学戦都市アスタリスク black trickster   作:白い鴉

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朱羅とイレーネのデート回、そして急展開です。


第七話 壊れた日常

  

 

 

 

 

 

「はぁ………」

 自分と妹が住んでいるマンションの前で、イレーネ・ウルサイスはため息をついた。

 今日は一緒に新しくできたデパートに一緒に行くと朱羅と約束した日曜日。天気は晴れではあるものの、天気予報では午後に天気が崩れて雨になる可能性があるという。まぁ屋内にいれば雨に濡れる可能性は低いし、いざとなれば傘を買ってさせばいいだけの話である。

「はぁ………」

 青空を見上げながら、イレーネはまたため息をついた。今日朱羅と出掛けるのが憂鬱というわけではない。それどころか、今日のデート(そう言葉にするのは恥ずかしいのでイレーネは認めていないが)にガラでもなく緊張してしまって、昨日の夜中々寝付けなかったほどである。

 では何故ため息をしているのか。その理由は、イレーネが着ている服にあった。

 イレーネは自分の服装を見ながら、落ち込むように呟いた。

「こんな服、あたしに似合うわけがねぇだろうが……」

 彼女が着ているのは、白を基調としたトップスにロング丈のレースガウン、さらにデニムワイドパンツに黒いストラップサンダルと、普段の彼女ならば絶対に着ないような服だった。

 これらの服はもちろんイレーネが選んだものではない。今日という日に備えてプリシラと一緒にデパートに向かい、そして彼女が選んで買ってくれた物だった。イレーネ自身は最後の最後まで着るのに反対したのだが、プリシラはきっと似合うと最後まで断言していた。なので彼女の言葉を信じて、気合を入れてこの服を着て朱羅との待ち合わせ場所であるマンションの前に数分前からいるのだが……、今になってイレーネはこの服を着たのを後悔していた。

 似合っていないというわけではない。イレーネが生来持っていたすらっとしてしなやかな身体に、プリシラが選んでくれた服が見事にマッチし、清楚な大人の女性という雰囲気を漂わせている。

 しかし、それがイレーネが悩んでいた事だった。

 確かにそのような雰囲気があるのは良い事かもしれないが、その雰囲気を纏っているのは悪名高いレヴォルフ黒学院の序列三位、『吸血暴姫(ラミレクシア)』イレーネ・ウルサイスである。そのため、先ほどからイレーネに目を奪われる男性が少なからずいるのだが、その視線はすぐに好意じみたものから恐怖を滲ませたものに変わる。しかもそれはまだ良い方で、まるで信じられないものを見たと言うように、首がねじ切れんばかりに二度見をしてくる輩もいる。

 そのような事があったので、イレーネはすっかり不安に駆られてしまっていた。もしも朱羅にこの姿を見られて、笑われたりしたらと考えたらこの姿を見せるのが怖くて仕方がない。プリシラは『朱羅さんなら、きっと可愛いって言ってくれるよ!』と太鼓判を押してくれたが、今まで自分を見てきた男達の反応を見て自信が無くなってきてしまった。

「いや、あいつの事だからさすがに笑わないとは思うけどよ……」

「あいつって誰?」

「おうわぁっ!?」

 突然背後から掛けられた声にイレーネは心底驚き、思わず叫びながらその人物から飛びのいた。そこにいたのは、不思議そうな顔をする有真朱羅だった。

「と、突然声かけんな! 驚いただろうが!」

 イレーネが朱羅に叫ぶと、朱羅はたははと苦笑しながら、

「ごめんごめん。なんか悩んでそうな感じだったからさ、ちょっと声かけるの悩んでたんだ」

「ったく、別に悩み事なんて……。って、なんかお前何気に気合入ってねぇか?」

 今日の朱羅の服装は七分袖のデニムジャケットにロング丈Tシャツ、黒スキニーという少し大人びた服装だった。イレーネの言葉を聞いて朱羅はああと言いながら、

「昔母さんから言われてたんだよ。将来女の子と出掛ける時は、服に気合を入れなさいってね。それより、イレーネも今日は少し雰囲気違うね。その服、プリシラさんに選んでもらったの?」

