我等が女王に、跪け。 作:白蛆
何故赤点が60点のテストを一週間ぶっ続けでやらなくてはならないのか……。
勉強しないと。
でわどうぞ。
本能は、知っている。
自分が幾ら抗い、幾ら拙い策を巡らせ、如何なる幸運に恵まれようとも……、
――その存在には、勝てないという事実を。
いや、或いは勝てる勝てないという問題にすらならないのかも知れない。勝負という領域にすら、俺は立つことは出来ないのだろう。
奴は、ほんの気紛れで、あたかも小さな羽虫を潰すかのように、俺を殺すことができる。
奴がただ歩いただけでも俺は死んでしまうのではないか……そう思わせるだけの実力差が、そこにはあった。
別に武術の達人でもなんでもないド素人の俺ですら、肌に触れるように感じることのできる、絶対不変の「隔たり」。
その時、俺は気付いた。
――そうか……奴がこの場所の支配者なのだ。
あらゆるものを歯牙にも掛けずに屠り、喰らう、圧倒的な強者であり捕食者なのだ。
さっきのランポス=ケプトスが束になっても、百匹いようと二百匹いようと、コイツには絶対に敵わない。敵わないというか…一矢報いるのすら難しいと思う。
破壊を振り撒き頂点に座すタイガー=レックスのその姿は、暴君。あるいは覇者といった貫禄があった。
俺は何も出来なかった。
指先一つ動かすことができなかった。
恐れていたというよりは、魅入られていたのだと思う。
その圧倒的な暴力に。その絶対的な生命力に。
タイガー=レックスがゆっくりと前脚を動かし、思わず目を疑うほどの急加速をしながら真っ直ぐにこちらに迫ってきた。
その瞬間、俺は、迫る脅威になんとか打開策を見つけるべく、覚悟を決めるため、あるいは思考を一度リセットするために、瞬きをした。
それは、時間にすればほんの一瞬で、刹那の視界の暗転。
――それがどれだけ危険な行為なのか、俺は知らなかったのだ。
目を開けた瞬間、景色が変わっていた。
あれほど遠くにいたはずなのに……
そう、タイガー=レックスの出発点から、俺までの距離は、実に500メートルほど開いていたはずだ。にも関わらず、まるでそんな距離は最初から存在しなかったかのように、瞬きの直後にはタイガー=レックスの巨体はすぐ眼前まで迫っていたのだ。
………速っ!?
驚く暇さえも与えられず、俺は初撃の咆哮よりも激しい衝撃によって、再び宙へと放り投げられた。
皮膚が肉体から乖離し、肉が骨格から乖離し、骨が精神から乖離し、そうして全てを失ってなお、しかしこの意識は、俺の存在は消えることなく、ただそこにあった。
木々の枝を貫き、葉を散らせて、遥か上空へと舞い上がる。
何処までも透き通った青い空のキャンパスに、一点、俺と言う名の"異物"が描かれ、空の色とは対照的な赤い模様が爆ぜる。
俺が吹き飛ばされたのは、質量というよりは、それに伴う衝撃波によってだ。それは即ち、タイガー=レックスの突進の速度が軽く音速を超えて居たということを表していた。
――もう、理解していた。『禁書』に記されていることは、嘘でも誇張でも無いのだ。ただ単純に、事実を述べているだけなのである。
タイガー=レックスにとって、最初の咆哮は必殺技でも何でもなかったのだろう。それどころか、攻撃したつもりさえ無かったのだと思う。
言うなれば、単なる"威嚇"だ。
単なる"威嚇"だけで、その竜はあれだけの破壊をもたらした。
……なんという、理不尽な存在。
タイガー=レックスの攻撃によって全てを消し飛ばされた俺は、しかし空中でその原型を瞬く間の内に取り戻して行く。細胞が激しく互いを呼び合い、骨がミシミシと不気味な音を立てながら合わさり、血が逆再生でも行ったかのようにこの身に還り、空っぽの体内に内臓が構築される。
……痛みは、感じている。
皮膚が引き裂かれる感覚も、肉が爆ぜる感覚も、骨が砕ける感覚も、その全てを感じ取ることが出来る。
皮膚が繋ぎ合わさる脈動も、骨が合成される怪音も、自分という存在が、再び構築されるそのなんとも奇妙で、言葉に表せないほど不快な感覚も、たしかに存在はする。
だが、そんな不快感も、『黒の法衣』に包まれると、あっという間に何処かへ消えてしまうのだ。あの『神』から与えられた能力は、それこそ魔法のような力を秘めていた。
放物線状に放り投げられた俺は、やがて上昇をやめ、重力に引っ張られて落下を始める。
…しかしながら、どうやらあの暴力の化身は、俺が地面に到達するまでの僅かな時間でさえも待つつもりが無いらしい。
気付けば少なくとも40メートル以上は飛んでいただろう俺の目の前に、タイガー=レックスが"出現"する。
そう、その動作があまりにも早過ぎたがために、俺の目には、文字通り突如としてその場に「出現した」ようにしか見えなかった。
タイガー=レックスは空中で、その巨大なかつ凶暴な鉤爪を、腕に淡い光を宿しながら振るった。
振るったとはいうものの、あまりの速度に、俺の目ではその過程は全く視認することが出来なかった。あくまでも、予備の動作やそれによってもたらされた結果から考えて、"爪を振るったのだろう"と推測したに過ぎない。
その光を宿した鉤爪は、『黒の法衣』によってガードされた俺の身体を、防御などまるで無意味であるかのように周囲の大気諸共引き裂き、地面へと一瞬で叩き落とす。
地面へ到着する過程で身体が内部から爆発するのではというほどの衝撃に襲われたから、その速度は多分音速を超えていたのだと思う。
そんなエネルギーによって吹き飛ばされた俺は、タイガー=レックスの前脚に生えた三本の鉤爪によって四つにスライスされた状態で、地面へと衝突し小規模なクレーターを形作りながら肉片と砕け散る。
そんな状況になってなお、まだ命はおろか意識さえも失っていないという俺の身体もかなりヤバイと思うのだが、何よりもキツイのは、そんな状態になってもやはり苦痛は人並みであるということだ。
自らの肉が裂け、飛び散る感覚も、骨が砕け、消し飛ぶ感覚も、内臓が抉れ、爆ぜる感覚も、脳が溢れ、潰れる感覚も、何一つ欠けることなく感じてしまうのだ。
なのに、痛いとか苦しいとか熱いとか、そんな感情を抱く暇さえ与えられていない。
というよりは、俺の精神とか意識とかそういったものが、あまりそれを感じようとしないのだろう。
恐怖も感じるし、苦しみも感じるし、哀しみや、怒りといった感情も残っている。
だが、逆に言えばそれは、「残っている」といった程度のものであり、元の世界にいた俺の、ほんの残渣程しか存在しないのだ。
比べるべくもなく、「冷たい」。
もちろん、今の状況を元の世界の俺の豆腐な精神が味わったら、一瞬としないうちに心がけて折れていただろうから、別に取り戻したいとも思わない。
ただ、何故だかよくわからないが、「極限の戦闘が出来るように無理矢理人格を設定し直された」ように感じて、どうしようもなく腹が立つ。
本当に腹が立つよ、そんな俺も……。
戦う事を強いてくる、この環境も……。
だから、食い尽くしてやる。
何もかも。
《告、『咎人』より『暴食の神秘』が解放されました。01/22》
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