「
……あの時、どうして立ち尽くすしか出来なかったのか。
株式会社マイヤー。株式会社Vが“スーパーロボット大戦オンライン”を運営するに辺り設立した完全子会社。そこで営業顧問として出向しているのが、この
そう、顧問である。本来ならばお飾り、というか閑職というイメージが強い役職の筈だが、喜麒の場合はその限りでなく。
「…………」
身長190センチ、体重95キロ。大学ラグビー部時代の体脂肪率を未だに保ち、木ノ崎一族由来の童顔を辛うじて受け継いだその表情は渋面で、視聴覚室代わりの会議室からその背を曲げて廊下へ歩み出た。
丁度廊下ですれ違った男性社員が話しかけた。「あれ、若旦那? お得意先周りから直帰じゃなかったんですか?」
「おう。何時だ今」
「もう7時ですよ。午後の」
それを聞いて喜麒はスマートフォンを取り出し電源を入れ、自分でも確認する。「……マジか」
男性社員がまさかといった顔をする。
「ひょっとして朝からっすか?」
「トイレ休憩挟んでもぶっ続けだよ畜生め」
男性社員が軽く引き、喜麒はそれを男性社員の背を軽く叩く事で跳ね飛ばした。
「オフィスだろ? 行くぞ」
「後片付けは?」
「
……木ノ崎 喜麒、社内での通称“若旦那”の担う仕事は、会社内及びゲーム運営の双方に於いて重要が過ぎた。
本社とのパイプ役は勿論の事、各社との権利関係の調整、更には門外漢である筈だのにゲームバランスの調整にまで若旦那の手は及んでいる。
そんな若旦那、喜麒は時折にこうして朝から晩まで会議室に缶詰めにされる場合がある。ゲームに新規参入させるアニメの鑑賞会だ。本来ならば喜麒だけでなく要所要所の重役が顔を付き合わせてワイワイとやるのだが、今回は提案者と喜麒の二人っきりだった。他の連中は皆逃げた形となる。畜生め、と再度喜麒は毒づいた。
「それで参入は決まったんですか」
「それ以前の問題だよ。あのバカの持ち込み企画だぞ」
「じゃあ却下ですか」
「あんなもんの許可なんざ取りたくねえよ。ったく、あれで作品選び以外は優秀なんだよなぁ畜生め」
喜麒がずんずんと進み、男性社員はそれを追う。その後をさらに後方から走って追いかける影があった。
「若旦那!」
後方から呼ばれ本当に嫌気が差したのか、喜麒が片手で顔を覆う。
今回喜麒を拘束した張本人である、女性社員がDVDの束を抱えて走ってきていた。
走ってきて併走に入る女性社員は到着がてらに、「若旦那! どうです今回の傑作は! 早速のGOサインでしょう!?」
「あーお前の熱意は買うよ、うん。――だが却下だ馬鹿野郎」
はぃ!? と女性社員が聞き返してくる。
「どうしてですか若旦那!? 私納得いきません!」
「問題しかない作品抱えて来るんじゃねえよこの野郎。しまいにゃ泣くぞ馬鹿野郎」
「野郎じゃなくて女郎です!」
「じゃあこの馬鹿女郎」
「一体何見せられたんですか若旦那……」男性社員が引き気味に聞いてきた。
「知らないままでいた方が良い。まず第一にロボじゃねえ」
……今日一日を費やして優秀な社員の
それでも許しているのは喜麒がその辺りに対して結局のところ大らかでありこのフレンドリー加減が嫌いではないという点と、彼らが実力主義で集められた集団だからであるというのが大きい。
詰まる所はご機嫌取りだ。こちらが合わせておけばこの面々は気分良く仕事をするし、こちらも気兼ねなく仕事が出来る、ウィンウィンの関係だ。
喜麒が宛がわれた机にどっかと尻を乗せると、同行していた男性社員が切り出した。
「じゃあ結局、今回は参戦作品なしですか」
「いや、ガサラキは参戦させる。ずいぶん前にアプリで参戦してたらしいしな。それに今の平均速度ならまだ間に合う。むしろ出すなら今しかない」
この場合、速度というのはゲーム内において機体群の機動性を指す。喜麒が門外漢ながらゲームバランスの調整に否応なしに口を出させられるのはここにある。
新規参入させるに当たってそのバランス感覚が絶妙なのだ。別の作品を基準とするアドバイスで、実際にプログラマーがそのニュアンスの通りに調整したところ、その作品がゲーム内でちょっとした流行となる事がままあり、その流行をメンテナンス毎に順次生み出し続けている以上、新規参入させる作品については、その会議毎に長時間の拘束を余儀なくされている。事ある度にアニメを見させられる訳だが、それは喜麒がその手のアニメに全くと言って疎いからで。
