「それじゃあ、じっちゃん。行ってきます!」
「ああ、行ってらっしゃい。」
とある家の、とある2人の朝。1人は10歳程の少年。もう1人は白髪が目立つ60歳。その老人は少年を見送りに一緒に家を出る。
「今日は寄り道せずに帰ってきなさい。昨日の約束通り、外で晩御飯を食べよう。」
「やった! 今日は絶対すぐに帰るね!」
少年は大はしゃぎ。その少年からすると、外食などいつ以来行っていなかったか。少年は嬉しさのあまりに走りながら道を駆け抜けて行った。
「……全く、転けんように気をつけろと毎日言っているだろうに。」
その老人の声はもう道の向こうで小さく見えている少年には聞こえている筈も無く、1人家に戻る。朝に使った2人分の食器やコップを後片付けをする。今日は仕事が久しぶりの休みでゆっくりできる…とはいかなかった。普段なかなか手が回らない家の掃除をしなくては。
「こんな時、あいつが居てくれればなあ…。」
机の上に置いていた写真立てを擦り、そこに写っている1人の女性に目をやる。ただこちらを微笑むだけで、応答など帰ってくるはずも無かった。
「よぉ、おはよう隼一《しゅんと》。」
「ああ、おはよう太一。」
その少年(隼一)はその声の主に返事をする。太一も隼一と同様に寺子屋で学ぶクラスメイトだ。
「ところで聞いたか? 例の噂。」
「『例の噂』って?」
「覚えてねーのかよ。ほら、悪魔と契約できる噂。結構前から皆言ってただろう?」
「あれかー。でもただの噂でしょ? 慧音先生の話からだと昔に魔界の住人は幻想郷には来られない約束をしたんでしょ?」
「分かってないなあ。今でも幻想郷に悪魔は来てるらしいぜ?」
その情報はどこから聞いたのか少し気になるが、隼一は適当に返す。第一、仮に悪魔と契約できた所できっと碌でもない事が起こるに決まっている。偶に小鈴さんの本屋で読んだことのある外の世界の本ですら、悪魔と契りを交わした者はその身を滅ぼす事になっていたし。
「それに悪魔と契約すると悪魔が仕事やら家事を手伝ってくれるらしいぜ?」
「家で掃除や洗濯してる悪魔なんて想像したくも無いよ。どうせ、命とか何かが代償で殺されるんでしょ?」
「いやいや、代償は少しの霊力だけでいいんだと。日常生活に支障は全くでないらしいし。しかも親戚の人に聞いたら妖怪退治もしてくれたらしいぜ。」
隼一の足がピタリと止まる。
「隼一の夢だもんな、『妖怪退治』。」
「……そんなの、無理だよ。妖怪は、人間とは比べ者にならない力を持っているんだ。勝てる訳が無いよ。」
「そうか? あの山の巫女だって異変解決で出会い頭に妖怪を薙ぎ倒しているから不可能じゃないだろ。それに隼一は喧嘩強いしなあ。」
そう言いながら彼が指さした方を隼一は見つめる。あの山はここから少し遠いけど、古びた神社がある。その神社の道のりは危険でよく妖怪と出くわすという。その為人里から行く人は殆ど居ない。
「兎に角、俺には無理だよ。まず悪魔との契約の仕方なんて分からないだろ?」
「違うね。」
突然太一は隼一の背後に下がり、顔を近づける。
「きっと方法は見つかるさ。今日中にね。」
「な、何を言って……?」
隼一が驚いて振り返るとそこに太一の姿は無かった。辺りを見渡しても団子屋で寛ぐ男2人しか見つけられなかった。隼一は急に怖くなり、足を震わしながらも寺子屋へと急いだ。
「あ、あれ? 太一…?」
己の心から生まれた恐怖から逃げるように寺子屋へと着く。他の建物と比べると少し大きく、入口も幅が広い。太一はちょうどその入口の扉を開けようとしていた。
「おー! 来たな隼一。今日は負けねーからな!」
「ま、負けないって?」
さっきまで一緒に歩いていた太一が突然消えて、目的地には太一がいた。隼一はまだ思考が混乱しており、昨日の事など思い出せなかった。
「惚けて逃げようとするなよ! お前との計算勝負だよ! 昨日は負けたが今日は俺が勝つ!」
太一は俺に指を隼一に向けた。
「そうだったな。……よし、受けて立つぞ!」
きっと何かの勘違いだろう。そう決めつけ隼一はひとまず心の動揺を抑える。きっと妖怪か何者かに変な幻術をかけられたのだろう。
「……よし、今日はここまで!」
先生がその一言を放ち、授業は終わった。すぐに外に出る者、近くの席の人とおしゃべりをする者。先程までの静寂さは既にこの教室から消えていた。
「だが、くれぐれも注意しろよ!最近、良くない噂も聞いている。家の人もきっと心配しているだろう。」
先生が皆に訴えかけているが、だいたいの子供は聞いていなかった。先生は少し溜め息をついた後、その部屋から立ち去って行った。