「あ? ああ、まぁな……」

 朱羅の言葉に、イレーネは歯切れ悪そうに言った。ついさっきまで、その事で頭を悩ませていたからである。だから、イレーネは朱羅についこんな意地悪を言ってしまった。

「……おかしいなら、おかしいって言えよ」

「え、どうして?」

「当たり前だろ。あたしがガラにも無くこんな格好してんだからよ。どうせお前も馬子にも衣装だとか思ってんだろ。……笑いたきゃ笑えよ」

 そう言った後、イレーネは心の中でこんな事を言った事を後悔した。いくら今まで自分を見てきた男達の反応が失礼だったからとはいえ、それで朱羅に当たるのはおかしい。それにこんな言い方では、この服を選んでくれたプリシラにもあまりに失礼である。イレーネが悪態を吐いた自分を恥じながら、朱羅に謝ろうとしたその時だった。

「別に僕は笑わないよ?」

 と、変わらずに不思議そうな顔をしていた朱羅が言った。まるで、イレーネがそんな事を言うのかまったく分からないと言いたそうな口調で。

「馬子にも衣装だなんて思わないよ。イレーネは怒るかもしれないけど、僕はほとんど制服姿のイレーネしか見た事が無かったからむしろ新鮮だし、可愛くて綺麗だって思うよ」

 可愛くて綺麗。その言葉を聞いた瞬間、イレーネは何故か自分の思考が止まるのを感じた。それから全身の血液が沸騰したかのように熱くなったように感じながら、自分でも驚くぐらいかすれた声で朱羅に尋ねる。

「か、可愛くて綺麗って……。あたしが?」

「うん。可愛くて綺麗だよ、イレーネ」

 と、言われた瞬間。

 ボン! と小さな爆発音でもなりそうな感じでイレーネの顔が赤くなった。それを見た朱羅は目を丸くして、

「ど、どうしたのイレーネ? 顔が真っ赤だけど……熱でもあるの?」

「あ、ああ? んなわけねーだろボケ! それよりさっさと行くぞほら行くぞ! モタモタしたらぶっ殺す!」

「何でそんなに怒ってるのさぁ?」

「うるせぇ!」

 と、照れ隠しに怒りながらイレーネは朱羅の手を握ってさっさと歩き始め、朱羅も困惑しながら一緒に歩き始めた。なお、数分後に手を繋いでいる事に気づいたイレーネが再び顔を真っ赤にするのを当然ながら二人はまだ知らない。

 

 

 

 

 そしてそんな二人を、数メートル離れた所から見る一人の男がいた。先日朱羅とイレーネに壊滅されたグループの一人であり、星猟警備隊(シャーナガルム)に捕まらずに済んだ男である。

「くそ、いい気なもんだぜ……! 人の人生を滅茶苦茶にしておいて……!!」

 髪を金色に染め上げたその男は、憎しみのこもった声で街を歩く朱羅とイレーネを睨み付けていた。男が朱羅とイレーネを見つけ出したのはまったくの偶然だった。たまたま街を歩いていたら朱羅を待っていたイレーネを見つけ、何をしているのかと訝しんだ男は物陰に隠れるとイレーネを観察し始めた。そしてその数分後に朱羅が来たというわけだ。

 それを見て、男はチャンスだと思った。自分が所属していたグループを滅茶苦茶にし、自分の生活を滅茶苦茶にしたあの二人に復讐をするチャンスだと。その復讐をうまく行えば、自分の気も少しは紛れるだろうし、あの二人の顔を今後見る事も無くなるだろう。

「見てろよ……! 俺の生活を台無しにしてくれたお前らに、この俺が直々に礼をしてやるよ……!!」

 それはどうしようもない逆恨みだった。男がそこまで落ちぶれてしまったのは誰でもなく男のせいだし、何よりも朱羅とイレーネが彼のグループを壊滅したのだってイレーネを狙ったグループが朱羅を誘拐し、彼女を痛めつけようとしたからだ。自業自得、身から出た錆と誰がどう見てもそう言うだろう。

 だが、このような輩はそんな事すら理解しない。自分の不幸は全て誰かのせいだと決めつけ、正統性のない復讐を行おうとする。そして悪い事に、そういった復讐はいつだって誰かを傷つける。

 男はニィ……と怒りと狂気の混じった笑みを浮かべながら、朱羅とイレーネの後を追った。

 

 

 

 

 

 

 

 数分後、地下鉄に乗って商業エリアに向かった朱羅とイレーネは、新しくできた件のデパートの前に立っていた。笑顔を浮かべながらチラシを配っているデパートの店員を横目に見ながら、イレーネは少し驚いたように言った。

