戦姫絶唱シンフォギアE   作:茶々

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第六話 怒れる瞳

 

人間にも、逆鱗というものがある。

そこは、親類縁者と言えども他人が軽々しく触れていいものではなく、もしその鱗を突こうというのなら、命をかける覚悟が必要になるだろう。

 

少なくとも、余りにも非現実的な要求を各国政府に突き付けるあの少女に、それがあるとは到底思えない。

否、恐らく彼女は、何が誰にとっての逆鱗なのかもそもそも理解していないだろう。

 

斯波田事務次官との通信を終えた弦十郎は、続けざまに空に通信を繋いだ。

 

「空、相手の真意が分からない以上、くれぐれも独断専行は慎め。もうじき二人も到着する。いいな」

『…………ええ、分かっていますよ。“風鳴司令”』

 

自分の言葉に少しの間をおいて、空は自分自身に言い聞かせる様に答えた。

 

『少なくとも、観客達があれだけ密集している以上、此方から下手に手出しはしません』

 

一両日中の国土割譲。

自らが敷く王道楽土。

 

―――最早、分かっていてやっているのではあるまいな。

 

切迫した状況下にあって、弦十郎の脳裏を思わずそんな考えが過る。

“ガングニール”を纏い、“フィーネ”を名乗り、“ノイズ”を従えて、ああも無茶苦茶な要求を並べ立てる。

 

流石に無力な観客がいる以上、空が“荒れる”事はないだろうが―――

 

『会場のオーディエンス諸君を解放する!』

 

また一つ、時限爆弾のカウントがゼロへと近づく幻聴が弦十郎の耳朶を打った気がした。

 

 

 

 

 

 

人質とされていた観客達が、次々と会場から外に避難していく。

既に会場近辺には非常線が張り巡らされ、報道局の記者達が群れをなして緊急中継をしている。

 

その様子は、会場のあちこちに備え付けられたカメラから流れるステージの映像―――翼とマリアが相対している姿と共にリアルタイムで放映されていた。

 

世界中の視線に晒されたままでは、風鳴翼がその正体を晒す事は出来ない。

 

―――というより、本人がやろうとしても周囲がそれを許さない。

 

空は一つ、ため息を零す。

気づけば、何時の間にか力んでいたらしい右手の掌から、血が滴っている。深々と掌を抉った爪に残る血を舐め取り、空は“遥か眼下に望む”ステージに視線を映した。

 

観客を退避させた以上、翼が“シンフォギア”を展開しないのは保身の為という理由しか残らない。

そして、そんな事を指摘され、屈辱に打ち震えながらも黙っていられる等と、空は彼女の堪忍袋を信用出来ないし、するつもりもないし、させるつもりもない。

 

何より――――――観客がいなくなり、無辜の被害が出る確率が極限まで減った以上、あんな連中が一秒でも長く生命活動をしている事を許容できる程、空は生温くなった覚えは欠片もなかった。

 

「……大鳳空、参ります」

『ッ! 待て、空ッ!!』

 

脳内で時限爆弾が見事に大爆発をかました弦十郎の必死の制止にも耳を貸さず、空は天高く“それ”を放り投げた。

満天の空に浮かぶ月の光を浴びて輝くそれに、ステージ上の二人が――誰かの指示を受けたのだろう“ノイズ”達も――視線を向ける。

 

刹那、空は中継塔から虚空に躍り出た。

 

「―――支配(うば)え、“アヴァロン”」

 

天空から飛来した完全聖遺物(アヴァロン)が、会場中央に深々と突き刺さったその瞬間、黄金の輝きが瞬く間に会場全体を埋め尽くす。

高性能カメラさえも輝きに映像を埋め尽くされ―――次の瞬間、マリアの鼓膜に何かの爆発音が響く。

 

「ッ!?」

 

一つ、二つ―――次から次へと、まるで連鎖する様に、“ガングニール”を纏う自分ですら視界の全く聞かない世界の中で、その爆発音が次々と響く。

 

―――ボン、とステージの上の方で何かが爆発した時、マリアはそれが中継用のカメラを破壊した音だと漸く気づいた。

 

「小癪な真似をッ!!」

「―――小刀術」

 

僅かな空気の振動から相手の位置を探り当てたマリアの一撃は、しかし軽やかにかわされたばかりか、

 

