深夜廻 繋いだ手をもう一度 (本編完結)   作:めんりん

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第2話: 不可避の遭遇

「…そー…」

 

 

いわゆる、抜き足差し足忍び足。小さめな白いキャリーバッグと同じく小ぶりなクリーム色のリュックを携え、ハルは自宅のリビングへと足を踏み入れる。もちろんキャリーバッグをコロコロと引きずれば音が立って仕方がないため、細い両腕でえっちらほっちら、必死に地面と接触しないよう持ち上げながらである。

 

 

こんなことで眠るクロを起こしてワンっ!! なんて幸先が悪いにも程がある。

 

 

時刻はまだまだ暗さが残る冬の早朝。普段ならハルはともかく、ハルの両親は既に起床している時間だが、今日は休日。いつも通りなら両親が起きるまでにまだ幾許かの猶予がある。

 

 

こんな夜逃げのように家を発つのはハルとしても不本意である。が、二人であの街に行くといえば止められるのは目に見えている。あの母親はもちろん、温厚な父親でさえいい顔はしないだろう。

 

 

ので、できれば二人に会うことなくこのままリビングを通過してユイとの集合場所に向かうのがハルにとっては一番理想的である

 

 

「やあ、おはよう。ハル」

 

 

のたが…なぜか休日の早朝だというのに、テーブルにはいつものように優雅にコーヒーを飲む父親の姿があった。

 

 

首にかからない程度まで伸ばした黒髪に、とても中年とは思えない若々しくハリのありそうな肌、端正に整った青年のような顔立ち。母親も母親だが、この父親もまた大概な年齢詐欺であるとハルは思っている。

 

 

いっそのこと、父親でなくて兄や従兄弟だと言われた方が納得するのではなかろうかという若々しさである。

 

 

「…ぱ、パパ…き、今日は早い…んだね…」

 

 

これでもかと言うくらい、出鼻を挫かれた。今この状況においては、正直この父親はある意味では母親以上に厄介な人物である。優しげな顔立ちからは想像出来ないが、こと洞察力という点に関して、この父親の右に出るものはいないとハルは断言できる。

 

 

生半可な嘘はもちろん、真実に少しだけ交えた僅かな欠片さえも容易に見抜くその眼力は、今ハルが突発的に対応できるレベルではない。

 

 

 

「本当はもう少し寝ていようかと思ったんだけどね。ハルが何やらいそいそと準備をしていたから、気になって」

 

 

この時点で、ハルの逃げ道は無くなったも同然だった。両親に黙って遠出をする準備をしていたがバレたということは、必然的に言っては止められる場所に答えが限定されてしまう。

 

 

そんな限られた選択肢の中から、この父親が答えを導き出すまでに苦労をするとは思えない。

 

 

「気をつけて行っておいで。あ、ただ朝と夜に最低一回は連絡をすること。そうしてくれると、僕も母さんも安心できるからね」

 

 

「…え?」

 

 

だが、予想に反して父親の口から出たのは、ハルの出発を止めるものではなかった。寧ろ条件付きでのお許しである。

 

 

「…止めないの?」

 

 

正直、こんな形で旅行に行くなどと言っても通用しないだろう。この父親相手なら尚更だ。だからこそ、ハルは半ば白状するかのような思いで父親に問いかける。

 

 

「そうだね、本音を言えば止めたい。勿論、ハルだけじゃなくてユイちゃんもね。でもそれが本当の意味で二人のためになるのかと言ったら、恐らく違うだろうからね」

 

そうだろう?、っと暗に言いながら顔を向ける父親に、ハルはただ無言で返す。ほとんどノーヒントでありながら、狙い澄ましたかのように核心のみをついた父親の言葉に、安易な言葉を返すわけにはいかなかった。

 

 

「だから、やってみるといい。ハルの思うままに、やるべきと思ったことを、ね。ただし、無理、無茶、無謀は厳禁だ。いいね?」

 

 

父親の言葉に、ハルは胸のなかに渦巻いていた重みが軽くなっていくことを感じた。こんな親不孝な娘であっても、この父親はハルの選択を是としてくれた。

 

 

心に染みる、というのはこういうことを言うのだろう。

 

 

「ありがとう、パパ。帰って来たら、デートしようね」

 

 

「あはは、それは父親冥利に尽きるね。…行ってらっしゃい、ハル。気をつけるんだよ。色々と、ね」

 

 

冗談めかしたハルの言葉に、父親は和やかに笑って娘を送り出した。そんな父親に、ハルもまた笑顔で告げる。帰って来たら、これでもかと親孝行をしようと密かに決心を固めながら。

 

 

「うん。行ってきます、パパ。ん…? そう言えばママは?」

 

