ありもしなかった影のはなし。   作:ナナホシテントウ

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 この小説は視点切り替えありの、一人称小説です。
 視点切り替えは『side:○○』で統一します。


【簡易的な人物紹介】
・ヴィヴーティ
 この小説の主人公にしてヒロイン。カルナの双子の弟。
 元女の子、現男の子のTS転生。
 外見は没案カルナさんに採用カルナさんの胸にある石をくっつけたかんじです。
・カルナ
 この小説におけるヒーロー。ヴィヴーティの双子の兄。
・スーリヤ
 インドの太陽神。カルナとヴィヴーティの実父。
・クンティー
 双子の実母。双子を生んだ時点ではまだ王妃じゃなかった。
・アディラタ
 双子の養父。王の御者。
・ラーダー
 双子の養母。アディラタの妻。




第一話・聖人と俗物

side:ヴィヴーティ

 

 かつて××として生きた魂が『私』として此の世に生を受けた時、その傍らには常に彼が居た。

 私と彼はいつも一緒だった。母と思しき女性の腹の中に生じた時も、産み落とされ、その腕に抱かれた時も。

 

 そして、生みの親たる母の手で、箱に詰められ川に流された時も、私と彼は、一緒だった。

 

 不可思議な出生だと自分でも思う。私には前世の記憶があり、しかも以前の性とは逆の性、男性として生まれて来たうえ、生まれた時代は遥か過去の神代、血筋は太陽神スーリヤとクル王パーンドゥの妃・クンティーの子ときた。

 数奇にも程があるだろうと頭を押さえても、生まれ落ちた事実が変わることは無い。何も変わらない事を考えるよりも、変えられる事を考えなければ。そう思っても成熟しかけた自我はしきりに過去と現状の差異を確かめたがるから、考えたくも無いことほど良く考えざるを得ないのだ。

 生まれてから五年弱、三歳頃から身体を酷使する事に慣れ親しみつつある今、深く考えるのは前世では持ち得なかった兄弟のことだ。

 ともに川に流された双子の兄・カルナは自分がスーリヤの子であり半神半人であることは本能的に知っていても、母親が誰かまでは知らなかった。

 生みの親の不在というのは彼に多大な影響を与えたようで、カルナは近所でも評判の『不愛想な子』になってしまっていた。

 カルナ……兄上は絶世と言って差し支えない程に整った顔立ちをしているが、目付きが鋭く、尚且つ無表情が基本である為、冷酷無慈悲を形にしたような酷薄さがある顔になっていた。

 血の気のない青白い顔も、その悪印象を助長する一因となっているのだろう。率直に過ぎる言葉選び、いや、余りにも言葉を選ばない、素直過ぎて鋭利を極めた言動と相まってか、兄上は常に他人に対して盛大な誤解を与えては敵対者を増やしていた。

 勿論、兄上の双子の弟である私もそっくり同じ顔をしていたのだが、兄上と違って生みの親、特に母親を親として見れず養父母を実の両親と思い親しんでいたからか、性格に差が出て、そしてそれが顔や雰囲気に出た。

 違いと言えば、髪色や瞳の色、父たる太陽神スーリヤから賜った黄金の鎧のデザイン、そして生来持ち得た性格くらいのものだろう。

 そのおかげか私は兄上より表情筋が緩く、感情表現が解りやすいため敵対者はあまり生まれなかった。兄上の通訳に心を砕いた事もあって兄上が山と作り上げた敵も丘程度にはなったが、それでもやはりそれなりの人数から怨みは買ってしまうのだが。

 

 閑話休題。熱くなりかけてしまった。

 かるく頭を振って思考を追い出し、それにしても、と私は無理やり話題を反らしながら養父アディラタを挟んだ向こう側に立つ兄上を見やる。

 兄上も私も齢五つになり、御者の息子として馬車の扱いを仕込まれている昼日中、馬を繋げていない御者台で手綱の操り方を学ぶカルナの真剣な横顔に私も頑張らなくてはと競争心を刺激されつつも、頭の片隅では未だ見ぬ母を想う兄の事を考える。

 確かに、この時代……というよりも、この国で未婚の母である事は酷く不名誉な事だろう。その上結婚相手は国王その人、不貞を疑われるのを恐ろしく思う事は当然とさえいえよう。

