【凍結中】その一握の気の迷いが、邪なものを生んだ(旧版)   作:矢柄

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七耀歴1196年エレボニア帝国北部シュバルツァー男爵領ユミル温泉郷、その日、この山岳地帯において季節外れの降雪が観測された。

 

平年においては決して雪が降る事のない時期、冬季にすら見る事のない程の積雪量と異常な低温。そしてそんな気紛れな異常気象は短期間で収束したが、その冬、一人の少年が深い心の傷を負った。

 

その日、シュバルツァー家の長男であるリィン・シュバルツァーは妹であるエリゼと共にユミルの渓流で遊びに興じていた。

 

9歳と7歳の幼い兄妹であったが、この季節魔獣は大人しく、道中に危険なことはほとんどない。

 

この渓流は二人のお気に入りの遊び場所で、特に清水が湧く美しい泉は二人のとっておきだった。二人はピクニック気分でいつものようにそこへ足をのばしたのだ。

 

その時までは何もおかしなことは無かった。

 

青い空を切り取る山脈、山の天候は変わりやすいものの、ユミルに住む子供たちには慣れたもので、嗅覚の様な感覚で天候の変化を事前に知ることも出来る。

 

こうして幼い二人はいつものように、子供らしく遊んでいた。しかし、異変は唐突に起こった。強烈な寒気は渓流を瞬く間に凍結させた。異常なまでの大雪はユミルを瞬く間に白銀へと変えたのだ。

 

それは幼い二人が山から下りる暇もなく起きたのだけれども、それだけならば雪山にもそれなりに慣れていた二人は遭難することなく家路に変える事が出来ただろう。

 

しかし、季節外れの大雪は魔獣の類を極度の興奮状態に追い込んでしまっていた。

 

 

「そして、俺たち兄妹は熊型の大型魔獣に襲われたんです」

 

「その話の流れからするに…」

 

「はい。当然、9歳の、しかも武術なんてほとんど齧った事もない俺には大型の魔獣なんて倒せやしません。しかも足場は深い雪のせいで悪く、人間の、子供の足では魔獣から逃げる事もできませんでした。俺はただエリゼを、妹を庇うだけで精一杯でした」

 

 

しかし、子供の出来る事は限られていて、リィンは熊の魔獣に弾き飛ばされてしまい怪我を負ってしまう。

 

そして少年の意識が朦朧と薄れ、魔獣はリィンと寄り添う妹に歩み寄り、そうして襲いかかろうとした。本来ならばそこに救いはなかった。

 

 

「エリゼを守らなければいけないと、そうしたら左胸の傷…、父に拾われる以前からあったらしいそれが熱く、炎のように疼いたんです。視界が真っ赤になって…、次に気が付いた時、俺は血の海に立っていました。手には枝払いのために持ってきていた小さな鉈、つまり俺は、たった9歳だった俺がそんなものであの巨大な魔獣を切り刻んだんですよ」

 

 

どこか自嘲気味に、そして罪を告白するようにリィンは語った。

 

 

 

 

「…そういった状態に陥ることは、その後もあったんですか?」

 

「いえ…、ただ、分かるんです。俺の中にそんな獣じみた本性が潜んでいることを。だから、いつか周りの切な人たちまで傷つけてしまうんじゃないかって……」

 

 

なるほど。なんというジュブナイル的設定。あるいは厨二病乙。沈まれ俺の左手的な。

 

しかしこの世界には魔法じみた力やアーティファクトなどという理解不能な器物、塩の杭のような人知を超えた現象が当たり前の様に存在するのだから馬鹿には出来ない。

 

 

「…そうですか。ユン先生は分かりますか?」

 

「ふむ、火事場の馬鹿力とはかなり異なるようじゃな。そういった例はいくつか知っておるが…」

 

「っ!? 本当ですか老師!?」

 

「落ち着け。そうじゃな、例えば七耀教会における守護騎士に顕現するという聖痕(スティグマ)というものもある」

 

「スティグマ…、女神の奇跡の表れですか。確か星杯騎士団守護騎士第五位が埋まっていませんでしたね」

 

「おぬし、どこからそのような情報を得ておるんじゃ…。それはともかく、強力な聖痕(スティグマ)の顕現に飲まれ、制御できない者は暴走すると聞く。ただし、聖痕ならば七耀教会が接触してくるはずじゃがな」

 

 

