うちの鎮守府は夕雲型がまるで育ってないんですが……。栗田艦隊の駆逐艦どうしよう……。
これから始まる日常に思いを馳せて
今日は、なんだか一日がとても長く感じるわ。
朝早くにお父さんの部屋に行ってから、辰見に鬼風との死闘の話をし終わるまで約9時間ってところかしら。
それなのに、お父さんの部屋に行ってから今まで、数か月かかった気がするくらい長く感じちゃうわ。
まあ、気のせいだとは思うけど。
「コーヒー、冷めちゃったわね。淹れ直してくるわ」
「あ、待って円満。私も手伝う」
私と辰見を二人きりにした方が良いと思って気を利かせたつもりなのか、円満と叢雲がカップを集めて給湯室に向かおうとしている。
叢雲はまあいいとして、円満にはこの際に少し言いたい事があるから残ってもらわないと。
「叢雲、悪いんだけど一人で行ってくれる?円満には少し話があるの」
「私に話?」
「そう貴女に。話と言うか……。お願いに近いかな」
そんな『またイジろうとしてるんじゃ……』みたいな顔して警戒しないでよ。本当にただのお願いだから。
これは、私と朝潮程じゃないけど、お父さんに気に入られてる貴女にしかできないお願い。いや、私の心残りと言い換えてもてもいいかもしれないわ。
「で?お願いって何?」
「お父さんの事を、貴女にお願いしたいの」
「はぁ!?いや、その……。先生には朝潮がいるじゃない……」
「朝潮じゃ無理だから貴女に頼むの」
円満は何か勘違いしてるみたいだけど、身の回りの世話をしろとか、愛してあげてとか、傍にずっと居てあげてとかそう言う類いのお願いじゃないわ。
そう言うのは、逆に貴女じゃ無理。それこそ、朝潮にしか出来ない。いえ、朝潮にしかさせたくない。
「具体的言うと、お父さんの夜の相手を貴女にお願いしたいのよ」
「いや、それこそ朝潮にって……。はぁ!?」
あ、あれ?なんでそんなに驚いてるの?辰見も食べてたドーナツで咽てるし……。変な事言ったつもりはないんだけどなぁ……。
「さ、桜子。アンタ自分が何言ってるかわかってる?」
「わかってるわよ。貴女達こそ何に驚いてるの?」
「何にってアンタ……」
う~ん。辰見は『頭大丈夫か?コイツ』みたいな感じで私を見るだけでそれ以上言わないし、円満はなぜか顔を真っ赤にしてモジモジし始めた。
夜の相手をお願いする事の何がそんなにおかしいのかしら。
「あ、朝潮に許可を取ってからでいいなら……」
「いやいや!許可とか取っちゃダメでしょ!!それとも、朝潮は知ってるの!?」
「うん……。朝潮は私の気持ちを知ってる……。辰見さんみたいに気づいたんじゃなくて、私が直接言ったから」
はて?なぜ朝潮の許可を取る必要が?たしかにバレると五月蠅そうだとは思うけど、別に許可なんか取らなくても問題ないでしょうに。
それに朝潮が知ってる?何を?もしかして、円満がお父さんの事を好きだって事?たしかに多少は嫉妬するでしょうけど、料理酒の匂いだけで酔っちゃう朝潮には頼めないからしょうがないのよ?
「ねぇ、貴女達何か勘違いしてない?私は晩酌の相手を頼んでるだけよ?」
おろ?さっきまで狼狽えてたのが嘘みたいにポカーンとした顔になったわね。そうかと思ったら、今度は二人とも顔を伏せてプルプルと肩を震わせ始めた。笑ってるのかな?
「「わかるわけないでしょ!」」
「夜の相手とか言うからアッチの方を想像しちゃったじゃない!」
お~……。綺麗にハモったわね。
円満が言う『アッチの方』がなんなのかはわかんないけど、二人とも別の事を想像してたみたいだわ。いったい何を想像してたのかしら。
う~ん……。わかんない。ちょっと聞いてみるとしましょう。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥だもんね。
「ねえ円満。アッチの方って何?」
「え!?いや……。アッチって言ったらアッチよ!わかってて言ってるんでしょ!?」
「わかんないから聞いてるんだけど?」
いや、『う~っ……』って猫みたいに唸りながら恨めしそうに見ないでよ。わかんないもんはわかんないんだから。もしかして、口に出して言うのが恥ずかしい事だったりするかしら。
う~む、夜の相手で連想しそうな恥ずかしい事ってなんだろう……。
夜……。夜は何をする?
