他が別に得意というわけでもありませんが…
衝突する拳と手刀。全力で踏み込んだはずの拳を片手で、しかも無造作に止められたというのにユイの顔に焦りはない。当然だ、この程度のことで驚いていたのでは埒があかないし、そもそも挑もうなどと思っていない。
突き出した右手を引き戻すと同時に、反動を用いて左足を軸に急速回転、遠心力を乗せた裏拳をアイの横面めがけて放つ。
が、この攻撃もやんわりと顔の横に置かれた手の甲で防がれる。手応えはある、ただ拳を打ち込まれた方の女性の膂力が並外れている故にユイの拳が軽く見えるだけだ。普通の大人なら当たれば脳が卒倒するほどの裏拳も、この異常としか言いようのない膂力の前では毛ほどの効果もない。
燃えるようなユイの瞳に、氷のように冷え切ったアイの表情が映る。
「やぁぁっ!!」
飛ぶようにバックステップした後、流れるような乱舞をアイに打ち込む。
左から始まる刺すようなワンツー、右の掌と甲で順に流される。
しなやかな両脚を交互に使った下段、中断、上段の高速蹴打。下段は膝で、中段と上段は腕でそれぞれが軽く受け止められる。
占めの大外回し蹴り、ユイの動きに合わせアイも自ら回転、黒い旋風のような回し蹴りがユイの踵部分を正確に打ち据え、蹴りそのものが相殺される。直後、僅かによろめいたユイの首筋目掛けて居合抜きのごとくアイの手刀が迫る。
「ぐっ!?」
間一髪、ユイは後ろに仰け反ることで迫り来る刃を無理矢理に躱す。代わりに手刀が命中したと思われる自身の焦げ茶色の髪が、数本眼前を舞う。まるで空気そのものすら断ち切らんばかりの威力、いや鋭さだ。
(いやいやっ!? 当たったら私の首飛んでない!?)
そんなユイの内心などまったく省みることなく、追撃で放たれた黒い中段蹴りが剛風を纏いながらユイの脇腹に迫る。考えなくてもわかる、あんな蹴りをまともに貰おうものならその瞬間にゲームオーバーは必至だろう。
「せいっ…やぁっ!!」
ならば、受けなければいい。気合いの掛け声とともにユイはその場で重心を前に寄せつつ飛び上がり、宙空に体を残したままに回転を加えた回し蹴りを放つ。格闘世界の空中殺法が一つ、ローリングソバットと呼ばれる技だ。
余談だが、本来この空中殺法は自身に向かって突進してくる敵に対してのカウンターが主であり、至近距離から放たれる中段蹴りを回避するために使われることは全くと言っていいほどにないし、ましてやろうとして出来る芸当でもない。
が、そんな破天荒に繰り出されたユイの回避と合わせた攻撃を、さらに破天荒な手段でアイが迎撃する。アイは瞬時に振り抜いた右足の爪先を下に向け、踵を振り上げるような歪な蹴り上げをもってユイの空中殺法を相殺。
「うっそ…っ!?」
空中で下から掬い上げるような力を加えられたユイは、その勢いを利用し、バク宙…とうよりもはやサマーソルトのようにして後方へなんとか着地、アイはというと、欠片ほどのブレもなく振り抜いた足を地に戻し、最初の体制へと戻っている。
「ユイ…平気?」
ユイの背中越しに、心配げなハルの声がかかる。もちろん平気なわけがない、生半可な運動ではビクともしない己の心臓が、たったこれだけの時間でけたたましく早い鼓動で暴れまわっているのだ、本来なら戦略的撤退っというやつを使う場面である。
「平気なわけないよ。でも、やるしかないでしょっ!!」
叫び声とともに、再びユイが佇むアイに肉迫する。これ以上ない苦渋の策だが、ユイの後ろにはハルがいる。対人戦はおろか真っ当な運動ですらやっとと言った程度の身体能力しかないハルでは、アイを前に数秒と持たない。
故に、ユイはひたすらにアイに突貫し続け、アイとハルの距離を守らねばならない。ハルが両手に持ったものがどのようなものかわからないが、使わないということは、今はまだその時ではないということだ。
なら、その時を作らねばならない。無茶でもなんでも、目の前の超人外な女性の隙を、突破口となり得るチャンスを。
(それで失敗なんかしたら、承知しないからね)
