学戦都市アスタリスク black trickster   作:白い鴉

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今回、朱羅の過去に触れます。


第三話 有真朱羅の過去

 イレーネが朱羅と知り合ってから十日ほど経った。

 その十日間の間に起きた変化を挙げるならば、まずイレーネ・ウルサイスの行動の変化だろう。

 今までは一人で行動していた彼女だが、朱羅と出会ってからは彼と行動を共にする事が多くなった。その分帰るのが少し遅くなってしまっていたが、妹のプリシラはそれに関しては何も言わず、それどころかニコニコしてイレーネの帰りを待っていた。

 一方イレーネの行動はと言うと、まず一番行く回数が多いのはやはり歓楽街のカジノだった。プリシラからは治安の問題から行くのを注意をされていたものの、自分にはどうしても金が必要なのである。だから妹には悪いと思いながら、彼女は朱羅を連れてカジノへちょくちょく足を運んでいた。それには朱羅も何も言わず、たまにポーカーやブラックジャックで大金を得てから分け前としてイレーネに渡していた。

 だが、イレーネもカジノばかりに行っているわけではない。たまに彼と一緒にゲームセンターでゲームなどに興じたり、また自分一人では滅多に行かないアパレル店へ一緒に向かったりと、自分には一生縁がないと思っていた高校生らしい生活を送っていた。前までは馬鹿馬鹿しいと思っていた生活だが……こうしてみると、案外楽しいものだなとイレーネは思う。

 さらに、まだ二人だけだが、時間ができたら自分と朱羅、そしてプリシラの三人でどこかへ行くのも悪くないかもしれないとも彼女は考えていた。

 前までは想像できなかった生活だが……これだけは胸を張って言えるとイレーネ・ウルサイスは確信していた。今の生活は……自分が過ごしてきた人生の中で、最も幸せな時期だと。

 

 

 

 

 そんな、ある日の事。

 授業が終わり、朱羅とイレーネが二人揃って校門を出た時だった。

「え、イレーネの家に?」

「ああ。良かったら、今日飯食いに来ないか? どうせ夜お前暇だろ?」

 驚いたような声を出す朱羅に、イレーネはそう言った。

 話のきっかけは、今日の放課後はどこに行こうかと朱羅が尋ねた事だった。近いうち彼にプリシラの事を紹介しておきたいと考えていたイレーネが、今日はうちに来ないかと誘ってきたのだ。

 基本的に放課後の予定は空いている朱羅だが、時々何らかの予定が入っている事がある。だが夜ならばさすがに彼の用事も終わっているだろうし、その時間帯ならば彼を夕食に誘う良い口実にもなる。

 だが朱羅は困ったように頬を掻きながら、

「だけど、僕が行って大丈夫? 突然押しかけるような事になったらプリシラさんにも失礼だし……」

「いや、それなら大丈夫だ。昨日あたしからプリシラに言っておいたからな」

 昨日、明日朱羅を夕食に誘いたいとイレーネがプリシラに相談すると、彼女は喜んで賛成してくれた。なんでも彼女の方も、イレーネの友達として付き合ってくれる朱羅と色々と話したかったらしい。今頃は朱羅が来るのを楽しみにしながら、三人分の夕食の具材を買い込んでいるだろう。

「そうなんだ……。じゃあお言葉に甘えて、お邪魔しようかな」

「おう」

 そう返事をしながら、イレーネはほっとする自分に気が付いていた。

 これで朱羅に断られでもしたら、自分は恐らく落ち込みながら帰路につく事になっていただろう。何せ、朱羅が何らかの用事で自分と一緒に過ごせなかった日は、少し寂しい気分に陥ってたからだ。 

 彼と出会う前の自分ならば、そんな気分にならなかっただろう。むしろ、一人の方が気楽だと考えていたはずだ。だが最近は、彼と一緒にいないとどこか物足りなさを感じてしまう。まぁこんな事はあまりにも恥ずかしすぎて、朱羅はおろかプリシラにすら言えていないのだが……。

(………ったく、あたしもすっかり大人しくなったもんだな……)

 朱羅と出会って変わった自覚が無いと言えば噓になる。

 例えば、前と比べて喧嘩する回数が減った。

 例えば、前と比べて笑う回数が増えた。

 例えば、前まではつまらないと感じる事を楽しむ事ができるようになっていた。

 朱羅と出会って色んな事が新鮮に感じる。だがそれは、決して不快なものではない。それどころか、自分の知らない事にどんどん出会っていく楽しみを感じる事ができる。

 自分をそのように変えたのは、紛れもなく目の前を歩く少年なのだ。

(………朱羅)

 少年の背中を見つめながら、イレーネは心の中で彼の名前を呟く。

 有真朱羅。レヴォルフには似つかわしくない、誠実で心優しい少年。

 彼と出会って一緒に行動を共にするようになって様々な事を知ると同時に、彼の様々な一面もイレーネは知るようになっていた。こうして歩いているだけでも、それらを次々と思い出す事ができる。

 例えば、朱羅は基本的に制服でいる事が多いが、私服をまったく着ないわけではないらしい。前に聞いた限りでは、どうやらネクタイを用いたファッションを好んでいるようである。

 また、彼自身男子高校生にしては背が低い事を気にしており、様々な方法を試してみたが、どうしてもそれ以上伸びないらしい。ここが僕の身長の限界なのか……と真剣に悩んでいる彼を見て少し笑ったのは、イレーネだけの秘密である。

 そして、どうやら彼には高校に入学してからの付き合いである友人が二人ほどいるらしい。イレーネが同じレヴォルフなのかと聞いたところ、どうやらそのようである。どんな奴らなんだとイレーネが聞くと、彼は微妙な表情をしていた。その理由のわけを聞くと、どうやら一人はともかくもう一人がそこそこクセが強い性格らしい。しかし二人共悪い人間ではないので、会えばすぐに打ち解けられるかもしれないと彼は笑っていた。

 そう、この十日間でイレーネは本当に朱羅の様々な一面を知った。だが、だからこそ思う。

 なんで朱羅が、このアスタリスクにいるのだろうと。

 こうして見ている限り、朱羅には特に全てを投げ打ってでも叶えたい願いがある理由には見えない。彼は自分のような人間とは違い、日向の世界を歩くのがふさわしい人間である。誰かのために怒り、誰かのために笑う事のできる優しい人間だ。

 そのような人間が何故アスタリスクに……さらに言うのならば、レヴォルフなど不良達が集まる学園にいるのだろうか。

 そう考えて、イレーネは足を止めた。するとそのイレーネに気づいたのか、朱羅も足を止めて彼女の方に振り替える。

「どうしたの? イレーネ」

 だがイレーネは何も答えない。ただじっと、朱羅の顔をまっすぐ見つめている。

 今までイレーネは、その質問を朱羅にはしてこなかった。どんな理由があろうとも朱羅は朱羅だし、そもそも人の過去を無理やり尋ねるような真似を彼女自身したくなかったからだ。

