ロリータ・コンプレックスSS   作:茶々

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第十一話 ツンデレか

日もすっかり落ちて、提灯の灯りが祭りの風景を飾る頃になり、夏陽とかげつは進が待ち合わせ場所に指定されたというあんず飴屋の前で女バスの面々を待っていた。

何時の間にか増えた人波のざわめきと、すぐ傍の林から聞こえる虫の音をBGMに、進は傍目から見ても分かるくらいに上機嫌な様子であんず飴を咥えていた。

 

「……よくそんなに食えるな」

 

アイスキャンディー、焼きそば、たこ焼き、わたあめ、あんず飴…………既にして何種類もの食べ物を収めた、自分より少し小さい進の体躯をまじまじと見て、夏陽は呆れた様に呟いた。

 

「ん、ちゅぱ……夏陽も食べる?」

「いや……見てるだけで腹いっぱいだからいい」

「そう? 美味しいのに」

 

勿体ない、とでも言いたそうに進は再びあんず飴を咥えた。

甘味を含んだが故だろうが、上機嫌に頬を緩ませるその横顔は、年相応以上に幼く見える。

 

そんな進の顔を見る夏陽を見て、かげつの脳裏に「誘い受け」なる謎のお告げが過る。

 

と、

 

「おーいっ!」

 

祭りの雰囲気に早くも当てられたのか、普段の1,3倍程の元気を含んだ快活な声が鳥居の方から響く。

三人が視線を向けると、ひまわり柄の浴衣とフリルをあしらったミニスカート風の格好という、着る人間の気質をそのまま表した様な浴衣を着た真帆が、いの一番に手を振っていた。

その少し後ろからは淡いピンクの花柄の浴衣を着たひなた、黄色と白のチェック柄の浴衣を着た愛莉が続き、紺地に水玉をあしらった浴衣を着た紗季は何故か疲れた様子で三人の後ろからのろのろと歩いてきた。

 

進はブンブンと手を振る真帆に応える様に軽く手を上げ、ひなたの浴衣姿を見た夏陽はその余りの可愛らしさに顔を赤らめてそっぽを向いた。

 

「おまたせー、って、なんで夏陽がいるんだよ」

「ううん、僕達も今来た所。夏陽はさっき会ったから一緒にいる。何か食べる?」

 

不服そうに夏陽の方を見やった真帆は、しかし進が差しだした綿飴を見つけると一瞬で興味をそちらに移し、目をキラキラと輝かせてパクリと喰いついた。

 

「んーっ! 甘っ! ってかうまっ!」

「ぶー! まほだけズルイ! ひなも食べたいっ!」

「夏陽が持ってるよ」

「えぇっ!?」

 

いや、自分は食べるものなど何も持っていない筈。

そう思って手を見ると、其処には買った覚えのない袋があった。

 

というか、さっき進から預かった戦利品(商品券の産物)だった。

 

「おーっ! たけなか、ちょーだい?」

「え、ちょっ!?」

「ね、姉さまっ!?」

 

夏陽の手にあった袋目がけて、ひなたが夏陽に身体を寄せる。

今までにないくらいの急激な肉体的接近に、夏陽の頭は今にもフットーしちゃいそうだった。

普段、すれ違いざまにふと鼻孔を擽るものとは少し違った匂いとか、浴衣に合わせてつけてきたであろうヘアバンドとか、祭りの雰囲気云々もあるだろうが、オールウェイズ天使なひなたが最早聖天使にクラスチェンジした様であった。

 

―――ひょっとしてだけど聖天使ひなたって世界一可愛いんじゃね? 今の今まで俺は理想の女子っていうのは普通の天使なひなたの事だと思っていたけど、それはひょっとして認識ミスだったのか? 普段の天使なひなた以上って事はないにしてもそれでも今の浴衣ひなたは体操着ひなたといい勝負が出来るんじゃ……いやいや待て自分! 汗を滴らせて笑顔を輝かせる体操服ひなたと勝負出来る人類なんているわけねぇだろ!!

