ナハル・ニヴ ~神様転生とは~   作:空想病

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魔王の城 -1

/Transmigration …vol.09

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 魔王の片腕に抱かれたナハルは、目が眩むほどに濃密な闇をくぐる。

 一瞬の後に、網膜を焼きそうなほどの光が見えて、目を開けていられなかった。

 

「着いたぞ」

 

 王の声と、しっかりと大地に下ろされる感覚に、おそるおそる目を開く。

 

「──え?」

 

 ナハルは瞼を幾度となく瞬かせた。

 突き抜けそうなほど澄んだ空の色。

 木々と花々の香りを伴う潮風の奏。

 

「うそ──昼? え、夜じゃないの?」

「ああ。こちらとむこうでは時差があるんだ」

 

 時差という言葉を使われた衝撃もさることながら、目の前に聳える白亜の城塞に、ナハルの理解力が追いつけなくなりつつある。そのせいで足元がおぼつかなかった。

 

「わっと」

「傷が痛むか? やはりまだ歩けないか?」

「す、すいません」

「気にするな」

 

 そう言って、また魔王の片腕に抱えられる。

 

「魔王や〈魔者〉の国と聞いて、もっと別のものを想像していたか?」

「は…………はい」

 

 鎧の横顔に頷くナハル。

 正直に言えば。

 溶岩の吹き出る灼熱地獄や、死体の凍てつく凍土地獄や、陰鬱かつ毒々しい沼地や墓場に建立された漆黒の館などを想像していた。

 しかし、ナハルは振り返った。少女を抱く魔王もそれにあわせてくれる。

 彼女は何度も視線を駆け巡らせた。

 

「ここは、君たち人類、ティル・ドゥハスの民が言うところの暗黒大陸……我等〈魔者〉の国……ニーヴ大陸だ」

「……ニーヴ、大陸」

「そしてこの街は、君らの大陸に一番近い位置にある東の大都市・港湾都市ローンだ」

「港湾都市……ローン」

 

 ナハル・ニヴは目を疑った。

 二重の城壁に守られた城郭から見下ろせる景色は、生前の頃に見た日本の港町か、観光案内で見かけた地中海の街並みを想起させるほどに整備が行き届いていた。

 純白の城邑──水平線を照らす陽光──蒼穹と蒼海に散る竜騎と帆船──眼下に広がる精緻な港湾都市──大通りを行き交う〈魔者〉と人間──すべてが、少女の常識を超えていた。

 乖離しすぎていた。

 

「本当に、これが〈魔者〉の?」

「ああ、そうだ。ここは地方都市のひとつだが──今は城に入ろう。

 城下の見学は〈聖痕〉で開いた傷の処置をして、ゆっくり休んでからだな」

 

 魔王に抱えられるまま、ナハルは大階段を昇りきった城門の番兵──彼らが開いた扉の奥に進む。

 ナハルがまじまじと観察した彼らの背格好は、人間そのもの。この城に仕えているらしい彼らは、魔王とその部下一行に臣礼を尽くす。

 全身が鎧に覆われた魔王の他は、半身が水の乙女、女エルフ(ルハラハーン)、宙に浮かぶ魔剣、狼男や骸骨という、かなり衝撃的な造形の集団なのだが、まるで気にも留めていない。

 

(門番さんたちは、人間の形をした〈魔者〉だとでも言うの?)

 

 分厚い城門を、魔王に抱かれたまま進むナハルは、光に照らされる中庭に出る。

 

「────」

 

 思わず声がこぼれかけた。

 そこにあったのは緑の庭園──幾百もの花が咲き誇る大広場であった。

 

「あまり驚かれないのでございますね」

「え?」

 

 ナハルは声の主を見やった。

 右半分だけの美貌に微笑を浮かべた乙女は、疑問の声を発する。

 

「魔王さまの城と庭園をはじめてご覧になった人間は、平民の方であれば一人の例外もなく、腰を抜かすほど驚くものでございますが」

「ぇ、えーと」

 

 正直、生前の知識で見た観光地のテレビや旅行パンフなどで、こういった立派な建物や庭園などはいくらでも知ることができた。

 しかし、こちらの世界では、そういったものに触れる機会などそうそうあるものではない。

 

