小生意気な小学生、というのは、水崎進の自分自身に対する率直な感想である。
年不相応に知った風な口をきいて、良く分かりもしない見聞きしただけの言葉を使って本心を誤魔化し、自分にも他人にもある程度の距離をとる。
そうして、それでも尚自分にお節介を焼いてくる様なモノ好きに対してのみ、初めて自分を少しだけ見せる。最も、殆どは初対面の時の印象からとっつきづらそうな人間である進を避けるから、そんなモノ好きは芝浦小時代から皆無に等しかった。
だからこそ、進にとってバスケはそれこそ学校生活の全てと言っても過言ではなかった。
バスケが好きで堪らない。どんどん上手くなっていく自分よりも、どんどん強くなっていく自分よりも、何よりも、バスケと触れている時間の全てが大切で、とても楽しかった。
―――だから、全てが狂い出したのは、きっと“あの”試合だと。進は今でもその光景を鮮明に思い起こせる。
負けた事よりも、何よりも印象に残った相手チームの選手。
背番号4をつけ、色素の薄い左目に自分を映した、一人の少年。
「…………む、すす…………」
“あれ”は、“違う”のだ。
今まで、バスケが上手い選手には例外なく人懐っこく話しかけられた自分が、心の底から接触を拒む程に。
あの男だけは“違う”。
今も尚、その認識は変わっていない。
「すす…………い、す……む……」
あの試合を経て、自分達の中で何かが狂いだした。
兄の幻影を重く感じる様になったのも、丁度あの頃からだっただろうか。
「―――おい、進」
「…………ん?」
ふと、誰かに呼びかけられた気がして進が横を見やると、そこには何故か若干疲れた様な表情を浮かべている夏陽の姿があった。
「どうしたの? 夏陽」
「どうしたの? じゃねぇだろ……何回呼びかけても返事しないから、むしろこっちがどうしたと聞きてぇよ」
呆れた様に溜息をつく夏陽。と、その隣からひょいと顔を後部座席に覗かせたひなたが小首を傾げた。
「おー? すすむ、また酔った? アメさん、舐める?」
「ん……いや、大丈夫だよ。ひなた」
幾度かの休憩を挟み、漸く調子も回復した進は、ひなたの申し出をやんわりと断る。
シートに身体をゆったりと預ける様にしながら軽く手を振ると、「おー」といつもの口癖を発しながらひなたは席に座り直した。
「…………何時の間に名前で呼び合う仲に……!? くっ、やはり最大の敵は進だったのか……!」
「落ち着きなさい夏陽、まだチャンスはあるわ! さぁ、もっとひなに近づいて!!」
ひなたの隣の紗季と小声で何かを話し合いながら、夏陽も改めて着席する。
と、進が窓の外に視線を移すと、そこには何処までも広がる青青とした海と、綿あめの様な雲が浮かぶ空のコントラストがあった。
「おー! 海だー!」
いの一番に声を上げたのは、やはりというか何と言うか、窓側に座っていたひなただった。
その声につられる様に夏陽や紗季、それに智花や昂も次々と窓側に視線を向けたり、或いは窓側に身体を寄せようとする。
むにゅっ
「ん?」
ふと、窓の方を向いていた進は、何かが肩というか背中に当たる様な感触を覚えた。
何か、と思って振りむこうとした時、思わず進は息を呑んだ。
「うわぁ…………綺麗……」
夢中になって窓の向こう側に広がる景色を見つめる愛莉の顔が、直ぐ真横にあったのである。
吐息が感じられる程直ぐ傍にいる愛莉は、そんな進の様子に気づく事もなく海を見つめている。
数瞬、進は我を忘れて愛莉を見つめていた事に気づき、視線を窓に戻しながら告げた。
「香椎、詰め過ぎ」
「えっ? あ、ご、ごめんね!?」
「……そんなに海が見たいなら席変わるから、ちょっと待って」
慌てて引っ込もうとした愛莉を制しながら、進は身体をずらして愛莉と座席の位置を交換した。短く礼を述べて再び海を見つめだした愛莉の後ろ姿を一瞥し、進は視線を進行方向に移した。
「―――ッ!?」
と、何故か海ではなく自分と愛莉の座る後部座席の方を見ていた智花が、慌てて視線を自身の目の前にある助手席の方に向けた。
「湊、どうかしたの?」
「な、なんでもないよ! うん! なんでもないよ!」
どうして二回言ったの? それって大事な事なの?
