ありもしなかった影のはなし。 作:ナナホシテントウ
今回は短いです。
次話以降、三話にわたって第四から第六の試練の話をします。
弓の競技会に至るまでのヴィヴーティと彼を取り巻く家族たちの描写に苦労してます……すみません。
波乱に満ちた競技会の翌日、五王子の三番目であるアルジュナは鬱屈した心持で朝を迎えていた。
原因は勿論、昨日行われた競技会でのあれそれだ。
初めて見た瞬間から敵意を……殺意を覚えたカルナの挑戦に水を差された事は勿論、ドゥルヨーダナの嘲弄や民衆の不理解、飛び交う罵倒の数々や、カルナが明確にカウラヴァ側に付いた事がアルジュナの心を澱ませた。
そして何より、カルナとはまた違った意味で殺してやった方が良いのではと思うヴィヴーティの、あの言葉と表情が無性に気にかかって仕方がない。
朝から重苦しいため息を吐く。良く晴れた空とは違う青さを深めた精神は、王子として誠実に育てられたアルジュナの唇に舌打ちを一つ打たせる。
無性に苛つく気持ちを抑えられないままがしがしと頭を掻きながら、憎くて仕方がない男の半身を思う。
最初はただ目立つ色彩をしていたから視界に入った。鮮烈な印象を与える豊かで美しい赤髪に、柔らかに輝く黄金の外套という主張の激しい色に、つい視線を手繰り寄せられたから、つい見ただけ。
けれど、彼は色の激しさとは対照的に酷く柔和な雰囲気で佇むものだから、思わず注視してしまった。
一度意識して目を向ければ、燃え盛る炎の様な赤毛は蕩けるような色味に映り、柔らかな黄金色は木漏れ日の温かさを思わせた。アルジュナの視線に気付いたヴィヴーティが振り返れば、朱金の瞳に滲む無垢と思慮深さに囚われて一瞬呼吸を忘れるほどだった。
最初に彼の為人を感じ取って、それからカルナと同じ顔をしていると気付く。
だが、顔のつくりこそ同じであるが、纏う空気や気質、立ち居振る舞いがあまりにも違い過ぎるものだから、頭では「カルナと同じ顔」だと思っていても、実際に目の前にすれば色彩の差異云々は関係なく「カルナとは別人だ」と認識してしまう。
アルジュナ自身でも驚くことに、彼はヴィヴーティに対して憐憫や同情を感じる事はあっても、殺意はもとより敵意を抱く事が出来ないでいた。
いっそこの感情は愛護に近い。最近ではそう思う事さえある。相手は自らが嫌うカルナの弟であり、実力も自分たち五兄弟に引けを取らず、どころかその卓越した技芸や耐久力は自分たちが舌を巻くほどであるのに、何故か彼は……言い方は悪いが、それこそ「女人のように密やかに隠され守られるべき生き物」だと感じてしまうのだ。
戦士の男に対して何て言い草だろう。しかし、それ以上にしっくりくる言葉がないのもまた事実。
悪いのは自分ではない。そう思わせるヴィヴーティの立ち居振る舞いや性質が悪いのだと、何度とない言い訳を心の裡で重ねる。
嫋やかに、あくまでも物腰柔らかに振る舞う様は、誇り高い戦士にしてはあまりにも謙虚に過ぎるのだ。
ドローナ師の下で武芸の腕を磨く姿に、勇ましさよりも痛ましさを感じさせるのは後にも先にも彼一人。余裕がある体でいて、どこか切羽詰まって生き急いでいる感覚が拭えない。
獣を思わせるしなやかさで縦横無尽に躍動する肉体は強健というよりも華奢で、カルナと並ぶと一回り薄く細い。何事にも硬質な雰囲気を纏う兄と対比するように、いつ何時でも綿毛のようにふうわりと和やかな空気を孕んでいるように思えるヴィヴーティは、どこか遠くにあるような、あるいは触れてはいけない領域にある者と錯覚する時がある。
要するに、ヴィヴーティという人間はあまりにも儚いのだ。
不用意に触れたならば脆く崩れてしまいそうな危うさ、目を離した隙に空気に融けて消えてしまいそうな存在だ。益々もって、青年期の男に使う形容では無い。
そんな性別のちぐはぐさすら不可思議な魅力に変える男が見せた、あの顔。
まるで心臓を引き絞られるような、自分が酷い事をしてしまったような気持に錯覚させる壊れかけの笑みが……喪失を寒さと捉えた彼の悲哀が、脳裏に焼き付いて離れない。
――思えば、私はカルナたちについて殆ど何も知らないな。