 

夏陽が背中に純白の羽根を生やしたひなたと体操服に身を包んだひなたの姿を脳内で想像している事など露知らず、ひなたは袋入りの練り飴を取り出すと嬉しそうに顔を綻ばせた。

 

「おー、いちご味」

「あと確か青リンゴとレモンがあったな……二人も食べなよ」

 

あんず飴を食べ終えた進が、蕩けた表情で固まっている夏陽の手にあった袋をガサガサと漁り、中からひなたが出したものと同じパッケージの袋を差し出した。

 

「え……い、いいの?」

「いいのよ。どうせ商品券で買ったものなんだし」

 

袋と進を交互に見やる愛莉の背中を押す様に紗季が言うと、キョトンとした表情でかげつが紗季に視線を向けた。

 

「えっ?」

「えっ?」

 

一瞬、双方キョトンとなる。

が、自分の発言を思い出した紗季がわたわたと手を振りながら慌てた様に捲し立てた。

 

「ち、違うからっ! ウチの商店街でフリースロー屋をやってて、それの商品がお祭りでも使える商品券だって知ってただけだから! 別に二人の後をつけていたとか、そんなんじゃないからっ!」

 

紗季、自爆す。

 

「へー、そうなんだ」

 

進は普通にそのまま納得しただけなのだが、何故かその声音は普段より棒調子に聞こえた。紗季の必死の弁明も右から左に聞き流している様子で、時折思い出したかの様に「そーなのか」と返すばかりである。

綿飴を食べ終えた真帆が練り飴を片手に持ったひなたと愛莉をつれてあんず飴を選んでいる間、必死に弁明する紗季を尻目に、進は人類の代わりとばかりに祭りのお菓子をパクパク食べていた。

 

 

 

 

 

 

「そういえば湊は?」

「さっきメールで連絡があって、長谷川さんと一緒にフリースロー屋を出た所だって」

「……へー」

 

愛莉の台詞を聞いて、あの人ホントに危機感ってものを少しは覚えろよ、と進は内心でぼやく。

 

元々は女バス五人で夏祭りに行く予定だったのだが、智花が直前になって父親に祭りに行く事を禁じられたと聞いたのはつい先程。

そして、その智花を昂がこっそり連れ出して祭りに遊びに来たと聞いたのが今。

 

「……むぅ」

 

何だか、面白くない。

別段、今更あの二人の間に割って入ろうとか、その仲を邪魔してやろうとか、そんな気持ちは進にはない。

ないのだが、智花と昂が二人だけで遊んでいるというのが、進は何となく面白くなかった。

 

昂なら、智花がバスケを出来なくなるような事はしないだろうという程度には進も信用しているし、智花にしたって、昂と一緒にいられれば幸せなんだと思う。

智花が笑っていて、昂も笑っていて―――そんな光景を幻視して、進は自分の顔が拗ねた様に歪んでいるのを感じた。

 

胸の内で、以前に抱いていた危機感とは違う、言葉にし難い変な気持ちがぐるぐると渦を巻いて締めつける様で。

 

夏陽やひなた、愛莉達と一緒に金魚すくいやチョコバナナの屋台を巡りながら、そんな気持ちを洗い流そうとラムネを一気に呷るが、

 

「っ!? けほっ、けほっ!」

「み、水崎くんっ!?」

 

むせて半分ほど吐き出してしまい、しかもそれが浴衣にひっかかり、余計いやな気持ちに陥った。

 

「あー……裾が濡れちゃった」

 

幸いというべきか、進の隣にいた愛莉の浴衣に被害はなかった。

 

「大丈夫か進?」

「進、ハンカチあるよ」

「ん、平気。ちょっとトイレの方で洗ってくる」

 

言うが早いか、進はその場から逃げる様に早足で仮設トイレのある区画の方へと向かって行った。

その小さい身体が人混みに紛れてたちまち見えなくなり、言葉をかけようとした愛莉は中途半端に伸ばした手を中空に彷徨わせたまま、進が行った方向を見つめていた。

 

「………………」

 

