ありもしなかった影のはなし。   作:ナナホシテントウ

3 / 6
 
 今回、少し長めですが、一話すべてヴィヴーティ視点でお送りします。


第二話・修練と試練

 

 少しだけ昔の事だ。私は兄上に問うたことがある。

 「兄上、兄上は如何してそれ程までに他者に施す」と。

 その時は兄上が市場で金を失くして困っていた老人に対し、丁度良く持ち合わせていた老人が求める品物を譲った直後だったように思う。

 しきりに感謝を示して去りゆく姿を見送り、その背中が完全に見えなくなった頃に投げかけた質問に、兄上は一瞬だけきょとんと眼を丸くした。

 今の兄上を思えばとても珍しい事だと思うが、それでも幼い時分はそれなりに表情が動いていた。

 子供ながらに日銭を稼ぎ、時に狩りや釣りをして食い扶持を確保していた私は、容易く己が労働の対価を見ず知らずの人間に差し出す兄上の事が不思議でならなかった。

 

「あの老人はその場の金銭にこそ困っていたが、身なりを見る限り相応の身分であったように思う。少なくとも、家に帰りつけば蓄えもあっただろう。そんな相手に兄上が施す意味はあっただろうか」

 

 今思えば、なんて無駄な問いだったろう。兄上の高潔さをはかりきれていないなかった俗物の浅い考えに、兄上は漸く得心がいったとばかりに傾げていた首を戻し、透明な目で私を射抜いた。

 

「ヴィヴーティ、お前も俺も人より多くの物を戴いている事は解るだろう。であれば、他より優れている俺たちは相応に与えなければならない」

 

 そうでなければ、この身に纏わる父の威光を穢すだろう。

 そうでなければ、恵まれた出生である自分たちより力のない人々の生に恥じ入る事になるだろう。

 言外に告げる真意は潔癖で、それでいて強い信念に支えられていた。

 当たり前すぎて考えた事も無かったが、お前はそうではないのか。そう語り掛けてくる透徹な瞳に映る私の姿は、あまりにも――

 

 

 

 

 

 

「――……ゆめ、か?」

 

 瞼を陽光が掠めた瞬間、スイッチを切り替えるように私の意識は微睡みの淵から浮上する。

 日の出と共に起床すれば、傍らの寝床でほぼ同時に目を覚ました兄上が私の呟きに首を傾げながら身を起こしていた。

 おはよう、と異口同音に全く同じタイミングで挨拶を交わせば、間髪入れずに「夢、とはどんな夢を見た」と問われ、目の淵をゆるりとなぞられる。

 どうやら普段より隈が濃くなっていたらしい。頻繁に悪夢を見るせいか、目の下に陣取る隈とは長い付き合いになってしまった。

 夢見が悪いと体が冷えるせいか、あからさまに自分より体温が高く感じる兄上の指を退け、一言「昔、失敗した時の夢だ」と答えて立ち上がる。

 軽く身体をほぐしながら傍らに寄せていた武具を一式まとめて抱え上げ、兄上を朝の鍛錬に誘えば、どこか納得していない風ではあるものの、常の事と諦めてくれたのだろう。兄上もまた傍の壁に立てかけていた弓を持ち出し、寝起きの人間とは思えない軽やかな足取りで近付いてきた。

 その背丈は私と同じで、それでも五つの頃よりは当然大きく育っている。

 御者として手綱捌きを養父から学んでいたあの日から、時は既に数年経過し、私たち双子は十代も半ばを過ぎていた。

 

 

 

 今から数年前の事だ。

 齢が二桁になる前に、私と兄上は養父から学び得る全てを体得してしまったため、兄上のかねてよりの希望で私たちは武術を学ぶことにした。

 丁度良いことに繁栄著しいクル王国の王族、それもパーンダヴァとカウラヴァの両殿下方の武術指南を任されたドローナというバラモンが王子だけでなく学ぶ意思のある者すべてに広く門戸を開いた事もあって、私と兄上は揃ってその小奇麗な鍛錬場の門を叩いたのだ。

 当然、喧伝はある種建前で、正確には両殿下方の実力に追従できる技量の無い者は見込みなしとして問答無用で放り出されるであろう事は承知の上で。

 けれども私たちは食い下がった。早々に放り出されるだろうと陰で笑っていた者達の予想を裏切って、私は、特に兄上はドローナ師のお気に入りであるアルジュナ以上の実力を見せつけたのだ。

