたします」

 

 

由紀江の家事の師匠であるという、彼女から見ても道場は本当に綺麗になったようで心ばかりの礼をした。

娘が尊ぶという「礼」はしっかりと親にも存在するようだ。

お礼の一言とお辞儀を一つした後、由紀江の母はその場を去った。

 

 

「ではまゆっちのお茶とお団子頂きます。 ………ん、美味しい!」

 

「ほ、本当ですか!」

 

「うん。 このお茶、ポッポッと体が温かくなって疲れが取れてくる」

 

『生姜の汁などで作った黛汁だぜ~。 身内以外は中々飲めないんだぜお客さん』

 

 

身内以外には秘伝の一品を出すことすらないらしい。

とすれば相当気に入られているのだと大和も素直に嬉しくなる。

 

 

「この団子もモチモチしていて、それでいて中身はしっとり美味しい。 クセになりそう」

 

「黛団子です。 昔、これを求めて野生動物が従うようになったとか」

 

「まさかどこかで聞いた昔話の真実がここで明かされようとは」

 

 

冗談か真実かも分からない、それでもこの何気ない会話が楽しい。

大和も、由紀江も。いつのかにか彼女は自然に笑っていた。寮でも、金曜集会でもこれほどの微笑みを見せてくれることは中々無い。

そんな幸せを由紀江はかみ締めながら、大和がお茶とお菓子を食べ終えるのを待つ。

 

 

「ごちそうさまでした! 本当に美味かったよ」

 

「ありがとうございます。 さて、午後は昨日に引き続き、北陸の名所をご案内します」

 

「うん、それはお願いしたいね」

 

「昨日は町を紹介したので、今度は自然の風景を見せたいと思います」

 

 

午後もしっかりと予定が立てられていた。

まだ見知らぬ北陸の景色に大和は楽しみにしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「川神流、無双正拳突きぃぃっ!!」

 

「ぐおああああっ!!」

 

 

 

時、同じくしてここは名も無き道場。否、名を付けられぬ道場という表現が正しい。

この道場は代々高級官僚などのSPや護衛を務めてきた一族のもので、故にその存在は公にはされていない。

そこに、川神院の出である百代と一子は合同稽古に出ていた。秘密主義の道場とは言え暗殺家業など裏があるわけではないため、武の総本山たる川神院との交流は存在している。

だからこそ、次期総代候補である百代が稽古としてここに参上しているのだ。一子はその付き添いという形だが、しっかりと稽古に励んでいた。

 

 

「―――――ありがとうございました」

 

 

相手を一撃の名の下吹き飛ばした百代は相手に一礼した。

吹き飛ばされた相手は例に漏れず伸びている。

この圧倒的な実力を晒したことでこの道場は騒然となった。当然といえば当然だが、同時に瞳が輝いているものも存在する。

向上心に溢れている証拠だと、百代は素直に感心していた。

 

 

「お疲れ様、お姉様」

 

「おおワン子。 ピーチジュースとはさすがだな」

 

 

可愛い妹分から好物を受け取り、百代は上機嫌だ。

武道四天王クラスではないものの、この道場の門下生は皆筋がよく百代の戦闘がしたいという欲求も少しは抑えられそうだった。

 

 

「あ、これから基礎訓練が始まるみたい」

 

「ワン子。 基礎訓練は道場によって違うが、吸収するに越したことは無い。 しっかり学べ」

 

「はい! でも、お姉さまもよ」

 

 

甘えているだけの一子ではなく、向上心は誰の目に見てもトップクラス。

この合同稽古から強くなれるための要素を全て吸収しようとするその姿勢は百代から見ても素晴らしいものだった。

一方で真面目に参加するように、と冗談を交えた会話に百代も微笑む。

 

 

「ははは! その通りだ、では私も―――――………ッ!?」

 

 

混ざろう、と言いかけた時だった。

今まで穏やかに微笑んでいた百代の視線が急に鋭くなり、一子とは正反対の位置を向いた。

彼女の視線の先には木の格子―――外に広がる北陸の景色。彼女は、確実に「外」を見ていた。

 

 

「お、お姉様? どうしたの?」

 

「………強い気が、3つ」

 

「え?」

 

 

急に百代の雰囲気が変わったことにすぐ気付いた。

彼女の目は昔見た、九鬼揚羽との決闘の際に見せた強敵と戦う目。

緊張感溢れる彼女の眼光に、一子も少々臆しながら質問するが唐突にはかれたその言葉をすぐに理解することは出来なかった。

 

 

 

 

 

「強い気を持つ者が3人……この北陸に来た。 しかも一瞬だったが殺気に溢れている上にすぐに消して見せた………相当な手練で、危険だ」

 

 

 

 

 

 

百代の言葉に、一子は息を呑まざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――それから数時間後、大和と由紀江は川の傍に来ていた。

 

 

「大和さん、ここの水はとても綺麗なことで有名です」

 

『上流に行けば鮎釣りとかも出来るぜー!』

 

 

故郷のよさを知って貰おうと由紀江のアピールは熱心なものだった。

大和も郷土を愛することはいい事だと思っているので寧ろ好感がもてるし、また機会があれば渓流釣りなども体験してみたいとは正直に思った。

だが、それ以上に言いたいのは彼女が抱えている代物にある。

 

 

「………それは良いんだけどさまゆっち、何で刀持ってきてんの?」

 

 

それは日頃から愛用している刀だった。

無論、真剣であり黛の名に恥じぬ名刀でもある。木刀ならまだ分かるが、刀を包んでいる袋はいつも彼女が抱えているものと同じだったのだ。

温厚な彼女が案内で刀を持ち出すとは何事かと気が気でないのだ。

 

 

「い、いえ。 何でもないんです」

 

『そうだぜー! だから大和は安心してくれて良いんだ! まゆっちが守るからさ』

 

「つまり刀を持ち出さなきゃならん事態が発生してるってのか?」

 

「はぁう!?」

 

 

あっさりと見抜かれてしまった。

大和でなくとも、異常事態であることは理解できそうではあるのだが武道四天王の名を持つ彼女が刀を持ち出さなければならないという事はそれだけ危険度が高い状況であるという事。

ばったりとそんな自体に出くわしてどうにかなるわけでもないが、出来ることなら知っておいて損は無い。

 

 

「………大和さんには敵いませんね。 実は昼食前に強大な気を3つ感じたんです」

 

「それが刀を持ち出す理由?」

 

「はい。 すみません、本当ならそんな状況に大和さんを外に出したくなかったんですけど……」

 

 

申し訳なさそうに由紀江は目線を逸らす。

強大な気、とはつまり彼女と同等かそれ以上の実力の持ち主という事であろう。そんな人物と大和が出会ってしまったらどうなるか。

―――――答えは瞬殺だ。以下に回避能力が高いと言えど所詮は武道の手解きも無い人間が、そんな桁外れの実力を持つ人物から逃げ切れるわけが無い。

 

 

「その、どうしても………外に、出たくて………大和さんと…………」

 

 

礼を尊ぶ由紀江は、そんな危険を冒してまで外に出たい理由を明かした。

確かに久々に故郷を回りたいという気持ちはあった。しかし、それ以上に大和と二人きりでお出かけという、これまでにない体験をしたかったのだ。

 

