11月19日 活動報告を更新
天井付近の壁に取り付けられた白い照明、その光に照らされる地下道の中心に一人の女性が立っている。
膝下まである黒一色の高級感溢れるウールコート、袖と襟にそれぞれ取り付けられたファーすらも黒い。靴はコートと同色の編み上げブーツと、ここまで黒以外の色は見受けられない。
が、それを身に纏う女性の色はまさに真逆。束ねた三つ編みの髪は照明の安い光すら反射して輝く見事なまでの薄金、服の隙間から僅かに覗く白磁色の肌にはシミひとつない。さらには寸分たがわずに整えられた顔の黄金比と、服の上からでも分かる完璧なプロポーション。
まさに神の悪戯を体現したかのような女性が一人、硬直して動けないハルとユイの前に立っている、いや、立ち塞がっている。
「おかしいわぁ、返事がないわね。三回も私に同じ質問をさせるつもりかしら、二人とも?」
そう話す間の女性…ハルの母親は、ピクリとも笑わない。どんな時でも笑顔を絶やさず、淑女然とした普段の彼女の姿など、かけらも見受けられない。
ハルもユイも、ただ黙っているわけではない。動きたくても動けないのだ。指先一本どころか、唇すら思うように動かない。唯一いま動作確認できているのは、カタカタと音を鳴らす奥歯のみ。
先日のお説教など、比べるのも愚かしい。今のこの重圧に比するようなプレッシャーなど、怪異といえどそう易々と放てるものではない。
「…ど、どう、し…て」
震えながら、つっかえながら。ようやく絞り出したハルの一声は、ひどく弱々しく、触れれば即座に四散するシャボン玉のように脆いものだった。
「…質問に質問で返すのは好きではないのだけれど…。昨日の…というより数時間前のあなたとユイちゃんの会話を聞いていたから、よ」
その言葉に、ハルは奥歯を噛みしめる。震える体と止まりかけた思考で何とか打開策はないかと考えをめぐらしてみたが、打開策など一ミリも出てこない。言葉で誤魔化すのは、会話を聞かれている限り不可能だ。
では残るは正面突破しか残されていない。しかし、
「二人とも、すぐに回れ右して帰りなさい。今なら特別に、無断で遠出しようとしたことは不問にしてあげる」
(…だめ…正面からママに挑んだって…勝ち目なんかあるわけがない)
それは、限りなく、ではない。絶対に不可能だ。今まで娘として育てられてきて、近くで見てきたからこそ確信できる。今ここにいる母親に挑むことと、丸腰で山の醜神に挑むことは同義だと。それほどまでに、二人とこの母親との間には絶対的な戦力差がある。
「………」
しかし、思わず後ろに足が動きそうになるハルの脳裏に、あの夢がよぎる。霧に閉ざされた街並み、ハルに待っていると告げて消えた謎の少女。
たったあれだけなのに、あの街で再び何かが起こっていることなど容易に想像できてしまう。もしこれが全て偶然か何かで、実際には何もなかったなんてことであったなら、どんなに気が楽なことだろう。
しかし、そんなことはあり得ない。八年前の事件を体験したハルからしてみれば、これだけの予兆があって街は平和でしたなどと、そんな馬鹿げた希望的観測など出来るはずがない。
無視をするべきなのかもしれない、いや寧ろすべきだろう。例え夢で見た少女が本当にあの街でハルを待っていたとしても、それはハルが絶対にあの街へ行かなくてはならない理由にはなり得ない。
見たことも会ったこともない人間のために、自身の命と親友の命を賭ける謂れはない。心配する親の気持ちを無下にしていい理由には断じてならない。
その、はずだ。
(…でも…でもっ!!)