 それに手を叩いて喜んだのはカウラヴァの百王子達で、パーンダヴァの五兄弟は酷く不満げな顔をして兄上を睨みつけていた。

 涼しい顔をして彼らの嫌悪を受け流す兄上に、私はと言えば冷や汗をかいていた。

 解り切ってはいたが、兄上、いくら日常の鍛錬の延長とはいえ、体裁と面子を気にする王侯貴族のど真ん中でそんな事をしたら盛大な挑発としか受け取られないぞ。ほら、周囲を良く見てみるんだ兄上。あの悪鬼羅刹もかくやという程に憎悪と嫉妬に歪んだ彼等の顔を。

 その場に存在する悪意という悪意全てを向けられる兄上――だが、やはり彼らの内心は察せても何故憎まれるか解っていないらしく、不思議そうにしながらも「次はお前の番だ」と矢を手渡してきた。どうやら疑問より先に鍛錬を優先するらしい。

 遠目にドローナ師の青ざめた顔を見ながら、さりげなく身体をずらして射殺さんばかりに睨んでくる五兄弟の視線から兄上を隠す。

 幾分か和らいだ視線に内心息を吐く。後は鍛錬になる程度に加減して、兄より出来の悪い、けれども放り出す程技量がない訳でもないと認識させるかと、受け取った矢をつがえ、上半身を効率よく使って弓を引く。

 あとは的に、出来れば中心を少し外してあてるだけなのだが……しかし、これは……そうだな。

 手を抜こう。そう考えていた一瞬前の自分を殴り殺し、全ての神経を的に集中させる。

 一気に張り詰めた私の気配にどよめく群衆の声は耳に届く前に黙殺し、脳髄から脊髄まで一息に宥め、澄ませる。

 別たれていた体と弓、弦と矢が一体になる感覚。自分がただの武器になる実感。

 視覚ではなく脳で物を捉える感覚だ。他の感覚器官の補助で広範囲を網羅するそれ(・・)を一点に収束させてやれば、違う事など億に一つも無い絶対の回答が提示された。

 眼前にあるものを射抜く。其れだけの機構に成った(・・・)瞬間、風船が破裂するような音と共に、収束していた感覚が勢いよく広がった。

 ただの道具から一個の自我を持った生命体へと戻るまでの一秒に満たない間に押し寄せた情報を処理すれば、先ほどまで周囲に渦巻いていた憎悪は驚愕一色に塗り替えられていて。

 

 木っ端微塵になった的だったものと、純粋な向上心と闘争心に燃える兄上の眼を見て、やはり一層煽っていくスタイル(こちら)で正解だったと私は努めて明るく微笑んだ。

 

 驚愕から立ち直った王侯貴族らが燃やす対抗心には、割と解りやすく気付かないふりをして。

 

 

 それから数年経って、現在。

 私たちは相も変わらずドローナ師の手ほどきを受けている。私もカルナも大体の武器は人並み以上に扱えるようになり、今は各々が得意な分野を磨いているところだ。

 兄上は弓を取ったが、私はどうにもしっくりくるものが無かったため、主にカラリパヤットゥなどの体術を学んでいる。武器は状況に合わせて持ち変える万能型だ。言葉を選ばない兄上は「器用貧乏な暗殺者だな」と言っていた。どうやら手数の多さと身体の柔軟さを褒めてくれたらしい。

 あぁ確かに、と納得を示す私とは対照的に、普段敵対している貴族の子弟たちや五王子たちが目を剥いて兄上を見ていたのには少々笑った。

 兄が弟に、それも必死になって努力している者に言う台詞ではないと思ったのだろう。これが百王子の長・ドゥリーヨダナであれば腹を抱えて笑ったのだが。

 それはともかくとして、敵対……否、敵というか、私たち双子を目の敵にする弟子たちは、出会い頭の挑発と常日頃の兄上の態度もあって当然の如く多いままだ。こればかりは私たちが悪いため、都度兄上のフォローをする以外に対応できない所が辛い。

