/Transmigration …vol.18
数日が経過した。
魔王は図書館でナハルへ授業を行うのと同時に、転生者である彼女の生前のことについても質問することが多くなった。
どこの生まれかと問われた ──「日本という国です」と答えた。
職に就いていたか問われた ──「養護施設で働いてました」と答えた。
家族構成について問われた ──「──夫、…………だけです」と答えた。
父のことを問われた ──「私が六歳の頃にいなくなりました」と答えた。
母のことを問われた ──「言いたくありません。興味もない」と答えた。
友人はいたかと問われた ──「数人はいました。養護施設の」と答えた。
ほかにも生まれた年、死んだ時の年齢、生前の趣味、好きだったもの、嫌いだったもの……あまり深く追究されることはなく、本当に世間話や自己紹介程度の内容ばかり。
転生者を知っている魔王にとって、現代日本の文明や科学技術程度には、なんの関心も示さなかった。ためしに、その話をふってみても、
「その程度のことなら、他の転生者から聞いて知っているからな」
そう答えられて終わった。
「じゃあ、何故、私の生前のことを?」
「単純な興味本位、というだけではないな」
魔王は長卓の向かい側で両手を組んだ。
「〈勇者〉である君を我が陣営に迎えるにあたり、本国にいる我が同胞、軍の幹部たちにも、ある程度の事情を説明しておく必要がある。また、君が本当に〈極大聖痕〉を顕現した超級の勇者であることも、幹部たちに布告しておきたい」
授業の終わりの刻限。ナハルに対し、王は今後の予定をつめにかかる。
ナハルは近くに侍る水妖の女性を見た後に首を傾げた。
「幹部──それは、イニーさんやアバルさん以外の?」
「ああ。君らを救った際にいた幹部たち以外にも、本国で国務と政務を行う“元老院”、軍務を取り仕切る“軍司令”、彼ら以上の力量があると認められた“筆頭官”など、その数は数百にはなる。だが、〈勇者〉と〈魔者〉の関係を思えば、それを快く思わない輩も多くいるだろう」
少女は納得の首肯を落とす。魔王は言葉を続けた。
「無論、俺が一声“是”と言えば大多数は賛同するが、絶対とは言い切れない。何しろ〈魔者〉数十体を一瞬にして滅ぼすほどの力の持ち主だ。単純な生命保存の原則……生物的な感情として、危険極まりない爆発物だと見做す者は多い。たとえ、君にその気がないと言っても、どんなきっかけで暴発するか判らないと断じる連中がいるだろう。俺の──魔王直々に〈聖痕〉の封印処理が成されたとはいえ、伝え聞く〈極大聖痕〉の権能は計り知れないからな。力の弱い者や、単純に仲間や家族を大事に想う者にとっては、いろいろと物議を醸すことになる」
「はい」
「だからこそ、君の事情と心情を、ある程度まで理解しておくことで、『ナハル・ニヴは本当に神への叛意と敵意を明確に保持している』と周知されていくことが適切だと、俺は考えている」
「だから私の、転生前の情報を知っておきたいと?」
魔王の兜が縦に揺れた。
納得を得たナハルに対し、魔王は逡巡するように兜の後頭部を掻く。
「俺の魔術……魔王の力をもってしても、〈勇者〉である君の個人的な記憶を読むことができないからな。面倒ではあるが、いろいろと協力してくれると助かる」
「ええ。そのくらいのことでしたら大丈夫です。お話しできることは、すべてお話します」
ナハルは快諾する以外の選択肢がなかった。無論、ナハルはすべてを話すことはなかった。そもそもすべてを話す必要性すらない。
ナハルが神の手違いによって殺された転生者であるという証拠として、彼女の生前の情報をある程度くらいは検分しておく必要があるのだ。個人的に言いたくないことや言わなくてもいいだろうと判断できることは、魔王にさえも口を
「ま、誰にだって言いたくないことの一つや二つはあるから、な」
声は、魔王自身のことも含まれている──そのことに言った本人が気づいている──苦く微笑んだような口調であった。
ナハルも笑みを返した。
さらに数日。
魔王による個人授業にも慣れが生じてきた頃合いであった。
孤児院でも読み書き計算の成績はよかったナハルにとって、歴史の授業や魔力の講義……〈勇者〉と〈魔者〉の関係性などを理解することに苦労はなかった。
〈欲を言えば、〈聖痕〉の使い方や神の殺し方について教えて欲しいんだけど〉
そう告げるたびに魔王は「焦ることはない」と少女勇者を
とりあえず彼に教わるままナハルは様々な知識を吸収していった。
(昨日聞いた今日の講義内容は、アバルさんが教師で、『征竜王の物語』か)
図書館へ向かう道すがら、魔王の城の迷宮のごとき回廊や階段を探検気分で踏破するナハルは、赤色の分厚い装丁の小説に思いを馳せる。
