ロリータ・コンプレックスSS   作:茶々

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第五話 俺から話すよ

 

―――気が付いたら、電柱に寄りかかる様に頭をぶつけていた。

 

避暑地として高名なのか、海岸線には真帆の別荘の様な邸宅が新緑の合間に見え隠れしている。海のせせらぎや、風に揺れる木々の音が心地よく、しかし進はいつの間にかこんな所まで歩いていた事に今の今まで気づく事はなかった。

 

足元に違和感を覚えて視線を向ければ、何時の間にか転んだらしく、膝小僧の辺りに血と砂利がついていたし、砂浜を駆けていたビーチサンダルが右足の分だけなくなっており、今更のようにアスファルトの焼けるような熱さを足裏に感じる。

容赦なく照り付ける太陽は袖なしのシャツから覗く肌を焦がす様にジリジリと焼き、うだるような暑さに体中から汗が噴き出る。

 

それでも尚、進はあの場所に戻る気にはなれなかった。

 

 

 

 

 

聞きなれた声音で、しかしあまり聞いた覚えがない怒声と共に、目の前の少女の顔に夏陽の腕が振りぬかれた。

余りに唐突過ぎる光景に、他人事の様に呆然としていた進は、しかし続けざまに振りかぶられた腕を見て慌ててそれをつかんだ。

 

「な、夏陽っ!? 何やってるの!?」

「うるっせぇっ!!」

 

進の制止を振り払い、尚も追撃をかけようとする夏陽と、殴られてよろめいたかげつを慌てて支えた昴の姿に、漸く我を取り戻した様に周囲の面々が駆け寄った。

 

「ちょ、夏陽ストップストップ!!」

「いきなり何やってんの!? 落ち着きなさいよ!」

 

幼馴染二人が正面から、後ろから進が羽交い絞めにしてもなお、夏陽は腕を振り足をあげて暴れ、鼻息荒く親の仇を見つけた様にかげつを睨みつけた。

 

「かげつテメェっ! 今、自分が何言ったのか分かってんのかっ!?」

「ッ!?」

 

夏陽の怒号に、その眼光に、今更の様に恐怖心を覚えたらしいかげつが僅かに身を竦ませる。

その様に、漸く一時の落ち着きを覚えたらしい夏陽は荒げていた息を整え―――そして、自分が今の今まで何をやっていたのかを、漸くの様に思い出した。

 

「…………」

 

誰のものかも分からない沈黙。

照りつける太陽の暑さが、寄せては返す波の音が、嫌に大きく耳朶を打っていた。

 

夏陽も、かげつも、進も――――――誰もが言葉を失って。

何を言えば良いのか、言葉そのものが分からなくなってしまったかの様に、口ごもって。

 

「みなさーん、そろそろお昼ご飯に―――」

 

三沢家のメイドである久井奈聖が呼びかけた瞬間、勝手に足が駆けだしていた。

 

何時かの様に―――雨に打たれながら走ったあの時の様に。

目の前の何もかもを捨て去る様に。

 

「水崎ッ!?」

 

水崎進は、逃げ出した。

 

 

 

 

 

「…………熱い…………痛い……」

 

ずるずると足を引き摺る様に歩きながら、うわ言の様に進は呟いた。

熱射病でも日射病でもない顔色の悪さも、カラカラに乾き切った喉も気にならない程に沈み切った気持ちが、嫌になるほど重い。

 

かげつに指摘されたから、ではない。

夏陽に暴力を振るわせてしまったから、でもない。

 

「………………」

 

“また”、逃げ出してしまった。

何時か一緒に、バスケをやろう―――そう言ってくれた兄の言葉を、しかし何処かで疑ってしまっていた自分を引き摺りだされた様な気がして、進は逃げたのだ。

 

どれ程の言葉を重ねた所で、兄のしてしまった事が、感情的にも道徳的にも許されるものではない事は十分に知っていたし、理解していた。

 

だからこそ進は芝浦から逃げ、実家から逃げ――――――そして、嫌な現実から逃げた。

慧心で友達を見つけて、バスケに打ち込んで……そうして、目を逸らし続けていた“現実”を目の前に叩きつけられて、進は“また”逃げ出した。

 

そんな自分が堪らなく嫌いで、吐き気を催した様に俯く。

拳を握り締めた途端、ズキリと突き刺す様に奔った痛みに、進は剥き出しになった手首を見た。

 

「…………最低だ、ぼく」

 

どれだけ早く走っても、逃げられないものがそこにある。

そんな当たり前の事を、進は今更の様に思い出した。

 

 

 

 

 

 

一言で言うなら「ずーん」だった。

 

「…………で、何か言う事は?」

 

何が「ずーん」なのかと言うと、今の居間の空気が「ずーん」だった。

 

お昼ご飯をと呼びにきた聖の声を合図に、試合の時の全速力に近いスピードで一気に駆けだした進の姿は、一瞬だけ呆気にとられた昂が追いかけた時にはもう小さくなっていて、公道まで続く緩やかな坂道を昇り切った頃には影も形も見えなくなっていた。

 

足元に片方だけ転がっていたビーチサンダルを持って砂浜に戻ると、ほんの五分前までの賑やかな空気は、照りつける太陽に溶けてしまったアイスクリームの様に消え去り、代わりとばかりにピンと張りつめた嫌な空気が漂っていた。

 

声音を強めた美星の説教を、しかし夏陽はそっぽを向いて聞いていないし、かげつはと云えば冬子に手当てをして貰いながらひなたにお説教されていた。

唐突過ぎて展開が今一呑み込めていないらしい聖は、しかし流石に見かねたらしく「とりあえず、冷たい飲み物をご用意しますね」と言ってみんなを別荘へと向かわせ、場の空気に耐えられなかったらしい智花やら愛莉が一緒になりながら、飲み物やら軽食やらをせっせと運んでいる。

