アマランサス~人でなしとろくでなしの学生生活~ 作:只の・A・カカシです
もう少し、更新頻度を上げなければと、思っても書く速度が上がらない・・・。
時刻は午前九時一五分。
一年一組の生徒たちは、日程二日目の一つ目の活動である登山について、インストラクターからレクチャーをうけていた。
現在、一組がいるのは登山道入り口の広場なのだが、そこに他のクラスの姿はない。
厳密に言えば四組はいる。しかし四組は入山を始めており、半分と残っていない。
原因は一組が出遅れたから・・・ではない。というより、それは学級委員長の若狭が意地でも阻止する。コース内に難所が設けられており、通行できる人数の上限が低いので時間をずらしながら入山せざるを得ないのだ。
ちなみに順番は活動ごとに入れ替わっており、登山活動の先頭は二組で、一組は最後である。
「それでは出発します。」
九時半になった。広場に体育座りで待機していた一組の生徒は立ち上がる。
「では、一班から順番に進んでください。」
一組の人数は三二人。このコースの難所は、その人数でも渋滞になってしまう。そのため班ごとに分かれて出発する。
出席番号順で半は分けられていて、一組の第一陣となる一班の六人が歩き出す。待機場所から数十メートル離れた場所にある、『登山道入り口』と書かれたアーチ型看板を一班がくぐる。
みんなでの登山だからなのか、インドア派の生徒は登山がどんなものかを知らないためなのか、全体の雰囲気は明るかった。
「チョー暑い・・・。」
「もう帰りた~い。」
太陽が真上に来て気温が上がってきた。上がったと言っても普通に生活を送る上では適温と言われる気温なのだが、二時間も通しで歩いている生徒にとっては十分に高く、多くの班でペースが落ちていた。
「ここで昼休憩です。」
広くはないが、三〇人程度が休憩するには充分な広さのある場所。一足先にそこへ到着していたインストラクターは、生徒が到着する度に呼びかける。
「やった~、休める。」
「もう、ここがゴールでよくない?」
到着直後にへたり込む者は少なからずいたが、家庭教育がしっかりした者が多い学校の特色もあり、レジャーシートを敷いたり折り畳みの椅子に座ったりと、地面に直接座っている者はかなり少数。
「ここで昼休憩を取ります。」
また一班、休憩場所へと到着した。
「これで全員が到着しましたか?」
ガイドは手元のカウンターを見る。全員が揃っていれば数字は三二であるべきなのだが、二四となっている。現状で最後の班の到着からは二〇分以上経過しているため、どこかで数え間違いをしてしまったかと疑う。
「まだ一班、来ていないですね・・・。えっと、あれ?」
その隣で、名簿を持ってチェックを行っていた先生が首を傾げた。
「若狭班(六班)が来ていない。まさか、もっと先に行っちゃった?」
「お言葉ですが、彼女たちより先に出発した我々は追い越されましたか?」
「そうですね・・・。」
若狭がいる班ならば、最後尾で出発しながら先頭を追い越していても何ら不思議ではないと一組の担任は思ったが、言われてみればその通りである。
それから更に二〇分以上経過したが、一向に現れる気配がない。
「遅い人がいると時間がかかることもありますが・・・。」
「若狭がいる班ですから、遅い人がいても二班くらいは追い越していても不思議じゃないです。それが、こんなに来ないなんて・・・。」
「随分と買われているようですが、一人へ肩入れするのは危険ですよ。」
ガイドは、種類は違えども教える立場の者として忠告する
「そうなんですけどね。あはは。でも彼女、本当に優秀なので、この状況が心配と言いますか・・・。」
先生の言い分を、肩入れではなく信用していることをアピールしたいのだろうなと受け取る。ただ入学から一月と経っていないのに、それ程までに思わせるなら相当に優秀な生徒であることもまた事実と、ガイドは気持ちを切り換えた。
「念のため捜索の応援を要請します。休憩時間が終わっても来なければ、今いる生徒たちだけで出発しましょう。」
「置いて行くんですか?!」
先生が動揺していては生徒たちが不安になってしまうと、ガイドは落ち着くように促した。
「気持ちは分かりますが、仮に私たちが引き返して事故に巻き込まれたらどうしますか?ミイラ取りがミイラになったのでは意味がありません。他の生徒を守るためにも、ここは我慢して下さい。」
結局、昼休憩の間に六班が姿を見せることはなかった。
一部の生徒からは心配の声も上がったが、不安を広げないために六班は先行したことにされた。
一三時。生徒たちが登山を再開する。出発時は一班からの出発だったが、各班の速さが分かっているので順序を入れ替え、速い班が先発する。速い班から出れば、後発が追い越しをする可能性が減り、間隔を詰めて出発ができる。
最後の班が再出発した。六班の二の舞を作らないために、先頭の班にガイドが、最後尾の班に担任の先生が付いて歩いた。
再出発から一時間が経過した時のこと。先頭の班に帯同していたガイドの携帯電話に着信があった。ポケットからそれを取りだし、相手を見るとガイド仲間からの電話だった。