 ……あぁ、辛いと言えば、ドローナ師だ。

 ドローナ師は、私たちの最初の印象が悪かったからか、はたまた王子殿下の機嫌を損ねたくないからか、王子達には奥義(ブラフマーストラ)を教えたが、私たちには決して教えてはくれないのだ。

 普段はどれ程不幸な目にあってもそよ風の如く受け流していた兄上だが、この王族贔屓には不満が募ったようで、最近はドローナ師以外の師匠を見つけて彼に師事しているらしかった。

 

 らしい、と伝聞でしか物を言えないのは、兄上がその別の師匠に師事している間、私も別で修業をしているからだ。

 ドローナ師の武術修業には、当然ながら毎日通えるものではなく、元々王族の指南役として取り立てられたドローナ師は王族だけに修行を付ける日を設けている。

 そんな日は私たちも生活があるので護衛や御者の仕事をしたりしているのだが、それなりに実力を持った今、仕事を済ませた後は各々自由に日中の時間を過ごす。

 だから兄上と共に居るのはドローナ師の下で鍛錬をする日を除けば、毎日の午前中と帰宅後だけで、午後から帰宅までの時間はお互いに何をしているのか、夜の寝物語代わりに教え合うまで解らないのだ。

 どうやら兄上はドローナ師の師匠であるパラシュラーマ様に教えを乞うているらしい。私は寡聞にしてその人となりや来歴を知らないが、師の師匠というだけあってとても強い御仁だと兄上は言う。

 御者に武術に騎馬に家事にと方々に手を出し過ぎた弊害か、こと人間関係については兄上以上に無知である私にはいまいち良く解らない。何やら気難しい人物だという事は知れたが、それ以上はさっぱり解らなかった。

 さて、兄上はさらなる武の修練を求めて新たな師匠に師事したが、私はと言えば、それなりに波乱に満ちた日々を送っていると言わざるを得ない。

 

 あの日、双子揃って王侯貴族を敵に回した直後から、私は死に物狂いで強くならなければならなくなった。

 簡単に言えば、私を標的に ― 二十一世紀を生きた前世から言えば陰湿さは薄いが殺意が高い ― 所謂いじめ、というものが行われるようになったのだ。

 兄上ではなく私に的を絞ったのは、偏に兄上がカウラヴァの長であるドゥリーヨダナの親友になったからだろう。どうやら彼の敵である五兄弟の目と鼻とついでに口を頻繁に開かす兄上が気に入ったらしい。

 その兄上の弟で、兄に次いで五兄弟の鼻を叩き折る私もそれなりに気に入られたが、そもそも扱う武器の違いで兄上たちと修練場所が異なってしまうため、会話する頻度はとても少ない。そこに目を付けられてしまったため、兄上ではなく私が対象になったのだろう。

 つくづく兄上ではなく私で良かったと思う。私ならば、前世の経験もあって他人の悪意によく慣れている。殺意の高ささえどうにか交わせば、お綺麗に育ってきた彼らの陰湿さは児戯にも劣った。

 当然兄上には言わなかった。ついでにばれるようなへまもしていない。あの兄上相手に善戦していると言えるほど、私の隠匿は完璧だと思う。

 まぁ、そのような理由で必然的に強く……正確には強くなりつつ、何故か私の周囲に集う動物たちが貴族たちに突貫しないよう宥めなければならなくなった私は、その動物たちの伝手で神々の試練に挑むようになった。何でも私がいじめを甘受するのなら、それを牽制する存在として騎獣をつけろ、という事らしい。

 騎獣と言い換えてはいるが、要するに私の護衛である。野生でありただの獣である彼ら ― 神代の末にあるが故か、それでも随分と厳めしく強者揃いであるが ― では、人格が屑でも技量はそれなりにある彼らの牽制には成りえないそうだ。

 

 だからこそ神々を訪ね、ただの獣とは一線を画した存在、神性を、あるいは純粋な強さを持った幻獣や神獣と縁を結び、その身の守りとせよ……と、つい先日怪我をしていたので拾って面倒を見ていた象が言った。

 急に神性を帯びて言語を弄しだした象……障害神ガネーシャは、度肝を抜かれて放心する私に薄く微笑む。

 

