てんせいぐらし! ~キチガイ二人は地獄を往く~ 作:青の細道
聖イシドロス大学での生活が始まった。
新しい環境と新しい仲間、変わり果ててしまった世界の中でも人と人との繋がりが増えれば心に安らぎが生まれる。巡ヶ丘での生活も苦ではなかったといえば嘘になる、私達が安心して居られたのは結局のところ……木村くんと田所くんの存在に強く依存していたからだ。
彼らは率先して危険な要因を私達から遠ざけるように立ち回り、文字通り守ってくれていた。
私達は──いや、私は何も出来なかった。
唯一の大人であり、彼ら彼女達の教師という立場でありながら私はあまりにも無力だった。
胡桃さんや美紀さんのように戦う勇気も無くて、ただただ彼らの無事を祈ることしか出来ない自分の不甲斐なさに押し潰されそうだった。
──それでいいんじゃないですか?──
そう言ってくれたのは他でもない木村くんだった。
無理をして強くあろうとする必要性はないのだと、女性なのだから自分達のような立ち回りをする必要性はないのだと、無事で居てくれればそれでいいのだと。……そう言ってくれた。
ぶっきらぼうな口調で、視線すら向けないままの言葉だったけれど……どうしようもない気持ちが溢れてくる。
私は危険に立ち向かうその背中が見えなくなってしまうのが怖かった。
教師として、こんな感情を生徒でもある歳下の男性に抱くのは絶対に間違っているしいけない事だと分かっていても……私はやっぱり、彼が好きなのだろう。
切っ掛けはただの吊り橋効果というものかもしれなかった。
命の危機に瀕している状況で、それを打ち払ってくれる異性に対して特別な気持ちを抱いてしまうのは必然なのかもしれない。
こんな時に色恋に現を抜かしている自分に呆れてしまう。そう思いながらもふと窓の外で大学生を相手にガミガミと大声で激励しながら走る彼の姿を目に捉えると、やはり頬と耳に熱が籠る。
「めぐねえ! 図書館から本借りてきたよぉ~!」
由紀さんの声に我に帰った私はいそいそと道具をまとめ、どうかしたのかと聞いてくる彼女に誤魔化すような仕草で部屋を後にした。
私は彼が好き。きっと私だけじゃないのだろう、異性として好きだと思っている子は他にもいる、本人は知らないかもしれないけれどああ見えて木村くんは田所くんと同様に昔から意外と一部の女子に人気があった。
感情を表に出さないミステリアスな風貌、誰も寄せ付けたがらないといった雰囲気を醸し出しながらそのくせ割とお人好しな一面もあり、初めて私が彼と会話を交わしたときも新人教師だった私が困っていた時に助けてくれたのが切っ掛けだったっけ。
一目見て「不良に絡まれてしまった」と泣きそうになったのをよく覚えている。でも言葉を交わして彼が優しい性格をしているのだと気付いた後は普通に接する事が出来た。同世代の子供達よりも遥かに達観した思考と意識があり、何かと相談事を持ち込んでいた。
彼以上に頼りになる人を、私は知らない。これが依存だと分かっていても……私は彼に居てほしい。
屋上で血にまみれ倒れる彼を見て冷静で要られなくなった、何かを隠すように言葉を紡ぐ彼の表情に不安があった、自己犠牲が過激になっていくのが耐えられなかった。
私達を守りたいという気持ちはとても嬉しい。でも──その代わりに貴方が傷つく姿を私はもう見たくない……我儘を言っている自覚はある。その事を伝えれば、きっと彼は困ったような顔でそれでも謝るのだろう。
そしてそんな彼を私はいつも何だかんだで容認してしまうのだ。
「おっまたせ~」
「遅れてごめんね~」
由紀さんと共に学生寮の屋上へ到着すると、そこには青襲さんや稜河原さん、グラウンドで訓練をする男子メンバーを除いた全員が集まっている。
屋上には用意されたビニールシートやレンガ、土やスコップなどの道具が集められている。
今後グラウンドの一部も農園化させる予定だけれど手始めに屋上農園から始めようと皆で決めた。
育てる作物は初心者でも育てられるというリーフレタスや二十日大根、生姜にししとうといった比較的簡単らしいものから、さつまいもや馬鈴薯。果物のラズベリーや苺なども育ててみる事にした。
