香椎愛莉にとって、水崎進とはどんな少年か。
直接的なようであって、哲学的にも捉えられる命題に対し、しかし愛莉は暫しキョトンとした後、顔を赤らめてわぁわぁと慌て、閉口するより他に術を持たなかった。
春先の出会いから夏休み明けの今日に至るまでの日々を思い返し、果たして何処に顔を赤らめる要素があったのかは少女自身を以てしても分からない。
分からないのだが。
「……すすむ、くん」
彼の事を考えると、体中の血液が沸騰した様に顔が赤くなる。
自分以外の女の子と仲良くしていると、何故かもやもやとする。
直接顔を合わせるのはとても恥ずかしいけど、もっと近くにいたい。
「ん…………ぁ……」
早鐘を打つような自分の鼓動に、愛莉はその答えを求めた。
授業中、何気なく彼に目が行ってしまう。
自主練のランニング途中で、偶然出会わないかとコースを変えてしまう。
物語の中に出てくる恋愛譚で、ベッドに潜り込みたくなるような想像をしてしまう。
「あぅ…………」
そんな、自分でもおかしいと感じてしまう行為やら何やらの答えを出すに、彼女は純朴にして純粋が過ぎた。
彼と彼女をよく知る人間にしてみれば、その答えには何となく辿りつきそうではあるが、今の彼女には“それ”が正解だとは断定できなかった。
故にその答えを導く手助けとして、とあるミニスカ和装少女の言葉を借りよう。
『人を好きになるのは犬が吠えるくらい当たり前の事なんだから、そんなに思い悩む事なんてないんだよ?』
生物的な遺伝子の働き故か、思春期を間もなくに控えて、体格同様に早熟した精神故か。
或いは、未だ恋や愛の分別もつかぬ純粋さ故か。
「……わたし」
同じバスケ部の“友達”に抱くそれより強い、もっと近くにいたいという感情。
余りの恥ずかしさに卒倒してしまいそうだが、それでも手を繋いだり、腕を組んでみたいという衝動。
そうしたものが、単なる“異性の友達”に向けられる様なものである筈がない。
「わたし、は……」
―――進くんの事が、好きなんだ。
「~~~~~~~っ!?」
途端、ボフンと幻聴が聞こえるくらいに顔を真っ赤にした愛莉は枕に顔を埋めた。ぐりぐりと頭を擦りつけ、掛け布団を蹴飛ばして足をバタバタとさせて、やり場のない感情の爆発を霧散させようとする。
一度自覚してしまえば、最早それは即効性の劇薬よりも尚過激に愛莉の全身を蝕んだ。
鼓動は鳴りやまず、愛莉の頭をガンガンと揺らす。頭の中を駆け巡る妄想の数々を必死に打ち消しながら、しかし次から次へと泡沫の様に浮かんでくる想像に愛莉の顔はだらしなくへにゃりと歪んだ。
マタタビを嗅ぎすぎた猫の様にしまりのない顔をどうにか治そうとして、けれど結局治らないまま愛莉はごろんと仰向けに寝転がる。
「……どうしよう」
額に手を乗せながら、自問する。
――――――水崎くんの顔、絶対に見れない。
自覚してしまえば、心の中での名前呼びすら出来ない自分が、もし直接顔を合わせたらどうなってしまうのか。
逸る鼓動を抑えながら、結局愛莉はそのまま三十分以上後に目覚ましが鳴り響くまで、何も出来ないままに天井を眺めていた。
◆
さて。
そんな心境の変化を迎えた直後の少女の変容ぶりに、しかし気が付いたのは意外にも紗季一人だった。
といっても、普段から愛莉が話す相手は女子バスケ部の四人が主であり、後は男女を問わず、係当番等がなければクラスで話す相手はほとんどいない。
その四人にしても、紗季を除いた三人は昨日学校を休んだ事についての話題にかかりっきりで、愛莉の微細な変化に気づいた様子はなかった、と紗季は見ている。
…………いや、そう言えば愛莉がふと“彼”の方を見た時、ひなたが一瞬怪訝そうな顔をしていたが、あれは見間違いだろうか。真帆が能天気に「どったのアイリーン?」と首を傾げた時にも、取り立てて追求する様な事はしなかったが。
ともかく、愛莉は挙動不審だった。
夏休み前からちょくちょくそんな事はあったのだが、今日一日は特に酷かった。
授業中、ノートを取るのもそこそこに“彼”の方を見る。後になって虫食いの様に書き損じの多いノートを見て、今更の様に呆然としていたので今度見せてあげよう。
休み時間、“彼”が廊下に出ると何かと理由をつけて後を追う。水を飲みに行くとか手を洗いに行くならまだしも、隠れて様子を窺っているのはどうかと遠目に思った。