「行くのだ、太陽神スーリヤの末の子よ。お前の旅路には十三の試練と十七の神々、一つの呪いが待ち構え、お前に苦痛と難題を課すだろう。だが、臆することは無い。お前は耐え忍ぶ者、他者の為に矛を収め、慈しみ愛する事を是とする者。お前は全ての試練を下し、全ての神々に認められるだろう」

 

 「しかしながら、お前は本当に」。ガネーシャは笑う。透徹な神の眼に親愛を滲ませ、「お前は本当に、妙な所で頑迷よな。それではお前ばかりが息苦しかろうに」と少し困ったような微笑みを残して、消えた。

 まるで白昼夢を見ていたような不可思議な心地だった。呆気なく立ち消えたガネーシャだが、その場に濃密に残った神威の名残と、それを感じてか放たれた矢の如くに私に駆け寄る兄上の姿のおかげで、今起きた全てが現実だと知った。

 

 これが、私が兄上と同じ師匠に付く事をしなかった理由……否、別行動を取ることになった理由である。

 物事の始まりを告げる神からの託宣とあれば、試練は最早避けて通れない道になる。兄上は始終案じてくれたが、神の定めた運命に逆らうことは出来ないと諦めたらしく、最近では帰宅する度に怪我の有無や体調を気遣われる。

 毎回の事だが、父上……スーリヤから賜った黄金の鎧の存在を忘れてはいないだろうかと心配になる。

 確かに、神々から与えられる試練は鎧が無ければ死んでいたと思う程に苛烈で、鎧があっても死にかけた事は間々あるが、こうして生還し続けている以上、問題はないと解るはずなのだが。

 星々の輝く月夜、一週間ぶりに顔を合わせた兄上と寝床に転がりながら口を開けば、兄上は何故か酷く疲れた顔をして私を睨んだ。

 

「神々の試練故と覚悟していたが……一週間音沙汰の無かった弟が血塗れで川に浮いている様を見て、俺が何も言わないとでも思ったか」

 

 兄上の眼窩の奥底にふつふつと煮える何かを見て取り、思わず喉奥で呻く。

 確かに、十三の試練の内の三番目、一週間かけて演じた死闘は今になって振り返るとかなり壮絶だったと思わざるを得ない。私が兄上の立場だったら……と考えるとぐぅの音も出なかった。兄上が血塗れで川に浮いている所を想像して、尋常ではない程の寒気を感じた。

 想像しただけでも背筋が凍るのだから、実際にその様を見た兄上はどうだったか。血を流し過ぎて朦朧とした意識の狭間で聞いた、聞きなれた声の聴きなれない叫び声の正体は、まさか……。

 

「一番最初の試練では、老人に変化したアシュヴィン双神とその馬を山頂まで運んだと聞いたな」

 

 色々と察しがついて冷や汗を垂らす私を、胡乱な目をした兄上が見下ろす。

 一番最初の試練は、なんとあの五王子の末の双子、ナクラとサハデーヴァの父親だった。

 当然の如く老人たちがアシュヴィン双神だと知らなかった私は、足腰が弱く、道中でとうとう馬に乗る事も歩くことも儘ならなくなった老人と、彼らの荷物を大量に乗せた二頭の馬と荷馬車を山頂まで運んだ。

 その褒美として最初の騎獣にして最高の騎馬……放たれた矢よりも早く駆け、振り下ろす蹄で大地を割り、一度の跳躍で森の端から端まで飛び越え、並の武器では傷一つ付けられない黒馬『プラブハミト』を得たのだが、その道中の災難が兄上はお気に召さなかったらしい。

 

「老人は十歩歩くごとに重くなり、馬は引き続けなければすぐさま最初の場所に戻ろうとする。乗せた荷物は全て割れ物で、中には水と油が詰まっている。山に上れば落石が襲い、川の氾濫に巻き込まれ、坂を上れば何故か燃え盛る岩石が降り注ぐ。頂上に近付けば近付くほど、草木が尖り剣のようになる…………お前を殺しに来ているとしか思えなかったぞ」

 

 兄上の言いたいことは解るが、プラブハミトの性能の良さを鑑みれば、むしろその程度の苦労で釣り合うのかと首を傾げたくなる……とは、今この場で言えない。言う勇気がない。

 

「第二の試練は夜の女神ラートリーと暁の女神ウシャスだったか。かの女神たちは我が父スーリヤの母故か、第一の試練よりも心安く待てたが……」

 

