私は今日ほど、お父さんと自分の差を思い知らされた日はない。
さっきまで繰り広げられていた戦闘で、私とお父さんの間にある超える事が出来ない壁の存在を嫌という程認識させられたわ。
だってお父さんは、私と朝潮が本気で殴りかかっていたにも関わらず、終始手加減する事をやめなかったんだもの。もしお父さんが本気だったら、私は初手で腹部を貫手なりで貫かれ、朝潮は後ろに回り込まれる事もなく頭を吹き飛ばされていたでしょうね。あれで、素手での戦闘なら少佐以下だって言うんだから信じられないわ。まあ、お父さんがそう言ってるだけだから本当のところはわかんないけど。
でも、さっきのは本気だったと言えなくもないのかしら?
体得している無駄に高レベルな戦闘技術を使って全力で悪ふざけしてたし……。最後なんてヤバいなんてもんじゃなかったわ。
いくら経験が少ないとは言え、たった数秒でこの私を……。この私をぉぉぉぉ!
「どうかしましたか?桜子さん。そんなに力を込めて揉んだらお肉がミンチになっちゃいます」
「何でもない……。お酒取って……」
「はぁ、構いませんけど……。飲まないでくださいよ?」
「飲まないわよ。料理酒なんて好き好んで飲まないわ」
貴女が匂いで酔うほど酒に弱くなければ、私が味を馴染ませるために肉を揉むなんて事しなくて済んだのに……。私、この感触嫌いなのよねぇ……。腸に手を突っ込んでるみたいで……。
「ねぇお姉ちゃん。右手ってこうで良いの?」
「右手?あ、そうでした。満潮ちゃん左利きでしたね。桜子さん、これ何て言うんでしたっけ?」
「猫の手」
「そうそう!猫の手でした!猫の手です満潮ちゃん!」
いや、満潮が聞いたのは呼び方じゃなくて使い方でしょ?この子、なまじ見ただけで覚えれるもんだから、人にどう教えていいのかわからないのね。危なっかしくて見てられないわ。
「それじゃあ親指を切っちゃうわ。まな板にも近すぎ。ちょっと朝潮、場所代わりなさい。私が教えてあげるから」
お父さんと大淀が居る居間から見て、私、朝潮、満潮の順で並んで料理してたんだけど、朝潮の教え方があまりにも下手だから見てられなくなっちゃった。
朝潮は『教え終わったら代わってくださいよ?次は私が教える番です!』とか言ってるけど、貴女に教わってたら満潮が変なやり方覚えちゃいそうだから却下。
「もうちょっと腰を離して。そう、まな板に対して骨盤が45度位の角度になるようにね」
「手は?」
「手はこう。そんなに握り込んじゃダメよ。軽く握る感じで、親指の先は人差し指の内側にね」
「へぇ、コレが猫の手かぁ。けど、猫って前足と後ろ足だけよね?手は何処にあるの?」
「くだらない事言ってないで前を見なさい。手を切っても知らないわよ?」
「は~い」
素直で宜しい。
まあ、当然と言えば当然か。この桜子さんに料理を教えて貰えるなんて、アンタみたいな新米駆逐艦じゃ大枚叩いたって叶わない事なんだから。
あとで朝潮に授業料請求しよっと。
「あ、やっぱり大したダメージじゃなかったみたいですね。いつの間にかお姉ちゃんとお話してます」
「お父さん?そりゃそうでしょ。貴女程度の体重じゃ、いくらお父さんの真似をしても威力は知れてるわ」
インパクトの瞬間に、腰を若干前に出して打点もズラしてたしね。アレじゃ良いとこ、お尻が少し痛くなる程度だわ。
ご丁寧に気絶する演技までしちゃってさ。言っとくけど、私にも朝潮にもバレバレだから。
「そうだ。いつから気づいてたの?」
「何の事ですか?」
「貴女のチート能力の事よ。自覚してるとは思ってなかったからビックリしちゃった」
私はてっきり、他にも技を持ってるから動きを封じろ的な事を言って来たんだと思ってたのに、朝潮はお父さんの裏当てを披露して見せた。威力はお察しだけど、朝潮の能力を考えれば動き自体は完璧に再現できてたはずよ。
「そういう能力だと確信したのは、つい最近です」
「ふぅん。もっと早く気づいても良さそうな程のチートっぷりだったけどなぁ」
「私は自分に自信がありませんでしたから……。でもある人に、私は才能に満ち溢れてると言われたんです。最初は信じられなかったけど、色々試してる内に、あれ?もしかしてと思って……」