 しかし、今の彼女はどうしても聞きたかった。朱羅がここにいる理由を。彼がどういう願いを持って、ここに来たのかを。例えその結果彼に嫌われるような事になったとしても……聞かなければならないと、イレーネは思った。

 ドクドクと自分の心臓がうるさいぐらいになるのを感じながら、イレーネは息を吸う。そして彼の何の悪意もない目を見て、口を開いた。

「なぁ、朱羅。お前は……」

 だが、その瞬間。

「いたぞ!」

 二人の耳に、そんな大声が響いた。それにイレーネがはっとして周囲を見回すと同時、二人の周囲を複数の少年達が取り囲んだ。イレーネは朱羅を背後に隠すように立ちながら、数を確認する。

 少年達の数は多く、もしかしたら二十人以上はいるかもしれない。彼らの手には煌式武装が握られており、さらに全員の胸元には朱羅やイレーネと同じレヴォルフの校章が着けられている。たったそれだけで、イレーネはこの少年達の目的に気づいた。

「くそ、目的はあたしか……!」

 イレーネが悪態を吐いた直後、少年達の中から一人の少年が出てきた。

「よく分かってんじゃねぇか、『吸血暴姫(ラミレクシア)』!」

 その少年には見覚えがあった。忘れもしない、朱羅と初めて出会ったあの日。自分を大勢で取り囲み、襲撃しようとした少年達のリーダー格だ。イレーネはチッと舌打ちすると、

「まだ諦めてなかったのかよ。うざってぇな」

「何とでも言いやがれ! 俺達には俺達の面子ってもんがあるんだよ! それを潰されて黙ってられるか! 言っとくが、この数相手に逃げられると思うなよ! 今日こそはテメェをぶっ潰してやる!」

 少年の怒号と共に、周りの少年達が煌式武装(ルークス)を起動する。彼らの手に握られた武器は剣、ナイフ、銃など様々だ。彼らを見てイレーネははぁ……とため息を吐くと、自らも純星煌式武装、『覇潰の血鎌(グラヴィシーズ)』の発動体を取り出しながら後ろの朱羅に小さな声で言う。

「(……朱羅。ここはあたしが引き受ける。お前は連中の隙を見てさっさと逃げ……)」

 だが、そのイレーネの声を遮るように朱羅が口を開いた。

「一つ、聞いて良い?」

「ああ!?」

 朱羅の言葉に、リーダー格の少年が脅すように声を上げる。朱羅の突然の行動にイレーネは目を見開くが、朱羅

男の脅しにもまったく動じずに続けた。

「話を聞いている限りだと、悪いのはイレーネじゃなくてイカサマをした君達だよね。確かに暴れたイレーネも悪いかもしれないけど、こんな事するのはいくら何でも筋違いじゃないの? ここはよく話し合ってさ……」

「うるせぇ! 何も知らねぇ奴は黙ってろ! 口を出すって言うなら、テメェもぶっ潰すぞ!」

 すると。

 すっ……と、朱羅の目が細くなった。それから静かな口調で少年達に告げる。

「……僕、喧嘩は嫌いだけどさ、あんた達(・・・・)みたいな連中は一番嫌いだ」

「朱羅……?」

 空気が変わった朱羅にイレーネが声をかけるが、朱羅は何も返答せずに煌式武装(ルークス)を取り出し、展開させる。

 展開された朱羅の武器は剣だった。だが普通のブレード型の煌式武装とは違い、刀身が長い。恐らく彼専用に調節された武器なのだろう。朱羅が煌式武装を展開させるのを見て、少年達が殺気立つ。ナイフ形の煌式武装を強く握りながら、リーダー格の少年が言った。

「へっ、バカな奴だ。この数相手に勝てるとでも思ってんのか?」

「………」

「怖くて言葉も出ないってか。ま、助けてって泣き叫んでも容赦しねぇから覚悟し……」

 刹那。

 少年の体が、上方に勢いよく吹き飛ばされた。

『は?』

 その声を出したのは、吹き飛ばされた少年本人か、周りの少年達か、それともそれを見ていたイレーネか。

 だが、分かる事が一つだけある。

 朱羅が素早い動きで一気にリーダー格の少年に接近し、手にした剣で少年を思いっきり真上に吹き飛ばしたのだ。

 吹き飛ばされた少年は重力に従って落下し、地面に衝突する。それからピクリとも動かない所を見ると、恐らく気絶しているのだろう。呆然としている少年達を目の前にしながら、朱羅はくるりと剣を回しながら言う。

「先手必勝ってね。少し卑怯くさいけど、だらだらと喋ってるあんたも悪かったよ」

 その言葉でようやく我に返ったのか、周りの少年達が一斉に叫び声を上げた。

「テメェ、よくやりやがったな!!」

「不意打ちで一人潰したからって、調子に乗ってんじゃねぇぞ!!」

「かかれ! ぶっ殺してやる!!」

 そして、朱羅に約三十人ほどの少年達が一斉に襲い掛かった。

「朱……!」

 だが、叫びかけたイレーネの目に驚くべき光景が飛び込んできた。

 朱羅は少年達の攻撃を次々とかわしながら、少年達の体に的確に斬撃を叩きこんでいたのだ。

「なっ!?」

「速っ……!」

 そう言いかけた少年の腹部に斬撃を食らわせながら、朱羅はさらに戦場を駆け抜ける。

 斬撃の威力、速度、剣さばき、さらには戦場を駆け抜けるその速度。どれも戦いから離れている素人のものではない。どれも幾度もの戦闘を経験している、戦士のレベルだ。

「テメェ!」

 激昂した少年が朱羅にナイフを振り下ろすが、朱羅はその攻撃を避けるとカウンターと言わんばかりに顔面に剣の柄による強烈な打撃を食らわしてやる。少年は鼻から鼻血を盛大に出しながら、地面へと崩れ落ちた。さらに背後から別の少年が剣で朱羅を攻撃しようとするが、まるで背中に目でもついているかのように朱羅は素早く振り向くと腹に斬撃を叩きこむ。

 それから一人の少年に狙いを変えると、素早い動きで少年との距離を詰めて跳躍する。

「へっ馬鹿が! 空中ならかわせないだろ!」

 そう言いながら少年は銃を朱羅に向けて、引き金に指をかける。あれでは剣が相手に届かないし、何よりも空中では自由に身動きができない。魔女や魔術師ながら空中飛行も可能かもしれないが、朱羅は魔術師ではない。