「……やっぱり、『良くない噂』ってあの事かしらね?」
隼一の隣で座っていた華奈が喋りかける。
「悪魔の事?」
隼一は急ぐように言葉を返す。
「うん。私のお父さんの友達が契約してるって。1人暮しの人らしくって家事をやってくれて助かってるんだって。私も契約したいなあ。」
「……悪魔と契約だなんて危険だよ。」
今日の朝の事が脳裏に浮かぶ。たとえ妖怪退治ができたって、きっと危険な事に違いない。
「そう? じゃあ辞めとく。」
華奈はクスクスと笑いながら言葉を返す。隼一もつられて笑う。
「それじゃあ、俺はもう帰るね。今日はじっちゃんと外食するんだ!」
「それは良いことね。行ってらっしゃい。」
華奈に見送られ、俺は寺子屋を後にする。
「ちょっと待てーい!」
いきなりの大声に体をビクンと震わせ、急かしていた足を止める。目の前には太一が大の字になって隼一を止める。
「ごめん太一。今日、急いでいるんだ。用事があるならまた明日でも良い?」
「急いでいたのか。それは悪かった。さっきの読み書きの授業で借りた板書を返そうとね。」
隼一は呆れ顔を作る。太一は計算が得意で問題を解く速さにおいては誰にも負けない程賢い。だがそれ以外には興味を示さず、計算以外の授業はだいたい寝ている。その為、周りのいろんな人から板書を写している。
「貸してたっけ?」
「何が『貸してたっけ』だよ。今日の計算勝負だってお前には珍しいミスやらかしやがって。まあ、それはおいといてほら。」
太一は隼一にノートを手渡す。隼一もそれを受け取り、すぐに帰路へと振り返る。
「それじゃあ太一。明日は俺が勝つからなー!」
「お互い一勝一敗。明日もこの俺が勝つ!」
「ただいまじっちゃん!」
「おかえり隼一。」
隼一と老人は互いに包容する。
「想像以上に速かったな。まあ外食まで自室でゆっくりしてなさい。私はこれから軽い用事を済ませてくるから。」
「分かった!楽しみに待っとくね。」
勢い良い隼一の返事に老人は微笑む。行ってくる、と一言残して家を出る。隼一は言いつけ通りに自分の部屋へと戻り、机に向かう。
こういう暇な時は大体絵を描いて過ごす。すぐに紙を取り出して硬筆を手に取る…とその前に。隼一は先程返された太一のノートの中身をチェックする。太一は他人のノートに落書きをよくする。過去にも何度か下品な絵や言葉を書き込まれた。手に消しゴムを握り、1ページずつ確認する。
3ページ目に早速書き込まれていた。
「あ、悪魔と契約の仕方…?」
思わず書き込まれた言葉を読み上げる。朝の件で俺が興味を持っていると思っていたずらで書いたのか?呆れながら次のページへ進むとまた隼一以外の文字が書かれていた。
「悪魔と契約したい者は次の図を地面に模写し、3滴あなたの血を中心に貢ぎなさい?」
その文字の下には複雑な絵が描かれていた。2つの大きさの異なる円が一点を中心に描かれ、その間には見たこともない記号が並んでいた。
「…太一の奴にしては、本格的な罠だな」
子供のいたずらにしては手が込んでいる。絵画の時間ですらまともに描かない太一がこんなめんどくさい絵を手がける筈が無い。もしかしたら本当に悪魔が記したものなのか?
『妖怪退治』ねぇ…。
「よっと……。こんなもんでいいのかな?」
やはり気になったので、隼一は家の表にある道にノートの絵を描き写す。指で直接土を掘っていた為、少しヒリヒリする。
「後は血を中心に……。」
右手は利き手なので反対の左手の人差し指に少し傷を入れる。慎重に入れたので傷口からはなかなか血が垂れなかった。数十秒するとやっと1滴。そして2滴、3敵…。
「……。」
隼一は緊張した。もしこれで悪魔と契約できたら噂通りに妖怪退治が出来るかもしれない。そしたら、やっと家族の怨みを……。
「何も起きない、か?」
想像通りなら邪悪な霧がどこからか散布されて、絵の中から悪魔が出てくる筈だが。辺りは特に変化は無く、少し強い風が木を揺らす音が虚しく響く。
「まあ、そううまくは行かない、よな。」
―諦めて家に戻ろうとした瞬間、隼一は眩い光に包まてた。
「な、なんだ!?」
あまりにもその輝きは明るく、思わず両腕で顔を覆う。が、すぐに光は消え去る。隼一はひと息ついて腕を下ろし両目を開けると―
「あ、あなたは……?」
その絵の上に見たことも無いような服装をした人間が立っていた。悪魔…では無さそうだ。悪魔がこんな若々しい男の外見をしているわけが無いし。
「そこの君がやったのかい?」
「な、何を…?」
「俺を突然襲った事だが?」
更新不定期です。