 

だがそこで、一つの疑念が降って湧いた。というより、なぜ今の今まで気づかなかったのだろう。最重要課題である母親の姿が見えないことに、ハルは今更になってそのことを父親に問いかける。

 

 

「ああ、何でも今日はやることがあるとかで、早くから用意して出かけたよ。行き先までは聞いてないから、あとで連絡が入ると思うよ」

 

 

「そう…なんだ…」

 

 

父親の言葉に、よかったと思う反面、後味の悪さもまた反面。何となく胸に引っかかるものを感じながらも、ハルは玄関に向かって足を運ぶ。

 

 

「それじゃ、行ってきます。ママにはあとで連絡する」

 

 

「……そうだね」

 

 

行ってらっしゃい、という父親の声に言葉を返し、ハルはそのままリビングを抜けて外に出る。冬の外気に思わず身震いするが、そんな寒さを予想して着込んできたライトグレーの膝丈まであるダッフルコートで耐え凌ぐ。フードと袖にそれぞれ取り付けられたファーが非常に暖かい…はずだ。

 

 

冷たい風に薄金の三つ編みを躍らせながら、ハルはユイとの集合場所であるマンションのエントランスへと向かうためにエスカレーターの下りボタンを押す。

 

 

そう時間をかけずやってきたエレベーターの扉をくぐり、『1』と書かれたボタンを押す。

 

 

「さて、行きますか」

 

 

そして、言い聞かせるようにしてハルが呟くと同時に、彼女を乗せたエレベーターは緩やかに下降を開始した。

 

 

地上八階というそれなりの高さから一度として途中停車することなくエレベーターは一階、エントランスホールへと到着する。チンっという音と共に開かれた扉の先には、やはりというか何というか、既に支度を済ませたユイが壁に背を預けて立っていた。

 

 

白いパーカーの上に黒のライダージャケットを重ね、デニムのショートパンツと黒ストッキングにブーツのような黒いハイカットスニーカー。概ね先日に諸々やらかした時と変わらない。

 

 

 

「んん…そういう勝負服…いや勝負…色?」

 

 

死装束? と聞くには少々縁起が悪いので、当たり障りのない表現に変えて問いかけてみる。

 

 

「叩かれたい?」

 

 

が、結果はこの通り。右の薄い紅眼がちょっとばかしギロっとなっているあたり割と本気かもしれない。

 

 

「じょ、冗談だよ、冗談。おはよ、ユイ」

 

 

「どうだか。はよ、ハル」

 

 

挨拶を返しつつ、ユイはボストンバッグを肩にかけ直す。財布携帯ハンカチなどの必需品はポケットにしまっているのだろうか。目に見える範囲に他の荷物は見当たらない。

 

 

一応、数日単位の覚悟をして着替え等も持参しているが、やはり手荷物は少ないに限る。特にお財布事情と帰宅後の雷云々を考慮して、この旅は迅速に終わらさなければならない。

 

 

あの街で過ごすだろう日数に比例して、帰宅後の彼女らの運命が決まる。ただの雷で済むか、大嵐が来るか、あるいは全て後の祭りとなるビッグバンクライシスが起こるか。それは神のみぞ知るところである。

 

 

「んじゃいこ。まだ始発はないから、ちょうどいい時間になるまでは歩くってことで」

 

 

「…まあ…そうなるよね。うへぇ…」

 

 

それなりの都会と言えども、始発まではあと一時間弱はある。普通ならば間違いなく集合時間を遅らせるべき案件なのだが、今回の旅にそれはご法度だ。何せバレたらその場で強制送還された後にトントン拍子でジ・エンドが確定している電撃的かつ事後報告な、謂わば半分家でのようなものだ。

 

 

イレギュラーにセオリーで立ち向かうのはナンセンスなのである。可及的速やかに危険区域から脱出するためには、多少の肉体運動的な経費は積極的に投資して然り、だ。

 

 

「…重たいぃ…」

 

 

カラカラと音を立ててキャリーバックを引きずるハルの姿は、何というか切なさすら感じさせるほどに緩やか……というよりノロマだった。人間がナメクジか何かにスピードを合わせたらこうなるかもしれない。

 

 

「そんなにたくさん詰め込むからでしょ、何をそんなにぎゅうぎゅうに押し込んだのよ」

 

 

「…秘密…」

 

 

実を言えば、ハルはユイに電話したあの時から今ここに至るまで、殆ど睡眠を取っていない。あの時間に寝てしまったら起きられない、というのもなくはないが、そんなものはオマケのオマケだ。

 

 

ハルが真夜中に忍び込んだ空き巣のごとく静かに推し進めていたこと、敢えて言うなら、それは()()()だ。

 

