「つーかまえた」
まるで鬼ごっこで鬼をやっていた子供が他の子供を捕まえた時のような、陽気な少女の声。それが、真っ暗闇の中で響く。
「もー。随分長いこと逃げて……追いかけるのも大変だったんだからね」
黒い絵の具を塗りたくったような闇の中、少女は頬を膨らませその場にかがみこむ。
「で、あなたは私に捕まっちゃったわけなんだけど……」
「ひっ……た、頼む……命だけは……」
少女がかがみこんだ目の前から、おびえた男の声がした。しかし、少女はそんな男の声など気にも留めず唇の端を吊り上げる。
「夜にしか活動しない人間は、取って食べていいって霊夢が言ってた。だから……」
「ま、待ってくれ……! 頼む!」
おびえた声は、助けを乞う声に変わる。だが、そんなもの少女にはどうだってよかった。
「久しぶりの生きた人間だもの。味わって食べないと、ね?」
「止め……!」
わずかな光すら通さない真っ暗闇のなか、柔らかいものが噛み千切られる音が響いた。
「ふぅ……マズイわ。夜にしか活動しない人間って、ロク奴がいないから肉はあんまりおいしくないのよね。ま、すごい怖がってくれるからその分のおいしさでトントンだけど」
黄金色に輝く月の光を浴びながら、少女は袖で口周りについた血をぬぐう。
空に輝く満月と同じような黄金色の髪に、赤いリボンが特徴的な十歳ほどの少女。それが『ルーミア』と名乗る人食い妖怪の姿だった。
「さぁて、今日はもう帰ろうかな。明日はチルノ達と遊ぶ約束してるから、こんな血まみれじゃなあ……」
男を食した際の返り血がべっとりとついた自分の服を見下ろし、ルーミアはため息をつく。彼女は人食い妖怪なのだから、血まみれになっているところでおかしくはない。むしろ、その方が人々に恐れられるのだから得をする。妖怪とは、そういう存在だった。
「……やっぱり着替えてから行こう。霊夢たちにバレると退治されるし」
しかし、人を食べるルーミアにも敵わない『人間』達がいた。その筆頭が博麗神社の巫女『博麗霊夢』だった。
幻想郷の秩序を司る存在、といえば聞こえがいいが、ルーミア達からすれば通り魔といっても過言ではない人物である。
何せ彼女の視界に入れば最後、即座に弾幕ごっこで叩きのめされるのが常なのだから。『別にいじめてるわけじゃないわ。それが私の仕事なの』とは本人の言い分だが、ルーミア達からすればどちらにしても迷惑な話だが。
故に、ルーミアは明日のチルノ達と遊ぶ前に着替えていくことを決めた。ついでに言えば、最近はその『通り魔』の数が増えているのもある。このところの幻想郷は、異変解決に乗り出す人間が多いのである。自らの身を危険にさらしてまで人々の恐怖心をアオれるほど、彼女は強くはなかった。
「とにかく、日が昇る前に帰らなきゃ。夜なら霊夢も見回ってないだろうし……」
そう呟いて、ルーミアは宙に舞い上がる。そしてゆっくりと高度を上げていき、彼女の体は森の木々よりも高い位置まで上って行った。
「あら、奇遇じゃない。こんなところで会うなんて」
その時である。ルーミアの背後から、聞きなれた声が聞こえてきた。その声に、今度はルーミアがびくりと体を震わせる。
「れ、霊夢……? なんでこんなところに……」
油の刺されていないブリキの人形のようにぎこちない動作でルーミアが後ろを振り向くと、そこには紅白の巫女装束を身にまとった少女がいた。最も、袖が分離し肩を露出させたかなり特殊なスタイルの装束だが。
彼女こそが博麗の巫女こと博麗霊夢その人だった。気だるげな雰囲気を漂わせた霊夢が、ルーミアの服に目をやると小さくため息をついた。
「あら、随分派手にやったのね。……おいしかった?」
「まあ、久しぶりに本気で怖がられたから……肉はマズかったけど」
ルーミアの返答にふうん、と気のない返事を返す霊夢。状況からして、ルーミアが人を殺していることは明白だというのに霊夢は特にそれに対して目立ったリアクションをしなかった。
「……で、何か用? 私、今日のところは帰りたいんだけど。着替えたいし」
ダメ元で見逃してもらえないかと言外に頼むルーミア。できることなら、今すぐ全速力でこの場を離れたかった。霊夢の動きは決して速くはない。本気で逃げれば万に一つくらい逃げ切れる可能性があった。
「ま、これといった用事はないんだけど……見ちゃったものは仕方ないからね」
そう口にして、霊夢は懐から針と札を取り出す。
「やっぱりダメか……」
顔を引きつらせながら、ルーミアも弾幕を放つ準備をする。こうなった以上、霊夢に背中を向けるのは自殺行為だ。
「それじゃあ、目の前が取って食べてもいい人類?」
「良薬は口に苦し、って言葉知ってる?」
霊夢の言葉を皮切りに、ルーミアは弾幕を放つ。