 

「だったらそれでいいじゃん」

 

「え?」

 

 

簡単に、大和は笑い飛ばして見せた。

それが当たり前と言わんばかりに。先程まで深刻そうな顔色を見せていた由紀江も、思わず呆気にとられてしまう。

 

 

「折角の夏休み、しかも故郷。 楽しまなきゃ損だろ?」

 

「そ、そうですけど………」

 

「ウチは年がら年中トラブル続きだからね。 多少くらいなんてこと無いよ。 ……ってキャップの破天荒さがいよいよ伝染(うつ)ったかなこれは………」

 

 

風間ファミリー、周りからは常識を覆す集団とよく呼ばれている。

実際その通りなのだと大和は感じる。圧倒的戦闘力を持つ武士娘にベンチプレス190キロという脅威のパワーを持つ男、熱心で女装得意なオタクに、エレガンテ・クアットロのツンデレ、そして強運の持ち主。

どれもこれも常識破りと言われても仕方ない面々で、故に普通の日常ではありえない体験を大和は繰り返している。

 

 

「だからさ、まゆっちは気にする必要なんて無い」

 

 

またそう言って微笑む。

実を言えば大和もそんな相手は怖いとは思うし、そもそもトラブルに巻き込まれたくも無い。

だからと言って友達の不安を煽るような男でもなかった。巻き込まれた巻き込まれたで、その都度対処していけばいいだけのこと。

そんな彼の経験値と覚悟と―――――優しさが、由紀江にとって何よりも嬉しかった。

 

 

「………そうですね。 ありがとうございます、大和さん」

 

 

彼の一言が、由紀江に活力を与える。

こんなにも頼もしく、こんなにも温かい男の人は今までに出会った事が無い。だからこそ由紀江は思う、彼に、直江大和に出会えてよかったと。

 

 

「その代わり、マジでそんな相手が出てきたら助けてね。 俺無理だから」

 

「はいっ! 全身全霊でお守りしたします! ………ですから気遣わなくても結構ですよ」

 

 

大和も自分の事を理解している男なので、戦闘はからっきしだと自覚している。

なので戦闘面においては躊躇無く由紀江に頼ろうとしていた。由紀江にとってみれば寧ろ頼られているというこの状況が嬉しかった。

と、その時由紀江が振り返った。その先には腰ほどの高さもある草がぼうぼうと生えた原っぱのみ。

かと思いきや、その草が突然揺れ動きだした。

 

 

「………アタイに気づくとはさすがじゃねぇか」

 

 

そこに、女性の声が聞こえてきた。

女性と言っても由紀江や葉桜清楚のような清い声でなければ川神一子や大友焔のような快活な声でもない。

増してや、板垣辰子のような気の抜けた声でもなかった。

 

 

「あずみさんじゃないか。 昨日以来だな」

 

「よう。 まだ被害は無い様で何よりだぜ」

 

 

九鬼家従者部隊序列一位にして川神学園のSクラス、忍足あずみだった。

彼女はいつも通りのメイドの格好をしている。九鬼英雄行くところ彼女の姿あり、昨日も黛邸には英雄と紋白が挨拶しにきたという事で護衛で付き添っていた。

そのあずみがまだこの北陸にいるという事は、まだ九鬼英雄達もここにいるという事である。

 

 

「被害は無い………って何か九鬼でヤバイことでも?」

 

「………一応言っておくが、英雄様と紋様の滞在は今日までだ。 明日からは予定を切り上げ、極東本部に戻られる」

 

「視察を途中で切り上げてまで帰還させるなんて……何があったんですか?」

 

 

勘が鋭い大和は彼女の物言いからよからぬ雰囲気を感じ取った。

それは由紀江も同じで、眼光が鋭くなる。

 

 

「これは九鬼だけじゃなく、各国の機密情報に触れちまうことだからな。 公には出来ねぇ。 例えアタイの護衛対象でも、な」

 

 

どうやら詳しく話せない事情があるらしい。

世界の財閥である九鬼家のものすら軽々しく口に出せないという事は、それだけ事態の重さをあらわしているという事になる。

だが目聡い大和はあずみの話がまだ終わりでは無い事を知ってしまう。

 

 

「護衛対象? ひょっとして俺とまゆっち?」

 

「正確には直江大和と川神一子だよ。 英雄様と紋様に命令されて、な」

 

「俺? 俺はともかくワン子の強さは甘く見ないほうが………」

 

「川神一子の戦闘力云々の問題じゃない相手が来ている可能性があるんだよ」

 

 

先程からあずみの様子も、余裕が無い印象を受けた。

会話中も相手の話を聞きつつも、周りに常に気を配っている。何かを警戒していることは十中八九分かる。

しかも所々、汗も噴き出している。夏の日差しが原因なのではない、それだけ警戒するだけでも体力を消耗しているという事だ。

 

 

「例えるなら、相手の強さは川神院の師範代クラス」

 

「る、ルー先生や釈迦堂さんと同じレベル!?」

 

「………少なくともヒューム曰く、な」

 

 

あのヒュームがそういうのであれば、ほぼ間違いないだろう。

これは後にメールで受け取った話なのだが、百代も同じ殺気を感じたと言う。

 

 

「とりあえず、アタイは警告に来ただけだ。 無用心にうろつくな、ってな」

 

「……………」

 

「アタイを始め従者部隊も何名かはこの町に残している。 猟犬にも事情を説明したら旅行がてら協力するという約束も取り付けた」

 

 

従者部隊や元はライバル関係であったマルギッテの手すらも借りなければならないほどの相手が北陸に乗り込んできたらしい。

その警戒度は、以前川神に殴りこみに来た斑目風牙のそれを超えている。

 

 

「これからアンタ達のお仲間にも同じ警告をしに行く。 何かあれば従者部隊を頼れ」

 

「分かりました。 ありがとうございます」

 

「礼を言うなら英雄様と紋様に、だ。 アタイは任務を遂行してるだけなんだからな」

 

 

それだけ言うとあずみは身を翻してその場を去った。

護衛対象であるにも関わらずその場を離れるということは、周りにはある程度従者部隊が隠れているということなのだろう。

先程の会話は裏を返せば「周りに従者部隊がつくから知っておけ」という意味でもあった。

 

 

「さて、どうするまゆっち?」

 

「そうですね。 私は大和さんの希望に合わせたいと思います」

 

「俺の? そうだなぁ………」

 

 

大和は悩んだ。それも当然である。

あんな話を聞かされては余り外は出歩きたくは無い。自分にもそうだが、由紀江達にも被害が及ぶ可能性がある以上迂闊な行動は出来ない。

けれども大和は僅かだが見てしまった。由紀江の寂しそうな表情を。

 

 

「………後一箇所。 まゆっちにとって一番って思える場所を紹介してもらったら帰ろうか」

 

「っ! は、はい!」

 

『大和良く分かってるじゃないかー! 安心しな、いざとなったらオラも本気を出すからな!」

 

 

折角の故郷を見て回れないのは由紀江にとっても悲しいことだろう。

ならば責めて彼女が最も回りたい場所に行く、それが大和の判断だった。彼女にとって「一番の場所」を紹介してもらえれば大和にとっても由紀江にとっても満足でき、後腐れなく帰れる。