愛莉は、自分の浴衣を見た。

母親は満面の笑みで太鼓判を押してくれる程度には着飾ってきた浴衣姿は、他の三人には劣るにしても、それなりに可愛い、と自分では思っていた。

だが、進と一緒に先に祭りを巡っていたらしいかげつを見た途端、愛莉は自分の浴衣姿に全く自信が持てなくなった。

 

正確に云うのなら、浴衣姿で並んでいた進とかげつを見て、である。

 

「…………はぁ」

 

浴衣姿のかげつは、文句なしに美人で、凛とした佇まいといい、愛莉が理想に思う大人の女性そのものだった。自分の様な子供っぽさなど、何処にもない。

何故かひなたが同道を拒否した事で此処にはいなかったが、もし自分達と一緒に―――“進と一緒に”いれば、彼にあんな顔をさせる事はなかっただろう。

 

『……へー』

 

智花が昂と一緒にいる、と聞いた時、進は酷く不機嫌そうにそう呟いた。

傍目から見ればその微細な表情の変化を読み取る事は至難の技だったのだが、愛莉にしてみれば本当に分かり易いくらいに不機嫌そうな面持ちだった。

 

「……………………」

 

きっと、進は智花と一緒にお祭りを回りたかったのだろう。

自分“なんか”ではなく、智花と一緒に。

 

「―――ぁ」

 

そう考えた瞬間、愛莉は胸の奥がきゅぅっと締めつけられるような感覚を覚えた。

心臓を鷲掴みにされた様に、ほんの一瞬だけの息苦しさを覚え、しかし次の瞬間には耳に人混みの喧騒が戻ってくる。

 

「おー? あいり、どうしたの?」

「えっ? な、なんでもないよ?」

 

心配そうな面持ちで自分を覗き込んでくるひなたに、慌てて笑顔を作って愛莉は答えた。

 

「とりあえず、進が戻ってくるまで此処で待ってようぜ」

「おー、じゃあひな、そこのスーパーボールすくいをやりたいです」

 

目の前にあった屋台に向かうひなたと、その後を追う夏陽の背中を見て、愛莉はもう一度、進が向かった方向に視線を向けた。

 

 

 

 

 

 

で。

 

「何やっているんですか、長谷川コーチ」

「あ、あはは…………」

 

祭りを一緒に回っている最中に催してしまった智花を、お姫様だっこで仮設トイレまで運んできた昂は一仕事終えた感じで一息つくと、物凄いジト目で自分を睥睨する進とばったりエンカウントしていた。

 

「み、水崎こそどうした? みんなと一緒にお祭りに来たのか?」

「……色々あったんです。そういうコーチは何しているんですか。大声出して走ったり、見ず知らずの人の眼鏡探したり、他のひとから見ると結構変な人ですよ」

「お、俺も色々あったんだよ、色々」

 

ジッと自分を見つめる進から、昂は思わず視線を逸らす。

内心は冷や汗どころの騒ぎではない。下手すればSAN値直葬も免れない状況だという事を把握しているが故である。

 

あの夏合宿以来、久々に直接顔を合わせたのがまさかお祭りの仮設トイレの前という妙なシチュエーションなのもそうだが、そのトイレにいるのは智花なのだ。

 

『僕が好きな智花がコーチしか見ないから、嫌いです』

 

自分の好きな女の子を、自分の嫌いな男がトイレに連れて行ったなんて聞いて、嫌悪感を覚えない者がいるだろうか。いや、いない。

こんな事を知られた日には、美星のマッスルバスターと葵の真空飛び膝蹴りが炸裂する事間違い無しだ。ついでにお花畑の向こうでやたら爽やかそうな面持ちの自分そっくりの男が「俺達の幻想(ワールドイズマイン)へようこそ」なんて言っている幻覚が見え、昂はその爽やか過ぎる面に全力で右ストレートを叩き込んでそのふざけた幻想をぶち壊した。

 

いや、冷静になれ長谷川昂。

確かに小学生は残酷だ。オブラートに包むとかニュアンスに含ませるとかいう遠慮なしに、感情をストレートに表現するが故にその言葉が鋭いナイフとなって突き刺さる事もある。

 

だがしかし思い出せ。あの試合を終えた後の進の目を。あんなにも真っ直ぐできらきらとした輝きを放つ目を持つ小学生が、自分と言葉を交わしていたのだ。本当に嫌いなら言葉を交わす事さえ拒否する筈だ。つまり進が自分を心底から嫌っているという訳ではない事は確定的に明らかである。

 

そう、それ即ち―――

 

「ツンデレか……」

「えっ」

「えっ」

 

驚いた様に目を見開く進の顔に、昂は己の失策を悟る。

 

―――しまった! うっかり心の台詞が声になっていた!