基本的に夜はご飯食べてテレビ見て、それから適当に過ごして後は寝るだけよね……。
ん?寝る?寝ると言えば添い寝よね。他の人がどうだか知らないけど、私にとって寝ると言えば添い寝だわ。だって誰かが添い寝してくれなきゃ寝れないもの。
って事は、円満も添い寝を想像しちゃったのかな?けど、別に添い寝くらいで狼狽えなくたって……。
「あ……。そういう事?やだちょっ……。円満ったらやらしい~」
「ち、違う!違わないけど違う!桜子さんが変な言い方するからでしょ!?」
「別に、貴女の想像通りの事もしてもらって構わないわよ?」
「ふぁっ!?」
そっかぁ。普通の人は『夜の相手』と聞いてアッチを想像しちゃうのかぁ。相変わらず、世間は私から孤立してるのね。それとも、円満と辰見が汚れてるだけなのかしら。
「あ、でも、避妊はちゃんとしなさいよ?子供が欲しいなら、せめて朝潮の後にしなさいね」
「いや、だから……!もぉぉぉぉぉ!辰見さんどうにかしてよ!」
「どうにかしてって言われても……。逆にラッキーと思ってみたら?娘の許可は下りたわよ?」
「下りちゃったから困ってるの!」
なんで困るの?円満ってお父さんの事が好きなんでしょ?だったらいいじゃない。朝潮が何て言うかはわからないけど、逆に言えば朝潮さえオーケーを出せば堂々と抱かれる事が出来るのよ?お父さんだって、そういう事なら拒まないと思うし。
あ~でも、円満ってたぶん経験ないわよね?お父さんの内に溜まりに溜まった10数年分の精力を、円満一人で受け止めるってなると少し厳しいかしら。最悪、壊されちゃうかもね。
「まあ、抱かれる抱かれないは一先ず置いといて。どう?お父さんの晩酌に付き合ってくれる?」
「私……。まだ未成年なんだけど……」
「関係ないわ。お父さんなんて、12歳の頃から親の晩酌相手してたらしいわよ?それに……」
「そ、それに?」
「バレなきゃ犯罪じゃないのよ!」
「胸張って言って良いセリフじゃない!」
だいたいさ、円満って艦娘だった頃からお父さんのお酒の相手をしてたんでしょ?鳳翔さんに聞いて知ってるんだから。
それに、貴女は気づいてないでしょうけど、お父さんがお酒の相手をさせるって事は気を許してる証拠なのよ?
「少し真面目に話すわね。お父さんってさ、気を許した相手の前以外じゃお酒を飲まないの。どうしてだかわかる?」
「……暗殺とかを…気にして?」
「それも確かにあるわ。けどそれ以上に、素が出ちゃうから一緒に居たいと思える相手の前でしか酔いたがらないのよ」
そんな相手は、私と朝潮、奇兵隊の初期メンバー、それに昔から知ってる辰見、ついでに長門と鳳翔さん以外では円満しかいない。
しかも円満は、お父さんが跡を継がせると言うほど信頼してる子だ。信頼度だけなら、たぶん私と朝潮に比肩する。
うん、やっぱりこの子にしか頼めないわ。ここから離れてしまう私の代わりに、円満にお父さんの日常のになってもらおう。
「貴女にとっては失礼な話だと思うけど、改めてお願いするわ。朝潮がお父さんの日常になるまでの間、貴女がお父さんの日常になってあげて」
「私が…先生の日常に……?」
「そうよ。今の朝潮には頼めない。これが頼めるのは貴女だけよ。それで朝潮が文句を言って来たら言いなさい。私が説得してあげるから」
「力尽くで……でしょ?」
「う~ん……。それは朝潮の出方次第かなぁ」
たしかに出方次第じゃ力尽くになっちゃうけど、できる事ならそれはしたくないわね。
お父さんが激怒するってのもあるけど、長門が殴り飛ばされるのを見た今じゃ、朝潮相手に素手で勝てる気がしない。たぶん、素手での格闘戦なら朝潮の方が強いわ。
「まあ、朝潮をどう説得するかは文句を言って来た時に考えるとして。どう?引き受けてくれる?」
「引き受けるのは良いんだけど……。具体的にどうしたら良いの?」
「具体的に?そんな事考えなくていいわよ。いつも通りで良いの。それに夜の相手が加わるだけよ」
「だ~か~ら~!夜の相手って言い方やめてよ!どうしてもアッチの方を……。じゃない!兎に角やめて」
面倒臭い子ねぇ。私がいいって言ってるんだから、べつに気にしなくたっていいのに。