 

 

「では、最後に北陸の海をご紹介したいと思います」

 

「海か。 七浜でも海は見られるけど、北陸の海は違った感じになりそうだ」

 

 

町に関しては昨日紹介しつくしたので出来るだけ自然の風景を見せたかった。

だがこんな状況になってしまった以上、奥深くに入れば入るほど周りとの連絡手段に乏しくなりあずみの言う危険な相手のテリトリーに入ってしまう可能性がある。

その点海は見晴らしもよく、この地方でも指折りの名所だった。勿論警護についてくれている九鬼家従者部隊への配慮でもある。

 

 

「こちらです、大和さん」

 

 

由紀江に案内されて30分が経過した。

川から下っていったために多少時間は掛かったものの、清流から吹き抜けてくる風とマイナスイオンが周りの気温を下げてくれるので然程熱くは感じなかった。

田舎のよさに改めて感心している大和の目の前には、青く透明な海が広がっていった。

 

 

「おぉ! これは凄いな……英雄のプライベートビーチとは違って大迫力って感じだ!」

 

 

大自然が生み出したエネルギー、それが目の前に存在している。

一切人の手を入れていないその海は砂の目も粗く、ゴツゴツとした岩が積み重なっている。

そしてその岩に押し寄せてくる波が砕け散り、激しい音と美しい飛沫を散らす。

 

 

「昔の西映の映画のイントロで波が砕け散る映像にそっくりだな~」

 

「そっくりも何もその映像を撮影するためのロケ地として使われましたから」

 

「なるほど。 この迫力を見れば納得だわ」

 

 

尚も轟音を立てながら波は押し寄せ、砕ける。

けれども燦々と照りつけてくる日光が飛沫や砂浜に光り、美しくもあった。

 

 

「幼い頃、私はここで特訓したこともありました」

 

「へぇ~。 如何にも刀を持った武士、って感じの修行場所だね」

 

「はい。 高波を切り裂くくらいは出来ます」

 

 

今大和は、彼女が所謂「壁を越えた者」に分類される、その強さの一因を知ったような気がする。

大自然の力は人間のそれを遥かに凌駕する。

だが由紀江はそれを耐え続け、そして時に制して見せた。ならば武道四天王に指名されるその太刀筋は寧ろ当たり前なのだろう。

 

 

「ん。 風も止んできたね」

 

「ここからがこの海の特徴の一つですよ」

 

 

昔を思い出した彼女が和んでいると、潮風もふわっと止まる。

風が止めば、波も無くなる。するとあれだけ唸りを上げていた海は一転して穏やかになった。

岩と岩の合間に優しく海水が流れ込み、心地よい音を奏でている。

静と動、その二つを共有するこの空間に由紀江は勿論大和も座り込み、ただ静かに感じていた。

 

 

「…………何ていうか、心地いいね」

 

「それがこの海の魅力の一つです。 修行が終わった時、察したように波も穏やかになって……その時の、この波の音が疲れを癒してくれるようで私は大好きなんです」

 

 

岩と岩の隙間に入り込む海水の音が反響し、独特の音を作り出す。

そして穏やかな波が砂浜の砂を攫い、それが擦れあってまた新たな音を作り出す。人の手が一切入らぬ、まさに自然の演奏会。

だからこそこんなにも心に気持ちよく流れ込んでくるのだろう。由紀江が愛する場所というのも頷けてしまう。

 

 

「……………………」

 

「……………………」

 

 

会話もいよいよ少なくなり、二人はこの自然の音を心行くまで聞いていた。

自然は、決して一定では無い。だからこそ単なる波の音でも違ったように聞こえ、それが耳を開きさせない。

穏やかな風も心地よく頬を撫で、疲れた身体を癒してくれる。そんな何気ない一時を二人は味わっていた。

―――――やがて風は強まり、波は再び高くなってくる。

 

 

「……そろそろ良い頃合ですね。 大和さん、ご満足していただけましたか?」

 

「うん。 紹介してくれてありがとうねまゆっち」

 

 

満足しないわけが無い。大和も満面の笑顔を浮かべている。

クーラーを愛する現代っ子である大和だが、自然のよさが分からぬ男ではない。素直に大自然の魅力に敬意を評していた。

そして素晴らしい場所を紹介してくれた由紀江にお礼を言う。

 

 

「どういたしまして。 では家に戻りましょうか」

 

「そうだね。 大成さんやあずみさん達にも心配かけるわけにも行かないし」

 

 

大和も腰を上げる。

普段、騒動に巻き込まれ、その都度に頭脳や肉体を働かせる大和にとってこの北陸の地は穏やかで心地よいものだった。

だからこそ、もう少し浸っていたかったという気持ちは少なからず存在する。しかし引き際を知らぬ男でもなく、周りの人達へも考慮して立ち上がった。

家に帰ろうとしたその矢先に、由紀江のポケットから震動音が鳴り響く。

 

 

「あ、すみません。 携帯電話が………母上からですね。 もしもし?」

 

 

どうやら由紀江の母かららしい、ならば余計な声を上げまいと大和は口を開かなかった。

とは言えどうにも周囲を警戒してしまう。あずみからあんな話を聞かされた後では無理も無いのだろうが。

会話を終えた由紀江は二つ折りの携帯電話をパタンと閉じる。

 

 

「お母さんは何て?」

 

「今晩の夕食は私が作って欲しいという事で買出しするように言われました」

 

「まゆっちのご飯か。 そりゃ楽しみだ」

 

 

昨晩の夕食担当は由紀江の母だった。由紀江の料理の師匠という事もあってこちらの料理も大満足の一言に尽きた。

そして普段から度々世話になっている由紀江の料理、文句なしで任せられる。

が、今回は状況が違った。

 

 

「でもあずみさんのお話もありますし余り外出出来ませんね……大和さん、先にお送りします」

 

「え? じゃあ買出しはどうすんの?」

 

「買出しには私一人で行きますから………」

 

「ダメダメ。 そういう時の男手でしょ」

 

 

由紀江としてはこの状況下で大和を危険に晒したくない。だからこそ家まで送り、その後買出しに向かおうとしていた。

だが武道四天王とは言え由紀江も女の子、岳人のような腕力があるわけでもなく大和や翔一が加わったあの家を考えれば食材の量も多くなる以上、そんなに持てはしないだろう。

 

 

「パパッと終わらせてパパッと帰れば大丈夫だよ。 いざとなったら姉さんコールもあるし」

 

「………そうですね。 では不躾ながらお願いしてもよろしいでしょうか?」

 

「こっちから提案したんだし不躾も何も無いって。 任せてちょーだいな」

 

 

本当は大和も外をうろつくべきではないとは感じていた。

だが全てを友達任せにするような男でもなく、同行を申し入れた。久々の故郷で苦労ばかりかける訳にも行かないという、彼なりの気遣いである。

余り神経質になるのも確かに疲れる、と考えた由紀江もとうとう降参した。

 

 

「昨日紹介してくれた市場で買うのか?」

 

「いえ、ここからだと商店街の方が近いと思います」

 