星杯騎士団を率いる12名の守護騎士、彼らには超常の力を宿す聖痕が身体に刻まれているというのは、まあ裏側の世界のごく一部では良く知られている事だったりする。

 

というか、聖痕の力を引き出す場面に遊撃士や軍などがいたりするので、各国上層部はもちろん遊撃士協会だって把握している件だ。

 

ただしその具体的な能力については分かっていないことが多い。

 

 

「とりあえず、見てみない事には分かりませんね」

 

「いや、しかし…」

 

「ワシが引き出してやろう。それならば安心じゃろう。ワシならば守護騎士にも遅れはとらんよ。まあ、第一位殿には分が悪いが」

 

「アイン・セルナート総長というのはそこまでの存在ですか」

 

「そうじゃな。只人の身が届く領域を超えておるとだけ言っておこう。リィン、準備をせい」

 

「……いいんですか?」

 

「この娘も言っておったじゃろう。目を背けているだけでは、おぬしの抱えるモノは解決せん。もし、おぬしがそのままで良いというのならば、ワシから教えるべきことはもう無い」

 

 

リィン君はユン先生の言葉に、少しだけ逡巡した後、意を決したように頷く。そして二人は試合をするように、リィン君は太刀に手をそえて居合の構えをとり、先生は泰然と自然体で向かい合った。

 

特に合図など無く、立ち会いが始まる。

 

 

「あんまり変わってないように思えるけど?」

 

「まだなんでしょう」

 

「精神的に追い込まれないと、発現しないんじゃないかな?」

 

「本当にアイツ、そんな力をもってるのかな?」

 

 

私とヨシュア、そしてエリッサは二人の立ち会いを眺める。今の所リィン君に特に変わったところはなく、先生に斬り込むものの、すぐにいなされて劣勢に陥っている。

 

エリッサの言うように今の所、リィン君の言うような力の兆候は一切見えず、エリッサも半ば疑うような目で観戦をしている。

 

まあ、彼の言う『獣』が実在しないのならば、この先は心理的なケアの問題になるわけで、そちらの方が気が楽なのだけれども。

 

もし潜んでいるのならば、彼がそれを制御できないどころか、自由に発現すらできないと言う意味でもある。いつ爆発するか分からない爆弾を抱えているようなものか。

 

 

「くっ」

 

「やはり、自分では引き出せんようじゃな」

 

「すみません…」

 

 

そんな事を考えている内に、二人の戦いは簡単に勝負がついてしまう。結果など言うまでも無い事で、リィン君は息を荒げて、膝をついている。

 

そんな様子に先生は少しだけ思案顔になった後、太刀を鞘に納めて姿勢を正す。

 

 

「良い。ワシが引き出して見せよう」

 

「え…? っ!?」

 

 

そして次の瞬間、先生から濃密な殺気が周囲に放たれた。あまりにも圧倒的で、周囲に具体的な死を幻視させるほどの死の気配は心臓に悪いものがある。

 

叩き付けた本人は、外見上全く変化がないにもかかわらず、リィン君は顔を真っ青にして手足が震えだす。

 

そして先生がゆっくりとリィン君に歩み寄り、太刀を抜くと上段に構え、今にも少年を切り捨てんとするような状況を作る。そして、

 

 

「リィン、躱してみせよ」

 

 

太刀を振り下ろした。本来ならばそれで終わり。実戦ならば少年は切り捨てられ、試合である今ならば寸止めされるのだが、一秒後の死を確信するほどの剣仙の殺気は試合であることを周りの人間の脳裏から忘却させる。

 

すなわち、誰もが少年の死を予測した。しかし、

 

 

「ほう…」

 

「嘘っ?」

 

「速い!」

 

 

太刀は空を切る。その場にいたはずの少年の姿は消え、剣仙は感嘆の声を漏らした。エリッサは少年の姿を見失い、私とヨシュアのみがその姿を目で追跡することに成功する。

 

それでも、あれだけの加速を停止状態からなすというのは、私でも本気を出さなければ無理かもしれない。

 

そして刹那の間をおいて先生が横に太刀を振るう。激しく響く金属の衝突音と共に少年の疾走は止まった。

 

先ほどまで軽くいなされていた少年の剣は、今は拮抗するように鍔迫り合いを演じ、埒が明かない事を悟ると一足飛びで後方に跳んで距離を稼いだ。

 

 

「これは…、予想以上でしたね」

 