昼食時、座席一つ分“彼”に近い席に座る。この時は真帆がこれまた能天気に「お、今日は座席シャッフルすっか!?」とはしゃいでいたので特に怪しまれる事はなかった。
「…………え、そうだっけ?」
だというのに、その原因たる“彼”―――進は、その指摘を受けても初めて知った様にキョトンとした顔を見せた。
「そうだっけ……って、アンタあれだけあからさまだったのに気づかなかった訳?」
「いや、特に」
「はぁ?」
紗季が片方の眉を吊り上げると、進は思い返す様に口を閉じた。
しかしそう間をおかずに、小首を傾げて見せた。
「何か相談でもあるのかな、バスケの事とか」
「………………」
思わず言葉を失う。
いや、確かに可能性としてはなくもない。ある程度自信をつけてきたとはいえ、未だに昂とマンツーマンで話すだけの度胸がついたかと言えばそうでもないし、同じ部活で一番の実力者でも、智花は指導が少々極端な所があって指導に向いているかと言えば全肯定はし辛い。
だが、だ。
智花に輪をかけて指導がぶっ飛んでいる彼の口から相談、というワードが出てくるとは。
いや、そこじゃない。
「どう、かしらね……もしかしたら、バスケ以外の事かもしれないわよ?」
「いや、だったら長谷川コーチとか永塚に相談するだろ」
間髪いれずに返された。
何だそれは。いや確かに彼女の知己でそういった相談事を受けられそうな面子といえば自分か昂くらいしかいないといえばいないが。
信頼の現れか。
それともアレか。昨今のライトノベルでヒロインズの一角が初期装備している永久凍土に訪れる小春日和的なアレか。アレなのか。
はぁ、とため息が洩れた。
分かっていた事ではあったが、やはりこの手段しかあるまい。
「ねぇ、水崎」
「なに?」
「アンタさ、愛莉の事、どう思ってる?」
紗季の言葉に、しかし進は小首を傾げて問い返した。
「どう、って?」
だが紗季はその問いには答えず、ただ真っ直ぐに進を見つめて、自分で考える様にと無言の内に促した。
進は少し憮然となりながらも、紗季の言葉を噛み砕く様に押し黙って考えに耽る。
水崎進にとって、香椎愛莉とはどんな少女なのか。
ややあって、部活動開始時刻を告げるチャイムが遠くから響く。
体育館の方に半身を向けながら、紗季は答えを出せずにいる進に言った。
「それ、宿題だから。ちゃんと考えておきなさいよ」
◆
考えておけ、と云われた所で、進にはそもそも紗季がどうしてこんな事を聞いてきたのかが分からなかった。
あるバスケ仲間の事を指して「この人の事をどう思う?」と問われても、答えようがない。仮に夏陽の事を聞かれたとしても“親友”以外に答えられないし、智花の事を聞かれても、気持ちに整理をつけた今は精々が“ライバル”というくらいだ。
ましてや愛莉の事を「どう思う?」と聞かれても、進には閉口するより他にない。
六年生チームとの試合に向けて猛特訓に励む五年生と、その指導にあたる夏陽をぼんやりと眺めながら、進は思い返していた。
第一印象は、「大きいくせにおどおどしている」という程度だった。あの頃は自分も相当ピリピリしていた時期だからそうさせたというのもあるかもしれないが、進から見れば彼女はいつもその大きな身体を必死に縮めて、誰かの陰に隠れるように行動する事が殆どだった様に見えた。
バスケの技術は、正直視界にいれるまでもないものだった。智花の存在もあり、愛莉に目を向ける事は少なかったと言っていい。
切欠、という程でもないかもしれないが。
何かが変わったのでは、と考えられる事が一つある。
『こ、これ! よかったらどうぞ!』
夏季予選会の時、そんな台詞と共に愛莉がバスケットを差し出した事があった。
あの時はおにぎりに奪われた水分を補給する為に水を飲んでおり、また横からサンドイッチを掻っ攫って行った美星の存在もあり、結局食べられなかったのだが。
「…………」
今にして考えてみれば、妙だ。
あの時は別段、取り立てて仲が良いという程の関係ではなかった。いや、別に今が取り立てる程に仲が良いという事もないのだが。
例え“応援”という目的があったにせよ、それ程親しくもない相手に態々昼食を持ってくるだろうか?
