ロリータ・コンプレックスSS   作:茶々

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第十三話 たのみましょー!

 

夏休みが終わり、最初の登校日の朝。

ふと進が目を覚ますと、目覚ましが鳴るまであと五分ほど余裕があった。

 

「………………」

 

布団から上体を起こしたまま、進はぼんやりと視線を巡らせる。

昨日の内に用意しておいた鞄とその中身に心配はない。バスケ部の練習用に、体操服も既に準備してある。

 

「………………」

 

見慣れないのは、やはり机の上に置かれた一冊のノートだろう。

進の趣味には少々そぐわない、可愛らしい動物がプリントされたノートには『交換日記』の文字が綴られている。

 

―――あの夏祭りの後日、智花の父親から呼び出しを受けた進は、妙に重苦しい空気が張り詰めた古風な和室の中で、忍からそれを手渡された。

何故か忍の隣に智花も一緒に座らされ、差し出されたそれを受け取ると「まずは交換日記から始めなさい」というよくわからない言葉を賜り、よくわからないまま湊家で昼食を御馳走になり、折角だからと近くの公園で1 on 1を行った。

 

交換日記、と言われても何を書けばいいのかは良く分からず、進は母親にあれやこれやと手ほどきを受けながら定型的な挨拶文と、バスケの話題について幾つかを書き記した。

 

「……あ」

 

そういえば、と思い返す。

昨日の“あの人”の事を書いていなかった事を思い出した進は、それを書き加えようと布団から出て、

 

―――ジリリリリリリリリ!!

 

「うっさい」

 

けたたましいベルと共に定刻を告げる時計を止める為、身を翻して平手を叩き込んだ。

 

 

 

 

 

進は、“その人”に会えたのは、本当に偶然だったのかを疑っている。

 

夏休み最終日。人によっては課題の追い込みに朝から駆られる真夏の終わりに、宿題を綺麗さっぱり終えていた進は自主練に打ち込んでいた。

生憎と夏陽は妹二人の宿題の片付けに付き合わされており、ならば女バスは……と考えを巡らせた時点で、進はそれを断ち切る様に首を回して骨を鳴らした。

 

「…………」

 

夏祭りの日。

智花と共に暫くベンチにいた進は、ふと参道の方が騒がしい事に気づいた。

 

何か起きたのだろうか、と思い近寄ってみると、何処からともなく聞き慣れた声音が、やたら焦った風に誰かの名を呼んでいる。

愛莉、とそれがハッキリと聞こえた時、進と智花は反射的に、互いに自身が持てる最速のスピードで人混みを掻きわけ、数秒と間をおかずその中心に躍り出た。

 

「香椎っ!?」

「愛莉っ!!」

 

石畳の上にぐったりと横たわり、顔を青ざめさせた愛莉の姿が、そこにあった。

 

間もなく駆け付けた救急車とその後の診断で、幸いにも症状は軽いという報せを進が聞いたのは、智花の家に行った時だった。

だがやはり心の何処かでそれを引き摺っていたのだろう。結局智花との1 on 1も、普段ではありえない凡ミスを智花が連発し、小一時間足らずで進が打ち切りを進言してそのまま終わってしまったのだ。

 

以来、夏休みが終わるまで女バスの面々とは誰一人連絡を取っていない。

 

「…………っ、くそっ」

 

心のもやもやをぶつける様にボールを放るが、ガコン、と音を立ててボールはあらぬ方向へ転がって行く。

取りに行こうと足先を向けた矢先、

 

「―――Hey, boy(おい、ボーズ)

 

やたらでっかい人影が現れた。

視線を向け、進は両目と口で三つの丸を作って吃驚した。

 

声の主は女性だった。背中にたゆたう金髪と、日本人とは思えぬ程に流暢な英語が外国人である事を雄弁に語っている。街を歩けば誰もが振り返るであろう抜群のスタイルをタンクトップとジーパンというラフな装いで包んでいるが、汗を滴らせる肌のお陰で却って男を刺激する挑発的な姿に見える。