「何あれ…」

 

「髪が白く…、それだけじゃない、瞳の色も変わっている?」

 

 

リィン・シュバルツァーの外見は一変していた。それは頭髪が真っ白に脱色し、瞳がルビーの様に深紅色に変化したというような表面上の変化だけではない。

 

禍々しい空気を帯び、表情は明らかに攻撃的なものになっており、おそらくは性格そのものも凶暴なものへと傾いているだろう。

 

 

「これはまさか……邪気眼?」

 

「し、知ってるのエステル…!?」

 

「いえ、もちろん知りません。邪気眼を持たぬ者には分からないのです」

 

「君の言っていることが僕には理解できない」

 

 

とにかく、邪王真眼に覚醒し不可視境界線を越えたリィン君。確かにあれは制御できないだろう。鎮まれ俺の右腕的状況におかれた彼には申し訳ない話だが。

 

それはともかく、ユン先生はどこか面白いものを見つけたような表情をしてリィン君の変化を見つめている。これはまさに修行フラグっ!!

 

 

「それがおぬしの隠し持っていた力か。面白い。リィン、さあ、遠慮なく来い」

 

「おおおおおお!!」

 

 

普段の温厚で冷静な彼からは想像できない程の、どす黒い感情の塊を吐き出すかのような雄叫びをあげてリィン・シュバルツァーは再び動き出した。

 

一切の迷いのない、鋭利なまでに攻撃的で凶暴であるにも関わらず、理性的な戦術と八葉一刀流の流れを濃く感じさせる剣。振るわれるそれを先生は一歩も引かずに受け止める。

 

 

「……全然ちがう。アイツ、あんなに強かった?」

 

「力や速度が向上しただけではありませんね。身体的なポテンシャルだけでなく、技術面でも向上しているように見えます。剣筋が明らかに鋭くなっています。おそらく、相手を傷つける事、力に振り回されることへの恐れから解放された影響でしょうけれど…」

 

「加えて、積極的に攻め込むようになってるね。前までは守勢を基本としていたけれど」

 

「…ちょっとムカツク」

 

「エリッサ、何か言いました?」

 

「ううん。ただ、今のアイツには勝てないかもって思っただけ」

 

 

とはいえいくら超人的な身体能力を得たとしても、しょせんは12歳の子供の剣。

 

《剣仙》とまで称されたユン・カーファイには届くはずもなく、また剣の技術や癖自体は力を顕現させる前と変わるはずもなく、おおよその力を見切ったユン先生にリィン君は詰将棋のように手札を封じられ、追い詰められていく。

 

 

「なるほどの。おおよそ、おぬしが恐れる理由は理解できた」

 

「……」

 

「良いじゃろう。この辺りで終いとする」

 

「滅びろっ!」

 

「ほう、その技を実戦で扱うか!」

 

 

リィン・シュバルツァーの太刀が氣を纏い炎に包まれる。《焔ノ太刀》。初伝クラスの技の中ではそれなりに高い威力を持つ戦技だ。

 

とはいえ、消耗が激しくて連発できず、中伝とか奥伝あたりになるともっと効率のいい戦技を連発した方がコストパフォーマンス的に良くなるのだけれど。

 

そして、物騒な言葉と共に少年は《剣仙》に斬りかかる。だが、そもそもその技を伝授したのは誰だったのか。

 

 

「飛花落葉」

 

「おお!?」

 

 

それはいかなる原理か。二人の剣がぶつかり合った瞬間、おそらくは合気術に類する力の運用によりリィン・シュバルツァーの身体は宙へと浮かんでいた。

 

上へと弾き飛ばされたリィンは理解しがたい状況に、なんとか体勢を立て直そうとするが、その次の瞬間にはユン・カーファイが彼の頭を抑えるように彼の上に跳んでいて、対応させる暇すら与えずに剣を振り下ろしていた。

 

そしてリィン君が轟音と共に地面に叩き付けられる。少し遅れてユン先生が音もなく着地し、太刀を鞘に納めた。

 

地面に横たわるリィン君はというと、峰打ちだったようだが完全に気絶しているようで、私はメイドのメイユイさんを呼んで彼を介抱してもらうことにした。

 

 

 

 

「はい、これで大丈夫です」

 

「すみません」

 

「いえ、ただの打撲ですし、打ちどころも良かったみたいですから、後遺症も痕も残りませんよ。でも、ユン先生は子供相手にやり過ぎですよまったく…」

 

