【凍結中】その一握の気の迷いが、邪なものを生んだ(旧版)   作:矢柄

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コツ、コツ、コツ、コツ。革靴が板張りの床を踏みしめる音が近づいてくる。少年はそんなことに構わずハーモニカを吹き続ける。

 

こぼれたミルクが元に戻らないように、砕けた花瓶が元に戻らないように、死んだ人間が生き返らないように、砕けてしまった少年の『 』もまた元に戻ることもない。

 

だから少年はハーモニカを吹く。

 

 

「やあ、こんにちは」

 

 

声が聞こえた。少年は怯えるようにして部屋の隅にうずくまる。

 

少年にとって世界は恐ろしいだけのものだった。何もかもが理不尽で、何もかもが嘘だらけで、誰もかれもが信じる事が出来なかった。だから少年が声に怯えたのは当然だった。

 

外側にあるもの全ては害悪でしかないのだから。

 

 

「そんなに警戒しなくてもいい。私は魔法使いだ」

 

 

声はそう語った。それは魔法使いなんて名乗って自分の前に現れた。

 

 

「君の『 』をなおしてあげよう」

 

 

魔法使いはそう言った。少年の『 』はなおさなければならなかった。壊れてしまったのだからなおさなければならない。それは当然のことだった。

 

彼の良く知る大切な人にも出来なかったことだけれども、魔法使いは出来ると言った。

 

 

「ただし……、代償は支払ってもらうよ」

 

 

 

 

そう、やっとわかった。僕は支払ってしまったんだ。大切なもの、幸せな時間、そして僕を形作る全てを。

 

僕は人形だ。壊れてしまった歪な欠片。誰かの大切なものを壊すために、存在する。

 

だから去らなければならない。この世界を、僕はきっと壊してしまう。大切なものならば、手元にはおかないことだ。そう誰かが言ったような気がする。

 

どこかこの手が届かないところへ、遠ざけておかなければならない。僕が、僕のこの闇が、この世界を穢してしまう前に。

 

…去らなければならない。僕の存在が、彼女を傷つけてしまう前に。

 

 

「お世話になりました」

 

 

 

 

 

 

「教授困るよ、こういう事を相談せずにされちゃあ」

 

「ははは、いやすまないね。博士が彼女の方を気にかけていたのは知っていたが、なにぶん、その父親の方が《計画》の最大の障害になりそうだったのでね」

 

「ああ、報告には聞いているよ。しかし、彼女の方は気にかけなくても良かったのかな?」

 

「確かに彼女も手強い相手だ。だからこそのこの策でね。行動パターンさえ把握できれば父親と同様に無力化できるはずだよ」

 

「ふむ、君はそのように思っているのか。だが彼女がこの事を知ってしまうと、ますます我々の所には来なくなってしまいそうだ」

 

「盟主は彼女の事をそんなに気に入っておられるのかな?」

 

「ああ、盟主だけではなくて私もだがね。彼女ならば私の跡を継がせてもかまわないと思っている」

 

「あの娘では不満かな?」

 

「あの娘も優れているが、純粋な科学者とは言えないなぁ。所詮は後付けの能力だ。それにあの娘は科学者としての貪欲さに欠けている。だが彼女なら私や君にも思いもよらない世界を見せてくれそうだよ。それが楽しみで仕方がない」

 

「なるほど、そこまで言うのなら考えてみなければならないな。上手く彼女をこちらに引き込める方法を考えてみよう」

 

「んん、君のやり方は嫌われやすいから心配だねぇ。教授、君って人望が無い事知っているかい?」

 

「はは、それはお互い様じゃないかな博士?」

 

「はっはっは、これは一本とられたな。《鋼》殿のようにはいかないものだ。《深淵》殿といい、我々はなんとも人望がないねぇ」

 

「心配なら参加しますかな、《計画》に」

 

「それは盟主から君が直々に仰せつかった役目だろう。遠慮しておくよ。私はゴルディアス級の最終調整の仕事が残っていてね。それにグロリアスの改造も忙しい」

 

「ほう、《紅の方舟》を?」

 

「彼女との語らいの中で思いついてね。教授も気に入ると思うよ」

 