やれやれと言わんばかりに心の中でため息をつきながら、ユイは左脚を踏み込み、再度右の拳で正拳突きを放つ。狙いはアイのほっそりとした腹部、そのど真ん中。
威力、速度、ともに最高峰。少なくても女性かつ十代の少女が放てるものとしては規格外の一撃だ。常人はおろか、生半な武道家でも防ぐことは叶わないだろう。
だが、今回は相手が悪い、悪過ぎる。威力と速度が存分に乗ったその一撃を、アイはその場で
「…強くなったわね、ユイちゃん」
「あはは……まっったく説得力ないです」
拳を受け止められたままかけられる言葉に、苦笑いが込み上げてくる。いっそどの口が言うのだと吠えてやりたい。
「いいえ、本当に強くなったわ。空手を始めてまだ数年程度、と言うのも考慮すれば素晴らしい才能よ。まだまだ、ユイちゃんは強くなれる。力も、そして心も」
拳を引き抜こうにも、セメントか何かで固められているかのごとくビクともしない。かといって無理に力を込めれば反動を利用されてドカンっ、と言うことになりかねないため、ユイはおとなしく適度に力をこめつつ精神を張り巡らせるしか択がない。
「けれど…」
瞬間、固められていた手が離される。まるで羽毛の如くやんわりとした感触に、研ぎ澄ましていたはずの精神が僅かに揺らぐ。
(…っ!? しまっーーー)
「まだまだ脆い」
一瞬という言葉ですら表せない、瞬きよりも短かな時。隙というにはあまりに些細なその刹那、それだけで十分だった。ユイの視界に佇むアイの姿が
直後、
「かっ……はっ…!?」
見えた時には遅かった。感じた時には終わっていた。首筋に打ち込まれた一筋の手刀、腹部を打ち据える一度ではない掌打。その痛みを超えた重撃が、全て同時にユイの内部を駆け巡る。
「だめよ、それでは」
ガクン、っと。絶句するハルの先で、ユイの体が膝を折る。
「挑むのなら、瞬きの間も惜しみなさい」
アイが一歩を踏み出し、その隣でユイの体が完全に地に沈む。
「常に意識を張り続けなさい」
アイがさらに一歩を踏み出す、ハルへと…ただ立ち尽くす娘へとゆっくりと近づいていく。ユイに用いた絶速とは対照的に、その速度はあまりに緩やかで、それでいて重い。
「勝つことだけに執着しなさい」
カツン、カツン。ブーツの踵がアスファルトを踏み鳴らし、地下道を馳けて消えていく。一つなるたびに、絶対的な敗北がハルに近づいていく。
「一矢報いれば、なんて甘い考えは捨てなさい。そんな半端な覚悟で私の前に立っている時点で、あなたたちの負けよ」
アイはゆっくりと歩く。その先にいるのは、ただ目の前の出来事にただ呆然と立ち尽くす愛娘。
「……………」
「諦めなさい、ハル。勝つ以外の道を探しているような脆弱者が、あの街の夜を耐えられるはずがない。貴方達がそんなつまらないことで命を粗末にすることを、私は絶対に認めない」
ハルの数歩先で、アイはその歩みを止める。俯く娘を、母はただ冷たい瞳で静かに見つめる。力の差は歴然、比べるだけ無駄だ。この母親は、人類種が無策に挑んでいい相手ではなかった。
(…そっか、ママも知ってるんだ、あの街の異常さを)
言葉の意味から、ハルは確信を得る。母もまた、大なり小なりあの街の夜の異常性を把握しているのだ。
「…ママも知ってるんだ、あの街がおかしいって」
「なんとなく、ね。姿形が見えなくても、異常性をはらんでいることぐらいは感じられるわ」
つまり、実際に街に潜む怪異や神々を目にしたことはない、ということか。五感を用いず、第六感だけでそれらを感じることが出来ることは、素直に驚くこと所か、はたまたこの母親ならそれくらいは、と割り切るべきか。
「それがわかってて、ママは止めるの?あの街で、助けを求めてる子がいるってわかってて、ママは私たちを止めるの?」
顔を上げた娘の言葉に、どこか突き刺すような言葉に、しかし母は毅然とした氷のような表情は崩さない。