「“影縫い”」

 

身体をすり抜ける様に自身の影へと打ち込まれた数本の小刀によって、原理不明のまま身体の動きの一切が封じられた。

 

「なっ……!?」

「ラァッ!!」

 

突然の事態に驚く間もなく、マリアの顔面を鋭い回し蹴りが急襲する。

急速落下に加え、回転まで加わったその一撃をガードも出来ないままで耐えられよう筈もなく、ステージ後方へ吹っ飛ぶマリアを尻目に、“それ”は両手に小刀を構えると、一切の迷いなく投擲した。

 

正確無比にカメラを捉えた小刀は直後にカメラ諸共爆発し、遂には会場の中にあった画面の全てに雑音と共に砂嵐が現れる。

 

そうして光が治まった時、翼の視界に飛び込んできたのは、先程まであちこちにいた筈の“ノイズ”達が消えた無人の会場と、久方ぶりに見る幼馴染の姿だった。

 

「そ、空……?」

「ん。いいステージだったよ、翼」

 

振り返った空の目元に掛けている眼鏡のグラスは遮光タイプだったのか、黒く染まっていたのが徐々に薄れている。その奥から覗く瞳は、しかし普段翼が知るそれとは明らかに違っていた。

 

「―――じゃ、最後の仕上げといこうか」

 

―――何と言うか、その、完全にキレていらっしゃる。

 

 

 

 

 

 

もう随分と昔、まだ自分や空が“防人”として数回の出撃をしたばかりの頃、翼は彼を本気で怒らせた事がある。

それまでの出撃で大した怪我を負った事がなかった事もあり、今思えば聊か増長していたのかもしれないその出撃で、翼は単身敵深くまで進み、窮地に追いやられた。

 

その時、“ノイズ”の大軍を切り裂いて助けに来てくれた空は、自分を見つけるなり容赦ない拳骨を脳天に叩き込み、続けざまに凄まじい剣幕で怒鳴ったのだ。

 

『死にてぇのかバカ野郎ッ!!!』

 

あれは怖かった。

冗談抜きで、泣くかと思った。

 

後で報告を受けた弦十郎が、思わず怒るのを躊躇って、戻った後も怒り狂う空から自分を庇うくらいに怖かった。

普段、あまり怒らない人が怒ると本気で怖いというが、アレは最早そういう次元の話ではなかった。

 

自分の事を本気で心配してくれているからこそ、その言葉が胸に突き刺さったし、彼の境遇を思えば、それが彼にとってどれ程辛くて、怖い事なのかも十二分に理解出来た。

 

後に奏が加わり、その行動からしばしば空と本気の殴り合いにまで発展する様になってからは、あれ程の怒気が翼に向く事はほぼなくなった。

奏を失ってからは、響やクリスの世話に忙殺され、頭を抱えたり呆れたりする姿を見る事はあっても、本気で怒る彼を見なくなって随分と久しかった。

 

―――だから、という事でもないだろうが。

 

「……………………」

 

自分に向けられている訳ではないにしても、間近にいるだけでも、尋常でない圧迫感が肌を突き刺す。

 

「荒唐無稽な要求、机上にのせるのもおこがましい理想論……さて、手足をへし折られる理由は、何がいい?」

 

一歩、空がマリアへ近づく。

その足音が、やたら大きく翼の鼓膜を震わせた。

 

「“フィーネ”を名乗った事、“ノイズ”を操った事……ああ、あと“ガングニール”を使った事もあったね」

 

空の声音は、何処までも平淡だ。

平淡で、冷静で、いつも通りで――――――だからこそ、背筋が凍りつく様に感じるのは、きっと気のせいだ。気のせいだと思う。そうだと思いたい。思わなければならない。

 

「目的とかその他諸々は、心臓と脳みそと口だけ残っていれば喋れるよね?」

 

僅かに覗いた空の顔は、笑っている。

無邪気な子供の様に、無垢な少年の様に、嗤っている。

 

それらを真正面から受け止めざるを得ないマリアの内心は、どうなっているだろうか。

 

想像しかけて、翼は思考を無理やり振り払う。

危うく、トラウマになりかけていた記憶が蘇る所だった。

 

「―――じゃあ聞くよ、マリア・カデンツァヴナ・イヴさん」

「……ッ!」

 