「それは楽しみだ」

 

 

 

 

 

 

「出ていくんですか…」

 

 

窓越しから庭を見下ろす。少年が二本の短剣を腰に下げて、たった一人で屋敷から出ようとしていた。

 

天気は良い。風も強くない。旅立ちには良い日なのかもしれないが、彼はそれでいいのだろうか。彼はここから出ていって何をするのだろう。どこに行くのだろう。何者になるのだろう。

 

暗殺者という身の上だ。身分の証明だって出来るものは無い。子供だから就ける職なんて限られているだろう。

 

自然と出来る事は狭まってしまう。それでも、父を苦戦せしめたほどの戦闘能力があれば、そういった方面で活躍することもできるだろう。だがそれは非合法で、暗い道のりになるかもしれない。

 

良い出会いがあれば、あるいは良い人生を歩むことが出来るかもしれない。だけれども、この家から去ることを決めた彼が、この先、人の間に入って生きていけるだろうか。

 

もしかしたら野垂れ死にしてしまうかもしれない。いや、それはないと思うが。

 

 

「何でこんなに気になるんでしょうね」

 

 

溜息をつく。留まるか、去るかは彼の意志に任せるのだと決めていたではないか。なのに、どうしてこんなにも彼の事が気にかかるのか。

 

先ほどから、いや、昨日から彼のことばかり考えている。どうしても、昨日のあの光景が、あのハーモニカの美しい音色だとか、彼の寂しそうな表情とかが頭から離れない

 

 

「馬鹿みたいですね」

 

 

思い出してしまったのだ。初めてあの人のために泣いたのだ。それが全てだった。この思いはただの私の我がままでしかなく、彼の事情や心や、そういったものを考慮しての行動ではない。

 

だから私は自嘲気味に笑い、呟いた。壁に立てかけていた剣を取る。そして気配を完全に消失させた。

 

 

 

 

小麦の穂が風になびく。目の前には一面の小麦畑。それは黄金の海のよう。青い空に浮かぶ白い雲、黄金の海にはぽつりぽつりと小島のような小屋や森が点在する。

 

あてもなく僕はその中に漕ぎ出そうとする。何もかもが未定で、行く宛てなど存在するはずもない。

 

ふと振り返ると、どこかひどく懐かしさを感じる、あの穏やかでどこまでも澄んだ空のような少女の家は遠く点となった。

 

たった数週間の滞在だったけれども、記憶の多くを消去された自分にとっては人生の全てと言ってもいいほどに濃厚で充足した時間を過ごした。

 

 

「未練がましいな」

 

 

そう自嘲気味につぶやいた。

 

彼女に惹かれてしまったのだ。きっと、彼女の傍にいれば僕は幸福な時間を手に入れられるのかもしれない。

 

だけど、そんなことが自分に許されるわけもなかった。彼女は創造者で、僕は破壊者だった。どうしようもない異物は、きっと彼女のすばらしい世界を穢してしまう。

 

造り物めいた感情、嘘ばかりの存在。ただこの憧れを胸にしまおう。この思いだけは、どうか本物でありますように。

 

風に木々は揺れる。光は穏やかで明るい。太陽の光がこんなにも心地よいと思えるようになったのは、彼女と一緒に過ごしたから。この思いだけはどうか失わないように。僕は前を向いて歩き出し―

 

 

「一人で散歩ですか?」

 

「え?」

 

 

唐突に後ろから声をかけられた。

 

馬鹿な、先ほどまで彼女はいなかった。気配すら全く感じなかった。だというのに、はっきりと、空耳ではなく、あの声が、彼女の声が僕の耳に届いた。

 

僕はとっさに後ろを振り返る。そこには自然体の彼女がいた。腰には剣を。顔には穏やかな表情を。

 

 

「良い天気ですからね」

 

「…僕は、僕は出ていくよ」

 

「そうですか」

 

 

彼女は穏やかにそう答えた。動じないその態度から、彼女は僕が去ることを知っていたかのようにも思える。

 

いや、今の自分の格好を考えればそうだろう。ほとんど着の身着のままだけれども、最低限の旅に出るための準備はしていた。

 

 