「しっかしチラシで見るのと、こうして実際に見てみるのとじゃあやっぱり全然違うな……。思ってたよりデカいし、店もかなり揃ってんじゃねぇかこれ?」

「お客さんも結構いるし、本当に全部のお店を見るのは一日かかりそうだね」

 朱羅達の周りには彼らと同じように新しくオープンしたこのデパートがどんなものかを見に来た学生や、この施設をデート場所に選んだカップルなどがいる。カップルの姿を見て、まさか自分達も周りに同じように見られているのかと少し顔を赤くした。ちなみに朱羅はと言うと、そんなイレーネの様子に気づかずデパートの内装に目を奪われていた。

 デパート内を歩きながら、朱羅がイレーネに尋ねる。

「まずはどこを見て回る?」

「別にどこでも構わねぇよ。お前が行きたいとこなら、どこでもついていくさ」

「そう? じゃあ、お言葉に甘えようかな」

 そして朱羅とイレーネは、デパート内にあるあちこちの店に足を運び始めた。

 デパート内には、チラシの通りかなり多くの店が出店していた。ファッション店だといつも朱羅とイレーネが行っているような服の値段がリーズナブルな店もあれば、少し値段が高めの店まで種類豊富にある。それらの店の服を見た後、二人は趣向を変えて書店に向かう事にした。

 書店も品ぞろえが良く、コミックや文庫などといったものから、中々手に入らない専門書まであった。

 と、二人が書店を物色している最中、朱羅が店頭に並んでいる本を見て声を上げた。

「あ、この本……」

「ん?」

 イレーネが朱羅の見ている本に視線を向けてみると、そこには『落星工学に関する研究成果』というタイトルの分厚い書籍が丁寧に置かれていた。少し顔をしかめながら、イレーネが朱羅に尋ねる。

「何だ? あんな小難しそうな本が欲しいのか?」

「違うよ。僕の友達が欲しがってたんだ。そうか、今日が発売日だったんだ……。あいつの事だから、予約してるんだろうな……」

 朱羅の言葉を聞いて、イレーネは朱羅が『あいつ』という言葉を使う事を少し意外に思った。朱羅は基本的に誰に対しても丁寧な言葉を使う。とは言っても前に戦った不良達に対してはやや荒っぽい口調になっていたし、朱羅だって人間なのだからそう言った言葉を使ったとしても不思議はないが、それでも彼がそのような言葉を口にするのは珍しかった。

「そのあいつっていうのは、前に言ってたお前の友達の事か?」

「うん。前に二人友達がいるって事は話したと思うけど、一人が女子で一人が男で、そのうちの男の方だね」

「ふぅん……。そいつって、どんな奴なんだ?」

 思い返してみればその友人の事を朱羅があまり話していなかった事もあり、少し好奇心が沸いてイレーネが尋ねた。レヴォルフには基本的に不良が多いが、朱羅がそのような人間と友人関係を作る事はどうも想像する事ができない。なので、もしかしたら朱羅やプリシラと同じような真面目な人間なのか、それとも大穴でとびきりの変人なのか。そんな事を考えながらのイレーネの質問に、朱羅はあっさりと答えた。

「良い人だよ。それに煌式武装のカスタマイズもやっててね、僕の煌式武装の調整もやってくれるんだ。数が多すぎるって苦情を言われる事もあるけど、腕はすごく良いから学園に預けるより彼にやってもらう事が多いかな」

「へぇ、お前がそこまで言うほどか」

 学園にも一応煌式武装のカスタマイズを請け負う装備局があるが、それよりも彼の友人に預ける事が多いという事は、それだけ朱羅から信頼されるほど腕が良いという事だろう。何せ朱羅は戦闘スタイルの関係上、かなりの量の煌式武装の調整に気を使わなければならない。一つでも調整に気を抜いたりしたら、即戦闘に支障が出てしまう。そんな彼に信頼されるという事は、朱羅の言う通り煌式武装のカスタマイズの腕は確かだと考えて間違いない。と、そこでイレーネはある事が気になってこんな質問をした。

「でもよ、どうしてそいつアルルカントに行かなかったんだ? それだけの腕がありゃ、アルルカントにいた方が十分に力を発揮できるんじゃねぇの?」

 アルルカントは世界でもトップクラスの落星工学技術を有している他、学生が操る煌式武装の性能は平均値で見ても他学園を凌駕している。イレーネの言う通り、それほどの腕があるのならばアルルカントに入学した方がレヴォルフにいるよりも遥かに力を発揮できるはずである。