ふと、そんな事に気付いた。そもそも敵同士なのだからと思いもするが、それ以前にアルジュナが初見でカルナを「殺さなければならない存在」だと決めつけていたが故の無知は、敵を知る努力さえ思考の外へと追いやっていた。そのことに、今気付いた。
殺意と敵意ばかりが先行していた。戦うものとしての相手しか知らなかった――だから、あの時、あの場で毀れたヴィヴーティの弱さに思考が停止するほどに心臓が揺さぶられたのだ。
見た目は知っている。カルナは白髪と緑交じりの青眼。ヴィヴーティは波打つ赤毛に、家の灯りに似た温かい朱金の眼。二人が鎧うのは太陽の光を束ねた金色で、苛烈にして強健、豪壮なものがカルナ。柔らかで温かな日溜まりがヴィヴーティだ。目元に戦化粧の赤が差された兄よりも、目元に濃い隈がある弟の方が人相が良く見えるというのもおかしな話だと思う。
性格……弟の方は解りやすい。素直で純真で、それでいて男らしくない性格だ。優しすぎると言っても良い。カルナの方はと言えば、まぁ、言葉選びが最悪極まりないが、根は聖人染みている。謙虚で実直で、聞くところによると市井の一部では
弟の通訳なしだと誤解を受けるらしいが、当然だろうと心底呆れる。以前「兄上は別に罵詈雑言を吐いているわけでも、相手を嘲弄している訳でもなくて、ただ無口で不器用なだけなんだ。だから相手に伝えたい事柄を、端的に必要最低限度の言葉に纏めてしまうだけなんだ……!」と必死になって弁明しているヴィヴーティを見た事があるが、そうと聞いてもやはりカルナの言葉や眼は…………いや、これ以上はやめておこう。今以上に不愉快な気分になる。
武芸の腕はこれ以上語るべくもない。個々の強さや精神力は半神たる五王子に勝る勢いで、兄は単純な強さと堅牢さで弟に勝り、弟は技術と回復力は兄に勝る。双子が揃えば、その強さは二倍三倍所の話では無い。ともすればドゥルヨーダナ以上に警戒すべき戦士たちだろう。
そこまで考えて、やはり自分は大して彼らを知らないと再認識する。並べ立てられるのは所詮外見や噂話程度だけで、性状とて、彼らが裏だ表だとわけ隔てる事を良しとしないからこそ開示されている情報であるだけだ。
出生、育った環境、思想、何を好み、何を嫌い……何を以って、敵と見做すか。
殺意を覚える程の聖人。憐憫を想起させる程の善人。彼等が敵に回るというのならば、此方はそれ以上の正当性を以って対峙しなければならない。そうでなければ、きっと私たち五兄弟は、彼らの真っ直ぐな目に映る自分を直視できずに倒されてしまう。
敵対者である以上、友誼を築くわけでも深めるわけでもない相手へ理解を示す必要などないはずなのだが、それでもやはり「知らない」ことがある、というだけで心の裡に言いしれない不快感と不安が靄となって立ち込める。
――だから、これは敵情視察だ。この上なく悔しいが、相手は慢心して勝てる相手ではない。知りえる範囲の事は知っておくべきだ。
寝台から起き上がったアルジュナの脳裏で今日の予定が書き替えられる。
清々しい青さで晴れた朝焼けの中、アルジュナは苦々しい感情を胸の奥に押し込んで澄んだ空気のなかへと身を躍らせた。
太陽が中天を過ぎた頃、アルジュナは市井の中にいた。
目立つ顔立ちや長身の体躯を大きな外套に納め、目深に布を被る様は隠棲した賢者にも、背のしゃんとした老人にも見える。どちらにしても只者ではない雰囲気だ。現に市場をそぞろ歩いていた人々は正体を隠したアルジュナに興味深げな視線を向けながらも、自分たちとは余りにも違い過ぎる格を纏う空気から察して距離を置いている。
アルジュナ自身、不用意に他者からの足止めを喰らわないのは行幸と言えた。アルジュナは周囲が自分に向ける視線を黙殺しながら、布の隙間から人を探す。
昨日の様子から言って、まずヴィヴーティは家から出してもらえないだろうとアルジュナは察した。ここ三年でヴィヴーティを気にかけるようになった双子の弟たちの言葉が正しければ、精神的にも肉体的にも死にかける試練を終えた次の日は、ヴィヴーティはカルナの手によって絶対安静の一日を余儀なくされるのだという。昨日の競技会は例外だった。だからこそカルナはああも弟を心配し、自分たちには心無い言葉に聞こえる台詞を吐いたのだろう。