 

昂と進の間の空気が凍る。

 

と、

 

「はふぅ……お待たせしました」

 

すばるのこころのきゅうせいしゅ が あらわれた!▼

 

「って、えっ!? み、水崎くんっ!?」

 

ともか は こんらん している!▼

 

―――いや、だから落ち着け俺!!

 

脳内に浮かんだやたら見覚えのあるメッセージボックスを叩き割り、昂は頭を振って気持ちを落ち着かせる。

そう、頭はクールにココロはホット。バスケの時と同じだ。常に状況を分析し、最善の一手を尽くすのみ。

 

「―――よし、水崎。みんなの所に案内してくれ」

「その前に、浴衣を洗わせて下さい」

 

…………まぁ、どうして進が此処に来たのかを失念している時点で、最善も何もないのだが。

 

 

 

 

 

 

浴衣についていた汚れを軽く洗い落とした後、進は言われた通りに昂と智花を待たせている夏陽達の所へ案内した。

道中、射的屋で苦戦している真帆の代わりに進が次々と景品を落として見せたり、負けじと再挑戦した真帆が身を乗り出し過ぎて危うくヒラヒラのミニスカートの下が昂達から覗けそうになってしまったり、謎の超理論を持ち出されて挑戦を余儀なくされた紗季につきっきりでレクチャーする昂を見て智花が妙な面持ちになったり、一瞬屋台のものではない光が人混みの中から自分達を捉えたりしたが、どうにか真帆と紗季を加えて一行は夏陽達の元へ向かった。

 

チョコバナナの屋台の前に着くと、口元にチョコをつけたままバナナを頬張るひなたと、それを保護者の様に見つめる愛莉、微妙に色気づいた目を向ける夏陽、甲斐甲斐しく世話を焼くかげつを発見した。

 

「そろそろ花火があがる時間ね」

 

携帯で時間を確認した紗季が、「絶好の見物スポットがありますよ」と一同を先導した先は、祭りの提灯が飾られていない階段を進み、本堂の脇にある林を抜けた場所だった。

 

「うわぁっ! 良い眺め」

 

街の灯りを遠くに望み、人工の光がないその場所からは、夏の夜空らしい無数の星が満天に散りばめられていた。

合宿の夜に、背中に進を背負ってみた時と同じくらいに綺麗な夜空を見て、昂は呟く。

 

「月が綺麗だな……」

「そうですね」

 

同じ様に夜空を見つめながら、智花が答える。

昂はふと、智花と視線を合わせると、どちらともなく笑顔が零れた。

 

そんな二人の姿を横目に見て、進はまた一つ、胸中に暗い何かが落ちるのを覚える。

 

――――――そんな、夏虫の鈴音より他は静寂にあった空間を、砂利を踏みしめる音と共に一つの声が切り裂いた。

 

「智花」

 

えっ、と声のした方を振り向き、智花は目を見開いて驚きを露わにした。

 

「お、お父さんっ!?」

「外出は控えろと言った筈だ」

 

有無を言わせぬ厳格な声音が、圧迫感を伴って歩み寄ってくる。

言い訳の言葉を必死に探す智花を、しかし父親なる人物は欠片も待たずにその手で智花の腕を掴んだ。

 

「帰るぞ」

「あっ―――」

 

手を引かれた瞬間、智花が昂達の方を見やった。

その表情に急かされる様に、昂が口を開く。

 

「待って下さい!」

 

―――そこから先のやり取りは、殆ど進の頭の中には入ってこなかった。

 