「朱羅!」

 それにイレーネが叫び、空中で朱羅が剣を振るった直後。

 銃を向けていた少年の体が、勢いよく吹き飛ばされた。

「な、何だ!? 何が起きた!?」

 少年達の間に困惑が広まる中、朱羅はたん、と軽い音を立てながら地面に着地する。

 その手に握られた武器を見て、少年の一人が思わず叫んでいた。

「槍、だと!?」

 そう。いつの間にか朱羅の手に握られている武器が、剣から槍に変わっていたのだ。

 別に武器を戦闘中に交換するのは珍しい事ではない。だが、問題は朱羅がいつ武器を交換したのか分からないのだ。さっきまで剣を握っていたはずなのに、いつの間にか槍が握られていた。

 だが、そんな少年達の困惑を無視して朱羅が再び動き出す。朱羅は凄まじい速度の突きで目の前にいた少年達を三人ほど吹き飛ばすと、まるで棒高跳びのように槍の刃を地面につきたてると高く跳躍して体をくるんと勢いよく回転させる。

「はぁあああああっ!!」

 そして回転の勢いが加わった槍の一撃が、少年に叩き込まれる。その威力はかなりのもので、叩き込まれた少年は一撃で気絶し、地面にはクレーターが入っている。

「この野郎!!」

 着地した朱羅を少年の一人が剣で奇襲するが、朱羅は槍の柄を短めに持つと槍の柄で少年の剣の一撃を防御する。さらに剣を弾くと、槍を短く持った状態のまま腹に強烈な一撃を食らわしてやり、再び長めに持ってから今度は強烈な横殴りの一撃で複数人を一気に吹き飛ばす。

 それから朱羅は勢いよく走りだすと、少年達の群れに突っ込んで体を勢いよく回転させる。するとそれに合わせるようにして、少年達の体が勢いよく吹き飛んだ。吹き飛ばした当人の両手には、今度は槍ではなく双剣が逆手で握られている。

「こ、今度は双剣!?」

 少年が怯えた声を出すが、それがまずかった。朱羅はダンッ! と地面を力強く蹴ると少年目がけて走り出す。

「ひ、ひぃいいいっ!!」

 情けない声を出しながら少年が盾を展開して防ごうとするが、もう遅い。朱羅は高く跳躍すると、体を回転させながらあるものを振りかぶる。その両手にあるものを見て、少年は呟いた。

「……斧」

 朱羅の両手に握られた、持ち主の身長以上の長さを持つ戦斧は、盾もろとも少年を叩き潰した。

「な、何なんだよこいつはよぉ!!」

「一体いつ武器を変えたって言うんだ!? まさか、魔術師か!?」

 少年達が恐怖のあまりそんな事を言う。だが、戦況を見ていたイレーネはある事に気づいていた。

(……違う。魔術師の能力じゃねぇ。あれはただ単に、早く切替(スイッチ)してるだけだ!)」

 そう。 

 まるで魔法か何かのように朱羅の武器が次々と変わる理由は、とても単純明快。手にしている煌式武装を発動体に戻し、瞬時に別の発動体へと交換、再び起動しているだけだ。魔術師の能力でも何でもない。

 ただ、その交換速度が桁外れなのだ。レヴォルフでも序列三位の実力を持つイレーネが、朱羅が発動体を交換する際の動きがはっきりと見えないぐらいである。分かるのは、朱羅の手と武器が一瞬ぶれた次の瞬間には、別の武器に切り替わっているという事実だけである。イレーネでもそうなのだから、不良達の目にはもはや魔法のように武器が切り替わっているようにしか見えないだろう。

(……なんて奴だ)

 戦場で武器を交換しながら戦う朱羅を見て、イレーネは思わず生唾を飲みこんでいた。

 武器が交換するのが見えないと言われても、それがどうしたと考える人間が多いかもしれない。確かに交換速度が速いのは事実だが、それが戦いでどういう役に立つのかが分からないからだ。利用できるとすれば、手品ぐらいしかないだろうと多くの人間は思うだろう。

 しかし、考えてもみて欲しい。もしも自分が戦っていた相手が、突然剣から他の武器に切り替えたらどう思うだろう。それもまるで魔法のように一瞬の間に、だ。

 その結果が目の前の少年達だ。今まで戦っていた相手の武器である剣が当然槍に切り替わり、槍だと思っていたら双剣に、双剣だと思ったら戦斧に。例え一人の敵を相手に様々な戦闘パターンを考えていたとしても、それはあくまで相手が『剣』を使っていた場合の話だ。それ以外の武器を持ち出されてきたら、大抵の相手には必ず隙が生じる。その隙を、朱羅という少年は見事に突いてきている。

 しかもそれだけではない。ただ武器を変えるだけでは単なる奇策止まりだが、朱羅の場合はあらゆる武器を使いこなしている。普通剣を扱う者が槍を使ったとしても、やはり剣と比べると技量に差が出てきてしまう。

 が、朱羅にはそれが無い。あらゆる武器を交換したとしても、他の武器と比べてその差がまったく出ていない。そのせいで相手は朱羅の隙を突こうにもまったく突けないでいる。当然だろう。あらゆる武器を同じレベルで使いこなす戦士など、捜してもなかなかいないのだから。

 誤解が無いように言っておくと、朱羅自身の剣の腕は確かに良いが、一流というほどではない。剣術の腕ならば、星導館学園の序列一位『疾風迅雷』の刀藤綺凛や聖ガラードワース学園の序列一位『聖騎士(ペンドラゴン)』のアーネスト・フェアクロフに軍配が上がるだろう。

 だが、剣以外の武器を使いこなす朱羅の腕前が、それを見事にカバーしている。

 剣で駄目ならナイフ。

 ナイフで駄目なら銃。

 銃で駄目なら槍。

 槍でも駄目なら戦斧。

 あらゆる武器を使って相手の行動パターンと弱点を学び、それに合わせた武器と戦法で相手を倒す。

 戦況を変えるだけではなく、戦況を作り出す事すら可能にする。

 それは、悪く言えば器用貧乏だ。

 だが、器用貧乏だと侮る事なかれ。

 少しでも気を緩めれば、次の瞬間変幻自在の攻撃に体を貫かれる事になる。

(これが……朱羅の戦い方……!)

 朱羅の戦闘を見たイレーネは思う。 

(こんなの……在名祭祀書(ネームド・カルツ)……、いや、冒頭の十二人(ページ・ワン)クラスじゃねぇか……!)