 と、朱羅は何故かうーんと悩んでいるような声を出してから、

「それは僕も気になって前に尋ねた事があるんだけど、はぐらかされちゃったんだ。だから、何か理由があるんじゃない? アルルカントじゃなくて、レヴォルフじゃなきゃいけない理由とかさ」

「んな理由、あたしには思いつかねぇけどな……」 

 はっきり言って、アルルカントよりレヴォルフの方が良いなんて理由はイレーネにはさっぱり分からなかった。よほどの個人主義者などならば分からないでもないが、朱羅の話から推測するとそういうタイプでもなさそうだ。一体何を考えて、その友人はレヴォルフに入学したのだろうか?

 だが、今そんな事を考えても理由が分かるわけもない。イレーネは気を取り直して、朱羅とのショッピングを再開する事にした。

 その後、色んな店舗を物色した二人は、そろそろ昼食の時間だという事でデパート内の喫茶店に入る事にした。

 喫茶店のウェイトレスに案内された二人はメニューを手に取り、何を頼むかをそれぞれ考え始める。値段はさすがと言うべきか学生をターゲットにしているためか、そんなに高いというわけではない。イレーネがメニューを眺めていると、正面の朱羅がこんな事を言った。

「あ、イレーネ。こんなのとか良いんじゃない?」

「ん?」

 そう言ってイレーネがメニューから朱羅に視線を移すと、彼はメニューをテーブルに広げて写真を指差していた。イレーネがその写真を見た瞬間、その体がビシリと固まった。

 朱羅の指の先には、いちご色のジュースが入ったやや大きめのグラスが写っていた。

 問題は、そのグラスに二本のストローが挿さっているという事だった。

 まるで、カップルが一つのグラスに入ったジュースを仲良く飲む事を前提としているかのように。

「………」

 イレーネはいつもは絶対に浮かべないような、非常に優し気な笑顔を浮かべた。しかし逆に朱羅は、頬を引きつらせて軽くテーブルから体を遠ざける。

 すると朱羅の予想通りと言うべきか、イレーネはメニューを高く掲げると、

「――――テメェは馬鹿かぁああああああああああああっ!!」

 スパァン!! というすさまじい音を立てて、メニューがテーブルに叩きつけられた。しかしそれでもちゃんと力加減はされていたらしく、テーブルとメニューは無事だった。もしも彼女が全力だったら、今頃メニューとテーブルは見るも無残な姿を晒していた事だろう。一方、イレーネの叫び声を食らった朱羅は顔をしかめながら両耳を抑え、店内の客達も驚いた表情でイレーネを見ていた。

「テメェの!! 脳みそは!! 一体!! どうなってるんだ!!」

「お、落ち着いてよイレーネ。からかったのは謝るよ。だから少し冷静になって……」

「こうなったのはテメェのせいだろうが!!」

 朱羅のなだめるような声にもイレーネはまったく冷静にならなかった。まぁ確かに朱羅がからかったのが原因なので、それも仕方のない事ではあるのだが……。

 その後朱羅が必死に謝罪を繰り返してイレーネをなだめた事で、ようやくイレーネは少し冷静になった。それから少し怯えた様子で自分達のテーブルに近づいてきたウェイトレスに、朱羅はアイスコーヒーを二つとサンドイッチ、ホットドッグを頼んだ。注文を聞いて早足で遠ざかっていくウェイトレスを眺めながら、朱羅はイレーネをからかうのはもうやめようと心の中で固く誓った。

 約十分後、自分達の元にアイスコーヒーと卵やハムなどが挟まれたサンドイッチ、ホットドッグが運ばれてきた。ちなみにホットドッグはイレーネ、サンドイッチは朱羅である。

 それぞれ頼んだ注文が届くなり、イレーネはホットドッグを素早く掴んでまるで食いちぎるようにホットドッグを食べ始めた。どうやら、先ほどの事をまだ根に持っているらしい。朱羅はサンドイッチを持つと、イレーネに尋ねた。

「あ、あの、イレーネ」

 するとイレーネは、まるで獲物を食い殺すような獣の目つきで朱羅を睨んだ。その目に怯みながらも、朱羅はサンドイッチをイレーネに差し出す。

「ひ、一つ上げるよ」

「…………」

 イレーネは無言で口を大きくと開けると、朱羅のサンドイッチを食べた。傍から見ると彼氏が彼女にパンを食べさせてあげているというシーンに映るかもしれないが、残念ながらそんなロマンチックな雰囲気はこの場にはない。それどころか、朱羅はその瞬間自分の手ごとイレーネに食われるのではないかと危惧したほどである。

