我等が女王に、跪け。 作:白蛆
それもこの作品の一つのコンセプトです。
彼等は決して、咬ませ犬ではない。
「ギャァ!!ギャァ!!」
「……チッ!」
未だ背後から迫る襲撃者の声に、俺は苛立ちを込めた舌打ちをする。
いくらなんでもしつこいにも程があるだろうと。
俺の現在地は地上30メートル……いや、40メートルといった程度の場所、樹高70m程のバカみたいに巨大な木々の枝の上だ。
なおも、世界最高の木は高さ100メートルくらいあるそうだから、それに比べればいくらかは小さいが、しかしそんな化け物植物が枝から枝へジャンプで移れるほど密集しているというのは、なかなかに異様な光景である。
残念なのは、今の俺にそれを呑気に眺める余裕が無いということか。
触手を絡ませて木々の枝と枝の間をすり抜け、葉に隠れ、時には別の木に飛び移りながら逃げ続けているが、ランポス=ケプトス達は木を登るための専門的な構造すら無いにも関わらず、器用に手足の爪を引っ掛け、身体能力だけで追い縋ってくる。
しかし……これだけの巨体が何匹も上で暴れまわっているのに、不思議とこの大木はその枝すらも折れる気配を見せない。どれだけ頑丈なのか…それともランポス=ケプトス達の体が見かけよりも軽いのか…。
さて、『深淵』を使って渡った後の枝を消して追跡の邪魔でもしてやりたいのだが、生憎そんな余裕は俺には残っていない。現に今俺の足に奴等の爪が届きそうになった。
ランポス=ケプトス達との距離は時間を追うに連れて少しずつ縮まってきている……。俺も初めてにしては恐ろしい程体がスムーズに動いてくれるが、やはりそこは経験の差なのだろう、ランポス=ケプトスの巧みな追跡を振りきれずにいた。
このままではらちがあかないな。飛び降りるか。
"飛び降りるか。"
そんな発想がすんなりと湧いて出た。
本来、落下というのは、哺乳類、鳥類、あるいは虫でさえも、それこそ殆どの生物が恐るべき行為のはずである。
しかし、小心者であるはずの俺は、今現在この状況において、何故かその事に対する忌避感がまるで起こらなかった。
これは死を乗り越えたことで心の性質が変わってしまったのか……あるいはこれもまた「私に用意できる最高の肉体」というやつの恩恵の一部なのか……それとも能力に起因するものなのか。
俺には判断しかねるが、今はそのような事を考えている暇は無い。
取り敢えず、恐怖や忌避感が湧いてこないのならば、実行しない理由はない。ことは一刻を争うのだから、とっとと実行すべきだろう。
俺は身に纏う『黒の法衣』を全て『深淵』の効果によって口に変化させ、今自分が足場としている木々の枝や葉を、全て食い尽くした。
すると、当然の結果として、俺の体を支えていた木々の枝達は一気に深淵の闇へと消え去り、俺は重力のままに落下することとなる。
全身が浮遊感に襲われるが、不思議と恐怖は湧いてこなかった。
上を見上げると、俺を追いかけていたランポス=ケプトス達がゴッソリと抜けた穴を覗き込んでいる。流石の連中も高度30メートルの高さから飛び降りれば死の危険があるのだろうから、飛び降りるようなことは……
…………あったな。
なんとランポス=ケプトス達は、一切躊躇することなく、我先にと俺が開けた穴から飛び降りたのである。正気かアイツら!?
