ゴブリンスレイヤー ~シャドウ・ラン~   作:使途のモノ

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第四話 旗の集う丘

 

 懐かしい夢を見た

 

 

 

 

 

 そこは、旗の集う丘であった。

 

 負け犬の吹きだまりだった。

 

 様々な者達が居た。

 

 王と敬われた者が居た。

 

 英傑と憧れられた者が居た。

 

 神竜、邪竜と崇め恐れられた者が居た。

 

 魔神王と呼ばれ勇者と死闘を演じた者が居た。

 

 魔術において讃えられる者が居た。

 

 かつて、混沌と秩序の勢力と呼ばれた者達がそこにいた。

 

 そうせねば、ならない相手である。

 

 こうせざるをえなくさせられた相手である。

 

 これで、ようやくだ。

 

 ようやく、負け戦ができる。

 

 見上げれば、様々なかつてあった国の旗が集い、風にたなびいている。

 

 誰とも無く各々の国の旗が立てられていった。

 

 長く苦しい戦いの末に訪れる終わりに、空疎な陽気さが場にあふれていた。

 

「ここのここで、今更言葉を飾る必要もあるまい」

 

 老いた竜はいっそ気楽そうにそうからからと声を上げた。

 

 世が世なら魔神王として世界を恐怖に染め上げることのできる魔族が頷いた。

 

 かつては大陸に覇を唱えた大王であった老人も頷いた。

 

 他にもこの連合軍の主立った者達が頷いた。

 

 今更のことだ。

 

 今為すべきは、どう奴らにどれだけの傷を残すことが出来るかである。

 

 それぐらいしか、もう彼らにはやることが無いのだ。

 

「それならば、我らは先陣をきらせてもらおう」

 

 そうオーガの族長が申し出る。

 

「やぁ待て、待て、一番槍は我らも欲しいぞ」

 

 そう声を上げるのは蜥蜴人の武人だ。

 

 誰も彼も、この盤上を去るにあたって気持ちよく死んで散りたいのだ。

 

「まぁ、それならばどちらがやるにせよ我らが術を掛けねばハリネズミよ、どちらにせよ我らも行こう」

 

 そう、かつて魔術王とも呼ばれて居た上の闇人たる自分は名乗りでたのだ。

 

 風取りではあちらは雨乞いに船乗りの風呼び術士をかき集めて動員している、勝ち目は無い。

 

 この領域の大規模戦闘ならば術士の仕事は天候の取り合いと使い魔による斥候が主だ。

 

「さて、そうするうちに来たようだ、まだ遠いようだがな」

 

 そう、老竜が楽しげに語る。

 

 彼の従える翼竜がその察知を告げる鳴き声を挙げる。

 

「さあて来るぞ!」

 

 王だった者が吠えた。

 

「来るぞ!」

 

 英傑であった者が続いた。

 

「我らの死だ!」

 

 オーガの将が気炎を吐く。

 

「混沌と秩序の敵だ!」

 

 楽しげに蜥蜴人が吠え猛る。

 

 そして、全ての口ある者の口から同じ言葉が吐かれた。

 

「女教皇の軍が来るぞ!!」

 

 

 

 

 地平線の向こうから、その軍勢は現れた。

 

 地平線の高さがまるまる現れた軍勢の分、盛り上がった。

 

 先ず一匹の犬が先頭に立って居た。

 

 巨大な犬だ。

 

 竜ですら鼻白む程の巨躯を悠然と大群を率い、荒野を独り歩くように闊歩している。

 

 地上の、尋常の生物ではないだろう。

 

 それの両脇を竜が、巨人が、同じ旗の下に集った騎士が轡を並べるように進んでいく。

 

 続く人の軍は秘やかな太鼓の音を纏ってやってきた。

 

 鎧と、槍。

 

 空を飛ぶ使い魔ですら見渡すことの出来ない、地を埋め尽くすような軍勢が連合軍へにじり寄ってきていた。

 誰も彼も、みすぼらしい、自分の村からあり合わせの武装を身に纏って駆けつけた、そんなどこの国の兵士よりも粗末な装備の者達が歩いている。

 

