デレマス第二弾。
かえみゆっぽいのです。

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ラブ・ストーリーは、東京で

 収録明け。

 バラエティの収録ならば撮影が夜遅くに及ぶことも、別に珍しいことではない。今日も、その遅い日だった。

 ぺこぺこと共演者に頭を下げながら、用意された楽屋に戻る。小ぢんまりとした、それでも一人で使うには広すぎるその部屋。

 私たち346プロダクションのお抱えアイドル、シンデレラ・プロジェクト。その存在が世間に認知され出している今、メンバーたちはそれぞれに仕事をこなすことも増えて来た。野球に詳しい子はスポーツ情報番組に出演。演技がウマい子は舞台やドラマの役者。賞金の掛かったお笑いのトーナメントに体当たりで挑戦――なんて、過酷な企画に臨んでいる子だっている。仕事が多岐に渡るにつれ、他のメンバーと顔を合わせることは減っていた。

 だが、自分の個性で勝負をしている彼女たちは、私の目にはとても眩しく見えた。

 私には、まだ〝コレ〟というものがない。

 焦りだって、ないと言えばウソになる。だからこそ、こうして色んな仕事に取り組んでいる。だが、やはりバラエティの現場には慣れることが出来ずにいた。いや、どんな現場でも〝慣れる〟ということはないのだけれど。バラエティは特に、という話だ。

 勿論、台本はある。

 しかし、あの現場の〝何か面白いことをしなければならない〟という空気がニガテなのだ。

 今日だって、連日テレビで見るような大物司会者のフりに、反応することが出来なかった。一緒の雛壇にいたお笑い芸人さんのフォローのお陰で何とか乗り切ったものの、私が何も出来なかった、という事実が残った。

 「カッコわるいなぁ」

 楽屋のドアを後ろ手に閉める。深いため息。

 手早く着替えを終わらせて、備え付けの電気ポットを使い、コーヒーを淹れる。ソファの上で、膝を抱えた。

 机に置いたコーヒーのカップを眺めていると、湯気が立ち昇っていた。それは、掴みどころなくふわふわとしている。まるで、今の私の姿みたいだった。

 時計を見ると、22時を少し回った頃だ。

 だが、すぐに帰る気にはなれない。誰も待っていない部屋に帰るのは、あまり気が進まない。

 無音に耐えかねた私は、手元のリモコンを操作する。電源が入れられたテレビの画面には、懐かしい映像が映し出された。《101回目のプロポーズ》だった。

 その昔、大ヒットしたトレンディ・ドラマだ。リアル・タイムではないが、見たことはあった。

 画面の中では、登場人物が複雑な人間関係の中で、色んな恋模様を描いていた。机のカップを手に取る。一口すすったコーヒーは、ようやく呑みやすい温度になっていた。

 私は、ドラマが流れる画面を見た。じっと、見つめていた。

 

 

 少し前。私には恋人がいた。

 名前を、高垣楓という。私にはもったいない位の素敵なヒト。私よりも早く、芸能界に脚を踏み入れていた彼女。私は同じ事務所で、後輩。

 それまで、普通の会社員をしていた私。右も左も分からない業界のことを色々教えてくれたのが、彼女だった。

 それこそ、朝であっても『おはようございます』で入る挨拶の仕方から、業界人の複雑な人間関係まで。どこそこのディレクターは仲が悪いとか。そんな話をしては、一緒に笑い合った。

 元々、同世代というのもあったのだろう。本当に、彼女は私によくしてくれた。仕事だけでなくプライベートでも良く飲みに行っていたし、オフが重なれば買い物にも行く。

 こんなことがあったーー

 「オフの日って、何されてるんですか?」

 「そうですね……出かけるのは嫌いじゃないんですが、最近は昔のドラマにハマってます」

 頬を掻きながら楓さんは言った。少しだけ恥ずかしそうだ。

 「昔の?」

 「はい。《東京ラブ・ストーリー》も良かったんですが、今見てるのは《101回目のプロポーズ》ですかね。これが面白くって」

 寝不足です、と楓さんは目の下を指さす。そこには、うっすらとクマが浮かんでいた。

 そんなことがあってから、お互いに見た昔のドラマの感想を伝えあうようにもなった。

 自然と、連絡を取り合う頻度も増えた。その内、私は自分の楓さんへの視線が変わって来ていることに気が付いた。

 憧れの先輩から、特別な人へ。

 でも、私は言い出せなかった。というより、踏み出せなかった。

 私が、踏み出したその先。そこには、地獄よりも辛い現実が口を開けて待っているかもしれない。そう思うと、足がすくんだ。何も言えなかった。

 