さつまいもと馬鈴薯はグラウンドで栽培するつもりで少し後になるけれど。
「それじゃあ、早速始めていきましょうか」
一つ手を叩き、はーいという返事と共に皆で作業に移る。まずは肝心な農園の作成から、巡ヶ丘では最初から屋上農園が設置されていたけれど此処ではゼロから自分達で作っていかなければならない。
ただレンガで囲った所に土を入れて終わり──というわけではなくレンガの並べ方や、水などの流出を押さえるためのシートや作物用の土が必要なのだとか。農業科の生徒は居なくても、農業科は存在していたのが幸いし道具なんかは一通り揃っていた。
「どのくらいの大きさにする?」
「物で分けた方が良いよね?」
「果物用に小さいの一つと、中くらいのが三つくらい?」
「オッケー」
そんなやり取りをしながら作業を進めていく。なんて平和で穏やかな時間なのだろうか、楽しそうにしている由紀さん達と新しく仲間になった大学生さん達が和気あいあいと意見を交換している姿をいつまでも見ていたい。
こんな時代でなければ大学へ見学に来たというような感じで……。
「オラオラァ! まだたったの3キロだぞォオン!?」
赤いジャージを着た拓三が、ドラマの熱血体育教師のように竹刀を片手にバシバシと地面を叩きながら前を走る元武闘派の三人へ怒鳴り込む。
ヘロヘロと覚束ない足取りで全身から汗を滝のように流す三人。ただのランニングとはいえ本来であればこの程度でへばるほど軟弱ではないはずだ。小柄な高上ならまだしも体育会系を自称する城下までもが轟沈寸前だ。
そう、本来であれば──。
「短期間で普通のトレーニングしたってクソの役にも立たねェンだ! もっと『錘』追加されたいか!」
ジャージの上から両腕両足、腹と背中、腰などにそれぞれ300gの砂を積めた布袋を張り付け、各自手には弾倉のない銃が握られている。短時間での体力強化をするにはそれ相応にキツい訓練が必要になる。
初日は軽いトレーニングで全員の基準値を見計らい、全力で限界を見せた後に虐待同然の俺ら式ブートキャンプを開始した。もちろん長時間の過度な訓練は逆に体を壊す危険性なども考慮して一日午前と午後に3時間の6時間式。二週間でたった84時間しか無いが、あくまでこれは俺が遠征に行くためのブースト訓練であるため後は自主的に訓練すればいい。あくまで最低限とはそういう事だ。
とはいえやはり一般人の体力は俺たちと比べてあまりにも低い。
「クッソ──なんで……ゲホッ……テメェらは……平然と走ってられんっだよ……!」
嘆くように城下が叫ぶ、叫ぶ元気があるなら走れ走れと彼ら同様にジャージに布袋を張り付けた拓三が背中を押して無理矢理走らせる。とはいえ俺達の布袋は一個700g。頭護達が総重量2.1kgの砂袋+銃の錘に対して俺と拓三は4.9kgと倍以上の重量を抱えて走っている。
俺達はまだしも、一見2.1kgの錘を小分けにしたものなんて大したことがないと思われるが大きな間違いだ。まず走る度に振るう両腕や前へと進ませる足の錘が体力を徹底的に奪い、重心である体なども走る衝撃で揺れ、そのせいで重心が左右前後に傾きバランスも取れない、更に汗で湿ったジャージが更に重さを増し、消化する塩分と体力の消耗で極限状態に追い込まれる。
城下は平然と、と言うが俺達ですら割とこれを一時間以上続けるのはキツい。だが辛いからといって時間は待ってはくれないし命の危機に待ったの声は無い。感染者はもちろん俺達が疲れたところで襲うのを辞める訳がない。貧弱な己のせいで守りたいものも守れないまま死ぬのが嫌なら死ぬ気で強くなれ。
走り込みに一時間、15分の休憩を挟んだ次は全身の筋肉を鍛えるトレーニング。腹筋、背筋、腕立て伏せ、スクワットなどの筋力トレーニングに30分……もちろん砂袋付き、それが終われば今度は砂袋無しでの走り込み30分。そしてまた休憩を挟み、午前中最後は座学となる。戦闘訓練は午後のメニューになるのでその基礎知識を勉学で頭に刻み、午後に直接体へ叩き込む。