故に、探し人はヴィヴーティではない。そして勿論カルナでもない。そもそも自分が奴と競い合い殺し合う以外で言葉を交わす想像が出来ないし、したくない。
アルジュナが探しているのは、彼ら双子ではなく、その弟たちだった。
昨日のヴィヴーティの言葉を信じるのであれば、あの双子は御者の身分に拾われた出自の定かではない子供だ。真に御者の子と呼ぶべきは、父の御者だと言うアディラタの子供たちだろう。双子と弟たちの兄弟仲は昨日の様子から見て良好であると考えて間違いはないはず。
ならばその弟たちから彼らの事を聞き取ろうと、アルジュナはこうして正体を隠して市井に降りてきたのだった。
そうしてカルナたちの弟を探して半刻ばかり歩いただろうか。
探し人を求めて動かしていた視線が、遂に目的の人物を認めた。
それなりに活気づいた市場の向こう、なにやら寄り添って何事かを相談している三つの小さな頭がみえる。この国では一般的な黒い肌も黒い髪も、整ってはいるがどこか朴訥とした顔も、血の繋がりが無いと知れば不思議ではない。
けれどその雰囲気は近しい兄弟間で似通ってしまうものなのだろうか、彼らは親譲りの快活さを顔に滲ませながらも、個々の雰囲気はどこかあの双子を思わせた。
自分たちが見られている事に気が付いたのだろう。小さな三つの頭がアルジュナの方を向いて、それからぽかんと呆気にとられた顔を晒す。
彼等が呆けている間に距離を詰めれば、おそらく三人兄弟の中で一番年上と見られる少年が前へと出て弟たちの前に立ち塞がる。その顔は身分が定かではない相手ゆえにひたすら無表情を保っているものの、滲む空気は警戒心に満ちていた。
「突然ですまないが、お前たちはカルナとヴィヴーティの弟で合っているか?」
彼等と言葉を交わした覚えは皆無だが、声を聞かれた覚えがあるので、わざと低めた声色で問いかける。
すると、何を言われると思ったのか、彼は弟たちをいつでも押し逃がせるように両手を軽く広げて「はい」と答えた。
あまりにも手慣れた反応だ。背後に庇われた弟たちも、何時でも走り出せるように片足を引いている。
何も聞けていないのにここで逃げられてはたまらないと、すかさず「まて」と言葉を重ねる。
「待て、私はお前たちを害しに来たわけでも、罵倒しに来たわけでもない。ただ少し、聞きたいことがあるだけだ」
だから待てと、そう言葉を連ねる。嘘ではないと察したのだろう、兄はどこか驚いた風に腕を降ろし、アルジュナの身分を問うた。
勿論、アルジュナは自身が王族だと答える事はせず、ただ「戦士の身分だ」と答えた。
すると兄はアルジュナを名の在る老戦士だと思ったのだろう。すぐさま警戒した非礼を詫びで赦しを乞うた。アルジュナも正体を隠している手前、それを寛容な心で許す。
ほっと胸をなでおろす子供たちだが、身分を明かせど名乗らない相手に未だ不審は拭えていない。故に、では何を聞かれるのかと今度は不安を抱いた目でアルジュナを見上げる。
「何、ただお前たちの兄らがどのような為人か気になっただけだ…………あれほどの武勇を持つのだから、気にならない方がおかしいだろう」
内心、双子を……特に兄の方を持ち上げる言葉を吐くことに抵抗が無かった訳ではないが、背に腹は代えられないと、布の向こうで顔を歪める。
だが、アルジュナが己の心に爪を立てた甲斐はあったらしい。目の前の武人が自分の兄らを罵倒するために呼び止めた訳ではないと理解した瞬間、三人の子供たちの顔がぱっと華やいだ。
「そうでしょう、そうでしょうとも! 僕らの兄さんたちは武芸は勿論、その在り方までもが素晴らしいのです!」
真面目そうな顔をしていた兄が、年相応の子供らしく元気に笑う。弾ける様な笑みは親譲りなのだろう、朗らかに笑う子供たちに若干気圧されたアルジュナは、用事があると言う子供たちに引き摺られるように道中を共にすることになった。なんでも自宅謹慎を言い渡され、四六時中カルナの監視下に置かれる事になったヴィヴーティのために贈り物を求めて市場に出て来たらしい。