 そうイレーネが思った直後、少年の一人が壁に叩きつけられた。見てみると、大勢いた少年達があと一人になってしまっている。倒れた少年達の中心には朱羅が剣を持って佇んでいた。

「…………」

「ひっ……!」

 朱羅が残った一人の少年を睨み付けると、少年はナイフを持ったまま怯えた声を出した。

 それも当然だろう。見た目は童顔の少年に、あっさりと自分の仲間達が倒されてしまったのだから。ざ……と朱羅が少年に一歩近づくと、少年が叫んだ。

「う、うわぁああああああああああああっ!!」

 少年は滅茶苦茶にナイフを振り回しながら朱羅に襲い掛かるが、そんなものが朱羅に通じるはずもない。朱羅はあっさりとナイフを避けると、剣の柄で少年の腹部を思いっきり殴った。すると口から胃液を吐き出しながら、少年は意識を失った。それを見て朱羅は無言で煌式武装の起動を解除すると、制服にしまいこんだ。

「……」

「お、おい。朱……」

 イレーネが、朱羅の名前を呼んだ直後。

 フラリ、と。

 朱羅の体が、突然前に倒れこみそうになった。

「朱羅!?」

 まさか先ほどの戦闘で怪我をしたのかと思ったイレーネは慌てて朱羅に駆け寄って体を支えるが、彼の顔を見て思わず表情を強張らせた。

 朱羅の顔は青白く変色しており、瞳は焦点が合っていない。しかも体が小刻みに震えている上に荒い息までつき、まるで何かの病気にかかってしまったかのように見える。

「おい朱羅! しっかりしろ! おい!」

 イレーネが必死に声をかけるが、朱羅からは何の言葉も帰ってこない。ただカタカタ、と体を震わせている。もしかしたら、イレーネの言葉すら今の彼の耳には入っていないのかもしれない。

「……くそ、少し待ってろよ!」

 何が原因かは分からないが、とりあえず休ませる必要がある。そう考えたイレーネは朱羅の体を背負い、急いでその場から走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 ――――その日の事は、今でもはっきりと覚えてる。 

 自分の人生の中でもっとも残酷なのに、どうしても忘れる事ができない最悪の記憶。

 その記憶は、九年経った今でも夢として少年を苦しめる。

 母親が自分と父親に美味しい料理を作ってくれた台所。

 そこで倒れる見知らぬ女性。

 彼女の目は虚空を睨んでおり、彼女の命がもうこの世にはない事を何よりも証明していた。

 女性の腹から流れる大量の血。

 鉄くさい血の匂いと自分の頬と手にかかった血の生温かさ。

 そして、自分の手に握られた包丁の刃には、女性の血がべっとりと付着していた。

 それは、少年がその女性を殺した事を否応なしに突き付けている。

 どうしてこうなったのだろう、と少年は思う。

 自分はただ、平和な世界で生きていたかっただけなのに。

 ただ誰かを護りたかっただけなのに、と死体を目の前にしながら思った。

 だが、彼は知らない。

 この事件が、彼の運命を大きく狂わせるきっかけに過ぎないという事を。

 地獄は、これから始まるのだという事を。

 少年は。

 有真朱羅という少年は、何も知らずにいた。

 

 

 

 

 

 

 

「………」

 朱羅が最初に感じたのは、横たわった自分の体が何か柔らかいものに包まれているという事だ。最初は自分の部屋かと思ったが、自分の部屋に戻ってきた記憶がない。というよりも、頭が何かもやにかかっているような状態になっており、うまく物事を思い出す事ができないと言った方が正確だろう。

 とりあえず状況を確認するために朱羅が目を覚ますと、彼に声が掛けられた。

「朱羅……!」

 彼がその方向に目を向けると、イレーネ・ウルサイスが椅子に座りながらいつもの彼女らしくない心配そうな目を自分に向けていた。朱羅は起き上がると、周りに目を向ける。

 学生寮の自分の部屋ではない。部屋には今自分が寝ているベッドや本棚ぐらいしかなく、個人の私物らしきものがまったく無い。その本棚にすら、本は一冊も入ってなかった。朱羅は未だぼやけている頭を抑えながら、イレーネに尋ねる。

「ここは……?」

「あたしのマンションの部屋だ。お前、何があったか覚えてるか?」

 イレーネからそう言われて、朱羅はようやくここに来る前の事を思い出した。

 確か前にイレーネに因縁をつけていた不良達に囲まれて、それで自分が応戦して、戦闘が終わった後に体調が悪くなって……。

「……ああ。やっぱりこうなったのか……」

「やっぱり……?」

 イレーネが怪訝な顔をするがそれに朱羅は答えず、代わりにイレーネにこんな質問をした。

「僕、どれくらい寝てたの?」

「気を失ったお前を背負って、家に着いたのが大体四時ぐらいだったから……三時間半ってところだ」

 そっか……と朱羅は呟いてから、ベッドから立ち上がろうとする。しかしまだ体調が万全ではないのか、くらりとめまいを感じて体がふらついてしまう。

「お、おい!」

 慌てたイレーネが椅子から立ち上がって朱羅の体を支えると、怒ったような口調で言う。

「まだ寝てろ! あたしから見ても今のお前の顔、かなり悪いぞ! 動けるような状態じゃねぇだろ!」

「だけど、これ以上は君の迷惑に……」

「良いから寝てろって、言ってんだよ!!」

 最後には怒鳴るような大声になりながら、イレーネは力づくで朱羅をベッドに寝かした。不良達の戦いでは凄まじい実力を見せていた彼だが、やはり本調子ではないのか案外あっさりとベッドに横たわった。

「ほら見ろ。くだらねぇ意地張ってんじゃねぇよ。今プリシラが飯作ってるから、とりあえずそれまで寝てろ」

 ふん、とイレーネは椅子に座ると腕を組んだ。それを見ていた朱羅は、視線を彼女から天井へと変えた。

 しばらく二人の間に沈黙が流れていたが、やがてその空気を破るようにイレーネが口を開いた。

「朱羅。お前さっき、やっぱりこうなったのかって言ったよな」

「………うん」

「まさか、前にもぶっ倒れたのか?」

「数回ぐらいだけどね。運よく家に帰ってから倒れたぐらいだから、大騒ぎになった事は無いけど」

 それを聞いてイレーネは愕然とした。運よくなどと言うが、倒れた事に変わりはない。まさか、何かの病気か何かなのだろうか?

