なぜ、私は司令官の部屋に居るのでしょうか。
満潮ちゃんと一緒に『猫の目』から帰る途中に吐血して気絶したのは覚えているのですが……。
(誰かが運んでくれた?けど、どうして司令官の部屋に……)
ん?声に出したはずなのに口が動きません。それに、体が勝手に動いています。
これはもしかして……。
「だから!そこまでキッチリ計らなくていいったら!無駄に几帳面ねアンタって!」
この声は桜子さん?
けど、声が幼いですね。艦娘だった頃と同じように聞こえますが……。
「でも……レシピ通りにやれば間違いはないんじゃ……」
私の口と視線が勝手に動き、その先には赤い着物の上から割烹着を着た桜子さんが居た。
いや?これは神風さんと呼ぶべきなのでしょうか?背丈も艦娘時代の神風さんその物ですし……。
「アンタがやるのはチョコを溶かして型に流し込んで固めるだけ!レシピもクソもないでしょうが!」
はて?お料理は神風さんに習いましたが、一緒にチョコ作りをしたなど記憶はありませんけど……。
「そこまで言わなくても……」
「言いたくもなるわよ!湯煎するためのお湯の量までキッチリ計る奴なんて初めて見たわ!そんな事してたら、先生に渡す前にバレンタイン過ぎちゃうわよ!?」
やっぱりこれ、先代の記憶です。だって、神風さんが司令官の事を『先生』って呼んでますもん。
先代と一つになって以降、たまにこうやって先代の記憶を垣間見る事があるんですが、相変わらず不思議な感覚ですね。
まるで追体験してるみたいと言いますか。
一人称視点の映画を、五感全てで見ているような感じです。手で触れた感触とか匂いも感じるんですよ。
それに季節も関係なしです。
今は真夏なのに、今見ているのはおそらくバレンタインデー前ですもの。
「出来ました!どうです?初めてにしては中々の出来ではないでしょうか!」
「さっきも言ったけどさ。溶かして型に流し込んだだけ。余程の事がない限り誰でもできるのよ?」
確かに、先代が作ったチョコは溶かしたチョコをハート型の型に流し込んだけ。
でも、いいじゃないですか。きっと先代の想いがこれでもかと注がれていますよ。私ならもうちょっと凝った物が作れますけど。
「そう言う神風さんは何を作ってたんです?」
先代が、若干不快そうに神風さんに尋ねた。
そう言えば、神風さんって和食は上手だけど洋食やお菓子は作りませんね。その神風さんが何を作ったのかは私も気になります。
「知りたい?」
『フフフフ……』と不適な笑みを浮かべた神風さんが背中に何かを隠していますね。
勿体ぶらずに早く見せてください。材料的にチョコレートなのはわかってるんですから。
「ジャーン!作ってしまったぁ!私特製のチョコケーキ!」
思ってたより凄い物作ってた!
何ですかそのケーキ!見た目だけならお店で売ってるレベルなんですけど!?
し、しかし、チョコケーキと言う割りに真っ白ですね。どの辺がチョコなんでしょうか。
「それ……まさかホワイトチョコですか?」
「良く気づいたわね。そうよ、ケーキの外側に使用してるのは全てホワイトチョコ!先生ってさ、甘い物が苦手なクセにホワイトチョコは大好きなのよ♪」
なるほど、司令官はホワイトチョコがお好きなんですね。今年のはバレンタインデーはビターチョコで作りましたが、来年はホワイトチョコで作ってみましょう。
「ちょっと待って!司令官って甘い物苦手なんですか!?」
「そうよ?知らなかったの?」
「初耳ですよ!普通のチョコで作っちゃったじゃないですか!」
先代は司令官が甘い物が苦手なのを知らなかったんですか……。
けど大丈夫!きっと司令官は嫌な顔一つせず平らげてくれるはずです。あの人はそういう人ですから。
と言うか、神風さんも事前に教えてあげればいいのに……。
「ホワイトチョコ……。残ってませんよ……ね?」
「うん、全部使っちゃった」
神風さんは、イタズラが成功したかのような悪い笑顔をしてますね。きっと、先代に司令官の好みを教えなかったのもわざとですね。
ん?じゃあ神風さんは、司令官のためにホワイトチョコケーキをつくったのでしょうか。
さすがに1ホールは食べきれないと思いますけど、司令官の好みに合ったチョコを作っていますし。
「そのケーキ……。司令官に渡すんですか?」
「え?なんで?」
「いや、なんでって……」
司令官の好みに合い、店売りと見間違うほどのクオリティのケーキ。
普通に考えれば司令官に贈る本命チョコです。
このケーキを見た後では、先代が作ったチョコレートが貧相に見えてしまいますね……。
いえ、気持ちが詰まってれば良いんですよ?気持ちさえ詰まっていればチ〇ルチョコでも本命に成り得ます!