「ミラも何も持たないで、どこに行くのですか?」

 

「魔獣を狩ればセピスが手に入る。自分一人だけを養うぐらいならどうにでもなるさ」

 

「行く先は決めていないのですね」

 

「とりあえずはボースにでも行こうかと考えている。あそこなら何でもそろうから」

 

 

今決めたことだ。行く先がボースの方角だったから。

 

でもまあ、それもいいだろう。あの辺りには魔獣の住処も多く、資金の調達には丁度よかったし、大きな街で人に紛れやすい。

 

物流の拠点でエレボニア帝国との交易も盛んなので必要な物資の調達も難しくはないだろう。

 

 

「かわいい子には旅をさせろという言葉があります」

 

「僕は可愛げがないと思うけどね」

 

「ならば、獅子は我が子を千尋の谷に突き落とすでしょうか?」

 

「どちらにせよ、僕は君の子供じゃないよ」

 

「ノリの悪い弟です」

 

「僕の方が早生まれだけどね」

 

「そうなのですか?」

 

「この国の教育制度なら、僕が一つ上の学年になるのかな」

 

「衝撃の事実です」

 

「そうかな?」

 

「飼い猫に噛まれた気分です」

 

「そこは犬じゃないかな?」

 

「じゃあ、爪でひっかかれた?」

 

「いや、知らないよ」

 

 

いつの間にか彼女との軽快なやり取りを楽しんでいる自分に気づく。ダメだな。諦めると決めたのに。これでは先が思いやられる。すると彼女が思案顔になって顎に手をやった。

 

 

「しかし困りました」

 

「何が困るんだい?」

 

「これでは貴方がお兄さんになってしまいます」

 

「いや、まあ、というか僕は君の家族じゃないけどね」

 

「そうなのですか?」

 

「そうだよ。出ていくって言ったじゃないか」

 

「ヨシュアお兄ちゃん」

 

「っ? だから僕は…」

 

 

彼女の甘い切ない声色。脳が蕩けそうになるほどの甘美な悪魔の誘惑のような言葉に、少しだけたじろぐというか、言葉に詰まってしまう。

 

彼女は悪戯が成功したかのような笑みを浮かべて勝ち誇る。少しだけ悔しい気分になった。

 

 

「お兄様と呼んだ方がいいですか?」

 

「いやだから」

 

「お兄ちゃま?」

 

「ふざけてる?」

 

 

少しだけ苛立つ。からかわれているような気分で、しかしそんな僕の言葉に彼女はクスリと笑った。僕は憮然となって、踵を返そうとする。すると彼女はふと真面目な顔になった。

 

 

「ふざけてなんていませんよ。貴方は私の家族になるんですから」

 

「君は何を聞いていたんだ。僕はこの家から出ていくと言っただろう」

 

「何故出ていくのか、それは聞きません。貴方に何があったのかも聞きません。貴方が話したいと思うまで、私は1つだけを除いて聞いたりしません」

 

「1つ?」

 

「ふふ、それは後で。どちらにせよ、聞かせていただきますから。…これは私の我儘です。独断です。とても愚かな選択です。貴方の意志なんて一つも尊重なんてしません。合理的な判断ですらありません。理由はただ一つだけ、貴方のハーモニカの音色がとても綺麗で、心に残ったから。だから私は貴方を行かせない」

 

 

彼女の言葉に僕はどうしようもなく楽しさを感じてしまった。彼女の新しい一面を見たような気がして、とても嬉しかったのだ。

 

おしとやかで、穏やかで、とても澄んだ心の持ち主とばかり思っていたけれども、少し違ったようだ。どこまでも澄み渡る蒼穹のような自由。

 

 

「本当に勝手だな」

 

「私もそう思います」

 

「でも、そう簡単にハイなんて言えないよ」

 

「そうですか? 貴方はとても苦しそうなのに」

 

「助けて欲しいなんて言ってない」

 

「助けてと言わなくても、助けを求めていない事にはなりません」

 

「本当に君は勝手だな」

 

「そうです。今更気づきましたか? 私は私が為したいことを為すだけです。そうして人と衝突することは、きっと仕方の無い事でしょう」

 

「そうだね。君はそういう風であるべきだと思うよ」

 