 ある日のこと。私は、楓さんからの誘いで飲みに出かけた。天気もよく、風が心地の良い日だった。

 連れてこられたのは、彼女がお気に入りだという店。事務所からも近く、軒先の赤ちょうちんと、頑固そうな店主。雰囲気はバツグン。いかにも彼女が好きそうな店だ。そして、確かに楓さんが選ぶ店なだけはあった。料理に、お酒。どれもハズレがない。

 隣に座る楓さんは、冷酒に頬を染めている。ちらりと覗くうなじは、ほんのりと紅い。色白な彼女は、それだけで普段の数倍も色っぽく見えた。

 「どうですか?ここ。気に入ってもらえました?」

 突然話しかけられて、反応が遅れる。

 見ていたことがバレやしないかと、私の心拍数は跳ね上がった。

 「あ、はい!とても」

 「それはよかったです」

 何とか取り繕う。

 私の言葉に、満足げに頷く楓さん。ボブカットの髪の毛が、ふわりと揺れた。

 

 お腹も膨れた。アルコールも程よく回った。そんな頃、楓さんは言った。

 「もう一軒、付き合ってくれませんか?」

 その言葉に、時計を見る。

 少し早めの集合だったのが功を奏し、時刻はまだ22時前。明日の仕事は午後からだ。後一軒位なら何てことない。私は二つ返事でOKした。

 店を出て、夜の道玄坂を歩く。

 雨は降っていないので、《雨の道玄坂》とはいかないけれども。

 この辺りは路地裏的な雰囲気がありながらも、それなりの活気がある通りだ。ライブハウスなどが点在しているのも、理由の一つだろう。

 私の前を楓さんは、すたすたと歩いていく。

 普段、お酒が入ると饒舌になる彼女が今日は何故か静かだった。でも、そういう日は誰にだってある。今日は、たまたまそんな日なのだろう。一人納得して、後を着いていく。

 やがて、はたと楓さんが足を止めた。くるりと振り返って彼女は言う。

 「美優さん」

 その表情は、いつになく真剣だった。

 「は……はい!」

 硬くなる返事。

 彼女は続けた。

 「私、実は……言わなきゃならないことがあるんです、美優さんに」

 そこまで言われて、私は生きた心地がしなかった。彼女は何かの拍子に、私の気持ちに気が付いたのかも知れない。楓さんは、今ここで先手を打って断りを入れる気なのだろう。

 もしくは、既に恋人がいる――とか。頭の中が、暗い未来で塗り潰されて行く。

 「一度しか言いませんから、良く聞いてくださいね」

 楓さんが息を吸い込むのが見えた。

 もう駄目だ、と思った。私は思わず目を閉じる。

 「50年後の君を、今と変わらず愛している」

 聞こえてきたのは、聞き覚えのあるフレーズだった。私は恐る恐る目を開ける。

 「……え?」

 「聞き覚え、ありませんか?」

 「そりゃあ……まぁ、ありますけど……」

 「それに、ホラ。後ろ」

 そう言って、楓さんは私の背後を指さした。そこは、道玄坂2丁目。オーチャードホール。

 「あ……」

 私は、ようやく合点が行った。

 そこは《101回目のプロポーズ》の中で、主人公がヒロインに愛の告白をした場所。そのロケ地の前で、彼女は主人公と全く同じセリフを言ったのだ。

 「101回目の……」

 「そうです。覚えててくれて良かった」

 楓さんは、はにかんだように言う。

 「こうでもしないと、言えそうになくて」

 「それって……どういう」

 不意に、楓さんが私の手を取った。それだけで、私の身体は一瞬で動かなくなる。

 気のせいか、彼女の顔はアルコールだけでは説明が付かないほど紅くなっていた。

 「まだ、分かりませんか?」

 お互いの距離が縮まる。楓さんの唇が、やけに大きく見える。

 「こういうことですよ」

 それが、私たちのファースト・キスだった。

 

