『この先が……最初の火の炉……』
甲冑に身を包んだ一人の騎士が、兜の奥で呻くように小さく呟く。両手に携えた盾と直剣を握る力は自然と強くなり、騎士は自分が緊張している事を知る。
『遂に、辿り着いた』
騎士は長い階段を下りてゆく。無数の王の騎士の幻影が横切る中、彼は密かに決意を新たにする。
『終わらせる。長きに渡った私の旅路に……呪われたこの世に、終止符を打つ』
静かに、しかし力強く呟いた騎士は直剣を携えた手を前へかざし、そして
「あ、まだ見てる人いるんだ」
呑気なその声は狭いアパートからのものだ。
大学生風の青年は無精ひげを撫でながら、パソコン前に座っている。画面には二次小説の投稿サイトが映っており、青年が過去に投稿した二次小説の、一日の閲覧数が開示されている。
原作『ダークソウル』。
青年がまだ高校生の頃に流行ったこのゲームは世界的人気を誇り、今では二次小説も数多く書かれているほどだ。そして青年もその例に漏れず、過去にダークソウルの二次小説を投稿していた。
しかしそれも過去の事。
勉強やバイト、それに進学の事もあり、青年は完結一歩手前のところで創作意欲が底を突き、それ以来投稿は止めてしまった。
それからは更に忙しい日々を過ごし、ゲームや小説の投稿にかまけていられる時間はほとんど無くなってしまった。こうしてサイトを見ているのだって、大学の課題を終わらせたついででしかないのだ。
青年はサイトと同時に書きかけだった小説の内容をパソコン上に表示しながら、関心の無さそうな目でそれを見る。
「ぶっちゃけもうあんま興味ないんだよなぁ。いっそIDも消しちゃおうかな……」
時刻は夕方。そろそろ近くのスーパーで惣菜が安くなる頃だ。青年はいつまでも座っていないで、さっさと買い物に出かけようと、表示していた文章を閉じようとした。
その時だった。
「……え」
文章が、更新されていく。
青年の手はマウスに触れているだけで、キーボードは触れていない。にもかかわらず、目の前に表示された文章は次々と文字が打ち込まれてゆく。
『!? 何者だ!』
騎士は反射的に剣の切っ先を虚空に突き付けた。
それと同時に何も無かったはずの空間は歪み、そこには一人の女の姿が現れた。
長髪の側面をそれぞれ根元で束ね、頭には帽子を被っている。服装は騎士が見た事も無いような奇妙な格好で、重厚な手甲まで嵌めている。
『落ち着き給えよ、サー・ユーウェイン殿。余は君と争う気などない。少し余に付き合ってほしいだけだ』
『断る。私は火継ぎをしなければならない、こうしている間にも世界には呪いが撒き散らされている。それを止めねばならないのだ』
『ふむ……力づくでの説得が好みと言うのなら仕方が無い。余は作法を合わせよう』
同時に、奇妙な格好の女の周囲に無数のサーベルが展開された。残像を残す速さで円形状に回転する武器に最大級の警戒を払い、騎士……サー・ユーウェインは盾を構える。
「ちょ……なんだよこれ……」
勝手に更新されていく文章。自分が考えもしていない方向に展開していく物語に、青年はただただ困惑した。そして―――――。
「……は?」
文章に目が釘付けになっていると、急に視界がぼやけた。何が起こったのかと思う間もなく、青年は全身を強かに地面にぶつけた。
「いでぇ!?」
勢いは止まらず、青年の体は下へと転がり落ちる。やっと勢いが止まり、青年はようやく、自分が階段を転がり落ちていた事に気が付いた。奇跡的に大した怪我はしていないようだが、一体何が起こったと言うのか。
「貴公!伏せろ!」
「え?」
疑問が浮かぶと同時に、またしても衝撃が青年の体を突き抜ける。真横からタックルを食らったような衝撃に、青年の口から不細工な悲鳴が漏れる。
「うげっ!?」
「そのまま身を屈めていろ!」
階段に押し倒された格好の青年、その頭上へ男の鋭い声が降りかかってきた。青年は鈍痛に顔をしかめながら、何とか目を開けて目の前の光景を視界に収めた。