 しかしイレーネの考えを察したかのように、朱羅が小さく笑いながら言う。

「病気ではないよ。ある事が原因で、戦ったり喧嘩をするとこうなるだけ」

「……そのある事って、何だよ」

「…………」

 だが朱羅は何も言わない。その顔には、いつしか見た悲し気な表情が浮かんでいる。

 ずぐん、とイレーネの胸が痛んだ。まただ、と思う。彼のそんな表情を見るたびに、自分の胸が痛む。何故そうなるかは分からない。しかし、彼がそんな顔をしているのがイレーネにはどうしても耐えられなかった。

 気が付くとイレーネは、朱羅に向かってこんな事を言っていた。

「なぁ朱羅。お前のその様子から、どうしても言いたくないって事だけは分かる。あたしも、言いたくない事を無理やり言わせるような趣味は持ってない。……だけど、それでも聞きたいんだ。お前がどうして戦うたびにそうなっちまうのか、お前の過去に何があったのか。できれば、聞きたい」

「……どうしてそこまで聞きたいの?」

 朱羅は横たわったまま、イレーネに顔だけ向けて尋ねた。

 彼の目に不快感や嫌悪感といった負の感情はない。ただ純粋に、どうしてそこまで自分の事を気にしているのか気になるからだろう。

 イレーネは彼の目を純粋の目から逃れるように視線を逸らしながら言った。こういう場合は真正面から目を見て言った方が良いのかもしれないが、生憎と恥ずかしさが勝ってそういう事は今のイレーネにはまだできなかった。

「ま、まぁあれだ。お前風に言うなら……お前の事を、友達だと思ってるからだ」

「……友達?」

「あ、ああ。つっても、どんな奴が相手でも話せない事はあるだろうから、お前が本当に話したくないって言うなら話す必要はねぇ。……ただ、あたしにとってお前がどういう奴なのかって事を、知っておいてほしかっただけだ」

「………そう」

 朱羅はそう呟くと、彼女から目を逸らした。やはり、話してくれないか……とイレーネが少し残念そうな表情を浮かべた時だった。

「……少し長くなるけど、それでも良い?」

 見てみると、朱羅がゆっくりと体を起こしていた。ただしそれは先ほどのようにこの場から離れるためではなく、単純にその体勢の方が話しやすいからだろう。その質問にイレーネが頷くと、朱羅は自分の過去を話し始めた。

「僕の母さんと父さんは、星脈世代(ジェネステラ)でも何でもない、普通の人だった。だけど、父さんも母さんも星脈世代として生まれた僕の事を自分達の息子として愛してくれた。母さんはとても優しかったし、父さんは僕に力の使い方を教えてくれた」

「力の使い方?」

「うん。僕の力はとても大きいもので、使い方を間違えたら誰かを傷つけてしまう。だけど、正しい方向に使えば誰かを護る事だってできる。だから、その力で誰かを護れるような優しい人間になれって言われた。……僕が強くなりたいって思い始めたのも、強くなるために鍛錬を始めたのも、それがきっかけだったかな」

「……良い親だったんだな」

 うんと朱羅は笑みを浮かべながら頷いて肯定する。しかし、次の瞬間にはその笑みは曇っていた。

「だけど、そんな日常はいつまでも続かなかった。……僕が七歳の時に、家に知らない女性が突然やってきたんだ。……その人は玄関に向かった父さんを、玄関の扉を開けた次の瞬間持ってたバットで殴り殺した」

「………っ!」

 突然少年の口から出てきた言葉に、イレーネは思わず言葉を失った。朱羅は感情のこもっていない口調で、淡々と話を続ける。

「鈍い音と父さんが倒れた音を聞いた母さんが玄関に走って行って、その直後に母さんの悲鳴が聞こえた。そしてすぐ後にまた鈍い音がして、何かが倒れた音が聞こえた。何が起こったのか分からなかった僕が行ってみると、そこには頭からたくさんの血を流して倒れる父さんと母さん、そしてバットを持って僕を睨み付けてた女性がいたんだ」

 そこでイレーネは、ある事に気づいた。

 朱羅の声に感情がこもっていないのは、その日の事を何にも感じていないからではない。

 機械のように感情を込めずに話さなければ、自分の心がどうにかなってしまいそうだからだ。

「……彼女は僕も殺そうとしたのか、僕に向かってゆっくりと歩いてきてた。僕は逃げようとしたけど、腰が抜けて上手く逃げ出せなかった。それから彼女は一回僕に向かってバットを振り下ろしたけど、僕は必死に避けて台所に向かった。それからそこにあった包丁を掴んだけど、その時にはもう女性は僕のすぐ真後ろにまで迫っていた。……あの時のあの人の悪鬼のような顔は、たぶん一生忘れられないと思う。そして彼女が僕に向かってバットを振り下ろそうとした瞬間、無我夢中で包丁を勢いよく前に突き出した。……気が付いたら、彼女の腹に包丁が深く突き刺さってたよ」

「…………」

「……あの時の事はよく覚えてる。まるで噴水のように腹から血がたくさん出て、僕の手と顔にかかったんだ。……人の血ってこんなに暖かいんだって、馬鹿みたいな事を考えてたよ。それでようやく血が止まると、女性は僕の目の前に崩れ落ちた。彼女の目は見開いていて、もうそれだけで彼女が死んでた事が分かった。……僕は、人を殺して生き残ったんだ」

 そう言ってイレーネの方を向いた朱羅の顔には、乾いた笑みが張り付いてた。彼のそんな笑い顔が酷く悲し気に見えて、イレーネは唇を強く噛み締めた。

「僕が喧嘩の後とかに倒れるようになったのは、それが原因だよ。喧嘩や戦ったりすると、どうしても人を刺した時の感触を思い出しちゃうんだ。……情けないよね」

 そんな事は無い、とイレーネは口には出さずとも心の中でそう言った。幼少期の頃にそんなトラウマを刻み付けられれば、誰だってそのような目に遭っても不思議ではない。それほどまでに、人を殺すというのは心に重度の負担をかけるのだ。

「だけどよ、おかしくねぇか? なんでその女はお前とお前の家族を襲ったりしたんだよ」

 金目的かと一瞬思ったが、それではあまりにも行動が派手すぎる。金だけが欲しいならば、朱羅の家族が寝静まった後にこっそり忍び込み、金だけを持って逃げれば良いだけの話だ。金を盗むのに人まで殺しては、窃盗の罪に殺人罪まで加わり、警察に逮捕された時に罪が重くなってしまう。

「あとで警察の捜査で分かったんだけど、どうもその女性はその時期に会社をリストラされてたらしいんだ。しかもそれが原因で、当時上手くいっていた婚約者との結婚の話も無しになったらしい。それからしばらく無職だったんだけど、ある宗教にどっぷりとはまるようになったんだ」

「宗教?」

「うん。その宗教は星脈世代を悪魔の生まれ変わりだって説いてるらしくて、不幸な事は全て彼らが存在しているからだって教えを広めてたらしい」

 朱羅の話を聞いて、イレーネは反吐が出る話だと心の中で毒づく。確かに星脈世代に対する風当たりは強いが、それでも自分達が悪魔と呼ばれる筋合いはない。普通の人間より強い力を持っているが、それでもれっきとした人間なのだから。

「その宗教は、心が弱った女性に近づいてでたらめな事を吹き込んだ。リストラされたのも、婚約が破局になったのも、自分が不幸なのも、全て星脈世代のせいだってね」

「はっ、なんだそりゃ。その馬鹿は、そんなでたらめを信じたのか?」

「信じたんだろうね。でも、仕方ないよ。人間は、何か悪い事が起こると他人のせいにしたくなるものだしね。……それで、その嘘を信じた女性は宗教に入信し、心を宗教に捧げた。……人の事をあまり悪く言いたくないけど、立派な狂信家の出来上がりだよ」

