これを超える自己満作品があろうか。(反語) 作:狂気的大学受験生
ノリと思い付きの第一話です。
意味不明な点も多いかと思いますが、読んでいただければ幸いです。
~ここは、平安時代後期の人が集まった教室。~
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏...。」
教室の一番前でひたすらに念仏を唱えているのは、法然さん。
「皆も、さあ一緒に。」
「今や、末法の世。自力で悟りを得るのは難しいのです。」
「ですから、南無阿弥陀仏、とひたすらに。ちなみにこれを、専修念仏と言います。」
法然さんは、浄土宗の開祖。おもな著作は、『選択本願念仏集』
阿弥陀仏の慈悲の力による他力救済を説いた。
「ほら、親鸞も。」
名を呼ばれた親鸞さんは、浄土真宗の開祖で、法然さんの弟子だ。
「師匠、悪いですけど、理解できません。」
「人々がいくら念仏を唱えたところでね、無意味なんですよ。」
「そんなのは、自分が優れていると過信している、偽物の善人ですよ。」
そういう親鸞さんは、悪人正機説を唱えた人である。
煩悩にまみれ、それを自覚できている悪人こそが、仏の慈悲に心からすがろうとするから、救済される。
また、その自覚と、仏にすがる気持ちそのものが、仏の慈悲によるものだとも言っている。
そういう考え方を持った人だ。
「自力のはからいを捨て、自然の働きのままに任せればよいのだ。」
・・・。
何故か一気に老けて、晩年みたいな見た目になったのは、気のせいかな?
ちなみにこれは、自然法爾
ふと教室の壁際に目をやると、二人の人が座禅を組んでいるのが見えた。
左の人は、栄西さん。臨済宗の開祖。
右が、道元さん。曹洞宗の開祖。主な著作は、『正法眼蔵』
道元さんは、只管打坐といって、人が悟るにはひたすら坐禅をするのだ、と説いた。
坐禅により、自分のありのままの存在と一体になる、身心脱落をせよと言った。
また、道元さんにとって悟りとは、修行そのものらしく、そこから修証一等という言葉が残った。
そして、教室のど真ん中。
皆を冷めた目で見つめているのは、日蓮さん。日蓮宗の開祖だ。
彼は、の『法華経』にこそ真のブッダの教えがあると説いた。
主な著作は、『立正安国論』
立正安国論とは、『法華経』に従えば、国家の安泰が可能になるという考え方だ。
末法の世では、ただひたすら「南無妙法蓮華経」と唱題せよ、と説かれた。
「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊、だな。」
突然、日蓮さんが言葉を発し、教室内がざわつく。
これは、四箇格言というものだ。
簡単に、意味を一つずつ拾っていくと、
・浄土宗は、無間地獄に堕ちる教説。
・曹洞宗は、悪魔による教説。
・真言宗は、国を滅ぼす教説。
・律宗は、国賊のような教説。
とまあ、ほかの宗教を強く批判しているんだ。
ちなみに、律宗は、
これにより迫害されたが、迫害されるほど法華経の行者としての自覚が強くなったそうだ。
いわゆる変人、なのだろう。
「おい!日蓮!いい加減ふざけたことをいうのはやめろ!」
「いいか!?南無阿弥陀仏、と唱えてこそ、往生できるんだろうが!」
「俺が死んだからって、好き勝手に批判するのはやめないか!」
いや、なに言ってんの?法然さん。
「現実を見るのは師匠ですよ。念仏なんて無意味です。自身の足らなさを自覚して、ただただ仏の慈悲にすがることが、正解なんですよ。」
「・・・・・。」
「皆、分かってないな~。踊念仏こそ、一番の...」
「「「お前は黙ってろ!!!!」」」
突然乱入してきたのは、時宗の開祖である、一遍。
念仏を唱えながら踊る、という踊念仏を始めた。別名、捨聖。
「・・・。」
「え?何?何で皆は僕を憐れむように見ているの?」
「いや、な...。」
「やめてよ!確かに未来にはこんなもの残らないかもしれない!」
おいおい。こんなものって自分で言うのかよ。
「でも!僕はこれが一番だって思ってるから、曲げないよ!」
「そうか。でも、残念だな。最も正しいのは、俺の日蓮宗だ。」
「何を言う!俺の浄土宗が一番に決まっている!」
「だから~、俺の浄土真宗なんですって。一番正しいのは。」
「・・・・・。」
「「「「いや、そろそろしゃべろうか!?禅宗の二人!?」」」」
どうでしたか?
わけわかんないでしょ?笑
高校生の授業の知識なので、「ん?」となるかもしれませんが、そこは大目に見てください。