 遠目に見れば、稲穂の草原が移動しているようだ。

 

 響く太鼓の音も、軍用の太鼓などと言う気取ったものでは無く、それこそ村の祭りの際に叩かれるような物をめいめいに抱えてきたような、ちぐはぐな音色であり、しかしリズムだけが不気味なまでに一致していた。

 

 軍勢のそこここにつるされた角灯竿や指揮車の上の角灯が三度明滅する。

 

 光で連絡を取らねば、足並みをそろえることが出来ない、それほどに大規模な軍勢だ。

 

 それで、軍楽が止まる。

 

 地鳴りが絶える。

 

 たまらない、軍勢である。

 

 情報が確かであれば、この100万を超える未曾有の大軍勢すらもこの地上を統べる女教皇の全軍ではないという。

 

 これ、がある女が錫杖一本から作り上げたものだ。

 

 これ、がゴブリンを絶滅させるために作り上げられたものだ。

 

 これ、に自分たちは今から死にに行くのだ。

 

 思わず口角があがるのは、何故にか。

 

「では、これにて」

 

「いずれ、いつかまた、殺し合おうさ」

 

 そう誰彼と無く別れの言葉を短く交わし、先陣へむかう。

 

 こちらはせいぜいがどう多く見積もっても5万。

 

 亡命政権やら残党やら、世界の端から端まで蹴立てて回られて寄せ集められての、今。

 

 後は、どう暴れるかだけだ。

 

「ワシは同盟を組んでの包囲網なんぞやったが、あっさり外交で切り崩されてなぁ」

 

「ウチは寝返りの使者を突っぱねたら家臣に毒を盛られたぞ、家伝の解毒の呪具に秘伝の抜け道様々よ」

 

「俺など民が決起して城がすぐさま焼け落ちたぞ」

 

 同じ道行きを歩く王であった者達が今となっては懐かしい敗戦を口々に語る。

 

 一人の者も居る。

 

 むしろ、わずかながら供回りを連れている方が少ないような、そんな有様だ。

 

 自分も従えているのはゴーレムが数体といったところだ。

 

 地平線の向こうに居る女教皇の軍は動く様子はない。

 

 いや、あった。

 

 光の幕が軍勢の前に垂らされたのだ。

 

 万に届く神官による防御陣なのだろう。

 

 しかし、なぜ。

 

 それほどに距離が空いている時点からそのような防御を展開しても精神力の無駄打ちにしかなるまい。

 

 そう、術士として怪訝な視線を向け、ぞろり、と首筋の後ろをいくつもの虫が這い上がってくるような怖気に見舞われた。

 

 あの防御が、あの距離が、適切だということであれば。

 

 それだけの防護が必要な何かを起こすと言うことだ。

 

「全員! 術が使える者は防護の術を使え! そうでないものは盾を構えろ!」

 

 思わず叫び、幾人かの者はすぐさま何かの呪文を唱え、自身も詠唱に入る。

 

「なんだ、あれ?」

 

 空を見上げた誰かの、思わず漏れたというようなつぶやきが耳に残っている。

 

 己の身が魔術によって編まれた防護を纏い。

 

 次の瞬間には後方から吹き荒れる猛威に体は吹き飛び、意識は絶えた。

 

 

 

 

 

「目を覚ましたか、術士殿」

 

 背負われた状態で自分は目を覚ました。

 

「……何が、どうなった」

 

「すまぬが、立てるのであれば自分で立ってくれ」

 

 そう、壮年の只人が言うので、下ろしてもらった。

 

 四肢は奇跡的に全て繋がっていた。

 

「あれよ、あれで後ろに陣取っていたのは全部おじゃんよ」

 

「……何が、あったのだ……」

 

 深くすり鉢状に吹き飛んだ大地は意識の途絶える少し前までいた地形を無慈悲にまで変えていた。

 

 あの旗の丘は、もうこの世に存在しない。

 

 あそこにいて、生き残った者達はほぼ居ないであろう。

 

「目の良い者は、何か大地に突き刺さったとも言っておったが、細かいことはわからんよ」

 

 敵の軍は、既に前進を始めていた。

 

 神界の犬が、竜が、巨人が進んでくる。

 