 

ブライト家に仕えるメイドのエレンさんに湿布を取り換えてもらう。

 

ブライト家には4人のメイドが仕えているようで、そのうち3人が戦闘をこなせるらしく、なんというかメイドと護衛を兼ねるのは効率的なのかと頭をひねるものの、まあ他家のことなので口出しするような事ではないと無理やり納得する。

 

先程、ユン先生に自分の内にあるモノを見せ、そして結果として鮮やかなまでに手加減までされて負けた。

 

エレンさんはそういった話を聞いていないのか、ユン先生による指南の中で気絶させられたと思っているようだ。そういう意味では助かると言えば助かる。

 

 

「……どうなるんだろうな」

 

「何か言いました?」

 

「いえ」

 

 

あんな暴走を見せて、ユン老師たちは俺の事をどう思っただろう。気持ち悪いとか、気味が悪いだとか思っただろうか。

 

妹のエリゼ以外の前では見せたことがないが、こういった異端が社会から爪弾きにされる可能性ぐらいは分かっている。それはいい。それはいいが、少し寂しいし、家族に迷惑がかかるのは避けたい。

 

そんなとりとめのない事を考えていると、ドアをノックする音が鳴った。

 

 

「はい」

 

「私です。入っていいですか、エレン」

 

「お嬢様? 今開けますね」

 

 

そうしてエレンさんがドアを開け、エステルさんと老師、そして小柄なメイドさんのメイユイさんが部屋に入ってくる。

 

エステルさんはベッドの横にある椅子に座り、ユン老師はその後ろに立ち、メイユイさんは紅茶の用意を始める。

 

 

「調子はどうですリィン君? 反動とか後遺症などはありますか?」

 

「いえ、特には。すみません、なんだか気を遣わせてしまって」

 

「構いませんよ。それで、本題に入っていいですか?」

 

「はい」

 

「では。結論から言いますと、今の所貴方のその《力》の正体は分かりません。ユン先生も見当がつかないそうです。ただし、戦闘時に八葉一刀流の技を使いこなし、戦術を立てていたことから、おそらくはある程度の理性的な行動が出来ている。おそらくあの立ち会いについて、リィン君は記憶が飛んでいるというような事態には陥っていないのではないですか?」

 

「はい、今回は全部覚えています。ただ、まるで自分が自分でなくなったような…そんな感覚でした」

 

「少し問診をしますから、答えていってください」

 

 

そうしてエステルさんから試合中の精神状態などについていくつかの問いを受け、俺は淡々とそれに答えていく。

 

あの力に飲まれかけた時、胸の痣が激しく痛み出した事を伝えると、上半身を裸にされてオーバルカメラで痣の写真をとる許可を求められたりしたが、それ以外は医者がするような検診に近いものだった。

 

 

「後で血液検査もしたいと思っています」

 

「はあ…」

 

「まあ、血液検査で何かが分かるとは思いませんが…。さて、リィン君にはいくつかの選択肢を提示しましょう」

 

「選択肢ですか?」

 

「1つはあの《力》の正体を突き止める。これは貴方のルーツに関わる問題です。知りたくない、知らなければよかったなんていう類の真実を引き当てる可能性も否定できませんが、貴方の力が先天的なものであるならば、これは有効な手段となりえます」

 

「どういうことですか?」

 

「そうですね…。単純に言えば、少なくとも暗黒時代が終焉を迎えて500年余り、貴方と同じ《力》を持った人間が他にもいた可能性が高いという推論によるものです。少なくとも、その《力》を持つ人間が500年という年月の中で貴方一人しかいないと考えること自体がナンセンスだと思っています」

 

「それは…」

 

 

それは考えたこともなかった。俺はこの《力》の事、自分の事ばかり考えていて、自分と同じ境遇にある人間が他にも存在するという可能性に全く考えが至っていなかった。

 

もしそういった人間が他にもいたなら、あるいは先天性というのならば、そんな力を持つ血族があるとするのなら、あるいはこの《力》を封じる手段もあるのではないだろうか?