「言われても仕方ねぇだろ。そいつはあたしから見ても、立派に狂ってやがる」

 イレーネは吐き捨てるように言った。いくら会社をリストラされ、無職に追い込まれた上に婚約が無くなったと言っても、それを自分達のせいにされるのはたまったものではない。

「……そして、女性はある日、近所に住む人達の話を聞いたんだ。星脈世代の息子がいる、一家の事を」

「……! おい、それってまさか……!」

「そう。僕の家だよ。会社をリストラされ、婚約も消え、約束されたはずの幸福を失い、星脈世代を悪魔と教える宗教に入信した彼女は、星脈世代に強い憎悪を持つようになっていた。そしてそんな時に、星脈世代の息子がいる一家がいる事を知った。……それで憎悪に駆られた彼女は僕の家に押し入り、僕の両親を殺した」

 ギリ……と部屋にイレーネの奥歯を噛み締める音が響いた。

 何だそれは、と思う。そんなくだらない事で、そんな妄想で、朱羅の両親は殺されたのか。

 イレーネは湧き上がる激情をこらえながら、静かな声で朱羅に尋ねる。

「……それから、どうなったんだ」

「ぼーっとした頭で警察を呼んだよ。警察が来た後は現場を調べたり、僕に対しての取り調べとかが行われた」

「取り調べ? ……ああ、そうか」

 まだ未成年、しかも殺されそうだった朱羅にそこまでするか? とイレーネは思ったが、次の瞬間顔をしかめた。

 自分達星脈世代がそれほど珍しくなくなった今でも、星脈世代に対する風当たりは強い。かなり露骨というわけではないが、それでも潜在的な差別意識を感じてこの街に来る星脈世代は少なくない。だからこそ、星脈世代を悪魔などとのたまう宗教もできたのだろう。

 それに法律では星脈世代が一般人に対して暴力を振るう事を厳しく禁じている。それは未成年でも例外はない。しかも朱羅の場合は、正当防衛とはいえ殺人を犯してしまっている。だからこそ、取り調べという普段ならあり得ない処置が施されたのだろう。

「刑事さん達は見かけは優しかったけど、口調は冷たかった。それからしばらくして、僕はどうにか何の罰も受けずに済んだ」

「……こう言っちゃあ悪いが、随分あっさりしてんな。最悪、何かの罰を受けてもおかしくなかったんじゃねぇのか?」

 総じてどの国でも星脈世代は立場が弱い。人権が制限されていると言っても良い場合すらある。ことに星脈世代が常人を傷つけた場合はそれが顕著に表れ、正当防衛さえ認められずに過剰防衛とされてしまう事も多かった。ましてや相手が亡くなったとすると、かなり厳しい判決が下りたとしても不思議ではない。

「その件で、かなり揉めたみたいだけどね。だけど最終的にはまだ幼かった事と、相手が両親を殺していた事、状況から見ると正当防衛だった事から、お咎めなしになったんだよ。それでもかなりギリギリだったみたいだけど。……それからは家にいられなくなって、親戚の間をたらい回しにされた」

「……どうしてだ?」

 そう言いながらも、イレーネ自身馬鹿げた問いだと分かっていた。

 そのイレーネの考えを分かっているのか分かっていないのか、朱羅は乾いた笑みを浮かべたまま言った。

「人殺しを家に置きたいなんて人は、そんなにはいないよ」

「人殺しって、お前は……」

「状況がどうであれ、僕が人を殺したって事に変わりはなかった。大半の人からは白い目で見られたし、学校でも距離を取られる事が多くなった。でもそれなんかは良い方で、中には『人殺し』って陰口を叩かれる事もあった。……星脈世代だからだろうね、あそこまで当たりが強かったのは。実際先生ですら、僕を怯えたような目で見てたし」

「……じゃあ、お前の親戚の家じゃあ……」

 学校でそんな扱いなのに、生活している親戚の家では彼はどんな扱いを受けていたというのだろうか。朱羅は笑いながら、

「無視されたり悪口を言われるのはまだ良い方で、中には殴られたり蹴られたりしたよ。一番酷かったのは、煙草の火を押し付けられた時だったなぁ……。参っちゃうよね、いくら僕が星脈世代で頑丈だからって……」

 ははは、と朱羅は笑ったがイレーネは笑わなかった。いや、それ以前に笑えない。彼が幼少期に味わったいくつもの痛みと苦しみを想像するだけで、はらわたが煮えくり返るような怒りが沸いてきていたからだ。イレーネは思わず自分の掌を、爪が食い込んで血が出るんじゃないかと思うほどに強く握りしめた。

 それなのに、朱羅は笑っていた。

 まるで、それは仕方ない事なのだと言うように。

 それが当然の事なのだと諦めているかのように。

「中には優しくしてくれる人もいた。だけど僕が人を殺した星脈世代だっていう噂が流れたせいで、その人の家に石が投げられた事とかがあってからはやっぱり暴力を振るわれた。僕を家庭に招き入れてせいで夫婦喧嘩になって、危うく家庭崩壊に繋がりかけた事だってあった。……ようやく一人になれたのは、僕が中学一年生になってからだった。その家の人は海外での仕事で、ほとんど家を空けてた。だから家に帰ってこなかったし、お金もちゃんと毎月送られてきたけど……僕がその人達と一緒に過ごした時間は、ほとんど無かった」

「……どうして、アスタリスクに来たんだ?」

「僕が中学三年生になった時、その人達が帰ってきてアスタリスクの事を紹介されたんだ。ここなら僕みたいな星脈世代がたくさんいるし、僕の過去も話さなければ誰にも分からないって言われたから。……今考えてみると、厄介払いだったんだろうね。やっぱり、好きでもない人間が自分達の家にいるっていうのは嫌だったんだと思う。それでアスタリスクに来て、レヴォルフに入学した。……これが、僕がここに来るまでの全てだよ」

「……そう、だったのか」

 全ての話を聞き終えたイレーネには、ただそれだけしか言えなかった。だがそれでもこれだけは言っておかねばならないと思い、朱羅に言う。

「ありがとな、朱羅。そして、悪い。そんな事を、お前に話させちまって」

 彼にとってはもはや思い出したくもない最悪の記憶のはずだ。彼から話してくれたとはいえ、自分が聞きたかったという事実に変わりはない。しかし朱羅は悲し気な笑みを浮かべたまま、