──のだが。
「死ねぇええええええ!!!」
「ふん!」
「ぶへっ──!?」
親の仇と言わんばかりの覇気で木刀片手に突進してくる城下が地面へ沈む。
パタパタと手を叩き、地面に倒れ伏す三人を見下ろす。
弱い、あまりにも弱すぎる。この程度では少数の感染者はまだしも大群相手では突破口を開くことも不可能な程に弱い。とにかく攻撃が単調すぎる、今まで意思の無い感染者を相手していたのだから当然といえば当然だが。もしも今後それら『以外』と交える事になった場合、彼らでは他のメンバーを守るのは到底不可能だ。
まぁ、それをどうにかするのが俺達の仕事なのだが、彼らにも恵飛須沢や直樹程度かそれ以上のポテンシャルを持って貰わなければ困る。
「さぁどうした。まだ一回も掠りすらしてないぞ」
溜め息を吐きながら彼らを煽るような台詞を並べ、闘志を奮い立たせる。
「クソ……一斉に掛かるぞ!」
唾を吐き立ち上がる頭護。頷きながら城下へ肩を貸す高上。少しずつだが三人に団結力が生まれている……いい傾向だ。折れそうな仲間を支え、共に立ち上がる事がチームの力になる。
どんなに辛くとも一人でないという気持ちが人間の闘争本能を揺り動かす。誰かを守りたいという気持ち同様に、仲間の存在はそれだけで心に熱い炎を灯す。
「…………」
「…………」
「…………っ!」
ジリジリと取り囲むように三人がゆっくりと俺の周りへ展開する。正面に頭護、左後ろに城下、右後ろに高上。
ごくりと生唾を飲んだ高上のそれを合図に三方向から襲いくる木刀を持った三人。
まずは正面の頭護。振り下ろされる前に距離を詰め、持ち手と片方の手を抑え腕力に物を言わせながら外側に軌道を反らし、その先にいる高上の木刀を打ち払うように接触させ、防がれた事に驚愕した隙に足で高上の足元を内側から掬い上げるように払い姿勢を崩させる。
「もらっ──」
残された城下が勝機とばかりに声を漏らすが、頭護の木刀を掴んでいた左腕を伸ばして彼の襟首を掴む。「へっ?」と間抜け面をした城下を姿勢が崩れていた高上の上にねじ伏せ、そのまま頭護を一本背負いで二人の上へ叩きつける。
へなちょこ三段重ねの完成である。
その間僅か4秒。何が起きたのかと目を見開く頭護と苦悶の表情を浮かべる城下、重いと潰れた蛙のようになっている高上。
「動きが遅い、判断が鈍い、全身に神経を張り巡らせろ。木刀を持つ相手が、木刀を持った人間がすると思われるような短絡的な行動は相手に読まれると考えろ、戦いは力だけじゃない。より強く早く頭の回転が先の先まで読み上げた者が勝つ」
貸してみろ、と高上から木刀を奪い。案山子役として立つ拓三に対して木刀を構える。至って普通な構え、両手で柄を握り腰のあたりで構える基本的な剣道の中段の構え。
「相手の意表や状況に合わせて技を変えていけ」
まずは正面に立つ感染者を想定したもの。ゆっくりと歩み寄る感染者──もとい拓三が一歩前に出た時点で素早く頭頂部へ一撃、訓練なので本気でぶつける訳ではないので寸でのところで止め、振り下ろした腕を素早く戻す。肝は相手との距離を一定に保つために一歩後ろへ下がる事。得物のリーチと相手との間合いを明確に把握するのが重要だ。とはいえこの動きは基本刀剣状の武器での話で金属バットやバールのようにトップヘビータイプではどうしても一撃からの戻しに遅れが生じる。
次にさっきよりも間合いが近く、木刀を振り上げる余裕がない場合のパターン。
構えは同じで腕を伸ばせば届くほどの距離。柄を握る手と手の間、隙間のある柄部分で顎をかち上げ口を閉じさせた瞬間に肩を相手の胸元に押し付け足の力で一気に後ろへ吹っ飛ばす。そのまま倒れたのであれば切っ先を口目掛けて付き放つ。倒れないのであれば先ほど同様に頭頂部へ一撃。
その後も複数の感染者に囲まれた状況や、仲間が今にも噛みつかれそうになっている状況などの『感染者を相手にする場合』の訓練を続けて一時間半。
後半は感染者ではなく対人戦の心得。