幼少期より大学にいたるまでラグビー漬け。そんな若旦那ですら頭ごなしに否定する作品群を持ち出す女性社員が、三人分のコーヒーを紙コップに注いで持ってきた。男二人が慌ててコーヒーを迎え入れる。
女性社員が呟いた。「ガサラキを入れるならアレも良いと思うんですよねぇ……」
「まだ言ってんのかよお前」
「諦めきれませんよ。あんなに良い作品なのに」
それを聞いて男性社員が喜麒に目を向けた。喜麒は無言でコーヒーをすする。
「お前はあれだ。もう少し常識と権利関係を学んでくれ。――あ、そうだ、なあ」
「なんですか?」呼ばれた男性社員が尋ねる。
「明日、俺、朝少し遅れるから」
「営業回りですか」
「いや、病院」
それを聞いて社員の男女両名が押し黙った。
「若旦那、それって」
「危険なんですか。甥っ子さん」
「心配すんな峠は越えてる。ちょっとばかし顔を見てくるだけだよ」
そう言って喜麒は残ったコーヒーを一息に飲み干して帰り支度を始めた。
翌日。喜麒が都内の病院敷地内駐車場にタクシーを着けたのは朝九時を回った直後の事だった。
病院に入り、もう顔見知りと言っても良い受付の事務員からは、いつも通りに心中察するといった表情を向けられ、それに対して喜麒は僅かに笑って見せた。
――所定の手続を経てエレベーターに乗り、集中治療室階層へ。白い壁とガラス窓で仕切られた個室の数々を通り過ぎ、目当ての人物が眠る一角で喜麒は息を洩らす。
「よう、おはようさん」
相手に聞こえる訳もないのに、喜麒はいつも通りに話しかけた。
「当、おじさんだぞ」
窓ガラス一枚向こうに木ノ崎 当が眠っていた。
当は応えない。頭部を中心に巻かれた包帯は揺るぎなくその頭部を覆い、繋がれた酸素吸入器と点滴チューブがその命をつなぎ止めている。
「覚えてねえだろうな。最後に会ったのが9年も前だ」
こんな事ならもっと頻繁に顔を出すべきだったと、喜麒はこの場に来る度に後悔する。
「一体いつまで寝てるつもりだ? お前さんは」
磨き上げられたガラス窓に寄りかかった。
――喜麒の甥、木ノ崎 当が集中治療室に入ったのは今より数か月前になる。
喜麒が事態を知って駆けつけた時、当の父にして喜麒の弟はあの言葉を口にして、それ以降病院に来る事はなかった。
――あの時、どうして奴を殴らなかったのか。
口も開けられない程呆れていたのか。それとも手を出したらそれを理由に訴えてくると知っていたからか。
ふと人の気配を感じて首を捻った。この階担当の男性医師が会釈してくる。
こちらもと会釈を返すと、医師が口を開いた。
「以前にも言いましたが、峠はとうに越えて当君も安定しています。中に入られますか?」
「いえ、これから会社なんで今回は」
「…………ご両親は、まだこちらには」
それについて喜麒は医師に対して言わなければならない事があった。
「先日、養子縁組が特例の上に大急ぎで認められまして。
医師が目を見開き、「では、もう……」
「言ったでしょう? 来る気なんてさらさらないって」
飄々としたその返しに、医師は俯いた。
「気にしないで下さい。それに先生もやりやすいでしょう。これからは窓口が直接本丸だ」
「――では木ノ崎さん」医師が周囲を見渡し、こちらの都合も考えてくれ、この場にて改まって切り出した。
「当君の脳死判定についてですが」
「!」
今度は喜麒が目を見開いた。
「判定は一つも通らない程、反応はまだ十分あります。あとは時間に委せるしかないとこちらは考えています」
「――ああ、そういう」
つい最悪の事態を考えてしまった。もうどうしようもないのかと。
どうやらこの医師は、当の本来の両親が会いに来ない理由を、もう絶望しての事だと考えているようだ。
真実は、彼が思う程に綺麗ではない。
「ですが植物状態が続くのでは薬物の使用も視野に入れる必要があるかと」
「安楽死ですか」
「こちらもそんな事はしたくない。ですが当院の院長がそれをしようとしている節があるんです」