「カルナ兄さんは心配性で世話焼き気質なんです。ヴィヴーティ兄さんが自分を蔑ろにしすぎるから、というのもあるのでしょうが、それにしたって過保護というか……言葉は確かに辛辣ですけど、行動は解りやすいですから」
そういって刺繍用の糸と布を吟味するのは、三人の中では一番年上の兄、スバシュだ。ヴィヴーティが女のように振る舞う、というのは噂で聞いていたが、どうやら真実はその一歩先を行っていたらしい。
多芸であることは知っていたが、どうやら趣味の範囲も広かったらしく、家の外では武芸を磨き、家の中では義母に師事して花嫁修業染みた事を学んでいるという。
当人は知識欲が旺盛だからとか、母を手伝っているだけだとか言い訳しているようだが、家族の眼には武器を持っている時よりも生き生きしていて楽しそうだったと語られた。それを聞いてどうしろと、と思わないでもなかったが、その有様を肯定する子供たちの前で否と唱えるのは憚られた。
彼が選んでいる糸と布も、きっとこれからヴィヴーティの手によって一つの作品に仕上がるのだろう。
ちら、とスバシュが腰に下げている財布を見て、そう思う。丁寧に刺繍された幾何学模様が美しいそれは、彼が生まれた年にヴィヴーティが布を織るところから作成した逸品だと言う。本職としてもやっていけそうな技量に、そういえば彼は努力家でもあったと頭痛を覚えた。
「ヴィヴーティ兄さんはそれに輪をかけて解りやすいですよ。兄さんたちは自分の心に素直過ぎる程に素直ですから。ああでも、ヴィヴーティ兄さんの無理無茶無謀は心臓に悪いから止めて欲しいです。すぐ治るっていっても、痛い事には変わりないみたいですし……ヴィヴーティ兄さんには出来るだけ心身共に穏やかに過ごしてもらいたいです。とても繊細な人なのに、あんなに無理をするくらいなら、家でお母さんを手伝ってくれていた方がよほど良い」
思わず遠い目をしたアルジュナに気付かずに言葉を続けたのは、スバシュの一つ年下の弟、ラリットだ。
あけすけに兄を扱き下ろしつつ労わる彼の眼は、木でできた透かし彫りの可愛らしい小物入れを吟味している。スバシュは謹慎中に暇を持て余してしまわないようにとの心遣いで贈り物を選んでいたが、ラリットの選考基準はそれがヴィヴーティに似合うか否かであった。
やんちゃそうな顔立ちが真剣になると、目元がカルナに似るらしいラリットだが、目の前にしている物は、男の持ち物としては余りにも愛らしく繊細なものばかり。
幾何学模様の片隅に控えめに鳥が乗った意匠のものと、子猫が二匹じゃれついている意匠の物とで迷っているらしい彼の頭の中に、ヴィヴーティの性別が男であると言う認識は無いのだろうか。彼はもう半ば以上己の兄を女性とみている節があった。
「カルナ兄さんも、ヴィヴーティ兄さんも、強いからって無理するんです。確かに兄さんたちは強くて、かっこよくって、ぼくの自慢の兄さんたちなんですけれど……二人ともお互いが大事なのに、本当に大変な時はいつも一人ずつで、哀しいです。ずっと二人一緒に笑っていてほしいのに……それだけで僕らは幸せなのに、皆が兄さんたちを苛めるから……」
そんな兄二人を眺めながら、アルジュナの隣で既に選び終えた贈り物を大事そうに抱え込む末子のニラジが幼気な顔を悲痛に歪めてアルジュナを見上げる。
あんな哀しい笑顔ではなくて、いつものようにそっと優しく微笑んでほしいからと、ニラジは瑞々しいジャスミンの花束を手に取った。
もはや彼ら兄弟の間でヴィヴーティの扱いは兄であり姉であるのだろう。贈り物の選択がまるきり女性へのそれであるのに、誰も違和感を抱かない。
かく言うアルジュナも、あの赤毛の痩身の感性がどこか少女染みていると感じているため口には出さない。試しに花を抱いた姿や愛らしい小物を愛でる姿、刺繍を施している姿を想像してみても違和感が全くない事に内心、若干どころではない焦燥を抱いた。それも、違和感を抱くことなく一度すんなりと納得してしまった自分自身に対してである事が思いの外アルジュナの中の常識を揺るがした。
――カルナがああも冷徹に見えるのは、もしやヴィヴーティに危機感が欠如している事が原因なのか?