もしかして朝潮に遠慮してる?だったら、それこそ心配しなくてもいいわ。
きっと朝潮は『浮気をしても、最終的に自分のところに戻って来てくれたら良い』くらいに思ってるわよ。たぶん……。
「まあ、円満が提督に押し倒されるか、逆に押し倒すかは置いといて。手始めに今晩とか丁度良いんじゃない?」
「ナイスアイディアよ辰見。21時前には確実に一人になってるもん」
お父さんは酒好きのクセに一人で飲むのを嫌う。それでも一人で飲む時は、大抵悩んでたり落ち込んだりしてる時。今日とかが正にソレね。私と言う愛娘が、明日の結婚式を機に本格的に離れて暮らすようになるんだもの。今晩は確実に落ち込むはずよ。
「よし!決まり!ねえ辰見、何か良いお酒持ってない?」
「今晩4人で開けようと思ってたのがあるわ。可愛い後輩のために寄付しちゃう♪」
「ちなみに、銘柄は?」
「東〇美人の一番纏よ。二本あるから、もう一本は4人で飲みましょ」
「お父さんが1番好きなヤツじゃない!ナイスだわ辰見!」
詳しい説明は省くけど、『東洋〇人
私もお気に入りのお酒なんだけど、720mlで3000円オーバーのお値段だからコスパは悪いのよね。720mlくらいじゃ一時間も保たないもの。
だから私もお父さんも、一番纏いは嬉しい事や祝い事があった時くらいしか飲まないわ。
代わりに飲むのは、同じ東〇美人の限定大吟醸 生の『〇洋美人
「あ、そうだ。化粧は出来るだけしない方がいいわよ。お父さんって化粧の匂いが苦手だから」
「そうなの!?いつもより気合入れて……ってぇ!まだ今晩行くとは言ってないんだけど!?」
「あとはそうねぇ……。ネグリジェとか持ってる?公序良俗に正面からケンカ売ってそうなヤツ」
「持ってるけど……。それもやめた方がいいの?」
「いや、それはむしろ着て行きなさい」
「や、やっぱり先生もああいうのが好き…なの?」
いや、正直に言うと、お父さんの好みの服装に関しては全くと言って良いほど知らない。好みの体形は知ってるけどね。
胸のサイズ的にはB~C。だけど、お父さんは胸よりもクビレが好きみたい。あと、食べるところがないようなスレンダーボディが好きね。具体的に言うなら円満みたいな体形よ。さすがはロリコン。
「好きよ!だから絶対に着て行ってね!」
そっちの方が絶対に面白い事になるから!
円満だって、お父さんに着て見せたいからそんな物持ってるんでしょ?だったら良いじゃない。
お酒が良い感じに回って、ふと、私が居ない事に寂しさを覚えたお父さんの目の前に『抱かれるために来ました』と言わんばかりの格好をした円満が居たら絶対に食いつくわ。いや、むしろ食われろ。
「あ、そうだ。辰見」
「ん?何?」
私は辰見を見ながら耳が見える様に髪を掻き上げた。
貴女なら、これで私が言いたい事がわかるでしょ?そう、これは合図。円満に渡すお酒に、盗聴器を仕掛けろという合図よ。
「悪くは…ないわねぇ。うっふふ」
「でしょ?」
さすがは辰見、どうやらわかってくれたみたいだわ。口調も雰囲気も龍田っぽくてちょっぴりドキっとしたけど、これでお父さんの円満の会話を肴にお酒が飲めるわ。
「なんか……悪だくみしてない?」
「「いいえ~♪まったくぅ♪」」
おっと、私も辰見も少しワザとらしかったわね。円満がジト目で警戒し始めたわ。
けどね円満、これは大事な事なの。私にだって、夜の相手を頼んだ手前、責任があるのよ。
恐らく経験のない貴女が、野獣と化したお父さんに貪り喰われる時に万が一の事があったら大変でしょ?嗾けといてなんだけど、貴女が再起不能になるまで攻められたら寝覚めが悪いもの。
だからこその盗聴器よ。万が一の場合は、私たちが部屋に踏み込んで貴女を助けるためのね。
「本当かなぁ……」
「ホントホント!だから貴女もサッサと仕事終わらせてさ、いつもより念入りに体洗っときなさいね?」
「そりゃあ、いつもより念入りに洗うつもりでは……てぇ!完全に不祥事を起こさせる気よね!?」
まったく、素直じゃないわねぇ。貴女だってとっくにその気になってるんでしょ?女なら腹括りなさいな。ハッキリ言って、今日を逃したらこんなチャンスが次にいつ来るかなんてわからないわよ?