「別に良いよ。あまり気にしてないから」

 朱羅はそう言うが、イレーネにはそれがただの強がりに見えてしまう。イレーネは唇を噛むと、朱羅に言う。

「だけどよ……辛く、ないのか? そんな目に遭って。親まで失って。……お前は、本当に辛くないのか?」

 イレーネ自身過酷な過去を送ってきた身だが、それでも彼女のそばには妹のプリシラがいてくれた。彼女がいてくれたから、自分はここにいるのだと胸を張って言える。

 だが……彼のそばには誰もいなかった。両親を失い、正当防衛で人を殺した彼に待っていたのは、数えきれない悪意と暴力だけだった。彼を支えてくれる人間など誰もいなかった。もしも自分が彼の立場だったら……、もうとっくの昔に心が壊れていたかもしれない。

 すると何故か、朱羅は笑みを浮かべたまま、

「仕方がない事なんだよ、イレーネ」

「仕方ないって、何だよ……」

「僕は人殺しだから。誰も人殺しなんかと関わりたくないって普通思うよ。だから、仕方がないんだよ」

 違う、と思う。

 そんな事は、間違ってるとイレーネ・ウルサイスは思う。

「……仕方がないなんて、そんなわけねぇだろ」

 彼女の言葉に、え? と朱羅は今まで浮かべていた笑みを消してきょとんとした表情を浮かべた。彼がイレーネの顔を見ると、彼女は真剣な表情で朱羅の目をまっすぐ見つめている。

「そんな事、間違ってる」

「間違ってるって?」

「……朱羅。あたしはな、昔レヴォルフの生徒会長のディルクに莫大な金を借りて、ある望みを叶えてもらったんだ。そしてあいつの命令に従う事で、それを少しずつ清算してる。ま、つまりあいつの都合の良い手駒ってわけだ。」

「そんな……」

 話を聞いて、朱羅の顔が歪む。きっと、彼女を手駒として扱うディルクに怒りを抱いているのかもしれない。  たった今、自分の過酷な過去を話したばかりだと言うのに。

 それを見て、イレーネは思う。

 ああ。本当に。

 なんて馬鹿みたいに、優しすぎる奴なんだと。

「その命令の中には表には出せない汚いものもあった。だけど、その選択を後悔した事は一度もない。それで大切なものを護れたし、何よりもあたし自身が選んだ道だ。あたしがどんな目に遭おうと、それは自業自得。それこそお前の言う通り、『仕方のない事』なんだよ」

 そこで言葉を止めて一呼吸入れてから、話を続ける。

「……だけど、お前は違う。お前はただ巻き込まれただけだ。そのクソ女のふざけた逆恨みに巻き込まれて、親を失って、当たり前のようにあった未来を奪われただけだ。それなのに、お前みたいな優しい奴が人殺し呼ばわりされるなんて……絶対に間違ってる」

 イレーネが言い切ると、朱羅はひきつった笑みを浮かべた。彼がそんな表情をするのは珍しいと思ったが、それも仕方ないだろうと思う。彼は今まで、他人の悪意に晒され続けた。だから誰かにこんな事を言われるのは、あまり慣れていないのだろう。

「……僕は優しくなんてないよ。今日だって喧嘩をして、この有様だしね」

 と、そんな事をのたまう朱羅に、イレーネがばっさりと切り捨てる。

「何言ってんだ、馬鹿」

「ば、馬鹿って……」

「あの連中からはどっちみち戦わなきゃ逃げられなかったし、お前が戦ったのはあたしを護るためだったんだろ? お前が気にする事じゃねぇよ」

「……」

「それに、あの戦い方は、ずっと戦いから逃げてきた奴が身に着けられるものじゃない。……親を失ってからも、鍛えてきたんだろ? お前にとって大切な奴を、護れるように」

 イレーネが見た朱羅のあらゆる武器を扱うあの腕前に、あの武器の高速の切り替えは一朝一夕で身に着けられるようなものではない。

 血が滲むような鍛錬と、気が遠くなるような反復練習。

 その二つが無ければ、あのような芸当は決してできない。

 つまり、朱羅はイレーネの言う通り……ずっと努力してきたのだ。例え自分の大切なものがどれだけ失われてしまったとしても、どれだけ他人の悪意に晒されたとしても……いつの日か自分に大切なものができたときに、その大切なものを護れるように、ずっと、ずっと。

 それにイレーネが見た限り、朱羅にとっての戦闘は初めてではないだろう。きっと彼は自分と出会う前にも、この都市で困っている誰かのために戦っていたのだ。例えその後に待っているのが最悪の感覚と共に訪れる失神だとしても、悪意から誰かを護るために。

「そんな奴が優しくないわけがねぇし、そいつが救われないなんて間違ってる。だからよ……仕方ないなんて言うな。辛い時は辛いって言え。苦しい時は苦しいって言えよ。あたしにできる事なんてたかが知れてるかもしれないけど、それでもお前のそばにいて、お前の話を聞いてやる。……あたしは何があっても、お前のそばにいてやるよ。……あたしが言いたい事は、それだけだ」

 そこまで言い切ると、どうも照れ臭くなってイレーネは少し頬を赤らめて朱羅から顔を逸らした。朱羅はというと、呆然とした表情でイレーネを見つめている。

 と、そんな時だった。

「お姉ちゃん、入って良い?」

 こんこん、と部屋の扉がノックされたあとにプリシラの声が聞こえてきた。

「ああ、良いぞ」

 イレーネが返事をすると、扉がゆっくりと開かれた。扉の向こうには、エプロンを身に着けたプリシラが鍋つかみを両手に着け、大きめの茶碗を持って立っていた。それから部屋に入ってきたプリシラは朱羅の顔を見ると、ぱっと明るい表情を浮かべた。

「あっ、朱羅さん目を覚ましたんですね! 良かった……。お姉ちゃんから突然倒れたって聞いて、心配してたんです」

「そうだったんだ……。心配させてごめんね」

「いいえ、何事も無さそうで良かったです。それより朱羅さん、お腹空いてませんか? 卵粥を作ってみましたから、良かったら食べてみてください」

 そう言うとプリシラは朱羅に近づき、茶碗を朱羅に差し出した。

 茶碗の中に入っていたのは彼女の言う通り卵粥だった。ホカホカと湯気を上げる卵粥の上には梅干しが乗っており、香ばしい香りが朱羅の食欲を刺激する。するとそれを見て、イレーネがうらやましそうな声を上げた。

「美味そうだな……。なぁ朱羅、半分食って良いか?」

「駄目だよお姉ちゃん! これは朱羅さんのために作ったんだから! それにお姉ちゃんの分のご飯はちゃんとあるから、安心して」

「うう……分かったよ……」

 口ではそう言っても、イレーネは名残惜しそうな目で朱羅の卵粥を見ていた。プリシラはそんなイレーネに牽制するような視線を送ってから、朱羅におかゆスプーンを手渡した。朱羅はおかゆスプーンを手にして卵粥をすくって一口食べると、目を見開いた。