 

今回は趣向を変えて商店街に向かうことにした。

一瞬、商店街と聞けば川神市の金柳街商店街を思い出す。十数分後、辿り着いた商店街は八百屋や魚屋がたくさん集うものだった。

夕方に差しかかろうとしているにも拘らず、周りからは客寄せのための声が轟いている。

 

 

「ほほぅ、金柳街商店街に比べると………食品売り場が多いって感じだな」

 

「川神の方は雑貨屋が多いですからね」

 

『だけどな、北陸の商店街は義理と人情なんでェい!』

 

「関西弁みたいな言葉喋るな松風」

 

 

都会や発展した町は若者好みの雑貨やブティックで形成された商店街が多いことに対し、田舎の町は基本食品店だけで構成されている場合が多い。

故に大和の目に映る光景はとても新鮮に見えた。

 

 

「あ、見て見て。 あの人、黛さんの所の………」

 

「ホント。 由紀江ちゃんじゃないの」

 

「帰ってきたって噂、本当だったみたいだねぇ」

 

 

その道すがら、またもやご婦人達の声が聞こえてきた。

やはり剣聖の娘という事でそれなりに有名らしい。神聖視されている、という噂もよく理解できた。

今度の会話は大和にも聞こえている。当然由紀江にも。

 

 

「でも見た感じ、いつもの一人芝居は続いてるわね」

 

「あらあら。 都会に行っても治らなかったみたい」

 

「いつものように刀持ち歩いてるし………」

 

 

向こうはそれを知ってか知らずか、一方でそんな声も聞こえてきた。

陰口というカテゴリーの会話でもなければ、事実の部分もあるため全否定は出来ない。が、大和からすれば気持ちのいい会話であるはずも無い。

由紀江に至っては顔色が自然と暗くなってしまっている。それに気付いた大和は。

 

 

「そういやさ、まゆっちの得意料理って何かな?」

 

「え? 私の………ですか?」

 

「うん。 たまには自炊でもしようと思うからさ、参考にしたくてさ」

 

 

話題を振ってみることにした。

食料品店が多い商店街にちなんで、食事の話題だ。由紀江も不自然さを感じることなく、あれこれ考えている。

 

 

「一番の得意料理は味噌汁です。 母からは基本の基本、と教えられてきましたから」

 

「へぇ~。 何かコツってあるの? 良ければ教えて欲しいんだけど」

 

「わ、私でよければ。 味噌汁のコツは出汁ですね、お味噌だけ混ぜてもダメなので」

 

 

料理系統の話であれば得意分野だけあって由紀江も気兼ねなく話せる。この商店街内でもこの会話なら特に違和感の無い会話であるため、自然と溶け込むのはそう時間の掛かる話ではなかった。

大和も参考にしつつ彼女の話を聞いていると。

 

 

「由紀江ちゃん、お久しぶりねぇ!」

 

「あ、これはどうも」

 

「味噌汁の作り方ちょっと参考にしたいんだけど教えてくれる? 貴方のお母さんからちょっと前に頂いたんだけどあの味が忘れられなくて」

 

 

黛家の知り合いらしい女性が一人、由紀江に話しかけてきた。

どうやら大和と同じく料理の作り方が知りたいらしく尋ねてきたようだ。由紀江も懇請丁寧に教えた。

 

 

「なるほど、煮干とか若布とか色んなもので出汁を取ってるのね」

 

「はい。 それと味噌汁に合う料理は………」

 

 

普段は積極的に会話を切り出さない由紀江も、料理関係ならば話を膨らませられる。

非常にためになり、尚且つ分かりやすい解説に話しかけてきた知人の女性も嬉しそうに彼女の話を聞いている。

 

 

「ねぇ、その調理法ってホント? アタシ上手くできないのよ」

 

「もうちょっと教えてくれない?」

 

「こっちも頼むよ由紀江ちゃん! ホラ、さっき買ったミカンあらげるからさ」

 

 

するとその会話が皮切りになったらしく、周りの主婦が次々と由紀江に話しかけてきた。

さすがに黛家が名家であるという事は周知の事実、その家で出される料理がとても美味しいことも実証済みのようで誰もが彼女の料理に憧れているようだ。

困るどころか寧ろ由紀江も頼りにされることが嬉しく、一人一人の質問に懇切丁寧に教えていく。

その様子を目の当たりにしていた先程の主婦達はと言うと。

 

 

「………あれ? 由紀江ちゃんってあんなに人気あったっけ?」

 

「少なくともあんなに話しかけられたことはないよ。 料理関係でも」

 

「それにあの男の子と話している時楽しそうだったわ。 本当はそこまで口下手じゃないのかも」

 

 

彼女に対する見解を改めていた。

大人気ぶりとその様子から大和も「狙い通り」になったと満足している。

 

 

(情報通り奥様達は料理関係の話題に乗りやすいな。 それに集中してるとまゆっちも松風を持ち出さない。 おかげさまでまゆっちは大人気、あの人達も見方を変えてくれたし)

 

 

大和はちょっとした切欠で、事態を好転させてみた。

事前情報と、ここ数日の松風の出現頻度を見抜いたからこそ出来る行動である。

狙い通りの状況にして見せた己の手腕には少なからず満足している。が、それよりも満足できるのは少々困惑しつつも、大勢の中でも光るあの笑顔。

 

 

(それに………まゆっちが楽しそうなら、それで一番だしね)

 

 

多くの人と会話が出来て、幸せを感じている由紀江の顔がそこにあった。

 

 

「お! あそこで大勢に囲まれているのはまゆっちじゃないか! それに大和も!」

 

「クリスか。 それとマルさんもやっぱりご一緒で」

 

 

そこにクリスとマルギッテが当たり前のように通りかかってきた。

服装が浴衣なのは温泉に行ってきたからなのだろう。微妙に肌蹴そうな辺りが絶対領域を作り出し、大和も自然と滾ってしまう。

が、鉄壁の理性を持ってそれを制し、普通のテンションで挨拶する。

 

 

「幾ら相手が婦人とは言え、黛由紀江があそこまで人気の状況は見たことがありません」

 

「ひょっとして大和が何か?」

 

「いやいや。 まゆっちの実力」

 

 

マルギッテの言うとおり、普段の由紀江は人に囲まれているような人物ではなく寧ろその逆で人から距離を置かれてしまう女の子だった。

だがその障害を全て取っ払ってしまえば彼女も普通の女の子なのだ。当然由紀江一人では出来ることではないと知りつつクリスは尋ねてみた。大和はやはりすっ呆ける。

 

 

「フフ。 いや、ならいいんだ」

 

「な、何だよ。 ………しかしより一段と綺麗になってるなクリス」

 

「そ、そうか? よーし大和、土産物のグレードアップに期待してくれ!」

 

 

やはり大和のおかげだと悟ったクリスが微笑んでみせる。

大和も図星をつかれ、顔を赤くしてしまう。話題を逸らそうと温泉帰りのおかげで綺麗になったこと、そしてついでにサラッと普段から綺麗であることを褒める。

おだてられやすいクリスはあっという間に上機嫌になる。

 

 

「勿論マルさんも綺麗だし可愛くなってます」

 