先頭班と、見える距離で追従してくる二番手班との中間付近まで後退し、電話に出る。
「はい、もしもし。・・・そうですか。」〈どこに行ったの?!〉
出てすぐに伝えられたのは、「発見に至らず」と言うことだった。表には出さないもののガイドは酷く動揺する。
「こちらは一切。・・・はい、今のところ正常です。」
状況報告をして、通話を終了する。それをポケットに戻してから、深呼吸を数度行って心を落ち着かせる。
不安から来る動悸は止まらない。それでも
〈六人が纏めて消えたとなると、事故?それとも事件?いいえ。六人もいたら、事故でも事件でも、跡形もなく消え去るなんて、そんなこと・・・?〉
そんなことを考えていると、携帯へ再度着信のあることに気が付く。
何か伝え忘れでもあったのだろうか。そう思った彼女は、特に掛けてきた相手を確認することもなく電話に出た。
「もしもし。」
『もしもし。自然の家、事務室ですが。』
「・・・はい?」
故に、想像していたものとは違う声に、彼女はしばし固まった。
-*・山本・*-
私たちは、スタータ地点と一組の昼休憩場所との間の、スタート地点側から測って四割ほどの地点を歩いているらしい。「らしい」と言うのは、九谷と松木君がそう言うやり取りをしているのを聞いただけで、私にはサッパリだから。
お腹が空いたなと思い時計を見る。時刻は一二を過ぎていた。
早急に追いつかなければいけないのだが、逆に私たちは昼休憩の場所から少しずつ遠ざかっていた。
理由は単純なこと。六班はコースを逆走しているからだ。
別に、ふざけて逆走しているわけではない。
三〇分ほど前のことだった。コース内の要注意箇所にされている個所を通行中、班員の一人・・・と言うか私なのだけど、足を踏み外してしまった。その時、若狭さんが超人的反射神経で助けてくれたところまではよかったのだが、身代わりにでもなったように彼女が足首を負傷してしまった。傍目には怪我をする要因は見当たらなかったのだけど・・・。
本人も、それほど大事ではないと思っていたらしく、少し休めば痛みが引くと言い張っていた。けれど時間が経っても痛みが引く様子もなく、そればかりか足首部分から下の腫れが酷くなっていた。
そんな状態でも若狭さんは頑なに歩こうとしていたので、九谷と松木君が二人掛かりで『山を舐めるな!』と説得して、歩くのを諦めさせた。
とまあ普通なら、その後は引き返すか救援を呼ぶかと言う話になるはずなのだけど、こともあろうに九谷と松木君は若狭さんを介助しながら進もうとし始めた。
すかさず残りの五人で「それこそ山を舐めているでしょ!」と、五対三の多数決で止めて現在に至る。
若狭さんが怪我を負ってしまった原因は、私たち全員にある。彼女は普段、細かいことまで求めてきて目障りに感じることも多いが、今回に関していえば非はない。
あれは出発してから二〇分が経過した頃だっただろうか。本人のプライバシーのために名前を『Yさん』とする・・・いや、私を含めて六班には五人の『Y』がいるのだけど、その一人が急な腹痛に見舞われた。
仕方のないことだけど、私たちは一度通過したキャンプ施設まで引き返しYさんの回復を待った。ただでさえ最後尾の出発で時間に余裕が無かったのに、そこで更に時間を消費してしまった。
遅れが大幅なものなら、いっそ諦めて遅れたまま歩いたかもしれない。だが絶妙に取り返せそうな遅れだったため、遅れの原因となったYさんが張り切りすぎて、釣られて全員が・・・いや、頭文字が『Y』ではない三人は余裕たっぷりだったけど、頭文字『Y』の五人衆にとっては許容を超えた速さだった。
とまあ、その結果が前述の事態を引き起こしてしまったわけだけど・・・。
「どこへ行くつもりだ?」
若狭さん、九谷、松木君の後ろを歩いていたので気が付かなかったが、私たちは分かれ道に差し掛かっていた。
私には分からなかったのだけど、続けて「右から来たぞ」と言ったということは、九谷か松木君が左にでも進もうとしたのだろう。もっとも私は、どっちから来たかなんて覚えていない。
「大丈夫。左の道の方が歩きやすいんよ。」
それにしても、あの若狭さんを相手に堂々とものが言えるのは凄い。編入してきたばかりなので、彼女の性格を知らない可能性を否定はできないが、少なくとも私は、入学初日から若狭さん相手にはビビりっぱなしである。
「これ見て。」
ポケットの中から、松木君が折りたたまれた紙を取り出した。彼はそれを広げ、若狭さんに見せる。
「
彼の手にある地図を、そっとのぞき込んで見る。コースの概略図のあることは分かったが、要所の写真が掲載されているだけで、私にはサッパリ理解できない。
何れにしても私に出来ることは、詳しい人の足を引っ張らないように付いていくこと。
その後、自然の家に着くまでに通った道は、往路に比べて随分と歩きやすいように整備されていた。三人の判断は最適解だったということになる。
その代償として、引率の人達に混乱をもたらしていたのだが、あの時の私達にそこまで考える余裕は無かった。