暴徒と化した一般市民から各種凶器を持った相手、そして銃器で武装した相手を想定した訓練。ゾンビとなった相手の訓練とは違って意思のある、敵意のある人間を相手にする状況を考えてか三人の表情が僅かに濁る。
殺される前に殺せ……なんて世紀末も甚だし事は言わないが、中途半端な覚悟で前線に立つであろう俺達の抜かりで後ろにいる仲間を失い、奪われ、蹂躙される事を望まないなら覚悟を決めろと論ずる。
何だかんだでこの三人は仲間意識が強い。てっきり城下あたりはすぐに折れてサボると思ったのだが、どうも恵飛須沢にコテンパンにされたのが悔しいらしく、女に負けるようなダサい男は嫌だと奮起する。頭護も同じく直樹に負けたのが効いたらしく元武闘派リーダーとして率先して訓練に励んでいる。
高上も他の二人と比べて体格も体力も劣っているが、それでも必死に食らいついてくるあたり肝は座っているようだ。ガールフレンドの妊娠を含めて、守られる側から守る側へと変化しようと意気込んでいる。
そんな三人だからこそ俺達は容赦も遠慮も無しに徹底的にやれる。
教える価値のある奴には教える、価値の無い者には教えない。
残り12日間でどれだけ伸びるか楽しみだ。
「足元が隙だらけだ!」
「ぐえーっ!」
「もっと腰に力を入れろ!」
「ガッハ──!?」
「腹から声出せ!」
「ギャー!」
「お疲れ様……」
夜になり、夕食を済ませ一通りの成果を全員で会議し各自就寝。全身ボロボロになった男連中は早々に床に就き、慣れない農業に勤しんでいた女子メンバーもヘトヘトになりながら部屋を後にした。
大学周辺の警備を拓三に任せ、部屋に残って今後の訓練メニューや畑に関する報告や見取り図などを纏めていると、佐倉先生が扉を開けて入ってきた。その手には二つのマグカップが握られており一つを俺の側に置く。
感謝の言葉を述べながら一口啜る。コーヒーはあまり得意ではないが集中したいときの気付け薬だと思えば何とかなる。
淡々と作業をする俺を黙って見ている佐倉先生。少しの間沈黙が続くが何となくどうかしたのかと訪ねてみる。
「どうかしました?」
「ううん。何でも」
そうですかと視線を戻して作業に戻る。
三人それぞれに均一な訓練とは別に体質や癖に合った戦い方の模索。教えるだけじゃなくて自身で考え答えを導き出せる力を付けさせるための訓練メニュー。体術やナイフ、銃器の使い方なんかも教えていかなきゃいけない。
長い静寂、コーヒーを啜る音とペンを走らせる音だけが流れて小一時間。面白味もないだろうに、何故か作業が終わるまで側にいた佐倉先生。あまりにも静かだったもんで終わったと同時に見ると完全に眠ってしまっていた。机の上に腕をおき枕代わりに寝息を立てている。
まだまだ夜は冷える。流石に風邪は引かないだろうがこのまま放置するわけにもいかない。
「よっ──」
先に扉を開け、起こさないように抱き抱える。少女漫画なんかじゃお姫様抱っこってのが乙女のロマンらしいが正直男の俺には何がいいのかわからないが……。
「…………」
安心しきったような顔で眠る佐倉先生を抱えながら女子側の寝室へと運び、佐倉先生の部屋はどこだったかと探しているとトイレから喜来センパイが出てきた。
佐倉先生を寝室へ運びたい旨を伝えるとこっちだと案内してくれ、何とかベッドへとたどり着いた。
見た目に反して割と軽かった彼女をゆっくりベッドへ下ろし布団を掛ける。
巡ヶ丘じゃ畳の上で質素な敷き布団だったがここではちゃんとしたものがあってありがたい。
「優しいね」
微笑みながらそんな事を言われ、別にそんなことはないと言いつつ照れ臭さを隠すように頬を掻く。
「ありがとう」
突然、感謝の言葉を告げられる。特に何か感謝されるようなことをした覚えの無い俺は小首を傾げる。喜来センパイは後ろ手を組んでゆっくりと歩きながら語った。
「最初、貴方たちが来て私は怖かった。人を見掛けで判断しちゃいけないって分かってても……どうしても君達の背中に昔の武闘派が重なっちゃって……力で支配されるのが嫌で、せっかくサークルに入ったのに、貴方たちが新しい統率者になってまた力の支配が始まるんだって怖かった」