だが、ハルは知っている。人ならざるものに、運命を弄ばれる苦しみを。理不尽に奪われる痛みを、怒りを、悲しみを、誰よりも理解している。
もし、同じ苦しみを強いられている者がいるのなら。あの少女が、過去の自分と同じ境遇に陥ってしまっているのなら
「…助けてあげたい」
絞り出した思いの丈は、酷くか弱い。
「…ハル?」
ハルの隣に立つユイが、怪訝な眼差しを向ける。
「もし、あの子が私と…私たちと同じなら、助けてあげたいの…」
それでも、この気持ちを押し込めて、見ないふりをすることは出来ない。それは、他ならぬハル自身が、あの時した選択を否定することとなる。
八年前のあの日、神にすがってでもハルはユイを助けることを選んだ。理不尽な運命に、己の命を賭すことを代償に挑んだ。大切な親友を助けるために、何より、大好きな幼馴染が隣にいてくれる、自分自身の未来を勝ち取るために。
あの少女の声に応えられるのは、ハルしかいないのだ。ここで自身と同じ境遇に苦しむものを見捨ててのうのうと生きていくことは、ハルには出来ない。
「理不尽に奪われるのは、とても苦しいの、悲しいの。一人だけじゃ、何一つ出来ないの。だから、誰かの助けが必要なんだよ、最初に手を差し伸べてくれる人が必要なんだよ。私が…そうだったように」
ハルは、ユイを失ったこと過去の自分を思い出す。あの時、ハルができたことは、せいぜいが悔やみながら自分の愚かさを責めることだけだった。縁切りの神がハルの声を聞き届けてくれていなければ、恐らくハルは未来永劫その苦しみから逃れることは出来なかっただろう。
「全部私の妄想なら、ただの夢だったらそれが一番いい。でも、もしあの子が昔の私みたいに苦しんでるなら、助けてあげたい。今度は私が、手を差し伸べてあげたい」
押し寄せる恐怖を精一杯押しのけて、ハルは冷たい瞳のままの母親を見る。放たれる重圧と冷気が容赦なくハルの体を蝕む。足は竦み、心臓は爆発しそうなくらいに暴れている。
それでも、目だけは決して逸らさない。この思いは、決して口先だけの薄っぺらい正義感などではない。
臆病な心に誓った、自分との約束なのだから。
「…まあ、そんなことらしいので…。通らせてはもらえませんか? おばさん…いいえ、
ユイが一歩、まるでハルを背に守るように歩みでる。
「ユイ…?」
背中越しに戸惑うようなハルの言葉を受けながらも、ユイが見据えるのは立ち塞がるハルの母親…アイの瞳。鋭利な黒曜石のようなその瞳に気圧されそうになりながらも、無理やり足を前に向ける。
「分かってますよ、こんなことはしなくてもいいことだって。お母さんやアイさんに心配かけてまでやることじゃないってことくらい。…でも、それでも、今私がここにいられるのは、あの時そんなバカげた無茶をしたハルがいたからなんです」
父親からの虐待と、ハルの引越しという二重苦に挟まれていたあの時、悪戯に定められていた自分の死。そんな神に仕組まれた不条理を覆せたのは、臆病な幼馴染が絶望や悲しみを一身に背負い、それでも尚立ち上がり、手を伸ばしたからだ。
神にすがり、何度も挫けそうになりながらも、ユイの後ろにいる幼馴染は立ち上がることをやめなかった。片腕を犠牲に自分の魂を解放してくれた、自分を助ける為に、過去にまでやってきた。
きっかけは悲しみと諦めだったのかもしれない。それでも、根底にあったのはユイを思う心だ。
「だから、決めたんです。ハルがまた無茶をするのなら、私も隣にいるって。次は私が、助ける側になるんだって」
八年前の戦いだけではない。それ以前から、痛みと苦しみで満ちていた自分の世界で、唯一暖かさをくれた弱虫な幼馴染。明けない夜を歩きつづけるユイの隣で、生きる希望を持たせ続けてくれた、大切な幼馴染。
ハルが行くというのなら、例え地獄の果てだろうと一緒に行こう。そこにハルの成すべきことがあるのなら、どんな障害からも守ってみせよう。
そのために、この八年間、ひたすらに強くあろうと思ってきた。あの日、自分をひたすらに傷つけ追い詰めた続けた父親を、一瞬で打ち砕いた人物の…何より強いと確信できる一人の女性の背を追って。