たぶん……。
「これはアンタが作ってる間の暇潰しで作った自分用よ?なんで先生にあげなきゃいけないのよ」
暇潰し兼、嫌がらせですよね?
司令官の好みのチョコを、無駄に高いクオリティで作って先代に見せつけたかったんでしょ?我が娘(仮)ながら性格歪みすぎですよ。
「し、司令官の事をずっとお慕いしていました!」
あ、場面が変わりました。
目を瞑って居るせいで何処に居るのかはわかりませんが、薄い箱のような物を両手で差し出してるのはわかります。
きっと、司令官にチョコレートを渡してる場面ですね。
「ありがとう朝潮。私もその……君の事が好きだ」
む……。
過去の出来事という事は理解してますが、司令官が私以外の女性に好きだと言うのを聞くのは少し面白くありません。
先代の視界は涙で歪んで、司令官の顔がハッキリ見えないです。泣くほど嬉しかったんですね。わかりますよ。
私もここまでハッキリと『好きだ』って言われたらきっと泣いちゃいますもの。
「よかった……。断られたらどうしようかと思っていました」
先代が涙を拭いてくれたおかげで、視界がハッキリしてきました。
ここは執務室ですね。執務机の上に艦娘から贈られたと思われるチョコレートの包みが山のようになってます。
今年もこんな感じだったなぁ……。
「あ、あの、神風さんはチョコを持って来なかったのですか?」
「いや、持って来てないぞ?そもそもアイツは、こういうイベント事に興味がないし」
ふむ、本当に自分用で作ったのかしら?
けど、この頃の司令官と神風さんは同じ部屋で暮らしていたから、夜に部屋で渡すつもりなのかもしれません。
「そんなに食ったら太るっすよ?」
あ、場面がまた切り替わった。今度は何処でしょうか。物陰から覗き見してるみたいですが……。
「知らないの?艦娘は太らないのよ?」
ここは……。工廠の裏ですね。前に曙さんが釣りをいていた場所です。
そこで神風さんが、ホワイトチョコケーキをフォークでバクバクと食べ。その様子を、まだモヒカンだった頃の海坊主さんが呆れた目で見ています。
ちなみに、艦娘でも運動せずに暴飲暴食すれば太ります。日頃の消費カロリーが多いから気にする人は少ないですが。
「なんで渡さなかったんすか?」
「言ったでしょ?これは自分用に……」
「そんな、すぐバレる嘘つかなくてもいいっす。どう見ても、提督殿に贈るつもりで作ったケーキじゃないっすか」
神風さんがケーキを口に運ぶ手が止まりました。
どうやら図星だったみたいですね。その割には平静を保っていますが。と言うか、しおらしくなっちゃった?