 しかし、だ。クンティーは、母は好奇心で神と通じるマントラを試し、出自を証明するための黄金の鎧と耳飾りという誠実さを示されてなお私たちを捨てたのだ。己の不義理を責められたくない一心で、母親はただの女になったのだ。

 未だ明確に自我を得ていなかった赤子を前に、取り乱しながら己の保身と体裁ばかりを気にして狼狽える女の姿を、私だけが見ていた。

 彼女は川に流されていく我が子を見送ることすらしなかった。ガンガーの偉大な流れに呑まれる様すら見届ける時間が惜しいとでも言いたげに、クンティーは二つの命が入った箱を川の真ん中へと押しやると、人目を忍んで一目散に逃げたのだ。

 赤ん坊のろくに見えもしないはずの眼が克明に後姿を捉えたのは、私に神の血が入っていたからだろう。

 兄上の記憶の始まりは乳離れが済んでかららしいから、兄上が未だに生母を慕うのは無理も無い。だからこそ私は兄上の心にケチをつけるような真似はしない。しないが、同意する事も無い。

 確かに彼女は生母だ。彼女なくして私も兄上も存在しえない。その点については感謝しよう。

 けれども、父たるスーリヤの誠実を裏切り、私たち兄弟を捨てたことだけは、何があろうと決して赦しはしないだろう。

 ぎゅっと瞼を強く閉じれば、思い浮かぶのは荒れ狂う灰色の水面と、ひっくり返りそうになるくらいに揺れる箱。その中で高らかに声を上げて泣き喚く真白の赤子に、彼が波に攫われないようにと必死になって強く抱きしめた身体の熱量と、痛い程に肩を手を掴んで離さない紅葉手の小ささ。

 生まれ順では確かにカルナが兄で、精神面でも肉体面でも私は兄上より幼く見られがちだが、その時その瞬間、兄上を守っていたのは私だった。

 『カルナ』という命を抱き込んで、その灯を消させはしないと奮起し、吠え猛るような泣き声を上げたのは、私だったのだ。

 生まれた時から一緒だった生命の鼓動が、未だ共に並んで此処に在ると証明し続けた私だからこそ、私を――兄上を棄てたクンティーを、赦せない。

 

 脳裏で仄暗い感情が黒い炎を揺らめかせたのを切っ掛けに、深く沈んでいた思考を今に戻す。

 兄上の手綱捌きを褒めていた養父は傍らでもう一人の息子が思考に没頭していた事に気付かなかったらしいが、兄上は何事かを察したのか、養父から訓示を受ける合間に何か言いたげな視線を寄越してきた。

 それに対して曖昧に微笑めば、視線に力が入って眼光が鋭さを増す。「後で詳しく聞かせてもらうぞ」という事らしい。

 この頃には既に自我が完成形の様相を見せ始めていたカルナだが、基本的に人の心の機微を学べていない。というより、兄上自身が己を偽ったり取り繕ったりする事を知らない。

 思慮深く義理堅い人間であるのに、人間らしさの極致の一つ、欺瞞や虚飾といったものを徹底して排した言動をとるが故か、周囲の兄上への評価は『冷血無慈悲』『鉄面皮』といったマイナスイメージであるものが多い。

 弟としてはそれは全くの正反対だと声を大にして言いたいが、兄上自身がその手の評価を「そういうものか」と受け止めてしまうため、結局は地道に兄上の通訳をしつつ、行動から垣間見える信念や善意を解説してやる他ない。

 まぁ、私としてもちょっと兄上は我欲が薄すぎて高潔にすぎると思うから、もっと俗世に馴染んで良いのにと思わないでもない。

 聖人君子の弟だが、私は結構俗物なのでその辺りが少々辛かったりする。まぁ、兄上の性格上仕方のない事であるし、別段そんな兄上が嫌いなわけではない。むしろ下手に嘘を吐かないから好ましくすらあるのだが。

 そんな兄上の追及はそれはもうド直球にデッドボールを打ち込んでくるようなものだから、慣れた私でもご遠慮したい代物だ。相手が悪意ゼロである事と、最近やたらと隠し事を見抜かれる事もあって、兄上のもの言いたげな視線は有耶無耶にできるならしたいものだった。

 