そして、驚愕に目を見開く。
青年の目の前には、一人の男が立っていた。
銀色の足甲と手甲、痛んだ金属と群青色の擦り切れた布を纏った鎧に、騎士らしい見た目の、フルプレートの兜。
心当たりがありすぎるその姿に、青年の口が勝手に動いた。
「お前……ユーウェイン?」
騎士からの返答は無かった。
代わりとでも言わんばかりに、無数のサーベルが青年と騎士の元へ殺到する。
ガガガガガガガガガガガガガガガガガガッッッ!!!と、金属と金属がぶつかり合う凄まじい音が響き渡る。まるで金属の加工場の騒音を凝縮したような爆音に、青年は耳を押さえながら絶叫する。
「うおおぉぉぉおおおおおっおおおおおおぉぉおおおおおおお!!?」
情けなく声を裏返して叫ぶ青年とは対照的に、騎士は構えた盾で殺到するすべてのサーベルを完璧に防ぎ切っている。やがて攻撃の手が止むと、騎士は手にした直剣を女に向けて突貫する。
「おおおおおおおおおおおおおっ!!」
雄叫びと共に向かってくる騎士に対し、女は余裕の表情だ。女は微笑みを崩さぬまま、左手を虚空へと伸ばす。
「流石は歴戦の騎士殿、その溢れる闘志には余も敬意を表したくなるよ」
だがね、と女は言葉を区切り、両手に携えた獲物で構えを取った。
左手に奇怪な形の金属、右手には先程のものと同じサーベル。それらを携え、まるでヴァイオリンを演奏するかのような姿勢の女は、剣を振りかざす騎士を見る。
両者の距離は僅か数メートル。騎士は数瞬にも満たない間に距離を詰め、女の頭上へ剣を振り下ろす事だろう。
しかし、やはり女は余裕をもって口を開く。
「余の力をまだ正しく理解していないようだね」
その言葉と共に、女は右手を振るう。キィン、という金属同士が擦れる特有の音が響くと同時に、騎士の握っていた剣に変化が生じた。
「!」
騎士の握っていた剣。それは一瞬でバラの花弁へと変化し、振り下ろされた騎士の掌から掻き消えた。動揺する騎士を余所に、女は笑みを深めて口を開く。
「これは……!?」
「ホロプシコン第3楽章・表象転換」
一気に肉薄する両者、しかし騎士の手元には武器は無い。警戒した騎士は後ろに下がり、相手の出方を伺う事にした。
「貴公……一体何をした」
「何、気にする事ではないさ。ただ余が干渉し、少し改変を加えたというだけの事だよ」
女は涼しげにそう言ってみせるが、騎士の警戒は更に高まった。これからの行動を頭の中で巡らせる騎士であったが、それは女の言葉で遮られた。
「……ふん、まだ力が弱いか」
すると、女の姿が歪んだ。歪みは一時的なものでは無く、次第にその姿は不鮮明なものになってゆく。騎士は警戒を解かずにいるが、女の方はそれでもやはり余裕の表情を浮かべている。
「申し訳ないが、サー・ユーウェイン殿。今回はこれで幕引きのようだ。次に会いまみえた時、余はまたお相手しよう」
「っ、待て!」
女がそう言い終えると同時に、騎士の視界もぶれた。
気が付けば、騎士は見知らぬ空間にいた。狭い空間だ。
硬い床にカーペットが敷かれており、その上には何とも小さなテーブル、ちゃぶ台が置かれている。床には本が散乱しており、騎士の見た事も無い文字が書かれていた。
「ここは、一体……!?」
騎士は突然の空間転移に動揺した。今までにも霊体として別の世界に召喚された事はあったが、今回はサインも書いていないのに飛ばされた。おまけに霊体では無く、実体で、だ。
訳が分からず混乱する騎士、その背後から、弱弱しい声が聞こえてきた。
「嘘だろ……そんな……」
振り向くと、そこには先程助けた青年がいた。騎士と同様に、あるいはそれ以上に動揺している様子の青年は、恐る恐る口を開いた。
「なんで、ユーウェインがいるんだ……?」
アパートの一室に現れた騎士。
その姿を見て茫然とする青年。
この時、世界の運命を揺るがすほどの大事件が起きているなど、二人は思いもしなかった。