ある人?いったい誰だろう。さっきの反応を見るにお父さんではない。もちろん私でもない。大潮か荒潮?それとも円満?たぶん違うわね。あの三人から言われたのなら、『ある人』なんて曖昧な言い方はしないはずよ。
「誰に言われたの?」
「秘密です……。と言っても、力尽くで聞き出そうとするんですよね?」
「しないわよ。もう素手じゃ貴女に敵いそうにないから、言いたくないならこれ以上聞かないわ」
今回の悪ふざけで、朝潮はお父さんの『裏当て』それに、私の『居合い』を見た。
それは朝潮にとって習得したのと同じだ。しかも、質が悪い事に習熟度まで同じ。
朝潮に通用しそうな素手での攻撃手段が居合いしかない私にとってそれは致命的。せめて木刀でもあれば互角くらいにはなるかもしれないけど、素手じゃもう敵わないわ。
「けど、しばらくは私の居合いを使うのはやめといた方が良いわよ。そんな鍛えてない手じゃ、技の威力に手が耐えらないから」
「肝に銘じておきます。まだ試していませんけど、凄い技なのだという事はわかりますから」
「素直でよろしい。そう言えば、そのチート能力って名前とかつけてるの?」
「私は『猿真似』と呼んでいます。結局、人の真似をしているだけですから」
「猿真似ってレベルじゃないと思うけどなぁ……」
でもまあ、朝潮がそれで良いなら良いか。
満潮が玉ねぎを切って『目が痛い~!』とか言い出したし、料理教室を再開するとしましょうか。大サービスで、玉ねぎを切っても目が痛くならない方法をこの桜子さんが教えて進ぜよう。
時間に余裕があるなら、調理の1~2時間前くらいに冷蔵庫で冷やすか。もしくはレンジで30~60秒ほど加熱する方法も有るんだけど、それらは今度教えてあげよう。
「水で包丁を濡らしてから繊維に沿って切ってみなさい。ほら、こうやって」
鶏肉に味を沁み込ませている間、私は満潮に包丁の使い方を教えてあげた。
隣の朝潮が、『う~……』とか『私も教えたいです!』とか言ってたけど適当にあしらいながらね。傍から見たら、私たちは姉妹のように見えたかもしれないわ。長女はもちろん私。歳的にも体格的にも適役だもの。
「あ、鶏皮も買ってきてるんだ」
「はい。司令官がお好きですし、お摘まみにもなると思いまして」
量的に100グラムってところか。
これは夕飯には出さず、揚げるだけ揚げといて摘まみにさせよう。あとは、野菜スティックを適当に作って冷蔵庫に放り込んどきゃ勝手に摘まむでしょ。
「そうそう。今晩、円満がお父さんの夜の相手しに来るけどいいでしょ?」
「構いませんけど……。二人に飲み過ぎないように言っておいてくださいね?」
あれ?朝潮は夜の相手と聞いてアッチの方を連想しなかったわね。もしかして、そういう知識がない?
いやいや、朝潮の歳で全く知識がないなんて有り得ない。きっと、荒潮辺りが偏った知識を吹き込んでるはずだわ。
実際に、満潮は顔を真っ赤にして『え?え?円満さんと司令官ってそういう関係なの!?』とか言ってるし……。
確認を兼ねて、ちょっとからかってみようかしら。
「夜の相手って言ったでしょ?お酒を飲むだけで済むと思ってるの?」
「勿論、承知しています。それでも、相手が円満さんなら私はむしろ歓迎します」
マ…マジか……。
歓迎するなんて、浮気をしても戻って来れば問題ないとかそういうレベルじゃないじゃない。
本気で言ってるの?他の事と勘違いしてない?仮に、私の旦那が浮気しようもんなら、私は相手共々、殺してくださいと懇願するまで拷問するわよ?
「断っておきますが、別に勘違いはしていませんよ?英雄、色を好むとも言いますし、円満さんは私の大切な姉であり、友人です。師として尊敬もしていますので、司令官のお相手に相応しいと思います」
「え…円満なら、自分より先にお父さんに抱かれても良いんだ……」
それとも、既に朝潮はお父さん抱かれたことがあるの?だから、そんなセリフを大真面目な顔して言えるの?私だったら絶対に言わないわよ?自慢じゃないけど、私って独占欲は強い方だから。
「ええ……。今の私では、きっと司令官を満足させてあげられませんから……」
いや、それは絶対に問題ない。
だって、身長以外は貴女も円満も大差ない体付きだし。むしろ、まだ妊娠の心配がない貴女の方が、お父さんも遠慮なくぶちまけられるから満足できるんじゃないかな?
あ、何をぶちまけるのか、なんて聞かないでよ?