相対するマリアが、息を呑んで表情を凍りつかせる。

一瞬でも思い返してしまったが故に、嘗て自分に向けられた、あの般若もかくやと言わんばかりの凄まじい表情が、耳朶を打つ声と共に翼の脳裏に蘇った。蘇ってしまった。

 

「五体満足で黙って連行されるのと、芋虫状態の虫の息で連行されるのと、どっちがいい? 三秒以内に答えろ」

 

―――最早、一切の疑い様もなく。

 

空の怒りは、完全無欠に天元突破していた。

 

 

 

 

 

 

ライブ会場の様子を眺めながら、ナスターシャは努めて落ち着き払った声音で呟いた。

 

「あれが完全聖遺物“アヴァロンの鞘”と、その奏者、大鳳空……よもやあれ程の数の“ノイズ”を相手に、40%足らずのフォニックゲインで殲滅せしめるとは……」

『―――40%“足らず”ではない。40%“しか”扱えなかったんだ』

 

凛然とした声音が、通信機越しにナスターシャの鼓膜を震わせる。

 

「……貴方には待機を命じた筈ですよ」

『“アレ”が出てきた場合は別だ、と言った筈だが』

「間もなく調と切歌が到着します。この上貴方まで出て、此方の手札を曝け出す必要はありません」

『心配せずとも“剣”は使わん。あの場所を焦土に変える必要は、“今は”ないのだからな』

「―――“フォルテ”!」

 

言う事を聞こうとしない彼を相手に、ナスターシャは声音を荒げた。

だが、既に通信は途絶え、次いでライブ会場の方を見やれば、マリアと空の間にバイザーとローブを付けた男―――フォルテが悠然と立っていた。

 

「あの子は……ッ!!」

 

怒りに顔を歪ませ、しかしこのままでは彼を含め、残る奏者達がギアを展開しても、フォニックゲインの伸び率はそれ程大きくは見込めない。

 

―――かくなる上は、最後の手段を用いる他ない。

 

齢を感じさせない鋭い眼光で会場を睨みながら、ナスターシャはキーボードに指を奔らせた。

 

 

 

 

 

突然の乱入者を前に、しかし空は冷静だった。

 

「誰だよ……って、聞いても答える訳はないよな」

「…………」

 

空の声音は、冷徹だった。

 

「―――とりあえず、その後ろに庇ってる奴の味方、って事でいいんだな?」

「大鳳空、だな」

「ああそうだよ。だからどうした」

 

相対する男は、噛み締める様に空の名を問うた。

それに答えた空が、僅かに後ろに退く。

 

「―――ッ!?」

 

刹那、男の傍らに控える様に二人の少女が現れた。

その姿を見て、翼は目を見開いて驚きを露わにした。

 

「奏者が、三人……!?」

「いや、恐らくあの男も奏者だから、四人だ」

 

何時の間にか自分の傍らにまで下がっていた空の言葉に、今度こそ翼は言葉を失う。

奏者の希少性は、二課に属して今日まで“防人”として戦い続けてきた翼には身に染みて分かっている。

 

それが今、目の前に知りもしなかった奏者が四人も現れて、驚くなという方が無理な話である。

 

「危機一髪……」

「ギアも展開していない相手に、なーに苦戦してんですか」

 

黒髪の少女が言い、金髪の少女が呆れた様に呟く。

両名共に、見た事もないギアに身を包んで、戦闘態勢を整えている。

 

「苦戦など……貴方達の助けがなくても、“あの程度”の相手は乗り越えられたわ」

「ギアも展開していない、手負いの“紛いモノ”相手に苦戦した奴が言う台詞ではないな」

 

―――ブツン、と、切れてはならない緒が引き千切られる幻聴が翼の耳朶を打った。

 

「へぇ……?」

「…………」

 

怖い。

傍らに立つ幼馴染が、尋常でないくらいに怖かった。

 

この身は一振りの剣、“ノイズ”を駆逐する“防人”―――そう言って無理やり心を奮い立たせても、昔染みついた恐怖というものは中々どうして紛れるものでもなく。

 

「―――翼さん!! 空さん!!」

「待たせたなっ!!」

 

正に絶妙とも言えるタイミングで急行したヘリから、ノーパラシュートスカイダイビングで響とクリスが現れて、翼は驚きと共に安堵のため息を漏らした。

 


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