 その目には、哀れみの色すらあった。

 

 その奥に続く人々の爛々と狂信に燃え猛る目との対比がいっそ滑稽であった。

 

 あの兵相手では無残に死ぬだろう。

 

 なるほど、ゴブリンの群れに襲われるとは、こういうことか。

 

 皮肉なことを、悟る。

 

「それでだ、術士殿よ、なんぞ策はないか」

 

 目の前の男は、おそらくかつては一角の人物であったのだろう。

 

 他人の才覚をこき使い慣れ、それを当然とする者だ。

 

 おそらくそれなりの世代を重ねた王家の者か。

 

「策……?」

 

「ここにきて、あれで誰も彼も吹っ飛んじまって、とりあえず今此処でこうして旗を立てて兵を寄せ集めてはいるが」

 

 だから、どうする、という案も無いのだろう。

 

「なんぞ策があるんだったらこの最後の最後っ屁、それに使おうさ」

 

 けらけらと笑う笑みに、思わず笑みが漏れる。

 

 いい王だ。

 

 もし自分がかつての権勢を誇っていたら、倒さねばならない敵となっていたか、友となっていたか。

 

 それはもう、分からない。

 

「良い旗だな、あの丘に立てなかったのか?」

 

 槍にくくりつけられ風にたなびく旗を見上げる。

 

 あの破壊で旗という旗は全て消え失せたと思っていた。

 

 その素朴な感想に王はそうか、と屈託無く笑う。

 

「おう、俺の国の旗だ、いい旗だろう」

 

 左右に白と黒、白の部分には赤い丸、太陽。黒い部分には二色の双月と星々。

 

 下の浪模様は雲を表しているのだろう。

 

 空を見上げて目に映るものの全てが込められていた。

 

「この旗を抱いて死のうと思ったんだ、旗に見送られて俺が死んだ後にこいつが蹴倒されるのは寂しく思ってな」

 

 この旗が風にたなびく様を見上げて生きた人生だったのだろう。

 

 こんな状況だというのに、王の顔は穏やかであった。

 

「だが、この旗の下に今、曲がりなりにも兵が集まってる、ありがてぇ」

 

 俺は満足だ、と腹の底から思っているのだろう。

 

「それで、何か策があるか?」

 

 だから、この本来であれば言葉すら交わすことの無かったであろう王に自分の叡智で応えたくなった。

 

「逃げるか、殺すか、如何に?」

 

「今更めそめそ世界の果てで老いて死ぬのは勘弁だ」

 

 王の言葉に応じる者がいた。

 

「おう、なんか面白いこと話してるな、まぜろ」

 

「なんぞ死ぬにも雑兵に揉み潰されるよりは楽しいんだろうさ」

 

 そう傲然と言い放つのは鋼鉄の戦鎚を担いだオーガと無手の蜥蜴人だ

 

 集まる者は二十程、先の暴虐を生き残った運の太い百戦錬磨の強者達だ。

 

「どうする?」

 

 それらの視線を受けて、自分は獰猛な笑みを返した。

 

「女教皇の首を獲る」

 

 

 

 

 

 《門》

 

 魔術の最奥の業の一つ。

 

 それを発掘した巻物ではなく、術として扱えるのはこの世に自分だけであろう。

 

「これで、女教皇の間近に行き、あとは遮二無二首を狙う」

 

 作戦自体は骨太な特攻だ。

 

 大軍勢相手に寄せ集めが繊細微妙な立ち回りなどしても連携もとれずにすりつぶされるだけだ。

 

「そんなことができるんじゃったら、とっととやりゃぁよかったろうに」

 

「繊細なのだよ、それにあの女の悪辣な立ち回りを知らんわけじゃないだろう? あの女、空間転移からの暗殺を本気で四六時中警戒しとったぞ」

 

 まぁあの女ならそれもありうるのだろう、という空気が流れた。

 

 そうでなければこの場に居る者達はこの場に居ない。

 

「しかしそうすると移動自体上手く行かんのじゃないか?」

 