 

 

「その正体を突き止めるにあたっては、おそらく七耀教会に頼る事が最も確実だと思います。単純に言ってあそこ以上にこの世界の事物に関する記録を保持する組織はありませんから。聖痕という異能を保有する以上、その他の異能についても記録を収集している可能性は極めて高いと考えられます」

 

「なるほど」

 

「後は個人的な知り合いがもしかしたら貴方の《力》について何か知っているかもしれません。ですので、明日にでも…」

 

「エステルお嬢様」

 

 

エステルさんがそう言おうとした瞬間、メイユイさんがにっこりと、少しばかり迫力のある笑みを浮かべてエステルさんを呼ぶ。

 

 

「言いましたよね、今はデリケートな時期ですと。王国の方からもあまり勝手に動きまわられると困ると言われたじゃないですか」

 

「いえ、ユン先生もいますし、レグナートに久しぶりに挨拶に…」

 

「駄目です。自重してください」

 

「うう…、分かりましたよ」

 

「ワシが連れて行こう。いいか、リィン?」

 

「…? 分かりました。俺の《力》の正体が分かるかもしれないと言うのなら」

 

 

話の流れから察するに、どうやらレグナートさんというヒトがそういった異能に詳しいらしい。

 

そしておそらく、辺境か外国に住んでいて、そこに行くとなるとエステルさんの安全の確保を万全に期することができないのだろう。有名人というのは大変なんだなと、その時は思っていた。

 

 

「では2つ目の選択肢です。別にこの二つを並行して行っても構わないんですが、リィン君はその《力》を使いこなしたいとは思いませんか?」

 

「え、使いこなす…ですか?」

 

「はい。今の所、その《力》を使った場合の反動や副作用は無いようですし…」

 

「む、無理です! 俺はあの《力》を抑え込むために、俺は…」

 

 

大切なヒトを、恩のあるヒトたちを傷つけたり、悲しませたりしないために、俺は俺の内にある《獣》を克服しなければならない。

 

でなければ、俺はシュバルツァー家には、家族と一緒にいる事などできやしないのだから。

 

 

「気持ちは理解できなくもないですがね。得体がしれない、制御できない力を恐れる事は理解できます。ですが、正体がわかったとしても、それを無くすことが出来るとは限りません」

 

「それは…」

 

「だからといって、目を背けていても解決することはないでしょう。いっそ、ヒトの手の入っていない秘境にでも籠らない限りは、誰かに迷惑をかけるという可能性は無くならないのです」

 

「……」

 

「リィン君、《力》というものは本来は無色なんですよ。それは武力だけではなくて、お金や知識、人間関係を含んだ意味で…です。善とか悪とか、守る力だとか暴力だとか、そこに色を付けるのはどこまで行っても人間です。貴方の気の持ちようで、その《獣》はもしかしたら全く異なる一面を見せることになるでしょう。不当な暴力から大切なヒトを守る力、災害からヒトを守る力。その《力》と共に生きるのか、敵対するのかは貴方が決める事ですが、どちらにせよ、その《獣》が貴方の内にあるという動かしがたい事実から目を背けることだけはしないでください」

 

「エステルさんなら、使いこなす道を選ぶと?」

 

「それで私が守るべきヒト達を守れる可能性が少しでも高まるのならば。もちろん、慎重に期すことは必要です。家族にもその《力》について理解してもらう事は必須条件です。この先どんな副作用が発生するかも分からないのですから」

 

 

副作用。エステルさんが語る。この《力》を使い続けることによって精神が変質する可能性、身体に自覚症状のない負担が蓄積する可能性、あるいは肉体そのものが別の物に変質する可能性。

 

それらは一人だけでは把握しきる事ができない恐れがあり、常に自分を見守ってくれるヒトや、あるいは専属の医者がいるに越したことは無いのだと。

 

 

「まあ、どちらにせよ一人で抱え込むのが一番の悪手です」

 

 

エステルさんはそう結んだ。俺は今すぐにそれを決める事が出来なくて、考えておきますとだけ答えるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

「それで、エステルさんはお留守番することになったわけですね」

 

「そういうことです。このやり切れない気持ちを慰めてくれるのはクローゼのようなとびきりの美少女しかいません」

 

「ふふ、一国の姫にそんなことを望むなんて、エステルさんは我儘ですね」

 

「クローゼ、愛してる」

 

「はいはい、私もですよ」

 

「クローゼ、ちょっと返し方が雑になってません?」

 

「エステルさんが周りのヒトたちに節操なく愛を語るからです」

 

「私が世界で一番愛しているのはクローゼだけです」

 

「浮気性の殿方の常套句ですね」

 

「私が信じられないのですか?」

 