「綺麗はともかく可愛いはやめなさい! ………全く、心配してきて損しました」

 

「心配? ひょっとして、あずみさんから聞いた『アレ』?」

 

 

当然マルギッテに対して褒めることも忘れない。

おだてれば彼女は顔を赤くする。やはり可愛い反応だった。

と、ここで気になる発言が一つ。大和も彼女の発言には心当たりがある。

 

 

「はい。 私はお嬢様とお前達の護衛をかねて外出したのです」

 

「普通に温泉楽しんでればいいと思うんですけど」

 

「勿論温泉は楽しめました。 ですがそれだけです」

 

 

いよいよマルギッテは小声になっている。どうやらクリスに聞かせたい話題では無いらしい。

確かにあれ以来大和も警戒心を強めていた。

それをクリスのような騎士道精神溢れる娘に聞かせれば、警戒心を働かせ、正直旅行どころではなくなるだろう。

 

 

「お前達も注意しなさい。 私や九鬼も、四六時中守れるわけではない」

 

「分かりました」

 

「では私はそろそろ失礼します。 お嬢様、そろそろ行きましょう」

 

 

彼女の物言いは「注意は怠るな」という警告文でもあった。

危うく空気に飲まれて忘れそうになるところだったが、それにも注意せねばならない。かと言って注意しすぎると折角の旅行も楽しめない。

だから大和は気にかける程度にしておいた。マルギッテもそれには安心したようで、クリスを呼んだ。

 

 

「そうだな。 そろそろ行こう。 じゃぁな大和!」

 

「おう」

 

 

川神では島津寮に住んでいるので、「さよなら」を言う機会は殆どない。

大和はクリス相手にそれを言うことが随分新鮮に聞こえてしまう。手を振りつつ彼女達を見送った。

それと同時に粗方説明し終えたらしく、由紀江が戻ってくる。

 

 

「お待たせしてすみません大和さん」

 

「いいっていいって。 楽しかったでしょ? お話」

 

「はい、ありがとうございます!」

 

 

仲良くなれた大和田伊予や不死川心、そして風間ファミリー以外でも話せたことに由紀江は満足しているようだった。

そんな彼女の笑顔が見れれば大和も満足である。と、唐突に由紀江がお礼を言ってきた。

 

 

「な、何だよクリスに続いてまゆっちまで。 俺は何も」

 

「大和さん、私を気遣ってくれたんですよね。 だからあそこでお料理の話題を……」

 

「だとしても会話自体はまゆっちの力だ。 お礼を言われることじゃないぞ?」

 

「いいんです。 私が勝手にお礼を言いたいだけですから」

 

 

いよいよ由紀江も言うようになってきたな、と大和は肩を竦めた。

風間ファミリーに入る前の彼女ならば、こんな言動は取ることは無かっただろう。

そんな彼女にしてやられつつも、笑顔で返した。

 

 

「さぁ、食材を買いましょう。 本日はこの黛由紀江、腕に寄りをかけさせていただきます!」

 

 

テンションが上がったことで由紀江もやる気のようだ。

しかしここで注目すべきはそこではない、普段であれば松風が加わり由紀江を更に盛り上げようとしていることだろう。

そのはずなのに、彼は出てこない。今、松風はただのストラップだったのだ。

 

 

(………ひょっとしたら、松風離れ出来る日も近いかもな………)

 

 

そんな事を思いながら、大和は買出しに付き合う。

やはり予想通り、そして予想以上の買い物袋がその手に提げられることになった。男手とは言え然程腕力があるわけでもなく、これからの帰路を考えると大和は腕が震えてきた。

 

 

「や、大和さん大丈夫ですか?」

 

『しっかりするんだ大和坊ー!』

 

「だ、大丈夫だよ………ってか、さり気に松風復活してるし」

 

 

何だかんだで大和も男、プライドが廃ると多くの荷物を持つことにしたのだ。

その比率、3対1。由紀江に下げられている袋は卵など雑に扱えないものが入った一袋のみ。対する大和の腕には、5袋も提げられている。

日頃、百代や京による特別メニューが組まれてなければ恐らくは3袋で悲鳴を上げていただろう。

 

 

「しかし引き受けた手前、使命もプライドも放り投げられるかっ………!」

 

『まゆっち、大和は本当根性あるよね。 夜の体力も凄いんじゃねーかな?』

 

「ま、松風なんという事をっ!」

 

 

荷物を抱えることに必死なので松風と由紀江のやり取りは良く聞こえなかった。

彼女が松風離れをする日は遠いようだ。

と、その時真正面から人影が見える。黒い和服を着た老人だ。顔は笠を被っているため良く見えない。

老人と分かる要素は精々僅かに見える顔の皺と、手に握られている杖からだ。

 

 

(? あんな人、ご近所にいなかったはず……観光客でしょうか?)

 

 

如何にも変わった風貌だ。黒い和服でこの夏を歩き回る老人など聞いたことが無い。

心当たりが無いことから由紀江もご近所の人間では無いと悟る。が、歩き方はしっかりしているので手助けする必要はないと判断した。

寧ろ手助けする必要は大和にあるのでは無いのかと思い、老人を横切りながら大和を助けようとした。

 

 

 

 

 

 

 

 

刹那、老人の杖から僅かな「閃光」が見えるまでは。

 

 

 

 

 

 

「っ!! 大和さん!!」

 

「え?」

 

 

 

 

 

その「閃光」の正体を見破った由紀江が大和の隣に回る。

大和が捉えられたものは一瞬にして目の前に来る彼女の姿と、必死なその声だけである。すると彼女の目の前で金属音が鳴り響く。

凄まじい衝撃が、まるで何かが破裂したかのように起こり、由紀江は後退してしまう。

 

 

「まゆっち!?」

 

「大和さん下がってください!」

 

 

真剣な目つきで、由紀江は刀を手にしている。

咄嗟の指示に大和は困惑しつつも自分が及ぶ事態ではないと彼女の傍に回りこめるように動く。

そうしてやっと、彼女に刀を取らせた者の正体が分かる。それは、老人が手にしていた杖――――否、杖に仕込まれていた刀だった。

 

 

「………流石なり。 これが現代の剣聖から受け継がれし太刀筋か………」

 

 

老人から出された声は穏やかとは程遠い、厳格な声。

一言一言に重みを感じさせる威圧感がある。と、その時老人が手にしていた刀に亀裂が走る。

由紀江の斬撃で折れてしまったのだろう、空しい音を立てて刃が落ちる。

切っ先はすとん、と老人の目の前に突き刺さった。

 

 

「やはり、こんな(なまくら)と体では満足できる果し合いも出来そうに無い………」

 

「果し合い……? どういう事ですか! 果し合いならば正式な手順を踏んでください!」

 

「生憎、拙者はそれが出来る身ではない」

 

 

武に関しては全く知識が無いため、大和にはどれだけ高度なやり取りをしているのかが全く理解できない。

しかし分かることがある。

この老人が切りかかってきたところを由紀江が助けてくれた、ということが。そしてこの老人はどうも真人間という立場ではないという事も。

 

 

「しかし拙者の一太刀を見切り、隣の男を守りつつ、尚且つ提げている荷物に影響を与えぬ身のこなし……拙者の見立てに狂いは無い………滾ってきたわ………」

 

 

彼の言動を聞いて、大和は気付いた。

雰囲気ではなく、彼の言動が自分の知り合いと似通っていることに。

 

 

(相手の能力を褒め、自分のギアを上げる……コイツは姉さんと同じ戦闘狂か!?)