 そんな私の『逃げ』を感じ取ったのだろう、兄上の強烈な意思を孕む視線が一層強くなる。なんなら身体を突き抜けて向こう側まで穴が開きそうな気配に、私は観念して了承を返した。

 

 

 

 

 

 

side:カルナ

 

 

 俺の記憶の始まりから今の今まで、俺の傍らには常に弟がいた。俺の双子の弟は、だからこそ生まれる前からも共に居て、きっとこれから先もずっと隣にいるのだろう。

 光輝、尊厳、栄光そして神聖灰を意味する名・ヴィヴーティを冠して生まれた弟は、その力強く光に満ち満ちた名とは裏腹に、ひどく優しく繊細で、それでいて非常に怖がりな泣き虫であった。

 けれど泣き虫と言っても、ヴィヴーティはそれを決して面に出さない。俺と同じ容貌故に鉄面皮と呼ばれかねない程に凝り固まった顔をしているが、性格の違いが如実であるためかヴィヴーティの表情は俺よりも柔らかく、雰囲気は非常に解りやすく変化する。

 楽しい時は明るい空気を、哀しい時は悲痛な気配を漂わせる弟は、表情の有無なんて無関係なほど感情豊かに振る舞った。

 まるで日溜まりのようだと人は言う。あるいは木漏れ日のようだとも。

 確かに、ヴィヴーティの傍は安穏と心地よく、葉に砕けた陽光のように柔らかに煌めく笑みは張り詰めた空気を容易く緩めた。

 甘えが許される場所。憩う事に何の呵責も無く在れる場所。ヴィヴーティは太陽神スーリヤ温和な側面を強く受け継いで生まれたのだと思わせる程に、弟の空気は柔らかで温かかった。スーリヤの子である証明として授かった黄金の鎧を見比べてみても解る事だ。太陽の光が凝って出来た黄金の鎧は俺たち其々に与えられていたが、俺の鎧が何もかもを暴き燃やし尽くす苛烈な熱線だとすれば、弟が賜った光はまさしく日溜まりのそれ。緩やかに風を孕んで波打つ金の外套は眼に優しい明るさで翻り、裏地の黒は日陰を思わせる穏やかさで静かにたたずむ。

 緩く波打つ赤髪は美しく、様々な感情で煌めく朱金の瞳は常に思慮を滲ませた優しさを宿す。

 俺とそっくり同じ面差し。だのに色彩も性質も異なる半身は、この時代を生きていくには辛い心根で生まれ落ちた。

 だからこそ、ヴィヴーティの性状は恩恵足りえるのだろう。平和な世ではありふれる気遣いが、此の世では値千金の甘露となる。

 その恩恵を求めるのは何しも人間に限った話では無い。むしろ、人間社会の柵など一切歯牙にもかけない獣ほどヴィヴーティの傍に侍りたがった。

 ヴィヴーティの周囲は特別だった。肉食の獣も草食の獣も、弟の近くでは決して互いを傷つけあう事無く安らかに憩い、微睡み、その手に撫でられ心を向けられる至福を享受する。その一角だけが地上の楽園の如き様相で、時折、聖域染みたその空間に声を掛けることすら躊躇いもした。それほどまでに、ヴィヴーティは天上の生き物に近く見えたのだ。

 それでも、人間は逸脱する者を認めない。男、それも戦士でありながら女のように嫋やかに振る舞うヴィヴーティは崇敬されながら嘲弄されていた。

 弟がそれで泣くなり怒るなりしてくれたら良かった。そうしてくれたなら、嘲る男たちを一喝して弟を強い男へと導いてやれたかもしれないのに。

 だが、弟は決して涙を他人に見せることは無かったし、心の裡に潜む仄暗いものを表に出すことは無かった。あまつさえ嘲弄を真正面から受け止め、さもありなんと頷いて見せる事さえした。

 養母ラーダーが突然の腰痛に倒れ伏した時など、右往左往する俺と養父をぴしゃりと窘めて医師を呼びに走らせ、迷いのない手つきで養母を寝具まで運び、腰を労り、遂には美味い飯までこさえて見せた時は、思わず放心しながら一夜を越したものだ。

 器量が良く気立ても手際も良い弟はよく「お前が女だったら良い嫁になれただろう」と言われていた。本来ならば男として酷い侮辱を受けたと怒るべき当人も「生まれてくる性別を間違えたか」と苦笑するばかりで、その評価を嫌がる事は無い。