俺は『黒の法衣』をムササビの翼の膜状に展開し、すぐさま奴等の直下から離脱した。
これはつい先程気付いたことではあるが、この『黒の法衣』、質量が存在しないのである。あるのは変更可能な粘度や硬度や動きや性質のみ。物質のようで物質でない、そんな意味のわからない存在なのだ。
当然、質量が存在しないので『黒の法衣』を直接使って殴っても何も起こらない。運動エネルギーが発生しないからだ。『深淵』と組み合わせた場合は別であるが。
だが、その質量に囚われない自由さは、この能力の恐ろしい可能性を秘めている……と、思う。
現に今こうして、重さが無くて空気抵抗だけを受けるという、もっとも効率的な翼を展開することが出来ている。
ただ、ムササビ型の翼で出来るのは、あくまでも滑空までだ。その高度はどう頑張ろうとも下がっていく。
空気抵抗からは全身を顔まで覆う『黒の法衣』が守ってくれている。だが、どうしても着地の瞬間には物凄いGが掛かることになるだろう。
やがて地表が直近まで迫った頃、俺は『黒の法衣』を変形させ着地に適した形へと変える。イメージは雪の上を滑るソリと海を進む船を掛け合わせた感じだ。どちらも着地とはあまり関わりの無いものだが、『禁書』先生がそれがいいと囁いてくれた。
直後、変形した『黒の法衣』が低木を薙ぎ払い、地面を激しく抉りながら豪快に着地する。
すると当然ドガガガガガッ!!という縦揺れによる激しい衝撃と、潰されそうになるほどの強烈なGに襲われる。その勢いのあまり舌を噛みそうになりながらも、転倒することもなく地面の上を滑走し、このまま着陸成功!………とは問屋が卸さなかった。
即ち、進行方向に巨木が壁のようにそびえ立っていたのである。
俺は慌てて『黒の法衣』を硬質化させスパイク状に変形することで減速を試みる。だが、滑空の速度が俺の体感よりも早かったようで、どう考えてもブレーキが間に合わない。
俺は咄嗟の判断で、『黒の法衣』をエアバックのように目の前に展開した。
直後、俺の全身に激しい負荷がかかる。
エアバックの動きを止めようとする力と、慣性によって前に進もうとする力が同時に作用し、俺はこのまま潰されるのではというほどの苦痛を味わう。
息が出来ない。肋が悲鳴を上げているのがよくわかる。腹が潰されて気持ち悪い。
だが、そんな苦痛も一瞬のことであった。
気付けば俺の体は重圧から解放されており、逆に『黒の法衣』エアバックの反発力によって吹っ飛ばされて、宙へと放り投げられていた。うむ。いろいろと要改良である。
ともあれ、俺はなんとか触手の補助を受けながらも着地し、何故かとても久しぶりに思えてしまう酸素を思いっきり肺の中に取り込んで、束の間の安堵の溜息を吐いた。
《告、後方からランポス=ケプトスの群れが接近中。その数13。》
しつけぇな!!
俺はいつまでたっても追ってくるランポス=ケプトス達に苛立ちを覚えながらも、しかしあの数と力に立ち向かうような勇気は出ず、再び逃げ出した。
だが、どれだけ俺が必死に逃げようともランポス=ケプトスの速力には敵わない。まして地上というのは奴等のフィールドだ。現にあれだけ距離を離したのに既に奴等の足音が近づいて聞こえ始めている。
俺はそれを聴きながらも触手を絡ませられそうな木を探して走る。
――だがその時突然、奴等の足音がザザザザザッ!とまるでブレーキをかけるような音に変わり、直後、何処かに消えていった。
それは此処が何処であるのかを考えれば殺されても不思議ではない愚行に他ならなかったが、俺は突然自らを追跡する足音が消えたことに驚き、思わず後ろを振り向いてしまった。
するとそこには、先程までの執念は何処へやら、我先にと森の奥へと逃げていくランポス=ケプトス達の姿があった。
…逃げた?
……なんで突然?
俺がその疑問を抱いたのは、他でもない。奴らは捕食者であり、天敵に該当する生物などいないだろうと、「人間の常識」で判断してしまったからだ。
だが、勘違いしてはいけない。
ここ、「女王領域」と呼ばれる地は、あらゆる常識という常識を断ち切るべく生まれた場所なのだ……。
《告、3時の方向300メートル先より、タイガー=レックスの攻撃が来ます。》
タイガー=レックス。
正式名称はタイガー=ワイバーンレックス。
虎飛竜ですね。
はい、お察しのとおりアイツです。