 

 「あ、あれ?」

 ふと気が付くと、自分の頬が濡れていることに気が付いた。慌てて手の甲で拭う。こんな経験は初めてだった。頬を伝った涙の後が、とても熱く感じられる。

 時計を見ると、時刻は23時を回っていた。

 「よし……」

 エンディングのテロップが流れていたテレビを消す。

 私は、カバンを掴んで立ち上がった。

 捨ててしまってはもったいないと、手にしたコーヒー入りの紙コップ。淹れたばかりの頃はあんなに熱かったはずなのに、今ではもう冷めきっていた。

 

 今日も、渋谷はいつも通りだった。行き交う人の群れ。けたたましい車のクラクション。所狭しと立ち並んだ店舗からは、雑多な音楽が漏れ聞こえる。

 この街ではいつも、誰かが何かを探しているのだ。

 多くの人が当てもなくさまよう街で、私の足は一か所に向けて突き進んでいた。

 通りを渡り、客引きを振り切り、人の間を縫うようにして抜けていく。通ったのは、〝あの日〟と同じルート。それは〝あの人〟が私を導いてくれたルートだった。やがて、目的地が見える。

 道玄坂、オーチャードホール。

 私の恋が、愛に姿を変えた場所。まだ、前回訪れてからそんなに時は経っていない。

 だが、今の私には酷く懐かしい――そんな場所のように思えた。

 

 楓さんと〝そういう仲〟になってからは毎日が楽しかった。

 普段目にする光景が、輝いていた。

 モノクロのアスファルトですら、色が付いているように見えた。

 ベッドの中、下らないことで笑い合う瞬間は堪らなく幸せだった。

 もちろん、周りには秘密の関係。逢うのはオフの日で、待ち合わせは決まって渋谷で5時。

 でも、そんな関係にも終わりはやってくる。それは、ありふれた理由。私たちはお互いに、どうしようもなく若かったのだ。

 忙しくなるにつれて、次第に減って行く二人の時間。それに我慢が出来るほど、長い人生を生きてはいなかった。経験だって、なかった。つまりは、そういうこと。

 最後の日、確か雨が降っていた。

 色づいていた街は、薄暗く澱んで私の目に映った。その時に、私は初めて気が付いたのだ。雨というのは、溢れる感情を隠すのには都合が良いということを。

 

 

 オーチャードホールの入り口裏手。

 タイル張りの階段に、私は腰かけた。片手には、一息つくための缶コーヒー。目の前を通り過ぎる赤ら顔のサラリーマンのように、缶ビールを傾ける気分ではなかった。

 プルタブを押し上げると、空気が抜ける音がした。ぐい、と口にすると人工的なほろ苦さが一杯に広がる。

 私は、今日何度目か分からない溜息で辺りを染めた。誰にも聞こえない、届かないはずの溜息。

 だが私は、確かに、私を呼ぶ声で顔を上げた。

 「美優さん……?」

 そこに立っていたのは楓さんだった。私は反射的に立ち上がる。

 「楓さん……?」

 私は、思わず呟く。

 「なんで、どうして……」

 「こっちのセリフですよ。美優さん」

 楓さんは言った。電車の警笛が、遠くに聞こえた。

 

 