……と、進は特に言及する事もなく、ぼんやりと視線を窓の外に移した。
「―――あ」
住宅や商店が立ち並ぶ、普段見慣れた通りとはまた違った様相を見せる道路の一角に見つけた“それ”は、しかし当然の事ながら車が止まる筈も無く一瞬で通り過ぎていく。
だが、真帆の別荘に着いてからも、進の瞼の裏にはその光景が色鮮やかに残っていた。
◆
別荘で出迎えた真帆の提案で、先ずは別荘裏手のプライベートビーチで遊ぼうという話になり、それぞれが水着を持って更衣室へと入っていった。
「ストリートバスケ?」
「さっきやっている所が車から見えたんだ」
真帆達が騒ぎ出す前に美星に首根っこを掴まれた昂が連れ去られていくのを一瞥してから着替えている最中、夏陽の問いに進が返した。
「コートが三つくらいあって、人が沢山集まってて……あ、確か同い年ぐらいの子もいたと思うよ」
「よく見えたな……」
制限速度を二十キロ程オーバーして中々の速度が出ていた車の中から其処まで識別出来るとは……と、改めて小学生とは思えない程のスペックを持つ友人に内心で呆れながら夏陽は上着を脱いだ。
「で、後で行こうってか?」
「うん。駄目かな?」
「いいんじゃねぇの、どうせずっと泳いでいる訳にもいかないだろうし」
夏陽の言葉に、嬉しいのか進は破顔して喜びを露わにした。
その様子を横目に見やりながら、夏陽は思う。
(コイツ、ほんっと変わったよなぁ……)
転校したての頃は、誰彼構わず斜に構えて接したり、バスケの事で口論したりしながらも何処か無表情無感動で、かと思ったら雨に降られながら泣いていたり、試合中に激昂したり……あれ? 結構感情的だったか?
兎も角、こうして年相応に喜んだりしている所は殆ど見た覚えがなく、夏陽としては結構新鮮だった。
「どうせだし、後でみんなを誘って行こうぜ。あの変態野郎が“おかしな事”をしない様に……」
と、言いかけた所で慌てて夏陽は言葉をひっこめた。
見やるまでもなく、進が息を呑む様な音が聞こえたからである。
「ほ、ほら行こうぜ! みんなを待たせたら悪いし、な?」
「……うん、そうだね!」
夏陽の言葉に、進も僅かに硬いながらも笑顔を浮かべて応えた。
水崎新の話は、数日前の買い物の折に進の口から直接聞いていた。
バスケの先生である事、憧れや目標である事―――そして、あの“事件”の事。
智花たち女バスの面々にはまだ伝えていない様だったので、態々伝える事もないと夏陽は進に釘を刺しておいた。
伝える様な事ではないし、伝えた所で進本人がどうこうしたという話でもないのだから、余計な気遣いをさせる分、双方共に無駄なしこりが残るだけなのだ。
だが、幾ら全てを話した間柄とはいえ、未だに完全に払拭出来た訳ではない。
折角楽しみにしていた休暇の最初に、僅かとは云え陰りを見せてしまった事を、夏陽は心中で進に詫びた。
口に出さないのは、余計な気遣いをしない為である。
進にも、自分にも。
「そして貴方! 貴方は最大級警戒人物です!」
だから、その話を進が話してくれた時、夏陽は決めたのだ。
「貴方の兄、水崎新は、小学生に手を出して高校を退学処分になっています!」
例え、どんな事があろうと、何が起ころうと、自分は最後まで進を信じると。
「そんな人の弟である貴方が、同じでないという保証など何処にもありません!」
それが、竹中夏陽としての――――――水崎進の“親友”としての、務めだと。
「そんな貴方を、姉さまに近づける訳には―――」
「ざけんじゃねぇっ!!!」
だから、夏陽は誤らない限り謝らないし、後悔もしない。
振り上げた拳を、振り抜いた腕を。
大好きな人の目の前で、大好きな人の妹を殴り飛ばした事を。