 眉根をきつく寄せて言いよどむ兄上に、私はそっと目を反らした。

 夜の女神ラートリーと暁の女神ウシャスは我が父スーリヤの母とも、恋人とも呼ばれる尊い神格である。

 彼女たちは最初から神として私の前に表れ、優しい目つきで試練を課したのだが、これがまた難題だった。

 試練を乗り越えた後で彼女たちから聞いたのだが、どうやら「頑張り屋さんな末の孫が一生懸命になる姿が見たかった」らしい。

 そして彼女たちの好奇心を満たすために課されたのが『牛追い』である。だが、神からの試練がただの牛追いであるはずがなかった。

 

「夜の中から空を泳ぐ黒い牛を、暁の中から空を舞う赤い牛を見つけて捕まえる、だったか…………あれは、大変そうだったな…………」

「ああ……あれは何といえばいいか……ただひたすらに、疲れた……」

「……あれは『疲れた』ではなく、『死にかけた』だろう。その程度で済ませるには余りにも惨い有様だったぞ」

 

 そうか、傍から見てもそうだったのか。ならば尚更二度とやりたくないと心底思う。

 黒い牛も赤い牛も巨大だったのだが、時折小さくなってこの手をすり抜けた。その上プラブハミト程ではないが、現状の私に勝るとも劣らない速度で走り、何よりあの広大な空の中を縦横無尽に動き回るのだ。

 こちらも飛んだり跳ねたり炎を噴かしたりとあらゆる手を尽くしてなんとか三日で捕獲し、追い駆け回した牛たち、夜を泳ぎ、夜に紛れ、夜に力が増す黒牛『ニシャ』と、暁を舞い、暁を燃やし、暁に力が増す赤牛『サンディハ』を得たが、その三日間はとにかく肉体の限界に連続で挑み続ける、疲労が蓄積するばかりの試練だった。

 暁の短い時間に全力で牛を追い、朝日と共に起床した兄上と鍛錬し、午前はドローナ師の下で修業。合間に殺意の高い嫌がらせを挟み、午後は仕事をしながら自主鍛錬。そして夕暮れ時に身体を休め、夜になればまた全力で牛を追い、捕まえきれなければそのまま暁の牛追いに突入する。

 一日の半分近く、全身全霊で牛を追い続けるだけの三日間だった。捕獲し終えたとき、これまでアドレナリンで遠ざけられていた筋肉が断絶と再生を繰り返す痛みや、骨が肉から離れる痛み、神経が酷使されて過剰に反応する痛みといった、その他にも人間の限界を絶え間なく超えさせられた苦痛が一気にのしかかってきた。

 いかに黄金の鎧といえど、内部の傷には強くない。再生力こそ途方もないが、そこに痛みが全くない訳ではない。

 痛みで脳裏が白く焼け、呻くことも、もんどりうつ事も出来ず、全身が再生されるまでのごく短い地獄を自然な笑顔で耐えた私はひょっとしなくても馬鹿なのではないだろうか。養父母は誤魔化しきれたが、兄上にはあっさりとばれた上、その日一日は幼少の頃のようにぴたりと付かず離れずで過ごした。ついでに散々説教されながら世話をされた。

 一度目は殺意に溢れた苦難、二度目は人体の内部破壊を旨とするような困難、とくれば、三度目も勿論えげつない程に苦痛に塗れた試練などだろうと戦々恐々としていた。

 兄上などは「流石に度が過ぎる」と苛ついていたが、私としては「試練なのだから、人間の限界を超えられるか越えられないかの瀬戸際を死に物狂いで走らせるのは普通ではないのか?」と首を傾げたが、常以上に強張った顔をした兄上がいう事には、確かにそれは道理であるが、大抵の試練は問答や行動によって善悪や性状を計り、私のように一歩どころか半歩でも違えば死ぬしかない状況に置かれるだけの試練は、旧い神話の時代でもなければ早々無いと言われてしまった。

 

「まぁ、それはお前の性状が既に計る必要が無い程善性であるからだろうが、それにしても行き過ぎている。其処に来て今回の一週間の不在と大怪我だ……神々はお前を守りたいのか、殺したいのか、どちらか解らないな」

 