 

 

姉貴分の川神百代は、自分の戦闘力ゆえに満足の行く戦闘ができないことを度々嘆いている。その老人は、そんな彼女とほぼ同じ発言をしているのだ。

最も百代は強者に何の断りも無く戦闘を仕掛けるような“下衆”ではないが。

 

 

「………しかし、この勝負は数時間後までお預けだな………」

 

 

すると膨れ上がりそうだった闘気を老人が突然収めた。

大和でも分かる、完全に敵意をなくしている。その理由はいたってシンプルだった。

 

 

「おーい! 大和ー! まゆっち~!」

 

 

第三者―――――翔一が来たからである。

さすがに介入者が増えることは好まないらしく、老人は彼の登場を察知しては忌々しそうな視線を投げつけている。

今は遠くにいるので米粒程度の大きさでしか見えないが彼の脚力だ、あっという間に来ることだろう。

 

 

「お主との斬り合いは邪魔の入らぬ所でゆっくりと楽しみたいものよ……」

 

「だれが貴方のような人と……!」

 

「する他無いのだ黛由紀江よ。 それが嫌でも分かることになるだろう」

 

 

この一瞬のやり取りで由紀江も、この老人とは反りが合わないことを確信する。

尚も刀を下ろさないが、老人は全く微動だにしない。

 

 

 

 

「ふふ………では。 身体を温め、夜を待つがいい。 拙者も待っておるぞ……」

 

 

 

 

老体とは思えぬその身のこなしで地を蹴り、あっという間にその場から姿を消した。

数秒遅れて草むらから音がなる。恐らく隠れていた従者部隊が今の老人を追いかけていったのだろう。だが由紀江は確信していた。彼らでは追いつけないと。

それと翔一が到着するのはほぼ同時だった。

 

 

「どうしたお前ら! 大丈夫か?」

 

「あ、ああ。 キャップこそどうしたんだ?」

 

「いや、帰りが遅いから迎えを買って出たんだよ。 沙也佳ちゃんは宿題があるって言うし」

 

 

どうやら心配して出張ってくれたらしい。

ある意味彼らしい行動力だと大和と由紀江も表情を緩める。刀を仕舞いこみ、由紀江も応える。

 

 

「すみませんでした。 でも今から帰りますので」

 

「ところでまゆっち、卵は?」

 

「大丈夫です。 割れないように防御、迎撃しましたので」

 

 

あれだけの衝撃があったのにも関わらず、由紀江の袋の中にあった卵には罅一つ入っていなかった。これも壁を越えた強さを持つ者だからこそ出来る芸当なのだろう。

大和も彼女を怒らせないようにしよう、と胸に誓いながら帰路につく。その道中、翔一に先程の状況を説明した。

 

 

「なるほどな………ってか、何か状況が似てね? 斑目風牙の時と」

 

「そう言えば……確かに」

 

 

翔一が状況を飲み込むと、率直な感想を出してきた。

それは大和も引っかかっていた事柄だった。危険人物が侵入し、警戒中のところに襲撃というそれはまさに前回の斑目風牙と同じである。

 

 

「ですが違う所もあります。 一つは相手の強さ………」

 

『まゆっちの斬撃を受け止められるなんて並じゃねぇぜ!』

 

 

由紀江は控えめだが、己の実力に自信が無いわけではない。

自他共に認める武道四天王の斬撃を受け止めたことから推察するに、相手も掃討の手練であるという事だ。しかも発言からしてまだまだ余裕らしい。

 

 

「んでもう一つは……そいつは何か行動を起こす。 数時間以内に」

 

 

大和は、もう一つの違う点を述べた。以前の斑目風牙は何かを予告するような言動は一切無かった。

しかし、あの老人は違う。「数時間後に戦う」と言う旨を残した。

事前に対策も採られることを想定しての発言なのだろうが、嫌な予感しかしない。思わず大和達も帰る足を速めてしまう。

その時だった。由紀江の携帯電話が鳴らされる。由紀江はそれを取り出し、開く。

 

 

「母上? あの、すぐに戻りますので………」

 

 

またもや彼女の母親かららしい。

とりあえず無事を報せようと由紀江が発言した。が、それは一点。事態はまったく予想だにしない方向になる。

 

 

「えっ? ち、父上が………!?」

 

「「!?」」

 

 

彼女の声色、顔、そして父上と言う発言。

何もかもが悪い前兆でしかない。大和と翔一も顔を見合わせ、頷きあう。同時に由紀江も携帯電話をパタンと閉じ、走り出した。

後を追うようにして二人も走り出す。駆け足のおかげで黛家まで到達するのにそう時間は掛からなかった。

 

 

「母上!! 父上は大丈夫ですか!?」

 

 

駆け込んだ由紀江の第一声は、父親の安否を心配するものだった。

今朝までは健康そのものだったあの剣聖が心配されるなど、相当な事態らしい。大和と翔一が追いついた時には、由紀江の母親もその顔を焦燥で満たしていた。

 

 

「はい、命に別状は無いけど………腕を折られました……」

 

「! 父上の腕を………」

 

 

まさかの事態に大和と翔一は顔を見合わせた。

黛大成。人間国宝、剣聖黛十一段としてその名を馳せた。そんな彼が腕を折られたという事は、その相手はとんでもない人物であるという事だ。

 

 

「ちょ、ちょっと待ってくれよ! 俺が出かけた時には大成さん、ピンピンしてたぜ!?」

 

「その直後なのです。 妙な風貌の男が天井裏から現れ、あの人を襲って………」

 

 

どうも翔一が出るタイミングを狙っていたらしい。

しかも黛家の天井から降り立った、という事はそれ以前にも潜んでいたという事になる。凄まじい隠密能力の持ち主であることを窺わせた。

何より翔一が出てから戻ってくるこの間まで僅かな時間しかない。つまり相手はその短期間で大成の腕を折って見せたことになる。

 

 

「お、おお………由紀江。 それに大和君と翔一君も無事か……」

 

「た、大成さん!? ダメですよ安静にしてなきゃ!」

 

「な、何腕が折れただけだ……それよりも大変な事になった………」

 

 

すると奥から大成が現れた。

しっかりと両の足で立っていることから確かに命に別状は無いようだが、腕があらぬ方向を向いている。由紀江も思わず青ざめ、口元を押さえてしまうほどに。

すぐに大和が助けを呼ぼうと携帯電話を取り出す。

 

 

「分かってます! すぐに救急車、いえ九鬼の人を呼びますから―――――」

 

「違う! 私のことよりも大変なことがある……!」

 

 

救急車よりも近くにいて尚且つ高度の治療を受けられると踏んだ大和は知り合いの従者に連絡を取ろうとするが、止められた。

あれだけ冷静だった大成が焦燥に塗れる理由、それは自身の怪我ではなかった。

 

 

 

 

 

 