「そうよ、例え一つの命を見捨てることになったしても、私はあなたたちを止める。非情と蔑まれようが、人殺しと指を指されようがようが構わない。貴方達という大切なものを守るためなら、私はどんな蔑みも誹りも、怨嗟の声も甘んじて受け止める」
アイの覚悟は揺るがない。ハルがいくら言葉を重ねようと、もうこのどこまでも娘思いの母の心は動かないだろう。それほどまでに、アイの覚悟は重く、硬い。
彼女の言葉を、非情というのは簡単だ。冷酷と蔑むことも出来るかもしれない。だがそんなことは、アイ自身が一番よく分かっている。だが、これが最善なのだ、これ以外に道はないのだ。
彼女は自覚している。あの街に潜む
その者たちに、自分は
どれだけの膂力があろうと、縮地の域に達した速度があろうと、アイはただの
「行かせないわ、絶対に。あんなに…あんなに貴方達を痛めつけた街に…私が守ってあげられなかった街なんかに……二度と足を踏み入れさせはしないっ!」
「……っ!」
初めて見た。母が、こんな大声を出す姿を。初めて見た、母がこんなにも怒りを露わにする姿を。初めて見た、ハルにでも、ユイにでもない、自分自身に怒りをぶつける母の痛々しい姿を。
「…そっか…。ママも…辛かったんだ…」
己の無力を呪い、行き場のない怒りに身を焦がれたのは、アイも同じだった。なぜ気づくことができなかったのか、これほどまでに娘を愛してやまない母が、危険を犯そうとする自分たちを止めないはずがない。
「…でもね、それなら尚更だよ」
だからこそ、ハルの心また決まった。母の気持ちはわかった、痛いほどに胸に響いた。愛されているのだと強く感じられた。
だからこそ、
「助けてあげられないって気持ちを、ママは知ってるのに…苦しんでるのに手を差し伸ばしてあげられない苦しみを知っているのに…それを無視しろっていうの? そんなの…そんなのおかしいよっ!!」
「…っ!?」
ハルが初めて見たように、アイもまた初めて目にする。ハルが、自分に向かって強い怒りを表す姿を。娘が発する怒号に、向けられた烈火のごとく怒りに、アイは生まれて初めて足を竦ませた。
「私は、あの子を助けてあげたい。手を差し伸べて、大丈夫だよって言ってあげたい。理不尽から救ってあげたい…あの日、ママが私たちにしてくれたみたいにっ!!」
「…ハル……」
なぜ、とアイは問いかける。他でもない、自身の体に。己の力をもってすれば、ハルの意識を刈り取り目的を達するのはあまりに容易い。並外れた身体能力と戦闘力を保持するユイですら羽虫のごとく圧倒できる自身の力ならば、対人格闘能力などかけらもないハルを眠らせることなど、息をするより容易なはず。
それなのに、アイは動かなかった。それが何なのか、彼女には分からない。戸惑いなのか、迷いなのか、それとも他の何かなのか。理由をはっきりと言葉にすることは出来ない。
だがこの隙が、意図せずして作られたこのアイの停止した一時が、勝負を分けた。
「だから勝つよ、ママ。卑怯者って言われてもいい、友達を利用する酷いやつって思われてたって、親不孝だって罵られてもいい。そういうの全部受け止めて、前に進むよ。…だって私は…誰よりも強くて、誰よりも優しい…ママの娘だからっ!!」
直後、ハルは手に持っていた
(…スマートフォン…?)
自身に向かって投擲された薄型の携帯電話に対し、アイの取った行動は静止。投げたとはいえアイの目からしたら欠伸が出るほどに遅く、そもそも動かずとも体にあたることすらない。
だが、この油断が、最強最悪を誇る彼女の絶対的な仇となる。
ドーーーーーーーーーーーーンっ!!!!!!!!!
「なっ!!」
直後、アイの耳元で鳴り響く爆音。まるで大砲を打ち出したかのような大音量が鼓膜を殴りつけ、地下空間を駆け巡り連鎖的な爆発音を作り出す。
思わず両手で耳を覆うアイ。見ればハルもまた同じように顔をしかめてはいるものの、予め対策をしておいたのか両耳を塞ぐほどではない。
「これもっ!!」
続けて、ハルはポケットから大量の爆竹を足元に落とし、それら全てを纏めて踏み抜く。
パンっ!!パパパパパンっ!!バンバンバンバンっ!!!