最も、進が驚愕したのは今にもタンクトップを引き千切って飛び出しそうな程に豊満な女性の胸を仰ぎ見たからではなく、その上にある顔を見たからである。

 

第一印象は、物凄い美人。

次いで記憶の淵から一瞬で蘇ってきた、あるバスケットボール選手の面貌。

 

「……アレクサンドラ、ガルシア?」

 

ご名答、とでも言いたげににんまり笑う女性を暫し凝視。直後、進は、知己の誰一人として聞いた事がないであろう程に驚きに満ちた声を張り上げた。

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

慧心へ向かうバスの中で、周囲が久しぶりの再会に賑わっているのを余所に、進は彼女の事を思い出していた。

相手は正真正銘のプロ、しかもWNBAでも活躍し、日本でも名前の知られた名選手なのだ。当然進は混乱の極致に達し、気が付くとアレックス――彼女が「そう呼べ」というのでそう呼ぶ事にした――はいなくなっていて、ひょっとしたらあれは夢だったのではなかろうかと進は考えた。

 

しかし何時の間にかアレックスのサインが書き込まれたボールとシャツを持ち、全身を襲う凄まじい疲労感が、彼女との1 on 1が現実であった事を何よりも雄弁に物語っており、あれが夢や空想ではないという事を示していた。

少し前に引退を表明して以来表舞台から姿を消していた彼女がどうして―――と考える暇も惜しく、進はそのまま家まで全速力で帰宅すると、汗を拭くのもそこそこに課題の日記帳にその事を克明に書き記した。

 

興奮のあまり、担任のコメント欄までびっしりとその事を書き記していた事に進が気づいたのは、夕方になって母親が「夕飯が出来たわよー」と進を呼びに来た時だった。

だが、夕食もろくすっぽ手をつけず、今度は先程の1 on 1の事を思い出し、そうだ練習しなきゃと思い立った進は近場のコートでドリブルやらフェイントやらの反復練習を繰り返した。

 

結局、十時にさしかかろうという頃になって母親が呼びに来て、風呂に入ると汗と共に疲れがどっと溢れ、風呂を出てから十分足らずで進は泥の様に眠りについた。

 

 

 

それが、ほんの十数時間前の話である。

一晩寝て、起きて、そうして昨日の記憶に整理がつくと、今度は疑問が浮かんできた。

 

―――何故彼女は、あそこにいたのだろうか?

 

「……ん? おーい、進」

 

観光旅行? だったらもっと相応の場所があるだろう。

友人がいた? 可能性としてはなくはない。しかしそれなら、一人で街に出ていた理由が分からない。

 

「……? 進? おーい」

 

其処にバスケットコートがあったから? …………うん、可能性としては一番高い。何しろ相手もバスケットボール選手だ。偶々見つけたバスケットコートに、ふらりと立ち寄る事だってあるだろう。

誰だってそうなる。自分だってそうなる。

 

「―――おい、進!」

「……ん?」

 

ふと声のした方を向くと、妙に声を張り上げた夏陽が自分の方を見ていた。

 

「ああ、夏陽。久しぶり」

「…………はぁ」

 

答えたら何故かため息をつかれた。

頭上に疑問符を浮かべる進を余所に、夏陽は「よっこらせ」と隣に座った。

 

そしてバスは再び、学校へ向かって走り出す。

 

 

 

 

 

教室のドアを開けると、制服を着ての再会は久しぶりとなる“四人”が進と夏陽の姿を見止めた。

進は一瞬立ち止まり、殆ど無意識の内にクラスの中と鞄の有無を確認して口を開く。

 

「香椎は休んでいるの?」

「うん……」

 

頷きながら、智花は自分の後ろの空席に視線をやった。

普段であれば其処にいる少女―――愛莉は、しかし夏休み明け最初の登校日たる今朝、その姿はなかった。

 

「この間の夏祭りの事もあるし、今日は大事をとって……って事でしょう」

「あたしらは今日の放課後にアイリーンのお見舞い行くけど、すっちーも来る?」

 

安心させる様に言う紗季に続けて真帆が問うと、進は首を横に振って鞄を置いた。

 