「沙也佳が………その男に、連れ去られてしまったのだ………」

 

「な、何だって!?」

 

「沙也佳が!?」

 

 

 

 

 

 

事もあろうか、沙也佳はかどわかされてしまったのだという。

黛家を荒らすどころか大成に怪我を負わせ、挙句由紀江の妹まで連れ攫ってみせるという男の度量と技量に戦慄を抱くと同時に怒りも沸きあがってきた。

由紀江だけではない、大和も、翔一もその男に対して。

 

 

「大成さん、その男は和服の老人でしたか!?」

 

「い、いや………そんな格好では無いし、年齢も見てくれは若かったかな……うぐっ……」

 

「待ってください、今助けを呼びますから!」

 

 

それだけを確認すると、大和は携帯電話を鳴らす。

大成らを襲ったのは、先程交戦した老人では無いようだ。とすれば今回襲撃してきたという男はその老人の仲間である可能性も否定は出来ない。

頭の中で情報を整理しつつ、大和は知り合いの従者である李静初に連絡を取る。幸いにもこの近くで勤務しており、すぐにステイシーと共に駆けつけ、大成の救護をしてくれる。

 

 

「ステイシーさん! 父上は………!」

 

「心配しなくても骨は折れている以外、損傷は無い。 これからドクターヘリを呼ぶから、搬送先の病院で治療を続ければ完治する。 九鬼の名において約束するよ」

 

 

がさつな一面もあるというステイシーだが仕事であれば高い能力で対応してくれる。

由紀江に対して一切心配を与えぬ口調と態度で宥めてくれた。安堵していると奥の方から李も現れる。

現場検証並びに被害状況確認のため、調査をしていたのだ。

 

 

「部屋の方も特に荒らされていないようですね。 ……逆に証拠が見つかりませんでした」

 

「プロ……を超えた犯行だなこりゃ。 ほぼアイツで間違い無しか……ファック」

 

「あずみに連絡を取ります。 今すぐ英雄様と紋様を帰還させ、従者部隊を増援させましょう」

 

 

李とステイシーも慌しい様子だ。

やはり襲撃してきた人物達に心当たりがあるらしい。恐らくあずみの言う「国家機密」に値する人物なのだろう。

だが大和達の興味はそこにはない。ただ、沙也佳の行方と安否だけが気がかりなのだ。

 

 

「沙也佳………」

 

「まゆっち大丈夫だ。 わざわざ大成さんを襲撃してまで攫ったんだ、手荒なことはしない。 それにこっちには豪運のキャップもいるんだ。 絶対に無事だ」

 

「そうだぜまゆっち! 俺を、風間ファミリーを信じろ!」

 

 

妹が攫われるなど今までに体験したこと無い―――――そもそも体験すること自体あってはならない事なのだが―――――恐怖に由紀江はただ、座り込んで妹の無事を祈っている。

大和と翔一はそんな彼女を勇気付けるべく、言葉をかけていた。どれだけ響くか分からない、それでも力になれるのなら。

そんな彼らの思いが通じたのか、由紀江の携帯電話がまたも震える。

 

 

「………え? 沙也佳から!?」

 

 

今度の発信源は沙也佳の携帯電話かららしい。

これは出ないわけにも行かず、誰の意見を待つまでも無く由紀江は携帯電話を開き、呼びかけた。

 

 

「沙也佳! 無事なのですか沙也佳!?」

 

 

必死に呼びかける。

これまで見せた事の無い彼女の必死さに大和達も沙也佳の無事を祈っている。すると数秒後に携帯電話から声が聞こえる。

 

 

 

『ああーん? 俺ァ、沙也佳ちゃんじゃあーりませんぜェ?』

 

 

 

全く違う、男の声だった。

品の無い言葉遣いと声色、だがどこかに危険な雰囲気を醸し出している。

 

 

「この声………間違いない、沙也佳を攫った男のものだ!」

 

「………貴方が父上を………沙也佳を!」

 

 

自分の腕を折った相手の声を忘れるはずも無く、大成はすぐに判別した。

同時に由紀江の怒りがこれでもかと言うくらいにまで湧き上がる。いつもは抑制されている彼女の覇気が一気に爆発し、一瞬ではあるが阿修羅の姿になる。

思わず大和と翔一も驚きで一歩引いてしまうほどの威圧感だが携帯電話越しではそれが伝わるはずが無い。否、分かっているはずだが相手は全く歯牙にもかけない。

 

 

『そうそう。 いやぁ悪ぃね、お父さんの腕折っちまって。 まっ、殺さなかっただけ上出来でしょ』

 

「………沙也佳はどうしたんですか?」

 

『おーっ。 あくまで冷静にキレるのねェ。 でもこれじゃ面白く無ぇな、折角誘拐したのによォ』

 

 

男の口からは挑発とも、素面とも取れる台詞が飛び出てくる。

剣聖相手に余裕を崩さないその態度だけは感心するところだが、褒めるべきところではない。由紀江は怒りを抑えつつも、大事な妹の安否を確認する。

数秒後、携帯電話からは別の声が聞こえてくる。

 

 

『お姉ちゃんっ!!』

 

「っ!! さ、沙也佳!! 無事なのですか!?」

 

 

一瞬だけだが間違いない、沙也佳の声が聞こえてきた。姉である由紀江にははっきりと聞き取ることが出来た。

だがそれは僅か数秒の間だけ。すぐに男の声に切り替わってしまう。

 

 

『はいはーい。 お涙頂戴シーンはそこまでェ~。 これで分かったろォ?』

 

「分かりません! 沙也佳に手を出していませんよね!?」

 

『俺ァロリコンじゃねェんだけどな……ただ、殺る時は殺るぜ?』

 

 

すると携帯越しに今度は金属音が聞こえた。

これは映画などで良く聞く、銃に引き金を書ける際の音。更にその数秒後には発砲音が聞こえた。その際には沙也佳の悲鳴も混じっている。

 

 

「沙也佳!? な、何したんですか!?」

 

『なぁに、空砲だよ。 ク・ウ・ホ・ウ。 心配しなくても傷一つつかねぇよ」

 

「………と、とにかく沙也佳をすぐに返してください!」

 

 

いよいよ由紀江も焦りが出てきた。

男の声色も満足してきたかのように、厭らしさを滲み出している。完全に主導権は男に奪われてしまった。

 

 

『ようやく分かったようだねェ。 ………生殺与奪の権利は俺にある、ってことがよォ』

 

「くっ………!」

 

 

仕方が無いことかもしれないが、妹が盾に取られては由紀江も冷静になることができず、下手に出てしまう。

そうなれば、余計に相手の思う壺だ。

見ていられないとステイシーが手を伸ばそうとした。が、それよりも早くこの男が割り入り、携帯電話を優しく取ってみせる。

 

 

 

直江大和―――――。 由紀江が最も信頼し、そして恋してやまない優しい少年だった。

 

 

 

「まゆっち、俺に任せて」

 

「や、まとさん………」

 

 

 

優しいその笑顔に、何度助けられ、何度頼り、そして何度救われてきたか。

由紀江はもう声を上げることなく頷いてしまう。ステイシーと李も、彼に任せるしかなくなってしまう。大成と由紀江の母は心配そうではあるが、すぐに翔一が問題ないと太鼓判を押す。

