ハルの通報により駆けつけた警官と救急により、男はもちろんパトカーへ、少女は救急車に乗せられていった。次の日…といっても日付的にそれから数時間後には冬休みの初日ということもあり、ユイとハルの二人もまた朝から事情聴取を受けた。
少女の身元はすぐに判明した。最近行方が知られなくなってなっていた人物であり、偶々ハルが一人朝ごはんを食していた朝にニュースで報道されていた少女でもあった。
衰弱が激しくしばらくは入院生活を余儀なくされるものの、命は無事であるらしい。ただし発見があと一日、いや半日でも遅ければ分からなかったというので、これに関しては警察はもちろん、少女の家族も泣きながらに安堵していたとのこと。
ただ事件の後遺症で人、とくに男性に対する恐怖心が植え付けられてしまっている可能性が高く、時間をかけて心のケアをしていく必要があるかもしれないこと。
そうなった場合、事情聴取はおろか男性は警官も医者も病室には入ることが難しくなるらしい。。だが、女性であり彼女の窮地を救った二人なら、今の彼女も心を開いてくれるやも知れない。
なんてことから、いつかその時が来たら彼女の心のケアに協力して欲しい、なんて事情聴取をした警官や少女の両親から頭を下げられれ、二人はそれを快諾。今は彼女の体力の回復を待っている。
もちろんいい話ばかりではない。未成年があんな時間に外にいたこと、理由はどうあれ学校に忍び込み、あまつさえ倉庫の鍵を破壊して中に入ったこと等、一歩間違えれば退学だけでは済まなかったと警察と学校の双方から厳重注意を受ける羽目となった。
とくに、ユイが藤村を殴り飛ばしたことについては数々の注意の中でも特別キツいお叱りを受けた。曰く、ユイの性別が男性だったら間違いなく過剰防衛と判断されているとのこと。
結果的に一人の少女の命が救われ、しかもその人物は警察が血眼になって探していた行方不明者だったこともあり、これ以上は言わないが以後軽率な行動を控えるよう、ユイとハルもしっかりとお灸を据えられたのだった。
学校の敷地内で監禁事件が発生した二人の学校は、世間からの猛烈なバッシングが危惧されたが、それよりも二人の女子高生が被害者を発見したことが話題性を呼んだらしく、違う意味で対応に忙しいらしい。
が、そんなもの今の二人にとっては至極、とっても、ベリーベリーにどうでもいいことだった。
なぜか? それは今二人を見下ろしてゴゴゴといった背景を浮かべていそうな人物に聞いてみて欲しい。
時刻は通報から一夜明け、長い長い事情聴取を終えて夕方。二人はハルの自宅のリビングで並んで正座させられていた。
「で、二人とも。一体全体何をどう考えればこんなことになるかしら、教えてくれる?」
怒気フルMAXのニッコリスマイルで二人を見下ろす女性の姿に、二人は絶賛戦慄中。時折カチんコチんとなる奥歯の音がもはやどちらのものなのかすら分からない。
中年とは思えない若々しく張りのある白い肌に、日本人離れした美しい薄金の髪を三つ編みに束ねて前に垂らす、この妙齢(にしか見えない)の美女。
この人物こそ、ハルの母親その人であり、おそらく二人が独断と偏見で決めたこの世で多種多様な存在をひっくるめたヒエラルキーの頂点に君臨する人物でもある。
「あ、あのね、ママ? これにはマリアナ海溝よりもずっと深い複雑かつ緊急を要する理由がーー」
バンっ!!
