ラジオの向こうから響く女性の声に耳を傾ける。
激流の様なBGMに全く引けを取らぬ、聞く者を惹きつけて止まない流暢な歌声。
教養の一つとして主要な外国語を修めているが、仮に英語の知識がそれ程ない人間が聞いても苦になる事はないだろう。
音楽は耳で聞くものではない。脳髄に叩き込み、心で楽しむものだ。
だからこそ、たった数カ月の間に全く無名だった彼女は―――新進気鋭の歌姫“マリア”は、全米トップチャートに躍り出る事が出来たのだ。
「珍しいですね」
慣れたハンドルさばきで会場へと向かう慎次が、独り言の様に呟いた。
「翼さんや奏さん以外の人の歌でも、興味が湧きましたか?」
「…………いいえ。先週のヒットチャートで、まんまと担当歌手がトップを奪われたマネージャーさんに変わって、原因の一つでも探ってあげようかと思いまして」
あんまりと言えばあんまりな空の言葉に、しかし慎次は小さく苦笑いを浮かべるだけだった。
むしろ、来日を直前に控えた凄まじい売り込みを相手に、アーティスト“風鳴翼”は良く善戦したと言える。他の歌手など、目も当てられない燦々たる結果だったのだ。
だが、それも仕方ないと言える。
マリア・カデンツァヴナ・イヴ。
その歌声はミステリアスでありながら力強く、デビューから僅か二ヶ月で米国のヒットチャートを席捲した歌姫。
世界中にファンを獲得するだけあり、歌声のみならず容貌も美しく、特に謎に包まれた私生活を暴こうと現地のゴシップが躍起になっている様だが、今も尚その辺りは一切が不明。
時折週刊誌の記事で取り上げられるが、その九分九厘が記者の妄想を並べ立てた様な稚拙な内容であり、情報収集の段階で一笑に伏したのは記憶に新しい。
そんな彼女が来日する理由は至極単純。
日米の―――否、世界の二大歌姫が共演する音楽の祭典「QUEENS of MUSIC」の為である。
世界各国に生中継されるこの祭典は、前売り券の段階で即日完売御礼、当日券など買おうと試みようものなら、三日前から行列を形成するのも当たり前という程の注目度を誇る。
翼のマネージャーである慎次ですら、空の為にと持ち得るコネをフル活用しても、満足のいく特等席を確保する事は出来なかった程である。
「……けど、まぁ」
呟く様に、空が口を開く。
「楽しみでは、ありますけどね」
空の言葉に、慎次は柔らかく笑みを浮かべた。
きっと今日という日は、世界最高の一日になるだろうという確信と共に。
―――そして、
世界で 最高/最後 のステージは、
あと、数時間で幕を開ける。
◆
ステージ上では、係員が忙しなく準備を進めている。
そんな光景を眼下に望みながら、彼女は吐息混じりに小さな歌を口ずさんでいた。
牧歌の様な、童謡の様な独特のリズム。
優しく穏やかなそれは、彼女がぼんやりと考え込んでいたりする時、よく口ずさんでいた。
―――彼女が何を思い、何を感じて歌っているのか。
―――其処に、どの様な想いが込められているのか。
「―――こんにちは」
呼びかけられて振り返る。
彼女の目に真っ先に飛び込んできたのは、観客席に備え付けられているスロープを手に掴み、色素が抜け落ちた様な、病的な白さをたたえた髪の青年だった。
眼鏡のレンズ越しに、柔らかな色合いを浮かべた双眸に自分の姿を映しながら、彼は笑みを浮かべた。
見知らぬ相手に、こんな風に“優しそうな”笑みを浮かべる人間を、しかし彼女は吐き捨てる程に知っていた。
「―――sorry, I`m busy one now」
捲し立てる様にそれだけ言って、彼女は視線を虚空に戻した。
大方、ライブを直前に控えての心境辺りを聞きに来た日本の三文記者であろう。
来日してから、連日の様に自分を取り囲み、片言の会話しか出来ない記者の類は、彼女の冷徹な声音に思わず引き下がるか、拙く汚い英語を並べ立てるかのどちらかだった。
いずれにしても、後ろの青年に対する彼女の興味は微塵も残ってはいなかった。
――――――少なくとも、こんな連中に察せる様なものではない。
彼の気配はまだ後ろにあるが、最早彼女が自ら振り返る事はない。
あとはその辺りの雰囲気を察する事が出来る知能があるか否か、その程度の問題だ。
「today's live—I`m looking forward to it」
滑らかな言葉に思わず振り返った。
日本人特有の拙い言葉でなく、聞き慣れた米国的な言葉であったから―――ではない。流れる様な発音が、幼い頃に聞いた欧州のそれに限りなく近かったからだ。
軽く目を見開く自分に真っ直ぐ視線を向けたまま、青年は小さく笑みを浮かべて会釈する。そのまま踵を返すと、ゆっくりとした足取りで通路の方へと消えて行った。
その背中をずっと見つめながら、彼女―――マリアは、驚いていた。