「どうした、進?」
「んー…………?」
指導を終えたらしい夏陽が、ドリンクを片手に進の隣に腰を下ろした。
見れば、指導を受けていた五年生の女子五人――夏陽が連れてきた藤井雅美という少女を含め――が、思い思いに木陰に腰をおろしてドリンクを飲み、汗を拭いている。
と、夏陽の顔を見た進に一抹の天啓が奔る。
「夏陽はさ、ひなたの事どう思ってる?」
途端、夏陽の口からスポーツドリンクが消防車の放水の如く噴き出された。
やや遠くにいた五年生達も、突然過ぎる先輩の狼藉に驚きを露わにしているが、聞かれた張本人である所の夏陽はそれどころではない。
「なっ、にゃ、がっ、なぁっ!?」
首から上を茹でダコの様に真っ赤にして、意味の通らぬ雑音を口から零し、運動で流した健全な汗とは一線を画す奇妙な汗を垂れ流し、怒涛の勢いで駆け巡る脳内の語句をどうにか意味の繋がる文章へ直そうとする。
「ど、どうって、お前……!」
―――なんでそんな事聞くんだよもしかして進もひなたの事を好きになったのかいややっぱひなた天使だししょうがねえよなそりゃあの可愛さに中てられたら誰だってそうなる俺だってそうなったうんしょうがないこれは自然の摂理なんだ絶対不可避の運命論なんだ!!
……と、赤裸々に胸中をぶちまけられる程には夏陽の理性もぶっ飛んではいなかった。
「な、なんでそんな事、聞くんだ……?」
多少どもりながらも、夏陽は一大決心を胸にそう返した。
返答によっては、今後最大最強とも云えるライバルの出現というターニングポイント。何時か見た悪夢を現実の物とされてしまうのか……と、心中穏やかならぬ夏陽を余所に、進は何処かぼんやりとした目を虚空に向けながら、独り言のように呟いた。
「誰かを好きになるって、どういう事なんだろう、って思って」
残暑の熱を忘れさせる様な呟きが、蝉の声と共に夏陽の耳朶を打った。
◆
あけて、金曜日の放課後。
体育館の使用をかけた、六年生チームと五年生チームの試合当日である。
「竹中先輩、作戦はどうしますか?」
自信や適度な緊張に満ちた面持ちの四人を余所に、一人何処か不安げなかげつが夏陽に尋ねてきた。
「作戦、ね……進、どうする?」
「作戦も何もないと思うよ」
「ちょ、ええっ!?」
「そりゃないよっ!」
目もくれずに即答した進に、すかさず椿と柊が抗議の声を上げた。
だがそんな声は何処吹く風とばかりに、進は淡々と言葉を重ねた。
「チームワークっていうのは、一日二日でどうにかなるものじゃないよ。変に意識するくらいなら、最初っから考えない方がいい」
「でも、それだと勝てないんじゃ……」
「Non、ワタクシが頑張ります」
不安げに呟いたかげつに、ミミが自信に満ちた声をかけた。
「まぁそれが一番正解に近いんだが……この場合は五十点、かな」
吐息と共に夏陽がそう呟くと、少しだけ視線を鋭くしたミミが夏陽を見やった。
「ワタクシでは、力不足ですか」
「そうじゃなくて、ミミが一人で頑張ってもダメっていう事。みんなが頑張らないと」
「みんなで……?」
「頑張る……?」
椿と柊が揃って小首を傾げると、進は「うん」と頷いて五人の視線を集める様に立ち上がった。
「ハッキリ言えば、“チーム”としての完成度は向こうがずっと上……というか、そもそも比べようがないって感じ。だけど“選手”としての今の実力が劣っているかと言えば、そんな事はないよ」
この数日間の特訓を思い起こさせる様な台詞に、ミミ以外の面々が顔を引き攣らせた。
個人としての技量は、六年生チーム最大戦力たる智花にひけを取らない進、更に男バスキャプテンである夏陽という、今の彼女達にしてみれば悪夢の様なタッグを向こうに回した少数での局面的な練習。
進との直接対決がなかったかげつや、その実力を知らなかった雅美は元より、椿や柊、ミミまでもが、最初はまるで太刀打ちできなかった。
だが時間を経て、練習を積み重ねて……今朝は遂に、五対二という状況ではあったが、彼らの攻撃を防ぎきるまでに至った。
「ボールを奪われたって良い、ディフェンスを抜かれたって良い―――――自分に有利な状況を作って、相手にシュートを打たせなければ、みんなは負けないよ」
力強く言い放たれた言葉に、全員が意表を突かれた様にキョトンとした顔を見せ―――次の瞬間には、誰もが力強く表情を引き締めた。
「
「勿論! なにせ今日の私達は!」
「アシュラすら凌駕する存在だ!」
「例え姉様が相手でも……いいえ、だからこそ、全力で行きます!」
「コート上のどこからだって、狙い打ってあげるんだから……!」
気合十分な面々に向かって、夏陽が大きく手を打った。
「暴れてこいよ、
「「「「「はいっ!!」」」」」