ロリータ・コンプレックスSS   作:茶々

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第四話 せめてこぶしは開け

 

 

国境の長いトンネルを抜けると雪国が広がっていた光景を目の当たりにした時の驚きは、恐らくは今自分が感じているものと比肩するものなのではないだろうかと昂は漠然と思った。

 

彼の文豪に倣うなら、恐らく冒頭はこの様な書き出しになるだろう。

 

―――三沢家の別荘を抜けると、プライベートビーチが広がっていた。

 

いや、冗談でも何でもなく、昂の目の前には白い砂浜と透き通る様な水を湛えた海とのコントラストが眩い三沢家のプライベートビーチが広がっていた。

二キロと離れていない場所に人がひしめき合う海水浴場があるというのに、その様な喧騒とは全くの別世界。これでヤシの木と南国調の音楽が揃えばお手軽に海外旅行気分が味わえる事だろう。

 

「すっげぇ……」

「にゃふふ、来てよかっただろ?」

 

最も、今傍にあるのは折りたたみ式のデッキチェアとパラソル、それに年甲斐もなくスクール水着なぞを着込んだ美星なのだが。

 

―――と、一瞬美星がギロリと自分を睨んだ気がしたので昂は脳内に浮かんだ「年甲斐もなく」の下りを即座に省く。

流石に、海に来てまで美星の豪力の餌食になりたいとは思わなかった。

 

「……しかし、偶には海もいいな」

 

やや無理やりではあるが話を変えると、美星もそれ以上の追求はせずに早速広げたデッキチェアに身体を預けながら言葉を返した。

 

「連れてきてやった事、感謝しろよ? 夏休みもしっかりコーチして貰うからな」

「分かってるって」

 

しかし、と昂は口を一度閉じた。

 

今までは部の存続を賭けた男バスとの試合や、クラス対抗の球技大会といった明確な目標があったからこそ打ち込み続ける事が出来たし、それが彼女達の上達を速めたというメリットもあった。

 

だが、そういった“当面の目標”がなくなると――普段の様子からすればあまり考えられないが――真剣味の様なものがなくなってしまうのではないだろうか。

何より、どんな事であれ、明確な目標があった方が楽しめるのではないだろうか。

 

そんな事を考えながら広げたデッキチェアに横たわっていると、軽快に砂浜を駆ける足音が耳朶を打った。

 

「あ、こら水崎! ちゃんと準備体操しろーっ!」

 

隣の美星が叱責を飛ばすが、そんな声はどこ吹く風。

昂が上体を起こした時には――何時の間に用意したのだろうか――やたらとでかいイルカの様な浮き具を海に放り込んだ進が、砂地をものともしない快足で海に走り込んでいた。

 

やや遅れて、夏陽が呆れた様に頭を掻きながら歩み寄ってくる。

 

「ったく、アイツは……」

「竹中は泳がないのか?」

「後で泳ぐよ。流石に美星を相手に鬼ごっこする程、元気が有り余ってる訳じゃねぇし……」

 

視線の先には、教師モードを発動させた美星の追跡から陸に水中にと自在に逃げ回る進の姿があった。

以前、大会の会場で日差しに鬱陶しそうな視線を向けていた姿からは、想像もつかない快活ぶりだ。

 

……いや、先程から水中をメインに逃げ回っている所を見るに、やはりこの日差しは余り好みではないらしい。

 

と、

 

「すばるんっ! お待たせっ!」

 

割と本気になった美星との鬼ごっこに興じる進に引けを取らぬ程の元気っぷりを窺わせる声音が耳朶を打った。

視線を向けると、声をかけた真帆を始め、女バスの面々が水着姿で顔を揃えていた。

 

「どう? 似合う?」

 

以前、真帆の家で水泳の練習をした時とはまた違った水着に身を包んだ少女達の姿は愛らしく、昂は心からの称賛を送る。

 

「勿論、みんな素敵だよ。なぁ竹中?」

「………………えっ!? あ、ああ……い、いいんじゃねぇのか?」

 

数瞬、呆然というか恍惚とした表情を浮かべていた夏陽も、そっぽを向きながら称賛の言葉を送った。

 

が、その様子がお気に召さなかったらしく。

 

「なんだよ夏陽? 照れてんのかぁ?」

「は、はぁっ!? んな訳ねーだろ馬鹿真帆!! 『馬子にも衣装』っつったんだよ!!」

「あんだとぉっ!? 誰が馬鹿だアホーッ!」

 