 

本当に心からそう思う。彼女はそうあるべきだ。そういう彼女を間近で見ていたいと、そんな気分になるほどに、僕は心からそう思う。

 

だからこそ去るべきだろう。そんな彼女に迷惑はかけられない。彼女は僕のような人間以下の存在に足を引っ張られて良い存在じゃないのだ。

 

 

「話はもういいかな。僕は行かなければ。確か1つ聞きたいことが…」

 

「最後に、勝負をしませんか?」

 

「勝負?」

 

 

突然の申し込み。彼女はいつもの穏やかな表情に戻っていて、しかし発する雰囲気はがらりと変わっていた。

 

それは覚悟と言うか、意志の力と言うか、戦士の心構えのようなもので、圧迫する様な迫力は今までの彼女からは想像できない様な覇気だった。

 

 

「私が勝てば貴方は私のものです。貴方が勝てば好きに行くといいでしょう。路銀も融通しましょうか?」

 

 

強烈な迫力。彼女はにやりと笑うが、背中を見せればバッサリと切られそうな、そんな空気を纏う。なるほど確かに彼女は剣聖の娘なのだろう。

 

僕は諦めるように溜息をつく。いいだろう。この世界との別れを告げるために、この勝負を受けるのは相応しいのかもしれない。僕は双剣を握って向かい合う。

 

 

「分かった」

 

「なら、始めましょうか」

 

 

そうして僕は向かい合い、そして少し卑怯だけど即座に魔眼を発動させた。相手の行動を縛る幻術に近いこれは、一対多を得意とする僕の特殊能力だ。

 

彼女は目を見開く。僕は即座に木々の中に身をくらませた。完全に気配を遮断する。僕の戦い方は暗殺に特化している。このまま彼女を後ろから気絶させよう。

 

魔眼による身体への負担が大きいが問題は無い。一度身を隠してしまえば、僕を発見できる存在などいないにも等しい。

 

僕は一切の音を立てずに迂回してゆき、彼女の後背を狙う。一撃で決める。身体がなまっているにしては上出来だ。素人相手に見切れる技ではない。だが、

 

 

「!?」

 

 

それは一瞬だった。彼女の後ろから飛びかかった瞬間、彼女は驚くほどの機敏さで振り返り、右足を踏み出す。剣の柄には右手が添えられており、その瞳は完全に僕を捉えていた。

 

馬鹿な。ありえない。僕の接近を完全に見切るなど、そのようなことがあってたまるか。そうして僕と彼女は交差した。

 

 

「直死《月蝕》。私に斬れないものなどあんまり無い」

 

 

目を見開く。驚愕する。彼女の背後に、幾つものの金属の破片が光を反射して散乱する。僕の持つ双剣は根元から完全に斬り裂かれ、いや、細切れにされていた。

 

あの刹那にも満たない一瞬で彼女は、僕ですら目で追えない速度の数えきれないほどの剣閃を放ったのだ。彼女に僕を殺す意思があれば、僕の首、胴体、腕、足は全て分断されていただろう。

 

そして彼女は振り返って、愕然とする僕の首に刃を当てた。

 

 

「私の勝ちです。貴方は今日から私のものです」

 

「……そうか、それなら仕方がないね」

 

 

笑いがこみあげてきた。ああ、なんでこんなに可笑しいんだろう。涙が溢れるほどに可笑しい。すがすがしい程に、気持ちのいい程に完敗した。

 

そして僕の意志は無視されて、彼女の意志に従わなければならないというのに、どうしてこんなにも心から安心しているのか。どうしてこんなに、僕は記憶にある限り初めて笑っている。

 

 

「くくくっ、あはははははっ。いや、君はとんでもないな」

 

「ふふ、そういう言葉は聞き飽きています」

 

 

彼女も笑いながら刀を鞘に納めた。あの一撃、たとえ僕が万全であっても回避もままならなかっただろう。彼女は強い。今日は驚きっぱなしだ。

 

彼女に対するイメージがガラガラといい意味で変わってしまった。彼女は面白くて楽しい。そういえばと思い出す。

 

 

「そういえば、聞きたいことがあったんじゃなかったかい?」

 

