デスとハイエロファントの物語:REBOOT 外伝・番外編集 作:桁石スミオ
陽は、かなり傾いていた。夕暮れには早いが、八つ時はとうに回っていよう。
デスが、ハイエロファントの居室の椅子に腰掛けている。眼前の執務机の横、小さな卓の上で、彼が手際よく茶葉をポットに投入し、耐熱性と思しき湯筒から熱湯を注いでいる。
自分の位置まで、芳醇且つ涼やかな香りが漂ってきた。
彼女は、住処では茶を嗜むどころか、淹れることすらしない。そういう生活様式ではないし、また時間もない。故に、自己の日常とは隔絶された今のひと時は、彼と共に居るという実感を認知する重要な時間であった。
ハイエロファントが、ハーブティーを満たした器を、受け皿に乗せてデスの目の前に置く。
カチャリ、という音に我に返ったように、彼女が手を伸ばす。
「今日は“仕事”あったの?」
柔らかい笑みを湛え、執務机の椅子に腰を下ろし、もうひとつのソーサーを引き寄せながら彼が問う。
デスはカップの取っ手を持ち、口元に寄せたところで一瞬停止する。
自分の“仕事”―――死神の役目である首刈りがどういったものか、彼は良く認識している筈だ。全身を返り血で真っ赤に染め、刎ねた首を持ち帰る。それをさも、日々の買い物でもしているかのような、極々当たり前の事柄のように、ハイエロファントは尋ねてくる。
今までこういった反応を示した者は、誰もいない。
だからこそデスは、彼を特別に感じていた。
香り立つ薄琥珀色の茶を、ず、と一口啜った後、彼女は言葉を紡ぐ。
「・・・いや、今日は、ない」
机を挟んで向かい合っているハイエロファントが、静かな口調で話した。
「君の“仕事”は本当に大変だからね、休める時にちゃんと休んだ方がいいよ」
「死神に休みなどない。朝だろうが真夜中だろうが、魂に呼ばれれば行く」
「眠ってる時に呼ばれることもあるの?」
自分と同様に一口茶を飲み込んだ後、彼が言葉を返してくる。
その瞳に興味津々という煌きを醸し出し、更にこちらに一歩踏み込んでくるように。
反らさないその眼差しと雰囲気に、デスは更に自分の箍が緩んでいくのを感じ取っていた。
「無論だ。ざらにある」
「そう・・・しっかり眠れないときついよね」
「あたしは数分の睡眠でも、深く眠れればどうということはない。逆に長い時間は眠れないしな」
カチ、と持っていたカップを皿に戻し、ハイエロファントが真っ直ぐに見詰めてくる。
少しの、間。
会話の隙間に、デスは顔を上げて彼と視線を絡める。
そこには穏やかな表情で、ただ黙ってこちらを見てる姿があった。
同様に、カチャ、と器をソーサーに乗せた後、訝し気に、また微かな不安を隠した声色で彼女は問う。
「・・・どうかしたか?」
ふっ、と温かい笑みが、ハイエロファントの口元に宿る。
「凄いなぁ、って思ってね」
清廉で、透明な言葉。
デスの胸が、とくん、と脈打つ。
褒められることなど、ない。死神である自分の存在が忌まわしく思われたり、また拒絶されるものであるのは百も承知で、それが普通である、と。
彼女は目線を外し、卓上に下げる。どう反応を返していいものか、まったく判らない。
それが、おのれが恋い焦がれている相手からなら、尚更だ。
「本当に、君は凄いな。想像以上だよ」
ハイエロファントはそれでも、まったく退く気配がない。
褒め過ぎだ。
デスは心底、そう感じた。
そして、漸く言葉を絞り出す。
「・・・な・・・何も大したこと・・・ないだろ?」
「ううん、心底感心しているよ。話を聞かせてもらう度に、そう感じる」
しかし尚も、追撃は治まる様子がなかった。
視線を戻してみると、先程と同じ、彼のぶれない眼差しがそこにあった。
深い響きを持つ声で、ハイエロファントは続ける。
「君の話を聞かせてもらうと、僕はまだ知らないことが多いな、と思うよ。物事の感じ方も捉え方も、そういう見方もあるなぁ、って思えるんだ。本当に、君は新しい感覚を教えてくれているんだよ。だから・・・」
一瞬、言葉が途切れる。
意識が僅かの間、自分から剥離したような感覚を覚え、デスが真っ直ぐに見詰め返す。
まるで彼の瞳に魂が吸い込まれていくような、浮揚感。
直後。
ハイエロファントが微かに、極めて微かに頬を紅に染め、呟く。