 多分、どちらもだと思う。いや口にはしないが、きっと私の耐久力を試したいのではないだろうか。

 取り敢えず、常の如く兄上が私の試練について聞きたがったので、語ろうと思う。

 

 これは、私が偉大なる大河・ガンガーの畔を歩いていた時のことである。

 

 

 

 

 

 

 三度目の試練を告げる声は、水面から聞こえて来た。

 その日、偉大なるガンガーの畔を散策しながら機織りの紋様について思索に耽っていた私は、届いた声に誘われる儘に河に近付き、河の中ほどに腰を沈める女神ガンガーと相対した。

 大いなる流れと同じ名を持つ女神は、酷く困った顔をして私に一つの頼みごとをしてきた。

 どうやら好奇心からガンガーの水底に小奇麗な庭を作ってみたのだが、竜が暴れてそれを壊してしまうのだという。

 水底の庭、否、水中に庭を再現する遊びを始めたのは私だ。人の子に散々苛められてみすぼらしい姿になってしまった蛙があまりにも哀し気に泣くものだから、前世の記憶から『水中庭園(アクアリウム)』の知識を引っ張り出してきて、近くの森を流れる小川の水を引いて作った清流の畔に彼の庭を拵えてやったことがきっかけだ。

 幸い、蛙も森の生き物も作り物の庭を気に入ってくれたのか、その庭の周辺の水流では獣たちは皆水を飲みこそすれ、殺し合うものはいなくなった。みすぼらしく汚れた蛙も、何から影響を受けたのか知らないが宝石のように美しく煌めく体に変化し、庭を泳いでは覗くものの眼を楽しませているらしい。

 要するに、ガンガーは私の作った庭を一目見て気に入り、自分もやってみたところ、件の暴れ竜に邪魔されてしまったという事らしい。

 どうにか出来ないものかと困っていた所、水中庭園の最初の制作者でそれなりに実力のある半神半人の子、つまり私を見つけて声を掛けた、という事だ。

 私としても自分の作を気に入ってくれた事が嬉しく、一応作る者の心情として折角作ったものを壊されるのは哀しいという理解もあり、そして何より、これもまた避けられない試練の一つと察してしまったため、二つ返事で引き受けた。

 

 どうやら竜は庭が完成する直前にやってきては、無遠慮に踏み入って荒らし回っているという。

 そこで私はガンガーの許可を得て、彼女の作る庭の外周を埋めるように、岩々の隙間に空気を溜め、上にさらに重石を乗せて蓋をした。今回、話し合いが不発で終わればそのまま水中戦にもつれ込む事が予想されたので、水底に酸素を溜めておくことにした。これでも神代の末のインド人で半神半人なのでそれなりに呼吸は持つが、太陽神スーリヤの子という性質上、水との相性は可も不可もない程度で親和性は低いのだ。

 いざとなればプラブハミトを水中に飛び込ませ、無理やり空気を入れる。勿論、その辺りも許可を取ってある。領域の主の依頼だとはいえ、無駄に荒らしては本末転倒。予定にない事をやりすぎてしまっては逆鱗に触れる可能性が高くなる。

 そうこうして、一日かけて場を整えた。ガンガーは竜をおびき寄せるためにもう一度庭を造ったのだが、できればこの囮の庭すら壊したくなくて、空気を仕込んだ外周の更に外側の水面で竜を待つ。

 それから暫くもしないうちに、巨大な影が向こうに見えた。

 来たか。と、大きく息を吸って水に沈む。

 上から見た時から大きいと感じていた竜は、水中で真正面から臨んでみれば、それ以上に巨大で厳めしい存在であった。全体的には鰐に近い姿をしていると思う。前世の知識からその姿を形容するのであれば、全体的な見た目はモササウルス、質感はダンクレオステウスで、大きさはリードシクティス・プロブレマティカスと言ったところか。簡単に言えば、想像を絶するほどに巨大で堅牢な鱗を持った鰐に似た水棲竜である。

 これはもしかすると死ぬかもしれない。そんな言葉が頭をよぎる程の威容を前に、私は静止するよう水中に魔力を伝わらせて乞うた。

 竜は以外にも私の声に従い、その泳ぎを止めてくれたのだが……その先が、いけなかった。

 