「誠意を見せてください」

 

「千本の薔薇を届けましょう」

 

「モノで歓心を買うのはいただけません」

 

「では、千の詩を詠いましょう」

 

「言葉を弄するだけでは真実の愛は見えません」

 

「なら、千のキス?」

 

「せめて一度のキスを、多くの国民の前で」

 

「スキャンダラスですねぇ」

 

「世界中の新聞の一面を飾ってみせましょう」

 

「「……ぷっ」」

 

 

そうして私とクローゼは大きなベッドの上でケラケラと笑い転げた。私は今、退院したことの報告のついでにグランセル城に来ていて、女王陛下への謁見の後、クローゼの部屋にお邪魔することにしたのだ。

 

怪我の事ではクローゼに大変な心配をかけたようで、出会い頭に泣きつかれてしまうなどのハプニングがあったりしたのだが、まあそれは別の話。

 

 

「ふふふ、じゃあ、お祖母様にお願いして、女の子同士で結婚できるように…」

 

「あはは、それじゃあ跡取りが出来ないじゃないですかー」

 

「くふふ、そこは最新技術で何とかしてください」

 

「それはちょっと時間がかかりそうですね」

 

「え、出来るんですか?」

 

「あー、可能性はありますよ。要は遺伝子を卵子に導入して、受精したことを卵細胞に知らせるシグナルを何らかの形で再現すればいいんですから」

 

「ちょっと、本気で考慮に入れようかと思います」

 

「ちょっ、クローゼ、ははは、冗談キツイですよ」

 

「ふふーふ、エステルさんを妊娠させてみせましょう」

 

「え、私が妊娠する方ですか?」

 

「私はリベール王になる女です。えいっ、手籠めにしちゃいますっ」

 

「あ~れ~、姫様お戯れはおやめになってぇ~」

 

 

ベッドの上でじゃれ合う。ふざけ合って、クローゼに押し倒される形になる。そしてひとしきり涙がこぼれるほど笑った後、ふと、クローゼの表情が真剣なものに変わった。

 

 

「本当に、無事で良かった」

 

「心配かけてしまいましたね」

 

「本当です。次、こんなことになったら、私、エステルさんを王宮に閉じ込めて囲いますから」

 

「合法的監禁と勘弁してください」

 

「私、王族ですので」

 

「それは怖いですねぇ。権力の濫用です」

 

「聞いてくれますか? 先日、お祖母様から私を王太女にしたいと話がありました」

 

「……そうですか。陛下はクローゼに決めたんですね」

 

「はい。少しばかり迷いましたが、私は受けようと思います」

 

 

それは、クローゼがこの先この王国を、そしてゼムリア大陸を巻き込むだろう大きな世界のうねりに飛び込むと言う決意でもある。

 

 

「大変ですよ。これから世界は劇的な状況に、歴史の分岐点に差し掛かるはずです」

 

「空気はどことなく感じています。戦争が起こるのですか?」

 

「まだはっきりしたことは言えません。だけれどもクローゼが王太女になるのなら、おそらくはアリシアⅡ世女王陛下の代か、あるいは少なくともクローゼの代で世界規模の動乱が起こる可能性があります。それは共和国と帝国という二国間の戦争ではなく、全ゼムリア大陸の主要国家が二つか三つの陣営に分かれて行うような大規模なものに」

 

 

導力革命による産業・経済・軍事の変化は政治体制や人々の常識を置き去りにした。

 

急激に発展した技術は世界を小さくして簡単に遠くの物事を知ることが出来るようになり、そして従来では考えられない規模の生産能力を人類に与えた。

 

そしてそれは人口爆発と莫大な資源の浪費という側面によって具現化する。

 

鉱物資源、食料、森林資源、人的資源、市場。大国は既に囲い込みを開始しており、今後10~20年以内にその勝ち負けが具体的に決定するだろう。

 

そうなれば覇権国家はその勢力拡大をさらに推し進め、周辺国や新興工業国との軋轢を今以上の形で発生させる。

 

だが旧態依然とした政治体制や人々の常識は、未だ複数の国家による利害調整の場を構築するに至らず、そして人々は総力戦の本当の恐怖を未だ理解していない。

 

経済上の国家の勝ち負けは内政に深く影響し、内部の諸問題から国民の目をそらすため、彼らが外交手段の延長として、旧来の『お上品な決闘』でもするが如く戦争という手段に走る可能性は否定できない。