というよりは、入れる意味がなかった。

 

昂と智花が責任を庇い合うとか、父親との約束とか、智花の誠実さとか、仲間の大切さとか――――――そんな言葉など、進には必要なかった。

 

「―――“仲間”だと?」

 

心底から吐き気を催した様に、男は厳然たる声で言い放った。

 

「バスケをするような友達など、智花には必要ない」

「っ―――!!」

 

冷静に考えなくても分かる。

これから自分がする事は、間違っているのだろう。もしかしたら、この胸のもやもやに対するやつあたりかもしれない。バスケを見下した男への、憂さ晴らしかもしれない。

 

望まれているのが、自分ではない事など百も承知だ。

今は離ればなれになってしまっても、最後はきっと、彼女にとっての“王子様”が助けだしてくれる。感情的で、場当たり的で、幼稚で稚拙で子供っぽくて、ただ泣きわめく赤子の様に振る舞う事しか出来ない、弱くて弱くて情けない自分とは違うやり方で、彼女を助けだしてくれる。

 

冷静に考えれば、分かる事だ。

これが永遠の別れになるなんて、そんな馬鹿な話がある筈がない。

 

―――だけど、どれだけ弱くても、情けなくても、出来る事はしたかった。

 

たった一つ歯車が狂っただけで、何もかも壊れてしまった家族を知っている。

もう、見ているだけは嫌だった。何もせずに、ただ流されるままに全てを失うのも、そんな現実から目を背けて逃げ出すのも嫌だった。

大切だと思える智花の為に、何も出来ない自分が、堪らなく嫌だった。

 

『やっておけばよかった』という後悔は、もう二度と味わいたくなかった。

 

進がこれまで智花にしてやれた事は、自分勝手な忠告と、児戯の中での本気の勝負。

 

―――そして、今。

 

音もなく下駄を脱ぎ、ゆらりと、風に舞う木の葉の様に距離を詰める。体中を騒がしく駆け巡る血が音を立てて沸騰し、視界が眩むほどに頭部に血が集中する。何事かと男が目を向けるが、余りにも遅い。

 

自分勝手で、傲慢で、我儘で、鬱陶しい本能が喚く。

 

「―――しろ」

 

建前も理屈も道理も、何もかもをかなぐり捨てて手の中のブツを握る。後でひなたに謝罪と、代わりのものを用意してやらなければなるまい。

男が智花から手を離し、此方に一歩近寄った。何かを言っているが、鼓膜がそれを聞く事を拒否する。

 

「撤回、しろ……!」

 

―――この男は、智花の仲間を否定した。

―――この男は、バスケを否定した。

 

――――――違う。そんな綺麗事じゃない。

 

ただ一瞬、智花が見せたあの辛そうな表情。

あんな顔をさせる(ちちおや)に、智花を渡す事など出来ない。

 

「一体何を……」

「―――今の台詞を撤回しろって言ったんだよ、このクソジジィ!!!」

 

ビックバンの如く、一瞬にして破裂した膨大な怒気と共に進は叫ぶ。

叫ぶ声に血の臭いが混じる。必中の一撃(スーパーボール)は狙いを違わず男の眼鏡を弾き飛ばし、突然の衝撃に男は目元を覆った。

 

「むぉっ!?」

「水崎っ!?」

 

進の素足が、男の袴の上から脛を蹴りつける。痛みに身体を蹲らせるより早くその背後を取った進は、続けざまに男のひざ裏を蹴り飛ばした。

ガクリと体勢を崩した男を尻目に、進は智花の腕を取って駆け出した。

 

「走れ湊!!」

「ふぇっ!?」

 

後ろから誰かが呼びとめようとする声が聞こえる。構うものか。あんなにも辛そうな顔をしていた智花を、ただ見ている事しか出来なかった人達“なんか”に―――!

 

「ッ、アァッ!!」

 

声にならない雑音が喉から零れる。

何も考えたくない。考えられない。

 

わかるのはただ、駆け出した足はもう止まらないという事だけ。

向かうあてなどある訳もないのに、この足はもう、止まらない。

 

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