 

逃げるのではなく、避ける為でもない、第三の選択肢を選ぶための下準備。通用するかどうかすら未だ定かではないが、まあそんなものはやってみなければ分からない。だが、まさかここまで重量が嵩むのは想定外だった。控えめに言っても重過ぎる、今なら泥人形型の怪異からですら逃げることが危ぶまれる。

 

 

 

「はぁ…そんな速度じゃ日が暮れ…ちがう昇っちゃうよ」

 

 

ユイはノロノロと歩くハルからキャリーバックを掻っ攫うと、ぐいぐいと引っ張って先に進んでいく。さすがに速い、ハルとしては少々の遣る瀬無さと世の中の理不尽を感じざるを得ない。そのスラリとした体のどこにそんな馬鹿力を秘めているのだろうか。

 

 

「ま、待ってよ! え、てか速いし、速過ぎるしっ!」

 

 

そんなことを考えたいる間にも、重りと言っても差し支えないキャリーバックを引きずりながら猛然と突き進む幼馴染を追って、ハルもまた薄暗い街へと駆けていった。

 

 

 

*****

 

 

 

 

娘が扉を開けて外に出て行ったことを感じたハルの父親は、今までハルに気付かれないようストーブの前で寝たふりを敢行している黒い小型犬…クロに呼び掛ける。

 

 

「まさか、珍しくクロが僕を起こしに来たと思ったらこんなことになるなんてね。お手柄というか何というか…まあ、結果はこの通り、だけどね」

 

 

実を言うと、この父親を起こした…というか気づいていながら寝たふりをしていた父親をリビングに引きずって来たのはクロである。ハルとしては夜な夜な細心の注意を払って準備を進めていたつもりなのだろうが、犬の聴覚や嗅覚までは流石に誤魔化せなかった。

 

 

ので、密告のような形でこの男を起こしたにも関わらず、この有様。男の行動に、クロは今現在、ご立腹なのだ。呼び掛けにもガン無視である。

 

 

「そう怒らないで欲しいな。僕としても苦渋の決断なんだ。どこに大事な娘が危ないことをすると分かっていて止めない父親がいるものか」

 

 

ハルの前ではああ言ったが、彼だって欲を言うなら無理にでもハルを止めたかった。当然だ、彼にとって、ハルは大切な娘なのだから。その幼馴染たるユイもまた然り、である。

 

恐らくは先日の事件に似たり寄ったりか、あるいはそれ以上のことをしようとしているだろうことは何となく予想がついている。

 

 

「でもね、あの子たちが自分でやると決めたのなら、その意思を尊重してあげたいんだ。それが間違っていることなら勿論止めるさ。だから、あの子があの子のままでいる限り、僕は娘の背中を押し続けるよ」

 

 

親バカかな、なんて苦笑する男に、クロは鼻を鳴らすだけで応える。

 

 

「…けど、それはあくまで僕の考えだ。…彼女は…どうやら違うらしい」

 

 

そう、彼は1つだけ嘘をついた。正確には嘘ではないが、極限にまで表現を淡く、かつオブラートに包むことで()()()()()の存在を娘の思考から遠ざけた。

 

 

窓の外を見ながら、男は少しばかり物憂げにそう呟く。今この場にいない、己の美しい、そして何より娘思いの伴侶を思いながら。

 

 

「気をつけるんだよ、二人とも。本気になった彼女を相手にするのは……僕でも骨が折れる、では済まないからね」

 

 

 

*****

 

 

薄暗い街を歩くこと数分、ハルとユイの二人は最初の目的地でありセーブポイントでもある鉄道の駅に到着しようとしていた。

 

もっとも、ここから乗り換えに次ぐ乗り換えと地方の路線バスも経由しなければならないため、まだまだ旅は始まったばかりなのであるが。

 

 

「よっ…こいせ」

 

 

下り階段に差し掛かるため、ユイはこれまで引きずっていたハルのキャリーバッグを片手で持ち上げ、一段ずつ確実に階段を下っていく。如何にユイとはいえ、重量のあるキャリーバッグを持ったまま長い下り階段を駆け下りることはリスクが伴う。

 

 

ちなみに、ここに至るまでの道すがら、ハルは何度かユイからキャリーバッグの奪還を試みたが、その悉くを防がれた。

 

 

そーっと取ろうとすればその度に気配を察知され、失敗。

 

 

「重いでしょ? やっぱ私が持つよ」、「別に」………失敗。

 

 

敢えて力尽くで挑み、全体重をかけて取ろうとして、当たり前のように大惨敗、ビクともしなかった、失敗。

 

 