 

「…………」

 

で、今。

夏陽はフローリング張りの床に胡坐をかいて座り、正面に立つ美星にそっぽを向いていた。

 

漂う空気からして、美星の堪忍袋はそろそろ緒が逃げ出しそうなくらいに膨れ上がっている。普段の昂なら逃走若しくは土下座三秒前の状態だ。

にも関わらず、夏陽は苛立ちを隠そうともせず美星から顔を背けたまま無言の一点張り。

 

忠告なりなんなりしようにも、あの空気に割って入れる程に昂は図太くないし口が回る訳でもない。

どうしようか、と思っていたその時、

 

「たけなか」

 

とてて、と二人の間に歩み寄ったのはひなただった。

僅かに美星が視線を向けるが、ひなたは美星を見る事なく夏陽に視線を向ける。

 

そして、

 

「ごめんなさい」

 

すっ、と、一瞬の迷いもなく頭を下げた。

「姉様っ!?」と後ろの方でかげつが声を上げたが、気にした様子もなくひなたは言葉を続けた。

 

「すすむの事、かげがわるく言ってごめんなさい。ひながめっ、ってしたから、もうゆるしてあげて下さい」

 

言って、もう一度ひなたは頭を下げる。

その姿を見てだろう。先程までの張り詰めていた空気がすぅっと緩み、美星が随分と柔らかくなった声音で夏陽に言った。

 

「……竹中、かげつに怒った事は謝んなくていいよ」

「…………」

「でも、どんな理由があっても、殴った事は見過ごせない。その事だけでも、ちゃんとかげつに謝りなさい」

「……………………はい」

 

不承不承、と言った面持ちで夏陽は立ち上がると、真っ直ぐにかげつに歩み寄って頭を下げた。

 

「……顔を殴って、ごめん」

「い、いえ…………私こそ、すみませんでした」

 

言われて、慌てた様にかげつも軽く頭を下げる。

その様子に、漸く落ち着いたのだろう。昂は一つ、大きな吐息を零した。

 

 

 

少しだけ落ち着いた空気に包まれながら、一同はテーブルの上に所狭しと並べられたサンドイッチやらおにぎりやらを囲んで席に着いた。

 

進を探しに行こう、と誰彼となく言った言葉に、しかし美星は首を横に振った。

 

「水崎はアタシと冬子で手分けして探してくるから、アンタ達はご飯食べてなさい」

 

言って、次いで「どうせこの後、かげつに練習でも見せるんでしょ?」と、自分の考えをあっさり見通されていた昂は両手を上げて降伏宣言。尚も喰い下がろうとする面々を説得し、席に座らせた。

それでも「みんなとご飯を食べ終わったら、練習前に俺も探しにいく」という事だけはどうにか確約させ、さて怪しまれない程度に食事を進めなければ、と、おにぎり片手に昂が思った矢先。

 

「……あの、昂さん」

 

僅かに強張った声で、智花が口を開いた。

 

「さっきの、水崎くんの事……どういう事なのか、教えて貰えませんか?」

 

申し訳なさと、居た堪れなさを滲ませながら、それでも智花は言葉を続けた。

 

「もしかして、前に水崎くんが言っていた事と何か――――――」

「興味本位で首突っ込んでんじゃねぇよ」

 

その言葉を遮る様に、剣呑とした声音で夏陽が言葉をかぶせる。

幼馴染のそんな態度に、今まで言葉を呑み込んでいた紗季が怒りも露わに腰を浮かせた。

 

「アンタッ、そんな言い方……ッ!!」

「紗季、落ち着いて。夏陽も、今の言い方はないんじゃないか?」

「関係ない奴が首突っ込むなっつったんだよ」

「関係ないって何だよッ!?」

 

あまりと云えばあまりな物言いに、今度は真帆が立ち上がって声を荒げた。

 

「友達の事心配してるのに何が『関係ない』だよっ!! 関係あるよ大アリだよっ!! ずっきんもアタシ達の友達だろっ!? 友達の事心配するのがそんなに悪い事かよっ!!」

「何も知らねぇのに首突っ込むなっつってんだよっ!!」

「知らないよっ!! 今まで一度も聞いた事無いのに、ずっきんに何があったのかとかそんなの全然分かんないよっ!!」

 

握った拳を震わせ、声を震わせ、今の今まで溜めこんでいた鬱憤をぶちまける様に真帆は声を張り上げた。

 

「だけどっ!! 分かんないから知りたいんだよっ!! ずっきんの事、何も知らないから何も出来ないなんて、そんなの嫌だもんっ!!」

 

涙を押し殺す様に、きつく締めつけられた表情を見て、夏陽は眉を顰めながらも口を閉じる。

その間に割って入る様に、昂は言葉を挟んだ。

 

「……俺から話すよ」

「ッ!?」

 

昂の言葉に、「余計な事をっ!」とでも言いたげに夏陽が鋭い眼光を寄こすが、それを無視する事無くしっかりと視線を合わせ、次いで全員から向けられる視線に応える様に真っ直ぐ前を見据えて口を開いた。

 

「だけど、話す前に約束して欲しい事がある。今から話す事で、水崎を責めたり、悪く言う様な事だけは絶対にしないでくれ。いいね?」

 

全員が神妙な面持ちで頷き、僅かに口を開きかけた夏陽が、しかしちゃんと椅子に座り直したのを見届けてから、昂は語り始める。

 

「―――水崎のお兄さんは、俺の高校の、バスケ部の先輩で、キャプテンだったんだ」

 

自分と、水崎新と、水崎進と。

それに関わった全ての者達の顛末を。

 

 

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