ハルの母親は、右脚をその場でフローリングに叩きつける。罅が入っていないのが不思議なほどの爆音だった。下の階の部屋から苦情が来ないかとっても心配である。
「ハル、正直に、簡潔に、要領よく話しなさい。どんなに賢く表現を飾っても言い訳は言い訳よ? わかって?」
「ま、まむっ!! イエスマムっ!!」
「ユイちゃんもよ、いいわね?」
「い、イエスマムっ!!」
ということで、ハルとユイはなるべく正直に、簡潔に、要領よく真実を白状することにした。忍び込んだ理由として、学校で不自然な噂を聞いたことと、ハルが偶々一人だった朝に目にしたニュースの内容が何となく重なってしまったことにしたこと以外は、概ね嘘偽りなく話した。
「なるほど…突拍子も何もあったものじゃ無いけれど、大体の理由は把握したわ。女の子二人が深夜に黙って学校に忍び込むなんて言語道断なのだけれど、それで一人の命が救われていることもまた事実。深夜徘徊と不法侵入の件はとりあえずこれで許します。……ただし、次はないわよ?」
コクコクコクコクコクと首を縦に振りながら、二人は頷いた。
「でも、鳩尾への一発はともかく顔面にもう一発は感心しないわね。その程度の男であれば、ユイちゃんなら最初の一撃で大人しくさせられたでしょう?」
「う、それは…。でもああでもしないと収まりがつかなかったというか…あいつの顔があの男の顔に重なって…それで…」
ハルの母親の指摘は、正確に的を射抜いている。あの時、ユイが放った鳩尾への一撃で既に藤村はほとんど行動不能に近かった。ユイの力であれば、その後虫の息になった藤村を警察が駆けつけるまで押さえつけておくことは容易なことだっただろう。
そうしなかった理由は、偏に感情が高ぶったことが原因だ。藤村の顔が、ユイがこの世で最も嫌悪する男の顔に重なり、その怒りのままに拳を振り抜いた。
「…ユイちゃんの気持ちはわかるわ。でも、ユイちゃんはもうあの時とは違うの。いかな理由があれ、武道を嗜んでいる人間がただ感情のままに力を振るうことは許されない。武道をただの暴力にしてはいけないの。それが分からないなら、今すぐにでも武道をやめなさい」
その言葉に、ユイは拳を握りしめる。薄々分かってはいたのだ、そんなことは。いくら危険な薬品を持っていたとはいえ、藤村は腕力的にはユイより格段に弱い。喧嘩にすらならない。
そんな男を、非常時とはいえユイは無力化をするため以上の力で殴り飛ばした。正当防衛、と言う考えもあるかもしれない。だが、それはやられたら何をしてもいい、ということでは断じてない。目には目を、なんて時代はとっくにおわっているのだ。
「だから、常に意識をしなさい。自分はもう、力を持つ側の人間だということを決して忘れては駄目よ」
「…はいっ……」
涙声で、必死にそれだけを絞り出して口にする。
「うん、よろしい。じゃあ今日はもう帰りなさい、お母さんも心配しているでしょう。今、冬休みでしょ? またいつでも遊びにいらっしゃい」
優しさに満ちた微笑みと一緒に、ハルの母親はユイの頭を撫でる。
「…はいっ!」
未だ涙声ではあるが、しっかりとした返事とともに、ユイは立ち上がりリビングを後にした。
「で、ハル、次はあなたの番よ」
数瞬前の笑みは何処へやら。いや笑っていることはまちがいないのだが、どう見ても暖かさを感じる類のものではない。心なしか先程よりもさらに低く冷たくなった母親の声に、ハルの華奢な両肩がビクッと震えた。
「八年前といい今回といい、黙って夜に出歩いては次から次へと危険な事件に首を突っ込んで」
ぐうの音も出ないとはこのことだろう。ハルはグサッッッッという心に何かが突き刺さるような音を聞いた気がした。
「確かに、今回はあなたたちのおかげで救われた命がある。八年前の事件では、他でもないユイちゃんが救われたわ。でもね、それは全て結果論。何か一つでも間違えていれば、大怪我を負っていたかもしれないし、もっと酷いことになっていたことだってありえるのよ」
もっと酷いこと、とは端的に言えば命を失うことだろう。事実、今回の事件で、もし藤村の持つ硫酸のボトルが当たってでもしていれば、一生消えることのない傷を負ったことだろう。
八年前の事件では傷どころか命そのものを失いかけた。
「あなたの行動が命を救ったこと、それ自体はとても喜ばしいことよ。ユイちゃんが救われたことは尚更ね。それらを成そうとしたハルの勇気と行動を、私も、お父さんも誇らしく思っているわ」
「…ママ…」
「でもね、それは心配しない理由にはならない。あなたは私たちの大事な一人娘なのよ。そのこと、忘れないで」