「…………」
「でも違った。貴方は私達に生きる理由をくれた……ただ怯えて生きる事しか出来ない私達にも出来ることはあるんだって教えてくれた。歳下なのにすごいね」
彼女の言葉に、俺は苦笑するしかなかった。
違う、俺達は最初からこういう人間だったわけじゃない。『昔』は本当に何の価値もないような奴だった。平和が当たり前だと思い込んで長い時間を無益に過ごし怠惰に生きて、そして意味もなく死んだ。それがどういうわけか転生なんて事になってこの世界に生まれ変わっただけの存在なんだ。
今世ではまともに生きようなんて気構えもまったく生まれず、転生した世界が何なのかという興味だけで突き進み続けて今に至る。
根っからの善人なんかとは訳が違う。
だがそれを言ったところで意味はない。
意味のないこと、価値の無いことはしない主義だ。
「これ……よかったら」
どこか恥ずかしげに取り出したソレは小さな箱。
徐に開かれたそれはやがて心地よい音色を奏でる……オルゴールだった。
「壊れてたの、試しに直してみたんだ」
俺が言った「グループに置いて重要なのは、戦う戦力だけじゃない。戦えなくても別の形で何かの役に立つ人材も必要だ」という台詞を受けて自分なりにどこまで役に立てるかを考えて、腕試しに道具の修理を試してみたのだろう。ほんの些細な物だったとしても、きっと彼女にとってそれは意味はない事でも、価値の無いことでもない……自身の存在を証明する第一歩だったはずだ。
「これを……俺に?」
そういうと、喜来センパイは小さく頷いた。消灯時間が過ぎているせいで薄暗く、俯いた表情がどうなっているかは伺えない。だがわざわざ俺にくれるというのなら先ほどの感謝の意味を込めてくれた贈り物なのだろう。
オルゴールなんて持つガラじゃないがせっかくの好意を無駄に出きるほど男を腐らせている訳ではない俺は、それを受け取り少しの間……その優しい音色に耳を傾ける。
「ありがとう」
感謝をされ、そのお返しに感謝を返す。人と人との繋がりはこうした小さい事でも繋がっていく。
俺はそんな些細な人間の可能性を信じてみたいと思った。
昔は人間が嫌いだった。今でもそうかもしれない、利益のために他人を蹴落とし泥にまみれた弱者を嘲り笑う人間が嫌いだ、救いを求める手を汚らわしいと振り払うくせに善人を気取る奴が嫌いだ。何も出来ないで泣き叫ぶだけの惨めな人間が嫌いだ。
だから俺は強くなりたいと思った。
せめて手の届く範囲のほんの僅かな人数でも、自分に助けられるだけの人を助ける事が出きるのなら……。
「それじゃ、おやすみっ」
踵を返して足早に去っていくセンパイの背を眺め、もう一度オルゴールの音に耳を向ける。
金属のピンが一定間隔で弾くだけの単調な音楽、たったそれだけでも心地好さが胸に響く。
「ん~~~まぁいったねぇ」
薄暗い一室。唯一の光源であるパソコンの画面を眺めながら一人の女性は呟いた。
淡い小豆色の髪に、やや垂れ下がった目と楕円形の眼鏡をかけ口には煙草が一本咥えられていた。カタカタとキーボードを叩きながら灰の貯まった煙草を灰皿に押し付けるとすぐさま新しい煙草に火を灯す。
「なぁーんでこんなことになっちゃったかな~」
どこか楽観的なその言葉に答える者は今はいない、唯一側にいた存在は今外へと食料調達に向かっており此処には彼女しか居なかった。天井を眺め、固まった肩を解すように伸ばした彼女はやがて「ま、なんとかなるっしょ」と呟き、空に輝く月を見つめる。
「たしかに『増えすぎだよ』とは言ったけど、ここまでやれとは言ってないんだよねぇ」
溜め息を吐き、立ち上がった彼女が操作していたパソコンには長い英文と共に……大きなシンボルのようなマークが備わっていた。
赤と白のツートンカラー、傘を真上から見たようなソレは──。
「さーて、この世界はどうなるのかね~……ぷぷぷっ」
傘のようなシンボル……一体何ブレラなんだ……。
そして特徴的な笑い方をする女の存在とは!?