夜の森の上空をほんの一時、色とりどりの弾幕が彩った。
「いったーい! もっと優しくしてよー!」
「騒ぐな、動くな。手当てできないでしょ」
ルーミアと霊夢が弾幕ごっこをしてからしばらくして、二人は博麗神社にいた。そこの縁側でルーミアは霊夢にケガの手当てを受けている。
「巫女に手当てを要求する妖怪がどこにいるのよ。……ほら、これでおしまい」
一通りの手当てを終え、霊夢は救急箱を閉じる。それを横目で眺めながら、ルーミアは大の字になった。
「全く。霊夢もたまには私に勝たせてくれたっていいじゃない」
「いやよ。なんで私が負けてやらなきゃいけないわけ?」
救急箱を棚にしまいながら、霊夢はジト目でルーミアをにらんでくる。そんな彼女に対して、負けじとルーミアも口を尖らせた。
「だって私、負けてばっかりだもん。たまには霊夢にぎゃふんと言わせたい」
「妖怪は人間を脅かし、人間は妖怪を退治する。それが幻想郷の大原則。私は退治する側の人間よ。アンタ達妖怪においそれと負けるわけにはいかないわ。特に、私は博麗の巫女なんて肩書があるしね」
面倒なことだわ、とため息をつきながら霊夢はルーミアの隣に座る。その手には饅頭が二つ乗せられた小皿があった。
「ほら、あげるわよ」
霊夢は片方のまんじゅうをつかみながら、残った饅頭の乗った小皿をルーミアの方に差し出す。だが、ルーミアはすぐに受け取ろうとはしなかった。
「食べないの?」
「……いらない」
「そ。好きになさいな」
そう言って霊夢は縁側に小皿を置き、饅頭をほおばった。
「ねえ霊夢。なんで霊夢は巫女なんてやってるの?」
「何よいきなり」
突然のルーミアからの問いかけに、霊夢は眉をひそめる。だが、そんなことはお構いなしにルーミアは天井を見上げながら続けた。
「霊夢、私達のことすぐに対峙する癖に終わった後は割と優しくしてくれるし。巫女だから私達のこと退治してるけど、ホントはそういうの嫌いなのかなって」
ルーミアの言葉に霊夢は目を細め、ほんの少しだけうつむく。ルーミアも天井を見上げたまま霊夢の方を見ようとはしなかった。
何十分にも思えるほどの短い間、二人の間に沈黙が流れる。
「巫女の役割を嫌と思ったことはないわ。面倒な奴らが集まってくるし、そういう奴らが面倒事ばっかり起こすけど、これはこれで退屈しないしね」
不意に放たれた霊夢の言葉に、ルーミアは体を起こす。
「それに、忘れたの? 弾幕ごっこは『人間が妖怪と戦えるようにするための遊び』でもあるのよ。つまりアンタ達を退治するっていうのは、アンタ達と遊ぶってことと同じだと思うけど?」
そう言って、霊夢はルーミアに微笑みかけた。その言葉と微笑みに、ルーミアは目を見開く。だが、そんな驚きの表情も直ぐに笑顔へと変わった。
「そっか。霊夢は、私達と遊んでるだけなんだ」
「まあ、悪さをする悪ガキへのお仕置きも兼ねてるから、ちょっと痛くしてるけどね」
ルーミアの笑顔が、一瞬にして苦々しいものになる。
「……今の私の嬉しさを返して」
だが、霊夢はそんなことなどお構いなしといわんばかりに饅頭をほおばる。
「何言ってんの。それで調子に乗って悪戯されたんじゃ、こっちだって困るんだから釘を刺すのは当然でしょ」
「ちぇ。けちんぼ」
頬を膨らませながら、ルーミアは小皿に残った饅頭をひったくる。いらないと言ってしまったのだから嘘をつくことになったかもしれないが、けちな霊夢へのせめてもの仕返しのつもりだった。
「あら、いらないんじゃなかったの?」
「うっさい。やっぱり欲しくなったの」
横目で霊夢をひと睨みして、ルーミアも饅頭をほおばる。あんこの甘さが、じわりと口の中に広がった。
「……おいしい」
「そりゃよかったわ」
仕返しのつもりだったことなど忘れ一口、また一口と饅頭をほおばるルーミア。そうして彼女の手の中にあった饅頭はあっという間になくなってしまった。
「ごちそうさま」
「おそまつさま。じゃ、饅頭も食べたんだし、日が昇る前に早く帰りなさい」
「……やっぱり霊夢ってけちんぼだ」
ふてくされたように頬を膨らませ、ルーミアは空へ舞い上がる。
「じゃあね、霊夢」
「ハイハイ。しばらくは大人しくしててよね」
いつもの気だるげな雰囲気で、霊夢はルーミアを追い払うように手を振る。
「そうだねえ。とりあえずこう返事しておこうかな」
一体何だ、と霊夢が自分の方に不思議そうな表情を向けたのを見てルーミアは満面の笑みを浮かべる。
「誰が言うとおりにするもんか、バーカ!」
「なっ……!? 誰がバカですって! 待ちなさい!」
霊夢の怒号を背に受けつつ、ルーミアは笑いながら空を翔ける。明日もまた、なんだかんだで霊夢と遊べますようにと祈って。