そこまでは言いたくないし、言ったら貞淑で良妻の見本みたいな私のイメージに傷がつきそうだから。
「でもそれってさ。自分が抱かれても良いと思えるようになるまで、円満に代わりをさせようとしてるのと同じじゃない?」
円満を焚き付けて、面白おかしくお酒を飲もうとしてる私が言うのも違う気がするけど、朝潮がどういう気持ちでこんな事を口にしているのかも気になるわ。
もうちょっと踏み込んでみるとしましょう。
「否定はしませんし、円満さんに失礼だとも思っています」
「だったらいっそ、司令官の事は諦めてください!くらい言ってあげれば?円満を傷つけたくないから、成り行きに任せてるの?」
「確かに、円満さんを傷つけたくはありません。例え円満さんが司令官に抱かれたとしても、将来的に傷つく事になるのもわかっています」
「凄い自信ね。お父さんだって、抱いたら情が湧いて円満に鞍替えするかもよ?」
有り得ないけどね。
お父さんは男のクセに気持ちが悪いくらい身持ちが堅い。
その気になれば、女の10人や20人余裕で囲ってハーレムを形成できるくらいお金も体力もあるのに、そんな事を毛ほども考えはしないし、お母さんが亡くなってからの10年間、男なら『ちょっと風呂屋にでも』って考えそうなものだけどそれもした事がない。自分は女にモテないと思ってる節さえあるわね。
円満を焚き付けはしたけど、お父さんが円満を押し倒す可能性はゼロだと言って良いわ。ただし、普段のお父さんならだけど。
「構いません。司令官がそうしたいのであればそうするべきです」
「はぁ!?いや、そうするべきって……。貴女はお父さんの事が好きなんでしょ?」
それなのに、円満にお父さんが寝盗られても構わない?どうして?
さっきだって、大淀のスリットに手を突っ込もうとしたお父さんにお仕置きとか言ってたじゃない。言ってる事とやってる事が矛盾してるわ。
いつもは筒抜けって言って良いレベルで分かりやすいのに、今日の朝潮は何を考えてるのかサッパリわかんないわ。
「はい。私は誰にも負けないくらい司令官の事を愛していますし、愛されている自信もあります。けどそれ以上に、あの人には満足して欲しいんです」
「ごめん、意味がわかんない。貴女一人じゃお父さんを満足させてあげられないって事?」
「そうとも言えますが少し違います。私はあの人に、満足して天寿を全うしてもらいたいんです」
「満足して?それはどういう……」
「言葉通りです。あの人は今まで、大切なモノを散々奪われてきました。だから、これから先の人生は、やりたいと思った事は全てやって欲しいんです。人生の最後に、思い残す事が無いように」
それは一切の未練も残さず、もう少し生きたいとも思わないほど満足して死んで逝くと言う事でいいの?
言葉で言うのは簡単だけど、それがどれだけ難しいことかわかってて言ってる?
私が知る限り、満足して死んで逝ったように見えたのは二人だけ。
それは、龍田と鬼風。
龍田は満足してたように見えたけど、全く未練が無かったとは思えない。もっと辰見と一緒に居たかったはずよ。
鬼風だって、死ぬ事が目的だったけど還りたかった場所はあそこじゃなかったはず。アイツが還りたかったのは、味方と敵対してまで静けさを取り戻したアイアンボトムサウンドだったんだと思う。
朝潮が言ってる満足して死ぬは、きっとそんな欠片程の未練も残さずに死んで逝くことだわ。
そんな死に方が出来る人が、いったい世の中に何人いるだろうか……。
「でもそんな事言ってる割に、お父さんに生野菜ばっかり食べさせたりしてるらしいじゃない。コレステロール値が高いとか言ってさ」
「お肉を食べさせなかったのはやり過ぎたと反省していますが……。生野菜ばかりなんて誰が言ったんですか?普段はお魚とかも出してますよ?」
「え?お父さんだけど……」
あれ?マヨネーズもドレッシングもなしで生野菜盛りを食べさせられるって言ってたよね?んん~?
あっ!違う!あの時お父さんは『この間なんか『野菜サラダとしては、かなり良い仕上がりです!』とか言って、ボールに山盛りの生野菜を食べさせられた……』って言ったんだった!