何故病院の院長が人の甥っ子、今は息子の命を左右出来るのか。生かすではなく殺す形で。
「当君の心臓が適応する患者が見つかりました。院長は国内、いえ、この病院での心臓移植手術成功例を欲しがっています」
「それは、」
「勿論許される訳がない。ですがこのまま目覚めなければ、安全な病院への転院を考えていただく可能性があります」
耳を疑った。本来ならば病院とは安全な場所ではなかったのか。
「そんな事はさせません。こちらも手を尽くします。
「――判りました。よろしくお願いします」
朝の一件をどうにか胸に押し込んで、今日一日の仕事を片づけ家路につく。さしあたって急ぎの案件も会議もない現状ではこのくらいの時間帯、午後8時過ぎに家の扉を開けられたのは、最近ではごく平均的と言えた。
「お帰りなさい」
「お帰り~」
愛する妻に迎えられ、リビングのソファで寝そべりアニメを見る中学2年になる愛しい娘に気楽な言葉を掛けられて、喜麒は椅子に座りネクタイを緩めた。
「ご飯は?」
「貰う」
少しして今日の夕飯、カレーと付け合わせのサラダが運ばれてくる。
家庭の味に暖かみを感じていると、それを見ていた妻が切り出した。
「ねえ、聞いてよ」
「どうした」
「
「ママ!」娘、絢麗が口を出してきた挟んでくる。「もう良いでしょやめたんだから!」
年頃の娘特有の悩みというやつなのだろうか。
「何だ。親として聞くべきか男として聞かないべきか、どっちだ」
「親として聞いて」と妻。
「終わった話蒸し返さないで!」と絢麗。
娘の懇願を無視して妻が、「
喜麒が目を見開いて娘に向ける。「お前、そりゃあ……」
なんともとんでもない事を言い出した娘の絢麗は、ソファの背もたれに隠れてしまった。
電脳化。かつてアニメや漫画の、いわゆる空想の産物でしかなかった代物だが、現在では筋ジストロフィー対策等、様々な分野に広く身近になった医療・科学技術である。端的に言ってしまえば人体の脳を一つのコンピュータにしてしまう手術だ。当然リスクはあり、普及率はそれなりに落ち着いている。
それには理由があった。
「絢麗。無理だろそりゃあ」
「だから諦めたって言ったじゃん」消沈した声がソファから帰ってくる。
「いや法的にだ。
「……そうだっけ?」
電脳化手術は現在、肉体の発育・成長を鑑みて満20歳を満たすまでは特別な理由なしにそれを施す事は法令で禁じられている。
おぉい、と喜麒は娘にツッコんだ。それも知らずに言い出したのか。妻の方を見ても同じように、え? そうなの? といった表情を向けている。
…………おぉい。
「これからはとことん調べてから言い出せ。な?」
「おっかしいなぁ。ガッコの先生が言い出したから出来るもんだとばっかり」
「私もそう聞いていたからてっきり出来るものだと」
「……学校ってあれか、まさか部活の先生か」
似たもの親子の母娘が同時に肯定した。「あの野郎……」喜麒は思わず毒づく。
また問題を起こしたいのかあの教職不適格者は。以前もそうだった。
絢麗は吹奏楽部に所属しているのだが、その部活内ではイジメが横行していた。被害に遭っていた女子は身体・精神はおろか親族の形見であるフルートを破壊され、それ以降学校に来れなくなっている。その教師はそれを黙認どころか助長させることで学生の意思統一を図っていた恐れがあり、問題とされている。その教師は懲戒処分にもなっておらず、今も顧問を続けている。
余談だがそのフルート、骨董・美術品としての価値がとても高く、イジメに加担していた連中は少女の被害も含めた多額の損害賠償で目も当てられない状況に自ら陥っているらしい。
……それでも足りないと思うのは、一歩間違えれば絢麗が被害者になっていたからかもしれないからか。
とにかくそんな少女一人の人生を悪く左右させた輩の言う事をこの母娘は真に受けた事になる。
「もう辞めたらどうだ部活。電脳化を勧めるなんざ問題しかねえぞ」
「やだよ楽しいもん。成績だって落としてないじゃない」
「だが俺の読みが外れた事あったか?」
「ないけどさぁ」
食事をした気にならない。もうカレーの皿は空になっている。娘は寝転がってアニメを見続けていた。
「電脳化はナシだ、絢麗。お前もそれで納得してんだろ?」