あんな風に笑える人を、自分は知らない。
見知らぬ相手に、あんなにも“柔らかく”笑える人を、マリアは知らなかった。
――――――もし、
――――――もし、見も知らぬ人間の中で、僅かでも自分の気持ちを掬う事が出来る人がいるとするのなら。
その時、ポケットの中で着信音と共に携帯が震える。
瞬間、先程まで浮かべていた考えを斬って捨て、マリアは表情を引き締めた。
決然たる意思を秘めたその瞳は、戦場に向かう防人の様であった。
◆
「―――状況は分かりました」
響とクリスが同道している岩国ベースへの“サクリストS”輸送中に、統制された“ノイズ”による襲撃があったという報せが慎次の元に届いたのは、マリアによるスペシャル・ステージ中―――翼の出番を間近に控えた時だった。
今日退院したばかりの空が未だ病みあがりである事を考慮すれば、増援として送れるのは翼のみ。
だがその翼とて、ステージを直前に控えた身。
「それでは翼さんを……」
『無用だ。“ノイズ”の襲撃と聞けば、今日のステージを放りだしかねん』
連絡だけでも、と考えていた慎次の言葉に、しかし弦十郎は不要だと答えた。
姪の性質を考えれば、本当にやりかねない行動であるだけにその声音は厳しい。
慎次もそれが分かっているからか、あえて反論はしなかった。
「……そうですね。では、そちらにお任せします」
携帯を切ると、折りたたみ式のチェアに腰かけていた翼が顔を上げて問い掛けた。
「司令からは一体何を?」
「『今日のステージを全うして欲しい』と……」
眼鏡を外しながら答えた慎次の言葉に、しかし翼はため息を一つ零して立ち上がった。
そのまま慎次の元に歩み寄ると、指摘する様に慎次の顔に指を指した。
「眼鏡を外したと云う事は、マネージャーモードの緒川さんではないという事です」
翼の指摘に、慌てた様に慎次は眼鏡を仕舞った胸ポケットに手をやった。
呆れたように腕を組みながら、翼は普段空にやる様な声音で小言を洩らす。
「自分の癖くらい覚えておかないと、敵に足元をすくわれますよ」
あはは、と苦笑を洩らす慎次の姿に、益々柳眉を顰めた翼は言葉を重ねようとしたが、
「―――お時間そろそろです。お願いします」
「っ、はい! 今行きます」
スタッフの声にアーティストモードで答えてしまい、つい言葉が途切れる。
軽く言葉を詰まらせた翼の代わりに、慎次が口を開いた。
「傷ついた人の心を癒すのも、“風鳴翼”の大切な務めです。頑張って下さい」
言って、人好きのする笑顔を浮かべる慎次の姿に、不承不承といった感じで翼は言葉を呑み込んだ。
「詳しい話は、また後で聞かせて貰いますよ」
「はい。僕も空くんも、ステージを楽しみにしていますよ」
思わず―――本当に意図せず、慎次が口にしたその言葉に、翼はビクリと肩を震わせて硬直した。
しかしそれも一瞬の事で、慎次の言葉やら先日の病院の事やらを必死に脳内から追い出す様に頭をブンブンと振った翼は、早足に控室へと向かって行った。
―――あれは事故!! 突発的なアクシデントなのっ!! 断じて、断じて狙ってやった訳じゃないっ!!
“あの日”以来、思い返してみると殆ど顔を合わせていない想い人の顔が脳裏をよぎり、翼は顔が熱くなるのを感じた。
そんな風に、翼の脳内が沸騰しているとは夢にも思わない慎次はその背中を暫く見つめて、空に連絡を取る為に携帯に手を伸ばす。
―――慎次さんも急がないと、翼のステージを見逃してしまいますよ。
不意に、会場での別れ際に言っていた彼の顔が蘇る。
何かに気づいて―――いや、奇妙な予感を覚えながらも、その幻影を振り払いたいかの様な、微妙に硬い笑みを湛えていた表情が、妙に鮮明に慎次の脳裏を過った。
◆
―――岩国ベースに“ノイズ”の襲撃があった。
その報告を慎次から受け、二言三言言葉を交わして連絡を終えた空は、やはりか、とでも言いたげに眉を顰めた。
別段、響やクリスが間に合わなくなった事が予想外だった訳ではない。むしろそちらは予想の範疇だった。
歩くトラブルメイカー、とは云わないが、それに近い事を常にやらかす響と、何かにつけて喧嘩っ早いというか言動が刺々しいクリス。
空にしてみれば――恐らくは弦十郎や二課の面々もそうだろうが――この二人が組んで、何も起こらず平穏無事に任務が終わるなどと、楽観視出来る訳がなかった。
会場は興奮と熱気の渦に包まれ、その渦中には華やかな装いの女性―――マリアの姿があった。
歌い終わっても尚途切れぬ観客のコールに応える様に手を振る彼女は、成程僅か数カ月にして“歌姫”の名を冠するに相応しいと言える実力の持ち主だった。
歌声、ステージの出来栄え―――そのどれをとっても、一流止まりのスターでは及ぶ所ではない。
尋常ならざる者――――――超一流、トップスター故に為せる業、とでも言うべきか。