「いや、驚いてる、よ?」

 

 ナハルは言葉を濁すしかない。

 イニーという名の〈魔者〉は「そうですか」とだけ言って頷くのみ。

 庭園をまっすぐ抜けると、城の扉が開いた。

 

「おかえりなさいませ、魔王陛下」

 

 現れたのはアザラシの被り物──毛皮を頭から纏った女性であった。

 その美貌を見るに、年の頃は十代後半程度だろうが、眼や牙の様子は勿論、灰色の髪に隠れる位置──耳のあるべき部分に耳らしいものがない姿を見ると、ただの人間でないことは容易に理解された。

 魔王はアザラシ少女に訊ねる。

 

「グラン。他の者は?」

「フアラーン様たちは、先に本国の別邸にご到着されたと連絡が」

 

 魔王は二言三言何かをアザラシの女性に命じ、彼女に先導されるまま、魔王一行とナハルたちは城内を歩く。

 

「それでは陛下」

「君命に従い、私たちはひとまず」

「ああ、頼んだ」

 

 そう言ってグランと共に一行を離れたのは、女エルフ(ルハラハーン)の狩人。彼女はナハルと同時に運ばれた修道女ロースを宙に浮かぶ担架で搬送するのに同行していった。

 

「行こう」

 

 魔王が促すまま、ナハルを含め六名ほどで城の中枢部に至る。

 白亜の宮殿は、村や街で見たどのような建造物よりも大きく、さらに立派な内装を随所にあしらっていた。

 ひとしきり感心の吐息を吐く少女のために、魔王は指示を飛ばす。

 

(みそぎ)の間で、とりあえず〈聖痕〉の処置からだな。──イニー」

「はっ」

「やり方を教える。治癒魔術で傷を塞ぐ要領と同じだが、とんでもなく魔力を喰うからな。途中まで手伝おう」

「承知いたしました」

 

 魔王一行に伴われるまま、ナハルは中央の螺旋階段をのぼることに。

 

「あの、これから何を?」

「言ってるだろう。〈聖痕〉に処置を施す」

「それは、具体的にはどういう?」

「すごく簡単に言えば──風呂(フォカ)だな」

風呂(フォカ)?」

 

 聞き間違いだろうかと思いつつ、辿り着いた場所は大量の湯を張った大浴場。

 

「本当に?」

 

 呆気にとられるナハル。

 広い空間は温かで柔らかい湯気の香りで満たされ、浴槽に湯を注ぐ人魚像など、細部にまで贅を凝らした造りをしていた。風呂というよりも、天然温泉が湧き出る池という方がしっくりくる。

 ナハルはあれよあれよと血と泥が沁み込んだ寝間着を脱がされ、抵抗の間もなしに拾った野良猫を洗うかのごとく体中を清められていく。

 第二次性徴にも達していない幼い体を、水の女怪が広げた水流の左腕によって丁寧に丹念にお湯と洗剤と布で拭き上げられるたび、ナハルは気づいた。

 

「傷が、塞がって?」

 

 全身を覆っていた血と光の軌跡──それが、イニーが水流で絡め包み込む箇所から薄らいでいくのがわかった。痛みも一挙にひいていく。

 しかし、魔王は首を振る。

 

「塞がっているわけではない。あくまでも、外から見えにくくなるように隠しているだけだ。傷は癒えても、〈聖痕〉自体が消えることはない」

「そうですか──、……、──って!」

 

 ナハルは今更なことに気づく。

 女性のイニーがいるのは当然のことだとわかる……しかし、

 

「な、ななななな!」

「ん? どうした?」

「ナンデイルンデスカ!?」

 

 少女は全身鎧姿の魔王に指をさした。

 あと、ついでお風呂セットをかかえた骸骨の方も。

 

「んん? ……ああ。

 見た目では分からんだろうが、こっちの骸骨(クナーヴァルラハ)は“女”だぞ」

「!」

 

 意外な情報に面食らうナハル。

 名をアバル・クロガンというらしい全身骨格標本は、実に愛嬌のある動作で首を傾げ、頬を掻いて見せた。

 どうやら骸骨が肩をカタカタカシャカシャと震わせているのは、骸骨である彼女なりの“笑い声”であったらしい──声を出さない理由を訊ねると「骸骨だから声帯がなくて喋れない」という。そんなこと言いだしたら、骸骨が筋肉もなしにどうやって運動し自立歩行しているという話になるが、今はそんなことどうでもいい。