 朱羅のサンドイッチを咀嚼し、ごくんと飲みこんでからイレーネが口を開いた。

「………あんまり美味くねぇな、このサンドイッチ」

「そ、そう? 僕はすごく美味しいと思うけど……」

 朱羅がそう言うと、イレーネは先ほどよりもやや険のとれた目で朱羅を見つめた。

「お前、サンドイッチ作れるか?」

「え? まぁ、時々作るけど」

「今度、これより美味いサンドイッチを作るって約束しろよ。そうすりゃ、さっきの事はチャラにしておいてやる」

 それを聞いて朱羅は一瞬ぽかんとした表情を浮かべたが、すぐさまイレーネの真意を悟り、笑いながら言った。

「うん、分かった。すごく美味しいのを作るよ。約束する」

「……へ。もしできなかったら、ぶん殴ってやるからな」

「はいはい」

 どうやら今の約束で、イレーネの機嫌はようやく直ったようだ。先ほどとは打って変わって笑顔になると、再びホットドッグに手を伸ばして嬉しそうに食べ始めた。それを見る限りでは、やはり先ほどの発言も、朱羅を許そうと思って考えた発言だったらしい。イレーネを見ながら、朱羅もまたサンドイッチを食べ始めた。

 そしてデザートのパフェを食べ終えた二人は、ようやく喫茶店から出てきた。ぐーっと伸びをして、イレーネは楽しそうに言う。

「いやー、食った食った! プリシラの料理ほどじゃないけど、中々美味かったな!」

「そうだね……。でも、イレーネ少し食べ過ぎじゃない? あんなに大きいパフェを食べて……。いや、デザートは別腹とは言うけどさ……」

 デザートには二人共パフェを頼んだのだが、朱羅が一般的なサイズだったのに対し、イレーネが頼んだのは朱羅が頼んだ物の倍ほどはあるパフェだったのだ。最初は食べきれるか心配した朱羅だったが、それをぺろりと食べてしまったイレーネを見て、彼女が食べ終えた頃には呆れた表情を浮かべてしまっていた。

「そう言えば、デザートは別腹って本当なのかあれ?」

「うーん……確か前に、友達から一応本当であるとは説明された事があるけど……理由とかは忘れちゃったなぁ……」

「ふーん。ま、そんな事よりさっさと次に行こうぜ。次はどこにする?」

「そうだなぁ……」

 呟きながら、朱羅とイレーネはまた歩き始める。

 そんな彼らをじっと敵意のこもった目で睨み付ける第三者の存在に、朱羅はおろかイレーネでさえついに気づく事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 楽しい時間はあっという間に過ぎ去っていくとはよく言ったものだと、イレーネは思う。午前中に朱羅と待ち合わせをしてからデパートで色々と見て回った結果、気が付けば時刻はもう五時になっていた。空は天気予報通り午前中の青空はどこかへ消え、かわりにどんよりとした曇り空になっている。雨が降る前に帰ろうとしているのか、早足で帰路に就く学生の姿がちらほらと見え始めている。逆に帰路につかず、これから遊びに行こうとしているグループの姿もある。恐らく遊びに行った先で雨をしのごうと思っているのだろうが、彼らは少数派だろう。

 そんな学生達を眺めながら、デパートを出た朱羅とイレーネは歩道を歩いていた。朱羅はイレーネの方を向いて、明るい声音で言った。

「今日は楽しかったね、イレーネ」

「………ああ、そうだな」

 だが朱羅の声音とは反対に、イレーネの声はやや暗かった。朱羅もそれが気になったのか、心配そうな表情をイレーネに向けながら彼女に尋ねる。

「どうしたの? イレーネ。具合でも悪いの?」

「いや、そういうわけじゃねぇよ。ただ……」

「ただ?」

 朱羅が聞き返すと、イレーネは言って良いのか少し悩んだ後、自分の想いを正直に口にした。目の前の少年ならば、自分がその想いを口にしたとしても決して笑わないで聞いてくれるという確信があったからだ。 