「……美味しい」

「だろ? そりゃそうだ。プリシラの料理は最高だからな」

「もう、お姉ちゃんったら……」

 姉の誉め言葉が照れ臭いのか、プリシラは困ったように笑った。すると、突然朱羅の粥を食べる手が止まった。

「……? どうした、朱羅」

「……いや、そう言えば、誰かと一緒に暖かいご飯を食べるのは本当に久しぶりだな……って……」

 そう言った、直後だった。

 朱羅の目から、涙が一筋こぼれた。

「あれ? どうして、僕、泣いて……」

 そう言う間にも、彼の涙は止まらない。両目から大粒の涙が、溢れるように流れていく。その涙は拭っても拭っても、変わらずに流れ続けた。イレーネはそれを見ても特に慌てるような様子は見せず、プリシラも少し驚いたような表情は見せていたが何かを言うような事はしなかった。もしかしたら朱羅の様子を見て、何かを感じ取ったのかもしれない。イレーネが朱羅の頭に優しく手を置くと、朱羅が涙を拭いながらかすれた声で言う。

「……ごめん……。泣いたりして………」

「構わねぇよ。今は泣いとけ。それで、落ち着いてからゆっくり食えよ。な?」

 うん、と朱羅は頷いてからくしゃくしゃになった顔で卵粥をゆっくりと噛み締めるように食べる。イレーネはそんな朱羅の頭を、彼が食べ終えるまで優しく撫で続けた。

 

 

 

 

 

 

 それから一時間後、卵粥を食べ終わり、体調も元に戻った朱羅は学生寮に戻る事にした。プリシラからはもうちょっとゆっくりしていけばいいと提案を受けていたが、イレーネにここまで運んでもらった事と卵粥を食べさせてもらった負い目があるのか、朱羅はそれについては丁寧に断っていた。

 三人がエントランスまで来ると、朱羅が見送りに来てくれたイレーネとプリシラに向かって口を開く。

「今日はありがとう二人共。迷惑かけちゃってごめんね」

「朱羅さんが謝る事なんてありませんよ。ね? お姉ちゃん」

 プリシラが横にいるイレーネにそう振るが、イレーネは何故か朱羅から目を逸らして「ああ……」と言っただけだった。それに朱羅とプリシラが二人揃ってきょとんとした表情を浮かべると、イレーネが言った。

「な、なぁ……朱羅……その……」

 それからイレーネは口の中で何やらもごもごと呟いていたが、当然朱羅の耳には入らない。すると、さすが姉妹と言うべきか、姉の言いたい事を察したプリシラがイレーネに告げる。

「お姉ちゃん。伝えたい事は、ちゃんと言葉にしないと伝わらないよ?」

「……わ、分かってるよ」

 そう言ってイレーネは、数回深呼吸をすると、

「……しゅ、朱羅。……良かったら、またうちに飯食いに来いよ」

「……え?」

「べ、別にあたしはお前がいても気にしねぇしな。つっても、料理をするのはプリシラだし、もしもプリシラが嫌だって言うならさすがにあたしも……」

「ううん、お姉ちゃん、私も大丈夫だよ? 誰かと一緒に食べるご飯はすごく美味しいから」

 この期に及んでも素直になれない姉の背中を押すかのように、プリシラはニコニコと一片の邪気も無い笑顔を浮かべる。

「そ、そうか………」

 妹の笑顔にイレーネは嬉しさと緊張が混じり合ったような複雑な笑みを浮かべると、目の前の戸惑った顔をしている少年に言う。

「ま、まぁそういうわけだ。聞いての通り、あたし達は別に迷惑とかじゃねぇから、気が向いたら飯食いに来いよ」

 だが、そこまで言っても朱羅の表情は晴れなかった。彼はただ何かに困ったような表情を浮かべると、恐る恐ると言った口調でイレーネに尋ねた。

「………本当に、良いの?」

 その顔を見て、イレーネは悟った。

 恐らく朱羅は戸惑っているのだろう。今まで他人の悪意に晒され続けた自分が、本当にこの二人の輪に入っても良いのか。本当に自分が誰かと一緒に幸せな時間を過ごしても良いのかと。そんな戸惑いを抱えた少年をまっすぐ見つめながら、イレーネはいつも浮かべる勝気な笑顔とは違う、柔らかい笑みを浮かべてはっきりと告げた。

「良いんだよ。さっきも言っただろ? あたしは何があってもお前のそばにいてやるって。だからお前は、うじうじ悩んでないでさっさと決めれば良いんだよ」

 そう言いながらイレーネは朱羅の額に軽くデコピンをした。あう、と朱羅が声を上げながら額を抑える。それから一瞬むっとした表情を浮かべるが、すぐに気を取り直すとイレーネとプリシラの二人に尋ねた。

「うん、わかった。じゃあ……また明日来ても良い?」

「ああ、構わねぇぜ」

「今日はあまり話せませんでしたから、明日こそはたくさんお話ししましょうね。美味しいものをたくさん作って、待ってますから!」

 朱羅の問いに、イレーネとプリシラは嬉しそうな笑顔で言う。その笑顔を見て、朱羅もつられるように笑った。

 そして朱羅はまた明日と最後に言ってから、マンションのエントランスから出て行った。彼の後ろ姿が見えなくなったのを確認すると、突然プリシラがイレーネに聞いた。

「ねえ、お姉ちゃん。さっき朱羅さんに何があってもそばにいるって言ってたよね?」

「ん? ああ、それがどうかしたのか?」

 するとプリシラは、何故かニコニコと笑いながら、とんでもない爆弾発言をかました。

「あれってもしかして、プロポーズ?」

「は、はぁっ!?」

 妹から放たれた発言に、イレーネは思わず素っ頓狂な叫び声を発してしまった。自分の顔が一気に赤くなるのを感じた彼女は、いつもの彼女らしくなくあわあわと手を左右に振りながら弁明をする。

「ち、違うからなプリシラ!? あたしは別にそういうつもりであんな事言ったわけじゃねぇし! 別にあいつの事そういう目で見てるわけじゃねぇからな!?」

「へぇー、そうなんだー。じゃあ、そういう事にしとくねー」

「信じてないよなプリシラ!? ちょ、ちょっと待て! 頼むから待ってくれぇぇえええええっ!」

 うふふふふふふふと非常に嬉しそうな笑い声を上げながら自分達の部屋に戻っていくプリシラを、イレーネは滅多に上げない叫び声を上げて慌てて追いかけて行った。

 

 

 

 

  

 

 




今回出てきた朱羅の戦い方の説明が分かりにくいかと思われた方のために補足しますと、インフィニット・ストラトスのシャルロット・デュノアの高速切替(ラピッド・スイッチ)を生身で行っているようなものと考えていただくと分かりやすいと思います。
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