 ともすれば冗談めかして「ならば花嫁修業でもしてみるか」と間を見て養母の手伝いまで完璧に熟す始末。養父は一時期頭を抱えたものの、ヴィヴ―ティは決して御者の訓練を疎かにする事は無く、さらには俺のように武芸の腕を磨く事も放り出さなかった。

 人より多く手を伸ばす分、人より数倍密度の濃い時間を。妙な所で頑固で凝り性で努力家だったヴィヴーティは、そうやって誰よりも熱心に一日一日を生きていた。

 

 誰よりも必死になって努力を示しながら、疲労以外の理由で震える拳を胸に抱いて、生きていた。

 

 当人は我慢している自覚などないのだろう。なにせ弟は非常に解りやすく身内とそれ以外とで態度が違う。他人に褒められるよりも身内、特に俺に褒められた時は周囲に花でも咲いたかのように喜ぶ。ただでさえ嬉しい出来事には表情筋の制御が出来ない弟なのだから、意図して表情を取り繕う事などできはしないのだ。

 自惚れでも何でもない純然たる事実として、弟は俺に対しては顕著に感情を隠せない。そんな弟が無意識に隠せてしまうそれ(・・)に、俺は弟の、ヴィヴーティの闇を見た気がした。

 「あにうえ、あにうえ」と無邪気に慕ってきた弟の抱く闇の正体には薄々気が付いている。さらに言えば幾度か言及したことすらある。

 けれどそれを口にしてしまえば、ヴィヴーティは決まって酷く似合わない顔をするのだ。

 誰かを心底憎もうとして失敗したような、信じていた誰かに手酷く裏切られたような――悲哀と憤怒の入り混じった、失望を叫ぶ、迷子の子のような複雑な顔をして、わらうのだ。

 その顔を見てしまえば、これまで抱えていた己の些細な疑念程度で大事な弟の心の柔らかい部分を切り裂いてしまった事に、罪悪感を抱かずには居れなかった。

 だからこそ、この問答は疑念が溜まりに溜まった頃に口をついて出てくる。言わなければ良いものをと都度悔やみながら、今度こそはヴィヴーティの本音が聞けるのではないかと、つい唇を震わせてしまう。

 思うに俺はヴィヴーティの事で知らない事があってほしくないのだろう。

 実際、養父母にも笑って揶揄われたのだ。「お前たち双子は本当にお互いが大好きなのだね」と。

 手と手を繋ぎながら彼是とお互いの好悪を教え合っていた俺たちは、当然だと大きくうなずいた事を覚えている。

 俺たちは双子だ。けれど顔貌こそ似ているが、持って生まれた性状は違っている。似た者同士で在りたかったと思わないではないが、そう成らずに生まれた今を嘆くことは無い。なにせ俺は今のヴィヴーティ以外の弟の姿を想像できないし、しようとも思わない。

 ヴィヴーティはよく「私も兄上のように強く在れたら良かったのに」と思い悩むが、俺からすればそのような事は考えるだけ無駄である。

 もしもヴィヴーティが俺のようであったなら。その様を思い描くことは出来ないが、きっとあのはにかむ様な心擽られる微笑みは一生目にすることは無いのだろう。

 

――あまり考えたくないが……もしヴィヴーティの抱える闇がその笑みを奪うものならば。

 

 どうやって俺の追及から逃れようか。そう考えている事が丸解りな無表情に向けて視線を強める。

 一瞬だけぴくりと引き攣った頬と、直後に向けられる観念したような苦笑に、俺は一つ頷いて視線を手綱に戻した。

 

ーーもしもヴィヴーティの脆い部分を彼の抱え込む闇が食い散らかすのならば、兄である俺がその闇を蹴散らしてやろう。

 

 小さな、だがいずれは大英雄と呼ばれる少年の、内に秘めた秘密の誓い。

 きっと叶うはずだった。大英雄となる少年なら、大英雄であるカルナなら、いずれきっと叶えられるはずだった。

 

 けれど、その誓いは果たされない。

 その願いは叶わない。

 それは偏に、カルナが彼の兄であるが故に。

 

 兄の幸せを願い続けて生きた弟は終生、天秤に乗る事すらしなかった。

 





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