 

「っ、骸骨さんのことはわかりました! も、問題はあなたの方ですよ!」

「──おれが?」

 

 同性に裸体を見られるのはまだしも、男と一緒に風呂場にいるというのは、さすがに許容できる話ではなかった。

 

「問題って、──何か問題が?」

「し、失礼ですけど、あなたは男ですよね?」

「無論、そうだが」

「い、いくら魔王サマでも、その、女性の入浴の場に堂々と!」

「俺以外に〈聖痕〉を隠す術式を知らないんだから、しようがないだろう?」

 

 ぐうの音も出ない正論。

 

「だ、だからって!」

「はいはいはい。子供はおとなしく洗われておきなさい」

「~~~!」

 

 結局。

 三十分近くもの間、魔王監修のもとでしっかりと“処置”を受けたナハル。

 イニーが魔王のいう〈聖痕〉隠蔽の術式を実地で習うのに付き合わされた形になるが、文句など言えるはずもない。

 

「あとは任せたぞ。イニー。アバル」

 

 後事を託された〈魔者〉二人が頷くのを見届けて、魔王の鎧姿は大浴場を後にする。

 ナハルは湯船に顔をうずめるほどの羞恥に溺れるが、体の方は完璧に治癒されていくのは確かだった。

 

(結局、あの鎧の魔王は、本当に〈聖痕〉を隠すことができた)

 

 彼の言葉には虚言妄言の類は含まれていない。

 その誠実さを理解することで、ナハルは受けた仕打ちを水に流した。

 

「申し訳ありません〈勇者〉様。魔王様以外に、この術式に熟達するものが生き残っていれば、このようなことは」

 

 意外にも心底からの謝辞をこぼしてくれるイニーに対し、ナハルは顔を上げた。

 

「いいえ。そこまで気にしてませんから──あと、できればその〈勇者〉っていう呼び方は、やめてください。あと“様”づけも」

「承知いたしました。では……ナハルさんで」

 

 頷くナハル。

 久しぶりに長湯を愉しむ彼女は、体の芯まで凍りそうな状態と傷から完全に解放され、とてもつもない脱力感を覚えた。

 ついで、ひどい眠気にも見舞われる。

 

「大丈夫ですか?」

「うん……たぶん、だいじょうぶ」

「眠いのであれば、このままお休みください。あれだけ酷いことがあった上に、本来であれば就寝中の深夜の時間でございました。大丈夫。魔王様の保護したあなたに、危害を加えるものは、ここには存在しません」

「でも……うん……」

 

 お湯の中で船をこぐ少女。

 イニーの水溶液状の半身に抱かれ、あまりにも暖かく清らかな感触に包まれていると、夢見心地になるのを止められない。

 そのときだけは、村を包んだ炎も、孤児院の惨劇も、なにもかもを意識の水底に沈めながら、ナハルは微睡みのリズムに身をゆだねた。

 

「おやすみ、……なさい」

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

「そうか、ナハルは眠ったか」

「はい。気丈にふるまっておいででしたが、あの御年齢で、あれだけの状況を目の当たりにしたのですから。むしろ良くもっている方かと。いまは客室に運び、アバル様が看ていてくれております」

「なら安心だな」

 

 イニーの報告を受けた魔王は、王の書斎に集まった幹部らに振り返った。

 

「どうするんだい、御大将(おんたいしょう)

 

 黒く太い腕を組み、王に対して慇懃無礼な口調をこぼす、人狼の大男。名はレアルトラ。

 

「どうとは?」

「無論、あの〈勇者〉をどのようにするのか、という話ではないかと」

 

 問い詰める語気で、王への忠義と尊礼に満ちた老人の声を発する魔剣。名はリギン。

 

「私も聞かせていただきたいですわね」

「ガルか……あの修道女の容体は?」

「病院に送らせましたわ。イニーちゃんが綺麗に傷を塞いだから、あれなら痕も残らないでしょうね。それよりも」

 