「祈れ、お前らは“祈る者”だろう? ……まぁ、冗談はともあれ、使い魔込みの目視で座標はある程度とれるといえ、こんな殺気と魔力渦巻く戦場だ、竜と巨人だけで、ひい、ふう、数えるのも嫌になる、仮に近場に出られたとしても、精鋭中の精鋭がわんさかだ、門で行って、のんびり名乗ったりなんぞしたら言い終わるまでに百回は死ねるだろうさ」

 

「移動したら、後は数瞬と思った方がいいか」

 

「どのみち今から長生きするつもりもなかろう」

 

「殺しにいくんだ、駄弁りにいくんじゃない」

 

「そりゃそうだ」

 

 笑いが漏れる。

 

 こういうのも悪くないものだ、と掛け合いを聞いて思う。

 

 酒は苦手だが、こいつら相手に宴を開くのは、きっと楽しいのだろう。

 

「さて、そろそろ行くか」

 

「おうよ」

 

 王が旗を掲げる。

 

 オーガが戦鎚を肩に掛ける。

 

 蜥蜴人が尻尾をばたりと一打ちする。

 

 他の者もめいめいに得物を掲げる。

 

 ふぅ、と古い言葉を紡ぐ。

 

 それは世界への睦言である。

 

 それをもって術者は世界をかどわかして繊細微妙の糸の中を歩くのだ。

 

「《水面の狭間、時のひび割れ、静寂の騒音・開け、開け、開け・虚ろの道、歩まず、至る》」

 

 そうして開いた門へ男達は門をくぐって死地へむかった。

 

 

 

 

 何の神に祈りが通じたのか、女教皇の指揮所は目と鼻の先であった。

 

 突如虚空から現れた自分たちに近衛兵が幾人か討ち取られる。

 

 しかし、やはり近衛、女教皇の薫陶もあるのだろう。動揺は最小限に臨戦態勢に入る。

 

「ゆかれよ!」

 

 蜥蜴人が突撃し、道を拓く。

 

 旗がたなびき、残りの者が駆ける。

 

 オーガが先陣をつとめ、己の損害を構わずに近衛の堅陣を切り込んでいく。

 

 あの女が見える。

 

 オーガが両断された。

 

 聖剣があった。

 

 この上なく骰子の目に愛された勇者の前には、歴戦のオーガとて鎧袖一触される有象無象と代わりはしなかったのであろう。

 

 しかし、わずかばかりとはいえ時は稼げた。

 

 一人、また一人と倒れゆく。

 

 あと少しの距離

 

「さて、これまで」

 

 王が、腹に槍を受けて旗に取りすがるように絶命する。

 

 旗が地に倒れるところは、見たくなかった。

 

 視線をさらに前に向けた。

 

 すぐそこなのだ。

 

 それこそ、弓矢でもあれば届くであろう距離

 

 ふと着想が脳裏を駆け巡る。

 

 思うがままに、自分を矢とすることにした。

 

「《身体、射出、加速》!!」

 

 己の身を魔力の力場に投げ込むと、まるでバリスタによって射出されたかのように景色が一瞬にして流れる。

 精兵の陣を飛び越えて、世界を蹴散らしてやってきた女の前に無様に転げる。

 

 地図が広げられた長大なテーブルにそれらを囲む者達。

 

 女教皇、妖精宰相、蜥蜴僧侶、双剣の男、魔槍を構える男達、痩せぎすの計算尺を持った男、他にも何人か居た。

 

 森人が弓に矢をつがえ、一呼吸の間に矢が放たれる。

 

 だが、それで十二分。

 

 術士という者は呪文が届くなら杖さえ向けられれば人一人殺すことが出来るのだ。

 

「《万物……結束……》っ!!」

 

 自分の残った全てを放つ最大火力、無論只人の体で受ければチリ一つのこらないそれは

 

「よくやったもんだよ」

 

 肘から先が斬り飛ばされていた。

 

 最上最古の魔剣を振るう完成された剣鬼の太刀筋は快楽ですらあった。

 

 それに少し遅れて森人の矢が左目を射貫く。

 

 本来であれば死に体だろう。

 

 だが、それで膝をつくのを、戦友を背にした自分は許さなかった。

 

 高位の術者は発動体を両手に持つ。

 