「…この…っ!?」
立て続けに起こる耳障りな爆発音。アイは未だ大打撃を受けた聴覚を守るために両耳を塞いでいた。そんな彼女が背後に感じる、僅かな空気の乱れ。
「小賢しいっ!!」
反射的に、片手を風を乱したであろうものの正体…その首があるはずの高さめがけて振り抜く。その一撃は人が繰り出すにはあまりに早く、鋭すぎる。風すらも断ち切らんとする刃は、しかし空を切った。
「っ!?」
振り向いた先に目に移ったのは、僅かに頭を低くしたユイの姿。ユイは信じていた、咄嗟に繰り出すならば、蹴りでも掌底でもなく、もっとも予備動作を必要としない一撃、即ち首への手刀であると。
だがらこそ、予め頭を低くして走った。見てから反応するには、今の自分では遅すぎる。だから避けた、予め
見てから避けるのも、避けてから反撃するのも不可能。だから、繰り出される前に避けて、空いた時間は全て力を込めるのに費やした。頭を低くして、獣のようにして駆け、その全てを拳に乗せる。
戦いにおける先の先ですらない、読み合いそのものを放棄した、なり振り考えずに放つまさに乾坤一擲の一撃。
「はぁアぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
怒号とともに、溜め込んだ全ての力を一点に注ぎ込む。抉り込むようなユイの右拳が、アイのほっそりとした腹部の中央を穿った。
「ごふっ!?」
苦悶の声とともに、体をくの字に折ったアイが後方へと転がる。立ち上がろうとするも、至近距離から鼓膜に衝撃に加え腹部への一撃から、その姿は先程の整然としたものではなく、手負いの獣のように荒々しい。
「…今のは…流石に効いたわ…」
荒い呼吸で片膝をつくアイの目線の先には、同じく腹部を抑えて立つユイの姿。
「…一瞬で気絶されられたと思ったら爆音アラームがして? 明らかにここしかないみたいな状況での全力パンチですから、少しくらいはそうでないと困ります」
そう、これがハルが勝つために編み出した策にして、ここ一番の大博打。ハルにとっても、これは使いたくなかったものであり、使う予定もなかった、正真正銘の最終手段。
使用条件は、
だが、説得が通用しないのならば、ここを通る最低条件はアイに勝つこと。そのためにはアイの隙を作らなければならないが、それ自体が普通に戦えば無理難問。
しかし、唯一あったのだ、アイの油断を誘うことのできる、ほんの一雫の可能性が。その条件が、ユイが一度アイに敗れること。
いくらアイでも、意識を失った相手をいつまでも気に留めはしないだろう、そんな希望的観測に賭けた、策とも呼べないタチの悪いギャンブルだ。だが、この作戦の一番忌むべき点はそこでない。
この策のもっともな博打要素にして忌むべき点、それはハルが倒れたユイをもう一度起こす、という点。しかもその手段は耳障りこの上ない爆音ボリュームによる大爆発。
傷付き倒れた親友を、まるで捨て石の如く扱い、そして無理矢理戦わせるような策。もちろん考えたくて考えついたものではない。
「…ユイ、その…ごめんなさい」
けれど、こうでもしなければ、この人外極まりない母親に勝つことなど不可能だ。そうまでしても、勝たねばならなかった。自分の考えを、この母に通すためには。
「パフェね、パフェ。アイスとかプリンとかが山盛りになってるでかいの。それで手打ちにしてあげる」
やんわりと微笑む幼馴染に、ハルはため息混じりに頷いた。どうやらこの旅は、随分と自分の懐に対する当たりがキツイものらしいと感じながら。
「まだよ…この程度で…私に勝ったつもり…?」
娘二人に挟まれたアイが、未だフラつきながら立ち上がる。たしかに、アイならばまだ戦闘続行は可能かもしれない。だが、明らかに平衡感覚は戻っておらず、腹部のダメージも抜けきってはいない。
有り体に言って満身創痍だった。戦えるといっても、少し時間が経てば、という話だ。その相手がユイならば、些か厳しいと言わざるを得ない。
「やめてください。今のアイさんになら、多分私でも勝てます。こんな形にした私が言うのもおかしな話ですけど…今回は私たちの…いいえ、ハルの勝ちです」
それでも、アイは荒い息を吐きながらフラフラと立ち上がる。体を動かすのは最早気力と信念のみ。何に代えても娘たちを守らんとする、強き母の執念だった。
「……はぁ…はぁ…っ…行かせない、絶対に…っ、貴方達だけは…何があっても守り抜く…っ。こんな…こんな程度で私がっーーー」