「大いなる竜よ、一つ問う。貴方は何故に女神ガンガーの庭を荒らすのか、その理由をお聞かせ願いたい」

 

 そう口にした瞬間、竜は「我は決して荒らす意図など無く、ただ美しい女神が作った美しい庭を一番最初に遊覧したかっただけである」と激高し、それから「しかし結果として荒らしてしまった事は事実である――なれば美しいものを壊し、麗しの女神の顔を曇らせた我は、醜い己の死をもってその罪過に贖う他あるまい」と、私に自殺幇助を乞うてきたのだ。

 

 これを聞いて私は焦った。それはもう大いに焦り、ガンガーに事の次第を伝えた。

 ガンガーは彼の正直な心根と深い反省に怒気を治め、彼を赦したのだが、肝心の彼の気が収まらないとの事で、怒りやら羞恥やら申し訳なさやらで心が混沌とした竜は結局大いに暴れ出した。

 鎧の如き鱗は剣のように鋭く尖って林と成り、身じろぐ度に生み出される渦は川底を巻き込んで幾つもの竜巻を空へと伸ばした。咆哮する口から覗く牙は鋭く尖り、喉奥から放たれる水鉄砲は頑強な岩を砕き、ガンガーの川幅を大きく広げた。

 うねるようにもがき、跳ねる身体は水中でこそ真価を発揮するが、別に陸上に対応していない訳ではないらしく、ふわりと空気に乗り泳いだかと思えばそのまま天上へと飛び立とうとするので、プラブハミトだけでなくニシャとサンディルまでも呼び出し、竜を河中へと叩き込んでもらわねばならなかった。

 幸い、ガンガーの庭から遠い場所であったため、彼の暴虐が庭を荒らすことはなかった。

 しかし、彼の生み出す暴虐の余波を掻き消し、周囲を泳ぎ回る私が癇に障るとばかりに繰り出される攻撃をいなし、庭のみならず彼が暴れる一帯を守らねばならなくなった私は盛大に血を吐き、完膚なきまでに骨を砕かれながら内臓を潰された。

 破壊不可能な黄金の鎧はありとあらゆる物理・概念によるダメージを零にし、露出した部分に対しても被ダメージや干渉を九割方削減する効果があるのだが、大元の十割の威力が馬鹿にならないため、これ程までに傷を負ってしまう。

 副次効果である超速の自己回復能力で治癒した矢先から、あるいは治癒の途中で再度破壊されるため、流血は止まらず痛みも延々と続く。

 私自身の実力不足で鎧の性能を完全に引き出しきれていない事も、ここまで傷を負う一因になっている事は否めない。対人では強力無比にして堅牢極まる黄金の鎧も、幻想種、それも最上位の竜種を相手にするには「かろうじて死なない」程度にしか活用できていなかった。

 

 そうやって自身の非力と鍛錬不足を嘆く暇さえ無く、頭や心臓を庇いながら致命傷を負い、即死から逃れるために瀕死を維持し続けること、実に四日。試練開始から五日目にして漸く慙愧の念から解放された竜は――次いで、必死になってその余波を受け止め続けて襤褸雑巾よりもえげつない姿を晒す私を見て、さらなる恐慌に陥り、さらにもう二日ばかり大暴れして自殺をはかった。

 七日目の午後、私の忍耐と説得が竜の精神的な疲労を上回り、竜は今度こそ暴れるのを止め、ガンガーの赦しと私の赦しを受容した。ガンガーに対しては庭の作成の補助と代償とした。

 私に対しては度重なる労苦と暴力、天災といっても過言ではない竜の狂乱を受け止めた事を称賛し、信頼と敬愛するに足るとして、かの竜の方から騎獣……騎竜になりたいと申し出てくれた。

 恨み辛みも無く、嫌悪も無く、断る理由も無いためその申し出を受け、彼の名を受け取り友誼と契約を結んだところで、私の意識はぷつりと途切れた。

 

 

 

 

 

 

 そうして私は三度目の試練を終え、剣と化す鎧の鱗を持ち、咆哮一つで竜巻を生み出し、魂を抜くほどの威圧を放つ、鰐に似た姿の巨大な飛翔する水竜『バップエンドラ』は私の騎竜になったのだ。

 