 いざというときの為だ。

 

 もう一刀の業物が迫る。

 

「《解放》!!」

 

 左手を改めて向けて、最後の呪文を放ち、その反動で己も吹き飛び、刃から逃れる。

 

 文字道理の死力を尽くしたその一撃は。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、か弱き我らを、どうか大地の御力でお守りください》」

 

 しゃん、と一鳴りした錫杖の音と共に展開された防護の奇跡で遮られる。

 

 それで、意識が途絶える。

 

 

 

 

 

 懐かしい、夢を見た。

 

 意識が浮かび上がり、ただそれだけをぽつりと思う。

 

 隻腕隻眼の身であったが、最近の機械義肢などより魔術のトリネコの木とミスリルの金具を使って作った義手を使って長く、身の回りのことは側仕えの者を雇う位はできる。

 

「おはようございます」

 

「おはよう」

 

 オーガの血が顕現したのかやや厳つい秘書が寝ていた間にあった世界各地の幾つかの事案を報告するのを聞きながら、サラダとマッシュポテトとコーヒーという簡素な朝食に手を付ける。

 

「本日のご予定ですが……」

 

「あぁ、分かっている、身支度が終わった頃に車を回してくれ」

 

「かしこまりました」

 

 食器は他の者が下げて洗うのでテーブルに置いたままにし、石杖を一本、ローブを羽織る。

 

 杖は太古の竜の化石を水霊に杖として研がせたものであり、ローブも三千年の時を掛けて白月の月光と緑月の月光だけが降り注ぐそれぞれの夜に風の精霊に縦糸と横糸を編ませ続けている逸品、どちらも都市一つが買えるだろう魔道を志す者ならば垂涎の品だ。

 

 左胸にはあの旗を模した刺繍が描かれている。

 

 地下駐車場に向かい、車に乗り込む。

 

 術で飛ぶほどの急ぎでも無く、ロートルの歴史館館長等に、無いとは思うが念のための狙撃対策だ。

 

 あれからの戦後の時代、あの女にこき使われることになった俺は最終的に世界の歴史を保全収集する役柄に収まっている。

 

 あの男達が、ただの名も無き誰かとして忘れられていくことを忍びなく思ったのも、あるのであろう。

 

 やるだけやって負け果てたおかげか、思いの外からりとした気持ちで戦後を生きることができた。

 

 天井が開きそのまま車が離陸し、目的地へ向かう。

 

 空には出勤途中のスーツ姿の鳥人のOLが眠そうに羽ばたいている。

 

 なんと言うことも無い朝の景色だ。

 

 眼下に広がる皇都のビルと緑がひたすらに広がる様はかつての時代を知るものとしては信じがたい者がある。

 

 向かう先は政府機関、この三千年を生きる金庫番の住む財務局だ。

 

「久しいな、財務卿」

 

「お久しぶりです、館長」

 

 何千年も変わらず、目の前の痩せぎすの眼鏡の男は計算尺をくるくると弄び書類に目を通す。

 

 コンピューターを使わずに、ハイテク嫌いだ、時代遅れだ、などとこの男を嘲る者はこの世に居ない。

 

 銭勘定だけで只人の事務方がその脳髄の酷使により仙境(イモータル)に至った過労不死、書類仕事の極地、世界唯一の運営達人(マネージメント・アデプト)だ。

 

 あらゆる意味で、妖精宰相と同じく換えの効かない存在である。

 

 皇国の銭勘定と兵站を取り仕切り、女教皇の没後も妖精宰相にこき使われて、「あまりに忙しくて死ぬのを忘れていた」とは彼の弁だ。

 

 今時の表現で言えば宗教テロリストが勢いに乗って世界征服をやらかして世界を統一してしまったのだ、何にせよ国として回さねばならない。

 

 そこで盛大にこき使われたのが彼だ。

 

 まぁ当時の生き残りであの女二人に酷使されなかった者など誰も居ないであろう。

 

「息子さんの子はお元気ですかな」

 

 一仕事を終えたのだろう、かつて兵站役を勤め上げた男はようやくありつけた煙草を愛おしげに吸い込

み、ソファに体を沈める。

 