例によって例の如く、幼馴染二人による取っ組み合いが始まった。

いや、始まろうとした。

 

「だーかーらーぁー……海に来てまで手間かけさせんじゃあないよ……んん?」

 

なんかいた。

濡れた髪が貞子ヘアになり、小脇に自分と同じくらいの背丈で、何やらだらんと手足を伸ばしきった男子小学生を抱えた何かが、其処にいた。

 

というか、美星だった。

 

「せんせぇの言う事……分かるよな? 返事は“YES”か“はい”だ。答えは?」

 

ギョロリ、と髪の間から覗く鋭い眼光を前に、一同は謹んで「はい、先生!」と声を揃えた。

 

 

 

 

 

 

さて。

時刻は少し遡って、昂達が高速道路に入った頃。

 

夏休み中の部活動に合わせて、保健室でデータの整理を行っていた羽多野冬子養護教諭の元に、一人の女子生徒が訪れていた。

 

「先生、失礼します」

 

夏休みという事で私服での登校。それに小旅行にでも使いそうなバッグを下げた女子生徒の姿は、冬子にしてみれば意外な人物だった。

 

「あら、かげつちゃん? どうしたの?」

 

袴田かげつ。ひなたの一つ下の妹である。

妹、といってもひなた程のミニマムサイズではない。むしろ姉より余程発育の進んだ五年生である。

 

だが、そんな事より冬子が気になったのはかげつの目であった。

何かを思い悩み、そして重大な決意をした様な真っ直ぐな瞳。彼女に――というより、袴田姉妹に――関しては“あの事”もあり、何か起こらない様にと注意は払ってきたつもりだったのだが。

 

「ご相談があります」

 

…………残業手当、出るかしら。

何となく、そんな得体もない考えが脳裏を過った。

 

 

 

 

 

 

その後、監督役たる美星の一声もあり、きちんと節度を守った遊びが行われた。

 

のんびり海水浴に興じたり、透き通る様な海の中に潜ってみたり……途中、真帆の提案によって鬼ごっこが行われたが、

 

「…………」

「…………」

 

照りつける太陽の下、焼け付く様な砂浜の上で、全身の毛を逆立てて襲いかからんとする獣の如く構え、睨みあう小学生と高校生の姿があった。

 

事の発端は、意外な事に紗季である。

最初は純粋に鬼ごっこを楽しんでいたのだが、男子高校生が女子小学生を相手に本気を出す訳にもいかず、昂はある程度手心を加えていた。

それを真帆やら進やら、勝負事には真剣な面々が咎めた所、紗季がこんな言葉を発した。

 

「じゃあ、長谷川さんが捕まったら、何でも好きな事をお願い出来る、とか?」

 

その提案に一も二もなく真帆が喰いつき、昂が訂正やら提案を申し入れる前に『ドキッ! 高校生(昂のみ)VS小学生(その他)! 真夏の鬼ごっこ大戦!!』が開幕。

 

とはいえ、流石に昂も小学生が相手で早々捕まる訳もない―――筈だった。

 

イレギュラー、ともいうべきは、進だった。

 

「ッ!!」

「うぉっ!?」

 

身体能力だけでいえば、智花や真帆も充分に高いといえる。

だが、慣れない砂浜に足をとられ、柔らかくもしっかりとした筋肉がついた白磁の様な脚部は思う様に動かず、二人を始め女バスの面々は昂のフットワークの前に為す術もなかった。

 

だが、進はそんな足場をまるで苦にした様子もなく、コートを駆ける様に昂に襲いかかった。

 

抉る様に突き出した腕に、ゾクリと寒気を覚える。

 

「み、水崎っ!? 鬼ごっこはタッチすればいいんだからなっ!? 殴るものじゃないんだぞっ!?」

「そんな事、知って、ッ! ますよっ!!」

 

二撃、三撃と打ちだされる手は、目を凝らすまでもなく硬く握り締められている。

疑う訳ではない。未だ世俗に塗れていない清らかな小学生の言葉を、世俗に塗れきった高校生が疑えよう筈が無い。

 

無いのだが、しかし、言いたい。

 

「せめてっ、こぶしはっ、開けっ!!」

「わかってっ、ますっ、よっ!!」

「ってぇっ!? チョップはやめろぉっ!!」

 

ビュン! と、一瞬前まで自分の腹があった位置を切り裂く様に振るわれた進の腕に、昂は割と本気でビビった。

 

「ッ!?」

 