だって、今日ほどお父さんが精神的に不安定な日はないんだから。
「ねぇ円満、仕事って机の上にあるので全部?」
「そうだけど……。辰見さん手伝ってくれるの?」
「いいわよ。手伝ってあげる。桜子は?何時頃に提督の部屋に戻るの?」
「私?17時には戻ろうと思ってるけど……」
なぜ、私が部屋に戻る時間を聞く?もしかして、私にも仕事を手伝わせる気?ヤダヤダヤダ!私、書類仕事は絶対に嫌だからね!
そりゃあ、奇兵隊にも書類仕事の類はあるから絶対に私のサインと判子が要る書類は私が処理してるけど、それ以外は旦那と金髪に丸投げしてるんだから。
「あと30分ってとこか……。円満、事務課に持って行く書類は?」
「秘書艦席で山になってるのだけど……」
「じゃあ、桜子はそれを事務課に持って行って。持って行ってら、そのまま部屋に戻ってくれて良いから」
いや、そのまま戻って良いとは言われても……。
辰見が言ってるのって、秘書艦席の上の書類って高さが50センチ位まで積み上がってるアレよね?私のような細腕のか弱い乙女に、あんな如何にも重そうな物を運ばせようとか鬼か!
「絶対にい……!」
「嫌とは言わせないわよ。このままじゃ円満が残業する事になっちゃうわ」
「だから何よ。残業くらい別にいいでしょ」
「嗾けといてそれは無いんじゃない?今日が円満にとって大切な日になるかも知れないのよ?余裕くらい持たせてあげましょうよ」
うぅ……。そう言われると断り辛い……。
今だに円満は『まだ行くとは一言も言ってない!』とか言って往生際が悪いけど、嗾けた手前、心と体の準備くらいはさせてあげたいとは確かに思う。
運ぶしかないかぁ……。
「わかったわよ。運べばいいんでしょ。運べば」
「物わかりが良くてよろしい!じゃあ仕事を始めましょうか」
驚いたわね……。艦娘時代は書類仕事が嫌で士官になりたがらなかった辰見が、テキパキという擬音が聞こえそうなくらい率先して書類仕事の指揮を執るとは……。しかも、私に指図すると言うオマケつき。人って変わるのねぇ。
「はい、これね。落としちゃダメよ?」
「おんもぉぉ!ちょっとこれ重すぎない!?」
「いい大人がこれくらいで何言ってんのよ。あ、そうだ。鳳翔さんの所に20時で良かったのよね?」
「そうよ!遅れたら全員に一杯奢りだからね!」
「りょ~かい。じゃあ、また後でね」
と、半ば追い出されたに近い形で執務室から出されてしまった。
少佐が吹き飛ばしてしまったせいでドアが開きっぱなしになった執務室からは『円満!これそっち!』とか『判子!判子どこ行った!?』とか『アンタ自分で持ってるじゃない!』などと修羅場を思わせる喧騒がすでに聞こえ始めている。
「これが
まだ、執務室に居る三人は知らない。数年後に、お父さんが
けど、この様子なら大丈夫そうね。
いつか、この喧騒が日常になる。この喧騒を聞いて、帰って来たと思う子がきっと出てくるはずよ。
だから頑張ってね。これから
「それにしても重いわねぇ……。何キロあるのよ……。ったく」
私は書類の重さに喘ぎつつも、これから始まる日常に思いを馳せて歩を進めた。
『早く戻って来て少佐ぁぁぁぁ!』と、早くも音を上げ始めた三人の悲鳴にほくそ笑みながら。
終章は6~7話くらいを予定しています。