「まぁ子孫は元気にしているようだ、年に一度は表敬訪問に頭首が来るよ、そちらはどうだ?」

 

「妻は緑の月にほとんど詰めてて、私は私でここ暮らしですからな。まぁ衛星通信が出来るようになってからは毎晩話してますよ、幸い行こうと思えば隣町のようなものですしね」

 

 何千年とお熱いことだ、と苦笑して給仕の者が出す茶を口に含む。

 

 運良くというか、伴侶も不死の上の森人のためか、この男はなかなかに子だくさんだ。

 

「それで、用は聞いているか?」

 

「さて、唐突に仕事を振られることならありますが、詳しいことはなんとも」

 

 そうだろうな、とこれから来る者の素行を思い浮かべ苦笑する。

 

 あれでまだ落ち着いた方なのだから恐れ入る話だ。

 

「それなりの数が嗅ぎ回っているようだな」

 

「それはまぁ、そうでしょうな」

 

 これだけの面子が一堂に会するというのだ。

 

 何かがあるのだろう? 何が起こってしまうのだろう?

 

 少しでも情報が欲しいという者は多い。

 

 とはいえ、この領域の面子となると無思慮に突っ込んでくるものは居ない。

 

 そもそもこの会合が行われる財務局はこの世界において最高峰の警戒態勢を敷くことの出来る領域である。

 

 ここに並ぶ場所となるとエルフ・インダトリーの妖精宰相の守護するエルフの聖域か、海底の竜神の宮、あるいは世界最大の聖地、女教皇の大陵墓ぐらいであろう。

 

 どれも、歓迎されない者が入って生きて返ったものは三千年の間存在しない、世界の心臓の一つだ。

 

「なんじゃ、男共が雁首そろえて辛気くさい顔をしよって」

 

 金を糸にして流したかのような幻惑的な長髪をたなびかせる少女がすたすたと歩いてくる。

 

 古きを知る真の吸血鬼の女だ。

 

 世界中の術士を束ねる頭領でもある。

 

 ことあるごとに俺に仕事を押しつけようとしてくるが、突っぱねて何千年経ったであろうか。

 

 目の前に居るというのに、それでも存在が虚ろなのは本質に影に根ざすモノであるからだ。

 

「どんな面倒ごとを押しつけられるのかと戦々恐々としていたんですよ」

 

「楽をさせてくれた覚えなど、とんと無くてな」

 

「そりゃ儂だってそうじゃ」

 

 肩をすくめる自分の横にやれやれと首を振り伝法に同じようにソファに腰掛ける。

 

 紅の瞳がうんざりと細められる。

 

「人聞き悪いわね、適材適所よ、後、根回し?」

 

「そう言っても誰も信じてはくれぬでしょうなぁ」

 

 直裁な物言いは森人特有のモノだ。

 

 スーツを身に纏った妖精宰相はそうすたすたと歩み寄る。

 

 タイトスカートから伸びるその足が黒のタイツに覆われていようとも、否応なくまばゆく輝く魂はその本質を光と示している。

 

「おや、チーズの宴も無しに竜神殿まで、いよいよ世界でも滅びますかな」

 

 森人の後を歩く隻眼の蜥蜴人の姿をした竜に至った僧侶。

 

 本体は海底の宮にいて、片目だけを寄越したのだろう。

 

 三千年程度の若造とはいえ、歳経た竜であればそれぐらいの芸当はできて当然だ。

 

 とはいえ、それほどの状況であるということだ。

 

 昔懐かしい魔神王の一ダースやガロン、彼らの手勢を持ってすればどうとでも対処できよう。

 

 この会談を遠巻きに見守る者はこのビルに入る顔ぶれに顔を青くしているだろう。

 

「何、斥候殿に呼ばれましてな」

 

 この竜以外もう呼ぶものの居ない名で呼ばれ、宰相はふい、と懐かしげに笑みを漏らす。

 

「すっかりネット漬けになっちゃったんだから……ま、とりあえず話を始めましょう、見てもらえば分かることだけどね」

 

 そうして、彼女は一人の剣を抱えた少女の写真を一堂の前に出した。

 

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