だが何処か―――本当に、未だ病みあがりの身ゆえに覚える齟齬とでも言うべき何かが引っ掛かる。
確かに素晴らしい。手放しで称賛出来る程に、マリアの歌は完成されている。
だが、違うのだ。
言葉に出来ない何かが、訴えかける様に空の胸中を突く。
それに気づくより早く、会場の照明が落ちる。
本日のメインイベント。
風鳴翼とマリア・カデンツァヴナ・イヴによる特別ユニット。
“Queens of Music”のステージが始まった。
ステージが始まって間もなく、空は漸く齟齬の正体に気づいた。
否、それは齟齬と言うよりは、ほぼ個人の好みとか、感じ方によるものだ。
長い間、翼と奏―――“ツヴァイウィング”の、計算すら上回る完全なユニゾンを聞き続けてきたからこその違和感。奇妙な心地の悪さ。
あの二人が“調和”であるならば、この二人は“闘争”。
その歌声は美しくも、或いは、間近で剣戟を交わす宿敵の様な力強さを以てぶつかり合っていた。
会場の演出が、或いは選曲がそれに近いが故に観客は心を震わせ、躍らせ、弾ませる。
それは多くの人にとって違和感なく受け入れられるもので――――――だからこそ、空は自身の嗜好の偏りに辟易とした。
この二人の歌に文句を付ける筋合いなど何処にもない。
当事者も、関係者も、オーディエンスも、誰もが喜びと興奮を以て迎えているこの状況で、自分一人が声高に叫んだ所で詮無き事。
むしろこれを機と捉え、新しいジャンルを発掘するのも――――――面倒だ。興味がない。止めておこう。
終曲と共に大歓声に包まれる会場の中で、空は一人ため息を零した。
翼の言葉、そしてマリアの言葉の一つ一つに興奮のボルテージを上げていく会場の中で、ふと―――本当にふと、空は鈍痛を覚えた。
マリアが言う。
「私達が伝えていかなきゃね。歌には力があるって事を」
予兆。
翼が言う。
「それは、世界を変えていける力だ」
虫の知らせ。
マリアが言う。
「――――――そして、もう一つ」
或いは―――警鐘。
「ッ!?」
マリアがスカートを翻す―――途端、鈍い閃光と共に“それ”は現れた。
認定特異災害―――“ノイズ”の襲来に、観客達は一瞬にしてパニックに陥った。
我先にと逃げ出そうとする観客に鞭を振るう様に、マリアの声が会場に響く。
「うろたえるなっ!!!」
怒声、一喝。
ただその一言を以て会場は沈黙し、そして統制された“ノイズ”によって観客達は逃げ道を塞がれたまま誘導され、そのまま人質として会場のあちこちに固められる。
状況は、ハッキリ言って最悪だった。
このまま“ノイズ”を見逃す事などあってはならない。だが、全世界に今も尚生中継されているこの場で“シンフォギア・システム”を起動すれば、秘匿すべき奏者の正体が―――風鳴翼が防人である事が、知られてしまう。
それもまた、あってはならない事だ。
ステージ上で、翼とマリアが何か言葉を交わしている。
一見冷静そうに見えて、その実喧嘩っ早さと強情さでは幼馴染三人の中で一、二を争う翼の事だ。正体がばれても構わない、とでも言っているのかもしれない。
ならば、どうするのか。
幼馴染として、戦友として、同僚として。今、何をすべきか。
首から下げたペンダントに、手をやる。
心臓から取り出された聖剣の欠片。その結晶を、今ここで振るうべきなのか。
それとも、何らかの目的を持った彼女達がこのまま時間を浪費してくれるのを―――此方に急行している響とクリスを、待つべきなのか。
僅かに躊躇ったその時、空の耳朶にクリスの声が届いた。
「私達は、ノイズを操る力を以てして、この星の全ての国家に要求する!!」
世界の全てを敵に回すかの様な口上。
それはまるで―――いや、間違いなく。
「宣戦、布告……」
呟いたその時、マリアが天高く剣を放り投げ―――詠が響いた。
大地を震わせ、天より鳴り響く雷鳴の如きそれに、空は己の全てを疑った。
間違えよう筈が無い。
空が、翼が、弦十郎が―――二課にいる者の中で、凡そそれを知らぬ者は、間違える者はいない。
後に続く者へと受け継がれた力――――――血に塗れ、命を削り、在りし日に少女が手にした力。
「ガン、グ……ニール……ッ!?」
息を呑む。
認識した瞬間、呼吸が、鼓動が止まるのではないかという程に、身体の感覚が凍りついた。
シンフォギアシステム3号“ガングニール”。
天羽奏が、そして立花響が持つそれと同じ聖遺物の名を冠したそれは―――しかし、二人と決定的なまでに違う“ナニカ”だった。
「私は―――私達はフィーネ」
続く言葉に、今度こそ空は思考の全てを凍りつかせた。
あの日―――三カ月前の決戦において、確かにこの手で断ち切った存在の名を、彼女は口にした。
そして、確かな敵意を込めてマリアは叫んだ。
「終わりの名を持つ者だ!!」