「はい、1つだけ。昨日、貴方がハーモニカで吹いていた曲の名前を教えてもらえますか?」

 

 

僕はあっけにとられた。もっと、僕の素性の核心に迫るような質問をされると思っていたのだ。だというのに、彼女は僕のたった一つの、残されたものについて聞いてきた。

 

それはどこか運命じみていて、僕はなんだかとてもおかしくなってしまった。ああ、僕はきっと変わってしまったのだろう。

 

 

「あははっ、君は本当に傍若無人だね」

 

「そうですかね? そういう評価は初めてかもしれません」

 

「いや、そうに違いない」

 

 

今度は不服そうな顔だ。意外に表情が豊かなのだろうか。しかたがない。彼女は我儘なのだから、僕はそれに付き合おう。

 

そんな名目だけれど、本当はどこか楽しくて仕方がない。ああ、世界はこんなにも楽しいものだったんだ。こんなにも光が満ち溢れている。

 

 

「たくさんの事を君にはまだ言えないけれど、質問には答えるよ。あの曲の名前はね、『星の在り処』っていうんだ」

 

「良い名前ですね。そうだ、今度、ハーモニカの吹き方も教えてもらえませんか?」

 

 

彼女は微笑んだ。僕はその笑顔さえあれば何もいらないと、そんな風に思ってしまった。だから約束をしよう。誰のためでもない、僕に対する独りだけの自分のための約束。

 

欺瞞かもしれないけれど、こんなにも優しくて楽しくて明るい世界に、僕と言う異物を紛れ込ませるためのおまじない。

 

それはこの世で一番卑怯なものだけれども、君は許してくれるだろうか? 自分を偽り続けるこの欺瞞を。

 

一番の心配は僕の正体を君が知ってしまう事、そして君がこんな僕の嘘を知ってしまう事。こんな卑怯な作り物を受け入れてくれた君への、どうしようもないこの罪を。

 

どうか、こんな惨めで異質な嘘ばかりの本性を、僕の女神さまが知ることがないように。

 

 

 

 

「ヨシュアか。選べたようだな」

 

「はい」

 

「だが、全く同じ道を歩むことはできかねる…か」

 

「それが僕の一線ですから」

 

 

夜、改めて僕はカシウス・ブライトに向かい合っていた。大理石のテラス、木彫のテーブル、琥珀色の酒精。

 

月は優しく世界を青く照らして、風は緩やかに優しく、虫の音が草むらから聞こえる。この屋敷は大きいが、それでもどこか温かみに溢れていた。それはこの家の住人たちの性質によるものだろう。

 

 

「貴方たちは親子ですね。いろいろと身勝手だ」

 

「あの娘には何も与えてはいないがな。むしろ、奪ってしまった側でもある」

 

「奪った…ですか?」

 

「ここで暮らすと決めたのなら、知っておいた方がいいかも知れんな」

 

 

カシウス・ブライトはグラスに入った琥珀色の液体を一口含んだ。そうして遠い目をして、月を見上げる。何かを思い出すように、深い懺悔をするように。

 

 

「5年前に起こった一年戦役は知っているだろう」

 

「はい」

 

 

どこかズキリと胸が痛む。何だろうか、何かその単語の中に何か大事なものが含まれていたようなそんな感覚。だけれども、カシウス・ブライトの続く言葉にそんな感触もすぐに消えてしまう。

 

予想はついた。この家には母親というべき存在がいない。そしてエリッサは幼馴染でありながら、彼女の義理の姉妹になっている。

 

 

「このロレントは戦場になった。酷い有様だったらしい。俺は王国の士官で、反攻作戦の指揮を執っていたから、この街で正確に何があったのかは見てはいない。男は殺され、女は死ぬまで犯された。年端もない娘もその対象になったそうだ」

 

 

戦争にはありがちな事だった。どこにでもそういう話はある。だが当事者にとってそれは悲劇以外の何物でもなかった。

 

特に肉親が、近しい人物がそのような辱めを受けた上に殺されたとすれば、憎しみの炎に心を焼かれても、あるいは心が病んでしまってもおかしくはない。

 

 

「あの時、俺の妻は妊娠していたんだ。エステルにとっては妹か弟か、新しい命がレナには宿っていた」

 

 

話すべき言葉を失う。それはつまり、彼女は…。そんな目にあってまで彼女は何故笑えるのか。あんなにも穏やかで、楽し気に生きていられるのか。

 

エレボニア帝国を憎んではいないのだろうか。世界の理不尽に怒りを覚えないのか。あるいは、この世界の悪意に心が折れてしまわなかったのだろうか?