「気合い入れ過ぎちゃったの……。こんなの渡したら本命チョコだと思われちゃうじゃない……」
「別にいいじゃないっすか。提督殿の事好きっしょ?」
あ、今度は顔が真っ赤になった。
服の色のせいもあって文字通り全身真っ赤です。赤面した神風さんを見るのって、なんだか新鮮に感じてしまいますね。
「好きだけど……。好きじゃないもん……」
「訳わかねっすよ。もしかして、朝潮さんに遠慮してるんすか?」
「別に遠慮なんてしてないわ。二人がくっつきたいんなら好きにすれば良いって思ってるし……」
「でも、姐さんも提督殿の事が好きなんすよね?」
「なんか違うのよ。好きなんだけど、恋人同士になりたいとか、キスして欲しいとか、抱いて欲しいとかそういうのはないの。ただ……」
「お父さんって呼びたい。っすか?」
「うん……」
「呼べばいいじゃないっすか。何を意地張ってるんす?」
「だって他人だし……」
司令官がこの話を聞かなくてよかったですね。
司令官が知ったらきっと泣いちゃいますよ?あの人は、神風さんの事を本当に大切に想ってるんですから。
「くっだらねぇ。何が他人っすか。二人を見てたら親子にしか見えねぇっすよ?いや、実の親子より仲が良いっすわ。自分が保証します」
「いや、アンタに保証されても……」
「いやいや、マジですって。話した事なかったでしたっけ?自分の親はDVは当たり前、飯も満足に食わせてくれねぇクソ親だったんすよ?そんな環境で育った自分が言うんすから間違いないっす」
「それでそんな頭になっちゃったの?」
「そりゃ髪型っすか?それとも中身っすか?髪型なら姐さんのせいっすよ?」
海坊主さんの生い立ちを初めて聞きましたが、幼い頃は苦労したんですね。それから何があって司令官の部下になったのかはわかりませんが。
あ、ちなみにですが。先代が覗き見してる位置からだと、ツルツルに脱毛された側頭部に日の光が反射して凄く眩しいです。
「義理の親でもいいじゃないっすか。血の繋がりなんて些細な問題っすよ。夫婦なんて赤の他人同士っしょ?」
「アンタが真面目な事言うの似合わないからやめて。ムカついてくるしキモいから」
「ひっでぇ!今良い事言ったつもりなんすけど!?つか、そういう所が提督殿とそっくりっすわ!照れ隠しに人を扱き下ろしやがって!」
冗談を言い合いながら談笑してる様子を見ると、二人はまるで恋人同士のように見えますね。まあ、今は夫婦なんですが。
「ねぇ、アンタって今日、誰かからチョコ貰った?」
「自慢じゃねぇけど0っす。相棒は何個か貰ってたっすけど……」
「じゃあこれあげる。言っとくけど、義理だからね?勘違いしちゃダメよ?」
そう言って、神風さんが三分の二程減ったケーキを海坊主さんに手渡しました。
って言うか三分の二も食べたんですか……。時間的にもうすぐ晩ご飯でしょうに。
「食いかけじゃないっすか……。まあ、貰うっすけど」
呆れながらも、海坊主さんはケーキを受け取って食べ始めた。
海坊主さんも甘い物は苦手なのでは?それとも司令官と同じで、ホワイトチョコはお好きなんでしょうか。
「あっ!」
「ぶっ!なんすか急に大声出して!」
「か……間接キス……」
神風さんが、口元を抑えて心底恥ずかしそうに顔を赤らめた。
確かに、神風さんが使ってたフォークを使って食べてますから間接キスですね。おめでとうございます。
「自分は気にしないっすけど?」
「私が気にするの!そのフォーク返して!」
「残りを手掴みで食わす気っすか!?絶対渡さないっす!」
海坊主さんが頭の上にケーキとフォークを上げ、神風さんが必死にそれを取り戻そうとしてます。
もう付き合っちゃえば良いのに。恋人がイチャついてるようにしか見えません。
「……」
あれ?視界が動いて移動し始めました。どうやら、先代が覗き見をやめたようですね。