おっとりのほほんとした空気を纏う弟を守るために兄が尖ったのか、兄が尖っているから弟が柔らかくなったのか。同じ双子でも、補い合うのではなく互いに揃い合う性質の双子を弟に持つアルジュナは、補完し合う関係の二人への理解が今一つ及ばないが故に頭を悩ませた。
そうこうしている間に双子の話題はどんどんヴィヴーティの危なっかしさに傾いていき、とうとう神々から課せられた試練に挑む姿勢にまで話が及んだ。最初から驚きっぱなしだったアルジュナも次第に彼等の話にのめり込んで行き、遂に彼らは市井の外れに腰を据えて、彼ら曰く「明後日の方向にかっとんだおっとり兄さん」の苦労話、もといガネーシャに示された神々の試練の話を聞くことになっていた。
そうして弟たちは語りだす。一人一つ、自分たちが生まれる以前の試練ではなく、自分たちが生まれてからの試練の話を。
血の繋がりの無い幼い自分たちを慈しみ愛してくれた、優しくて悲しいひとの話を。
【こぼれ話・その頃のカルナとヴィヴーティ】
弓の競技会の翌日、そして第六の試練の翌々日、つまり今日なのだが、その日は少しいつもとは違っていた。
常ならば試練の翌日はヴィヴーティを案じたカルナが率先して弟の世話を焼き、逐一その行動に目を光らせているのだが、その日はヴィヴーティが自主的にカルナの傍に侍り、ひな鳥が親鳥に懐くようにふらふらと兄の側を彷徨っていた。
カルナが席を立つならその斜め後ろに張り付き、カルナが腰を下ろしたなら、背後に回ってふわふわとした赤い鎧を控えめに掴んだ。
身体的な傷こそ鎧の効果で癒えるものの、精神的な傷はその範囲に無いのだろう。理性、というか自制する心に罅の入ったヴィヴーティは幼い頃のようにカルナの傍に寄ってその存在と温度を確認したがった。
いつもならば自分が無理に甘やかさなければ休む事すら考えないヴィヴーティの行動に、カルナはといえば「これほどまで重症を負わせられたのか」と母の影に不安と怒りを煽られながらも、素直に愛されてくれるヴィヴーティにささくれだっていた心を和ませていた。
けれど、この距離はいただけないとカルナは身体を反転させてヴィヴーティに向き合うと、きょとりと目を瞬かせた彼の脇に手を差し込み、そのまま持ち上げて己の膝上に降ろす。
座り込んでいたヴィヴーティは足を投げ出した状態で上半身をカルナに預ける形になった。その際、彼の背中でたぐまっていた黄金の外套は手早くカルナの手によって纏められ、カルナとヴィヴーティの間にある僅かな隙間に押し込まれる。
上から覆いかぶさるようにしてのしかかってきたカルナに、ヴィヴーティはいくつもの疑問符を飛ばして兄を見上げるが、カルナは久方ぶりの兄弟の抱擁にご満悦でヴィヴーティの困惑に気付かない。
ヴィヴーティも懐かしい納まりの良さとご機嫌な兄の様子に考える事を放棄してふにゃりとした笑みを浮かべる。
いつも通りの笑みの下で徐々に心を軋ませていくヴィヴーティと、そんな彼に対して僅かに生まれた歪みを自覚しないままに受け入れたカルナ。
二人の変わらなかった関係は、この日から少しずつ正史を外れていった。