「少し寂しいって………思ったんだ」

「………寂しい?」

 ああ、とイレーネは頷きながら心の中で吹き出しそうになる。よりにもよって自分が寂しいとは。本当に今日の自分は、どこか調子が狂っているように思える。

「あんだけ楽しい時間が続いたっていうのに、まだお前と色々と見て回ってみたかったっていうのに、もう終わっちまうんだ。それがなんか妙に寂しくてな。……悪い、変な事言っちまったな。忘れてくれ」

 ガシガシと髪の毛を掻きながら、イレーネは少し照れ臭そうに言う。しかし朱羅は穏やかな表情を浮かべて、イレーネに言った。

「じゃあ、また来ようよ」

「……え?」

「楽しい時間が終わるのが寂しいって言うなら、またここに来て何回でも楽しい時間を過ごそうよ。今度はプリシラさんも一緒にさ」

 そこで一旦言葉を区切ってから、朱羅は再び話を続けた。

「僕も同じだよ。父さんと母さんが死んでから、こんなに楽しい時間を過ごした事なんて一度も無かったからさ。だからこの楽しい時間が終わるのが寂しくないって言ったら嘘になる。……だけど、今の僕には友達やプリシラさん、何よりイレーネがそばにいてくれる。だから良いんだ。今日って日が終わっても、また明日がある。来月がある。来年がある。そこでイレーネと一緒に過ごす事ができたら……僕は幸せなんだ」

「朱羅……」

「だからさ、また来ようよ。ね?」

 そう言って笑った朱羅の笑顔に、イレーネは心を強く引き付けられた。もう何度も見たはずの彼の笑顔。なのに、こうして笑顔を向けられるだけで自分の心拍数が急激に上がるのが自分でも分かる。

 いつもの自分ならばその理由が分からず、悪態をついているだろう。

 だが、今の自分にはそんな必要はない。

 ただ、自分の心からの笑顔を浮かべて、こう言えば良い。

「……そうだな。また来るか。今度はプリシラと一緒に、な」

「うん!」

 そして、朱羅が歩き出そうとする。そんな彼の背中に、イレーネは声をかけた。

「なぁ、朱羅?」

「ん? 何?」

 そう言って、朱羅が振り向く。そのきょとんとした顔が愛しくて、イレーネは自分の口元が綻ぶのを感じた。

「お前はさ、これからもあたしと過ごす事ができたら幸せだって、言ったよな?」

「……? うん。そうだけど……」

 不思議そうな表情を浮かべる彼に向かって、イレーネが口を開く。

 いつもの自分ならばあまりにも照れくさくて言えないが、今ならば言える。

「あたしもさ、これからもプリシラだけじゃなくて、お前と過ごす事ができたら――――」

 幸せだ、と言おうとした。

 だが、その瞬間イレーネは見た。

 何かに気づいた朱羅が表情をこわばらせて、横の方を見たのを。

 そして朱羅が必死の形相で自分に向かって走り出し、その右手で自分の体を強く突き飛ばしたのを。

 ――――それからの事は、イレーネ・ウルサイスにとっては忘れたくても忘れられない、最悪の記憶である。

 歩道に突っ込むだけでなく、自分達のすぐ横にあった壁に突っ込んだトラック。

 ぐしゃぐしゃになった歩道と崩れた壁、そして全面が潰れたトラック。

 トラックと壁に挟まれて体は見えないが、その代わりにわずかに見えている血まみれの腕。

 そして……事故を呆然と眺めている、しゃがみこんだ自分。

 叫ぶ誰かの声を聞きながら、イレーネは思い出していた。

 それは、今まで決して忘れるはずがなかった、彼女の信条。

 何かを護るためには強い力が必要で、何かを手に入れるためにはより強い力が必要となる。

 力が無ければ失うしかない。

 そして失ったものを取り戻すためには、さらに強い力が必要となる。

 ――――何故、忘れていたのだろう。

 例え朱羅と出会って自分が丸くなったとしても、それだけは絶対に忘れてはならない事だったはずなのに。

 もしもそれを忘れたら、今目の前で起きているような惨劇が必ず起こるはずだったのに。

 その信条をイレーネがようやく思い出した直後、冷たい雫がイレーネの肩に降ってきた。

 雫はだんだん数を増していき、やがて大粒の雨になって辺り一帯としゃがみこんだイレーネの体を濡らしていく。

 雨の冷たさを感じながらも、今のイレーネには動く気力すらなかった。ただ、決して起こって欲しくなかった現実を前に、呆然とするしかできなかった。

 

 

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