にもかかわらず、ユイの歩行速度は変わらず、疲れた様子など欠片も見せない。むしろ挑んでは敗れるハルの方が息切れし始めたため、ハルはもう諦めてあの無駄に重たいキャリーバッグはユイに任せることにした。

 

力と速度…ようは身体能力が物を言う土俵で、自分がこの半人外な幼馴染に勝てることは恐らく一生ないなと痛感しながら。指相撲に腕相撲で挑んでも勝てる気がしない。

 

 

現在ハルとユイが下りている階段の先は、交通量の多い国道を歩行者が下から通り抜けられるよう作られた短めの地下道となっている。日が出ているうちは、小学生などの通学路にも指定されているこの地下道も、薄暗い真冬の早朝となれば、不気味さを感じさせるには十分な暗さだ。壁に取り付けられた白い蛍光灯がなければ、およそここを通ろうと思う人間は少ないに違いない。

 

 

 

「このままいけば、一駅くらい歩けば始発に乗れそうだね」

 

 

携帯の画面に表示されるデジタル時計を見たユイがそう口にした。同じように携帯の画面を見たハルもまた、同意見だ。

 

 

「うん。それから新幹線に乗り換えて…また電車を何本か乗り継いで…最後はバス…で行けるはず。…これ到着するの夕方過ぎだね…」

 

 

「ちょうどいいじゃん、ビジネルホテルかなんか取って少し休憩したら探索開始って感じで」

 

 

「到着してすぐ探索って……どんな体力してるの…」

 

 

長旅を終えて即座に夜の冒険(なお深い意味はない)に駆り出すほど、ハルの体力は多くはない。むしろ許されるならそのままベッドにダイブして休息に勤しみたい。

 

が、この旅の目的は街の全容を把握した後に然るべき処置をして、即座に帰還しなければならない。滞在期間が伸びる旅に、財布と帰還後のあれこれが重くなってしまう。

 

 

故に、到着次第すぐに行動を起こすのは決して間違いではない。むしろ可能なら夕方からすでにある程度のプランを練りつつ散策を開始することすら考慮に入れるべきである。

 

 

「普段から引きこもって本ばっか読んでるからじゃん、たまには運動したら? ていうか外に出たら?」

 

 

「失敬な、誰がヒッキーなのさ。外行くよ、お菓子買ったり本買ったりーー」

 

 

「ほら、外に出る動機が見事なまでに引きこもる準備段階」

 

 

「だからヒッキーじゃないしっ!!」

 

 

やいのやいのとした二人の声が下に見えてきた地下道に反響していく。当たり前の話だが、地下道に近づけば近づくほど、音はより狭い空間を反響し、反対側へと向かっていく。

 

従って、二人が降ってきた方とは反対の出口から発生する音もまた、同様に彼女たちが降りてきた方面へと反響していく。

 

 

カツンっ、カツンっ

 

 

硬質な、かつ規則正しい一人分の足音を、二人の耳が捉える。

 

 

 

「いやそれ大して変わんなーーーっ!?」

 

 

その反対からやってくる人物を見て、ユイの体は一瞬で凍りつく。

 

 

「…ユイ?」

 

 

先程までの雰囲気はどこへやら、目を見開き硬直する幼馴染の視線を追って、

 

 

「…っ!? …うそ…なんで…」

 

 

ハルの体も同様に、一切の動作を停止させる。

 

 

やってしまった。

 

 

この旅の難易度は、精々がベリーハード程度だと思っていた。見つからずに街を出て、事後報告をして、諸々を片付けた後に雷を食らう。その程度で、終わると見越していた。

 

 

しかしそんな二人の甘過ぎる見通しは、たった今、砂上の城の如く容易に崩れ去ることとなる。

 

 

「…まったく…冗談キツイって…」

 

 

ユイの頬を、一筋の冷や汗が伝う。『理不尽』、そんな言葉でしか表現できないほどの、いっそ挑むことが馬鹿馬鹿しくすら思えてくる絶対的な壁が、二人の前にそびえ立っている。

 

 

何故なら、

 

 

「こんな朝早くから、一体どこにいくのかしら? ハル、ユイちゃん」

 

 

白い蛍光灯に照らされた、一直線上に伸びた地下道。その真ん中に、一人の女性が立っていた。二人が最も恐れ、今だけは遭遇したくないと切に願った、最重要警戒人物。

 

 

長い薄金の髪で束ねた三つ編みを前に垂らした、妙齢の美女。

 

 

「もう一度聞くわ。()()()、行くつもりなのかしら?」

 

 

普段は細められている二つの瞳を開き、一切の笑みを消したハルの母親が、二人の進まんとした道の前に、悠然と立ち塞がっていた。

 

 

 

 

 




夜の話になる前段階が多すぎる←
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