「…ママ…」
引きずるようにして腕を振り上げるアイ、そんな母の痛々しい体を、娘が優しく抱き締める。
「…ハル…?」
背中に感じる暖かさに、アイの瞳が揺れる。久方ぶりに感じる娘の温もりは、執念に燃える母の心の火を一瞬で宥めた。
「大丈夫だから。私たち、もう大丈夫だから。ちゃんと帰ってくるよ、ママとパパの所に。約束する、あの子を助けて、二人で無事に帰ってくる」
振り上げたアイの腕が、ゆっくりと落ちる。呆然と佇むアイの体を、あれほどまでの身体能力を見せたアイの身体は、ハルが思っていた何倍も華奢でガラス細工のように儚かった。
「心配しないで。私たち、ママも知らないくらいに強くなったんだよ。だから、大丈夫、私たちを信じて。こんなに傷付けて…迷惑かけて、本当にごめんなさい。……ありがとう…大好き、誰よりも強くて、綺麗で、優しい…私のママ」
「……ハル…っ」
振り向いたアイもまた、娘を優しく抱き締める。久しく感じることのなかった、淡い熱が頬を伝う感触とともに、彼女は互いに娘と温もりを分かち合う。
何より強く、だが何より娘を失うことを恐れた母の心は、長い時を経てようやくその枷より解き放たれた。
*****
"三日よ、それ以上過ぎたら承知しないわ"
その言葉とともに、アイは地下道を去っていった。
「うはぁ…もうラスボス終わった気分」
ヘナヘナ〜とその場に座り込むユイ。もっともだ、間違いなく一番消耗したのはこのやられて起き上がり必殺を叩き込んだ少女だろう。
「じゃあ帰る?」
「冗談」
揶揄うようなハルの言葉に、ユイは勘弁してと言うように苦笑する。
「あんなアツーい親子愛見せられてのこのこ帰れるわけないしょ。やってやろうじゃん、アイさんより強い怪異なんているかっての」
「…あー…あはは…」
ハルは未だ涙の名残のある表情がヒクつくのが分かった。あの母親より強い…控えめに言ってもシャレにならない。
「んじゃ行きますか。早いとこ行ってエネルギーを補給しよう、具体的に言えば駅弁とか食べたい」
「…私も、ドーナツとか食べたいな」
予想だにしないボスエンカウントを終えた二人は、既に疲れが色濃い体を引きずるようにして歩き出す。相変わらずハルの重たいスーツケースを巡ってやいのやいのと騒がしいことこの上ない二人の旅路は、まだ始まったばかり。
これから二人が目指すは、数多の怪異が跋扈する異常の街、夜を支配された面妖な地。それでも、二人の心に不安はない。
約束をしたのだ、無事に帰ると。最強を乗り越えた二人の心に、不安などあるはずがなかった。
(絶対に、無事にかえるよ。だから安心して待っててね、ママ、パパ)
母の温もりが残る掌を握りしめて、ハルは地下道の外へと踏み出す。空の端から漏れ出した緩やかな光が、二人が歩む道をひっそりと照らし出していた。
*****
支配された夜が明けかけた街の一角に、
「…よしよし、そんなに慌てなくても大丈夫だよ?」
そんな彼らの中心に、少女が一人。少女は恐ろしいものから逃げてきた彼らを、まるで幼子のようにしてあやす。白い左手でさするようにしてやれば、彼らはたちまち大人しくなる。奇しくも、母に甘える赤子のように。
「…ねぇ、楽しみだね、もうすぐ会えるんだよ」
誰に言うでもなく、彼女は呟く。周りの彼らに言っているわけではない、彼らは人の言葉を解さない。ならば、
「うん、楽しみ、とっても楽しみ。早く会いたいな……あなたもそう思うでしょ? ねぇ、
少女の視線の先には、まるで宙空に磔にされるようにして縫いとめられた一柱の神。赤黒い靄を握りしめるような、巨大な青白い人の腕。
「ああ……早くおいでよ、そうしたら…きっと楽しいよ」
陶然と頬を染める少女は、右手に持った
"っ!?!?!っ!!??!?"
言葉にならない悲鳴を上げて、それは霧散する。だが、少女は気にも留めない。今の少女にとって、そんなことは至極どうでもいい。
「…ほんとうに…ほんとうに、会えるのが待ち遠しい。あなたたちもそうでしょ? ねぇ…ハルちゃん、ユイちゃん…?
あははは…くふふ…きゃはっ…あは…あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ!!」
夜明けの街の一角に、少女の狂笑が響き渡る。そんな少女の姿に、彼らもまた声なき笑いをあげる。
もはや話のコンセプトが行方不明←