 

その引き金を引くのは、おそらくは過剰な生産によって発生するだろう不況、それも未発達な金融システムを起因とする大恐慌である可能性は高い。

 

狭くなった世界において大国で発生した恐慌はもはや一国の問題に収まらない。まるでドミノ倒しのように各国の経済は深刻なダメージを負い、多くの人々が路頭に迷い、内政の不安定さに拍車をかける。

 

 

「もちろん杞憂に終わる可能性はあります。七耀教会を軸とした世界的な協調などというお伽噺じみた事も起こらないとは言えません。ですが、導力革命は人類に与えた恩恵と同じだけの代償を、必ず何らかの形で人類に求めるでしょう」

 

「想像するだけで憂鬱になりますね」

 

「クローゼなら、どこかの貴族に嫁いで、のほほんと暮らすという選択肢もあったんですけどね」

 

「それは嫌です。私は貴女と共にありたいんです。私の世界はまだとても狭くて、人間関係の広さなんてエステルさんの足元にも及びませんけど、それでも貴女があの戦役で為した事、失ったモノを知っています」

 

「……」

 

「貴女は私の初めての友達で、一番大切なヒトなんです。だから、いつか貴女と並び立てるような私になりたいと…そんな風に思っていました。そう、だから、私は貴女の女王になりたい」

 

 

私をまっすぐ見下ろす瞳。その決意がいつかどこかで変化してしまうかもしれないとしても、今この時のクローゼの言葉には嘘偽りがなかった。

 

それはまるで愛の告白のようで、私は頬がかっと紅く熱を帯びるのを感じ取った。

 

 

「…ちょっと照れますね」

 

「ちゃかさないでください。私も恥ずかしくなってしまいます」

 

「青春ですねぇ。10年後に思い出すと恥ずかしくてベッドの上で悶えることになるかもしれません」

 

「ふふ、私は一生の思い出として覚えておきますから」

 

「えっと、国民皆の女王になってくださいね?」

 

「ふふふ、どうしましょう」

 

「駄目ですよ。っていうか、そのまま行くと、私、クローゼに監禁される未来しか見えないんですけど」

 

「もうっ、エステルさんたら酷いです」

 

「冗談ですよ。…冗談ですよね?」

 

「ふふふふふふふふふ」

 

「…おい、冗談って言ってくださいよっ!」

 

「愛してますよ。なんちゃって」

 

 

そうしてクローゼは悪戯っぽい笑みを浮かべてウィンクをすると、私のおでこにキスをした。

 

 

「失礼します、姫様、お茶をお持ち……」

 

 

次の瞬間、部屋の扉が開いてメイドさんが入って来た。私、クローゼに押し倒されて、両腕を押さえつけられて、そしておでこにキスをされている。

 

角度的にはおでこなのか他の場所なのかは確認できないかもしれない。私とクローゼはギギギギと油が切れた玩具の様に扉に顔を向けた。メイドさんは顔を真っ赤にしていた。

 

 

「あのっ、あのっ、ノックしたんですけどお返事がなくて…。すみませんでしたっ、どうぞごゆっくりぃぃ!!」

 

「「……」」

 

 

ばたむっ、とドアが閉められる音。同時に私たちは正気に戻る。

 

 

「ま、待ちなさいシア! これは誤解なんです!」

 

「きゃぁぁっ、皆に知らせなくっちゃぁぁぁ!!」

 

 

クローゼの引き止めようと伸ばした手が空を泳ぐ。不穏な発言を廊下に響かせてメイドさんが女王宮から走り去る足音が響く。

 

 

「もー、どーにでもなれ」

 

 

私は考えるのを止めた。

 

 

 




ゆりんゆりんなの。

31話だクマ。


<飛花落葉>
攻撃クラフト、CP20、単体、威力150以上、基本ディレイ値2000、遅延
ユン先生の戦技。相手を上空に弾き飛ばし、体勢を整える前に同じく跳躍して剣で叩き落とす技。イベントバトルだと49999のダメージが確実に入り、同時に3ターンぐらい何もできなくなるぐらいのえげつない遅延効果が発生する。


誤字の指摘がありましたクマ。というか、おまえら釣られ過ぎクマー。

でも修正しようと思ったら、物書きの神様(菌類)からそのままにしておくと宝くじが当たるというお告げがあったクマ。これで大金持ちクマ。
→修正したクマ。



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