我等が女王に、跪け。 作:白蛆
でわどうぞ。
その違和感は、正直に言ってしまえば、根拠に乏しい、とても不確かなものであった。
………が、むしろそうであるからこそ、背筋を駆け抜けるような悪寒と、静謐に包まれた恐怖を、ティガレックス修羅種に齎した。
そして、その一瞬の困惑と混乱は、目の前に存在する、生命体とも言い難い「謎の物質体」の再生を許してしまうには、十分過ぎるほどの隙だった。
肉片が一箇所に集い、盛り上がり、小さな山を作る。
そうして、苦痛に悶えるかのように激しく蠢き、人の姿を形作る。
一瞬露わになる人としての姿。
それはまるで、あどけない少年のようであった。
だが、その少年の姿を見ることが出来たのは、ほんの1秒にも満たない僅かな間だけだ。
すぐにその上から赤と紫のマーブル模様の入った禍々しい黒い流動体によってその全身は覆い尽くされ、少年の姿を視認することは出来なくなる。
肉片が完全に再生を終えるまでは、数秒の時を要した。
たかが数秒。しかし、それはこの女王領域においてはあまりにも長過ぎる隙。
本来のティガレックス修羅種の能力ならば、その数秒の間に十数回は目の前の相手を消滅させることが出来た筈だ。
しかし、現実にはそうなっていない。ティガレックス修羅種がそれをしなかったから……いや、出来なかったからだ。
彼は数秒という、修羅種としては長過ぎる時間を、『何もせずに棒立ちしていた。』
それは、目の前の存在ならば例え復活しようとも簡単に消し飛ばせるという自信や、手加減などという侮りとも無縁。
それどころか、その真逆とも言える感情からくるものであった。
……恐れていたのだ。
元来絶対的な捕食者であるはずのティガレックスの、しかも女王領域の影響下において数倍から数十倍もの力を得た修羅種が、ただデタラメな再生能力を持つだけの存在に、「恐怖」を抱いていたのだ。
「〜だから怖い」とか、「〜があるから危険」とか、そういう具体的な恐怖ではない。
明確な脅威どころか、脅威である可能性すら低いにも関わらず、ゆっくりと、しかし確実にティガレックス修羅種の心を蝕む恐怖。
それは、何よりも抽象的であるが故に、何よりも強い恐怖であった。
本能が激しく警鐘を鳴らす。心の臓は爆発しそうな程に早まり、周りの全てのものに対して異様なほどに自分が小さく感じられ、不安に溺れそうになる。
だが、幸いなことに、ティガレックス修羅種にとって、恐怖というのは日常茶飯事のことであった。
だからこそ、精神の全てが恐怖に染まり切ることなく、僅かに残った冷静な部分が、そもそも何故今自分がここまで恐怖を抱いているのか、その理由を探った。
確かに、この物体の持つ、異常に高い再生能力は驚異的ではある。
だが、それは面倒に思う原因にはなれど恐怖の源とはなり得ない。
『驚異』的ではあれど、『脅威』にはなり得ないのだ。
姿は確かに異形そのものだ。見ているだけでも嫌悪感と不快感が掻き毟られる。だが、それもやはり恐怖のそれとは違う。むしろ積極的に攻撃する理由となるもの……これもやはり、恐怖とは無縁。
さっきの戦闘においても、この存在はこちらの攻撃になすすべなく一方的にやられていただけ、あるいは戦闘とすらも言い難いかも知れない。一方的な自分の蹂躙劇だった。
加えて、相手にはこちらに傷を負わせるような爪や牙もない。空を飛べるようには見えないし、ブレスを撃ってくることも無ければ、体重など測るべくも無い。
考えれば考えるほど、自分がこの存在を恐れる、その理由がわからない。
捕食者たる自分が、この地における草食種にも劣るような存在に、何を恐れることがあろうものか。
その答えに辿り着き、ティガレックス修羅種は恐怖から脱して目の前の存在に明確なる死を与えようと右後脚を踏み込んだ。
正確には、右後脚を踏み込んだ
しかし、
そこで漸く、ティガレックス修羅種は、ある疑問点に気付いた。
何故、
三本脚……?
自分が今まで女王領域で生きてきた中で、三本脚での歩行を行う生物など見たことが無い。
もちろん、中には例外が無いわけではないが、基本的に生き物の脚は二本か四本。
それは、例え女王領域であっても変わりない。
では、何故自分のみが、三本しか脚が存在しないのだ?
………その疑問に、行き着いてしまった。
パズルのピースがはまり始めた。
それはつまり、彼が目の前の存在を恐れるその理由に、気付き始めたということに他ならなかった。
"俺の、
"何故、俺の脚が、一本
ティガレックス修羅種は咄嗟に、自らの目の前を見た。
そこには、先程と全く変わらない位置で、先程と変わらない脆弱な生き物が……
–––––見通すことのできない闇へと通じる口を目一杯に開け、嘲るように嗤っていた。
暫く三人称視点が続きます。