「たしかに生野菜しか出さない日もありますが、それは司令官がお仕置きをされたがっているからです」
「いやいやいや、お父さんは『野菜しか出さん時は妙に機嫌悪ぅて……』って言ってたわよ?それもお父さんが望んでたって言うの?」
「当然です。お仕置きされたがってる日は態度ですぐわかるんですよ?私と目を合わそうとしませんから」
なるほど、そういう事か。
朝潮が生野菜しか出さない日の前日は鳳翔さんの所に行ってたとお父さんは言っていた。
きっとお父さんは、後ろめたさと罪悪感を解消するために、無意識レベルの可能性もあるけどお仕置きを求めたんだわ。そして朝潮は、不機嫌そうな演技と生野菜盛りでそれに応えたというわけね。
なんて面倒くさいやり取りをするカップルだ……。
けどそれだったら、さっき朝潮がお父さんにお仕置きをしようとした理由も説明がつく。
朝潮はあの変態としか思えない行動を見て、お父さんが私たちにお仕置きされたがってる。もしくは、あの行為を理由に怒った私たちとじゃれ合いたいんだと解釈したんだわ。
冷静に考えればそうよね。
朝潮にベタ惚れなお父さんが、本人の目の前であんな事をする訳がない。それなのにあんな事をしたと言う事は、それを見た私たちの行動に何かを求めたと言う事。
私が頭に血を昇らせて殴り倒す事しか考えてなかった間に、この子はお父さんが本当は何を求めてるのかまで考えてたって訳か……。
「でもさ、そのためなら……言い方は悪いけど、貴女は都合良く利用されても良いって言うの?」
「はい。あの人の幸せが私の幸せなんです。あの人が自分の幸せのために必要だと判断した事は全て実行すべきです。その結果、他人の目に私が不幸に映ろうと私自身は幸せです」
凄いわねこの子……。
この子は本気で、お父さん幸せが自分の幸せにもなると思ってる。いえ、確信してる。
私だってお父さんには幸せになってもらいたいけど、朝潮ほどお父さんの事だけを想うことが出来ない。朝潮ほど深く、お父さんの事を愛していない。狂ってるとさえ思っちゃうわ。
自分の人生を愛する人のために全て捧げるなんて、ある意味究極の愛し方なんだろうけど、それを言っているのはわずか14歳の子供。ハッキリ言って異常だわ。
だけど、同時に羨ましいとも思う。
私は旦那の事を心から愛してるけど、朝潮ほど尽くす事は出来ない。むしろ私に尽くせって思っちゃうもの。
「そろそろ良さそうですね。揚げていきましょうか」
「え?あ…ああ…から揚げね……」
話は終わりとばかりに、朝潮がキッチンペーパーで鶏肉の水気を取り、私たちの重たい雰囲気から解放された満潮が小麦粉をまぶし始めた。
お父さん。貴方が選んだ女はとんでもない女よ。怖い女と言っても良い。
この子はお父さんの幸せのためなら全てを許容する一方で、お父さんの幸せの妨げになるモノは全て排除するつもりだわ。
たぶんこの子は、自分がお父さん幸せの妨げになるなら自分すら排除するんでしょうね……。狂ってるわよ……。
「桜子さん。揚げていってもらっていいですか?さすがに、満潮ちゃんにやらせるのはまだ危ないので」
「うん……。わかった」
けど、もの凄い敗北感を感じる。
こんな気分になったことは今まで一度もない。呉でイジメられてた時も、先代の朝潮と初めて会った時も、舞鶴で鬼風に殺されかけた時にだって、これ程の敗北感は感じなかった。むしろやり返してやるって思ったくらいだもん。
それなのに、朝潮には勝てる気がしない。
勝てる気がしなさ過ぎて、悔しいとも思わない。
お父さんの事を幸せに出来るのはこの子しかいないと思ってしまうもの……。
「あとは盛り付けて……。満潮ちゃん、お茶碗を先に持って行ってくれる?」
おっと、物思いに耽ってる間に全部揚げちゃったか。
満潮が危なっかしい手つきで茶碗を運んでるわ。朝潮はから揚げを盛り付けて持って行く気ね。
じゃあ私は……満潮が作ったサラダと言う名の野菜のザク切りを持って行くか。
あ、でもその前に……。
「ね、ねぇ…朝潮……」
「はい?どうかしましたか?桜子さん」
う……。キョトンとして私が言葉を発するのを待つ朝潮を見たら滅茶苦茶恥ずかしくなってきた。
でも言わないと。今から言うセリフは、私にとって敗北宣言に等しいけど言わない訳にはいかない。それに私と朝潮しか居ない今の内に言っておかないと、こんな恥ずかしいセリフを言う機会なんて次にいつ来るかわからないわ。
だから言うのよ桜子。これはケジメでもあるんだから。
「お…お父さんの事をお願いね。その…お母…さん……」
たぶん、火が噴き出そうなほど真っ赤になった私にそう言われた三人目のお母さんになる予定の少女は、キョトンとした顔から一転、目をまん丸に見開いて驚いたあとこう言ったわ。
「はい。お任せください」
と。
思わず抱きついて、甘えたくなるような微笑みを浮かべて。
2話ほど増えそうな予感……。