 彼ら彼女らの関心は、魔王自らの手で連れてきた、幼い〈勇者〉にのみ向けられる。

 ガルたちは問いただす。

 

「神に選ばれた証明たる〈聖痕〉──かつて、幾度となく我等魔王軍の前に立ちはだかり、そのたびに打ち砕いてきた〈勇者〉の証。そのなかでも大型の、魔王を滅殺可能な〈極大聖痕〉の顕現に立ち会い、その顕現者を手中に収めたことは、確実に我等の利となり益となるでしょう。──ですが」

「なんだって、あの時あの段になって、テメェは『不要』なんて言ったんだ? イニーの嬢ちゃんが言ったように、『断る』必要なんてこれっぱかしもなかっただろうがよ?」

「──ナハルという少女──あの〈勇者〉に、何か?」

 

 レアルトラ、リギンらの指摘。

 巫女の予言によって知った、魔王を滅殺する〈勇者〉の誕生。

 その危険性と有用性を考慮し、これまで停滞していた〈勇者〉の研究……彼らの力の源泉を理解するために、魔王と幹部たちはティル・ドゥハスの、人間たちの大陸に渡ったのだ。

 にもかかわらず。

 魔王がとった行動は驚愕に値した。

 得ようとしても見つけられず、学ぼうとしても追いきれず──最悪のタイミングで番狂わせを強要する〈勇者〉たちによって、魔王とその臣は、この9800年以上もの長きに渡り、無為な労苦を強いられてきた。殺しても尽きず、滅ぼしても果てなく、人間の〈勇者〉たちは魔王の行く手を遮り、矛を交え、盾を砕き、そしてそのたびに、魔王は封印の屈辱を呑むことになった。

 しかし。

 ようやく見つけた。

 魔王を滅ぼせるほどの〈勇者〉──その雛を。

 これまでの粗製乱造品じみた者ではなく、本当に、魔王を殺し滅ぼせる力の持ち主として〈聖痕〉を宿した少女……特上の研究素材……それが、ナハルであった。

 

 しかし、

 

「────少し、五分だけ、ひとりにさせてくれて」

 

 まるで答えになっていない答え。

 幹部たちは珍しい王命に首をかしげるが、有無を言わさぬ雰囲気を感じ取って、書斎を後にした。

 

「……」

 

 何か言いかけたイニーが無言で扉を閉めると、魔王は質素な椅子の背もたれに寄り掛かった。

 白い全身鎧が音をたてて軋む。

 

「────まさか、な」

 

 ひとり黙考に耽る魔王。

 彼の存在しない脳に去来するのは、一人の少女の姿。

 魔王は兜の面覆いを片手で覆い、深い感慨の息をもらした。

 ふと、もう片方の籠手が床に落ちる。留金が唐突に外れ、ガランと音を衝き立てる前に、落ちた籠手から漏れ出す漆黒のなにかが、純白の鎧の一部を受け止めていた。ついで、膨張し流動する黒霧が白銀の籠手を呑み込んでいく。それが引き金であったかのように、次々と脱落していく甲冑。頚当、胸当、肩当、上腕当、肘当、前腕当、腰当、剣帯、腿当、膝当、脛当、鉄靴──兜以外のすべてが脱げ外れた時、魔王の書斎すべてが“闇”の空間に置き換わっていた。

 それは、万象万物が生存することのできない領域。10000年という悠久の時を積み重ねた王の、力のありさま。

 夜よりも黒く濃い闇が純白の兜を床に脱ぎ落とすと、兜も他の鎧と同様、闇の帳の底に形を失う。

 そこにあるモノは、完全なる純黒の世界。

 闇そのものとなった魔王は、ひとり呟く。

 

 

「なぜ、…………何故、今になって…………」

 

 

 魔王にして闇たる男は、深く──深く深く──息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




《人物紹介コーナー》第三弾

●アバル・クロガン  骸骨(クナーヴァルラハ)。骸骨姿でわからないが性別は女性。笑顔が素敵。
●レアルトラ     人狼(コンリァフト)。筋肉マッチョな狼男。変身が解けると──?
●リギン       生命武器(アラム・ビォ)。宙に浮く魔剣。最古参であり最強格。
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