ゆっくりと庁舎の方へ戻っていきます。
「神風さんの意外な一面を見ちゃったな……」
そうですね。神風さんが、あそこまで赤裸々に本音を話すところを私も見たことがありません。
けど、先代の胸中は驚きよりも安心感に満たされています。
きっと、神風さんを差し置いて司令官にバレンタインチョコを渡したことに、先代なりに罪悪感を抱いていたんですね。
それとも、神風さんから司令官を盗ってしまったとでも思っていたんでしょうか。
どちらにしても、今はその罪悪感から解放されたようです。頬も緩んでいますし、先代は今微笑んでいるんでしょう。
先代が庁舎に近づくにつれて、視界がゆっくりと暗転し始めました。思い出に浸る時間は終わりのようです。
これがいつのバレンタインかはわかりませんが、神風さんが司令官の事をお父さんと呼び出すまで、この時から数年も要したんですね……。
本当はお父さんって呼びたかったクセに、赤の他人だからと変に意地を張っちゃって……。
もし、私と神風さんの立場が逆だったら、私はどうしただろう。
もう10年近く前、避難所に私を預けて去って行った司令官から離れずについて行ったら、私も養子にして頂けたのでしょうか。
泣いて駄々をこねた覚えはあるんですが、結局置いて行かれてしまいましたし。
「ここは……」
ゆっくりと瞼を開けると、見覚えのある天井が見えました。
ここは八駆の部屋ですね。声もちゃんと出ましたし、どうやらこれは夢ではないようです。
お腹の辺りが妙に重いのが気になりますけど。
「あ、起きた?」
「大潮さん?」
枕元に大潮さんが座っていました。
看病させてしまったみたいですね。申し訳ありません。
「あ、そのまま寝てて良いよ。円満にも、倒れた事は言っといたから。それに」
大潮さんが『ふふふ』と微笑みながら私のお腹の辺りを指差しました。
ゆっくり頭だけを上げて見てみると、そこには目の周りを真っ赤にした満潮ちゃんが私のお腹を枕代わりにして静かな寝息を立てていました。可愛い……。
「う……ん……」
あら残念、もう少し寝顔を見ていたかったのに起きてしまいました。けど、眠そうに目を擦る仕草も猫みたいで可愛いです♪
「お姉…ちゃん……?」
満潮ちゃんが私を見てなぜか驚いています。
どこかおかしなところでもあるのかしら。寝癖で髪が爆発してるとか?それとも、涎の跡でもついてるのかしら。
「う……」
「う?」
なに?どうしたの?どうして涙ぐんでるの?
怖い夢でも見たのかしら。だったら、さっきみたいにお姉ちゃんの胸に飛び込んできなさい!全力でなでなでしてあげますから!
「お姉ちゃん死んじゃヤダーー!」
おおっと!?
何故か私が死ぬと思い込んだ満潮ちゃんが、泣きながら私の胸に飛び込んで来ました。
しかも、しかもです!私の細やかながらも存在している胸の感触を確かめるかのように、頭をグリグリと擦り付けています。
「痛くないの?」
大潮さん、それはどういう意味ですか?
まさか私の胸が小さいから肋に当たって痛いとかそういう事ですか?
まあ、いいでしょう。いつもなら怒るところですが、今は満潮ちゃんの感触と匂いを堪能するので忙しいですから。
「朝潮ちゃん……。鼻血出てるよ?」
「え!?お姉ちゃん大丈夫なの!?」
あ、ダメです満潮ちゃん。
心配してくれるのは嬉しいのですが、その位置で頭を上げたら私の顎にジャストミートです。良いの入っちゃいます。
「ぐふっ!」
ほら、言わんこっちゃない。完全に気絶コースですよ。
はぁ……。もうちょっと満潮ちゃんの感触と匂いを感じていたかったなぁ……。
仕方ない。また次の機会に堪能するとしましょう。
私は、口の中に広がっていく血の味を味わいながら、再び夢の世界へと旅だった。
山口県民の私。北陸の雪にドン引き中。