 

 

『んん? 声が変わったなー………交渉者チェンジかィ?』

 

「そうだ。 ここから先は俺が交渉者だ」

 

『……ああ、直江大和か。 ククッ、ここで出張ってくるかねェ』

 

 

どうやら男は大和のことも知っているらしい。様子から察するに名前だけではない、プロフィールなどの詳細は全て把握されているだろう。

だからと言って揺らぐ大和ではなかった。

 

 

「そうだ。 交渉相手としては不服か?」

 

『いンや全然。 ………寧ろ楽しみになってきたわ』

 

「ならまず始めにお前に言っておくことがある」

 

『へぇへぇ。 何なりと』

 

 

交渉において絶対に主導権は奪われてはならない。

下手に出れば、相手から無茶な要求が続き、最悪人質となってしまっている沙也佳を殺されてしまうかもしれない。

しかし大和にとってその状況は逆に利用できるものでもあった。

 

 

「人質……昔から良く使われる手段だが、それにおいて致命的な点が一つある」

 

『…………………』

 

「それは人質を何らかの形でも失うと逃げ道が無いという事だ。 そうだろ?」

 

『ああ、その通り。 人質を隠せる場所にいる、という事は俺の退路も無いって事だ』

 

 

映画や実際新聞であった事件などを参考にしている。

無論、警察組織の人間が行うような一流の交渉とは程遠いものだ。だがだからと言って舐められるわけにも行かない。

下手に九鬼の人間に渡せば、どんな危険な行動を取ってくるかもわからない以上適任者は彼しかいない。

 

 

「そんな危険を冒してまで沙也佳ちゃんを攫った……それなりの要求はあるんだろうな?」

 

『へぇ? 要求を要求してくる奴なんて初めてだなァ』

 

「まさか要求もせずに誘拐したわけじゃないだろ?」

 

『ああ、そうだ。 全くもってその通り』

 

 

常に相手の裏をかぐように、大和は言葉を選んでいく。

一見すると揚げ足取りのような言動だが、相手の精神状態を見抜いた上で大和は発言している。少なくとも柄の悪い言葉ですぐに腹を立てるような沸点の低い男ではない。

だからこそ大和は淡々と、しかし着実に距離を詰めていく。

 

 

『因みによォ、俺が今どこにいるか分かるかィ? 分かったら凄ェけど』

 

 

突然、クイズを出してきた。しかも完全に相手を馬鹿にしているような言い草である。

しかし大和はそれに腹を立てることなく、冷静に分析している。分からない、の一言で済ませれば相手はこちらを下側としてみてくるだろう。

主導権を奪回されないために大和は神経を研ぎ澄ませる。

 

 

(何やら機械の起動音が聞こえる……それに足音と話し声が反響しているな。 それに鉄を踏む音も聞こえる。 何かの施設にいることは間違いない……とすれば)

 

 

大和の頭の中に答えが浮かんだ。その間数十秒弱。

 

 

「まゆっち、この周辺に大型の公共施設ってある?」

 

「え? 確か、海岸沿いに発電所が二つあります。 片方は閉鎖されていますが……」

 

「………閉鎖された発電所。 違うか?」

 

 

冷静な推理が、答えを導き出す。

すると男は笑いを堪え切れなかったらしく、腹の底から大笑いする。

 

 

『アーッハッハッハ! 正解正解! よく分かったな』

 

「機械の起動音から察するに機械を多く搭載している場所、声が反響するという事は周りに人がいない証拠、そしてそれらを条件を満たすのはそこしかないからな」

 

『お見事お見事! お前凄ェな! アハハハハ!』

 

 

どうやら大当たりだったらしく、男も手を叩いて賞賛している。

笑い方まで品性が感じられなかったが、より凶悪さを増しているともいえる。下手な言動をすれば、沙也佳の命は無いかもしれない。

その事を念頭に置きつつ、大和は次の言葉をかける。

 

 

「ご満足いただけたか? 早速要求しろ。 ……言っておくが、こんな大事業を成し遂げたお前だ、『100億円用意しろ!』……なんて非ィ現実な要求は無いだろうが」

 

 

あくまで大和が主導権を握る立場を保っている。

とにかく相手に息継ぎする間さえも与えない。相手の何もかもを奪って、大和の立場は絶対のものとなる。

少なくとも、交渉において主導権掌握は最も重要とされるところだ。

 

 

 

 

 

『勿論さ☆ ………今夜7時、閉鎖された発電所に黛由紀江。 お前一人で来い』

 

 

 

 

 

随分とシンプルな要求だった。

周りにいる由紀江達は一体何のつもりか解せない様子だったが、大和はすぐに思い当たる。

この言葉の意味する物を。

 

 

「……お前、あの老人の仲間だな? だからこんな事をしてまゆっちを引きずり出そうと」

 

『おー! それも分かっちまうかー! That's right(そのとおり)!』

 

 

大和の中ではロジックが組みあがっていた。

先程襲撃してきた老人は数時間、嫌でも戦うことになるという不吉な言葉を残した。そして夜の7時はその範囲に当てはまる。

相手も全く否定する気は無い様で、満足したかのようにどっかりと座り込む音が聞こえる。

 

 

『……要求はそれだけだ。 ま、正確にはあのジジイと黛由紀江が決闘しろって事だな』

 

「随分回りくどいやり方をするもんだな」

 

『んなのあの老いぼれに聞いてくれ。 んじゃ用件も伝えたし、俺はそろそろ失礼するぜ』

 

「待て!」

 

 

連絡が切られそうになる。

もう少し詳しい情報を得ようとするが、男は意にも介さない。

 

 

 

 

 

 

 

『因みに、団体様でお越しになるようだったら………容赦しねぇぜ。 じゃあな☆』

 

 

 

 

 

 

 

その一言だけを残して。

 

 

 

 

「………大和さん………」

 

「大丈夫だよまゆっち。 ……キャップ、急いでモロを迎えに行ってくれ」

 

 

 

こうなった以上、やることは決まっている。

彼が何を指示するかという事くらい、分かりきっていた。

既に翔一は表に止めてある愛用の原付に向かって走り出している。ガソリンは既に補給済みだ。

 

 

 

 

 

「おう! ……風間ファミリー、緊急招集だぜ!!」

 

 

 

 

 

この北陸の地に、常識破りの集団が集おうとしていた。

 

 

 

続く




夏で行きたい場所?私はプールですね。結構際どい水着を着けてくる人も多くて(ry
……失礼しました、テンペストです。
由紀江編第三話、如何でしたか?前半はなるべくまゆっちと大和の一対一の状況を多く作りつつ掘り下げていきました。
自分も道場ではありませんが、母の実家が神社を持っていまして、結構雰囲気が似ているんですよね。それを参考にしつつ描写しました。
由紀江のお母さんも何気に初登場ですが、モデルとしてはウチの祖母にまゆっちを足して2で割ったものです。厳しくも優しい親、という根底は外さないようにしました。
そして後半、まさかの緊急事態発生。この危機に風間ファミリーが、まゆっちがどう立ち向かうのかお楽しみに。
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