 ……という事を、兄上に語り聞かせた結果、私は盛大なため息を吐かれた上で、割と強めに額を叩かれた。

 

「お前自身が死に急いでどうする。無様でも良いから生き足掻け…………全く、お前を守るには現状では全く足りないな。もっと強くならなければ…………」

 

 小気味良い音を立てて鳴った額を抑えれば、兄上は疲れたように頭を褥に沈めた。どうやらもう眠るらしい。

 「話は理解した。だからお前ももう寝ろ」。兄上の手が僅かに上体を起こしていた私を押して、兄上同様に褥に沈ませる。雑魚寝よろしく隣りあって眠る兄上はもう目を閉じていた。

 理解はしたが、納得はしていない、といったところか。

 若干ふてくされるようにして眠りについた兄上に戦々恐々としながら瞼を閉じる。きっと明日もまた兄上に無理をしないか見張られることになるのだろう。こういっては不謹慎だが、昔の様に一日中共に過ごせることが少し嬉しかったりする。

 

 瞼を降ろせば、酷使し過ぎて疲れ切った身体はすぐに意識を手放そうと脳裏に霞をかけていく。

 心地よいとは言えない微睡みに抵抗せず、今日一日を乗り越えた充足に浸った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………ところで先ほどの兄上の言葉、前半は聞き取れたが、後半は何と言ったのだろう?

 





【補足説明:黄金の鎧と試練に関する独自設定】
・試練の内容と難易度
 今回ガネーシャが課した試練はヴィヴーティの美徳である(と好意的に捉えている)忍耐力と自制、慈愛の精神が既に問答する必要がない程の高みにあると考えているからこその物。
 なので、試練の内容は関わる神々に一任されているが、難易度はヴィヴーティの忍耐力に比例する。

・ヴィヴーティの黄金の鎧の性能
 鎧の基本的な性能は原作準拠だが、鎧は肉体と一体化したものであるため、攻撃を受ける側、つまり鎧を纏うカルナ・ヴィヴーティの成長と共に強度も増す。
 つまり土台は同じだが、成長具合によって性能に差が出る。
 ヴィヴーティの鎧の強度は身体的な強さと柔軟性、頑強さ、そして精神的な強さ(自信や誇りなど)が基本性能に加算される。
 副次効果である回復力や身体の補助・補強、異物の排除などは、不撓不屈、忍耐、努力などの継続といった精神性や肉体的な持久力で強化される。
 故に、現状ヴィヴーティの鎧はカルナよりも(前向きな精神力が無いために)肉体的なダメージを軽減出来ないが、異常なまでに耐え続ける事に特化した精神性のためにカルナよりも回復力が高く回復量が多い。

総評:牽制しようと思っていたいじめ以上の艱難辛苦により善意が台無しに。

【蛇足:試練における関係者の反応】
第一の試練・アシュヴィン双神
ナーサティヤ「息子が目の敵にしてるから、ちょっと意地悪してやろうと思った」
ダスラ「そうしたら予定した以上にえげつない試練になったんだがどういう事だ」
プラブハミト「日溜まりの子は!私が!!守ります!!!」

第二の試練・ラートリー女神&ウシャス女神
ラートリー「孫が頑張ってる姿はかわい…………ってちょっ、まっ!?」
ウシャス「ああほら、もう少しですよおおおおお!?!?!?」
ニシャ「ああああああ制御が効かないぃぃいいいい!!?」
サンディル「やめっ、ちょっ、可哀想!可哀想だから!?やめて!?」

第三の試練・ガンガー
ガンガー「もう庭とかいいから誰かあの子止めて助けて……!」
バップエンドラ「すまぬ……常以上に情緒不安定ですまぬっ……!」
通りすがりのアルジュナ「(絶句)」
心配して来たカルナ「これ、が……これが、貴方の望む事か!障害神ッ、ガネーシャぁ!」

試練を課した神・ガネーシャ
「いやいやいや、いやいやいやいや、いや!?!?!?」
試練を課された子の父親・スーリヤ
「末の息子ぉおおおおおおおおおおお!?!?!?」
試練を課された本人・ヴィヴーティ
「試練とはギリギリ死ぬだろうな、という瀬戸際を攻めるものだろう?」



 誤字・脱字などありましたら、教えて頂けると助かります。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。