「来月には冬期予選が始まるし、今日から練習再開するから。僕の分もよろしく」

「おー、がってんっ」

 

進が言うと、ひょいと拳を上げてひなたが応えた。

 

「ねーねー、お見舞いだし、何か買って行った方がいいかな?」

「そうね……お見舞いの定番って言うと、ゼリーか果物だけど……」

「おー、じゃあひなは、いちごが良いと思います。たけなかは?」

「うぇっ!? お、俺っ!?」

 

唐突に話題を振られ、しどろもどろになりながらもあれこれ考える夏陽を巻き込んで四人がわいわい話しているのを余所に、進は智花にノートを手渡した。

 

「湊、これ」

「あ、うん。有難う」

 

受け取った智花は何の気なしにその場でノートの中身を軽く確認すると、感嘆した様に声を上げた。

 

「凄い……こんなに沢山書いてくれたんだ」

「殆どバスケの事だけだけどね」

 

更に詳しく言えば、バスケの練習メニューに纏わるエトセトラが主な内容である。

新から与えられたメニューを参考に、智花の持ち味であるスピードや瞬発力を鍛える上で使えそうなものをいくつか列挙し、誰々の動きが参考になる等の細かい箇所まで記述は及んでいる。

その中には、以前智花が一度だけ見様見真似で――そして、夏休みの練習試合でもぶっつけ本番で――使った消失行動(インビシブル・ドライブ)の練習方法も書かれており、それを見つけた瞬間智花は弾かれた様にノートから視線を外し、丸くした目を進に向けた。

 

その顔に、進は少しだけ笑みを浮かべた後、自分の口元に人差し指を立てて軽く当てた。

 

―――大変だけど、頑張って。

 

意図を図りかねている智花に言外にそう言って、進は四人の話し合いに加わった。

 

 

 

 

 

 

「水崎っ!」

 

放課後、女子バスケットボール部が部活を休むという事で、男子バスケットボール部は午後から夕方までの練習時間を体育館での活動に割り当てた。

八月の初頭にあった練習試合では順当に勝利を収め、九月から始まる秋の新人戦、そして十月から始まる冬季大会の予選に向けて、最近では五年生以下のチームと六年生のチームに分かれた紅白戦を中心に練習を行っていた。

 

「ダブルチームだ! パスコースを塞げ!」

 

転校してから三カ月近くが経過した事もあり、この頃になると進を一対一で止められる部員は夏陽以外にはまずいない事が部内の周知の事実となりつつあった。自然、数的優位でプレッシャーをかけて止めるより他に選択肢は存在しない。

 

「ん」

 

だが、いくら体格的に遜色がなかろうと、ただパスコースを塞ぐだけではディフェンスの意味はない。

 

――キュ、キキィッ

 

「えっ!?」

「なぁっ!?」

 

上体を揺らし、フットワークで翻弄し、まんまとつられたディフェンス二人が体勢を崩したタイミングで進はあっさりと抜き去りゴールに駆ける。

最後の砦とばかりに立ちはだかったのは、五年生の中でも一番背の高いセンターの山下。

 

「っ、と」

 

一拍置く様に、進は先程までのコートの様子から敵味方の大体の位置を把握する。

 

―――夏陽にはマークが一人。戸嶋と深田がフリーだけど、シュートが外れてリバウンドになると少し大変かな。

 

―――というか。

 

「棒立ち」

「へぁっ!?」

 

止まった瞬間を射抜く様にボールを股抜きし、長身の相手をあっさりと突破する。

決して棒立ちしていた訳ではなく、数瞬足が止まっただけだったのだが、それすらも今の進には大きな隙だった。

 

呆気にとられる山下を余所に、無人のゴールエリアへと進は悠々と跳躍し、

 

「よっ」

 

―――パサッ

 

一試合五分のミニゲーム、三試合で計二十本目のゴールがネットを揺らした。

 

 

 

「すっげー…………」

「ほんと、やっぱ水崎はすげーよな」

 

給水時間になると、進の周りには人だかりが出来ていた。

 

「あの、水崎先輩っ! さっきの試合なんですけど―――」

「水崎先輩っ! もっかいシュート見せて下さい!」

 