「僕は・・・まだまだ君を知っておきたい・・・」
蕩けるような、甘い声質。
デスは、停止する。
何を言われたのか、暫く解らなかった。
聞き間違いか、幻聴かとも思える。
それが確実に彼の口が発した言葉であることを、今の眼前の表情と雰囲気、そして向けられる揺るがない視線から彼女が確定させるまで、暫しの時を要した。
ぼふっ、と瞬間的にデスが顔を真っ赤に染める。唇の端を、きゅっ、と引き締め、完全に絶句した。
それでも尚、ハイエロファントはこちらを、じっ、と見詰めたまま動かない。
そのまま、どれくらい固まっていたか。
凝り固まった肩から一気に力を抜き、はああ、と彼女が溜め息を漏らす。そして諦めたような口調と共に、言葉が転がり落ちる。
「・・・死神だから・・・知っていいようなことは、ないぞ?・・・」
「逆だよ、デス。死神だからこそ、僕が知らないことをいっぱい知っている」
先程よりは落ち着いた表情で、ハイエロファントが返答した。
デスは、思う。自分から距離を取ることはない。むしろ逢いたくてここまで来ているのだから。しかし、まさか彼の方から間を詰めてくるのは、予想だにしていなかった。人を突き放すような性分ではないとは言え、こうも死神である自分の領域に踏み込んで来る言動は、考えられなかった。
素直に感じれば、嬉しい。
しかし、答えに窮する。
やがて。
彼女は、目線を落として、慎重に言葉を捻出した。
「き・・・聞かれれば、判る範囲で答えられるが・・・」
「それで充分だよ。多分、一回二回じゃ収まらないと思うから・・・」
ふと、台詞の間が再度空く。
それに従って、デスの視線が再び彼の両目に注がれる。
その動きを待っていたかのように、ハイエロファントは柔らかい笑顔を浮かべ、言う。
「何度も逢うことになっても、いいかな?」
デスは、瞬時に目を丸く開く。
彼から続けられる言葉は、軽々と自分の期待の遥か上を行く。
手が届く存在でないことは解り切っている。ハイエロファントが陽の当たる場所にいるなら、自分は漆黒の闇にいる。彼が多くの人に寵愛される存在なら、自分は忌み嫌われる存在。年齢が同い年だという以外、立場や世に有る理由も、何もかもが真逆。
その格段の差ですら、彼はいとも簡単に乗り越え、こちらに踏み込んでくる。
恐らくはそれ故に、猛烈に惹かれたのだろう。今は、そう思える。
返事が、出て来ない。デスは数回唇を動かし掛けるが、言語の形成にまで至らなかった。
とうとう、彼女は言葉を発することが出来ず、こくん、とただの一度だけ頷くにとどまった。
それに対して、にこ、と満足げな笑みを湛え、ハイエロファントが再び口を開く。
「差し支えなければ、僕が君の住むところにお邪魔してもいいけど」
デスが、眉間に皺を寄せて顔を上げる。
「・・・血の臭いがするぞ。持ち帰った首を、住処の一室に置いてあるからな」
「そうだね」
間髪を入れない、事実認識。
彼の答えからは、微塵も懸念が感じ取れない。
「随分あっさりと肯定するんだな」
「君が死神である以上、当たり前のことだよね?」
矢継ぎ早に返される言葉に、デスは息を潜める。
まるで呼吸をするような当然さの、彼の返答。
「それに僕は、血も、血の匂いも嫌いじゃないよ。だって血は、僕たちが生きる上で大切な物だし、僕たちの身体に流れてるお陰で、生きることが出来るのだもの」
最早、何を言っても、彼は距離を置く気配がまったくない。一歩、また一歩と間合いを詰めてくる。
それらの言動すべてが、死神の自分をありのままに受容しようというもの。最も想っている人物にここまで発言してもらえるとは夢にも思わず、デスはおのれの裡の芯が震えるのを感じていた。
しかし表情に出さずに、彼女は言葉を漏らす。
「ハイエロファント・・・お前、変わってると言われたことはないのか?」
「うーん・・・覚えはないし、僕は普通の考えだと思うけど・・・」
にこやかに微笑みを浮かべ、彼が器を手に取り、茶を啜る。
デスが続いて、カップを持って同様に喉を湿らせる。
血塗れの運命を負った自分を―――死神の自分を、ハイエロファントは認めてくれている。
その事実に、彼女は感嘆を、深く心の奥に刻み込んでいた。