征竜王とは、何千年も前に存在したという“竜殺しの王”で、統一王国では比較的人気の読み物──娯楽小説のひとつだ。
一説によると、100年ほど前に魔王を封じ、統一王国に君臨した初代国王の祖であるという噂もあるようだが、両者の血縁については些か信憑性に欠けていると聞く。
しかし、征竜王自体は実在していたと、直接戦ったことのある魔王が証言していた。
(征竜……
現在、魔王の麾下に存在する竜は、ソタラハという巨竜が“ひとりだけ”と聞く。
小さい竜──翼竜ならば何万体もいるようだが、どうやら竜と翼竜はまったく別種の生物と定義されているらしい。
魔王の軍ならば竜など他にもいてよさそうにも思えるが、どうやら、その竜を残して他の個体は絶滅したとのこと。
(会っては見たいけど、……竜が実在するなんて、今でも信じられないな)
これまで多くの人外と異形を見てきたが、本物の竜というのは、果たしてどんなものなのやら。
(明日、陛下が帰ってこられたら聞いてみようかな)
魔王は本日どうしても本国で行わねばならない政務があるとのことで、不在。
(それくらいなら、いい……のかな)
ナハルは自分の立場を勘案して、あまり自分から何かを意見具申するということをしてこれていない。
だが、ここでの生活が始まって一週間以上(意識不明だった期間を含めれば二週間超)を過ごしている。変に遠慮し続ける方が気がひけるというものだ。
そして、ナハルはもうひとつ、重要な案件を考慮していた。
(あー。そろそろ、プレアに手紙でも書かないと)
孤児院で別れた親友のことを思い出す。
二週間以上も音信不通でいるというのは、いろいろと心配させているかもしれない。
(そういえば、どうやってプレアに手紙を出すんだろう?)
魔王には何かしらの方法で手紙を届けることが可能な言動をしていたが、果たして。
「──って……あれ?」
考え事をし過ぎたようだ。
見覚えのない廊下の光景に足を止める。
「どこだろう、ここ?」
城の内部は、あたりまえのことだがルート案内の表示などありはしない。
仕方なく来た道を戻って歩くが、さらに迷う結果をうむだけであった。
いったいどれだけ考え事に夢中だったというのか。
「どうしよう……巡回する衛兵さんもいないとか」
最近はイニーやアバルの案内に頼らず城内を行き来しようとがんばったのが裏目に出てしまった形だ。
窓があれば、外から確認できる位置でだいたいの移動手順は見えてくるのだが、城の中枢部にでも降りてしまったのか、外の景色を望めるものは一個もない。
「おかしいな。階段なんて一個も降りたはずないのに」
図書館へは階段をのぼることはあっても降ることはなかったはず。奇妙な違和感を感じつつ、ひたすら廊下を駆けまわるナハル。
そんな少女の前に、
「お困りのようだな! 小さき〈勇者〉殿!」
巨獣の咆哮を思わせる男の大音声が現れた。
ようやく衛兵にあえたと喜んだのも束の間、
「え、と──誰、でしょうか?」
「おっと! これは失敬!」
男は浅黒い肌にマグマを思わせる赤い髪、鋭い二つの角と爬虫類を思わせる尾の持ち主であった。
漆黒の軍服を身に纏う青年は、実に好意的な微笑みを浮かべて、廊下奥のひらけた空間──舞踏会でも開けそうな楕円形アリーナの中心で、両腕を組み仁王立ちしている。
「我が名はソタラハ!
「お見知りおきを!」という強い声まで
元気がいいというか、騒々しいというか……ナハルは少し苦手に感じた。
「えと、すいません──私どうやら迷ってしまって」
「うむ! それならば安心されよ! 君が迷ったという事実は存在しない!」
「いえ、あの私は図書館へ」
「何しろ! 貴殿をリギン殿の“城”に一瞬で招き入れ! この闘技場にまでご足労頂いたのは! 我等の総意でありますが故!」
ナハルは身を固くした。
少女が迷ったのも無理はない。否、迷ったのではない。
いかなる手段でか、ナハルにも気づかぬうちに魔王の城とは“別の城”に足を踏み入れるように手引きされていたのだ。
「いったい、なんの目的で?」
かろうじて訊ねることができた。
ナハルの傍には、水妖の乙女も、骸骨の女性も、純白の魔王も、誰一人としていない。
代わりに、アリーナで対峙するソタラハの他に、筋骨隆々な狼男と、古い包帯を纏った姫君が、左右の観客席に佇んでいるのが見えた。
ソタラハは傲然と告げる。
「ナハル・ニヴよ! 我から汝へ! 尋常に決闘を申し込む!」
青年の身体が変転する。
鋭い牙、肢の爪、被膜の翼、二本の角と巨大な尻尾──蜥蜴を思わせる巨大な面貌。
そこに顕れたのは、真紅と漆黒に彩られた、
『いざ! 勝負!!』
巨竜の大咆哮が、ナハルの総身にそそがれる。