 「そうですか……楓さんも、見てたんですね」

 私の言葉に、楓さんは頷く。

 「ええ。見てましたよ《101回目のプロポーズ》。そしたら、なんとなく思い出してしまって……」

 ――あの頃のことを。楓さんの横顔は、そう続けていた。

 「で、ここへ?」

 「はい」

 私と楓さんは、階段に並んで座っていた。辺りにはもう誰もいない。

 楓さんが言った。

 「美優さん、疲れてます?」

 見透かされたような気がして、どきりとした。

 私は顔を上げる。澄んだ瞳が、私を見つめていた。

 「ええ。ちょっと、今日やらかしちゃって」

 そう言って浮かべた曖昧な笑顔。いつの間にか、私はこんな顔も出来るようになっていたらしい。それは、目の前の女性に教えて貰ったモノではなかった。

 楓さんは、何かを考えている様子だった。やがて、思い切った様子で口を開く。

 「美優さん……私たち、やり直せませんか?」

 その言葉は、魔法の言葉だった。まるで、時間すら止めてしまうような。

 私は、手にした缶を取り落としそうになる。彼女は続けた。

 「私のスケジュールもだいぶ落ち着いてきましたし、今なら、きっと」

 私は、かすかに頷いた。それから、無言の時間が10秒ほど。

 「そうですね。きっと上手くいく――と、思います」

 私は、缶を置いた。空になっていた缶は、コンクリートに軽い音を響かせる。

 「でも……」

 「……でも?」

 「〝きっと〟そう、なっちゃいけないんです」

 私は、はっきりとそう言った。

 「どうしてです?」

 「今の私は、また楓さんに甘えちゃう」

 私は考えていた。隣の女性と過ごした日々のこと。別れたこと。彼女のようになりたいと思っていたこと。でも、じゃダメだと言うこと。そして、今日私がここに来た理由を。

 そんなことを、ゆっくりと時間をかけて私は楓さんに伝えた。上手く言葉にはできなかった。どれだけ伝えられたかは分からない。

 きっと、〝あの瞬間〟に私たち二人は、お互いにサイコロを振ったのだ。そして、出た目を別々に選んだ。二つのことを同時に選択することは出来ない。例え、それが間違っていたとしても〝どちらかを選ばなくてはならない〟

 ただ、それだけのこと。

 収録で失敗した、ここに来た。そして、楓さんに会った。ただ、それだけ……。

 楓さんは黙って聞いてくれた。お互い、顔を見合わせることはしなかった。

 しばらくすると、短く息を吐く音が聞こえた。

「美優さんらしいです。全然、変わらない」

 そう言って、楓さんは穏やかに微笑んだ。そして、視線を移す。彼女の視線の先には、道があった。最初は一本道。やがて、突き当って交差点。

 まるで、今の二人を表しているようだ――そんなことを私は思った。銀杏の植えられた並木道。もうしばらくすると、あれは燃えるような金色を羽織るのだろう。

 

 

 「それじゃあ……」

 ゆっくりと車に乗り来む楓さん。その背中を私は、いつも見ていた。感情が、憧れから好意に変わっても。私は、彼女の背中から目を離したことはなかった。

 ハイ・ヒールを脱ぎ捨てたあの日から、色んなことを教えてくれた楓さん。優しかった楓さん。お酒が大好きで、たまに突飛なことを言い出す楓さん。私が、大好きだった楓さん。

 渋谷の中心部。スクランブル交差点。信号機は、赤だ。

 私は、何かを言いかけて止めた。

 歩行者用の青信号が点滅を始める。

 タクシーのドアが閉まった。

 信号が変わると、楓さんを乗せたタクシーは速度を上げて走り去って行った。

 不意にポケットの携帯が鳴った。開くと、メールの着信だった。差出人はプロデューサーだ。

 文面はこう。

 〈今日の収録、お疲れ様でした。三船さんらしくて、良かったと思います。明日の現場は6時入りです。早いですが、よろしくお願いします〉

 私は時計を見る。早いもので、気が付くと1時を回っていた。眠れるのは、多く見て4時間かそこらと言ったところだろう。昨日までの私なら、弱音の一つも吐いていたかもしれない。

 でも、もう、大丈夫だ。一人でも。

 私は、返信のための文面を作る。

 〈ありがとうございます。明日は、きっと、大丈夫です〉

 手を上げて、タクシーを止める。

 乗り込んだ車内では、カー・ラジオから《もう探さない》が流れていた。



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