「ハルのためなら私…アイさんとだって戦います。そこ、退いてください」
手にしていた全ての荷物を手放し、ユイは戦うための構えを取る。重心を落とし、左手と左足を前に、反対に右手右足はやや引き絞るようにして後ろへ。ずっと追い続けてきた女性に、今ユイは初めて拳を向けた。
「…あなたたちの気持ちはわかったわ」
娘たちの言葉を聞いたアイは、静かに瞳を閉じ、穏やかな口調でそう口にした。一瞬和らいだその雰囲気に、二人は胸を撫で下ろそうとする。
だが、
「でも残念ね。それは私がここを退く理由にはなり得ない…っ!」
直後、先程までとは比にならない重圧が二人体にのしかかった。まるで周りの重力が数十倍にも膨れ上がったかのような圧倒的なプレッシャーに、総毛立つような悪寒がするのに、汗腺からは荒れ狂ったかように冷や汗が噴き出てくる。
「ママッ!!」
「あなたたちにもあるように、私にも譲れないものがある。大切なものを守るためなら、私は悪魔にでもなってみせるわ」
娘の声に、母はただ親としての覚悟を示す。言葉の通りの悪魔、いやそれすらも上回るかのような鬼気迫る表情。二人が生まれて初めて目にする、アイの本気の姿。
想像を絶する、なんてものではない。もはや同じ人間という種を相手にしているとは到底思えないほどの図抜けた迫力だった
「あ、あはは…これ、コトワリ様とどっちが強いかな……」
前に立つユイが、冗談交じりに背中越しのハルに問いかける。正直、こんな冗談でも言っていないとすぐにでも膝が笑い出しそうほどにユイの足は震えていた。
どう考えても今の自分たちが…というより人が無手で挑んでいい相手な気がしない。いっそ記憶にある神々にちなんで鬼神だの魔神だのと表現した方がしっくり来そうなほどだ。
そしてもちろんそれは、ハルだって同じこと。
怒らせなくても怖い、怒らせたら全て終わり。ある意味天災のような母親が、怒るとか怒らないという感情論ではなく、文字通り
「…そこで引き合いに出されるのが神様の時点でもうなんか…ほんとになんだろうね、あの人は…」
ため息交じりに出た言葉は、おそらく震えていたことだろう。それでも、ここを避けて通ることは今更できない。
「じゃ、いっちょ挑戦してみますか。ハルは下がっててね、これは……私の個人的に超えたい壁でもあるから」
目一杯の強がりと、本当の気持ちを混ぜたユイの言葉に、しかしハルは首を振る。
「ううん、私の都合でこんなことになってるんだもん、私だって戦うよ。それに…守られてばかりなのは、嫌だから」
背中のリュックから
「…まったく、ほんとに無茶ばっか」
「だね。でも、二人ならきっとやれるよ」
互いに苦笑を交えた二人は、今一度目の前に立ち塞がる人物へと目を向ける。まるでアイを中心に巨大な嵐か何かが荒れ狂っているかのような錯覚を覚える。
が、二人からしてみれば、いつも挑む相手は出鱈目なあれやこれ。街をうろつく怪異から山の悪神、低俗な犯罪者。その次が、単に最強最悪の超人外な目の前の女性だったというだけだ。
「じゃ、いこっか」
「…うん」
短い問いかけに、二人は頷きあう。ユイは拳を構え、ハルは両手に持ったそれらを背中に隠す。
「…ふぅ…」
ユイは目を閉じ、心の中で戦うためのスイッチを入れる。戸惑いはある、恐れもある、罪悪感だってある。それでもこの選択が、挑戦が、決して間違いではないと証明するために。
憧れた存在に、今の自分を全力でぶつけるために。
「…行きます…アイさんっ!!」
「全力で来なさい、悉くねじ伏せてあげるわ」
直後、ハルの目では到底追いきれないほどの速度でユイが疾走、その速度と力強く踏み込んだ左足の力を乗せた右の正拳突きと、無造作に放たれるアイの手刀が衝突。
自らの危険を承知で進まんとする娘たちと、それを阻まんとする母との…おそらく人類史の中でも最高峰に度を越した親子喧嘩の幕が、今切って落とされた。
少し短いですが切りがいいのでこれで( 。・・)/⌒
しかし話の流れが完全に出来損ないの少年漫画みたいになってきた…はやく街に行ってくれないかな←お前のせい( '-' )=⊃)`Д゚);、;'