「…うん…」
まさか母親からこれほどのことを言われるとは思っておらず、ハルは目の奥がジーンとなるのを感じた。
「そう。時に厳しく、時に厳しく、さらに厳しくするのも、あなたを思ってのことなのよ」
「いや待って流石に厳しすぎない? ていうかむしろ厳しさしかないよね? せめてユイにしてるみたいに時に厳しく時に優しくって方針にしようよ」
「何を言いだすかと思えば…駄目よ、これ以上優しくするのはあなたの将来のためにならないもの」
「そんな鬼みたいな教育方針じゃ『将来』にたどり着くこと自体が不可能だよっ!!」
鬼畜すぎる教育方針を提示する母親と、それに抗議する娘の仁義なき言い争いは、結局一家の良心である父親が帰宅し止めに入るその時まで、終わることはなかった。
結果は勿論、母親の勝訴である。
*****
その日の夜。母親との戦いに敗れ、失意のままついた食事の席で母親の料理に舌鼓をうち、幸せ半分嘆き半分で入浴を終えたハルは、彼女にしては珍しく本を手に取ることなくベッドの中に入っていた。
流石に一日のほとんどを事情聴取等に費やし、追い打ちのように母親からの説教を終えた彼女に、これから夜更かしして読書をする気力はなかった。お嬢様な女子高校で小動物な女の子が、学園初の空手部を設立させようとあれこれ努力する小説の続きは、明日にでも読めばよかろう。
「ん、ユイからだ」
枕元に置いたスマートフォンが着信を知らせる。表示される発信者の名はユイ。ハルは横になりながらロック画面を外し、そのまま端末を耳に当てる。
『もしもーし、起きてた?』
電話越しに聞こえる親友の明るい声に、ハルは内心で胸を撫で下ろした。ユイのことなので叱られたことを必要以上に引きずっていることはないだろうが、やはりこうして声を聞くと安心できるのも事実だ。
「うん、起きてたよ。まあ…今絶賛お布団インだけど」
『あはは、私も』
そこからの会話は、特に何かあったわけでもない。先程のお叱りは効いたとか、これから気をつけていかなければとか、本日付で教育方針がベリーハードに突入したことなど。
その後、とりとめのない会話を少しした後、また明日、という決まり文句でハルは通話を終えた。
数分後、暖かな眠気につつまれ、ハルは抵抗することなく意識を手放した。また明日、そう言って同じく眠りについているだろう幼馴染に、また会うために。
だが、そんな優しい眠りにつくハルを嘲笑うかの如く、再び夢が彼女をあの街へと誘う。八年前と寸分違わぬ、あの夜の街へ。
そして、霧の向こうからハルに向かって問いかける誰かの声を、夢の中の彼女はまたしても聞き取ることは出来なかった。
*****
深夜。
だが対照的に、コートに覆われていない首元から上、そして革手袋とコートの袖の隙間から垣間見える肌は病的なまでに白い。小さな顔に美しく整ったパーツ、背中まで伸ばした黒髪を風に靡かせるその姿は、まさに時間と容姿を掛け合わせ、文字通りに月下美人であった。
「…ここも、違う」
そんな女性の呟きは、
「…一体、どこにいるの…」
悲痛な声を漏らし振り返る女性の前に立つ、複数の異形。黒い影法師に赤い瞳と切れ込みを入れたような口、それらを取り付けたような異形が五体、女性の行く手を遮るように立ち塞がっていた。
「退きなさい。あなたたちの求めるもの、私はあげられない」
僅かばかりに悲しみを含んだ女性の言葉を、異形はまるで嘲るようにしてケタケタと笑う。そうして、その全てが女性を蹂躙せんと迫る。彼らが求めるもの、命を奪うために。
「…そう、残念だわ…」
迫る異形たちを前に、女性は呟く。そして無防備なままの女性に異形の影法師がさらに迫り、
次の瞬間にはその全ての胴体が二つに分かたれる。
"…ケ…ケケ…"
訳がわからず自分たちの半分になった胴体と、目の前の女性を見る。そこには、細い右腕に異質な武器を握る女性の姿があった。
重厚感のある短い刃に、両手では恐らく握れない短い柄にはびっしりとお札が巻き付けられていた。
女性はその異質な刃物…泊鉈を、ただ横一文字に振り抜いただけだ。ただそれだけで、夜の街を闊歩する怪異の身を切り裂いてみせた。
不気味な笑みを残し、消失する影法師たち。そんな彼らを横目に女性はその場を後にする。不気味なまでの静寂の中、女性のブーツが立てるカツンカツンっという硬質な音が生まれては消えていく。
「…待っててね、必ず…必ず見つけ出すから…もう少しだけ待っていて、
女性は夜の街を廻る。襲いくる怪異たちを斬り伏せ、ただひたすらに彷徨い歩く。全ては、愛するたった一人の妹を探し出すために。