大きく飛び退き、そして気づく。

何時の間にか昂は、岩壁を背に追い込まれていた。進にばかり気をとられていたが、見れば夏陽が進をフォローする様に砂浜の方を塞いでいる。

唯一の逃げ道とも云える海の方にも、漸く足が慣れてきたらしい智花や真帆が駆けてきており、潰されるのは時間の問題だ。

 

「…………」

「…………」

 

そして何より―――この目の前の小さくも巨大な猛獣から逃れるタイミングは、一瞬さえも長く感じる時間しかない事を昂は悟った。

進は手をだらんと下げ、一見無気力そうな体勢ではあるが、その様子は獲物に飛びかかる前の獣を連想させる。

試合で幾度か見た、ゼロからの急加速。一瞬でトップスピードまで跳ね上がる彼の脚力を鑑みれば、逃げるチャンスはごく僅か。

 

天高く昇る太陽がジリジリと肌を焼き、滴り落ちた汗が砂浜で蒸発する―――その音が響いた瞬間、弾かれる様に両者の身体が動き―――!!

 

「姉様っ!!」

 

―――何処からともなく響いたその声に、二人揃って砂浜に頭から突っ込んだ。

 

 

 

 

 

 

突然現れた少女は、夏陽曰く、ひなたの妹で、名を袴田かげつというらしい。

女バスの面々とは知り合いだったらしく――まぁ、普段から仲の良いメンバーの妹であるというのなら不思議な事ではないが――真帆は慣れた様に“ゲッタン”とあだ名で呼んでいる。

 

「夏陽も知ってる人?」

「ああ……つっても、なんで此処にいるのかまでは知らないけど」

「合宿、って言っても三沢の別荘で遊ぶだけなんだし、遊びに来たなら別にいいんじゃない?」

「いや、そういう事じゃなくて……」

 

軽く頭を抑える夏陽の姿に小首を傾げながら、進はかげつとひなたの方を見た。

 

「姉様、一緒に帰りましょう」

「や」

 

かげつが言って、ひなたが断る。

そんな感じの問答を、二人はかれこれ五回くらいやっていた。

 

その様子を、「遊びに来た訳じゃないんだ」などと、進は他人事のようにぼんやりと見つめていた。

 

と、その光景に新しい人物が現れる。

 

「まぁまぁ、折角遊びに来たんだし、かげつちゃんも一緒に―――」

「貴方が長谷川コーチですね」

「えっ……あ、はい」

 

姉妹のやり取りを少し離れて見守っていた昂が仲裁に入ろうとした瞬間、鋭い視線と共にかげつが口を開き、思わず敬語になりながら昂が答えた。

すると、かげつはすらりと伸びた腕を指先までピシッと伸ばし、それを昂に突き付けて畳みかける様に言い放った。

 

「姉様のコーチをしていると聞き、色々と調査をさせて頂きましたが、貴方は要注意人物ですっ!」

 

曰く、バスケットを教えるフリをして、ひなたの身体を触ったり。

曰く、飛び散る汗や、上気した頬を見て、ケダモノの目を向けているに違いない。

 

「すごい。まるでその場で見ていたかの様な的確っぷり」

「ああ。まさかこれ程の推理力と洞察力を持っているとは……やるな、かげつ」

「ってこらこらこら! 水崎も竹中も、誤解を招く様な事を言うなっ!」

 

思わぬ伏兵(同性の裏切り)に素っ頓狂な声を上げた昂に――正確にはその言葉に――反応したかげつが、先程より五割増し鋭い眼光を男子二人に―――進に向けた。

 

「貴方が水崎進さんですか?」

「……? うん、そうだけど?」

 

初対面で剣呑な雰囲気を放つ相手に対し、呑気に構えていられる程進は悠長な性格をしていない。

とはいえ、相手はひなたの妹である。よもや芝浦小に居た時の様なやんちゃをやる訳には――――――

 

「そして貴方! 貴方は最大級警戒人物です!」

 

ビシッ! と先程よりも鋭い効果音が鳴りそうな姿勢で、かげつは吼える様に声を張り上げる。

 

「貴方の兄、水崎新は、小学生に手を出して高校を退学処分になっています! そんな人の弟である貴方が、同じでないという保証など何処にもありません! そんな貴方を、姉さまに近づける訳には―――」

「ざけんじゃねぇっ!!!」

 

全てを理解するより早く飛び込んできたのは、聞き慣れた親友の怒声と、何かが崩れる音だった。

 

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