 

 

「エリッサも同じような境遇でな。あの子は目の前で両親を殺された。母親は辱められたらしい。奇跡のような偶然が重なってあの子は無傷で助け出されたが、あの子は心が壊れてしまった。エステルはエリッサを守ることで、心を支えたんだろう」

 

 

守るべきものがあったから、心が死なずに済んだのだとカシウス・ブライトは語る。

 

エリッサ・ブライトはその後、エレボニア帝国への憎しみに身を燃やし、エステル・ブライトに精神的に依存することで心を立て直したらしい。

 

そしてエステル・ブライトはそこから世界に無為さ、不合理さを見て、そして力への信仰と言うべきものを内包してしまった。

 

 

「一時期は酷いものだったが、エステルは俺が思う以上に強かった。一年もしたら、表面上は立ち直っていたさ。少しばかり心配な面もあるが、基本的に優しく穏やかな気質はレナによく似ている。元来の好奇心の強さが良い出会いを生み、アイツを良い方向に向かわせている」

 

「貴方にも似ていると思いますがね」

 

「だとしたら嬉しいことだな。少し飲み過ぎたか。話し過ぎたな」

 

「いえ」

 

「エリッサはなかなか俺の事を父とは呼んでくれないらしい。出来れば俺の息子になるなら、父と呼んでほしいのだがな」

 

「父…さん、こうですか?」

 

「ふっ、無理はしなくていい」

 

「いえ、こう呼ばせていただきます」

 

「なら、その敬語もやめる事だな」

 

「わかり…、分かったよ、父さん」

 

 

そうして僕のこの家での生活が始まる。それは思っていたように、いや、思った以上に楽しくて、明るくて、泣きたいほどに幸せな日々で。

 

だから心から思ってしまう。こんな穏やかな平和な日々がずっと、永遠に続きますように。この世界が理不尽にも、この幸せな場所を奪ってしまわないように。

 

 





ヒロインの加入決定です。なのは式説得術(物理)はちょっと強引でしたかね? まあ『閃の軌跡』には白い魔王の中の人が登場しますが。

19話でした。ちょっと短かったですが、キリがいい所で。

3rdの月の扉④は最高に良いエピソードですよね。あれで太陽娘さんに惚れてしまった人も多いのではないでしょうか。

このSSでは太陽娘ではなくなってしまっていて、これに関するエピソードを考えるのは難しかったです。やっぱり太陽娘が最強なのかなぁ。

次回、『閃の軌跡』の帝国解放戦線についてのちょっとしたネタバレ表現があります。幹部に関してネタバレはしない方向で行きたいですが、構成員たちが鉄血宰相を憎んでいる理由あたりを少し。

※ 発売からまだ一か月たってないので感想欄でもできるだけネタバレは禁止の方向で。特に黒幕については×です。リィンは実は宇宙人で猿みたいな尻尾が生えているとか、そういう核心に触れるようなネタバレはまだプレイしていないヒトの迷惑になります。


必殺技集

・直死≪月蝕≫
攻撃Sクラフト、CP100~、カウンター、威力390、基本ディレイ値3000、敵の近接攻撃(Sクラフトを含む)をキャンセル・DEFおよび完全防御無視の攻撃・STR/DEF-50%・確率100%[クリティカル]
目にもとまらぬ神速の抜刀術により後の先をとる八葉一刀流・五の型「残月」の奥義。いかなる硬度の物質も、力場のような形のないモノや霊的構造、時空をも断ち切る。エステルの戦技の中では最大の火力を叩き出す。

武器とか装甲とかゼロ・フィールドとか全て無視して十七分割します。生きているのなら、神様だって殺してみせる。

作者が深刻な厨二病を患った原因。


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