同学年からは今更のようにそのスキルを称賛され、そして最近になって漸く懐いてきたらしい下級生はアドバイスを求めてわらわらと進の周りに集まってくる。

下級生からの問いの一つ一つに丁寧に答える進の姿を遠目に見ながら、夏陽はドリンクを傾けつつ進に視線を向ける。

 

「………………」

 

以前の進であれば、部内では自分以外の誰かと話している姿など殆ど見受けなかったというのに、何故か此処最近、妙に下級生が「水崎先輩」と進を呼び慕う様になってきた。

確かに近隣の小学校が複数集まって行われた練習試合ではぶっちぎりの最多得点記録を叩きだしていたし、幾つかのパターンを試す為に夏陽の代わりにキャプテンマークを背負って進が挑んだ試合でも、自身のプレイで周囲を引っ張るという事をやってのけた。

 

元々、バスケに対して真摯に打ち込む相手には何かとお節介に近い世話を焼くタイプだったらしく、気づくと他校のエース格ともかなり打ち解けていた様な光景がそういえばあったな、と夏陽は今更の様に思い出した。

 

「………………」

 

夏陽は、後輩に囲まれる進を改めて見やる。

 

「“なんだよ……進と一番最初に仲良くなったのは俺なのに……”」

「“こんな風に、胸が苦しくなるなんて……一体俺は、どうしちまったんだ”って、痛い痛い痛いっ!!」

 

変なモノローグを入れてきた戸嶋と和久井の頭をがっしと掴んでぐりんぐりんと回しながら、夏陽は憮然とした表情でため息をついた。

 

「何してんだよ、お前等は」

「いや、竹中の気持ちの代弁?」

 

もう一回二人の頭を鷲掴み、ぐりんぐりんといつもより多く回しておいた。

 

と、

 

「たのみましょー!」

 

流暢な発音で妙に拙い日本語が入口から飛び込んできた。

 

 

 

 

 

 

「数的不利な状況で囲まれた時どうすればいいか」という問いに対して、身振り手振りや感覚的な擬音を交えながら説明していた進の耳朶を打った声に、体育館の中にいた男バス部員は誰もが視線を向け、そして言葉を失った。

 

其処にいたのが、普段あまり接点のないかげつだったから―――ではなく、その隣にいるもう一人の少女に目を奪われたからだ。

腰まであろうかという程に長い銀髪は、一本一本が照明の光を浴びてキラキラと光り輝き、意思の強そうな双眸はアクアマリンの宝石を填め込んだ様に美しい。スッと通った目鼻立ちは凡そ日本人離れしており、やや後ろに立つかげつと並ぶと、彼女の実姉であるひなたと同じくらいの背丈だというのにやや大人びて見える。

夏陽や進の影響で、少なからず接点のある女バスの面々にすっかり見慣れてしまい忘れていたが、彼女達も相当に容姿が整っている事を今更の様に思い出し、次いで入口で何故かかげつを従えて仁王立ちする少女もまた目の覚める様な美少女である事を目視し―――と、思い出した様に誰かが呟いた。

 

「……あれ、誰だ?」

 

かげつが一緒にいるという事は五年生なのだろう、と当たりをつけ、しかし五年生の部員の反応が鈍い事から見覚えがないらしいと推察した夏陽は、仕方なしに部を代表して歩み寄る。

 

その夏陽越しに少女を確認した進は、彼女が着ているユニフォームを見て軽く目を見開いた。

 

「……代表のユニフォーム……フランス?」

 

何処かで聞いた覚えがある様な……と、思考を巡らせる進の耳に、再び意思の強そうな声が飛び込んできた。

 

「バスケ部は私がいただきます。キャプテン、私とショーブっ!!」

 

―――なにそれこわい

 

夏陽をビシッと指さしながら、西洋人形の様に整った顔立ちで「むんっ」と構える少女に、進は奇妙な既視感を覚える。

 

まるで、毎日鏡で顔を合わせている誰かさんの様なバスケ脳をしている気がしてならなかった。

 

 

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