「そうだよ?」
「ならそれでいいじゃねえか。母さんもそれでいいな?」
「そうよ? 最初から言ってるじゃない」
言っていただろうか。喜麒はまあいいと話題を変えていく。
「――そういや絢麗は何見てんだ」
「これ? .hack」
「知らねえな。なんだそりゃ」
「知らないの!? Vに勤めてて!?」
娘に叱責されても知らないものは知らない。
「今は出稼ぎで別会社だからな」
「何? 左遷?」
「違うっつうの。で、話の内容は?」
「全世界の人が遊ぶオンラインゲームの中で、一人のキャラがログアウト出来ないまま彷徨ってる感じ」
「面白さがわかんねえよ」
もっと本を読ませるべきか。娘には国語力が足りていなかった。
「うまく説明出来ないしかなり古いけど面白いよ? 当時メディアミックスとかしてたみたいだし」
そう聞いて喜麒は鞄からウェアラブル端末を取り出した。カチューシャのような端末を眼鏡のように装着し、端末から延びた電極を手早く耳の後ろに貼り付ける。
ネット検索に『.hack』と掛ける。……出た。随分と古い。絢麗はおろか自分も生まれていない。
「こんな古いもんどうやって見つけたんだよ」
「友達の紹介。なんでも私とおんなじ名前の女キャラが出てくるんだって」
「言っとくが違うからな」
「みたいだね。友達にも言っとく」
名前繋がりで紹介された訳か。それにしても本社の製品とくれば、知ってしまった以上見ない訳にも行かない。
絢麗にソファを少し開けるよう促す。
「え、一緒に見るの?」
空いた空間に腰掛けながら、「自社製品じゃあな。今何話だ」
「たしか3話くらい」
「なら最初はいいか。ポテチ開けるぞ母さん」
「やった! コンソメ頂戴!」
「はいはい」
娘も自室で眠りにつき、喜麒は夫妻の部屋で妻と一緒に寝床に入りウェアラブル端末を操作していた。
.hackという作品はオンラインゲームを舞台としたもののようだ。それを踏まえてか絢麗は作品を見てこう言っていた。
「なんていうか、当さんみたいだよね」
(未帰還者か……)
作品内での単語を思い返す。言い得て妙ではあった、作品内での使い方とは異なるが。植物状態で眠り続ける当が、何処か別の世界で元気に走り回る、そうならばどれだけ当は救われている事だろうか。
眠り続け、実の親には捨てられ、喜麒は堪らず引き取る決心をした。隣の妻も、娘も快諾こそしてくれたが、もしそうならなかったらどうなるか。昼間の医師の言葉が思い出される。
「ベッドに端末は持ち込まない約束でしょ?」
「すまん。そうなんだがな」
妻に窘められても喜麒は作品の検索をやめられなかった。自分がオンラインゲームに携わっているからというのもあるかもしれない。
だがこれは功名だ。この作品の発表当時はそんな事を考えもしなかっただろうが、今の技術なら過去の空想が現実に、手段に変わる。
「なあ」
「何?」
「賭けに出る」
「そう」
「聞かないのか」
「当くんでしょ?」
「ああ」
端末を外し妻の顔を見た。何も知らず惚れ込んだ顔だ、初めて会った頃と何一つ変わらない。
「家族四人、皆でご飯を囲めるのよね?」
何も言わずに抱きしめた。
それよりひと月。方々に本件を持ち込み、GOサインが出るまで足を棒にし、喉から血が出るかと思う程にプレゼンを繰り返した。企業の私物化と言う輩を真っ向から打ちのめし、たったひと月で実行段階までこぎ着けた。
「先生、お願いします」
「……委せて下さい」
今、当が手術室に入っていく。
不安な事この上ない。この最初の一歩に躓けば、全てが水の泡になる。
――電脳化手術。
喜麒は当を電脳化させ、あろう事かゲーム『スーパーロボット大戦オンライン』の中へ飛び込ませようとしていた。
.hackとは逆。現実世界で目覚めないのなら、ゲームの中、電気信号の坩堝の中へ放り込んでその脳へ刺激を与え続ける。
医学への協力という特例として電脳化の認可は下りていた。スーパーロボット大戦オンラインを選んだのは、そこしか知らなかったからだ。
「……当。待ってろ」
必ず、目を覚まさせてやる。
そこにあるのは義務と、決意と、父親としての責務。
喜麒は手術室への扉が閉まるのを、瞬きもせずに見つめていた。